なんだかんだ、一番ギスギスしてた回かも知れません。
冬の一族の城、始まりの戦いの陰の邂逅
二人の男が結束を新たにしていた頃――冬木にそびえる三つの『城』では、様々な動きが起こっていた。
冬木市郊外にそびえる、西洋風の城。
それは、魔術により隠匿され他の住人たちの目に留まることのないように施された、ある一族の所有しているもので、その名を『アインツベルン城』という。
彼の大家である『アインツベルン』が、聖杯戦争を戦う際の拠点として作り出されたこの城は、並みの魔術師では決して破ることのできない結界や罠。そして、数々の細工が施してある。
そんな城の一角で、広い城に似つかわしくない程の少人数によるミーティングが行われていた。
「次に僕らの攻め込むのは、ケイネス・エルメロイのところだ。奴らは大した用心もせず、ただ魔術師としての〝防衛〟 取っているにすぎない。奇襲をかければ、あっさりと陥落する」
くたびれたロングコートにスーツの全てを黒で統一した、黒ずくめの装いに身を包んだ男がそう口にすると、彼を囲んでいる者たちは三者三様な反応を示す。
一人、黒髪の女はただ首肯し。
二人、銀髪の女は僅かに惑い。
三人、金髪の女は眉を寄せた。
それぞれの反応を黒ずくめの男は一瞥し、一人を除き確認の意をとった後、再び手元に広げた資料に目を戻して話を続けた。
「ケイネスについては、すぐにでも決行する。早ければ今夜あたりが好ましい。それに、奴はセイバーを仕留められなかったことを相当に根に持っているからな……大方、次の相手が来ればそれを仕留めようと躍起になる。馬鹿正直に、自分たちの領分だと勝手に思い込んだまま、ね」
凍り付きそうな声色に、男の妻である銀髪の女性――アイリスフィールは息を詰まらせる。
彼女の夫である切嗣の細められた目に浮かぶのは、彼が娘であるイリヤスフィールと戯れる際に浮かべたような慈しみなどではなく、そこに有るのはただ獲物を狩る狩人の目だった。
冷酷無比。
そんな言葉がまさしく似つかわしい姿を晒している。
しかし、そんな切嗣の〝魔術師殺し〟としての姿を至極当然と捉えている黒髪の女性――舞弥は、クールな面持ちを崩さず、作戦を提示されたことに首肯する程度の反応しか示さない。
場の空気は、決して良いものであるとは言えなくなっている。
金髪の女性――セイバーは、美しい翠玉の瞳を軽く俯かせながら、今瀬の主の言葉を聞き続ける。
勝つための、そのための策謀がこの場に巡っていく。
そこに人の情などはなく、それら一切を排した〝より効率の良い〟戦い方だけが語られていく。
今ここにおいて強いられるものは、あくまでも非情さであり……高潔であるとか、正しくとか、そんな
けれど、それもまた決して間違いではない。
戦い、においてその思考は必要であるのはセイバーにもわかっている。
ただ、彼女にとってそれを持つという事と非情に徹した上で
けれど、決裂するにはまだ早い。
お互いに、まだ互いが必要である。この戦いを、勝ち進んでいくために。
「一人目の敵に関する作戦はここまで……次は、八人目のサーヴァントについてだ」
「……」
切嗣が口にした言葉に、セイバーも思考を切り替え冷静に聞き入ることを決め、耳を向ける。
彼の口にした存在は、この戦いにおいて最も異質な存在についてのものだった。
――八人目の、サーヴァント。
それは、数々の異形が揃うこの『聖杯戦争』に置いても、その原則を真っ向から逸脱する存在。
だが、今現在その存在を知っているのは、おそらくはこの場にいる切嗣率いる〝セイバー陣営〟のみである。
何故、彼らだけがその八人目を知覚するに至ったかというと、それはまだ記憶に色濃く残っている先日の倉庫街での大乱戦の後のことにまで遡らなくてはならない。
先日、倉庫街でに戦いの後、セイバーはとあるサーヴァントとの邂逅を果たしていた。
アイリスフィールを無事に守り通し、セイバー自身もまた決定的な手傷を負うことなく戦場を戦い抜くことが出来た。そのため二人は、最初の一夜を切り抜けられたことに安堵を覚えながら、今いる城を目指して車を走らせたのだが、その道中にて……少々厄介な手合いが姿を現していた――――
***
――――疾走。
まさにそう表現するにふさわしいスピードで、切嗣が妻であるアイリスフィールの為に用意したメルセデス・ベンツ300SLクーペは、白銀の貴婦人などと比喩される流麗なボディを猛らせながら、整然とした夜のしじまを爆走する。
「ね? ね? 結構スピード出るもんでしょ? これ」
