Fate/Zero Over   作:形右

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 し、シリアス……お前、生きてたのか……!?
 そんな心境だったなぁ。懐かしい。


第十七話 ~ついに出会う運命の夜、正義と理想の行方~

 ある男の歩んだ道

 

 

 

 悪夢とは、いっときの夢でしかない。

 だが、同時に幾度と繰り返されるものである。

 

 故に、そこに抜け道はあろうとも、出口はない。

 

 つまり、一時の安らぎ(終わり)があろうとも、決して平穏となるべき幕引き(完結)はないのだ。

 人の世の道理――争いは消えないもの。

 こんな世界をどうにかしたいと、そう願う時。

 

 ――――あなたは一体、何を成す?

 

 一体、何を求める?

 その気になれば、一つの手として、自らの手でその悪夢を晴らすことも出来よう。

 確固たる信念をもち、勇ましく戦った果てに、それを掴み取れるのなら、人はそれを――〝英雄〟として讃えるだろう。

 しかし、必ずのその裏で少数が失われるということも、〝輝かしい栄光〟とやらは包み隠す。

 どれだけ誇りを抱こうが、

 どれほど高潔であり続けようが、

 人の本質を知ろうともせず……その終わりを〝ただ美しい平和〟であると考えるような者には、本当の意味での救いを司ることなど出来はしない。

 

 ――――けれど、往々にして世界は正確無比な天秤でしかない。

 

 人の手では、それを成し得ないのだ。

 例え、どんな英雄であろうとも……決して。

 だからこそ、人は必至で生きようとする心を持つ。

 時に歪み、時に穢れてしまい、美しくも醜く、どうしようもなく儚く……そして尊いような、そんなものを。

 

 だが、

 

 それだけでは足りないと、こんな方法だけでは足りないと――そんなものは無意味だと断じた男がいた。

 彼は、誰よりも夢に燃えた男だ。

 子供の様な大望に、誰よりも焦がれた人間だった。

 切り捨てるべき小を殺し、大を拾い平和を成し続けようとも、斬り捨てる少数を悼む心を持ってしまった男だ。

 子供の夢想。世迷言の類と知りつつも、彼はそれを求めて続けている。

 方法を、一つしか知らないまま、生き続けながら。

 ――心を鉄に、体は機械に。

 ただの一装置、測り手として天秤を計り続けている。

 

 そうして、ただ正確な〝測り〟のみを探求し、〝願い〟を求め続けた、……どうしようもなく〝無知〟な彼は―――――――

 

 

 

 ――――――ついに、『奇跡』に出会う。

 

 

 

 

 

 

 *** 夢は覚めて、夜の始まりは再び

 

 

 

「――、……これは」

 

 嬉しい碧眼を開きながら、セイバーはそっと呟いた。

 一時の眠りから覚めた……らしい。

 自身の状況であるはずなのに、どことなく絵空事であるように思われるなと、セイバーはぼんやりと考える。

 珍しく気の抜けた様な事をしでかしてしまったからか、セイバーの思考は混濁してしまっていた。

 そもそも、こんなことは〝普通〟在り得ない。

 彼女は英霊(サーヴァント)、則ち過去の英雄が聖杯により現世に招かれた存在である。そうして呼び出されたサーヴァントは、基本的に夢を見ない。

 通常ならば、魔力の身体を持つサーヴァントは、基本的に睡眠など必要ないのだ。

 けれど、どんな偶然か神の気まぐれか――彼女は、そのユメを見た。

 ひとえに、それはセイバーの持つ幾つかの特殊性が故である。

 ……セイバーはほんの少し特殊な英霊である。

 本来、聖杯に招かれる英霊たちは、人ならざる者――過去に様々な英雄譚を築き上げ、その身を死後『英霊の座』と呼ばれる高次の空間にある『座』へと、『世界』によって召し上げられた英雄たちだ。

