Fate/Zero Over   作:形右

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 第十一話。
 シリーズ初期では最高の文字数の回でした。
 実に四万越えでして、自分でも詰め込みすぎだろとか思ってました(笑)



第十一話 ~立ち上る狼煙、巡り行く戦いの嵐~

 動き出す少年、紡ぎたい願い

 

 

 

 

 

 冬木の地にそびえる三つの『城』――彼の『冬の血族』が収める城で、一人の王である少女が愁いを感じていたその頃。

 この地で最も古いが、同時に最も新しい血族が住まう『城』へ向けて……三人の男が、その歩を進めていた。

 

 ――薄暗く、どす黒く穢れた闇の中へ落とされてしまった一人の少女を、救うために。

 

 

 

 ***

 

 

 

「早速ですけど、雁夜さん。桜を助けるための準備として、〝遠坂〟の協力を仰ごうかと思ってます」

「な……協力?」

「はい」

 まだ幼さの残る少年が提案したのは、ある意味において当然のことであり、同時にとんでもない事であった。

「遠坂と協力って……時臣がそう簡単に協力に乗ってくるとは思えないんだけど……。

 それに、桜ちゃんを助け出すんだったら、バーサーカーと士郎くんだけでも過剰戦力なんじゃ……それに俺だって、そんな大した戦力にはならないかもだけど、令呪でバーサーカーをサポートするくらいならできると思うんだけど……」

 雁夜の考えはそれもまた至極当然であった。

 実際のところ、武器を無限に生み出せる士郎と、その武器を全て己が宝具として一〇〇%使いきれるバーサーカー、〝ランスロット〟がいれば、いかにあの間桐臓硯とはいえ、そうやすやすと勝てはしない。

 勿論、戦力が多いに越したことはない。

 だが、一度〝間桐〟という『魔術師』の大家を信頼して我が子を託した『魔術師』が、その考えが間違っていたという事を信じてくれるかどうかも怪しく、ましてその上での協力など、乗ってくるだろうか?

 正直なところ、その可能性はかなり低いといえる。

 重ねて言うなら、今は『聖杯戦争』の真っただ中であり……同時に〝間桐〟と〝遠坂〟、つまり雁夜と時臣は敵同士である。

 更に、なんとも拙いことに先日の倉庫街の戦いの折りに、雁夜はバーサーカーに時臣のサーヴァントであるアーチャーを襲わせ、挙句令呪を切ってまで撤退させたという事実がある。これは向こうにしてみれば手痛い損失であり、とても話を聞いてくれるほど友好な雰囲気には持ち込めそうにない。

 仮にその話の切り口を『協定』という建前で持ちかけるとしても、メリットも何もない提案を持ちかけたところで、時臣がはっきりと認識・理解・納得した上でなければ、その交渉は失敗に終わるのは目に見えている。

 加えて、知っての通り遠坂は監督役引き受けている聖堂教会の言峰親子と既に協定を結んでいる。

 これ以上の協力者は寧ろ統率を乱すだけであり、必要ないはずだ。

 協力を仰ぐというのなら、まずその交渉の切り口から模索していかなければならない。

 だが、それについては勿論士郎も十分に認知している。

「分かってます。でも、一度向こうに桜の置かれた状況を知ってもらえないと、桜をこれから守っていくのは難しくなるんです。

 桜の持っている資質は、『魔術師』の側から見れば喉から手が出るほどに欲しいもので、それから守るためには大家の加護が必要になってくる。そういう意味では間桐はまさにうってつけではある……。

 とはいっても、勿論あの臓硯が桜を大事に保護なんて真似をしてくれるはずがない。だからこそ、今後の魔術師の側から守るための要素として、遠坂と教会側の協力も取り付けられれば、これ以上ない有効な手になります」

 つまり〝間桐臓硯〟を倒すだけでは不十分であるから、そこから万全を期すために桜の生家である〝遠坂〟の協力と彼女の状況を向こうにも認知してもらう必要がある、と。そう士郎は言った。

 それを聞き、確かにそうかもしれないと雁夜は思った。

 実際のところ、雁夜には桜を助けた後の彼女の〝安全な〟保護先を全く考えていなかったのである。

 母である葵や姉の凛とまた仲良く暮らせればいいと、魔術の世界など無視してしまえばいいと、そんな程度にしか考えていなかったのだ。

 だが、それは許されない。

 桜のもった資質は、決して彼女を魔術の世界から目を背けることをよしとはせず、彼女が生きている限り、必ず何らかの形で付いて回ることは避けられない。

 そうなると、どうしても彼女を守るための後ろ盾が必要である。

 今の雁夜なら、間桐の家を継ぎ頭首として名を置いておくだけでもいいが、いつ何時不測の事態に巻き込まれるかわからない。魔術の世界では、実験や研究の為の素材として優れた人材を使うことを惜しむ者は少ない。魔術的に優れた性質を持った様々な生物や、時として桜のように優れた人間を一要素として必要とし、標本か何かの様にホルマリン漬けにすることさえ辞さない様な連中が実際にいるのだから。

「……確かに、時臣の協力はあった方がいい。

 でも、だったら尚更どうする? 言っちゃあなんだけどさ、前の戦いで俺思いっきり時臣のサーヴァントに喧嘩売っちゃったんだけども……」

「……そこに関しては、もう仕方ないかなと思います。まぁ、あの金ぴかに関しては、何かしらの興が乗れば勝手に出張ってくると思うので、邪魔さえされなければ何とか……一応、俺とランスロットはあいつの天敵ですから」

 そう、邪魔さえされなければいい。

 正直なところ、あの不安定な気まぐれな英雄王にはあまり期待していない。味方になってくれれば頼もしいことこの上ないが、逆に敵だったら厄介なことこの上ない存在であるから、あまり過度に協力を期待するのは禁物だ。

 ……逆に、変なところで興が乗ると妙に乗り気で協力してくるのがまた厄介なところである。

 すっかり俗世にハマり切った英雄王が高笑いするさまが目に浮かぶようだ。まったく、頭が痛い。

 まぁ、そうはいってもこちらには今、今世での奴の天敵筆頭であるランスロットがいる。

 そして、士郎は一度凛のサポートを受けながらとはいえ、あの英雄王・ギルガメッシュを人の身で追い詰めて『敗北』を認めさせたことがある。完全に倒すにはあと一歩及ばなかったとはいえ、この二人がそろっている以上は、即座にあの〝乖離剣〟を抜かれない限りこちらに負けはないだろう。

 そうして、士郎はもし遠坂邸へ交渉に行ったらあの英雄王とまた戦わなくてはならない可能性を考えると胃が痛くなる。

 あの頃よりは使い慣れたとはいえ、今の状態では固有結界がきちんと発動するかどうかも怪しいのは不安なところだ。

 そうした不安要素があるからこそ、何事も慎重に順を追って固めて行こうとしている訳なのだが……実は、〝間桐〟を真っ先に襲撃しないのは、もう一つ理由がある。

「まあ結局のところ、臓硯を倒すために協力は必要ですし……御三家の内、聖杯戦争が始まった当時からこの街に住み着いている化け物を倒すには、同じ御三家の協力が必要です。

 だけど、アインツベルンはまだ少し交渉にかけるものが足りない。

 でも、遠坂ならもし決裂してもランスロットと俺がいれば、英雄王を止めるくらいはきっとできる。アサシンがいるのも不安なところだけど、多少の無茶を重ねてでも、交渉を取り持たないと――とりわけ、臓硯は聖杯戦争のサーヴァントシステムと、令呪を考案した相手。サーヴァントを使って挑むなら、決して侮れない。

 なら、いっそのこと初めから過剰すぎる戦力で挑んでいけば必ず勝てる……!」

 そう、雁夜の話を聞いていくつか分かったことから、遠坂との協力は間桐家を攻略するのに最も適していることが分かっている。

 同じく聖杯戦争を熟知し、『火』の属性で蟲との相性のいい時臣。

 たとえどれだけの手駒があろうと、問答無用で叩き潰すことすら可能な士郎の固有結界と英雄王の宝具。

 単一では決して敗退などするはずもない円卓最強の騎士。

 その上で、闇に紛れるアサシンや魔を狩ることに長けている元・代行者。

 これだけ揃ってしまえば、勝てない道理もない。

 そのための一歩として、遠坂との交渉を成功させられるのならば、言うこと無しないのだが――まだ、そのための場が足りないのが現状である。

 交渉のテーブルとはよくいったものだ。

 相手を席に着かせることができなければ、言葉を交わすことすらままならない……難儀なものである。

「……まったく、難しいもんだよなぁ」

 少々嘆息しながらも、動き出すしかないという事は雁夜とて分かっている。

 

 ――さて、ここで今現在において士郎と雁夜が取れる手段を考えてみよう。

 

 一つ、書状を出してから尋ねる。

 二つ、使いを出して自らの意思を伝える。

 三つ、いきなり押し掛ける。

 

 簡単に考えるとこの三つだろうか。そもそも、一と二は似ているように思える。

 とはいえ、使いという形で意思を直接伝えるのと、書状というのは破り捨て去られればそれまでというのではだいぶ違う。

 そういう意味では、ある意味三が一番手っ取り早いといえる。

 玉砕覚悟での特攻など、通常においては無謀以外の何物ではないのだが……今回に限って言えばかなりの妙手、とも言えなくもないかもしれない。

 うむむ、と二人が唸っていると、台所の方から皿洗いを終えた湖の騎士が戻ってきて、主へ向けてこう言った。

「マスター。私は、命があればいつでもあのアーチャーへ向かっていきます……!」

「バーサーカー……!」

 流石は湖の騎士。円卓最強の名は伊達ではないらしい。

 ライダーの一撃から受けた負傷は、雁夜の回復と士郎の投影した『鞘』により既に癒えている。

 あの夜の様に狂気に晒された戦いはもうしない。

 己が技量の全てをもって、阻むもの全てを薙ぎ払うとそう誓う。

 そうして、狂戦士陣営の主従二人が信頼を深めていたのだが、それを傍目に見ていた士郎はなんとなく思った。

(……妙に似合うな、エプロン姿)

 何といえばいいのだろう。

 甲斐甲斐しく傍に仕えるという在り方が地に沁みているのだろうか? ランスロットは随分と過保護さが表立った格好のまま、雁夜はそんなランスロットの恰好など関係ないと頼もしい相棒を頼りにしてるぞといった空気をありありと醸し出す。

 ……ちなみに、そんな湖の騎士の姿に、同じように主に甲斐甲斐しく使える槍兵や、別世界の剣士適性の本人が娘(息子)相手に過保護さを発揮して軽くくしゃみをしたのだが、無害です。

 話がそれたが、ランスロットの気概は賞賛に値する。

 それに加えて、

(……ぶっちゃけた話、英雄王(あいつ)が真っ向から仕掛けられたら絶対慢心してるだろうしなぁ……)

 士郎の予想は当たらずとも遠からずであった。

 彼らは知る由もないが、実のところの英雄王はいささか退屈しており、娯楽を求めて外道神父(覚醒前)を唆して一興としようとしていた。

 加えて彼は、ヒトの飽くなき業が大好きである。

 言ってしまえば、信念を持って足掻く凡俗の有様を愛でるような愉悦思考なのだ。

 実際、〝贋作者〟と呼び蔑んだ士郎たちの内、『エミヤ』の在り方を〝奴も贋作者であったが、その理念は俗物ではなかった〟と、彼にしては珍しく認めたかのような発言をしていたこともある。

 最も、これに関しては士郎とエミヤを比べて、どちらが残った方が面白かったかという話だったので、意味は少し違うのだが。

 そんな予感から、士郎は真っ向からの正面突破などという無謀を試してみるのも悪くないかもしれないと思った。

 その有無を雁夜とランスロットに伝えると、二人もそれに関して異論はなかった。

 二人とも、英雄王と邂逅したのは短い時間だったが、確かに自己中心的で癇性的な性格であるのは十分すぎるほどに分かっていた。

 感情に左右される傲慢な人間ほど、強くてもその行動は単純になる。

 とりわけ、その自信を打ち砕かれたことが数えるほどしかない、生まれながらの最古の王などは特に。

「…………」

 考えれば考えるほど、もしかしたら自分たちはとんでもないジョーカーキラーなんじゃないかと思ってしまうが――一度落ち着こう。

 士郎の力は確かに対ギルガメッシュとしてこれ以上ないものであるが、その力を十二分に発揮できるかどうかはまだはっきりとはしていない。

 だが、それを確かめることができたのなら、この作戦を実行に移せる。

 となれば、

「……少し、付き合ってもらえないだろうか」

 今、自分に何ができるのか? それを確認する。

 幸いにして、魂に刻まれたセイバーとの縁。本来この時代で第四次聖杯戦争が終わったときに養父となった切嗣によって埋め込まれるはずの鞘は、一度は英霊となった影響か……セイバーと共に同じ時代にいるという補正が掛かり、士郎に良い影響を及ぼしていた。

 これは、セイバーに鞘を返却した場合と、返却せずに別れてしまった場合の両方が混ざり合って、士郎の至ったもう一つの『錬鉄の英雄』としての形になっているからではないかと思われる。

 それを含めて、今の自分に出来るその全てを、確かめたい。

 士郎の眼差しに、二人は力強く首肯した。

 この場において異論はもう無く、それ以上に進みを止める道理もない。

 歩み続けることを決め、彼らは黄金の英雄と深淵の暗殺者への戦いへ臨む。

 

 

 

 ――――だが、決戦の火蓋はもう既に切られてたことを、彼らはまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 *** 拗れ行く思い、暗躍する影と立ち上る狼煙

 

 

 

 一人の少年と騎士がその力を確かめ合うことを決めた時より、時は僅かばかり遡る。

 

 

 

 冬木・新都にそびえる、高層ビル群の中でも頭一つ抜き出た――『冬木ハイアットホテル』。

 地上三十二階を最上階とするこのホテルは、さして都市という程でもない冬木の地においては最高級のクラスに位置する。

 が、そんな高級と名を冠するこのホテルも、生まれついての貴族であるケイネス・エルメロイ・アーチボルトからしてみれば何の趣もないとしか言えないものであったらしい。

 

 ――ただ広いだけの部屋と、漠然と据えられた高価なだけの家具の数々。

 

 そこに歴史はなく、何の文化もなく、何一つとして重ねられたものがない。

 ほんの百年ほど前まで憲法すらなく、ここ最近の急発展で経済力打の科学技術だのといったもので西欧諸国と張り合って、まるで世界の流れの一部を担っているかのような厚顔ぶりを発揮している。

 ポリシーがない、執着がない。

 そういった部分が、ケイネスをより一層苛立たせる。

 貴族の何たるかも知らない者が、その浮遊感を出そうとしただけの豚小屋のようだ、とケイネスはホテルの部屋を揶揄していた。

 全く持って〝贅を凝らす〟という言葉の何たるかも理解していない俗物どもがあつらえた部屋に、偏頭痛を覚えるほど嫌悪感を抱いていたケイネス。彼はそういった背伸びに敏感であったために、余計に煩わしさを感じざるをえなかった。

 とはいえ、彼がここまで苛立っているのはそんなことからではない。

 傲岸不遜でこそあれ、そこまで最良の狭い人間ではない自負は彼自身もっている。

 だが、それでもなお苛立ち加速させ募らせていく装飾に当たらずにはいられなかった。

 その原因とは、

(――――くそ……ッ! ランサーめ……!!)

