俺はスタイリッシュなヴォルフシュテイン   作:マネー

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第十四話:唯一安らかなる日は過ぎ去った昨日のみ

 ●

 

「…………」

 

 男の肉体が打ち付けられる。

 細かい枝が全身を叩き、太い枝が落下を受け止める。

 その肉体は明らかに死体だった。

 身体の大部分が失われた死体は、しかし、現実を置き換えるように修正されていく。

 そうして肉体を取り戻した男が小さく呻(うめ)く。

 

「くぅ……」

 

 男が見たのは青々と茂る木々と、その隙間から覗く時計塔だった。

 額を押さえて赤毛の男、ディクセリオ・マスケインは呟く。

 

「また、ここか? なんだ? なんでそんなにツェルニにばかり辿(たど)り着く?」

 

 視線を下に向ければ養殖湖が眩(まばゆ)い陽光を照り返して、眩(まぶ)しさに瞳が閉じていく。

 耳に届くいくつもの甲高い声は楽しげなものだった。

 

「……夏だな」

 

 はっきりとしない意識の中で思わずもらした言葉を最後に、気を失った。

 

 ●

 

 ツェルニ、学園都市マイアスと接触す。

 その一報が都市中に届いてから、数時間。

 両都市は完全に停止して通行路を設営。

 学生たちは各々の都市の外縁部にて布陣を完了する。

 そうして、学園都市の命運を賭けた武芸大会が開戦した。

 

「――――!!」

 

 ツェルニ・マイアス両陣営は気炎を吐きながら激突する。

 武芸大会はマイアス陣営の思惑を外れ、ツェルニ側の想定した通りに推移していくこととなった。

 都市と都市を繋ぐ唯一の通行路からツェルニの全戦力がマイアスへと殺到し、戦線を次々に突破していったのだ。

 戦線を維持できなかったマイアス陣営は都市内での防衛戦を強いられることとなった。

 ツェルニ陣営は防衛戦に付き合うことなく、浸透・突破を重視。

 撃破目標たるポールへ接近することだけを目的として侵攻し続けた。

 本来であればツェルニ陣営を抑制・鎮圧できたはずの防衛拠点も、一部への偏った攻撃により突破され、拠点後方へと回り込まれた時点で拠点の意味を喪失。

 マイアス陣営は後方へと撤退することを余儀なくされた。

 この時点で正攻法での勝利を失ったことに気付いたマイアス陣営は、開戦と同時に送り込んだ潜入部隊がポールを奪取することに期待して遅滞戦闘に切り替え、都市部での時間稼ぎに終始するしかなかった。

 それ自体は正しい戦略だったといえよう。

 マイアス陣営の潜入部隊が既に壊滅していたことさえ知らなければ。

 

 ●

 

 その頃。

 ツェルニのポールが設置された建物の近くには多くの倒れ伏す武芸者たちが居た。

 

「……ぅ…………」

「な、んで…………こんなやつが……」

 

 苦痛に呻くマイアスの学生を、屋上から一人の武芸者が見下ろしている。

 レイフォン・アルセイフだ。

 マイアスの潜入部隊を打ちのめしたのはレイフォンの放った蒼い剣雨。

 屋上の設置されたポールを護るたった一人の武芸者に近付くことすら許されず、それは豪雨のように彼らを蹂躙したのだ。

 学園都市にあってはならない頂点の武力が振るわれた結果、彼らはあっけなく全滅した。

 その様子を彼方の学園都市マイアスから複雑な感情とともに眺める者がいた。

 

『よもや本当に出会うとは……』

「少し、悪いとは思っている」

 

 声が聞こえている訳ではない。

 それでも視線と雰囲気で十分に言いたいことがレイフォンには理解できただけである。

 そうしてレイフォンがポールを堅守していると、やがて両都市に大音量のブザーが鳴り響く。

 ツェルニの誰かがポールを掴み取ったのだ。

 セルニウム鉱山を失い、都市として死ぬことが確定するか否かの瀬戸際にあったツェルニはこの瞬間、戦争を制して可能性を手に入れた。

 

 ●

 

 暑い。

 臭い。

 

「めんどくさい」

 

 呪詛が地下にある下水道に反響する。

 およそ下水道にあるべき装いとはかけ離れた彼女の言葉にはあらゆる負の感情が込められていた。

 革製の首輪と、肩出しへそ出しの露出の多いボンテージ風の洋装。

 ショートパンツに網タイツ、黒のブーツに超ロングタイプのとんがり帽子。

 その顔は化粧のせいもあってか病的に白い。

 短い髪は生まれついての漆黒で、唇は青く塗られ、目元も黒く塗られている。

 この上なく陰気さを振りまく女性。

 バーメリン・スワッティス・ノルネ。

 紛うことなき天剣授受者の一人。

 その腰で、剣帯がじゃらじゃらと音を響かせる。交差するように巻かれた剣帯には多数の錬金鋼(ダイト)がつり下げられていた。

 ファッションとして身体を飾る鎖は剄を通すことで弾丸としても使用できる特別製だ。

 

「うっざ……」

 

 バーメリンのすぐ隣には排熱バイパスの太い管があった。

 小柄な彼女の身長を優(ゆう)に超える幅を持ち、内部に通された熱を発散している。

 そのせいですぐ近くにある浄水迷路を走る水までもが熱を持っていた。

 洗浄前の生活排水が流れ込むので、菌は絶賛大繁殖中。

 臭いは即死級であった。

 呼吸のひとつすら嫌になる。

 生きているだけで肺まで汚されているようで、反吐が出る気分にしてくれる最低最悪の場所だった。

 こんな場所に来たくなかった。

 だが、女王命令では仕方がない。

 グレンダンに存在するあらゆる理不尽を超越する超理不尽。

 それが女王命令である。

 侵入者がいるから天剣の誰かが行け、という命令であって決してバーメリンにだけ下された命令ではなかった。

 

「死ね、突撃馬鹿」

 

 じゃんけんで負けて負けて、負け抜いた。

 天剣授受者最弱の負け犬になってしまったことがすべてだった。

 