 しかし、セイバーは英霊であるにもかかわらず、その『座』を持っていない。より正確に言うのなら、セイバーは正確には〝まだ死んではいない〟英霊なのだ。

 そんな彼女だからこそ、こうして〝眠る〟という行為をなすことが出来る。

 彼女は死後、その身を世界の為に使うと『世界』に誓い、契約を交わした。

 それは(ひとえ)に、『聖杯(きせき)』を求めるためだけに。

 機会を得た代わりに自身の死後を売り渡し、捨てた。

 

 ――――自分の犯してしまった間違いを、自国の滅びの定めを変えるために。

 

 故に、彼女は生者なのだ。

 ザーヴァントとしての力を得ながらも、まだ完全な死者ではない特殊事例。端的に言って例外である。

 腹を裂かれ様とも即死せず、けれど霊体(うつしみ)に成ろうとしても成れない。

 そんな、酷く歪な存在なのだった。

 此度の眠りも、そんな彼女だからなのかは定かではないが――それでも、彼女は夢を見た。

 ある一人の、どうしようなく愚鈍で……どうしようもなく無垢な〝祈り()〟を。

 

 知ってしまった。

 

 聞いていたかもしれない、けれど真に理解出来てはいなかったある一つの形を。……本来ならば、決して知るべくもなかったはずの、その幻想(ユメ)を。

 けれど、それは――

「――だからあなたは、私に戦いを委ねてはくれないのか……?」

 どうしようもなく、理解し会えないであろうことを再確認するだけに留まる。

 一度現実を知り二度と覆ることないはないと裏切られた人間と、裏切られようとも幾度となくそれを信じ続けた人間。

 そして、誉れを持って生き続けた少女と、誇りなど捨てた男。

 解り合うことは出来ないと、そう思えそうなほどに、二人の目指す先は平行線だ。

 決して交わらない。どちらかが、何かを曲げない限り。

 ……或いは、二人共がその間違いに気づくことが無ければ、決して。

 だから知らない。

 二人は知ることはない。

 曲げられるものが、無いから。

 凝り固まった二人の夢は、そうしてまだ夜を彷徨う。

 道を見失った子供の様に、一人寂しくその道を歩き続けている。

 それに気づくまでは、ずっと。

 

 

 現実に夢も希望もない。

 法と理念では人を律することは出来ない。

 光を追い求めるだけでは、ヒトは変われない。

 

 

 思いを伝え合うことも、言葉を交わすこともない。

 ならば、一体何が判るのだろう。

 どんなに愚直でも、それでも信じ続けようとする。

 その心は、決して間違いではない。身を削り、走り続けるほどに求めものはきっと尊い。

 しかし、分かり合おうとも知ろうともしない心の形は決して、成されることはないだろう。

 何かを変えるために、何かを得るために、願い続けた祈りは脆いものだ。

 始まりをくれる光はいつでも、人の生末を閉ざし続ける。

 道は有っても、出口はない。

 だからこそ、一人だけで届くことはない。

 そう、ヒトである以上――どんなものであろうとも、たった一つでは必ず崩れる時は来る。

 何かを築くためには、何時しかその理想の果てに行くためには、何か一つきっかけがいるのだろうが……そんなきっかけなど、ほんの少しでいいのだ。

 ……それこそ、そっと誰かの手を取るだけでも。

 世界には――悲しみだけでは出来ていない。きっと、夢も救いもある。

 

 

 

 ――――そのための物語は、既に始まっている。

 

 

 

 ことごとく続いた番狂わせ。それが読んだ偶然の象徴が、こうして彼女に僅かばかりの贈り物を給わせることとなった。

 少しだけの偶然。

 それは、鞘と悪魔のもたらした、ささやかなギフト。

 小さな小さな運命のカードが重なり合い、崩れるだけの心に微かな支え、あるいは理解を与えた。

 またこうして――――夜が、始まる。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 その日、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは苛立っていた。

 

 理由はいくつかあるが、彼が最も不得手とする自身への怒りが、彼の脳裏を埋め尽くしているということが、何よりも大きな原因である。

 彼は非常に聡明であるが故に、これまでの人生でこの時ほど行き詰まった経験がない。

 その弱さが、彼に対してその脆さを否応なしに自覚させる。

 憤りを通り越して、既に彼は動かずにはいられないほどに手詰まりを感じていた。

 信用ならないサーヴァント。

 そんな間男に色目を使う婚約者。

 ……そして、その状況を打破出来ずにいる自分。

 