 彼の従えていたサーヴァントにあった。

 歯噛みするほどの屈辱を覚えるほどに、彼は己のサーヴァントであるランサーに対して憤怒を抱いている。

 その理由は、先ほどまで交わされていたやり取りにあった――。

 

「ランサー」

「――は。ここに」

 粛々と姿を現したサーヴァントに、ケイネスは抱いた苛立ちを隠しもせずぶつけた。

「今宵の戦い……あの様は何だ?」

 つい先ほどまで続いていた、倉庫街での闘争。

 ホテルのすぐ下から聞こえてくる喧騒に、住民たちもその戦いの爪痕に気づき始めているのが窺えるが……在り得ない問題として認識されない辺り、監督役とやらを買って出ている聖堂教会の手腕はそれなりのものであるようだ。

 それほどまでに、先の戦いは激しさを伴っていた。

 ランサーは健闘したが、だがそれを知った上で尚、ケイネスは問う。

「どうして、セイバーを倒せなかった?」

 倒せなかった。そのことが、ケイネスには度し難い。

 健闘などでは足りない。

 確固たる成果を手に入れられなかった戦いに、一体何の価値があるだろうか? というのがケイネスの抱いている見解であった。

 マスターとして、武勇を手に入れるために参加した彼にとって、敵の一人も屠れなかった使い魔など何の価値もない。だからこそ、ランサーに対し、怒りを向けている。そしてそれは、ランサーの戦いに赴いた態度もまた、彼に怒りを抱かせた原因の一つであった。

「それに貴様、セイバーとの戦いを〝愉しんで〟いたな? あのじゃれ合いはそれほどまでに愉悦であったか? 敵をみすみす逃し、決着を先送りにするほどに」

 彼らにとっての騎士の誉れなのだろうが、だからといって戦いに結果を求めているケイネスにとって、誇りをぶつけ合うその姿勢すら遊びに映る。そもそも、敵を屠る事こそがサーヴァントの役目であるというのに、だ。

 そのことを責め立てるケイネスに、ランサーは変わらず粛々と目を伏せ、「騎士の誇りにかけて、遊びで剣をとる事は致しませぬ」とだけ語る。

 実際、愉しんでいなかったかと聞かれれば、ランサー自身、彼女――セイバーとの戦いに興じるところがなかったわけではなかった。故に、彼はその叱責をある程度予期していたのであろう。

 ケイネスの怒りを、彼は余すところなく一心に受け止めている。

 その姿は、確かに忠義を尽くそうとする者の姿勢ではあった。けれど、結果としてその姿勢に行動が伴わなかったこともあり、ケイネスにはその想いは今一つ伝わっていない。だが、それも無理からぬことであった。

「……申し訳ありません、主よ。

 しかし、この失態は必ず償うとここに誓います。セイバーの首級は必ずやここに晒して見せます。故にどうか、今少しばかりの猶予を」

 ランサーは主に勝利を捧げられなかった己の不甲斐無さを侘び、主の抱く怒りに耐え忍びながら、改めて忠義と今後の挽回を誓う。

 しかし、

「改めて誓われるまでもない! それは当然の成果であろう!」

 ランサーの言葉を受けても、ケイネスの怒りは増すばかりであった。

 断っておくが、ケイネスは決して怒りを御せることのない癇性の塊ではない。

 ただ、彼が送って来た人生において、なまじ人より優れた家柄や才覚を持ち得てしまったことが、自身の内へ向ける怒りへの弱さを作ってしまった。

 成功や祝福しか受けてこなかった人間は、総じて挫折や困難に弱い。

 ケイネスの抱いている怒りの大本の原因はといえば、本命であった『征服王・イスカンダル』の聖遺物を盗んだ挙句に召喚したサーヴァントを御しきれずに戦場を引っ掻き回すだけかき回してこちらの勝機すら摘み取っていったウェイバーに対するものから始まっている。

 だが、それに対する憤怒はいずれウェイバー本人と相見えたときにでもぶつけてやればいいと整理はついている。

 彼はそうした外――つまり他者へと向けるべき怒りに関して、ケイネスは分別を付けられる男であった。

 だが、そうやって生み出された怒りによって副次的にもたらされた無様な戦績という己に降りかかって来た不利益に対して、ケイネスの持つ抵抗力・許容力の類はほとんど赤子同然のようなものであった。

 そうしたものに慣れていない彼はどうしていいか解らないため、ランサーに対して激高をぶつけてしまっている。

「貴様は私と契約した! このケイネス・エルメロイに勝利をもたらすと! それは即ちほか六人のサーヴァントを切り伏せる事と同義だ。だというのに、今更セイバーの首一つについて必勝を誓うだと……それが価値のある約定だとでもいうのか? 一体、何を穿き違えている!? それこそ当然の結果であろうが!!」

 増していくばかりの怒りに、ケイネスは抑えが聞かなくなり始めている。だが、それは仕方ないのかもしれない。

 ……何故なら、ケイネスにはランサーに対する私恨がもう一つあったからである。

 その私恨とは、

「――ケイネス。ランサーを責めてばかりいても仕方のない事でしょう?」

「……ソラウ」

 今まさに口をはさんできたこの女性にあった。

 普通であれば、このように口を無遠慮に挟まれてただ引き下がるケイネスではない。が、何事においても例外は存在するという言葉の様に、ケイネスにとって彼女はその例外――ありていに言って特別な存在であった。

 この地上で唯一の例外――それが彼女、ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリ。

 彼女はケイネスの恩師であり、彼の専攻している降霊科(ユリフィス)における教授であり同時に長でもあるソフィアリ学部長の娘にして、彼の許嫁でもある。

 彼にとって、彼女に関する事柄だけは、どんな理屈でも固めきれない熱に侵されてしまうようであった。

 家柄も、彼女自身の才覚も、そして何よりその美しさもまた、ケイネスを虜にしていた。

 無論それだけではなく、彼女と共に歩む未来こそが彼にとっての幸福の感性でもあった。彼女という最高の妻を娶ることによって、その未来は栄光の身に彩られた宝石の一本道の様になることが決まっているといっても過言ではない。

 それだけの恋慕と執着を、ソラウに対し抱いているケイネスであったが……その関係はとてもではないが、熱情を共にするカップルであるとはとてもではないが言えなかった。

 プライドが高い彼は未だに認めてはいないが、二人の間にあるものはどんな贔屓目に見ても恋人同士の愛などというよりは寧ろ――端的に表して、上下関係。

 その様は、さながら女帝と従者……とてもではないが、双方からの身を焦がす熱情も恋情などがあるとは言えない。だが、二人とて貴族であり、また同時に相手に対しての憎悪するほど不満があるわけでもない。

 ただ、それでも二人は恵まれていて、そして平坦過ぎたのだ。

 ケイネスはソラウに対し熱を抱くが、ソラウの方はケイネスに対してその熱を抱けなかった。

 そのことが、二人にこれ以上ないほどの溝を作る原因になってしまう。

 ウェイバーに聖遺物を盗まれ、本命であるイスカンダルを呼べなかったケイネスは次点としてランサー・ディルムットを召喚したのだが、ディルムット・オディナと言えば美丈夫として有名な英雄。そんな彼の持つ、女性を惑わすという伝承がもととなっている〝魅惑の黒子〟がケイネスとソラウの心を半ば別つような状況を作り出してしまう。

 ソラウはケイネスに対して不満はなかったが、別段焦がれるような感情も持つことができなかった。だからこそ、彼女の程の名家の出ならば何という事のないはずの〝幻惑〟から生まれた〝熱〟を受け入れてしまうことになる。

 恋沙汰など経験したことのない令嬢であったソラウが初めて出会った、言いようのない心の高ぶりと昂揚。今までに経験したことのない新鮮で妖しい新鮮な感覚に、彼女はすっかり夢中になってしまっていた。

 これが、ケイネスがランサーに私怨を抱いてしまう原因でもある。

 ソラウ自身、それがまがい物であると分かっているのに、まるで麻薬にでもハマったかのようにその感覚を受け入れ、ランサーに恋心をいだいているかのようなそぶりを見せる。

 事実、今彼女の口から紡がれる言葉は全てランサーを擁護するものばかり……。

「……ランサーが健闘したことについては私も認めている。

 だが、ランサーが成果を上げられなかった事――セイバーを仕留めることができなかったのもまた、事実だ」

「あら。別にそれはランサーに限ったことではないんじゃなくて? 私も見ていたけれど、あの場において出揃ったサーヴァントは誰一人として、全て〝引き分け〟という結果に終わったように見えたけれど?

 寧ろ、あの時姿を出した七人目――出揃ったクラスから考えて、おそらくはキャスターが放った狙撃を避けられただけでも褒めるべき成果であるように思うのだけれど……?」

 ……これだ。

 ケイネスがこうしてランサーがセイバーに手傷を負わせることができなかったことを言えば、それは隠れ潜む七人目、おそらくはキャスターであろう相手の放った者のせいで双方ともに五分であり、寧ろ射貫かれなかっただけ褒めるものであるといい、

「それに、貴方が倒すことに固執していたセイバーにしても、令呪を一角切るくらいならバーサーカーに標的を変えた方が良かったと思うのだけれど? とりわけ、ディルムッドの持つ『破魔の赤薔薇(ゲイ・ジャルグ)』はバーサーカーに対して有効だったのは明らかだったのにね」

 バーサーカーを仕留めようとしていたことにしても、あの場においてセイバーを目の敵にするよりも、むしろ一時の協力に甘んじていた方がサーヴァントを討つという考えにおいては英断であったと述べた。

「……君はセイバーの脅威を知らない。

 私はマスターとしての透視力で、あのセイバーの能力を把握できた。総合力ではディルムッドを凌いで余りある! だからこそ、あの場で着実に倒せる好機を見過ごすわけにはいかなかった……ッ」

 ソラウの観察眼はケイネス自身認めているし、確かに彼女の言っていることは一理あるが、それとこれとはまた別である。

 それに、焦がれる女性とはいえども、こうも頭ごなしに罵られるようでは男としてのプライドに関わる。

 ケイネスは沸々と湧く憤りを噛み殺しつつも、断固としてそう言い放つ。

 しかし、そんな彼の確固たる言葉をソラウは冷ややかに鼻で嗤い、こういった。

「まったく貴方って人は……自分のサーヴァントの特性を、本当に理解しているのかしら?

 確かにあの場において、どのサーヴァントに対してもディルムッドは勝つことはできなかった。けれど、だからと言って貴方の見た驚異的な能力値だけが今後の戦況の全てを変えるとでもいうの?」

「……いや……」

「ディルムッドのサーヴァントとしての真価は、セイバーの様に真正面から突破するだけの猪突猛進さではないでしょう?

 何のための双槍だと思っているの? 治癒不能の呪いを残す『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』と魔力を絶つ『破魔の赤薔薇(ゲイ・ジャルグ)』……この二つの組み合わせでいうのなら、バーサーカーに有効だと分かった時点でそれを差し向け倒すべきだったのよ。

 脅威の度合いにしても、あの時点では正体不明のバーサーカーの方が上……。

 仮にセイバーを狙うにしても、共闘してバーサーカーを屠ってからでも遅くない。ある程度疲弊したところを狙って治癒不能の呪いを残していたのなら、仮に倒すまでに行かなくても上々の戦果を挙げられたのではなくて? わざわざ令呪を使って、わざわざサーヴァントにまで非難を浴びるような行いをしなくてもね」

 淡々と、しかし確実に、ソラウの言葉はケイネスを刺していく。

 言葉が重ねられるたびに、ケイネスはぶちぶちと堪忍袋が引き千切られていくのを感じていた。

「だが……!」

 苦し紛れの反論をしようとしても、ソラウはそれを見越してでもいるのか更に続ける。

「それに、もしセイバーを()()()危険視していたのなら……なんで貴方は、セイバーのマスターを捨て置いたの?」

「――っ、……それは」

「まさか、こんなところでフェミニストにでも目覚めたわけでもないでしょ?

