Fate/Zero Over   作:形右

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 第九話です。


第九話 ~開け行く戦いと闇、そして心の狂気~

 薄れゆく狂気、決して薄れぬ想い

 

 

 

 あたたかい光が、身体に染み渡る。

 痛みと苦しみ、そして憎しみと恨みしかない筈の身体に、慈愛にも似た何かが流れ込んでくる。

 一体、それが何なのかは分からない。

 けど、こうしているのは、不思議と悪くない。

 このまま、身を委ねれば……楽になれるだろうか?

 矮小で無価値な自分という存在をただ内包するかの様な、このあたたかさの内居れば、何も憂うことは無いだろう。

 ここは、とても心地良いのだから。

 ただ、全てを手放せばそれでいい。

 何もかも、捨てて、忘れて、振り払って。

 全てがからっぼになったら、このまま、眠れ……る?

 

 ――何か、大切なものを忘れている気がする。

 

 とても、とても大切な、何かを。

 少なくとも、こうしてまだ存在している自分が、決して忘れてはいけないものを、忘れている気がする。

 それは、何だろうか?

 それとも、その何かも忘れてしまえばいいのだろうか?

 ……いや、それは違う気がする。

 漠然と、そう感じた。

 これだけは、忘れてはいけないのだと。

 そうして朧に浮かぶのは、春の色。

 しかし同時に浮かぶ、絶望の色。

 終わりを告げられた花のように、命を散らし、心が砕かれていくその姿を――忘れて良いはずがない。

 

「か――はっ」

 

 はっきりとその意志が浮かんだ時、身体は忘れていた呼吸を不意に思い出したかのようにしゃくれた様に喉を鳴らした。

 擦れ、こじ開ける様に、空気が体の中へ。

 命を拾ったかの様に目覚め、喪う筈だった身体との繋がりを取り戻す。

「はぁ……はぁ」

 呼吸が粗い。

 ただ息切れと言うより、粗雑な粗さ。

 無理矢理目の前の状況を整理しようと、脳が酸素を欲し、それに応じて周辺の空気を体内(うち)体外(そと)で循環させていく。

「……さ、くら……ちゃん」

 絞り出した声と共に、綯交ぜにされた身体を動かそうとした。

 無様でもいい。ここで終わって、あの子をいま一人にするくらいなら、腕や脚くらい幾らでもくれてやる。

 頭だけになっても、あの子の元へ向かおうとする男のぐちゃぐちゃな筈の身体は、思いの外すんなりということを聞き、彼は立ち上がった。

 身体を起こすと、いつもの感触と違うことに気づく。

(あれ……?)

 変だ。と、まずはそう感じた。

 半身不随になりかけていた筈の左半身が、全く正常とは言えないまでも、ある程度動く様になっている。

 それどころか、最初こそ荒かったが……呼吸にも憤りの様な不快さはなく、しっかりと通う様なものになっている。

 

 ――どういうことだ?

 

 訝しげに自分の身体を見るなんて、奇妙なこともあったものだ。

 自分のものであるのに、まるで別のものの様だ。戦うことを決めたあの時、妖怪爺にこの身を差し出した時とは真逆で、仕方ないという感情よりも、寧ろ不思議なだけという気分だけしか無い。

 そこには、呆然とした霞の様な現実しかなく……目の前にあることを、答えとしてくれる者は誰もいない。

 たった一人の、少年を除いては――

 

「あ、おはようございます」

 

 ――そう、なぜか自分のサーヴァントとのエプロン姿で起こしに来たらしいこの少年だけが、この状況を、把握している。

 

「取り敢えず、言いたいことは山積みでしょうけど……まあ、まずは食事からどうぞ。腹が減ってはなんとやらですし」

 

「…………」

 

 ……本当にこの少年がちゃんと応えてくれるのか、それとも自分がもう死んでいて変な夢でも見てるのかについて、かなり懐疑的にならざるを得ない事に目を瞑れば、だが。

 

 

「ご飯、出来てますよ」

 

 

 最後に、屈託のない声でそう締め括られ、なんとも奇妙な食卓が始まったのだった――――。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 ガツ、ガツっ! バク、バクッ!