 何もかもが気に食わないと、

 こんな状況が欲しくてこの戦いに臨んだのではないと、

 彼の内にある脆い器(プライド)は、もう耐えられないと悲鳴をあげる。

 ギリッ、と歯を鳴らして、ついにケイネスは自ら椅子を立った。

 証明する為に、彼は立つ。

 そしてその為の使いもまた、ここに。

 主の動きを見て、その足元に参じる美丈夫。ケイネスのサーヴァントである、ランサーだ。

 しかし、その口は特に何を発するわけでもなく、真なる従僕であるようにかしづいているだけだった。

 相も変わらずいけすかない鉄面皮、冷静を装っている己が使い魔に彼は苛立たなくもないが……まあ、従順であることが望みと言うのなら、今一度その英霊の矜持とやらを試してみるのも良いだろう。

 加えて、ケイネスにとっても今ここで彼を失うのは得策ではない。

 こんな筈ではないこの状況を打破するべく、今すぐ自分自身の才を見せしめる為に、サーヴァントであるランサーは、聖杯戦争に勝つためには必要だ。

 静かに、けれど獰猛な獣のように、ケイネスは口角を少し上げる。今宵の彼は、どうしようもなく飢えているらしい。これまでの悉く重なった、己が恥を清算する為だ。

 本来、彼は自己顕示欲は強いものの、ここまで自分を誇示するほど愚かでは無かった。

 ここまで彼を急き立てるのは、持っていて当たり前のモノ――つまりは、彼にしてみれば当然の権利でもある地位や名誉、自分自身の天才性を取り戻したいから。

 自分がこんな無様なまま、おめおめと引き下がるかという意地。それは時に、勇猛な英雄に勝利をもたらすものでもある。

 

 ――――だが、悲しい事に彼にはまだ理解できていなかった。

 

 

 この世の、不条理という名の荒波と……なりふり構わないほどに焦がれ、執着し求める、ヒトの業の深さというものを。

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 ――アインツベルン城のテラスで、一人の男が煙草を吹かしていた。

 

 時刻は、そろそろ夜も深まろうという頃。

 誰もいないそこで、彼は一人次の動きを思考している。

 だが、その思考はまとまった様で、一向にまとまりを見せてはくれない厄介なものだった。

 彼が考えるべきは、この戦争(たたかい)に勝利することのみだ。

 その為に彼は、最も効率の良い手段のみを選び取り続けている。

 ただそれだけで、この戦いの果てにきっと聖杯は彼に奇跡を捧げるだろう。

 彼にとって、勝利とは前提の一つ。

 故に一時の勝負にも、ましてその勝敗になど執着することはない。

 何故なら、彼にとって戦いとは、あくまでも危険を避け相手を狩ること。

 結果としての勝利のみが、彼にとっての唯一つの解答(こたえ)

 それ以外の感情など、塵芥にも劣る。寧ろ、戦場における下らない誉れや誇り、飾り立てた名誉や栄光など――彼にとっては忌諱すべき害悪でしかない。

 男は、そう考えている。

 戦いなど、何を誇れるものがあるのか。

 他者を虐げただけのエゴに染まった平和など、何の価値がある。

 そんな下らないモノの為に、一体どれだけの血が流れ続けたことか。

 流血を悪とする彼、衛宮切嗣にとって……この戦争はこの世における最後の闘争でなくてはならない。

 この世界で流れる、最後の血でなくてはならない。

 

 その先の、永遠(とわ)の平穏の為の、最後の必要悪。

 

 見るべきは葉ではなく枝。枝ではなく幹。

 そして、その根底に至る根や大地の果てまでを見尽くして、最後に残るのは――二度と争いの起こらない世界だ。

 妻と娘を担保にし、喪うと解っている妻を贄として、自分の残り全てを娘へと捧げる。

 その為なら、この世の全ての悪さえ、担っても構わない。

 ……そう、あくまでも衛宮切嗣は正義ではない。平和を作る為の、歯車の一つであり、世界全てに憎まれるべき悪意の矛先の藁人形でしかない。

 しかし、それもまた彼は是とした。

 己の望みはそれだと肯定した上で、彼は――――

 