「死ね、くそ陛下」

 

 臭気と張り巡らされた湧水樹の根に罵倒を吐きながら、進んでいく。

 奥の院に行く正規ルートならこんな思いをしなくてもよかった。

 だがそれは女王に禁止されてしまった。

 曰く、

 

「途中で戦闘にでもなったら機関部が壊れちゃうじゃない。裏道使って奥の院の入り口で迎え撃って」

 

 湧水樹は都市の浄水システムとして重要な植物だ。

 その根を迂闊(うかつ)に破壊するわけにもいかず、硬く絡み合った根を力尽くでより分けていくしかない。

 

「……くそ死ね。天剣授受者のくそ男ども。女性尊重に欠けた〇〇〇(ピ――)ども」

 

 幾度目かも分からない罵倒を吐き捨てながら、たどり着いた壁の前に立つ。

 バーメリンが近づいて、壁の一部を一定のリズムで叩いた。

 すると壁の一部がスライド。

 発行パネルが現れた。

 その上に指を走らせると圧縮された空気が抜ける音とともに壁全体がズレていく。

 そうして通路を飛び込んで、バーメリンはさらに進んでった。

 

 ●

 

 広い空間でバーメリンは立ち止った。

 壁の各所に青い光が灯っている。

 さきほどまでと比べれば空気も悪くない。

 閉塞(へいそく)感はなく、ただひたすら広い場所だ。

 靴底に感じる床の感触は硬い。

 しっかりとしていてよく磨かれた石畳が青い光を淡く反射することで、夜の空間に微かな彩りを与えているようだった。

 バーメリンが立つのは、その最奥。

 枠に沿って青い光が走る巨大な扉の前から周囲を確認し、視認されない場所へと飛んだ。

 そうして待っていると、やがて男が現れた。

 暗闇の中では赤い髪が目印のようだった。

 

「……というわけで、少しは俺の苦労も察してくれるとありがたいんだけど?」

「お前がくそか」

「おいおい、下品すぎるぜ」

 

 いきなり戯言(ざれごと)を吐いたくそ男の視線は暗闇の中を彷徨っている。

 バーメリンを発見できていない。

 ならばさっさと駆除すればいい。

 

「怖いね、やっぱグレンダンは」

「うるさい。くそは死ね」

 

 錬金鋼(ダイト)に剄を流し込み、引き金(トリガー)を引いた。

 その瞬間の光を察知した男が錬金鋼を展開。

 手に鉄の塊のような武器、鉄鞭が現れる。

 背後へと振り返りながら迎撃を試みたのだ。

 

「!? ――ちっ!」

 

 瞬時にその場から飛びのいた男をかすめて、剄弾が地面に着弾した。

 

「くそのくせに、生意気」

「銃か!」

 

 一撃で仕留められなかったことに舌打ちしながら、バーメリンは移動。

 常に男の視界の外へと立ち回りながら連射する。

 いくつもの錬金鋼をスイッチしながら次々と剄を流し込むことで、威力・速度において不規則な連撃となって発射されていく。

 そのすべてが鋭く重い衝剄だ。

 

「厄介な……!」

 

 男は鉄鞭を振り回して衝剄を弾き、受け流し、回避していく。

 だが動きに余裕はない。

 バーメリンの放つ衝剄の雨は、一瞬止んだかと思えば次の瞬間にはありえないような方向から敵を襲う予想不可能な全方位攻撃。

 しかも銃には剄を衝剄へと変換させる労力を錬金鋼に代替させることによって、連撃速度を上げることができる。使用者は武器に剄を流し込んで引き金を引けばいい。

 自動的に剄を衝剄に変化させるため、応用ができず、威力の調整もできない明確な欠点はある。

 しかし、射程と連射性、そして肉体運用にのみ剄術を集中できるという欠点を補って余りある利点があった。

 身体能力だけならサヴァリスさえ後塵を拝する姿なき殺戮者。

 それが天剣授受者、バーメリン・スワッティス・ノルネ。

 

「くそ死ね。くそ死ね。くそ死ね」

「言葉遣いが悪すぎる」

 

 抑揚のない言葉と剄弾の乱打が男へ嵐のように叩きつけれていく。

 やがて男は動きを止めた。

 全身に活剄を漲らせるようにして纏(まと)って耐えることにしたようだ。

 だから、とバーメリンは錬金鋼の選択を変えることにした。

 あの日見た、くそガキが陛下を貫いた鮮烈な一撃。

 バーメリンをして美しいと思った一射を再現するために拵(こしら)えた錬金鋼を展開する。

 連撃重視の軽量な拳銃から一撃重視の狙撃銃へとスイッチ。

 

「さっさとくそ死ね」

 

 左手で拳銃で連射しながら、右手に構えた狙撃銃で狙いをつける。

 一瞬の停滞もなく撃った。

 その一撃はまるで世界に黄色い線が描かれたかのように視界を分断。

 閃光よりも速く男を貫いた。

 

「ぐ!? しまっ――」

 

 それまでの軽い射撃とは違う。

 貫通の後から衝撃がやってきて、男の重心を崩していったのだ。

 耐えようとしたこと自体が失策であると気づいても手遅れだった。

 それによって生じた一瞬の停滞を、バーメリンは見逃さない。

 直後。

 砲撃が男を飲み込み、消滅させた。

 狙撃銃を撃つと同時に投げ捨てて、代わりに構えていたのは長大な砲だ。

 白銀に輝く砲身。

 中ほどのグリップがあり、抱え込んで撃つロケットランチャーのような形状の錬金鋼。

 これこそがバーメリンの天剣であった。

 

「……? 死体が消えた?」

 

 バーメリンは奥の院入り口の前に立ち、周囲を見渡した。

 死体もなければ気配もない。

 代わりに近づいてくるのは、天井付近に待機していた端子だ。

 端子からデルボネの声が届いた。

 

『仕留めましたか?』

「殺した……。でも殺せてない? ちゃんと消し飛ばしたのに」

『あらあら、珍しい』

「そっちは?」

『ええ、反応が消えたからお聞きしたのですけど』

 