 本当にあの時、貴女がセイバーを警戒していたのだとしたら……その時取るべき行動は一つだったはずよ」

 呆れられるようにそう告げられて、ケイネスはいよいよ屈辱から声も出せなくなってしまう。

 ……とはいえ、ソラウの言ったことはケイネスにとっても痛いところであった。

 確かに、本気でセイバーを脅威として認識し、その力に危惧を抱いていたのだとしたらならば……あの場でケイネスがとるべきだった行動は、マスターの排除だったのは必然だ。

「セイバーのマスターらしき、あのアインツベルンの女……あんな無防備に突っ立っていた相手を放置して、貴方はいったい何をしていたのかしら?

 …………全く、情けないったらありゃしない」

 そう問われ、今度こそ何も言えなくなった。

 奇策や奇襲の類は無粋であるし、出来る事ならばサーヴァントを倒してマスターをひれ伏させたいが、サーヴァントという存在はこの世の理を外れた高次の存在。だからこそ、ケイネスはマスターとの矛を交える場があるのであれば、尋常なる勝負をするつもりでいた。

 相手がどれだけ鼠のように蠢こうとも、その程度でケイネスはやられはしない。『水』と『風』の二重属性と共に扱う彼の魔術礼装は、生半可な相手ではそもそも敵にすらならないほどのものである。

 ただ、それは真っ向から相手にするだけの余裕があったのであればのこと。

 セイバーを倒すことに意固地になるほど脅威であると認識していたのだとしたら、マスターの方に何の攻撃も加えなかったのはおかしな話だ。

 それもそのはずである。

 実際のところケイネスはセイバーを倒したかったが、それは真に脅威であるというよりも、最初に見つけた相手であるからであり……バーサーカーがセイバーを攻撃し始めたのを見て、初戦の相手であり強力なサーヴァントであるセイバーを倒そうと思ったからに過ぎないのだ。

 だが、それをランサーがセイバーを助ける様に助勢したばかりか、先ほどまでの戦いを明らかに愉しんでいたために彼女との決着を先送りにしようとしたランサーが癪に障った。尚のこと渋るランサーに苛立ちを覚え、令呪を切るに至ったのがあの場の流れであることはほとんど疑いようもない。

 苛立ちに任せてランサーを責め立てる口実にしていたとは彼は認めないだろうが、自身の思い通りにならないといったことに対する脆さと、天才であり名家の貴族であるそのプライドが、ランサーへの私怨も相まって、こうしてソラウに詰られる様な状況に陥る羽目に彼を追い込んでいた。

 そんな恥辱に耐えるケイネスを見て、さすがのソラウも多少なり察したのか幾分口調をやわらげ、揶揄するような口ぶりでこういった。

「ねぇ、ケイネス。貴女は自分が他のマスターに比べてどんなアドバンテージを持っているのか、理解していないわけではないでしょう? 他でもない、貴方自身が工夫したことじゃない」

「それは――無論」

「あの〝マキリ〟の完成させたサーヴァントの契約システム……その本来の仕様に独自の要素を加えてのけた貴方は、確かに天才だわ。流石は、降霊科(ユリフィス)随一の神童と謳われただけのことはあるわね」

 賞賛の言葉などうんざりするほど浴びてきたケイネスだが、それも焦がれる女性からものであれば話は別である。男として、気を向けている女性から褒められて悪い気はしないのは当然だ。

 ソラウの語った評価は追従などではない。

 今回の聖杯戦争に臨んだケイネスの用意した秘策は〝アインツベルン〟、〝マキリ〟、〝遠坂〟の『始まりの御三家』の敷いたルールを根底から覆すほどの意味があった。

 彼の用意した秘策とは、サーヴァントとマスターの本来なら一つしか無いハズの〝因果線〟を二つに分割し、魔力供給パスと令呪の束縛によるパスを、それぞれソラウとケイネスの二人に当てはめるというもの。

 この荒技を、ケイネスは己の才能の閃きによって実現させた。

 供給源となる者と、使役する者。それらの役割を分担したケイネスとソラウ、この男女はまさに二人で一組のマスターである。

 ケイネスの才覚により実現したこの破格の条件だったが、しかし――。

「――ケイネス。貴女はそうやって自分の才覚でそろえた下準備を、何も戦術的に活かしていないじゃない。

 貴方は、魔術師としては一流でも……戦士としては二流よ」

「……いや、私は」

 言葉に詰まるケイネス。だが、最初に比べ幾分柔らかくなったとはいえ、ソラウの糾弾は未だ止まない。

「何のために、私たちの役割分担があると思うの?

 他のマスターが背負ってしかるべきサーヴァントという枷を、貴方と私に限っては取り外すことが出来る。貴方の――ロード・エルメロイの魔術師としての才覚をいかんなく発揮するために、これがあるの。

 何のために、私があなたの背負うべき魔力供給を肩代わりしていると思うの? 全ては、貴方をこの戦いで有利に立たせるため、より円滑に戦いを進めるため……そして何よりも、勝利させるため。

 なのに、貴方ときたら――」

 ソラウの非難に対し、ケイネスは怒りや憤りよりも寧ろ悔いばかりが募り、顔色を失うばかりだ。

「だ、だが、戦いはまだ序盤なんだ。緒戦の内は慎重に……」

 しどろもどろに、普段ならば絶対にしないであろう言い訳を重ねるケイネス。そんな彼の語った言葉を、ソラウは嗤いながらこう掬い取った。

「――なら、何故ディルムッドにばかり結果を急いて求めるのかしら?」

 その時の微笑は、美しくはあったが……お世辞にも優しさの欠片などない、見るもの全てを冷たく凍りつかせるようなものであった。

「っ……、――ぐ」

 ケイネスの腹の中で、その(わた)が煮えくり返る。

 自分のここまでが思い通りにいかないことに。

 ソラウが自分ではなくランサーを庇うことに。

 よろしくない。

 非常に、よろしくはない。

 貴族である彼にとって、こんな誹りを受けるという事だけでも度し難いというのに……ましてその詰りがたかだか〝使い魔〟如きに焦がれた妻となるべき女性からものだという。

 そんなものが面白い筈も無く、悋気の熱と共に沸き起こる感情は実に女々しいものであるが、端的に言ってケイネスの心中は嫉妬と滞りに染まり、この街に来てから巻き起こる自信を取り巻く全てのことに憎悪していた。

 その上、

「――そこまでにして頂きたい。ソラウ様」

 ……これだ。

 凛とした通る声は、聞くものが聞けばさぞ甘かろう色気の豊穣に身悶えするだろう。

 こうした要素もまた、美丈夫たる由縁の一つであるのか……声一つで、本来娶るべき男の声に謎耳も暮れない女を(かい)してしまう。主人への糾弾を制止するその姿勢は誉めるべきものなのだろうが、今のケイネスにとってそれは過ぎた屈辱であると同時に身を斬られる様な屈辱でもあった。

 黒く、鬱屈とした感情がケイネスの心内を更に染め上げていく。

「それより先は、我が主への侮辱だ。騎士として見過ごせません」

「いえ、そんなつもりじゃ……御免なさい。言い過ぎたわ」

 たった二言(ふたこと)三言(みこと)

 それだけで、先ほどまで女帝さながらであった冷淡な笑みを一瞬で氷解させたばかりか、謝罪の言葉まで引き出して見せる。

 ――たかが〝使い魔〟風情の諫言が、本来夫となる男の言葉では届かない鼓膜に届きうるほど重いものなのか?

 何もかもをないまぜにされる感覚に晒され、何もかもが自分の内から消えていく。さながらそれは、これまで決して自分を貶めず貶さなかったはずの母から唐突に見捨てられた捨て子の様な気分だ。

 あぁ……全く、巫山戯た話だ。

 忠義を謳いながら騎士道とやらをその主よりも重んじる使い魔。

 そんな役立たずの使い魔にまるで娼婦の様に焦がれる己の許嫁。

 そして、それ取り囲まれて一喜一憂し搔き乱されている己自身。

 異物に道を狭められ道を狭められていく(くだ)に閉じ込められたように、これ以上ない程押し込められた鼠の様になってしまっているこの状況に――今の彼は、どうしようもない程〝憂さ晴らし〟を欲していた。

 その願いは、ある一側面において聞き届けられることになる。

 

 ――じりりりりりりっっっ!!

 

 突如響いた警報の音。

 火災の発生を告げる電話が鳴り、どうしようもなく求めていた『獲物()』がのこのことやって来たことを告げる。

「……いったい何?」

 当惑するソラウに、たった今聞いたフロントからの連絡の内容を語ってやる。

「火災だそうだ。小火(ぼや)程度のものらしいが……まぁ、間違いなく放火だろうな」

 そう告げたケイネスの顔には、どことなく晴れたような微笑を浮かぶ。

「放火ですって……? よりにもよって、今夜?」

「今夜だからこそ、だろうね。偶然という事もあるまいさ」

 ケイネスは隠し切れない獰猛な獣の様な笑みを更にこぼしながら、ギラギラとした目を輝かせる。

「だとすれば――襲撃?」

 僅かに不安さを醸し出しながら、緊迫した表情でソラウが訊く。

 戦闘や戦術についての心得があるからと言って、彼女は箱入り娘。サーヴァントのような異常がひしめく戦場に唐突に放り込まれるというのは初めてだろう。

 だが、それとは裏腹にケイネスは喜色に満ちていた。

「ふふ……。敵とて魔術師……人払いの計らいだろうさ。普通ならば、とてもではないが有象無象のひしめく建物の中で勝負を決める気にもならんだろうからな。大方、暴れたりないであろう輩が攻めて来たといったところか」

 あぁ、全く……

「面白い。今宵の戦いに不本意だったのはこちらとて同じ……そうであろう、ランサー?」

「ええ、その通りです。我が主よ」

 男たちが猛る顔で視線を交わす。

「よし、ならば下の階へ行って侵入者を迎え討ってやれ。ただし、無下に追い払う事の無いようにな」

「御意に――!」

 ケイネスの言葉に、恭しく辞儀を示しランサーが消える。

 交わしたやり取りこそ短かったが……二人は早速、襲撃者との戦いに興じることに思考を切り替えた。

「……さて。では、早速お客人にケイネス・エルメロイの魔術工房を堪能してもらうとしようか」

 金にものを言わせて借り切ったホテルのフロアの全て、そこには〝ロード・エルメロイ〟としての嗜好を凝らし改装した――つまり、『時計塔』の誇る〝神童〟の全てが込められているといっても過言ではない。

 魔術師としての嗜みである工房への細工。凝らすべくして凝らした罠の数々。それだけのものを備えたこの場所へ攻め入るというのは、勇猛果敢な勇者故か、はたまたどうしようもない愚者か……まぁ往々にして、その選択はケイネスを目の前にしたものが凡俗であるのなら、必然的に後者を選ばざるを得なくなるのだが。

「他の宿泊客がいなくなれば、もはや何の遠慮も要らない。互いに秘術の限りを尽くした競い合いが出来よう……」

 抑えきれない笑いに気づくが、もはやそれを抑えようとも思わない。

 それに加えて、もし攻めてきたのがセイバーのマスターであったのなら……と、考えなくもないが、それはさすがに出来すぎかとも思い直す。

 最も、来てもらったからには骨の髄まで〝ロード・エルメロイ〟の恐ろしさを刻み込んで頂こう。

「私が戦士としては二流だという指摘、直ぐに撤回させてもらうよ? ソラウ」

 鬱屈とした彼が、求めていたのはまさしくこれだ。

 必要としていた行動を目の前にして、ケイネスは背負ってしまった屈辱感を帳消しにするためには行動と結果を伴わないといけない。その丁度いい体裁を手に入れ、彼の心中は踊り狂っていた。

 〝天才〟――〝神童〟と謳われたその才覚を遺憾なく発揮し、己を鼓舞することの出来る状況。

 まさしく水を得た魚を思わせるほど、今宵の彼は血に飢えていた。

 最早、ここまで募り積もった不満や怒り、それら全てを敵の血で以て鎮める。

 目の前に据えられた格好の晩餐、いや、生贄に対し血を求める。獣の様なケイネスの高ぶりを目にして、ソラウはふと柄にもなくこう思った。

 ……全く不幸なことだと、彼女は見知らぬ襲撃者に対しての同情を禁じえなかった。

 この男に目を付けられるなど、魔術師として殺し合うならば全く持って不幸――〝不運〟という他ないだろう。

 だからこそ、ソラウはこれまた柄にもなく、この時ばかりはケイネスに対し満面の笑みと共にこう告げた。

「――ええ。勿論、期待しているわよ? ロード・エルメロイ」

 焦がれる女性からの珍しい賛辞に、ケイネスの高ぶりは既に最高潮へ達していた。

 

 

 

 ――――だが、彼らはまだ知らなかった。

 

 

 

 本当の意味で〝不運〟なのは何方なのかという事と、彼らの育ってきた〝貴族〟として〝魔術師〟としての生に真っ向から叛逆するような人生(みち)を歩み続けてきた男がいたという事。

 そして、何よりも――――

 

 

 

 ――――この戦争(たたかい)に誰よりも願いを焦がれているにも拘わらず、誰よりもその奇跡を生み出すモノの在り方に嫌悪している〝魔術師殺し・衛宮切嗣〟という男の存在と、彼がその名を冠するに至った本当の意味を、彼らは自分たちの立つ床が崩壊を始めるまで、決して気づくことは無かった……。

 

