幸せ狂の灰被り 作:Needles Island
ならば、心を壊した後に痛みを与えれば死ぬは必定であろう。
アシュレイの手袋から『カレラス』の名のみを読み取った王子は、親衛隊を連れてカレラス男爵邸に押し掛けていた。無論王宮で缶詰状態になっていたカレラス男爵は大慌てで体裁を整えなくてはならないために帰宅を余儀なくされている。
カレラス男爵が自分の娘を一人ずつ王子の前に差し出すために準備を整え、使用人に長姉ヘザーを呼びに行かせたが出てこない。
王子を待たせているというのもあるが、何度も何度も呼んでも返事がないという答えしかしない使用人に男爵は業を煮やした。
「どういうことだ、ショーナ!」
その男爵の剣幕に怒鳴られた使用人ショーナは怯えることしか出来ない。
「わ、わたしには何も……っ! と、とにかくお部屋にはいらっしゃいますし、お召し変えも終わっているはずなのですが……」
それでも返事をしようとしないヘザーに、王子の堪忍袋の緒も切れてしまった。
「ならば押し掛ける。案内せよ、男爵」
高貴な人物らしからぬ王子の言葉に男爵は渋ったものの、断れば文字どおり首が飛ぶので案内せざるを得なかった。まだ男爵も死にたくはなかったのである。
しかし、ヘザーの部屋の前に立ちはだかる女性がいた。彼女は静かにその場に佇んでいたが、王子を見ると決意を感じさせる瞳で彼を見据えた。
王子は眉を寄せてその不遜な女性に命じる。
「どけ、娘」
「いいえ。首をはねられようがわたくしはここを退くつもりはありません」
それはクレアだった。何者にも揺らがぬ決然とした瞳で、王子の顔をしっかりと見ながらそこを動こうとはしない。それは親衛隊が剣を抜いても変わらなかった。クレアはクレアなりに姉を守ろうとしたのである。そのなかで、守ろうとしている姉が何をしているのかも知らずに。
王子は苛立ちとともにクレアに詰め寄り、問うた。
「貴様がそこを退かないのは嫉妬からか?」
「いいえ。殿下が姉に会う必要は一欠片もございませんので。どうぞわたくしどもに構わずもう一人の妹とお会いになっては?」
それは事実だった。舞踏会で恥をかいたヘザーが王子に会う必要などどこにもない。クレアも同様だ。王子とは何の関係もない。いずれ嫁ぐ可能性のあった男性に縁を切られたのはクレアも同じ。今カレラス男爵家と関係を持ちたい人物は一人もいないのだ。それ故にクレアは王子のためにもここを通したくなかった。
しかし、それが通じないのが恋に盲目になった王子である。蔑むようにクレアに告げた。
「あくまでも邪魔をするつもりか。容姿に似合わず醜い女だな」
「どうとでも仰ってくださいませ。わたくしは名誉さえこれ以上汚されなければ十分ですから」
クレアのその発言は、最後まで言い切ることはできなかった。何故ならヘザーの部屋の中から悲鳴が聞こえたからだ。
『きゃああああああぁぁぁぁっ!』
聞くものの魂まで削りそうな、悲痛な叫びに王子の頭は沸騰した。この中にいるであろう想い人が目の前の女の時間稼ぎによって害されている。そう考えてしまったからだ。それが事実であるとは限らないが、少なくとも王子のなかではそうなった。
だからこそ王子は、血相を変えて部屋に飛び込もうとするクレアを親衛隊に拘束させてそこに飛び込んだ。部屋に鍵はかかっていない。しかし、部屋の中の様子はそこに誰かが闖入してくることを拒んでいた。
そこには、赤があった。
夥しく流れ落ちる赤。その根源を恐る恐る見た王子は絶句した。恐らくはネグリジェなのだろうその服が、血に濡れている。どこから流れ出たものなのかと確かめるとそこには恐らく顔があったはずで。ぽっかりと二つの穴が開いた面が、ゆっくりと崩れ落ちる。
その傾いだ体を支えるはずの腕は既になく、ただ流れるように床に向けて倒れ込んで。
「ヘザー姉様ッッッッ!」
親衛隊の拘束を解けないままにもがくクレアが叫んだ。その呼称に、その血だるまの人形が男爵令嬢ヘザー・カレラスであることを王子は知った。
「ヘザーっ! ああ、ヘザー……」
血溜まりに近づいたカレラス男爵が娘だったものを抱き起こし、涙を流した。クレアもそれがヘザーであるとカレラス男爵が認識した時点で崩れ落ちていた。王子はその女性があのときの姫であるかどうかを確かめようとして、出来なかった。ソレはあまりに血にまみれていて、顔の形すら認識出来なかったのだ。
カレラス男爵は涙が枯れると、下手人の姿を探した。まだそこにいるとは限らない上にむしろもう逃げているだろう状況だが、それでも。無論下手人の姿はない。当然だ。ヘザーを殺した人物は、その場に倒れ伏しているのだから。
ヘザーが死んだ原因は確かにとある人物に関係ある。だが、彼女はヘザーを死に至らしめただけで直接手を下したわけではなかった。
そう。誰も理解しようとは思わないだろうが、ヘザーは自分で生きるのをやめたのだ。
汚いわね。意思があったときはあんなに光って見えたのに、今は濁ってるし汚いわ。もうこんなものは必要ないわね。
そうでしょう? ヘザー。これは貴女には必要ないもの。なら、抉り取っても良いわよね?
……ああ、そうだ。その腕は貴方にあげるわ。私には必要のないものだもの。ええ、これも。大丈夫、貴方は正しいことをしているの。間違っているのはヘザーで、私達じゃない。
これで分かった? ヘザー。これが私の苦しみよ。この狂おしいほどの苦痛が、貴女を生かしてくれるの。そして、私もね。
大丈夫よ、ヘザー。貴女は男爵令嬢じゃない。目が見えなくても、腕がなくても生きていけるわ。貴女は、私とは違うんですもの。