「お……思いのほか、達者な……運転ですね」
「でしょ? これでも猛特訓したのよ」
楽しそうに問いかけるアイリスフィールとは裏腹に、その隣に座るセイバーは普段は崩さない表情を愛想笑いに引きつらせながら、翠色の双眸で車がなぞっていくコースを注視する。
今二人の乗っている車は、十分にクラシックカーと揶揄されるにふさわしい程度には時を重ねているが、まだまだ十分に現役である。ただし、問題なのは別に車本体が古いという事ではなく、もっと単純に――それまで一度も白銀の箱庭から出たことのない生粋の箱入りお嬢様が、道路を走るという事についての知識を欠如させたまま、疾走どころか暴走と呼んで差し支えない速度で白銀の貴婦人を細腕で乗り回している、という事である。
「――ッ、……!?」
少なくとも、隣に座しているセイバーからすれば危なっかしいことこの上ない。
この車本来の性能は、2996ccの排気量からも想像できるように、伝説のスポーツカーとしての名に恥じぬものである。今アイリの出している速度など、まだまだ序の口と言って差し支えない。
が、そのアイリの手で運転されていることがここ一番の問題なのである。
猛特訓した――という本人の言葉を信じるにしても、どう見てもギアを変える手つきは危なっかしく、円滑なドライビングと呼ぶにはいささか無理がある。
いっそのことエンストでもしてくれたら無理やりにでも止めてセイバーが運転を変わりたいと切に願う程だが……思いのほか達者な運転、というセイバーの言葉はあながち間違いでもなく、アイリはメルセデス・ベンツを夜の道へと爆走させ続けている。
騒音をかき鳴らすエンジンの音に逆らうようにして、セイバーはアイリに後この道中はどれほど続くのかと訊いてみると、
「……この地にあるアインツベルンの所領というのは、まだ先なのですか?」
「車で小一時間くらい、と聞いてるわ。近づけばそれと解る筈なのだけれど――」
と、アイリは答えた。
それを聞き、セイバーは一刻も早くこのドライブが終わることを祈る。
深夜の国道に車――特に対向車――がいなかったのは幸いと言えるだろう。勿論、アインツベルンの城へと向かっているのだから、必然郊外に向かってはいるのだが、それでもこの道路は紛れもなく国道。いつ何時、神の気まぐれで疾走する白銀の獣の前に子ウサギが晒されるとも限らないのだ。
被害が出る前に、早く終わって欲しいと願うセイバーの血中のアドレナリンは、もしかしたら戦闘中以上に高まっていたかもしれない。
何せ、アイリときたら、本当に交通ルールを知っているのかどうか非常に怪しい。
赤信号の意味くらいは多少なり察したが、それでも停止などせず減速するそぶりを見せる程度。
おまけに車線の間違いに関して進言してみれば、「あ、そうよね」と些末な間違いの様に応える。
それにしても、千年以上前の英霊である自身が現代を生きているはずの彼女にそんなことを注意するというのもどうかとセイバーは思った。
冬木に降り立った際に、飛行機も操縦できるという〝騎乗スキル〟を説明したくだりでは、アイリはセイバーの言った『鞍に跨り手綱を握る』という表現について、少々笑っていたが……そんなある程度は現代の機器に
……まぁ、アイリにとっての現代機器というのは、夫の持ってきてくれた〝玩具〟である様な感覚である部分が大きいため、ある意味では仕方ないのかもしれない。
実際、専門の運転手を雇ってもよかったのでは? というセイバーに対し、アイリは「だめよ。其れじゃつまらな――危険ですもの!」と答えていた。
……果たして、この運転とは名ばかりの暴走と、専門の運転手を『聖杯戦争』の脅威から護る事、どちらがより難いのか、セイバーにはすぐに答えは出せなかった。
加えて、普段彼女と相対していると忘れそうになるが、彼女はまだ生まれて二桁も年を重ねていないのだ。
成体として作られたホムンクルスであるとともに、切嗣というファクターを得たことにより母として妻としての母性を備えているが、精神の根本では多少なり幼い部分が残っている。
そのため、新しいものが面白いと感じても、それを使う背景まではしっかり見ない。
それは、アイリ同様に見た目とは裏腹な
セイバーの役割からして、アイリを無事に守ることが今ここにおける最優先事項である。
いざとなれば、サーヴァントであるセイバーにはアイリ一人抱えて外へ離脱するくらいは訳ないことだ。