 

 

 ***

 

 

 

 時は僅かに遡り、宿泊客の避難指示を出していたホテルの乗務員たちは未だ見つからない客人二人を、泡を食って探していた。

「――アーチボルト様! ケイネス・エルメロイ・アーチボルト様! いらっしゃいませんか!?」

 風変りではあるが、海外の貴族らしいその客人は、この冬木に置いて最も高級であるとされる『冬木ハイアットホテル』の最上階のスイートをフロアごと借り切った大口である。そんな大物を、失わせる不始末など負うわけにはいかない。

 それこそ血眼になって、総員で探し続けていたその時……フロント係が、一人の男に声を掛けられた。

「――はい。アーチボルトは私です、ご心配なく。避難しています」

 声を聞き、安堵と共に振り替えったフロント係の男は当惑してしまった。

 何故ならば、その声の主は――誰とも知れぬ黒髪黒目の、衣服に至るまで漆黒の装いに身を包んだ、ややくたびれた印象の東洋人だったのだから。

「……」

 質の悪い冗談か、はたまた影武者か。自分でも馬鹿々々しいと思うような考えがいくつか浮かぶが……奇妙なことに、フロント係はその男から目を離せなくなっていた。

 不思議と、得体のしれない吸引力のようなものが男から漂い、声すら出せなくなる。

「――ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは私です。妻のソラウ共々、避難しました」

 落ち着いた、明瞭な声で言い含める様にしてそう告げられ、霞が掛かった様な思考は目の前の男が確かに〝客人〟なのだと認識した。

「あ……はい。そうでしたか、ご無事で何より……」

 ぼんやりと、ただ漠然と手元にあった避難者リストの最後の空白に〝避難済み〟のチェックを入れた。

 ――これで、宿泊客全員の避難、および安否が確認されたことになる。

 ほっ、と、安堵のため息を吐いたフロント係は、早速他の避難客たちの対処へと向かうべく奔走を再開する。

 そうして走り出した彼の脳裏には、もう既に先ほどまで言葉を交わしていたはずの〝アーチボルト氏〟との会話の痕跡は影も形も無くなってしまい、彼自身もまた……その消失に何の疑問を抱く余地すら持ち合わせてなど、いなかった。

 そして、先程言葉を発していた黒ずくめの男もまた、その姿を人込みの海に沈め暗躍を再開した。

 黒ずくめの男は、ロングコートのポケットから携帯電話を取り出し、既に指に馴染んだボタンを数回プッシュする。

 コール音が数度し、すぐ相方の声が聞こえてきた。

「準備は完了だ。そちらはどうだ?」

『異常はありません。いつでもどうぞ』

「そうか……」

 そう呟き、一度通話を切る。

 便利なものだと、手のひらに収まる小さな無線端末を見た男は、再びいくつかの番号をプッシュしていく。

 携帯電話というのは非常に便利な道具だ。

 小型で持ち運びは容易であり、誰が持っていようと不自然でない程度には普及している。

 登録された架空の名義へと通話を飛ばすが、そこに出るのは何者でもない。

 飛ばしたその先は、一台のポケットベル。

 改造を施してあるポケベルの回路を走る着信を告げる電流は、曲げられた道を通じて繋げられたC4プラスチック爆弾へ送られる。当然、呼び出し音も振動もしはしないが、その分送られる電流はダイレクトに伝わる。

 だが、爆弾と言ってもその爆薬の量からして、さほど大きなものにはならないが……そんな小規模な爆発とはいえ、侮るのは早計である。

 知っているだろうか? ほんの数キロ程度の爆薬を用いて、一〇〇メートルを優に超える高層ビルを崩壊にまで至らせるばかりか、その周囲には瓦礫一つ散らさないように〝処理〟することのできる技術がある事を。

 ――――爆破解体(デモリッション)

 発破解体などともいわれるそれは、規則上の都合から日本ではあまり用いられることはないのだが……しかし、海外では非常に主流なビルの解体方法であり、費用や人材を抑えられることからもその利点を認められている。

 ……とはいえ、日本では先ほど言ったようにほとんどされることはない手法。

 だからこそ、その〝ビルの崩壊〟という結果だけを目にした乗客たちが思い描くことは、突然ビルが崩壊するというその光景のみ。

 ()()()()()()()()()()()()、ビルが崩れ去るなどという日常ではありえないものを見た群衆はどうなるのか――当然、パニックに陥ることになる。

 ざわめく人々の波。

 崩壊を続けるビルと、それに伴う轟音。

 日常から完全に逸脱したその光景に、誰も冷静でなどいられない。

 逃げ惑い、喚く人間まで出てくる始末だ。

 恐怖に彩られた動乱。ひしめき続ける音と光景が混乱を煽り続けている。

 そんな中、たった一人だけ……我関せずといった形で紫煙をふかしている男がいた。

 ……いや、彼は瓦礫から立ち上った白煙に汚れた母親と子供にかすかに目を向けてしまっていたが、それに気づいた彼は直ぐに振り払う。

「…………」

 声も発さず、ただ流れる人波を止めない程度に動きに合わせるだけで、その足取りには何の滞りもない。

 未だ倒壊しきらないビルを背に、僅かばかり人込みから離れた男は吸い終わった吸殻を足下へ放り捨て、先程自分が微かに覘かせてしまった〝甘さ〟をかき消すように、踏みつぶして火を消した。

 懐から煙草の紙箱を取り出し、一本取りだして火をつける。

 万に一つ、周囲に被害を出すような不備は働いていない。

 客が、ある一人を残して去るまで行動は起こさなかったのは当然として、その残り一人は決して避難はしない事は〝同じ立場〟に立つ者として必然的に分かっている。

 ――何せ向こうは、此方が直接ホテル内へ出向くことを何も疑っていないのだから。

 だからこそのブラフであったはずなのだが……。

 自分の中にあった、微かに残った別の感情。

 先程逃げようとした母娘(おやこ)に重ねてしまった、自身の妻子の姿。

 ……失態だった。

 〝そんなモノ〟を自分に残すことを、男は良しとしなかった。

 少しかぶりを振り、往来に散っていく人々を見ながら、倒壊を続けるビルの監視を命じた相方へ向け、男は再び電話を掛ける。

「何か動きはあったか?」

『いえ。たった今崩壊しきったその瞬間まで、何も』

 よし、とだけ男は呟いた。

(これで、一人脱落か)

 ぼんやりとそう思い浮かべ、特に感慨もない壊れた瓦礫の山を眺め、被害を出さずに状況を終えられたことだけを確認した男は即座にその場を離れようとする。

 男はまた一人、その二つ名の通り……一人の『魔術師』を闇に葬り去った。

 彼の名は衛宮切嗣。

 この街で今なお続く『第四次聖杯戦争』に参加しているマスターの一人であり、『魔術師』の世界にその悪名を轟かせた殺し屋――〝魔術師殺し〟である。

「……仕事は終わりだ。舞弥、城に戻り次第次の作戦を練る」

 状況終了であるとし、今夜の仕事は終わったと告げて次への行動を開始しようとする。

 だが、

『――――』

 電話の向こうからは、何も声は返ってこない。

 その代わり、電話口から慌ただしく動くかのような音が遠巻きに聞こえた。

「……舞弥?」

 訓練された戦士としての舞弥に、下手に動くなどという事が有る筈もない。

 ……何かが起きている。

 その確信をもって、切嗣は動き出す。

 向かうべき先は、舞弥を潜ませておいたホテルの正面にある建設中の高層ビル。ケイネスがホテルのフロアから逃げ出そうとした場合に狙撃を行う準備として、彼女をそこへと差し向けたのである。

 だが、人など来る余地もない深夜の建設中のビルで、何かがあった。

 急がなくてはならない。

 本来ならば、わざわざ出向く必要はなく、舞弥とて切嗣の助力を願っているかと言えばそれは否だ。

 しかし、まだ舞弥が死ぬには早い……戦争(たたかい)は、まだ始まったばかりなのだから。

 加えて、序盤に他陣営に自分の痕跡を残した相手を捕えさせるわけにはいかない。

 決して負けることのできない戦いであるからこそ、暗躍をする切嗣の存在を敵に知られるわけにはいかないのだ。本来ならば、この通話もすぐ切らなくてはならないのだが、まだ判断を下すためには決定的な情報が不足している。聞こえてくる音を決して聞き漏らさず、此方の声を向こうへとは漏らさないように注意しつつ、耳をそばだてる。

 何が起こっているのかは分からないが、何かが起こっているのだとしたら――自分は必ず、舞弥を救出へ行かなくてはならない。

 自身の持つ武装を確認しつつ足を速め目的のビルへ向かおうとする切嗣に、電話口からようやく声らしき声が聞こえてきた。

 だが、その声は――この戦いにおいて、絶対に聞きたくないモノであった。

 

『――――察しがいいな、女』

 

 平坦で、冷たく、何の感慨も感情もない声がそこからする。

 しかし、その声だけで切嗣がとる行動も指針も決まり切った。

 荒々しく通話を切ると、ポケットに携帯電話を押し込んで全力で走る。

 動じる必要もないはずだが、それでも気が荒くなる。決して、あの男にだけは絶対に関わりたくないのだと、本能が警告を鳴らす。

 ――早急に、舞弥を回収しなくてはならない。

 切嗣は逃走経路や離脱、その全ての方法を模索する。

 絶対に、元・〝代行者〟との交戦は避けなくてはならない。

 

 ――――得体のしれない敵という恐怖へ向けて、切嗣は夜の闇を疾走していった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 建設中のビルの暗がりの中で、一人の大男が華奢な女性を問い詰めていた。

 その周囲にはいくつもの弾痕が残り、微かに散った血の跡がつき、殺伐としていた。

「さて、そろそろ答えてもらおうか。……私の望む答えを」

 ――衛宮切嗣は、どこにいる?

 そう問われ、ここまで重ねてしまった自分の言葉のいくつかに歯噛みする。

 彼女が絶対に目前に迫る男と巡り合わせたくない人物――即ち衛宮切嗣は、先程口にした言葉の所為で自分という情報源から目の前の男へと繋がろうとしている。

 女性はこの状況を離脱するかを模索するが、まったくもってその策は浮かばない。

 じりじりとにじり寄る死の気配に、女性は歯ぎしりをした。

 だが彼女にとって自分の死などどうでもいいことだ。

 彼女にとって問題なのは、自分という道具を失うことで切嗣の勝率を下げてしまう事と、迫り来る黒いカソックに身を包んだ男――言峰綺礼へ切嗣の情報を流してしまうこと。

 だから、身に着けている品のいくつかが切嗣に繋がりかねないものであることから、安易に自害を選ぶことも出来ず、かといってずるずると闘いにもつれ込んでいけば、代行者をしていたという相手に自身が敵う道理もないという二重。

 わき腹からにじみ出る血糊を感じながら、黒髪の女性・久宇舞弥は顔に悔しさを浮かべた。

 加えて、先程から言峰綺礼は舞弥の力を試し、計るかのようになぶるだけで決定打に訴えようとはしない。

 彼女の持つ覚悟と、切嗣という男がどれだけ手駒を育てているのかを見定めている。

 端から、言峰綺礼の目に舞弥は映っていない。彼女を通して、彼は切嗣という男を推し量ろうとしているのだ。

 動けば動くほど、近づけたくない天敵二人の距離が縮まってしまう。

 何という矛盾だろうか。切嗣を守るべき状況で、かえって切嗣を追い詰める原因を生むなど、有ってはならないことだ。

 が、今の舞弥にこの状況を好転させる手立てなど、有りはしない。

 対して綺礼も、さして舞弥の存在に脅威も感慨も抱いてはいなかった。

 倉庫街で巻き起こった乱戦の(のち)……最もその場所が明らかであり、有り体に言って狩りやすい獲物を割り出してみたところ、ケイネス・エルメロイがそうではないかと当たりを付け、彼の泊まっているホテルを監視するのに長けている場所を探してここへと辿り着いたというだけのこと。

 しかし、案の定そこには先客がおり、また同時にケイネスの宿泊先である『冬木ハイアットホテル』は無残な有様へと変貌した。

 明らかに普通ではない手口、いかにも〝魔術師の裏をかく〟という行動に長けている何者かの仕業である。

 嘗て、魔を狩る代行者をしていた彼には良く解った。

 これは、戦う者の取りうる手段ではなく、あくまで狩る者の手段であると。

 ――だからこそ、目の前の女には捕らえるだけの価値がある。

 落胆していたはずの心中に、言い得ぬ昂揚を覚えた。

 自分の求めている〝答え〟を持った存在が、確かにこの戦いに影を残している。

 ……いる。

 奴は――衛宮切嗣は、確かに()()()()()

 獰猛な獣の様に、本能がそう告げてきた。

 生まれたときよりその心内は空白で、美しいものも何もそうとは感じられず、自分にとっての〝願い〟など存在しなかった言峰綺礼がようやく見つけた、己の同類。

 それが、衛宮切嗣。

 全く持って度し難い様な経歴を重ねてきた自身とどこか重なるその足跡と、此度の戦いに赴いて来た奴の行動に、綺礼はそこにこそ答えがあると感じた。

 だからこそ、舞弥の口が満足に動き、彼女が彼女として言葉を発せる内にその存在をわずかでも聞き入れたい。

 故に、綺礼は舞弥をじわりじわりと追い詰めていく。

(殺しては駄目だ。生かしたまま連れていく必要がある。さて、どう攻めるとするか……)