「――――ここに居たのですね」

 

 その時、ふと声が聞こえた。

 女の声だった。とはいっても、この城にいる人間は彼を除けば女だけなのだから、もしも彼以外に声を出すものがあるならば、それは女であるのは必定である。

 けれど、声を受けても切嗣は振り返らない。

 これがもし、他の誰かだったのなら、彼は恐らく振り向くくらいはしただろう。

 向かないのは、それ以上に単純な理由である。

 認識する相手として成立しない、道具に呼び掛けられてその方向を向く必要はないと、ただそれだけの考えだった。

 声の主は、セイバー。

 彼女は、切嗣の最も嫌う英雄であり、彼が最も悼む被害者としての側面も併せ持った少女である。

 此度に置いては、切嗣の剣となるサーヴァントのセイバーだが、彼は頑なに彼女の存在を認めようとしない。

 そんな、決して理解し合えない二人は、何の気まぐれか――たった二人きりで顔を突き合わせている。

「…………」

 これまでの様に、切嗣はセイバーを居ないものとして扱う。

 無視だけを続ける彼に、彼女は少し諦めた様な顔をする。浮かべた表情には、これまで覗かせていた怒りや憤りはなく……寧ろ、何処か哀しげな色が見える。

 まるで同情でもされているようで、内心切嗣はセイバーが余計に邪魔だと感じ始めたが、勿論表情はおろか態度にすら出しはしない。

 ただ、ひたすらなまでの無視を貫く。

 今瀬の主が見せる態度に、セイバーは少々眉根を寄せたが、それだけだった。

 それ以上の反応はなく、それ以上の苛立ちも見えない。

 一体、こいつは何をしに来たのだろうかと、切嗣は先ほどまでの思考を一旦放棄して考えた。

 が、思い当たる節などなし。まさか、月を見に来た――なんて戯言を口にするはずもあるまい。そもそも、二人はそんなことをするような間柄でもなく、むしろ彼らの関係は最悪の一言に尽きる。

 怒鳴りにでも来たのならば席を外し、なにか戯言を述べるのならば無視をしてここを去る。どのみち、切嗣にとってここにいる意味は消え失せている。

 今度こそ、〝邪魔〟の入らないところでもう一度自分だけの思考に没頭するべく、切嗣はその場を去ろうと煙草を足元に捨てて消し潰し、足を前に出そうとした。

 だから、唐突に発せられたそれは、切嗣にとって意外だった。

 

「――あなたの、過去(ゆめ)を見ました――」

 

 この時、初めてこの主従は顔を付き合わせることになる。

 死んだように光のない目が、美しく光に溢れた翡翠の瞳を見据える。

 ただし、そこに言葉はない。せいぜい、言いたいことがあるのならば言えと言われている程度のものだ。

 まともに取り合う気もないまま、切嗣はセイバーの次の言葉を待つ。己の過去を覗かれたなど、決して気持ちのいいものではない。とりわけ、その過去を悔やんでいる者ならば、なおのこと。

 ゆえに今初めて、切嗣は微かにではあるが、〝セイバーに対して〟感情を覗かせている。

 沈黙が消えることはないが、ただの静寂とも言えなくなったその場の空気が二人の間を漂う。

 ……だが、元々二人は言葉を交わしたかったわけではない。切嗣は驚いただけで、セイバーもまた、彼にその反応を求めていただけではない。

 彼女がしたかったのは、それを言葉にするということだけ。

 ただ漠然と、自分の見てしまったそれを――――触れてはいけなかったかもしれないそれを、ただ伝えたかった。

「……気分のいいことでなかったですね。

 申し訳ありません。ですが――ただ少しだけ、どうしてもそれだけは伝えねばならなかった気がして。

 …………ごめんなさい。では」

 そう言って、彼女は立ち去った。

 去ろうとしていたはずの、切嗣よりも先に。

 そして、彼は結局何の言葉を発することもなく、珍しくただ呆然となったまま立ち尽くしてしまう。

 