ただしその場合、伝説のスポーツカーの無残な廃車は確定であるが……生憎、この時代の金銭感覚に疎い元・王様と、ホムンクルスとはいえ金銭的にはほとんどお姫様状態で過ごしてきた二人が、〝たかが車一台〟にそこまで気を配るという可能性は、ほとんど無に等しいとだけいっておこう。
なんとも言えない状態のまま、二人を乗せたメルセデスは闇を走り続けた。が――
「――ッ、止まって!」
セイバーの一声により、その疾走は一旦終わりを告げる。
道の上にいきなり現れた、その不気味な人影の登場と共に……。
「――――お迎えに上がりました。我が麗しの
甲斐甲斐しくお辞儀をしたその者は、言葉の調子とは裏腹に、酷く邪気に満ちた笑みで二人の麗人を見据えていた。
異様なほど飛び出した眼と、瓢箪のようなシルエットは、何処と無く悪魔や悪鬼の類を連想させる。
何者なのか、とセイバーは目の前に現れた男を鋭い眼差しで射抜く。
だが、そんなセイバーの眼差しをさも神のもたらした祝福であるかのごとく、男は恍惚とした嘆息を漏らしつつ、目の前にいるセイバーへ向けてうっとりとした視線を向ける。
その眼差しはどろりとした不快さを伴い、セイバーは全身が逆立つかのような感覚にさいなまれる。
一体、何者だ……? セイバーは、わずかながらに目の前に現れた者に対し、困惑する。
気配から、少なくともサーヴァントであることは疑いようもないのだが、それにしてもおかしい。
何故なら……先の戦いで、この戦争における七人の英傑たちは既に出揃っているのだから。
だとすれば、この〝八人目〟はいったい――?
そこまで彼女が考えたあたりで、目の前の男が垂れていた
それと共に、セイバーは後ろへ控えるアイリを庇うように一歩前へ出る。
先程人影を見つけた瞬間、車を止めると同時にセイバーはアイリと車外へと出て、自分の後ろから離れないようにと言い含めていたが、得体のしれない相手である以上、闘争・逃走もやむを得ない。
――どう出る?
目の前の男に、鋭く目線でそう語る。
だが、目の前の男はそんな眼光すら気にも留めず、愛も変わらずうっとりとした目線を向けている。
それが、セイバーには不快で仕方がない。酷く気に障るが、こんなところで感情に呑まれてしまっても馬鹿らしいので、どうにか抑えているが……それでも、生理的な嫌悪感は拭えなかった。
また、〝もしかしたら……〟という『もう一つの可能性』も捨てきれなかったのだが、どうもそれは違うらしいというのは判った。
倉庫で彼女と
あの場においては、戦いを邪魔されたように思ったが……あのランサー、〝ディルムッド・オディナ〟の槍の事や、ライダーの言っていたことなどから、自分を庇ったのではないかという考えも浮かんできた。
何を思ってそうしたのかは知れない。けれど、もし、あのディルムッドと同じように騎士としての在り方として、今宵のことを知り……もし尋常なる勝負を求めていたのならと、騎士としてその部分は確かめておかなくてはならないという考えにも至っていた。
実際のところ、もしあの射が無かったら――きっとセイバーは左腕を失っていただろう。
そうなると、最大の宝具である『
勿論、自分の失態は自分で精算するのが彼女の流儀であるし、信条である。しかし、もしもそのような高潔な精神を持っている誰かがいるのならば、万全で挑めるというのは騎士としては誉れだ。
向こうは、万全の己を求めて、この状況を作ってくれた。ならば、それに対し応えるのもまた、礼儀である。
それに――それこそなんとも馬鹿々々しいのだが、あの時、セイバーはこうも感じたのだ。
その射を放った者の心の在り方を、その存在を、とても……好ましいと。
在り得ないのだが、値にしてAを冠されるほどの〝直感〟がそう告げていた。
――が、目の前の男からはそれを感じない。
明らかに、敵。
好ましくない者、屠るべき悪の類であると、感覚がそう告げる。
そもそも、最初に目の前の男は何と告げた? 迎えに来た、と、そう告げていた。
しかし、
「……セイバー、この人、貴女の知り合い?」
アイリがそう訊くが、勿論セイバーの応えは一つだ。
「いえ、見覚えは有りませんが――」
そう、知りはしない。
セイバーにとって至極当然の事実であったが、その事実は向こうにとっては信じがたい幻想か悪夢の様であったようで、目の前の男はセイバーの答えを聞き、狼狽えた様に捲し立て始めた。
「なんと……ッ!? おぉぉ、ご無体な! この顔をお忘れになったと仰せですか!?」
さも大仰な事であると言われたようで、尚の事セイバーは憮然と言葉を返す。