 自身が砲撃し、直後に消失。

 デルボネでも感知できない。

 ならば結論はひとつ。

 

「もうここにはいないみたいだ」

 

 一瞬でこの場から消え失せたのだ、と。

 バーメリンの砲撃を食らって死んだのは間違いない。

 その上でデルボネの念威の網を潜り抜けた。

 

「なに? あいつ」

『さあ? 赤毛の鉄鞭使いに覚えがないわけではありませんが、外見年齢が私の記憶と一致しないのですよ。七十年は違うのですけどねぇ』

「七十? 孫とか若作りの息子なんじゃ? 陛下と一緒で剄で年齢誤魔化してんじゃないの?」『そうなのでしょうかねぇ』

『――あんたもでしょうが!』

 

 割り込んできた女王の怒鳴り声が耳を打ち、バーメリンは顔をしかめた。

 これを最後に奥の院には静けさが戻る。

 謎の侵入者は消え、グレンダンが秘すべき扉は護られた。

 それ以上のことはすべてが不明で終わるという、なんとも言い難い結末であった。

 

 ●

 

 地下だけでなく、実際にグレンダンは暑い。

 夏季帯に突入したからだ。

 陽光の熱はエアフィルターによってある程度は防げるのだが、一度入り込んだ熱は簡単に抜けない。

 エアフィルターは汚染物質から人類を保護するために密閉空間を作る。そうである以上、仕方のないことだった。

 五年ぶりの夏が来たのだ。

 夏は来た。それでもグレンダンの性質は変わらない。

 

「さて。戦闘能力の方はどうなのかな?」

 

 外縁部の端に立ち、カウンティア・ヴァルモン・ファーネスは荒野を楽しそうに睥睨(へいげい)した。

 腰に届きそうな長い銀髪が風になびく。

 彼女が着る都市外戦装備は天剣授受者の中でも特別に薄手に作られたもの。

 関節部分に余裕を持たせている以外では極めて薄い。

 体に密着しているため、彼女のスレンダーな肉体を露わに表現していた。

 腰の位置がかなり高く、手足が驚くほど長い。

 華奢(きゃしゃ)ですらりとしたモデル体型だが、彼女が握る武器は体格には似つかわしくないほど巨大な青龍偃月刀だ。

 太く長い柄が伸び、先端には幅広の刀。刃の根の部分では龍の頭が顎を開いており、刀は龍の吐く炎のようにも見える。

 威圧的な武器だが飾り紐には小さな動物のマスコットがあり、愛らしい。

 

「楽しみねぇ。ねぇ、そう思わない?」

 

 ルージュを引いた唇を楽しそうに引き延ばして、カウンティアは振り返った。

 褐色の美貌には額から顎にかけて斜めに傷跡が走る。

 カウンティアは高揚感を浮かばせて笑いかけた。

 

「気が重いよ」

 

 リヴァース・イージナス・エルメン。

 カウンティアの半分ほどしかない背に大き目で丸みのある頭部。

 まるで子供の姿のまま大人になってしまったかのような縮尺のズレを感じさせた。

 リヴァースの都市外戦装備はカウンティアのそれは正逆の特注品であり、通常では考えられないほどの重武装であった。

 攻撃特化のカウンティアと防御特化のリヴァースは、二人タッグで二人分以上の戦力を示す例外的な天剣授受者だ。

 リヴァースはレイフォンが金剛剄を盗み、しかし、それでも教えを請(こ)うた数少ない人物の一人であり、グレンダンの誰もが知る最も勇敢なる騎士だ。

 誰よりも臆病で、それゆえに誰よりも勇敢な小さき勇者だ、と。

 

「なに? リヴァース。相変わらずテンションが低いなぁ」

「戦うんだよ。気分が重くなって当然だと思うけど」

「そこだけはずぅっと平行線ね。たまには意見の摺(す)り寄せとか考えない?」

「それはカウンティアの意見も僕に近づくってことだよね?」

 

 カウンティアが沈黙し、ややあってから、

 

「それだけは絶対ありえない!」

 

 カウンティアは豪快に笑い、リヴァースはためらいがちな笑みを作った。

 

「でも、大丈夫だよ。僕がちゃんとカウンティアを守るから」

「じゃあ、今日の獲物を視察しましょう」

 

 ぼそぼそと言われたリヴァースの言葉にたまらなくなったカウンティアは、彼を抱きしめて赤くなっているその頬に唇を押し付けてそう言った。

 だから、というように二人は同時に活剄で視力を強化。

 グレンダンから彼方。

 三十キルメルに及ぶ場所に、岩山のように聳(そび)え立つ異形を見た。

 巨大な獅子のごとき体躯を持つ、老生体。

 それがグレンダンに向けて大地を揺るがせながら迫ってきているのだ。

 

「翅(はね)を捨ててるわね」

「かなり年寄りみたいだ」

 

 獅子の背中に小山が並んでふたつある。

 かつて翅であった名残だろう。

 老生体の中でも年を経たものほど、巨大になりすぎたものほど翅を捨てる傾向にある。

 この獅子もその例に漏れない個体であった。

 

「狩りがいがあるわね」

「力が強そうだよ。それに硬そうだ」

「だからじゃない。どこまで切り裂けるか。ふふ、いつものことだけど初撃ほど心躍る瞬間はないわ」

「僕も最初が一番緊張するよ」

 

 いつものように会話していると、老生体が速度を変えた。

 こちらに向かって疾走してくる。

 グレンダンまであった三十キルメルという距離が瞬時に消えていく。

 デルボネが接敵の一週間前に察知することができなかった以上、対索敵能力として優れたものを持つ。

 そんな老生体が急速に迫ってくる。

 

「ま、いつも通りにいけばどうとでもなるでしょ」

 

 気楽な声でカウンティアがそう言った。

 リヴァースは青い顔で頷き、ヘルメットを被る。

 二人は互いにヘルメットの繋ぎ部分を確認し合ってから、視線を交わした。

 

「大丈夫だよ。僕がいつだって君を守るから」

「ありがとう。リヴァースがいるから、いつだって全力でいけるわ」

「僕もだよ」

 