 

「――――」

 

 唖然とするままに、少年・士郎は目の前の二人を口を開けて見ていた。

「くぅぅぅ、固形物最高……っ! 人間らしい食事なんてのにまたありつけるとは――士郎君、本当にありがとう!!」

「あ、いえ……」

「……ガヴェイン。あぁ、貴公の言う料理など料理ではなかった……ッ! シロウ、なぜ貴方は我らが円卓にいなかったのか――後二千年ばかり運命の歯車が早ければ、我々は、我々は……っ!!」

 もはや半分むせび泣いているかの様な主従二人は、料理をがっつきながら様々なことを言っている。

 雁夜に関しては固形物とは言いつつまだ柔らかめのものが多いのだが、本人はそれでも嬉しい様だ。

 先ほどまでの重い空気は何処へやら。ただ目の前の料理を咀嚼することのみに全力を注いでいる二人に、士郎はただ呆けているしかなかった。

 ……それにしても円卓は、やはり食事なのか? 嘗ての自分の剣だった少女を思い出して、士郎は思いを遠くに馳せた。

(あいつ……元気でやってるかな)

 何とも難題な想いをここから少し離れた城に居る少女へ向けるが……当の少女はというと、外道な主人(マスター)が着々と進めている暗躍の計画に滞りを覚えながら、ギクシャクとしたままの空気に歯噛みしていた。

(出来たら、セイバーにも料理作ってやりたいなぁ……となると親父に信用してもらわなきゃいけないわけだけど……前途は多難だ)

 そんな現実逃避にすら胃痛を覚えるしかないこの状況に、士郎は今度こそ呆然となる。

 

 ……。

 …………。

 ………………いや、本当にどうしよう?

 

 この先に進むためのヴィジョンが見えない。

 連れていくまでの間は、まだギクシャクしていたんだ。うん。

 でも、何かその間にある程度の補足をしながら、料理を出したあたりで信頼度が何故かMAXになっていた。

 いや、本当になんだろこれ。先ほどまでシリアスな空気を孕みつつも、ある程度はほのぼのしてた筈なのに、一体ドウシテコウナッタ?

 さっぱり分からん。士郎は一人そうごちた。

 一つ言えることがあるのなら、それは料理とはいつの世も人の心を掴んで離さない強烈なものであるということだろう。

 その間にも料理はすごい勢いで減っていく。こうしてみると、本当にブリテンの財政や生産性は苦しかったんだなぁと、この時代にいるまだその感覚を知らない少女に、無性に料理を振る舞いたくなった。

 蟲倉で()()()()()あの少女にも、この暖かさを知って欲しいと強く思った。

 そしてその少女の姉に、妹と食卓を囲む光景をまた見せたい、味合わせてやりたいと思った。

 雪の白に囚われた我が姉にも、誰かと一緒にいることの温かさを、一度も忘れることのないまま過ごして欲しいと、無くなってしまったなどと、一度も感じさせない様にしたいと思った。

 この世界は、まだ優しくない。

 救われない運命の中で、まだ現在(いま)を流れている。

 だからこそ、その中に囚われたのがどんな偶然であろうとも、誰かを守りたいという思いを貫いて――大切な人たちの笑顔が、少しでも曇らない様にできるなら。

 この世界が、ほんの少しでも――優しくなるなら。

 喜んで、身を粉にしよう。

 決意が固まり、目の前の光景を呑み込めた士郎は、再度そう決めると、自分も食事に再び箸を伸ばしていった。

 

 

 

 それから数十分後、漸く人心地ついた三人は先ほど短くだが、話した内容を再び反復していく。

「じゃあ、改めて話を反芻すると――この世界は君のいた時代の十年前と酷似してるってことだったけど……士郎君自身には、第四次についての知識はほとんどない。だから協力者が欲しかったって事で良いのかな?」