「知るも何も、貴公とは初対面だ。――何を勘違いしているか知らぬが、人違いではないのか?」
そこまでが、セイバーにとっての最後の譲歩だった。けれど、最低限の礼を残したまま帰したセイバーの答えを受けて尚、向こうの暴走は留まるところを知らなかった。
「おお、おおぉぉ……っ!?」
脂ぎった髪をかきむしりながら、いっそ哀れにすら見えるほど狼狽したまま、男は呻く。
呻き声を漏らし、先ほどまでの恍惚とした表情から一転。歓喜すら覚えていた表情は一瞬で落胆と悲愴に染まり、歪む。これだけでも、相当に感情の起伏が激しく、その振れ幅によって行動が移り変わるのであろうという事がよく分かった。
「私です! 貴女の忠実なる永遠の僕、ジル・ド・レェに御座います! 貴女の復活だけを祈願し……今一度、貴女と巡り合う奇跡だけを待ち望み続け、こうして時の果てにまで馳せ参じたのですぞ!?
――ジャンヌ!!」
悲痛さを孕んだ訴えも、セイバーにはさして意味を持たない。寧ろ、一体何を言っているのかという思いを増すばかりである。
少なくとも、彼女の治めたブリテンにはこのような輩はいなかった。仮にいたとして、そこまで執着されるほどセイバーに会いに来ようとする者など、いたとしてもそれは『円卓の騎士』の誰かくらいの者であろう。
しかし、このような者は円卓にはいない。
〝ジャンヌ〟などという名にも覚えはない以上、人違いが確定したという事でしかないのだが、彼女の隣にいたアイリが驚いたように息を呑み、こんな呟きを漏らした。
「ジル・ド・レェ、ですって……!?」
セイバーはさして感慨を持たなかったが、それは致し方ない事である。
彼女の真名は、〝アルトリア・ペンドラゴン〟。彼の有名な聖剣の担い手、アーサー王その人である。
対して、ジル・ド・レェの口にしたジャンヌ、すなわち彼の聖女〝ジャンヌ・ダルク〟。
この二人では、生きた時代も国も、あまりに違いすぎる。
セイバーが生きたのが五世紀ごろであり、ジャンヌの生きたのはその千年ほど後……判る筈もなく、ましてイギリスとフランス。時代背景と共に、場所からしても、ほとんど敵同士である。
そしてさらに言えば、セイバーは男として『王』であり続けたが……ジャンヌは女として、『聖女』として軍勢を率いた。
継承権こそ低かったが王の嫡子というセイバーと、平凡な村の娘だったというジャンヌの生い立ちも、男として、女として戦い続けたその在り方も逆だった。
彼女らに似通った点があるとすれば、それはともに〝圧倒的勝利〟の象徴であるとともに、己の信じ続け、守り続けたものに裏切られ終わりを迎えたことであろうか。
しかし、いかに似た部分があろうとも、二人の関連性はここではあまり関係がない。
何せここは聖杯戦争の真っただ中――〝様々な時代の、ありとあらゆる英霊たちが現出し、雌雄を決する戦いの場〟なのだから。
つまり、セイバーがすることといえば、(意図的かどうかはさておき)真名を明かしてきた相手に対し、騎士としての礼を尽くすことのみである。
「私は貴公の名を知らぬし、そのジャンヌなどという名にも心当たりはない」
「そんな……まさか、お忘れなのか!? 生前のご自身を!?」
相も変わらず話の通じないことに苛立ちを覚えつつも、まだ呆れの方が上回っていたため、ため息を一つ吐いて要点のみを口にした。
「……貴公が名乗りを上げた以上は、私もまた騎士の礼に則って真名を告げよう。我が名はアルトリア。ウーサー・ペンドラゴンの嫡子たるブリテンの王だ。此度の聖杯戦争では、セイバーのクラスをもって現界した」
セイバーは自身の由来たる、誇りの籠った名を告げる。
毅然と胸を張り、騎士の礼をもって堂々と宣言した少女の姿は、夜の闇に相まって一筋の光明であるかのようであった。
けれど、それはジル・ド・レェにとっては、度し難い現実であったようで――
「――おおぉぉ、ォォォオオオオッ……!!」
暫し言葉を失った後、ジル・ド・レェは悲鳴にも似た咆哮を上げる。
なりふり構わず、無様に嗚咽を吐き洩らしながら、ジル・ド・レェは地面を叩き始めた。
地面のアスファルトが、ジル・ド・レェの苛立ちを受け止め砕けていく。
「何と痛ましい! 何と嘆かわしい! 記憶を失うのみならず、そこまで錯乱してしまうとは……おのれ……おのれぇぇッ! 我が麗しの乙女に、神はどこまで残酷な仕打ちをぉぉぉ!!」
「貴公は、一体何を言っている? そもそも私は――」