 二人はいつだって、二人で戦場に赴(おもむ)くのだ。

 

 ●

 

「夏――――――――――――!!」

「水着が――――――――好きや――――――――!!」

 

 養殖湖の遊泳解放区は人で溢(あふ)れかえっていた。

 無数の人の中では、さすが武芸者での聞きなれない声が誰のものかを判別することはできない。

 

「誰だ? 不埒(ふらち)なことを叫んでいるのは?」

「いやいや、気持ちはわかるぜ」

 

 見つからない不埒(ふらち)者を探そうとするニーナに、すぐ側にいたシャーニッドは同意の頷きをひとつ。

 

「おれたちの制服に押し込められた情熱が、この時期この瞬間にのみ解き放たれる。そんな男たちの魂の叫びだ。歓喜の歌声だ」

「黙れ、下心の化身。もう少し真面目に生きろ」

 

 その頭を背後から、ダルシェナがスポーツバッグで叩いた。

 ニーナは二人のやり取りになった時点で興味を失っている。

 代わりに周囲に視線を送れば、少し離れた場所に日傘をさしたフェリが我関せずとあらぬ方向を見ている。

 さらに後方にはビーチパラソルとマットがあり、レイフォンと女衆が集まっていた。どうやら一足先に来ていたらしい。

 近づいていくとレイフォンたちの状態がよく見える。

 改めて物凄い光景だな、とニーナは思った。

 

「珍しいな。レイフォンがこういうのに来るのは」

「自覚はある。……が、今から慌ててなにかしても意味はない。心身共に休ませる方が優先されることもある」

「……休ませて、いるのか? それは」

 

 パラソルとマットを用意して寝そべり、リラックスした様子を見せるレイフォン。

 しかし、レイフォンは一人ではない。

 ツァーレンザルドからの留学生、リンネとテレンゼを両手に侍らせながら、メイシェンに膝枕されている。

 華やかな水着姿の美少女三人を思うままにする様子はまさに男の夢、といった風情である。

 

「その状態でそう言えんのはすげぇと思うわ」

「……酒池肉林だな」

 

 気付けば後ろからやってきたシャーニッドとダルシェナがぼやくように言った。

 ニーナも同感だ。

 レイフォンが一番不埒だった。

 と、そこにジュースを持ってきたミィフィとナルキがやってきた。

 

「やー、来ましたね。やっぱりっていうか、当たり前っていうか。すごい人ですよねぇ」

「お疲れ様です、隊長」

「ああ、二人もレイフォンと来たのか。更衣室、空いているのか?」

「いっぱいじゃないですかねぇ。私たちが来たときでさえギリギリって感じでした」

「張り紙でてますよ。ロッカーは一杯で、更衣室は使えるけど荷物は自分で管理しろ、だそうです」

 

 ナルキが近くにあった張り紙を読んで教えてくれた。

 どうしたものか、と考えているとハーレイが手を上げて名乗りでた。

 

「あ、荷物なら僕らが見てるよ」

「いいのか?」

「いいって。僕らはどうせ泳がないし」

「なにしに来たんだ? お前ら?」

「日光浴」

 

 シャーニッドとニーナの問いにさらっとハーレイはそう言った。

 隣では車椅子のキリクがいつも以上に不機嫌な顔で太陽を睨みつけてなにかを呟(つぶや)いている。

 きっと不満をこぼしたに違いない。

 珍しい第十七小隊の休暇の様子に、ニーナは苦笑した。

 

「マイアス戦から三か月。あっという間だったな」

 

 三か月の間にいろんなことがあった。

 戦争期でもあり、放浪バスの交通量も激減するというのにマイアス戦直後に第五小隊の念威繰者が留学した。

 しかもあのグレンダンに、サリンバン教導傭兵団とともに向かったという。

 もっと驚いたのは傭兵団の団長を学生としたことだろうか。

 レイフォンだけでも過剰戦力だというのにまだ足りないとでも思っているのだろうか、あの生徒会長は。

 実際にマイアス戦ではレイフォン一人でポールを護り切った。

 ポールのある建物に辿り着くことすら叶わず、手足をへし折られて倒れ伏すマイアスの武芸者たちの姿はあまりにも哀れなものだった。

 これほど圧倒的な武芸者がすでにいるというのに、ハイアを迎え入れた生徒会長の判断を責める気にはなれなかった。

 だから、いつも以上に訓練に打ち込んだ。

 もっと強くならなければ、と。

 また無理をして、レイフォンにぼろくそに言われることになってしまった訳だが。

 急に訓練の強度上げて、それで強くなれると思うほうが愚かだ。毎日継続し続けられる訓練をしろ。積み重ねる以外にできることなどない。そんなだから貴様はニーナなのだ、と。

 ……本当にぼろっくそに言われたな。

 最後のだけは納得できないが。

 そういうこともあり、訓練漬けだった第十七小隊は休暇もかねて全員で養殖湖に遊びに行くことになったのである。

 

「ねぇ、レイとんもヨルテム来てみない? 卒業してからでもいいからさぁ」

「……さてな。ヨルテム、交易都市ヨルテムだったか」

「うん、そう。知ってた?」

「天剣授受者に一人、ヨルテムの出身者が居た。金剛剄という防御技ひとつで成り上がったリヴァースという男だ」

 

 聞こえてきたレイフォンたちの会話にニーナは動きを止めた。

 ……金剛剄で天剣に?