 こつり、こつり、と左右の壁もなく素通しのビルの床を踏みしめる音を聞きながら、舞弥は最も奴に情報を与えない終わり方を模索する。

 隠れるまでの交錯で分解されてしまった銃と、手持ちの装備を確かめながら、現状で取りうる手段を統べて算出した上で、彼女がその一歩目へ動き出そうとしたその時――。

 

 ――からんっ! という音共に、その周囲は白煙に包まれた。

 

 〝……煙幕!?〟

 くしくも双方の思考は一瞬重なり、次の瞬間全く別の行動へと転じた。

 煙に覆われたフロアを走り抜ける音へ向け、綺礼は手持の黒鍵を投げ打とうとしたのだが、これまで様々な条理外の存在と戦ってきた彼の〝代行者〟としての経験が、それに〝まった〟をかけた。

 そのまま警戒を強めるだけに動きを押しとどめ、綺礼は煙が晴れるのを待った。

 幸いにして、強風の吹き抜け続けているその場から煙が晴れるまでに数十秒も掛からなかったが、敵が姿をくらますには十分なまであったらしい。既にその場に己以外の人影はなく、一人取り残されたことを把握した彼は手に抱えていたままの黒鍵を収め、懐へしまう。

 元より深追いする気もない。

 追い詰めていた時点でならいざ知らず、一度離れた状況の相手に漠然と向かう程、彼は愚かではなかった。

 侮っていい相手ではないという事は、十二分に承知していたことである。

 寧ろあそこまで追い詰めていた時点で、何か知らの助け船を渡した者がいるというだけでも収穫だ。

 

 ――今宵はここまでだな。

 

 そう納得し、自身もその場から立ち去ろうとした綺礼の前に、彼のサーヴァントであるアサシンが姿を見せた。

「……市街地ではみだりに姿を見せるなと、そう伝えてあったはずだが?」

 辛辣な物言いであるが、既に自分たちは〝脱落〟した身である。

 綺礼のみならまだしも、アサシンまで姿をさらしてそれを補足されては拙いのだ。

 アサシンの方も、それ元より承知の様であるが、どうしても現界せざるを得ないわけがあるらしく、綺礼はそれ以上の追及は一旦置いておくとして、まずはアサシンの話を聞くことにする。

「は、申し訳次第もございません。ですが綺礼様、早急に御耳に入れなくてはならぬ儀がございまして――」

 

 ――――八人目のサーヴァントが、今しがた捕捉されました。

 

 突如告げられたその言葉に、綺礼の理解が追いつくまでの間、たっぷり十秒もの時間を要した。

 そしてその報告は、翌日の夜に迫り来ようとしている来訪者たちの存在を言外に指し示していたといえなくもないのだが……生憎、その言葉の先を読むことなど、例え彼ら『聖堂教会』の信仰する神であろうとも、果たして分かったかどうかは定かではないのだが。

 

 そしてその頃――一人の少年と、彼の言葉を受け入れた今日戦士とその主とが、この地において最も若い〝始まりの御三家〟の頭首が構える『城』へ向けて、着実にその歩みを進めて行く……。

 

 

 

 運命は、いよいよをもってその道を捻じ曲げ始めていた――――。

 

 

 

 

 

 

 *** 確かめるべき力、辿り行く己の軌跡

 

 

 

 それは、

 一人の男が街一番の高さを誇ったはずのビルを崩壊させる直前であり、

 一人の神父が暗殺者より新たな異常についての言伝を受け取るより少し前の事。

 

 ――――一人の少年が甲冑に身を包んだ騎士相手に剣を取り、真っ直ぐに向き合っていた。

 

 

 ***

 

 

 

 幾重にも閉ざされた森の中、その閉ざされた膜を重ねるように結界を張り、彼と湖の騎士とが向き合っていた。

「――それにしても、本当に不思議なものですね。こうして、結界の中に入り込んだ上で尚も気づかれないように結界を張るとは……」

「あぁ……小さな冬のお姫様に昔、教えてもらったんだ」

 紫髪の美丈夫の言葉に、琥珀色の瞳を持つ赤銅の髪をした少年はそう答えた。

 騎士の名はランスロット。

 彼の名高き上昇の王たるアーサー王の臣下にして、その配下である円卓の中でも最強を謳われた騎士である。

 対する幼き少年の名は衛宮士郎。

 ()()……この冬木の地が焼け落ちた日に救われ、そのことがきっかけで『正義の味方』を志して走り続けた少年である。

 破綻したようなその理想は――〝苦しむ誰かを救いたい〟という願いであり、例えその根底が偽物であっても、その想いだけは本物であると信じ、走り続けた。

 そして、その夢を支えてくれた少女たちの想いを受け、彼は一つの理想の一端へ至る。

 だが、その後この〝始まりの戦争〟に引き寄せられ、幼い自分自身の身体に取り込まれ手しまうという数奇な状況に晒されている。

 何故こうなったかは分からないが、目の前で苦しむ人間がいるのならば見て見ぬふりは出来ない。結局のところ、『正義の味方』を目指したその心は、如何様に破綻していようとも、どこか優しいものであった。

 そんな彼と共に初めに手を取り合った二人。

 今対峙しているランスロットと、その主であり二人の構えを真剣に見つめている間桐雁夜。

 そんな二人との出会いが、この時代においてどこか孤独だった士郎にとても大きな温かさをもたらした。

 手を取り合った彼らの目指すものは目下、一人の少女の救出とその先にある戦争の終結。

 それを果たすために、今士郎とランスロットは対峙しているのである。

「……まぁ、いくら直接教わったって言っても、元から俺は一点特化で大したものには出来ないから、早めに終わらせよう。

 そして明日の夜、遠坂邸へ出向く」

「えぇ、分かっていますとも。ただ、いかな小手調べとはいえ、本気でやらねば意味がないという事は、開始前に士郎殿の言われた通り……しかしこれでも、私は円卓では最も技巧に優れたと王にのたまわれた者。

 安心してください。決して、剣を行きすぎることは有りませぬ」

「光栄だ。セイバーの下に仕えた、あの円卓の一人と手合わせできるんだからな……でも、俺だってただ流されるだけで終わるつもりはないってことだけは、覚えといてくれ。

 これでも、俺はどっかの『錬鉄の英雄』と同じ、正義の味方としての英霊だったんだからな」

 笑みを交わし、二人は互いの剣を交えることにのみ意識を注ぐ。

 そして、場の空気が糸の様にしんと張り詰めたその刹那――。

 

『――――ハァ……ッ!』

 

 二人の剣が、激突した。

 

 

 

 ***

 

 

 

 鍔迫り合い、火花を散らす剣先。

 ギリギリとこすれ合う金擦れの音。

 そして、鋭くなるその眼光と共に、二人の身体は一気に離れた。

「その体躯で、良く()してくる……!」

「生憎と、俺の戦い方はあんたらみたいな真っ当なもんじゃない。俺に出来ることはたった一つだけ――」

 

 ――創造の理念を鑑定し、

 基本となる骨子を想定し、

 構成された材質を複製し、

 製作に及ぶ技術を模倣し、

 成長に至る経験に共感し、

 蓄積された年月を再現し、

 

 ――――そうして紡がれた幻想を結び、剣と成す。

 生み出され続ける無数の剣。

 ある一つの最果てに至った英雄の姿がそこに在った。

「それが、『衛宮士郎(おれたち)』という『錬鉄の英雄(そんざい)』だ……!」

「なるほど――貴方は、我らが王と同じように、誰しもが抱き続ける〝祈り(ユメ)〟を力とするのですか」

 ランスロットは、士郎の戦い方をそう称した。

「俺のは、あくまでも自分自身の心だけ……とてもじゃないが、セイバーには及ばない」

 そう。これは万民の抱く願いを形にした彼女の剣とは違う。

 もっと矮小で、もっと独善的なものだ。

 しかし、それでも彼の騎士はそれに敬意を払う。

「いえ、それでも。貴殿の抱くその夢は――決して紛い物の強さではない」

「……光栄だ!」

 賛辞を受け、再度ぶつかる剣と剣。

 生み出され続ける剣の雨を払い、つかみ取り、そして投げ返す。

 技量と物量。

 自らの手の内を確かめ続ける剣戟が展開されるが、ランスロットは士郎という新たな戦士の力に高揚を抱き、士郎は彼女に仕えたという最強の騎士との手合わせに心を躍らせる。

 また、自分が今出来る限界を段々と越えて行き、少しずつ慣れた『経験』を身に焼き付け続ける。

 でも、まだ――足りない。

 あの丘へ届くためには、まだこの身体には想いが足りていない。

 なれば、打て。己が〝体〟という鉄を、経験という名の槌で鍛え続けろ!

 士郎は身体を巡る魔力を、次々と形にする。

 名剣、

 宝剣、

 神剣、

 魔剣、

 聖剣、

 妖刀、

 鋭刃、

 鈍。

 己の世界からその全てを次々と引き出し続けていく。

 そうして、一度。

 もう一度。

 また一度。

 幾度となく続いていく限界の壁を無理やり叩き壊す。

 あの時、『エミヤ』に敗れたとき――自分の本当の敵が自分自身であることを知った。

 生み出す者。それ即ち、己との戦いの化身。

 闘う者でないからこそ、己の壁の身を敵とし、その上で外敵へと挑む事となる。

 出来ることがたった一つであるのならば、それのみを極め……己を越えることで先へ進む。

 それこそが、『衛宮士郎』の戦い方。

 たった一つ、鍛え続けた夢の行き先(さいはて)への足跡――!

「う――――ぉぉぉぉおおおおおおっ!!」

「ぬ……くっ!」

 迫る剣の数々と、彼自身による追撃。

 それは、ただ撃ち出すのみであった英雄王とはまた違う、歴戦の戦士の戦法。

 苦しむ誰かを救うために、愚直に磨き続けてきた、何かを守るための剣技だった。

 そして、

 ――――ドクッ……!

 それは、

「ぐ――、……っ!」

 彼らの心。

 荒れた荒野と空から成り、一人一人が歩んだ錬鉄の道に沿った世界へと到達する――。

 

 

 

 

 

 

「――――――体は剣で出来ている」

 

 

 

 

 

 

 その言葉は、明らかにそれまで続けてきたものとは異なるものだった。

 それを聞き、ランスロットは最好調に達した高揚に口角を上げたが、だが同時に剣を収めていた。

「……ここまでですね」

「?」

「貴方のその力は今ここで無駄撃ちするよりも、来るべき時にこそとっておいた方がいいでしょう。それに、それほどの力を使えば、流石に気づかれないという訳にもいかないでしょうから」

 その言葉は、確かに理にかなっていた。

 士郎の最果ては、魔術の秘奥中の秘奥。

 いかにその〝体〟が嘗ての小聖杯の寵愛を受けていようとも、これ以上『魔術』的な力の発現を続けたら気づかれるのは必然。

 士郎は滾る魔力を散らし、剣を消した。

 ランスロットの手からも剣は消失し、乱れた息を整えようとする二人の呼吸だけがその場に残る。

 二人が止まったのを数瞬遅れて認識した雁夜は、自分が息をするのも忘れてしまう程に二人の剣戟に見入っていたことを知った。止まっていた呼吸を補うように空気を吸い、静かに残る脱力感を感じた。

 短い間であったが、その攻防は理解の範疇に留まることのないほど凄まじいものだった。

「間近で見てると、本当にすごいな……」

 思わず呆けたような嘆息と共に雁夜は二人にそう言う。

 そして彼はその言葉を口にするとともに、自分がいったいどれだけ凄まじい戦いの場にいたのかという事を再認識することとなった。

 だが、その賞賛も士郎は照れ臭そうにするだけで、ランスロットが本気を出さないでくれたからだと頭を搔くだけに留まる。

「……でも、これでようやく自分にできることの範囲は分かりました。行動を起こすために支障は有りません」

「そっか……なら、早速明日にでも」

 雁夜がさっそくそう口にしたとき、郊外に有る筈のこの地にまで届くほど、高い狼煙が街の方から上がっていることに三人は気が付いた。

「なんだ……あれ?」

「分かりません。ただ、魔術やサーヴァントのそれではないようです。マスター」

「……何があったんだ?」

 訝しむ三人がその狼煙の原因を知るのは、初めにその戸を叩くことを決めた魔術師の『城』へと出向くその途中のことだったが――その狼煙の原因が『冬木ハイアットホテル』の爆破であることを知り、一人の少年がいやな予感を感じ頭痛を覚えたのは、また別の話である。

 

 その後、彼らはひとまずそのことを頭の外へ置き、彼の英雄王と暗殺者を内包したその『城』へと出向くこととなる。

 

 由緒正しき、魔術師が『城』――〝遠坂邸〟の門を、名家の落伍者と裏切りの騎士、そしてブリキの人形が叩くまで、あと僅か――。

 

 

 

 *** 行き付いた標、答えを持ちうるはずの者への道

 

 

 

 再び時は遡り、冬木の街に〝魔術師殺し〟の狼煙が立ち上ったその夜。

 教会の地価の一室、言峰綺礼へ当てがわれた部屋に置いて――おおよそ教会という場所に不釣り合いなほど傲岸不遜且つ、ぎらつく金髪と紅の瞳を光らせた男がソファに寝そべりながら、なんともくつろいだ様子でワインを口に含んでいた。

 その男の名は、ギルガメッシュ。

 人類最古の英雄王にして、原初の財と世の贅と悦楽の全てを貪ったという男である。

 だが、そんな有名な逸話を残している英雄の一人であるが、彼自身に教会を訪れるべき理由など無く、そもそも彼がこの世界に現出しているのはこの部屋の主である言峰綺礼の師である遠坂時臣が呼び出した英霊(サーヴァント)であるからに他ならない。

 だというのに、他人の部屋だろうがお構いなしにくつろいで見せる図々しさには注意をしようとする気さえ失せそうなほど自然体でやってのけている。その上、彼の醸し出す雰囲気がその部屋をまるで自分のものであると語らずとも示すかのように、威光や風格で満たしていくのだから始末に負えない。

 とはいえ、来るもの拒まずの協会というものに席を置く聖職者である綺礼自身、正直邪魔さえされなければ別段他人が部屋にいようがどうでもよかった。

 これが個人的な用事や休息時であれば多少怒りもしようが、今はそれどころではない。

 父である璃正と師である時臣にアサシンからの新たな情報を報告し終えた後、現在この街で起こってしまっている更なる〝異常事態〟の処理のための準備をしなければならないからである。

 だが、目の間のサーヴァントは有ろうことか自分に興味がわいたなどとぬかし、この部屋に未だ居座っていた。そのとき彼に指摘され、呈された言葉の響きに、綺礼は己の内側に眠る得体のしれない〝罪深い何か〟を感じてしまっている……。

(――私は、一体何に心をかき乱されている?)

