幸せ狂の灰被り 作:Needles Island
ネタバレ、と。
いつかどこかの、白いカーネーションが咲き乱れる庭園で。大きな円卓に座る人々がいた。どうやら会議のようなことをしているらしく、時折手をあげる様子が窺われる。ただ奇妙なのは、意見を取りまとめているようにも進行を務めているのも同じ幼い少女であったことか。
母に似た金髪を翻した美しい少女は、ぱんぱんと手を叩いて声をあげる。
「はいはい、もう。もう一回まとめ直しますよ? 良いですねお母様」
「ふ、フローラぁ……まだやるのぉ?」
「当・然・で・す! 本当にもう……ちょっとは考えても良いでしょう!? どうすれば皆が幸せになれたのかって!」
ぷんぷん、とでも表現すべき表情でお母様ことアシュレイに食って掛かるフローラ。そこまでしてでも、どうしてもフローラは見つけたかったのだ。皆が幸せになれたのかを。どうせ時間はいくらでもある。ここにいる全ての人間が罪を犯したから。皆が皆、転生までに時間があり余っていたのである。
故にフローラは、まとめるために口を開いた。
「まずね、お母様。おばあ様がまず悔い改めるべきなのはもう分かってます。いくら間男の娘だからってお母様を虐待して良い理由はないですね」
ギロリとフローラが睨み付けたのは、彼女の祖母ブランチ。彼女が確かに全ての発端だ。故にフローラは自分の祖母であってもブランチに対して愛情を持てない。
ブランチは申し訳なさそうな顔をして弁解する。
「め、面目次第もないわ……でも、愛せないのは分かるでしょう?」
「愛せなくても虐待して良いわけではあーりーまーせーん! 全くもう……」
「ご、ごめんなさい……」
ブランチは小さくなって落ち込んだ。落ち込むような権利は無論ない。ブランチの罪はアシュレイを虐待したこと。そして、間男を受け入れたことだ。受け入れさせられたとも言えるが、快楽に負けてそのまま関係を持ってしまったのはブランチの罪だろう。
フローラはブランチに軽蔑した視線を送り、そして一瞥もくれなくなった。彼女にとってブランチはそれだけの存在だ。母を殺人に誘った女を祖母だと思えるはずもない。
次に視線を送ったのがナターシャだ。
「で、義理のおばあ様? 何で敢えてお母様に毒なんて渡したんでしたっけ?」
「それはその……ちょっとしたイタズラ、みたいな?」
「イタズラで当時10才にもなってない女の子に人殺しの道具を渡したんですよねー。それも精神を追い詰められた女の子に」
ナターシャは呻いた。当時はナターシャも追い詰められていたのだとはいえ、確かに子供に渡すべきものではないものであることだけは確かだ。全くもって大人げなかった。
そんなナターシャにフローラはやはり軽蔑した視線を送った。
「ぶっちゃけ言って頭おかしいですよ、それ。毒瓶なんて渡したらどうなるかぐらい想像してくださいよいい年したババアが」
「ちょっとフローラ?」
「女の子に代理殺人させる人からの非難なんて聞ーきーまーせーんー」
フローラの冷たい言葉に、ぐふっ、とコメディタッチに呻いたナターシャは机の上に突っ伏した。全くもって反論できない。確かにナターシャはアシュレイがブランチを殺すことを期待してしまっていた。フローラの指摘は全くもって間違っていない。
しかし、それに口を挟んだものがいた。
「いや、フローラ殿下、その……それは実行したアシュレイが悪いのでは……」
「は? 是非寝言は寝て言ってくださいませんか、おじい様」
しどろもどろの言葉を、フローラはそうばっさりと切り捨てた。おじい様、の言葉が示すように、その相手はローランド・カレラスだ。孫娘の冷たい視線にローランドはたじろぐしかない。
フローラはローランドに向けて厳しい声で告げた。
「そもそも、おじい様がお母様の状況を知らなかったというのもおかしな話です」
「……その、忙しくて。革命直後でしたし」
「だからって家族を蔑ろにして良い訳じゃないですよ。少なくともお母様の状況くらいは把握しておくべきなんじゃないですか?」
ローランドの表情はまるでぎゃふんとでも言いたげな顔。フローラはやはりそんなローランドに恨みをもつような顔で一瞥して、顔をそらした。フローラにとってローランドなど、母に興味のないジジイぐらいの認識しかなかった。そんな認識では、フローラがローランドを祖父として慕えるわけがない。
そしてフローラが次に視線を向ける前に、ヘザーが口を挟んだ。
「あら、今だからそう言えるのであって、当時のお義父様にそんな余裕があったとは到底思えませんわよ」
「へ、ヘザー……」
「そうでしょうね、ヘザーおば様。でも、今だからこそ可能性を探れるのだと何度言えば分かっていただけるの?」
義娘に庇われたローランドは、しかしフローラの言葉に再び落ち込んだ。昔出来なかった選択を、今になってどうこう言うのは確かに意味のないことだ。しかし、想像するだけならば自由だ。ローランド達大人はフローラに人並みの幸せすら与えてやれなかったのだから、そのくらいは許容してしかるべきだろう。