 ニーナの意識は耳に集中していた。

 

「金剛剄? レイとんが隊長さんに教えたやつ?」

「そうだ。金剛剄は使用した一瞬、あらゆる攻撃を受け止められる。事実上、無敵の楯ともいえる剄技だ」

「じゃあずっと使ってればオッケーってこと?」

「剄技の原理上、発動した瞬間にしか効果がない」

 

 しかし、とレイフォンは言葉を切った。

 

「どれほど巨大だろうであろうと、どれほど強大であろうと関係ない。どんな汚染獣からの攻撃も一瞬を見極め、受け止める。その姿から小さな勇者と称えられている」

「ヨルテムにそんなすごい人が居たのか」

「いつグレンダンに来たのかは知らない。剄技自体は盗んだが、やはりそれだけでは不足でな。直接教わった。嫉妬した恋人が殺しに来たのもいいサプライズになった」

「嫉妬? レイとんに? ていうか殺しに来たって物騒すぎない?」

「リヴァースが俺にかかりきりだったからだそうだが……。まあ、俺としてはありがたい限りだった。金剛剄の実践訓練になったし、そっちの剄技も目の前でじっくりと見せてもらえた」

 

 なんか物騒なこと話してないか、とニーナは思った。

 とはいえ、金剛剄ひとつで天剣授受者に至った者が居る、というのは信じがたいことだった。

 金剛剄は確かに強力な剄技だ。

 しかし、実際使っているニーナは理解できている。

 理屈よりも遥かに繊細さを求められる剄技である、と。

 金剛剄を発動させるタイミング、その数瞬を間違えれば攻撃をそのまま食らうことになるからだ。

 武芸者を相手にしているときと汚染獣を相手にしているとき。

 その重圧はまるで違う。

 幼生体、雄性体、雌性体。そして、老生体。

 ……つまり、そういうことなのだな。

 絶対に受け止めるという覚悟とどんな汚染獣を前にしても決して逃げない勇気。

 

「随分と熱心に聞いていますね」

「うぉっ!? フェ、フェリか」

 

 後ろから声をかけられたニーナは盛大に狼狽(うろた)えた。

 慌てて振り返れば、そこに居たのは水着にパレオ姿のフェリだ。

 フェリはニーナの様子をジト目で見ながら呆れたようにこう言った。

 

「相変わらずですね。もう少し休暇を楽しんだらどうなんですか」

「いきなりセメントすぎないか。というか、フェリの方こそどう……」

 

 改めてニーナはフェリの姿を見た。

 淡い水色の水着に、下半身を覆う白いパレオ。

 フェリの銀髪と一緒になるとまるで水の妖精かと思うほどに、可憐な美少女。

 そして、それを台無しにするほど大きなストローを吸引するずぞぞぞ、という音。

 手に残された氷だけになったコップにはでかでかとクリームソーダ、と印字があった。

 

「………楽しんでいるようだな」

「休む時に休まないほうが問題ですよ。そのために来たのではないのですか」

「まあ、そうなんだが。……いや、そうだな、そうするか。――よし!」

「運動とかはしませんからね」

「…………」

「しませんからね」

 

 休暇を楽しむ思いつきは、即座に否定されていた。

 なぜなのか。

 

 ●

 

 滅ぶかどうかの瀬戸際を乗り越えたツェルニの浮ついた雰囲気は落ち着きつつあり、次も勝たなければならないことを意識し始める頃。

 休暇を十分に堪能したツェルニの面々は、それぞれが次に備える日々へと戻っていった。

 養殖湖で羽目を外していた第十七小隊も同様であった。

 時計塔の屋根上に腰を下ろしたレイフォンもまた、次を見据えて思案している。

 原作と現実とで同じ部分と違う部分はどこか、と。

 ……少なくとも汚染獣との遭遇に原作と違うものはなかった。

 天剣として初陣となる番(つがい)の老生体。

 五年前にリンテンス、サヴァリスと共同で討伐したベヒモト。

 ツェルニに来てすぐの雌性体と幼生体。

 そのあとに戦った老生体。

 レイフォンは鋼殻のレギオスという作品のすべてを記憶しているわけではない。

 だがそれでも明らかに覚えているいくつかの汚染獣戦は原作通りだった。

 ならば、レイフォンの関与していない事柄に差異があるとは考えにくい。

 

「……少なくとも俺の行動以外に目立ったものはないはず」

 

 最大の相違は廃貴族をニーナではなくレイフォンが取得したことと言えるだろう。

 これによって、メルニスクの憎悪による学園都市ツェルニの暴走は起こらなくなった。

 ツェルニという都市にとってはプラスでも、全体としてはマイナスの可能性も考慮しなくてはならない。

 ……ハルペーと出会う機会は消えた。

 四体のナノセルロイド、最後の一体。

 悪意の元凶たるイグナシスに反逆した自立思考する機械、クラウドセル。

 ハルペーとカリアンとの対話について、レイフォンが明確に覚えている部分は少ない。

 ハルペーが人類を保全する立場に近い。あるいは、それに類する立ち位置であると推察される、という程度だった。

 

「チッ」

 

 舌打ちは無意識のもの。

 内容を詳細に覚えていれば、という後悔の発露だ。

 ニーナ・アントークに宿るはずだったメルニクスを、レイフォンが獲得したことでツェルニは暴走せず、原作と違うルートを進んでいる。

 そう思っていた。

 だが実際には武芸大会の初戦は原作と同じマイアスと戦った。

 ツェルニが暴走し、ハルペーの領域に踏み込んだ原作と同じマイアス戦が発生したのだ。

 暴走後に通常のルートに戻ってから武芸大会が始まったのだろうか。

 武芸大会の二戦目ではファルニールという学園都市とであり、直後に汚染獣に襲われた。ただ、あの辺りはイベントが多すぎてどれがどのタイミングなのかが分からない。

 大きくは武芸大会があり、次に汚染獣、最後のグレンダンとの接触のはず。

 原作と違うことは多くないが、明確に異なる事実もある。

 ……リーリンはツェルニに来ていない。

 原作ではマイアス戦のときにサヴァリスと一緒に来ていたはずだが、実際はそうなっていない。

 これはレイフォンがサイハーデン刀争術に対して罪悪感を持っていないことなど、“レイフォン”と別人であることに端を発するだろう。

 

「次も同じかどうか。……グレンダンはどうなる?」

 