「はい。だいたいそうです」

 雁夜と士郎がなんともハイペースに打ち解け、そんな会話をしていた。

 根っこのあたりでお人好しだと、どこか通じるものもあるのかもしれない。加えて、雁夜はまだ早期に士郎と出会ったこともあり、多少なり思考が恨みつらみから半歩ばかり抜けられてもいた。因みに、ランスロットは甲斐甲斐しく皿洗い中である。

「でも、初めに聞いたときは驚いたし、疑ったけど……これだけ色々見せられて、おまけに襲ったのに助けて貰ったら、信じるしかないないよなー」

 雁夜は目の前にある士郎の投影した剣を見ながらそう言った。

 魔術と積極的な関わりを絶っていたとはいえ、雁夜とて魔術に固執する家の中で育ったのだ。士郎の使っている魔術が、明らかに異常であることくらいは判る。

 また、年上がどっちかと言う話題も出たが、ここは単純に時代的な部分に従うことにした。はっきり言って士郎からすれば雁夜は自分より前で、雁夜としても士郎は随分と先の人であるからだ。まあ、後は単純に見た目に引きずられている部分もあるのだが、それは些細なことだ。

「それにしても……」

 雁夜は深い溜息を吐く。

「結局、俺は……あの子を救うことは出来ないんだな」

 薄々は解っていた。

 でも、それでもやってのけてみせると、そう決めていた。

「いや……それは」

「あぁ。違う世界の話なんだろうけどさ……それでも、きっと俺だけじゃあの子を救う出すことは出来なかったんだろうなぁ」

 自分でも驚くほど、その言葉は口から出た。

 もっと怨嗟にまみれ、後悔に沈むだけの言葉が出てくるかと思っていたのに。

 雁夜は、まるで生まれ変わったかの様な錯覚を感じていた。

 勿論、心残りはある。

 自分が最後まで味方で居続けられなかったこと、最後まで救うことができなかったこと、そして……もうひとつ。

(あの子を――――俺は、救えなかったんだな)

 心残りは、まさにそれだ。

 ただ、それは別の世界であり、救われた『桜』もここの桜ではない。

 それが解っていても、そんな幸せな未来があっても、いまこの瞬間にも桜は確かに心を擦り減らして苦しんでいる。

 世の中という流れ、魔術師としての生、運命という鎖。複雑で解ききれない螺旋の中で、雁夜は今新しい可能性を知れた。

 それは、十年後にあるかも知れない物語。

 そして、既にあった物語。

 

 ――間桐雁夜も、遠坂時臣も、遠坂葵もいない。自分たちのいなくなったあとの、闘いの物語だ。

 

 桜と凛は姉妹であるのに関わらない間柄にあり、またしても運命の鎖の下で『聖杯戦争』に繋がっていく。

 その上、聖杯は汚れている。

 『この世全ての悪』――『アンリマユ』と言う名の悪性に染められているのだ。

 また、世界全ての悪性を備えたそれは、桜にも被害を出すと言うではないか。

 この闘いで発生する聖杯のカケラを埋め込まれ、『マキリの聖杯』として仕立て上げられてしまうのだという。

 だとしたら、何を執着するのか。

 確かに、士郎の話を鵜呑みにする必要などない。

 そもそも『魔術師』としての思考で動くなら、こんな(ハラワタ)を晒す様な真似など、滑稽でしかないのだろう。

 だが、雁夜はそこまで『魔術師』でなく、全てを自分一人で正しいと思えるほど才覚に溢れるわけでもない。まして、元の行動原理が時臣への嫉妬や怒りに塗れた部分が強くなっても、結局の所、雁夜は普通の男だった。

