幸せ狂の灰被り   作:Needles Island

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 使い古された雑巾。今にも折れそうな箒。使いすぎてちびた包丁。薄汚れた侍女のお仕着せ。それら全てが少女に与えられたもの。それら全てが少女の望んだもの。

 それら全てが、少女の願いの代償。


幸せ狂の転機

 毎朝、誰よりも早く起きたアシュレイは、井戸から水を汲んでくる。使用人任せにはしない。そんなことをすれば、アシュレイの使うものに毒が仕込まれるかもしれないからだ。アシュレイは死にたくない。だからこそ水を汲んでくる。

 そして誰もが起きてくるような時間までに清掃を終わらせる。そうすれば誰もアシュレイの部屋には近づかない。刃物や危険物を仕込んだりしに来ない。たとえ誰に見とがめられても今のアシュレイの格好は侍女だ。引きこもっている先妻の娘の顔など誰も直視しないからこそこんなことができる。

(よし、今日も綺麗ね)

 それが終われば自分の部屋に戻り、部屋の中で栽培している野菜と毒が入っていないことを確認してある小麦で焼いたパンを食べる。対外的には母を失った精神的負担で寝込んでいることになっているアシュレイであるが、やっていることは最早寝込むどころの話ではない。貴族令嬢らしからぬ所業だ。

 朝食が終わればまた部屋を抜け出し、侍女のお仕着せと自分が昨日着ていた服を洗濯する。服に毒や針が仕込まれないようにするためだ。それを自分の部屋のバルコニーに干し、今日着る服に着替えてベッドに潜り込んだ。

 そしてそのあとは、アシュレイにとって暇であるとしか言い様のない幸せな時間。誰も怒鳴らない。誰も殴らないし、誰もトチ狂って刃物を持ち出したりしない。そんな使用人はナターシャが辞めさせたからだ。

 本来であれば使用人がやるはずの仕事をアシュレイがこなせるのは、彼女にその経験があったからに他ならない。アシュレイを疎んじていたブランチは、淑女として受けるべき教育を彼女に施すことはしなかった。代わりに使用人同然の扱いをしたのだ。

 それに比べれば今の生活は十分に幸せだ。幸せな気分に浸りながらうとうとと微睡んでいると、扉が叩かれる。訪問者だ。義母ナターシャに似た茶髪に近い金髪の女性は、入ってくるなり冷笑を浮かべた。

「あらアシュレイ。また服のまま寝ていたのね」

「ごめんなさい、ヘザー義姉(ねえ)様」

 ややつり目のヘザーは、顔を見るだけで睨まれているように感じる。実際睨まれているのだが、それは仕方のないことだ。母が死んで以来3年もこうしていれば当然だろう。もっとも、睨む理由はそれだけではないのだろうが。

 ヘザーは笑みを消すとアシュレイに言葉を投げつけた。

「いつまでもそうやっていられるとは思わないことね、アシュレイ。じきに貴女も社交界に出るの。いつまでもそんな甘えが許されると思って?」

「……分かっています」

「ふうん? なら良いけれど……お義父様の顔に泥を塗らないで頂戴ね」

 冷たくそう言い放ったヘザーは何をするでもなくアシュレイの部屋から立ち去った。残されたアシュレイは心のなかで毒づく。

(貴女が一番泥を塗っているわよヘザー。社交界に出たら、ですって? 貴女が社交界でどう蔑まれているのか私は知っているんだから)

 それから数年も経たないうちに、アシュレイは病弱だということになった。いつまでもアシュレイが外に出たがらなかったからだ。出れば平穏な生活は出来なくなることが分かっていたから、アシュレイは社交界に出るのを拒み続けていた。

 それでも、アシュレイには断れない舞踏会がある。それはたった一つ。この国の至尊のお方からのお招きである。貴族令嬢ならば誰もが憧れてしかるべきその宴も、アシュレイにとっては平穏の邪魔でしかない。

 だからこそギリギリまで抵抗し、舞踏会にはもう間に合わない時間まで掃除をしていたアシュレイはしかし。

「私は行かなくても問題ありませんわ」

「でも、アシュレイ。貴女のために用意したこのドレスを無駄にしないでくれると嬉しいわ」

(何で行かないって言ってるのに用意してるのよクレアぁ!)

 二番目の姉クレアが侍女に広げさせたそのドレスは品の良いものだった。シンプルだからこそ着る者を選ぶ品。クレアになら似合うだろうと思えるそのドレスをアシュレイは手早く着せられた。

 そして足元に出されたのは見覚えのある靴。数日前、クレア用にと用意されたはずの水晶が散りばめられた靴だった。

 それを見てアシュレイは思わずクレアを怒鳴り付けていた。

「ちょっとこれ、クレア義姉様のでしょう!」

「あら、わたくしに気を使わなくても良いのよアシュレイ。思ったより似合わなかったから別のものを仕立てたもの」

(う、嘘つき!)

 そう言うクレアの足元の靴は古びたもの。それでも気に入ったのは確かで。年頃の娘以下とはいえ煌びやかな世界に憧れたことがないと言えば嘘になるアシュレイにとっては幸せ以上の過ぎた望みだ。

(行きたくない、いやでもちょっと、いやいや何言ってるの行ったら平穏な生活が!)

 そんなアシュレイの内心の葛藤を見透かしたようにクレアは微笑して言った。

「アシュレイ。行って後悔するのと行かないで後悔するのなら、行った方が良いわよ」

「どうしてそう思うの、クレア義姉様」

「見たことがないものは怖いわ。でもね、アシュレイ。見ないとそれがどんなものなのかは分からないでしょう?」

 だから見た方が後悔は少ないと思うわ、とクレアは締めくくった。その様はまるでアシュレイを唆す魔女のよう。だが、それでも。

(確かに、見ないとわからない。お母様を殺してみないとこの生活は出来なかった。なら舞踏会に行って平穏が逃げていくかどうかなんて分からないじゃない)

 それは実感から来る言葉だ。やってみなくちゃ分からないことは、やって納得しないと心にずっとトゲとなって残る。もっとも殺人に関してはやって納得した時点で人生に巨大なトゲが刺さるが。

 だからアシュレイは決意した。外に、舞踏会に行こうと。行って後悔しよう、と。




 止める人はいない。止められてたまるものですか。だって私は幸せになりたいの。誰を犠牲にして、誰に蔑まれても。

 そうでなくちゃ、私がお母様を殺した意味がないから。

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