 彼は無意識のうちに、先程ギルガメッシュと交わした言葉のいくつかを反芻していく――。

 

 

 

 居座った彼は綺礼の酒蔵を勝手に物色し、そこに有るいくつかを愉しみながら、ギルガメッシュは綺礼の師である時臣との契約についての退屈さを口にしていた。

 ギルガメッシュが言うには、自身を召喚し、現界を保つ魔力という供物を捧げ臣下の礼を取っている彼にはそれに応えるだけのことはしてやってもいいとの事だが――人の業を愛でるという言葉通り、彼は魔術師としては〝高潔〟である時臣の魔術師らしさが、逆に言えばそれしかないという事でもあり、つまらないと言ってのけた。

 だが、綺礼にとってみれば時臣の人格は立派であると思えるし、厳格で有名な彼の父との交友から見ても、少なくとも非難するべき人物であるようには思えない。実際、時臣を優勝させるために綺礼は今こうして聖杯戦争に参加しているのだから。

 教会に仕える者として、神に背くような業に流された願いなどを世界に向けられては困る。

 だからこそ、時臣のいかにも魔術師らしい『根源』への到達という願いならば、世界に何の変革も齎さない理性的な願望であるとし、それを助力するためにマスターに選ばれた綺礼は父と師の采配の下、こうして暗躍している。

 そもそもギルガメッシュがここへ来たのは、綺礼が彼と同様に〝退屈〟を持て余す者であるからだと認識したことや、本来魔術師たちと敵対するはずの聖堂教会に属している綺礼が時臣に助力することなどに興味を抱いたからだった。

 その顛末を簡潔に説明してやり、根源とは世界の外側へと向けられた願いであり、内側に変革を巻き起こすような浮世の冥利に染められては困る。そもそも、『聖杯』がそうした魔術師特有の願いである『根源』への到達のみに特化したものであるのなら、聖堂教会も容認・放任を貫いたであろう。

 が、『聖杯』は不幸なことに〝万能〟であった。

 故に先程の理由に移ったのである。信仰を脅かすような可能性のある変革をもたらすことのない、聖堂教会(こちら)側からすれば退屈でつまらなく無意味な事でしかない『根源』への渇望を求める〝遠坂〟が勝利する結末こそ、理想の形であるという事からこうして助力を行っているのだと綺礼はギルガメッシュに言った。

 だが、

「まったくもって退屈だ。〝万能〟を目前として、『根源』に至るために使うだと? つくづくつまらん企てもあったものだ」

 ギルガメッシュはそうした彼らの姿勢を鼻で嗤い、斬り捨てた。

 この男にかかれば、魔術師たちの生涯を賭けるに値する悲願すら〝つまらない〟の一言で切り捨てられてしまう願いらしい。

 綺礼は苦笑しつつも、その言葉は分からなくもないと思う。

 実際、綺礼たちの所属する聖堂教会はあくまでも信仰を脅かすモノ……則ち、余をかき乱す人の業を加速させる『聖杯』の現出を恐れているのである。それ故、教会側(かれら)信仰(にわ)を荒らすことの無い世界の〝外側〟への願望になどに欠片の興味もないのだ。

「……『根源』への到達は、いわば世界の外側への逸脱だ。それによって世界の〝内側〟に何かしらの影響があるわけでもない。内側(こちら)にしか視野を持たない自分達(われわれ)にとって、それを理解できるはずもない」

 ある意味、綺礼にとっては師を貶めるような言いぐさであったかもしれないが、素直にそう言ってのけた。

 ギルガメッシュもそれについては納得であったようで、彼にしては珍しくすんなりとそれを認めた。

「成る程な。確かに、(オレ)(オレ)の庭であるこの宇宙を愛でるだけで満たされている。

 (オレ)(オレ)の支配の及ばない領域になど興味もない。故に、世界の外側にあるとかいう『根源』とやらにも何の興味も湧かぬ」

 散々な言い草だが、先に『根源』をつまらないのだと肯定するようなことを言ったのは綺礼であったため、綺礼はそれ以上『根源』の価値について言及する様な言葉は控えることに決めた。

「最も、お前がどう思おうとも時臣師はマスターとしては理想的な人物だ。師の様な聡明な人物であれば、他の参加者のような世の冥利を求める様なことも無かろう」

「ほう、結構ではないか。どれも(オレ)が愛でるものばかりだぞ」

「……お前こそはまさしく俗物の頂点に立つ王だな」

 聖職者へ面と向かった上で人の業を愛でると言ってのけるこの王の神経はいったいどうなっているのかと思わなくもないが、そんな姿勢を示すならば綺礼がこれ以上非協力な言葉を呈するギルガメシュにかまう必要はない。

 先程の評価も別段相手の気に障った様子もないため、綺礼は机へと向かい、先程賜った仕事をこなそうとしたのだが……そんな綺礼へ向けて、ギルガメッシュは綺礼にとって最も疑問である問いを投げかけた。

「――さて綺礼。貴様はいったい聖杯に何を求める? まさか、時臣のような『根源』への到達などとは言うまいな」

「私の、望み……」

 この部屋にいきなり居座られていたことを除けば、始めて虚を突かれたような気分だった。

「私には……別段望むところなど、無い」

 その時の綺礼の言葉に、微かに迷いが孕んだことをギルガメッシュの赤い双眸は見逃さなかった。

「それはあるまい。『聖杯』はそれを手に取るだけに足る〝望み〟を抱いた者を招き寄せるのであろう?」

 そう、それはまさにその通りである。

「そのはずだ。

 ……が、私が選ばれた理由は私にも解らない。何故、賭けるだけの望みも、果たすべき大望もない私が選ばれたのか、など」

 そんな綺礼にとって、ここまでの生涯における解明不可能な命題を、ギルガメッシュはからかうように一喝する。

「それが迷う程の難題か?」

 茶化す様に失笑し、ギルガメッシュはさも当然の様にこういった。

「理想もなく、悲願もない。ならば愉悦を望めばいいだけではないか」

「馬鹿な!」

 思わず声を荒げてしまったのは、綺礼にとって無意識の事だった。

「神に仕えるこの私に、よりにもよって愉悦など――そんな罪深い堕落に手を染めろというのか?」

「罪深い? 堕落だと?」

 これはしたりと、ギルガメッシュは口角を上げながら底意地の悪い笑みのままにこういった。

「これはまた飛躍だな、綺礼。何故、罪と愉悦が結びつく?」

「……それは」

「なるほど、確かに悪行によって得た愉悦は罪かもしれぬ。だが、人は善行によっても喜びを得る。ならば、悦そのものが罪に結びつくなどと断じるとは、どういう理屈だ?」

 今度こそ、二の句を告げなかった。

「…………」

 言葉を返せないことに、自身の内が否応なしに見えてくるようだ。

 何の形もない、色もない、空っぽのその空洞に何か得体のしれないものが覗くようなその感覚に、綺礼は漠然とした()()()()()を抱く。

「――愉悦もまた、私の内にはない。求めてはいるが、見つからない」

 漸くの事でそう返したが、そこには何の自信もない。返答を取り繕うための空虚な響きしか存在していなかった。

 そんな綺礼を、推し量るようにしてじっくりと見つめた英雄王・ギルガメッシュは、短くこう口にする。

「言峰綺礼――俄然、貴様に興味がわいたぞ」

「……どういう意味だ?」

「言葉通りだが……まぁ、それに関しては気にすることはない」

 ギルガメッシュは手にしたグラスに酒を注ぎ、それをまた煽り言葉を続ける。

「良いか綺礼。愉悦というものは、言うなれば魂の(かたち)だ。〝有る〟か〝無い〟かではなく、それを〝識る〟か〝識れない〟かを問うべきものだ。

 綺礼、お前はまだ己の魂の在り方が見えていない。愉悦を持ち合わせんなどとぬかすのは、要するにそういう事だ」

「……サーヴァント風情が、この私の説法でもするというのか?」

「粋がるなよ、雑種風情が。この世の悦楽の全てを貪った王の言葉だぞ? まぁ黙って聞いておけ……」

 言葉の割りに、さして怒るでもなくまるで聞き分けの無い子供にでも言い聞かせるようにギルガメッシュは語り続ける。

「ともかく綺礼。お前は、まず娯楽というものを知るべきだ」

「娯楽――だと?」

「内側に目を向けてばかりでは仕方があるまい。まずは外に目を向けろ……そうだな、手始めにこの(オレ)の娯楽に付き合う事から始めてはどうだ?」

「生憎だが、今の私にはお前の遊興に付き合っている時間はない」

「まぁそういうな。時臣に与えられた役務の片手間にできることだ――そもそも綺礼。お前は、五人のマスターに間諜を放つのが役目であろう?」

「……あぁ。そうだが」

「ならば、その五人の意図や戦略だけでなく、その動機についても調べ上げるのだ。そして(オレ)に語り聞かせろ。造作もない事であろう?」

 確かに、その程度であれば綺礼に与えられた役目の範疇から逸脱することはない。

 マスターたちの素性についても、監視に着けているアサシンたちに奴らが周りの人間と交わす会話についても聞き入れておくように命じておけば自ずと分かるようになるだろう。

 だが、

「そもそも、お前は何故そんなことを知りたがる?」

「知れたことよ。先ほども言ったであろう? (オレ)は、ヒトの業を愛でると。

 この世の情理を捻じ曲げてでも、己が悲願を果たそうと奇跡に縋る度し難い願望の持ち主が雁首揃えているのだ。きっと中には一人や二人、面白みのあるやつが混じっていようさ。少なくとも、時臣よりかは幾分ましであろうよ」

 ここまで聞いても、別にギルガメシュの願いを聞き届ける必要も、ギルガメッシュの言い分に従う謂れなども綺礼にはない。

 そもそも、自分の求めているだろう解答に最も近いはずの衛宮切嗣以外にさしたる興味もないのだ。こんなことにわざわざ時間をかける意味など、まったくと言っていい程存在しないのだが、

「……いいだろう」

 それでも、綺礼はギルガメッシュの提案を飲んだ。

 時臣が手を焼くこのサーヴァントにいくらかでも影響を及ぼせるだけの一手を確保しておくにも丁度いいと思った。

「だが、それなりに時間はかかるぞ」

「かまわん。気長に待つとしよう」

 そう答えたギルガメッシュは更に瓶の中身をグラスに注ぎきり、一気に煽って飲み干す。

 すると瓶とグラスをソファの前にある卓の上に置くと立ち上がり、霊体化して立ち去ろうとした。

「まぁ、今後も酒の面倒も見に来るぞ。天上の美酒という程でもないが、僧侶の蔵で腐らせるには惜しいものが揃っているからな」

 全く持って最後まで勝手な奴だと思ったが、別に綺礼はそこまで集めた酒に執着があるわけではなかったので、それについては何も言わなかった。

 長く続いていたかのように思えたこの問答も、そろそろ終いらしい。後は、ただ消えていく目の前のサーヴァントが消えていくのを見るだけだ。綺礼はどことなく安堵にも似た思いを感じつつ、ギルガメッシュが消えていくのを見送った。

「あぁ、それともう一つあったな」

 だが、ギルガメッシュは最後にもう一つ付け加えることがあるといった。

「得体のしれぬ八人目のサーヴァントとやらについても調べておけ。いつの世に置いても、条理を捻じ曲げるだけの物事を起こすような輩は、総じて何かしら業が深い……これもまた一興であろうからな」

 ニタリ、と、笑いだけを残しギルガメッシュは消え去った。

 綺礼は、言われるまでもないことだという思いと共に……優雅独尊のようでいて、妙に耳聡いサーヴァントだなと変な感心を抱きながら、己の役目である諜報へと戻っていった。例外ばかりがひしめくようなこの戦争(たたかい)に身を投じた、様々な業を背負う者達を知るためにも。

 ……が、その〝付け加え〟である最も顕著な〝異常(イレギュラー)〟が思った以上に早く目の前に現れるなど、その付け加えをした当人である英雄王にすら、予想がつかなかったということを知る事となるのは、すぐ翌日の事であった。

 

 

 

 そしてついに……原初の王にすら挑む覚悟を決めた少年が、その王の控える門を叩く時が来る――――。

 

 

 

 *** 叩かれた門、ただ願われた少女の運命への焦燥

 

 

 

 冬木の一角にある洋館。

 少年の知る限りでは、嘗てそこに住んでいた一人の少女と、彼女の呼び出した赤い外套を纏った男がいたことを思い出せる。

 だが、今の時代に置いて彼女はここにはおらず、そこに住むのは彼の知らぬ先代頭首とそのサーヴァント。

 また、非常に不本意ではあるのだが――そのサーヴァントと少年は、並みならぬ因縁がある。

 しかし、ここを戦い抜くことができなければ、一人の少女を救うための手立てが一つ失われることになる。

 だからこそ、ここで引くわけにはいかない。

 こうして馬鹿正直に門を叩くというのは、愚者としての選択だっただろうか。

 はたまた、まわりまわった英断であっただろうか。

 その答えは、この先にある結果こそが証明する。

 恐れず、その門の前に立った三人はそこをくぐるべく進む。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――――時臣、桜ちゃんのことで話がある。少しでいい、話を聞いてくれないか?