そうは思うが、ヘザーはフローラに反駁したい理由があった。
「誰がおば様ですって?」
「言葉的には間違っていませんよね、ヘザーお・ば・さ・ま?」
フローラの言葉にヘザーはうぐ、と喉の奥で息を呑み込んだ。
「そっ、そそそそうだけど! 女子としてはせめてお姉様ぐらいが良いというか……ね? 分かるでしょう?」
「わたし、残念ですけど15まで生きてませんから分かりません」
見事に地雷を踏んだヘザーは黙り込んだ。いつもながら、地雷源でワルツを踊るのがお好きなようである。なおステップは遅いので、残念だが爆発しても逃げられない。
そしてそんなヘザーに矛先は向いた。
「で、ヘザーおば様は何で舞踏会で敢えてお母様の身分を明かそうとしたんです?」
「そ、それは……釣り合うわけないと思ったからよ。アシュレイが仕出かしたこともそうだし、当時は男爵令嬢だったから、身分も、全てが釣り合わないって。……まあ、何故かドレスが裂けたから言えなかったけど」
無論、このことがヘザーの罪だと言うつもりは毛頭ない。ただアシュレイが前日の暴力を含めてヘザーから貶められていると勘違いしただけだ。
ヘザーはごにょごにょと話を続ける。
「それに、妬ましかったのよ。だってグランヴィル王子と先に知り合ったのは私だったわ。脈がないとも思えなかった」
不敵に笑ってそう言ったヘザーだったが、それは当の本人から否定された。
「いや、私は別にミス・カレラスには興味などなかったが?」
「えっ……」
「確かに美人ではあるが、残念ながら顔付きだけで性格がきついのは分かりきっていたからな。私よりもむしろ宰相以下の廷臣達の妻にはどうかと考えていた」
あ、あんですってぇ、と言わんばかりの勢いでヘザーはグランヴィルに詰め寄ろうとした。しかし、彼の瞳に嘘の色がないことに気付いたヘザーはそのまま前のめりに卒倒した。
フローラはヘザーを放置し、グランヴィルに向き直った。
「それで、お父様は何でお母様の身分が低いにも関わらずお妃にしたんです?」
「み、身分は関係ないだろう。愛し合ってさえいれば良いと両陛下には言われていたからな」
ふんす、と胸を張ったグランヴィルは、しかしフローラに憐れむような顔で見られた。
「……それは何かもう、諦められていたのでは……? お二人ともご健在でしたし、何より革命直後に権威付けするのであれば、公爵家にも適齢の女性がいらしたでしょう。それを指示されていなくて、かつまだ革命を起こせる余地を残されているってところあたりがもう、ね?」
「……い、いや、あの、そそそそれだとお前が産まれないというか、な?」
流石にそれはどうかと思う、とグランヴィルは言うのだが、フローラは冷たかった。もっとも、フローラが優しくする人物などここにはいないのだが。
「別に私が産まれてこなくても誰も困らなかったでしょう? 結果的に二回目の革命で死んでおけって言われたわけですし」
「それは……私達親が不甲斐なかったからだ。決して誰もお前に死ねと言いたかったわけではない」
「お父様は『王女フローラ』が死ぬ必要はあったけど、ただの『フローラ』が死ぬ必要はなかったと言いたいんでしょ?」
馬鹿馬鹿しいわ、とフローラは笑った。フローラがフローラである以上は王女であることを捨てられるはずがない。彼女はグランヴィルとアシュレイの娘であることからは逃げられないのだ。たとえ他の何から逃げられたのだとしても、たとえどれほど世間から屑扱いされる親だとしても、親からは逃げられない。
もし仮に物理的に距離をおけたのだとしても、周囲がそれを許さない。アレは貴様の親であるからにして、貴様も同じく奴らの責任を取れと言われるのである。大人は一個の個人として社会に扱われるというのに、そういうところだけは家族としての責任を求めるあたり、社会というものは矛盾している。
どうせ死ななければならなかったフローラは、最早語り合う価値のないグランヴィルから視線を外した。ずっと話し合ってきたなかで、一番の問題児と会話するためだ。誰にも理解できなかった、憐れな女と。彼女こそがフローラを死に至らしめるための一手を打った存在。全てを無に帰す選択をした者だ。
それは、今まで沈黙を保っていたクレアだった。
「それで、クレアおば様。おば様はどうしてお父様にフォークなんて投げたんです?」
「……悪いけれど、言うつもりはないわ」
フローラの問いに冷淡に返したクレアは、そのまま下がろうとする。しかし、この茶番はかれこれ数年は続いているのだ。クレアに強制的に口を割らせ、いい加減終わらせたくなるのも無理はない。
周囲の人間に取り囲まれ、席に着かざるを得なくなったクレアはため息を吐いて困ったように呟く。
「言ったって誰の救いにもならない話なんて、しても仕方がないじゃない」
「それを決めて良いのはおば様だけじゃないわ。決めるのは皆、よ。皆それぞれが答えを見つければ良いの。その答えをおば様が決めつけるのは皆に失礼だわ。だから教えて、おば様。どうしてお父様にフォークなんか投げたの?」