「ジャンヌ、貴女が認められないのも無理はない。かつて誰よりも激しく、誰よりも経験に神を信じていた貴女だ。それが神に見捨てられ、何の加護も救済もないままに魔女として処刑されたのだ。己を見失うのも無理はない……。
ですが……目覚めるのですジャンヌ! これ以上、神如きに惑わされてはならない! 貴女はオルレアンの聖処女、フランスの救世主たるジャンヌ・ダルクその人なのだ――――」
そこまで聞いて、セイバーはもうジル・ド・レェが自分の話を聞く気がないのだという事を理解し、これ以上この男の世迷言に付き合う必要も、礼を残しておく必要もないのだと知った。
「――――いい加減にしろ! 見苦しい!!」
冷厳に、嫌悪感をこれ以上隠す必要もないと、軽蔑のこもった目でジル・ド・レェを睨みつけるが……目も耳も、何もかもを閉ざし、都合のいいようにだけ解釈を連ねるだけの妄信者には通じない。
それがまた、セイバーの怒りを煽る。
「……セイバー、何を言っても無駄よ」
激高を抑えられずにいるセイバーを、アイリが宥める様にそういった。
セイバーがそうやってイライラするのも仕方ないと言えば、仕方がない。彼女は、まだ『英霊』として完全ではないが故に、『聖杯』から与えられる知識に偏りがある。
そのため、彼女の後世に名をはせた英雄たちについての知識が欠けている。
彼女は〝英霊の座〟に未だ至っていないため、彼女がまだ留まっているあの〝血塗られた丘〟を超えた時空の英雄たちの伝説は知らないのだ。
『ジル・ド・レェ』――――彼の聖処女を支えたという有名な軍師だが、その伝説には救国の英雄となった輝かしさと共に、
フランスの動乱を戦い抜いた軍師であるが、彼はジャンヌを失った後に狂気と淫欲の道に堕ち、悪魔の術を手に入れるにまで至る。
ジャンヌとジル、両者を関連付ける伝承は多いが、二人の関係がどのようなものであったかについては諸説あるが――少なくとも、ジルの妄執を見る限り、二人の関係はきっと悪くないものであったのだろう。
しかし、彼の嘆きにもあったように、神の仕打ちもいえばいいのか、運命は最悪の形で二人を引き離した。
非難の声と粛正の炎に焼かれた聖女と、それを守りたかったが故に怨嗟に身を焦がし狂気に堕ちた軍師。
そんな運命を背負い、狂気の道を進み続けたジル・ド・レェは、その妄執を果たすべく狂ったままにこの戦いに足を踏み入れた。
そして、出会ってしまったのだ――セイバーに。
ジャンヌとセイバーがどの程度似ているのか、それは当の二人が出会いでもしない限り分からないが、妄執を連ねてきたジル・ド・レェが自らの想いが果たされたと錯覚するには十分であった。
自分の考えや幻想に囚われた盲目程、恐ろしいものはない。何せ、囚われたその輪の中では、本人にとって都合の悪いものなどその目には映りも掠りもしないのだから。
一度確信を持ってしまえば、それは彼が彼自身の認識を疑わない限り覆されることはない。
「ジャンヌ、もうご自身をセイバーなどとお名乗り召されるな。
ええそうですとも。私も貴女も、
「な――」
〝キャスター〟と、目の前の男は確かにそういった。
つまり、目の前にいる男はサーヴァントのクラスにして『
という事は、この男こそが七人目。
だとすれば、あの時の〝七人目〟はいったい――? と、そこまでセイバーが思ったところで、先ほどまで一歩引いていたアイリが先ほどのジルの言葉を聞き捨てならないとばかりに前に出る。
天真爛漫な少女の様であり、毅然とした貴婦人然とした普段の彼女からは考えられない程、不快感を露わにしてジルの前に立つ。
「それはまた、随分な意見ね」
一千年をかけて、この戦争に至った一族・アインツベルン。この大家は『聖杯』を造り上げた一族でもあり、
彼の『
そして、彼女は此度の戦いにおいて『
アイリスフィールの愛した夫、衛宮切嗣だけであると、彼女はそう確信している。
故に、最も『聖杯』に近い存在である彼女の差し置いて……〝願いが叶った〟、〝『
だからこそ、彼女は狂人の前に立ち、問うた。
「……ねぇ、ジル元帥。戦いが終わったというのなら、聖杯はいったいどうなったのかしら?」
そこには、静かだが……確かな彼女の怒りが込められていた。
だが、そんな問いかけも、ジルにはただの決定事項を聞かれている程度にしか聞こえないのだろう。
高らかに、彼は語る。
「勿論、万能の釜たる願望器は、既に我が手に収まっている! 何故ならば、我が唯一の願望――〝聖処女ジャンヌ・ダルクの復活〟が、まぎれもなくここに果たされているのだから!