 すべてが収束し、終わりが始まったファルニール戦。

 いくつもの要素が関わりすぎていて予測できない。

 グレンダンとツェルニの遭遇が偶然とは思えないほどに、混沌とした状況だった。

 グレンダンが来るのかどうか。

 その最終的な決定権はおそらくサヤが持つだろう。

 都市の意思とは通常、電子精霊を指すがグレンダンにだけはもうひとつ奥がある。

 最奥に秘された少女、サヤ。

 彼女こそがグレンダンの真の意思。

 そして彼女にはリーリンの右目に宿る力の主ともいうべき、アイレイン・ガーフィートの相棒だった過去がある。

 もうすぐやつらとの決戦が始まる今。

 そんなタイミングで重要な力の持ち主が遠方に居るのであれば、回収しにツェルニまで向かってくることもあるかもしれない。

 逆に言えば、とレイフォンは天を仰いだ。

 ……リーリンのいないツェルニには来ない可能性がある。

 確定された情報はなにひとつない。

 ツェルニの移動が原作通りだとしても、グレンダンの移動が同じかどうかが分からない。そもそも本当にツェルニの行動が原作通りかすら分かっていない。

 サアラを傭兵団どもと一緒にグレンダンに移動させたのは必要な行動だった。

 レイフォンは深く息を吐く。

 

「……考えがまとまらんな」

 

 ぼやきながらもレイフォンが時計塔の上に腰かけて都市の外へ視線を送っているのは武芸大会で戦う次の都市、または汚染獣を発見できるかもしれない、と考えているからだ。

 今のレイフォンなら百キル以上の遠方すら見(・)え(・)て(・)い(・)る(・)。

 とはいっても、無限の荒野を見ているだけの時間は苦痛ですらあった。

 なにもなく退屈なだけの時間。無駄な思考を回すだけの愚行なのかもしれない。

 レイフォンがそう思い始めた、そのときだ。

 地平線の彼方にうっすらと陰影が現れた。

 活剄で視力をさらに強化して、その陰影を睨みつけるように視線を送る。

 前回は単なる岩山だったが今回はどうだろうか、と。

 

「……あれは」

 

 ●

 

 床に叩きつけられたヘルメットは、その威力ゆえに砕けた。

 細かく破砕された破片が散らばっていく。

 グレンダンの下部にあるランドローラー用のゲートで待機していた医療班は、その様子を眺めていることしかできない。

 

「この、わたしが……!!」

 

 吹き荒れる剄が、カウンティアの長髪を持ち上げていた。

 コンクリート製の床に無数の傷が刻まれていく。

 カウンティアの身体から溢(あふ)れた剄が即座に衝剄となっているからだ。

 スーツはボロボロだ。

 カウンティアの都市外戦装備は特別薄手に作られているためだ。

 動きを阻害しない極薄の汚染物質遮断スーツは彼女の剄技の余波、十回で限界に達する。

 ぼろぼろのスーツは汚染物質を遮断する機能を半ば以上喪失しており、今、彼女の肌を黒く焼き続けていた。

 医療班たちは処置を施したいが、吹き荒れる剄が止まらない限り近づくこともできない。

 

「カウンティア…………ティア。もういいから。終わったよ」

 

 リヴァースだけが、カウンティアの剄を恐れずに近づく。

 正反対の特性を持つ、彼の極めて硬いスーツの表面に、そしてヘルメットを外した彼の丸い頭部にも傷は生まれない。

 

「終わった? なにが? 戦闘が? それともわたしの存在意義が?」

「ティア」

「それとも、勝てもしないこんな歪(いびつ)なわたしなんて、やっぱり天剣授受者なんて無理だったとでも?」

「ティア! 僕たちは、ちゃんと勝ったよ」

 

 リヴァースの触れたカウンティアの手は震えていた。

 怒りなのか、自責なのか。

 彼女の極度の攻撃性は、他者だけでなく自身にすら及んでしまう。

 

「狩ってない。狩れてないじゃない!」

「狩れてはないけど、グレンダンにはもう近づかないよ。それなら僕らの勝ちだ。僕たちはグレンダンを守ったんだから」

「そんなこと――」

 

 さらに激発しそうになったカウンティアは、リヴァースの瞳に宿る真摯さを見た。

 自分だけを見る恋人の眼差しに怒りが吸い取られていく。

 

「う、うー! う~~~~~~~~っ!!」

 

 カウンティアは立ち尽くすしかなかった。

 だが、剄の放出は止まった。

 医療班は即座に彼女の周りを取り囲み、処置を施しながら医務室へと案内していく。

 とぼとぼと医務室へと向かうカウンティアの背を見送るリヴァースに、声がかかった。

 

「ご苦労さん」

「トロイアットさん。どうでしたか?」

「刀自(とじ)はあいつが逃げ出しているってさ。嘘吐きにならなくてすんだな」

 

 トロイアットの言葉に、リヴァースはほっと安堵の息を零(こぼ)した。

 カウンティアへ向けた言葉は咄嗟(とっさ)のもので、何の確証もなかったからだ。

 

「後詰(ごづめ)に行けって言われたがね。俺じゃあもう追い付けんよ。バーメリンならなんとかなるだろうが、あいつはこの間のことでへそ曲げてるからな」

 

 じゃんけん大会で最弱を極めたバーメリンは奥の院で随分と臭(くさ)い思いをした。

 あれ以来、ずっと家に閉じこもっているらしい。

 潔癖症の人嫌いなら無理からぬことであった。

 

「リンテンスの旦那は逃げる相手になんぞ興味もない。晴れてあいつは名付きになるというわけさ」

「確かに強力でした」

「傷一つないお前さんが言うと説得力がなくなるな」

「そ、そんな……」

「ま、我がグレンダンが誇る最強の騎士様だ。それくらいはやってくらないとな」

 

 と、そのとき。

 カウンティアの消えていった通路から騒ぎが聞こえてきた。

 

「ほら、お姫様が騎士を呼んでるぜ」

「あ、はい。それじゃあ……」

 

 トロイアットに一礼して、リヴァースはどたどたと走っていった。

 その様子を目を細めて見守ったトロイアットは思う。

 誰も彼もが変わっている、と。

 天剣授受者と会う度に感じるのだ。

 以前よりも貪欲な雰囲気というものを。

 

「やれやれ……。居なくなっても腹の立つガキだ」

 

 ●

 