 

 

 

 予想外。

 それは、全く持っての予想外であった。

 馬鹿正直に魔術師の穴倉ともいえる工房へ足を踏み入れるなど、とてもではないが在り得ないことだ。

 しかも、その相手がこの戦争でも格の劣る落伍者であるのならば尚更である。

 質の悪い冗談であると言われた方がまだ納得もできようというものだ。

 だがどうだろう。事実、冗談であることなど微塵も感じさせもしない面持ちで、その男は現れた。

 いつものどこか自身の無い、少し線の細いイメージのあった青年はそこにはおらず、全身に残る遺痕から何かしらの魔術による傷跡の名残を晒しながら、彼はサーヴァントと幼い少年を引き連れてやって来た。

 ただでさえ御し難いサーヴァントの所為で頭痛がしていたのに、これではその種を増やすばかりだ。

 ……とはいえ、その持ち掛けられた最初の言葉が彼自身もまだ心残りである我が子の事であったのもまた、彼がそれをただ漠然と斬り捨てることができなかった一因でもあるが。

「……君は、聖杯戦争に参加しているのだろう? ならば、敵陣である此方にこうして出向いてきた意図は――」

「聖杯を欲しがっているのは、俺じゃなくて爺ぃの方だ。俺が話をしたかったのは、お前に桜ちゃんが間桐でどう扱われているかという事だけだ」

「…………」

 話が見えないが、門前を映す水晶と門前から聞こえてきた大きくはないが確かな声に、時臣はますます怪訝な印象を抱かざるを得ない。

「ひとまず話を聞いてくれるのなら、此方としては幸いなんだが……それが駄目となれば、此方も攻め入ってでも聞いてもらわなければならない。

 それくらい事は急を要するんだ」

 切実な声だ。

 だが、魔術師にとって敵とは疑うもの。その原則をたがえるつもりはない。

「……どうしてもというのなら、御頭首の書状なりを用意した正式な場でなら話を聞こう。こうして押しかけられて門を開くほどには、今の君と私は友好的であるとはいえない」

「なら、俺たちも腹を決めるしかない」

「――正気か? 君ごときにこの遠坂の『城』を攻略できるとでも?」

「いちいち癇に障る言い回しだな……でも、まぁそうだな。確かに俺程度じゃ、きっとお前の工房は突破できない」

「ならば、おとなしく帰りたまえ。私とて、人として葵の幼馴染である君をただ殺すのは忍びない。そうすれば、いずれ訪れる決戦の場か、正式な通達の下で言葉を交わすこともあるだろうからね」

「あぁ、そうか……だけど、後悔するなよ? お前は今日ここで戦いを受けなかったら、少なくとも戦いの場に置いてサシで俺には勝てない」

「血迷ったか? 君に私が劣るとでも――」

「言葉が足りなかったな。俺が言ったのは、俺たちの優劣じゃない。そもそも、この戦争での戦いに置いてマスターが姿を晒すなんてのは馬鹿らしい。お前だって、だからこそ穴倉を張ってるんだろう? ――だからこそ、俺とお前の優劣なんてどうでもいいんだ。俺の言ってるのは、お前のアーチャーじゃ絶対に俺の相棒であるバーサーカーには勝てないってことだけだ」

 雁夜の言っていることは、確かに間違いではない。先日の戦いを見ても、彼のバーサーカーは英雄王にとって天敵に等しい能力を持っていたのは事実だ。しかし、だからと言って英雄王が負けることなどないだろうことはマスターである時臣が一番分かっている。

 だが、

「――ほう? 狂犬を従えた程度でこの(オレ)に勝てるなどと世迷言を抜かすとは、なかなかの道化ではないか」

 こういわれて理性ある沈黙を保てない人物であるという事も、よくよく理解していた。

 

「狂犬を仕留めた後、その生意気な口を一体どこまで開いていられるか試してやろうではないか」

 

 先日ほどではないが、明らかに怒りを買ったことをうかがわせる笑みを浮かべた黄金の英雄がそこにいた。

 

 

 

 *** 幕を開けた闘い、本物対贋作

 

 

 

 どうやらまどろんでいた時間らしく、先日より軽装な黄金の英霊を見ながら、雁夜は心中穏やかではなかった。

 最も、それは恐れや恐怖ではなく――

 

(…………ホントにあれだけの挑発で穴倉から出てきたのか……ッ!!!???)

 

 ――単純に、ささやかな挑発をしただけにも関わらず本当に、それこそ気前よくと言っていいほどにあっさりと、庭先へと出向いて来てくれた英雄王の短気さに驚いていただけだったのだが。

 実はここに来る前、雁夜は士郎に一つ聞いていたことがある。

 それは、このメンバーの中で一番自然にと時臣と話ができるのは雁夜のみなので、下手に追い返されないように体面を保ちつつ、軽く英雄王を挑発してくれというもの。

 そうしたら、絶対に出てくるだろうという事を言われ……半信半疑ではあったが、追い返されない程度に言葉を続けていたら、本当に目の前に出て来て驚いていた。……しかも、何故か部屋着の様に薄着だったので尚更に。

 因みに、それを吹き込んだ当の本人である士郎の方はというと、(あー、やっぱりか)ともはや決定事項であったかのように冷静に目の前の堪え性の無い自己中心的な慢心だらけの英雄王を見ていた。

 少なくとも、彼は認めた相手以外には徹底的に手抜きをした上での物量で勝とうとする。

 実際、嘗ての士郎が辿った記憶にある英雄王・ギルガメッシュの姿はというと――セイバーを生かして捕えるためにいつでも殺せる士郎を放っておき、目の前でマスターからセイバーを奪おうと手抜きをした乖離剣でセイバーをいたぶった後に士郎の投影した『鞘』の力で乖離剣を阻まれて撤退を余儀なくされていた。また違うときには、士郎の発動させた固有結界をみすぼらしい心象であると言って無限の剣とはいえ贋作、その程度が本物の重みに適うはずもないと手札を出し惜しんだ挙句敗北。終いには、桜を侵食しつつあった中身を刺激した挙句それに飲まれて退場するというなんともお粗末な結果を迎えていたりする。

 なので、本気にさせたまま挑むのでなければ、相性で勝る場合は勝利する道は確かに存在しているのだ。

 おまけに、この前ランスロットに散々宝具をとっかえひっかえされた挙句、ダメージすら与えられないまま令呪で撤退を余儀なくされてしまったという記憶が彼の脳裏にはありありと残っている。

 真の英雄の身とまみえるといったが、訪ねてきた目的が戦いではなかったことや、そもそもこちらも本格的に仕掛けるのは次の機会であると暗に言っているのと変わりない。ならばこそ、ここでその屈辱を払拭しようとするであろうことは目に見えている……。

 つまり、ここで出てこないなんて英雄王らしくはなく、また同時に英雄王本人のプライドがそれを許さないだろう。そして彼は元来――それが、仮にもこの聖杯戦争におけるマスターであろうとも――人の話など聞く質ではない。

 そこから導き出される答えとは、一つ。

 

 端的に言って――この戦いを、ギルガメシュはどこまでも余裕を保ち続けたまま勝ちたいはずだ。

 

 ならば、後は全力を出し惜しみさえしなければ、此方は英雄王に対する天敵×天敵の二重の壁。

 一気に畳み掛け、交渉のテーブルへと引きずり込む。

「もう俺には、後は信じる事しかできない……だから、頼んだよ。二人とも」

「ここまで持ってきてもらえただけでもありがたいです。ここから先は、俺たちが引き受けます……!」

「その通りです。このランスロット――騎士の誇りに賭け、我が主の作り出した好機を無駄には致しませぬ」

 二人の強い決意を受け、後ろへ下がる雁夜。

 そして変わるようにそれを引き継ぎ前に出る二人の戦士。その姿に、英雄王は微かに怒りを忘れたかのように興を乗らせた。

「ん……? 小僧。貴様も前へ出るというのか?」

「あぁ……俺も、守りたいものの為になりふり構ってられないからな」

「ふん。その心意気はまぁよし――だが貴様、一体何だ?」

「別に、特別なもんじゃない。借り物の理想を信じ続けて……ただ見果てぬ夢を見続けた、馬鹿なガキの成れの果てってところさ――」

 手をかざして……己を表す、慣れ親しんだたった一つの言葉を口にする。

 

「――――投影(トレース)開始(オン)

 

 そして、そのたった一つの全てによって、その場の流れが一気に変わっていく。

 それはまるで、何かを願う夢追い人の背中を押し続ける女神の追い風(エール)が始まったかの様であった。

「その剣は……贋作か? その成りで既に己が無いとはな」

 ギルガメシュは僅かに眉を顰め、少々つまらなそうに士郎を見た。

 本物を至上とする王にとって、紛い物造り出すだけの作り手は大層不快な存在なのだろう。

 しかし、士郎はそんな視線程度には臆さない。

「己が無いわけじゃない……これが、これこそが『俺』なんだ。

 〝偽物〟だったそれを全て、ずっと最後まで信じ続けた結果として存在するのが、俺なんだよ」

 ハッキリと、前は直ぐに答えられなかったそれを真っ向から宣言する。

 彼女達に支えてもらったこの心、それを否定させはしないのだと、ます直ぐに目の前にそびえる英雄王を見据える。

 それがどうやら英雄王の興に多少引っかかったらしく、

「ただの偽物かと思ったが、なかなかどうして……その奥に秘めたる度し難い程の大望の影。――興じさせるではないか」

 なんとも珍しく、先んじてその在り方に興味を示したかのような反応を示した。

「あぁ、光栄だ。なら認めてくれたらそのついでに食事でも作らせてもらうよ。英雄王」

「おぉ、我が面貌を見知るか。良い。その点は評価してやろう。その上で供物を忘れぬか……だが覚悟はしておけよ小僧。俺の舌を満足させる美味に至らなければ、即消し飛ばすぞ?」

 軽く流すようなやり取りを交わすが、視線は力を失うことはない。

「そりゃどうも……精々肝に銘じておくよ。でも、その前に俺はやらなきゃならないことがあるんだ。あんたマスターに話をしなくちゃならないからな」

(オレ)を差し置いて、時臣を所望すると? 生意気な奴だな」

「我らはある一人の少女を救わねばならぬ故……剣を取らせていただきます」

「ほほう……単なる狂犬かと思えば、こちらも何やらひと悶着あったようだな。

 そこな雑種どもよ。その条理を外れた破天荒ぶり、この俺にどこまで示せるか見定めてやる。光栄に思え」

 ゆらり、と陽炎の様に波紋が空中に広がっていく。

 ここからは、ただ闘いだ。思ったよりも好印象を貰えたことに対し士郎はそこはかとない不安を感じていたが、そう言えばギルガメッシュは割と前から子供や変に大望を抱いた様な欲深な人間を気に入っていたような傾向があることを思い出す。

(……もし、遠坂がこの戦いのときにここに居たら、ギルガメッシュと仲良かったんだろうな)

 ふと、自身の師匠であり強烈な輝きを示していた〝あかいあくま〟な少女を思い出す。彼女ほどの煌きを放つ者ならば、きっと原初の王とも真っ向から渡り合う事だろう。

 が、自身は彼女ではないし……あくまでも、ここで示すのは己の力だけだ。

 気を抜くな。一瞬でも気を抜いたら、そこで終わるほどに相手は強い。

 飛ばしていけ、最後の一滴まで。

「ほんの少しだけ、時間稼ぎを頼む。ランスロット」

 投影した剣をランスロットに放り、〝詠唱時間〟を確保できるように頼む。

「承知――!」

 手にした剣と共に、英雄王へと向かっていく湖の騎士。

「まずはお前からか。だが、俺は何かをしようとするものをただ待つほど気長ではないぞ?」

 嗤いながら、原初の財を集めた蔵から次々と惜しみなく武器を雨のごとくはなっていく。ランスロットも、さすがにその中をただ馬鹿正直に突破するという訳にも行かず、士郎の投影した剣でいくつかを叩き落したのち、砕け散った剣の代わりをつかみ取ってはその雨を弾き飛ばし進んでいく。

 そして、それは士郎とて同じ。

「嫌という程分かってるよ。そんな事は……ッ!」

 言葉と共に、鮮やかな花弁の盾が咲いた。

「――――I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている) ……〝熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)〟!」

 嘗て、トロイア戦争で用いられたというアイアスの盾。

 その強度は絶対であるとさえ言われ、聖杯戦争においては彼のケルトの大英雄の必中必殺の投擲すら防いで見せた。

 だが、今咲いているのはまだ不完全な四枚。

 身体がいくら使い方を知ったとはいえ、まだまだその中身は足りていない。だからこそ、その魔力こそ循環するが、その心内から引き出しきれない。その経験に、身体はまだまだ追いつき切ってはいないのだ。

 しかし、それでもかまわない。

 今この場を抜け、大切な人たちを護る一歩となりえるのなら……不完全であろうとも何であろうとも構いはしない。

 無様でも何でもいい。

 ただ、今この力で誰かを救えるために動けるのであれば、それで。

 痛みになど慣れている。

 だが、これは戒めの痛みではなく、自分を解き放つモノ。

 壊れかけの歪な硝子のような罅割れた心を、自分自身を許すことの出来るようになったその心を、形に。

 

 

 そうして、今すぐに……自分の世界(それ)をここへと手繰り寄せる――――!