何人と争うまでもなく、既にわが願望は成就した。戦うまでもなく聖杯は、このジルを選んだのですよ! ジャンヌ!!」
満面の笑みと共に、歓喜に奮えるようにジル・ド・レェは堂々と宣言した。
だが、それを彼が言い終わったその瞬間。
「――――」
ゴオッ! と、不可視の剣が振るわれた。
射貫く様な冷たい眼差しのまま、セイバーはジル・ド・レェへ剣を指し向ける。
地面を真っ二つに両断した剣先から立ち上る闘気は、見えずともそれと知れたであろう。抑えられてはいるが、それでも隠し切れないほどの憤怒が確かに込められていた。
「我ら英霊全ての祈りを、それ以上愚弄するというのなら――次は容赦なく斬り捨てる」
研ぎ澄まされて冷え切った声色は、まさしく彼女の差し向けた刃の温度だった。
「さぁ立て。平伏した者を斬るのは主義に反する。貴様も武人の端くれならば、妙な詭弁を弄するのでなく、尋常に戦い抜いて真に聖杯を掴むがいい。最初の一人はこの
今ここで相手になってやる。こい、
激高し、熱高まりを感じるセイバーとは裏腹に、ジル・ド・レェは急速にその熱を失っていく。
「そこまで心を閉ざしておいでか……」
立ち上がったその体躯は昨夜戦ったライダーほどではないが、十分に長身と呼べるものであり、小柄なセイバーと比べるとその差は歴然であった。
黒いローブを纏ったその身からは、確かな気迫を感じる。
先ほどまでの無様さからは全く想像できない程、立ち上る威圧感は、幾度となく戦場を地に染め上げてきたものだけが持つ威風……英雄と崇められ、狂気に身を堕とした暴君として畏怖される者ならではの覇気がそこに有った。
「致し方ありますまい。それなりの荒療治が必要、とあらば――次はそれ相応の準備をして参りましょう。
誓いますぞ、ジャンヌ。この次、相見えるその時こそは……必ず、貴女の魂を神の呪いから解き放って差し上げます」
スッ……と、夜の闇に溶けるように、男は姿を消した。
消えていくその姿を見ながら、狂ってはいるが断じて容易い相手ではないという事を再認識し、次会ったときは手加減なく、一刀両断にするとセイバーは決める。
とはいえ、このまま臨戦態勢をとったままという訳にもいかない。
セイバーは手に握った剣を再び空気に溶かし、構えを解いた。
張り詰めた糸が途切れる様に、その場の空気が再び静やかな夜気に戻っていった。そうして解けていく
「会話の成立しない相手って……疲れるわね」
「……えぇ、全く。
次会ったときは、言葉を交える前に斬ります。――ああいう手合いは虫唾が走る」
セイバーはそういうと、暫し夜風にその場を任せる。
今宵は、分からないことが多すぎる。
様々なことが起こり、混沌とした幕開けになってしまったが、二人の美女を撫でる夜の風だけは穏やかなものであった。
この先に、一体何が待ち受けるのか。それは未来予測に至るとまで言わしめられたセイバークラスの直感ですら、分かりえない。
――こうして、始まりの夜は本当の意味で始まりを告げ、そして終わった。
様々な
厄介であることこの上無い事柄を伴いながら、事態を震わせていった。
***
昨夜の邂逅を反芻し終わったセイバー陣営は、ここまでにあった出来事から推測しえる事柄を並べていった。
「――〝キャスター〟についての情報が得られたのは幸運だった。何を勘違いしているのか、セイバーを〝ジャンヌ・ダルク〟と勘違いして出向いてくれるとはね。
これで、サーヴァントが明らかに〝八人〟いるという事が分かった」
切嗣は昨夜の出来事をそう締めくくり、現状における情報戦の成果は上々であるとした。事実、ここまでにおいて得られた情報は他の陣営に比べて大きいといえるだろう。
あの時、倉庫街での戦いにおいて確かに〝七人〟の英霊があの場にいた。
しかし、その〝七人〟という前提が覆るなど、誰も予想だにしないだろう。まず監督役からして、その内容を知っているかどうか怪しい。そういう意味で、少なくともここ