「おかしいな。グレンダンの足の向きが変わんないぞ?」

 

 アルシェイラの意識にあるのは、グレンダンの移動先のことだ。

 カウンティア達が狩り逃した老生体に向かって移動してはずだが、それがそもそもおかしい。

 いかに世間から狂った都市と呼ばれていようとも、セルニウム鉱山の位置に従って動く自律型移動都市(レギオス)の基本までは無視していない。

 逃がしたとはいえ、老生体は追っ払ったのだ。今までならばとりあえずでも決着をつければグレンダンは進路を通常のものに戻していた。

 

「逃した魚が大きかった? 違うと思うんだけどな~」

 

 アルシェイラの感覚からすれば他の老生体と比べても『まあ、強かった』ぐらいのものだ。

 いかに狩り逃したとはいってもグレンダンが執拗(しつよう)に追いかけるような汚染獣ではない。

 

「……となると、この間の侵入者となにか関係あるのかな?」

 

 都市の異常事態はもしかしたら刻(とき)が動く前兆かもしれない。

 そこまで考えたアルシェイラは奥の院へ向かうことにした。

 奥の院に至るルートは表向きふたつのみとされている。

 ひとつはバーメリンを送り込んだ下水側から裏口を通るルート。臭くて暑くて不愉快なもの。

 もうひとつが侵入者の通った迷宮。迷宮そのものが組み変わり続けて通る者を圧し潰す、構造そのものが殺しにかかるルートだ。

 アルシェイラが向かったのはそのどちらでもない。

 バーメリンが知れば激怒するだろうが、奥の院に至るルートはもうひとつあるのだ。

 代々のグレンダン王にしか知らされないものが。

 

「――――」

 

 そうして、人知れずアルシェイラは奥の院への扉の前に立つ。

 戦闘による損傷などは見当たらない。

 一週間以上前にあったバーメリンと侵入者の戦闘の余波は、都市そのもの修復能力によって消え去っているからだ。

 巨大な扉は錬金術師(アルケミスト)の技術によって封じられており、アルシェイラでさえこじ開けることはできない。

 この扉の向こうに、グレンダンの真の意思が眠っている。その眠りが覚めた時に開く扉であると伝えられている。

 しかし、予想とは違って何の異変もない。

 

「……ここら辺で妥協しない?」

 

 語りかけてみても返事はない。

 当然のこととはいえ、失望していないといえば嘘になる。

 グレンダンにおいて続けられてた備え。

 その結実は成ったように思える。たったひとつの例外を除いて。

 環境と交配。この二つの奇跡のような結果の果てにアルシェイラ・アルモニスという名の化け物が生まれた。天剣を持つべき者も極めて高い質で揃っている。

 十二人が揃(そろ)う時も遠くない。

 これほどまでに要素が揃ったのはグレンダンの歴史において初めてのはずだ。

 なのに、真の意思は眠りから目覚めない。

 

「…………嫌になるわね、本当に」

 

 呟(つぶや)きを落として、アルシェイラは巨大な扉に背を向けた。

 王宮への帰り道を再び歩いていく。

 アルシェイラの胸の内は苦いもので満たされていた。

 ここまで来たらもう認めるしかない、と。

 しばらくグレンダンの表の意思たる電子精霊、――廃貴族グレンダンに会っていない。

 彼がどこに向かったのかを、アルシェイラは知っている。

 ……本当は分かっていた。

 初めてあの子に出会った時から。

 あの瞳に映っていたものを見た時から、ずっと。

 あの時、運命の残酷さを感じると同時に、アルシェイラ・アルモニスが待ちわびたものが訪れることになると思った。

 刻が来るのだ、と。

 グレンダンがグレンダンたる理由が果たされる時が。

 

「……分かっていたけど」

 

 アルシェイラ・アルモニスと十二人の天剣授受者だけでは足りないことを、アルシェイラは知っていた。

 グレンダン王家が真に継がなくてはならないもの。

 茨の瞳。

 リーリン・マーフェスに宿ってしまったそれが、王家には欠けていた。

 だからグレンダンはあの子の近くで見守っている。

 なにか、危険から守護するかのように。

 その事実から逆算されるのは、王家でありながら一般人の女と駆け落ちした呪わしき愚か者のことだった。

 ヘルダー・ユートノール。

 グレンダン三王家のひとつ。ユートノール家の長男であった男。アルシェイラの婚約者であった男。

 その血がアルシェイラの中で混ざれば、リーリンの運命は自分の子にもたらされるはずだった。だというのに、

 

「――なんでグレンダンに残したのよ。あの、馬鹿……!」

 

 駆け落ちした年とリーリンの年齢、その時期が合うことは分かっていた。

 その可能性を考えなかったわけではない。

 考えたくなかっただけだ。

 だからこそ思ってしまう。

 そんなことはできないと理解していても、感情が叫んでしまうのだ。

 知らなかったことにしたまま手の届かない所へ行ってしまえばよかったのに、と。

 

「護るべき市民っていうくらいならアンタが連れて行けばよかったのよ、レイフォン」

 

 自分では、あの子を地獄に引きずり込むことしかできないのだから。

 

 ●

 

 ある夜。

 とあるマンションのリビング。

 睡眠前に一杯のお茶を楽しんでいたカリアンは、来客を迎えることになった。

 

「夜分に悪いが緊急だ。カリアン・ロス」

「ままならないことばかりだね。残念でならないよ。――要件は?」

 

 訪ねてきたのはレイフォンだ。

 レイフォンの急な要件は本当に急を要する重要なことが多い。

 だからカリアンはアイスブレイクを挟まずに本題を聞くことにした。

 

「地平線の彼方に都市が見えた」

「!」

 

 平静であろうと努めていたが、それでもカリアンの動きが止まる。

 サイレンもなければ念威繰者や監視員からの報せも受けていない。

 彼らよりも先にレイフォンが伝えてきている事実に驚愕していたからだ。

 思わず口にしそうになった真偽の確認を飲み込み、間をおいてからこう言った。

 

「……都市旗は?」

「――――が描かれていた」

 

