幸せ狂の灰被り 作:Needles Island
それで終わるのならば、誰も死にはしなかったのに。
国王夫婦は退位し、グランヴィル王子は戴冠してグランヴィル一世となった。アシュレイもそれに即してアシュレイ王妃と呼ばれるようになり、ますます忙しくも幸せな日を過ごす二人。姫ではあったものの子宝に恵まれた二人の幸せはいやますばかりと思われた。
しかし、幸せのために殺人に囚われたアシュレイには物足りない日々だったのだ。
そんな中ひっそりとクレアが処刑され、連座で処刑されるはずだったカレラス辺境伯とナターシャはアシュレイの温情により領地から一生出ないよう身を慎んでいることで命を救われた。無論、カレラス辺境伯もナターシャも死にたいわけではなかったので禁足を破るわけがない。だからこそ世の中の情勢を知ることができず、辺境伯家存続の危機に見舞われたのである。
それはある雨の日だった。
「カレラス辺境伯夫人ナターシャ・クラシア、グランヴィル王子が長女フローラ姫の毒殺容疑で逮捕する! 大人しく自らの罪を認め、縛につくが良い!」
憤怒の表情で現れたグランヴィル一世にカレラス辺境伯は驚愕した。慌てて何かの間違いだと主張するが、残念ながら愛で塞がれたグランヴィル一世の耳には聞こえない。そしてそのままナターシャは捕縛された。
ナターシャのいわれなき罪状は王族の毒殺未遂。その王族の名は彼女が聞いたことのないもので、無論禁足を破っていないナターシャには不可能なことだ。だというのにナターシャはいわれなき罪で拷問の憂き目に遭っていた。
「大人しく自らの罪を認めた方が楽だぞ、ナターシャ夫人!」
「ですから、何も知らないのです! アシュレイ王妃に姫がいたことすら知らないのに、どうして存在も知らない人物に毒など送りつけられましょうか!」
「嘘を吐くな! 貴様の娘の自業自得を逆恨みして王妃殿下と王女殿下を害そうとしたのだろう!」
そこにはナターシャの味方など誰もいない。カレラス辺境伯も弁護することすら赦されず、ただ領地に軟禁されることしか出来なかった。抵抗に意味はない。だからこそカレラス辺境伯は血の涙を流しながらナターシャの帰りを待った。
勿論、王族に手を出した罪は重い。クレアがそうだったように、ナターシャもまた解放されることはあり得ないのだ。獄死しても誰も同情しないし、真相を究明する人もいない。
そうなれば当然出てくるのは、人殺しに狂い、獲物を求めているアシュレイである。むしろ出張っていけるように仕向けたのはアシュレイの方であり、フローラの毒殺未遂など、ナターシャを殺すための口実でしかない。
アシュレイは口角を上げながらクレアと同じ牢に入ったナターシャと向き合った。
「気分はいかが? ナターシャ」
「今最悪になったわ、アシュレイ。こうして来るということは、わたくしは貴女に嵌められたのね」
自嘲するようにそう笑ったナターシャは、アシュレイをも蔑むような顔で彼女の顔を見つめた。
(何よ、私だけが悪いみたいに。悪いのは私じゃなく皆よ)
アシュレイは心の中でそう毒づくと、懐から扱いやすい短剣を取り出した。グランヴィル一世から持たされた護身用のものだが、その刃は刃引かれてなどいない。他人をより効率的に害することが出来る実戦的なものだ。
それを見たナターシャは眉をひそめた。
「……何のつもり?」
「あら、分かりません? ナターシャだって、お母様を殺したがっていたのに」
「……は?」
くすくすと笑うアシュレイに、ナターシャは理解できないものを見たかのような顔をした。自分がブランチを殺したかったから何だというのか。そもそも断じてナターシャはブランチに直接手を下したかったわけではない。
ただ、いなくなってくれればとは思った。ずっとローランド・カレラスを恋い慕っていたのに、ブランチ・ウィーターに奪われたときの悔しさ。それならずっと心の中だけでローランドを慕っていようと思ったのに無理やり自身を襲い、手籠めにしてまんまと夫に収まったヒース・クラシアへの憎しみ。呆気なく事故で死んだヒースを嘲笑しながら、ローランドを諦められなかった未練。それらすべてが、ナターシャにアシュレイを手助けさせた。
アシュレイが実母ブランチを殺せたのは、ナターシャが毒を提供したからだ。確かにナターシャにはブランチに殺意があった。だが、だからといってアシュレイが自分に短剣を向けている意味が分かるわけではない。
ただ、それをアシュレイが鑑みるかと言われるとまた別の話だ。
「せいぜい良い声で鳴いてくださいね? ナターシャ」
狂った笑みを浮かべ、アシュレイはナイフを振るった。ナターシャが覚えているのはそれだけだ。それ以降に起きたことは最早記憶にすら残らない。何故なら、ナターシャはそのまま殺されたのだから。
重罪人ナターシャ・クラシア=カレラスは、自らの罪を悔いて牢の中で自裁したことになった。事実を知るものはたった一人。ナターシャを手に掛けたアシュレイだけだった。
ああ……っ! これよ! この血の味がたまらないのっ! この悲鳴が、この傷が、私にとってはたまらなく幸せなの!
ナターシャの血って不味いのね! でも許してあげるわ! だってこれは私の血じゃないもの!
ナターシャってとんでもなく醜いのね! でも、許してあげるわ! だって、だってナターシャは私じゃないもの!
殺さないで? もうやめて? やめられるもんですか! こんな楽しく幸せになれること、手放せるはずかないじゃない!
ああっ……もう、このまま天にも昇ってしまいたいくらい! 私、幸せだわ!