幸せ狂の灰被り   作:Needles Island

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 皆が羨んだ。王子グランヴィルと踊る姫君を。
 皆が羨んだ。王子グランヴィルに相応しい美貌を。
 皆が羨んだ。王子グランヴィルが姫君に向ける視線を。
 皆が羨んだ。その姫君の全てを。

 姫は羨んだ。貴女たちの方がずっとずっと清廉潔白じゃない、と。

 羨むものは手に入らないもの。手に入れられないからこそ羨み、憧れるのだ。


幸せ狂の不穏

「何でよ、何であんたが見初められるのよっ!」

 カレラス男爵邸に響き渡る絶叫。それはアシュレイの義姉ヘザーの声。その声には嫉妬と羨望、そして多分に憎悪が含まれていた。それも当然だろう。社交界の華、特に《金薔薇》とまで称されるヘザーでなく、今まで社交界に出るのを拒んでいた小娘に王子グランヴィルの心を奪われたのだから。

(知らないわよ。私だって何でこんなことになったのか分からないんだもの)

 アシュレイは心のなかでそう毒づきながら幸せを壊しにくるヘザーのドレスの裾を睨み付けた。ヘザーは周囲のものを手当たり次第にアシュレイに投げつけてきていたのだ。この行為はアシュレイにとって禁忌であるとも知らずに。

 ヘザーはアシュレイにあたりながら涙を流す。

「何でわたしじゃないの! 何で! 何でこんな人殺しの――」

「ヘザー義姉様には分からないわ」

「何ですって!?」

(だって、私にも分からないんだもの。分からないけど、今分かっていることは一つだけ。ヘザーは敵。私が生きるための、敵よ)

 蔑んだ目でヘザーを見つめたアシュレイは、今夜もある舞踏会でヘザーを陥れることにした。まずは社会的に殺す。そうでなければアシュレイを壊した母のように悼まれてしまうから。そんなこと、赦せるはずがなかった。

 今夜ヘザーが着るドレスは昨日のものとは違うもの。男爵家程度の資金力でも3日別のものを着られるドレスを3着用意したうちの、上品すぎず派手すぎない逸品である。黄色のノースリーブで、要所要所にリボンと薔薇が飾られているものだ。

 アシュレイはそのドレスの裾にある薔薇とスカート部分に細工をした。薔薇は取れやすいようにハサミを入れ、スカート部分の縫製も甘くしておいたのだ。着付ける程度では取れないが、スカートを握り締めるほどに強く引っ張れば千切れるように。

(恥をかくと良いわ、ヘザー。私の邪魔をするから悪いのよ)

 内心でヘザーが失敗するのを思い浮かべながら、アシュレイはヘザーよりも後で屋敷を出ることにした。一緒に出たくなかったからだ。今日はクレアもヘザーと一緒に出たので馬車自体は余っている。クレアの上品な馬車はアシュレイのドレスに似合うだろう。

 本日のアシュレイのドレスも昨日とは別のものだ。クレアが明日着る予定のドレスを黙って拝借したアシュレイの姿は誰が見ても文句なしに可憐だと言うだろう。自画自賛出来てしまうほどの出来映えに満足を覚えながらアシュレイは身支度を終えて屋敷を出た。

 道中、馬丁を務めている使用人からアシュレイは声をかけられた。

「お綺麗です、アシュレイお嬢様」

「あら、ありがとう。……貴方はブルック、だったかしら?」

「ブルックリンです。その……ヘザーお嬢様のことは、お気になさらず」

 使用人一同は貴女様の味方です、と続けたブルックリンはそのまま前に向き直って馬車を進める。それを聞いたアシュレイはそっと懐からハンカチを取り出し、顔を隠した。

(日頃の対応の差ね。使用人達を味方に付けられるのは大きいわ)

 感極まって泣き出したと勘違いしたブルックリンは焦ったが、アシュレイはそんなことを考えていた。これまで血の繋がった母と暮らしていたときのヒエラルキーの最下部はアシュレイだったが、今は違う。アシュレイはその事に幸福を感じていた。

 ゆえにその幸福を続けるためにアシュレイはブルックリンに言葉をかける。

「ありがとう、ブルックリン。私、私……貴方のような人がいてくれて、幸せだわ」

「お嬢様……」

「でも、あまり無理をしないで。これからもよろしくお願いしますわ」

 アシュレイのその言葉にブルックリンは感極まったようだった。背中を震わせて馬に鞭を打ち、馬車を舞踏会の行われる王宮へと進める。

 そしてアシュレイは招待状を手に王宮のホールへと向かった。普通ならばエスコートを必要とする場面。だが、グランヴィル王子の花嫁探しの一面をもつ今回の舞踏会はむしろエスコートの男を連れてこないことを推奨されている。だからこそ婚約者も従兄弟もいないアシュレイが堂々と入れるのである。

 それに、アシュレイはエスコートを必要としなくなっていた。何故なら彼女にはエスコートしてくれる男性が見つかったからだ。

「君は、昨日の……」

「……ごきげんよう、王子殿下」

 アシュレイの姿に見惚れた茶髪の男性、この国で二番目に尊きお方グランヴィル王子が手を差し伸べている。アシュレイは気後れしているように見せつつもその腕を絡めた。

 その瞬間周囲から送られる羨望と嫉妬の視線。

(ああ……平穏じゃないわ。でも、何かしら。これは……この、もやもやというかむずむずする気持ちは……?)

 アシュレイは微かに身震いして王子に微笑みかけた。途端に王子の顔は赤らみ、照れているようにも見える。自分がこの可愛らしくも逞しい男を独占しているのだと思うと心が浮き立つようだった。

 そこに水を差すように現れたのは手で黄色いドレスを握り締めた令嬢だ。

「王子殿下、恐れながら――きゃああ!?」

 その姿はまるで道化だった。腰のあたりで裂けたスカートがはらりと地面に落ち、次いで令嬢自身も地面へと腰を落とす。それは防衛本能だったのだろうが、世間一般的な令嬢にそのまま腰を落とせるわけがない。バランスを崩し、無様にパニエの中のドロワーズを晒してしまった令嬢はそのまま泣き出してしまった。

 それを見てアシュレイは心のなかで冷たく毒づく。

(様を見なさい、ヘザー。みっともないのは貴女の方よ)

 無論、それを表情に出すことはない。アシュレイはいかにもヘザーを心配していますという顔をしながら纏っていたショールを差し出した。

「大丈夫ですか?」

 その姿はあまりに惨めで滑稽で。ヘザーの身分の低さを知る令嬢が笑いを溢したのを切っ掛けに、密やかな笑いが波紋のように広がった。それに顔を真っ赤に染めたヘザーはアシュレイからショールを奪って丸め、アシュレイに叩きつけた。

「施しなんて! ……この、恩知らずが!」

 そう言い捨てたヘザーは取れたスカート部分を手で押さえ、その場から走り去ってしまった。勿論スカートは何度もずり落ち、その度に笑いを誘っていたがそんなことにヘザーが構えるような精神状態ではない。

 アシュレイはひとしきり内心で笑ってから、王子に向き直った。

「あの方……大丈夫でしょうか」

「貴女は優しい人だな。……そんな優しい貴女、私と踊ってくれませんか?」

「……喜んで、王子殿下」

 アシュレイは天使のような微笑みを浮かべ、王子の合図で始まった音楽に身を任せた。




 貴女が悪いのよ。私の幸せを邪魔した貴女が。だから徹底的に苛めてあげる。これまでの暴言を悔いなさい。

 まあ、赦してなんてあげないけれど、ね。

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