 問いに対してレイフォンの説明は簡潔なものだった。

 しかし、だからこそある疑問が浮かび上がってきた。

 

「少し、待っていてもらいたい」

 

 カリアンはレイフォンにそう告げると端末を手に取り、都市旗の一覧から検索していく。

 カリアンの頭の中には過去五回の武芸大会での戦績と、対戦相手の都市名が記憶されている。

 その中に、レイフォンの言った都市旗を掲げる都市はない。

 そうして調べること数分。

 ようやく見つけ出したその都市の名は、

 

「学園都市ファルニール」

 

 カリアンは思う。

 なぜそうなったのか、と。

 前回のマイアスと今回のファルニール。

 どちらもツェルニがこれまで戦ったことのない都市だ。

 自律型移動都市(レギオス)の常識からすればありえない。

 自律型移動都市(レギオス)は、自身のセルニウム鉱山を中心とした移動範囲から大きく外れはしない。

 今期、ツェルニは所有鉱山が一つという状態だった。

 そうである以上、ツェルニの移動範囲は一定の範囲に収まり、前回戦ったことのある都市になることが予想されていた。

 可能性としてなら、仮説はある。

 前期の武芸大会の結果、学園都市群の移動範囲に大きな変動があったとする説だ。

 だが、その説を翻(ひるがえ)すように今期の夏季帯への移行は普段と大して変わらない時期であり、精々が誤差の範囲で片づけられる。

 これの遭遇を偶然と言ってしまっていいのだろうか。

 思考するカリアンに、レイフォンは続けてこう言った。

 

「影はひとつではなかった」

「ほかにも都市が?」

「いや。――汚染獣だ」

「…………いつもいつも、本当に……」

 

 なぜ今なのか、と頭を抱え込むようにカリアンは俯(うつむ)いた。

 不条理としか言えない状況が次々に襲い掛かってくる。

 それを嘆くしかできない。

 しかし、それだけではいけないことも理解している。

 だからカリアンはややあってから、深く息を吐いてレイフォンを見た。

 

「それで、汚染獣は老生体なのかね? できれば違うと言ってほしいところだが」

「遥か彼方に小さな影を見た。都市よりは遥かに小さい。だが距離を考えれば通常の老生一期よりも巨大だ。間違いなく老生体だろう」

「そうか……。レイフォン君なら勝てると考えていいかい?」

 

 カリアンからの問いかけに、レイフォンは気負うことなく肯定を返す。

 悠然とした笑みとともにこう言った。

 

「今の俺なら負けることはない。だが……」

「問題は距離。地平線に浮かぶ影しか見えない、か」

 

 正確な距離は不明瞭。

 少なくともランドローラーで二日以上。

 おそらくは三日から四日を必要とするだろう。

 それだけの時間を念威繰者が支援し続けるなど現実的ではない。

 

「ひとつ、レイフォン君の予想を聞こう。ツェルニは汚染獣の存在に気付いていると思うかい?」

「気付いてないだろうな。フェリ・ロスのような例外的な念威繰者を除けば、汚染獣の感知能力は人類・都市の両者を凌駕(りょうが)する。そうでなければこれまでのような遭遇戦にはなっていない」

「同感だ。ではもうひとつ、参考意見をもらいたい。汚染獣はこちらに気付いているかどうか」

「……なんとも言えん。さすがに距離がありすぎる。それこそ個体による、としか言えまい」

 

 思い悩むようなレイフォンの回答もまた、分からないというもの。

 距離不明。

 戦闘の必要性も不明。

 現時点で打てる手はなく、打つべきかの判断材料が不足している。

 

「どう対処すべきかを決めなければならない。

 ひとつは武芸大会。武芸大会の都市は発見時にサイレンで知らされ、概ね半日で開戦となる。

 ひとつは汚染獣。個体によって差が大きいが今回の個体はレイフォン君以外に対処できる者はいない。ただし、汚染獣がこちらを察知しているかは不明」

 

 ならば状況の変化に対応できるように備えるよりほかにない。

 それがカリアンの出した結論だった。

 

 ●

 

 二日後の朝。

 サイレンがツェルニの空に響き渡った。

 武芸大会第二戦。

 学園都市ファルニール戦、開幕。

 刻(とき)が動くと知る者は、まだ一人。

 The only easy day was yesterday.(唯一安らかなる日は、過ぎ去った昨日のみ)

 ●




次回 レイフォン・マスト・ダイ編 開戦

「天剣の余りが一本。そして、その穴を埋められる人材が一人。天剣争奪戦を開催しない理由がないわ。それとも、そっちも開催したほうがいいのかしら?」
――アルシェイラ・アルニモス――

「――可愛い子ね。あいつの因子を継いだ末にしておくのがもったいないくらい」
――ニルフィリア・ガーフィート――

「天剣が余ってるって話さ。それなら俺っちが頂いたって文句ないさ?」
――ハイア・サリンバン・ライア――

「地獄か、なるほど……。確かに俺は鈍っていたようだ。あんなガキに思い知らされるとはな」
――リンテンス・サーヴォレイド・ハーデン――

「あれは私が譲り受けたもの。断じてお前如きが触れていいものではない!!」
――クラリーベル・ロンスマイア――

「無様なものよ……。せめて、天剣として恥じぬ程度には働かなくてはならん。このまま腐り果てる訳にもいくまいよ」
――ティグリス・ノイエラン・ロンスマイア――

「貴方は帰らなくてはなりません。さあ、お行きなさい。そして、――よい戦場を」
――デルボネ・キュアンティス・ミューラ――

「小娘、ここはワシの戦場だ! 逃がすと思うたか!!」
――ジルドレイド・アントーク――

「…………嘘つき」
――リーリン・ユートノール――


「そんなこと、僕は絶対に許さない」
――???――

*予告なく変更される場合があります(活動報告で掲載したものをちょいと修正したものです)


アルシェイラ「何で残したのよ」
ティグリス&デルボネ「てへぺろ」

というかなろうの短編で書いてたベヒモト戦のデータ無いなった……。たぶん残してなかったんすね。
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