その答えを、クレアは渋っているようだった。誰もが幸せになれない答えなんて必要ない、とフローラが考えているとも思えるこの状況に、果たして自分の選択を告げて良いものかと。
ただし、言わない限りこの茶番は終わらない。だからこそクレアは口を割らざるを得なかった。
「……族滅です」
「は?」
「だから、族滅が目的です。わたくしはわたくしを含め一族の皆に罪があることを知っていましたから」
そのあまりの答えに皆は絶句した。クレアの答えとは、罪があるから皆死んでしまえと願って、王族に弓引いたということだ。あまりに無謀にして確実、周囲をすべて巻き込む最悪の自殺の方法だ。
クレアは誰も口を開かない中、言葉を続けた。
「アシュレイはブランチ様を殺しました。お父様にはアシュレイの保護責任がありました。お母様も、毒瓶を渡したという殺人幇助の罪があります」
ですが、とクレアは続けた。
「ですが、グランヴィル陛下、フローラ殿下。あなた方を巻き込むつもりはありませんでした。正直に言って先王先皇后両陛下が血の繋がりのあるお二人を害するとは思えませんでしたので」
「……つまり、革命が起きたのはクレアおば様のせいではない、と」
「わたくしには、そもそも革命を起こせるだけの地位も力もありませんから。契機を作ってしまったのは確かでしょうが……」
あくまで、クレアは革命を起こしてしまったことを認めなかった。だが、フローラにとってはそれで十分だった。
何故なら、革命を起こさせたのはフローラなのだから。
全てに絶望し、父ごと死のうと思ったからこそフローラは形振り構わなかった。父方の祖父母に全てを打ち明け、最後に責任を取る形である意味自殺したフローラも罪人であるともいえる。
カレラス辺境伯家を滅ぼしたのはクレアだ。しかし、王家の血を絶やしたのはフローラだった。
そんな罪人だらけのお茶会で。フローラは一つの結論に達する。
「……なあんだ。最初から……私は。たとえ何があったのだとしても、結局死ぬしかなかったんじゃない」
絶望から自らを救いたかった。しかし、全ての事実を知って掬われてしまった。再び絶望に巣食われてしまって、もう救われることなどあり得なかった。
だから。フローラは、全てを知るために集めた死者の群れから逃げ出すことしか出来なかった。
そこに、救いなど、なかった。
アシュレイ:Ashley。ash-ley。灰の歌。灰とは悔い改めるに用いられるもの。そして、燃やした後に残されるもの。彼女に悔い改めさせられたのだとしても、本人が救われることはなかった。
フローラ:Flora。flora。花。灰を糧にし育つもの。そして、いずれ枯れるもの。彼女はその短い生を、ただ他人のためだけに使わねばならなかった。
ヘザー:Heather。heat-her。燃やされるもの。灰のために燃やされる火種。そして、燃やされて形がなくなるもの。彼女は燃やされるだけであって、本人が悔い改めるための灰となることは出来なかった。
クレア:Claire。cl-air-e。空気。火種を燃え上がらせるもの。そして、灰を吹き散らし全てを無に帰すもの。彼女はその中心に在って、本人は吹き散らすだけだなく吹き散らされるしかなかった。
グランヴィル:Granville。gra-n-v-ill-e。墓。灰を納めるためのもの。そして、全ての死者の末路を収束するもの。彼は全ての責任を負わされ、本人の知らぬ罪によって贖罪を余儀なくされた。
ナターシャ:Natasha。nat-ash-a。灰。灰の歌の同類。そして、灰の歌に混ざりさらに罪を助長するもの。彼女は幼稚な思想によって罪を犯させたが、本人の思いのままに全ては動かなかった。
ブランチ:Blanche。b-l-anch-e。誤りし枝。燃やされるためのもの。そして、灰となるために燃やされてその糧となるもの。彼女は自分本意に周囲を押さえつけたが、本人は憎んだその娘に殺された。
ローランド・カレラス:Loland Carreras。lo-land carr-era-s。エラの土壌。灰被りと枝を産み出せしもの。そして、全ての根源であり罪を生んだもの。彼は全てを知らず、全てを喪った。
ショーナ:Seana。sea-na。海。灰を抱くもの。そして、灰となりし骸を糧とし新たな命を育むもの。彼女は全てが終わったあと、何かの救いのように息子に恵まれた。
ブルックリン:Brooklyn。brook-lyn。川。やがて海に至るもの。そして、灰となりし骸を海へと送り新たな命を吹き込むもの。彼は全てが終わる前に終焉を迎え、息子ができたことすら知らず旅立った。
ヒース・クラシア:Heath Krashia。heat-h kr-ash-ia。燃やされて灰となるもの。誤りし枝を燃やそうとして灰となったもの。そして、下劣に枝を手折りて羨望を膿ませたもの。彼は全ての始まりを告げ、贖罪すら赦されなかった。