ならば、そのアドバンテージを生かすために、一つ一つの行動を迅速に進めていく必要がある。
それ故の、冒頭におけるランサー陣営への奇襲だ。
切嗣がそれを決めた理由は二つ。
まず、遠坂時臣のアーチャー陣営と、言峰綺礼のアサシン陣営は協定を交わしている。御三家の一つである〝遠坂〟と、〝監督役〟である言峰璃正。そして元〝代行者〟である言峰綺礼。
奴らが組めば、遅かれ早かれ、八人目の正体には辿り着くだろう。また、あの狂ったキャスターなら、おとなしくしているなどという事はない。おそらく近いうちに、セイバーを求めて行動を起こすだろう。
それを迎え撃つために、此方からはセイバーを晒して動くわけにはいかないのは当然。
あくまでも、この戦いを必ず勝ち抜くために取るべきは〝効率のいい戦い〟であり、間違っても騎士の誉れなどというものを表に出したものではない。
だからこそ、八人目を知るだろうこの陣営は手を出さずにおく。監視役と提携しているという事は、おそらく何かしらの不正も、表に出ない程度ならば遠坂と言峰綺礼には許される。
こちらが有利になるようにことを運べるまで、手を出すわけにはいかないのはそれが大きい。
アサシンを暗躍させている言峰は厄介だが、アサシン自体はさほど脅威ではない。そして、アサシンは公式にはすでに死んでいることになっているため、表には出せない。
つまり、此方を目立った行動で手を出させるわけではないということ。はっきり言ってアサシン自体は脅威ではない。闇に紛れられると厄介にはなるが、それを端から知って警戒できているのなら、話は別だ。
いざとなれば、令呪を使いセイバーを呼び寄せれば、その時点で決着はつく。
まして、アイリをマスターとして堂々と晒している此方は、常にセイバーをアイリの傍に置いておける。
これもまた、一つのアドバンテージだ。
アサシンはアイリを殺せないし、警戒をして同じく暗躍している切嗣にも手を出せない。
もう一つは、他の陣営の中で最もランサー陣営が仕留めやすいからでもある。
行動の読めないライダー陣営は、マスターが素人なだけにいつしか勝手に自滅するだろう。そもそも、サーヴァントを御せもしないマスターに、戦いができるわけもない。経歴を見ても、ただの学生に過ぎない。まず第一に除外となる。
そういう意味でキャスター陣営も除外する。マスターの姿は視認できなかったが、あのサーヴァントを従えているのか操られているのかどうかは定かではない様なあやふやなマスターがキャスターを制御しているとも思えない。寧ろ、あの狂っている趣味嗜好に賛同して好き放題にやらせている可能性の方が高い。総じてこんな戦いに足を踏み入れた者がまともであるはずもないというのは、ある意味当然なのかもしれないのだが。
そして最後に、バーサーカー陣営。ここははっきり言って、一番脅威ではない。
落伍者を引き戻して無理やり仕立てたマスターに後れを取るほど間抜けではないのは当然として、バーサーカーはキャスター同様にセイバーに何かしらの執着があるのなら、向こうが仕掛けてきたところを仕留めればいい。
ただ、それだけではない。脅威ではないがゆえに脅威であるという部分とがある。
それは、あの間桐の裏の頭首である〝間桐臓硯〟の存在だ。
アインツベルン同様、ほとんど妖怪同然の延命をして今まで生き延びている化け物が裏にいる以上、マスターである間桐雁夜が表立って出てきたところを仕留めた方が楽に事が運ぶ。
以上の理由から、ランサー陣営こそが第一の標的として定められた。
マスターであるケイネスは、魔術師の総本山である『時計塔』の誇る〝神童〟ではあるが、それゆえに『魔術師』としての価値観に凝り固まっている。
その上、奴の聖杯に欠ける望みは望みとも言えないものでしかないようなもの。
戦いに赴いて、自身の武勇に箔をつけるなどという考えで奴はこの戦争に参加している。
――そんな程度しか賭けるモノのない男に、一体何ができる?