 〝間桐〟という魔術師の血統に生まれようが、どれだけ身をないまぜにしても、所詮平凡で凡俗で凡庸な存在なのだと、雁夜自身がそう思わざるを得ない。

 しかし、それはある意味で正しいのかも知れないとも思う。

 何故なら、こうして士郎の言葉を聞き、魔術師なのにどちらかと言うと一般人寄りに説明してくれる士郎の言葉から、幾つか察することのできた部分もあるのだ。

 例えば、時臣の采配についてがその大きい所だ。

 桜の属性――そもそもの資質が優れているということは雁夜も知っている。それを〝伸ばす〟為に間桐へ送られたことも。

 ただ、それは穴倉を決め込むのが得意な時臣の怠慢と『魔術師』然とし過ぎた価値観故にだと士郎は先ほど大まかに語ってくれた。食事前に軽く聞いただけだが、確かに時臣(あいつ])のやりそうなことだとも合点がいく。

 それをただ頭ごなしにぶつけても、きっと通じないことも。……あいつを殺しても、何も解決しないことも、解った。

 闘いの場に立った相手の言葉に耳を向けるか? 対等ならばそうであろう、語らいもまた闘いであると決闘じみた真似もしよう。

 が、時臣の考えだったらきっとそれは違う。

 彼は才覚に溢れる、というほどではないが……それを目指す為に誰よりも修練を積むことを厭わない。相手が遠くとも、同列に立てるまで追いかけ続けるだけのことを止めないだろう。

 そうして培われた精神から、行動に移る時。

 自身の積んだことが間違いだと思うだろうか? それは否だ。

 やるだけの事をやり、自分の目指す結末を見据え走る。

 それだけのことを〝成し遂げる〟ことは、普通は難しい。

 ただ、それをやってのけることを信条にする者からすれば、何故足を止めたままにするのかと諦めた者に対して思うだろう。

 故に――つまる所、遠坂時臣と間桐雁夜は相性が悪過ぎた。

 

 ――悪辣極まりない『魔術師』の家に生まれ、逃げ出した者。

 ――優雅さを信条とする程端麗な魔術を磨き、走り続けた者。

 

 そんな両者が、互いのことが解るだろうか? いや、解るはずもない。

 解るはずもない、その地獄を。

 解るはずもない、その精神を。

 決定的にズレていたのは、やはりどこまでもその感覚と認識の差だった。

 ただ、逆に言えば――ズレていたのはそこだけだということでもある、といえる。

 何せ、何方も――たった一人の少女の行く末に、心の形こそ違えども、確かな愛を持って願ったのもまた、事実である。

 彼らは願った。

 幸福を、そして健やかな成長を、一人の少女のために。

 その想いに、甲乙を付けるなど無粋もいい所だ。

 例え、何かが間違っていようとも……決して、その願った時の想いだけは、間違いなどではないのだから――。

 

 だとすれば、することは決まっている。

 

「間桐から桜ちゃんを解放して、時臣に改めて今後のことを考えるべきだと伝えること……俺がやるのは、きっとそれしかない……」

「雁夜さん……」

「士郎君、力を貸して欲しいって言ってたけど、寧ろ貸して欲しいのは俺の方みたいだ。

 お願い、出来るかな?」

 これまでにないほど、柔らかな声で雁夜はそう言った。

 早く気づけたからこそ、そう思える時もある。それでも、気づけたことはきっと、とても幸運なことだったのだろう。

 たった一人で、無様に終わるのはいい。

 でも、あの子を助けないままなんていうのは絶対に駄目だ。

 終わりに晒されて、そこで自己満足のまま終われない。何かを知るということは、何かをするためのチャンスを得ることでもある。

 それは、ヒトという矮小な存在に与えられた、今を生きるための選択肢。

 未来へと繋がる、己の道の開拓だ。

 だからこそ、この小さな手を取ると雁夜は決めた。

 この先……いや、嘗てあの子を救ってくれたこの少年と共に、決して敵わないと思っていた巨悪に立ち向かうために。

 間桐雁夜の決意を目にして、士郎はもちろんその手を払ったりなどしない。嬉しさがこみ上げ、また一歩先へ進めた幸運を噛み締めて、二人は手を取り、握手を交わした。

 誰かのために、たった一人のために、命を賭ける男たちが硬く……互いの手を握り合った。

 

 

 

 この地獄を、覆すだけの決意と誓いを持って――――。

 

 

 

 


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