 

 

 

 

 

 

 *** 幕間 少年の抱く、剣の世界

 

 

 

 そう、それは一つの祈りだった。

 誰かを救いたくて、足掻いて、足掻いて、足掻き続けて。それを支えてもらった一人の少年の抱いた祈りと願い。

 

 ―――I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)

 

 炎に焼かれ、伽藍洞になった心。

 何もかもを失くしたときに手に入れた、引き継いだ理想。

 歪な生き方を決め、己という剣を鍛え続けるというという偽りの贖罪をする。

 

 ―――Steel is my body(血潮は鉄で),

    and fire is my blood.(心は硝子)

 

 滾る思いとは裏腹に、その心はボロボロで。

 歪な形に傷ついたまま、砕けることがない事だけを誇りにした。

 だが、そこにはまだ自分を認められるだけの何もなくて……本当の心をひた隠しにした。

 

 ―――I have created over a thousand blades.(幾度の戦場を越えて不敗)

 

 決して諦める事だけはせず、その歩みを止めることはなかった。

 

 ――― Unaware of loss.(たった一度の敗走もなく)

 

 けれど、それは生易しい道のりではなく。

 

 ―――Nor aware of end.(ただの一度も勝利はない)

 

 何かを与えることも、また与えられることもなかった。

 

 ―――Withstood pain to create weapons,(担い手はここに夢を残し)

 

 生きるというだけのことが苦しくて、何も出来なくて。贖罪の様に重ねてきた偽善は、本当はただ自分が救われたいものであると、気づいていたから。

 そんな自分が、許せない。

 捻じれるような心の螺旋に、ただ自分を傷つけるだけ。

 馬鹿げた理想と、借り物の心。

 だけど、こんな夢を認めて、支えてくれた人たちがいて……

 

 ――― go toward for one's destination.(果てへと歩み理想を目指す)

 

 ……たった一人だったその心には、いつも誰かがくれた温かさが宿っていた。

 

 ―――I have no regrets, and never end.(故にこの身は空白を超え)

 

 こうして知った大切な人たちと、託されていった想い。

 空っぽで、傷だらけだった心は、何時しか癒され……大切なものに満ち満ちていた。

 

 My all life was(打ち続けた体は)――――

 

 そうして歩み続けた道の先に、確かな答えがあった。

 

 始まりの月夜に交わした誓い(呪い)と、託された理想。

 黄金の丘で告げられた清廉な愛と、最果てへの道標。

 心を癒してくれた深い愛と、進むために再び立つ命。

 帰るべき日常の象徴としての、穏やかで温かい慈愛。

 愛し守るべき家族という繋がりと、無垢な無償の愛。

 

 荒れ果てた心が、たくさんの想いに潤されていき、想いが心の形として紡ぎ結ばれ――その世界はついに完成した。

 

 

 

 ――――“UNLIMTED BLADE WORKS”.(果て無き剣で出来ていた――!!)

 

 

 

 

 

 

 その時、世界は一変する。

 

 

 

 

 

 

 *** 幕引き、今宵の決着は――

 

 

 

 まず目につくのは、無限に連なる数多の剣が地面に突き刺さっている光景。

 一面の緑を残し広がる荒野と、雲の隙間から顔を覗かせる広がった青空。

 残った歯車はかみ合いを確かに取り戻し、刻々とその歯を刻み合う。

「な――!?」

「これが……士郎君の」

「心の風景……」

「ほう……固有結界か」

 呟かれる声を聞きつつも、少年はただその場に佇む。

 目をつぶり、その世界にある剣たちを想う。

 その世界にはすべてがあり、そしておそらくは何もない。

 彼の抱いた強い願いが、傷ついた伽藍洞の荒野となった心を形とした。

 そしてその傷を癒してくれた少女たちという緑に彩られ、吹き荒む風は清涼さをまし、青空を覗かせた。

 この世界は、彼一人だけの世界だったのと同時に、彼と共にある人々の想いを受けて完成した世界でもある。

 人の振りをしようとした機械のような少年が、その空白を埋めてくれた人々の想いを背負った世界。

 それこそが、彼の持ちうる唯一にして無限の剣――――故にその名を『無限の剣製(アンリミテッドブレイドワークス)』。

 個にして全、全にして個の世界が……今再び原初の王へと牙をむく。

 

「……この世界は、俺が持ちうる唯一のもの。

 だけど、その唯一を支えてくれた人たちがいた。だからここは俺だけの想いだけではこうはならない。枯れた荒野を潤してくれた大切な人たちの心があるこの世界には、誰が相手だろうが絶対に折れることはない。

 行くぞ、英雄王――――武器の貯蔵は十分か?」

 

「面白い――興が乗った。かかこってこい、小僧」

 

 飛び掛かっていく剣。

 撃ち放たれる剣。

 切りかかる剣。

 その戦いの様は、果て無き武器のぶつかり合い。

 無限の剣の世界と、この世の全てを収めた蔵。

 先に膝を折るのは果たしてどちらなのか、それは見ているだけの者には分からなかった。

「そらそら! 小僧。その程度の速度で我が財を追い切れると思ってるのか?」

「ぐっ……な、めるなぁぁぁああああああっ!」

 剣たちを次々と撃ち出し、地面にある剣たちを引き連れ、自身と英雄王の剣の雨を駆け抜けていく。

「吠えるだけでは何も変わらんぞ。さあ、もっとこの(オレ)を愉しませろ!」

 原初の財を放ち、幼な子を蹂躙しようとする。

「うおおおおおおぉぉぉっっっ!!」

 だが、それを叩き落す。

 手を止めず、歩みを止めず、そこへ向けて駆けていく。

「ふん。なかなか猛るはないか……その業、なかなかに気に入ったぞ」

「英雄王、私のことも忘れないでもらおうか……!」

 かの騎士もまた、原初の王へと迫る。

「ふ、忘れるまでもない。すぐに塵に還してやるから待っていろ」

 乱戦にもつれ込むが、いかんせん士郎とランスロットの進行は止まらない。だが、決定打に欠けていることは否めない。

 身体がついていき切れていない士郎は、世界の維持と降り注ぐ剣を解析・投影・迎撃のシークエンスと自らも剣を振るうという状況にギリギリの状態。

 おまけに体躯も足りず、軽い体はまさに飛んでしまいそうだ。

 対してランスロットも、彼の本来の宝具である切り札『無毀なる湖光(アロンダイト)』は『騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)』と『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』を封印せねば使えないという欠点がある。また、同時に『無毀なる湖光』は神造兵器であるため、そのままでは士郎は投影をすることが出来ない。

 だが、だからこそ――そこさえ越えてしまえば二人は一気に攻められる。

投影(トレース)開始(オン)――全投影連続層写(ソードバレル・フルオープン)!」

 士郎によって生み出された剣たちが、さながら弾倉に納められた銃弾の様に重なり合い、そして撃ち放たれる。

 ランスロットへ迫る剣を全てそれで薙ぎ払っていく。それを見て、ランスロットも士郎の言わんとすることを理解した。

 すぐさま、かの聖剣と起源を同じくする、彼の聖剣を構える。

 それを見たギルガメッシュは、ランスロットへさらに格の高い武器を持って射貫こうとするが、士郎はそれを許さない。

 荒野に刺さっている剣の全てを四方八方からギルガメッシュへと放つ。

 此処が、ギルガメッシュの持つ『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』と士郎の『無限の剣製』との違い。射出方向の制限の有無である。

 ギルガメッシュが正面へのみ射出しかできないが、士郎は固有結界の中であるのなら〝どの方向へでも〟自分の意志一つで射出することが可能である。

 自然、そうなると死角から迫り来る剣を迎撃するためにはギルガメッシュは自ら動かなくてはならない。

 それが決定的な隙となった。

「――彼方の王よ、この光をご覧あれ。最果てへ至れ……『無毀なる湖光(アロンダイト)』!」

 断罪の湖光が、最古の王を狙う。

「ちぃぃぃ……ッ!」

 だが、ギルガメッシュとてそう簡単に終わるような真似はしない。

 すぐさま蔵から盾を取り出してその光を防いだ。

「なかなかに惜しかったな。だが……『まだだ』……なにっ!?」

 そういったギルガメッシュの背後に、既に士郎が愛用の夫婦剣を突きつけて立っていた。

「勝負、ありましたな」

 ランスロットの言葉がその場における全てを証明していた。

 士郎の周囲には無数の剣が並んでおり、いつでもここ一体を串刺しにできるだけの準備がある。

 流石のギルガメッシュも、ここまで宝具をさらし、その上いつもは守るなどしない状態から盾まで使わされた挙句に背後をとられてしまうという失態に歯噛みする。

「この俺が背後をとられるなど……! いったい何をした、小僧?」

「簡単だよ。ただ飛ばした剣にしがみついて飛んできただけだ」

「なにぃっ!?」

 そう、士郎は足りない体躯を逆に利用し、その軽く小柄な子供の肉体ならではの移動方法を使ったのだ。

 ランスロットに気を取られ、防御しようとしたときの弾幕に紛れて自分も一緒に飛び背後をとった。背後へはギルガメッシュは射出ができず、またランスロットの宝具は鎧抜きの彼が剣を防ぐ片手間に縦横無尽に迫る剣を叩き落しながら防げるものではない。

 その隙を、彼らは狙った。

「……俺たちの、勝ちだな」

「おのれぇ……! 小癪なことを……ッ!!」

 不覚をとったことに腹ただし気に唸るギルガメッシュに、士郎はぽつりと言った。

「なぁ……これで、俺たちのことは認めてくれるか?」

「……なんだと?」

 唐突な言葉に、ギルガメッシュは怪訝な顔で聞き返した。

「俺たちは、ある子を助けるための協力が必要でここまで来た。あんたみたいな最強の一角に協力してもらえると凄く有難いんだけど……どうだ?」

「ハッ! 笑わせる。この(オレ)に人助けでもしろというのか? 図に乗るのもいい加減にしろよ、雑種めが」

「…………」

 士郎は眉を寄せ、剣を消すとギルガメッシュに頭を下げて頼み込んだ。

「今、闇の中でただ苦しみに晒されて、その命を弄ばれている女の子がいる……その子を助けるために、俺はこの戦いを終わらせてその子を姉に会わせるために、囚われの女の子を救うために、呪いに侵される親父を救うために、たくさんの人を救うために……力がいる!

 だから頼む、英雄王。そのための一歩として、あんたのマスターに話をしなくちゃいけない。その度量に免じて、俺たちに進むためのチャンスをくれ」

「……顔を上げよ」

「?」

 ギルガメッシュは不満そうであるが、それでも己をここまで追い詰めた相手に敬意を表さない程、誇り無き暴君ではない。まして、一時の時の勝負に負けただけで子供という宝をそのまま見殺すほど、彼は薄情でもなかった。

「いいだろう……ここまで興じさせた褒美だ。貴様のいうその者たちの話をすることを許そう」

「! ありがとうな、ギルガメッシュ」

「ふん。王をよび捨てるとは生意気な奴だ……貴様、どことなくあの神父に似ておるな」

 無礼であるくせに、どこか丁寧である所や無茶苦茶な香りをただよわせているところなど、やたらと同類の臭いがする。

 だが、その傾向は全くの真逆であることは、考えずともわかったが。

「は?」

「何でもない。こっちの話だ」

「そうか……まぁいいんだけどさ。話聞いてくれるなら」

 固有結界が解け、その場には元の洋館が戻ってくる。士郎は膝をついたところをランスロットに支えられ、ギルガメッシュに見乱れながら雁夜と共に時臣の元へと向かうことに。流石に時臣もここまで滅茶苦茶をされると話を聞かざるを得ない事だけは分かった。

 というより、未だに頭が追いつかないといってもいいかもしれない。

 それも無理はない。

 何せいきなり落伍者が来たかと思えば、そのサーヴァントは円卓最強の騎士でその隣にいた子供はいきなり固有結界を使い、挙句の果てに最強の切り札である英雄王を追い詰めて言葉にこそ出さないが敗北をある程度認めさせた。

 ここから先にあるその話とやらに何があるのかと考えなくもないが、これ以上一体何があるというのか想像もつかない。

 この状況で、彼が口にできた言葉は残念なことにたった一言だけであった。

 

「まったく……優雅じゃない」

 

 ただ、彼にとって不幸なことがあるとすれば――それはここから始まる話の方が彼個人に対するダメージが大きいという事であろうか。

 魔術師としての彼には奇跡への道が潰えることを、父親としての彼には娘の置かれた惨状を。

 ……加えて、未来で自分の死んだ後に娘を二人ともたぶらかした少年がとんでもない才能の持ち主で、これほどの力を持っている術師を遠坂の血に加えたくないかといえば割と歓迎している自分がいるという二律背反に頭を抱えることになる。

 また、娘をたぶらかしたとはいえ、その直後に振る舞われた料理の腕前や妙に家事スキルが高い事などで英雄王に気に入られ始めてしまうというサーヴァントにまで及ぶそのたらしこみにより頭を抱えるのだったとさ……。

 

 

 

 

 

 ――――余談だが、そんな師の『父親』と『魔術師』の間で悶え悩む姿を見て、一人の神父が軽く愉悦に目覚め始めてしまうのだが……それはまた、別の話である。

 

 

 

 

 

 


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