だが、そんなマスターであっても従えているサーヴァントは中々に厄介な輩。戦闘能力こそそれほどではないが、癒えぬ呪い与えられるかもしれないというのはこちらが不利に陥りやすくなる。だからこそ、早めに叩いておこうという訳だ。
これが、今のところ切嗣の考えているこの戦争における序盤の番面である。
しかし、それを行うことを進めるうえで、切嗣にとって最も厄介な存在である〝八人目〟――それだけは、切嗣には全く予想もつかない。
ライダーやランサーのような馬鹿かと思えば、姿をさ晒さないどころか、探した此方に気づいていたかのようにその存在を包み隠していた。
――全く、その行動の理由が分からない。
ある意味、言峰綺礼よりも恐ろしいかもしれない。
切嗣はそう思ったが、まだまだ情報が足りない以上、早急に潰せるところは潰していかなくてはならないだろう。
それが、
「今、この場における行動指針は以上だが……何か質問はあるかい? アイリ」
切嗣の締めくくりの言葉だった。
そして、その言葉はたった一人にしか向けられていない。
何故か? 単純である。
最初の問いかけと同じだ。
切嗣にとって――
妻であるアイリの意見は聞くものだが、
自身の相方である舞弥は元より自身と同じ志であり、
そもそもにおいて道具であるセイバーの言葉を仰ぐ気など毛頭ないからである。
――そしてそれは、その問いかけを向けられた側にも同じこと。
一人、黒髪の女はただ首肯し。
二人、銀髪の女は僅かに惑い。
三人、金髪の女は眉を寄せた。
舞弥は切嗣に対する異論はなく、アイリは切嗣の〝魔術師殺し〟としての冷徹さに戸惑い、セイバーは切嗣の戦い方に好色は持てないながらもその在り方を否定するわけにはいかない。
ただ、この場において最も心痛を残したのはセイバーであろう。
共に戦う者として、切嗣に認めてもらいたい。
そして、アイリの語っていた平和を求める切嗣の姿を信じたい。
結局、滅ぶ姿を見るしかできなかったあの過ちを正すために――――
「――――では、今日はここまでだ。次はランサー陣営を責めたあと、その後の計画を説明する」
***
「――――では、今日はここまでだ。次はランサー陣営を攻めたあと、その後の計画を説明する」
今瀬の主の冷淡な声を聞きながら、一人の少女は救いを待つ。
自らの手で手繰り寄せるべき奇跡を求め、図らずして共に在るもう一つの繋がりを引き寄せながら。
常に正しく在ろうとした一人の『王』は、未だ違えたままのその在り方を貫き通すべく歩み続ける。
そして、この戦いの先に置いて、彼女の求める〝救い〟を与えるはずの少年は、本来よりほんの少し早く、〝彼女ら〟の元を訪れる。
ただ、彼女の元を訪れるのはもう少し後になりそうだ。
……まずは、泣いているあの子を救わなくてはならないから。
(――――だから、もう少し待っててくれ。
きっと、もうすぐお前たちのところに行くから……)
優しい鞘の導きは、決して彼女の心を傷つけたままにはさせない。
そしてまた、泣いた少女を泣かせたままにはせず、毅然とし続けた少女の苦しみもきっと和らげ、雪の城に囚われた少女も寂しいままにはさせないから。
――――一人では無理だけど、もう一人じゃない。
誰かに頼る事。
人と人との繋がりの大切さ。
何より、自分を大事にすること。
たくさんたくさん教わって来た。
だからこそ、今度は必ず手を伸ばす。
誰かを助けること、苦しんでいる誰かを救いたいという願い。
それを理想として掲げ、一度はそれに至った。
だからこそ、もう止まらない。
必ず、成し遂げて見せる。
その心は決して潰えず。
そうして願い続けたこの想いは、絶対に間違いではないのだから。
さあ、〝
その先にある〝運命の夜〟への道は、もう始まっている。
さあ、走り続けよう――――いつでも少年は、見果てぬ