 

 

 ――――そんなアインツベルンの城に、一人の悪鬼が訪れるのは、それから程なくしてのことだった。

 

 

 

 *** ある悪鬼の陶酔

 

 

 

 男は震えていた。

 恐怖にではなく、歓喜に。

 今宵こそ、漸く彼の取り戻したかった〝彼女〟の輝きを取り戻せる。

 その身に宿した、高潔で尊く……どこまでも甘く美しい、聖女の心を。

 そのための贄は既に揃った。

 あるべくして、彼女はそれを救うだろう。

 けれど、それは叶うことはない。……何故なら、〝在るべくして在る〟その聖女の誇りを、全て取り払い取り戻すことが彼自身の今の望みなのだから。

 

「っふふふ……待っていてください、我が聖処女よ。

 今、貴女の軍師が御身の元へ馳せ参じます故――――」

 

 悪魔の足は、それに相応しく。

 御伽の中にあるようなと噂される、街外れの深い森の中へと向かっていくのだった――――。

 

 

 

 *** 行間 ある王の供物の行方

 

 

 

 戦いの狼煙が、再び上がろうとしていた頃。

 冬木市の上空を飛ぶ、巨大な王座の上で――ちょっとした企てがなされていた。

 

 

 

「――なぁ、遠坂。本気なのか?」

「はぁ……ったり前でしょ。ここでほっといたら、私たちの記憶のまんまになっちゃうじゃない」

「いや、でもさ……」

「ごちゃごちゃうっさいわよ。良いのよ、今は。取り敢えずアンタは、倒さずに撤退させることに死力を尽くしなさい。

 あ、それかセイバー奪ってきても良いわよ? 何だったら、お母さんの方でも良いけど」

「んなこと出来るかよ……つか、こっちのアイリさんはそもそも俺のこと知らないって」

 というか、その前に親父に一〇〇%殺される。

 士郎は一人、〝あかいあくま〟のお達しをそんな考えで捨ておこうとする。

「セイバーはともかく、アイリさんの方は冗談よ。

 兎に角、例の作戦が出来たら速攻で外道どもを改心させてやるんだから! あ、ちなみにアンタもよギル。その性根も後で叩き直してやるわ」

 我が家崩壊フラグはへし折るぜ! と言わんばかりの凛。

 しかし、子供好きな慢心王はそれを一笑したのち、更に高笑い。

「はっ! 思い上がったな、小娘。

 良いだろう、貴様の様な雑種が(オレ)にどう一矢を報いるか、試してやろうではないか!」

 あはははっ! と、やかましく笑うギルガメッシュ。

 普段ならムキになる凛だが、どうやら今回はそこまでする必要すらないらしい。

 

「――――アンタのご飯、一週間あの麻婆にするわよ――――?」

 

 勿論、士郎による救済もない。

 そんなちょっとした、何でもない呟きだったが、効果はてきめん以上である。

 ついでに、予備令呪は協力者である璃正の腕にあるので、今の凛ならば、やろうと思えばギルを縛ることは出来る。……ただ、「ご飯は麻婆以外駄目」なんて命令に使われる令呪はある意味哀れだが。

 因みに、〝いやー、カレイドな凛さんは恐いくらいに強いですねぇ〜〟とは、そういう風にした張本人のルビーの談。更にいうと、令呪を考えた臓硯が、草葉の陰で泣いているか……それとも平和な使い方に喜んでいるのかは謎である。

 そして、正義の味方な士郎は、天敵である〝あかいあくま(Not外道)〟には決して敵わなかったりするので、それが意味することはつまり。

「で?」

「ふ、ふははは! 良かろう、(オレ)が許す! どこまで貴様の行いが(オレ)に届くか、やってみせるが良い!!」

 冷たい確認に対し、虚勢の威勢を見せてくれた王様は、額に冷や汗を流していた。麻婆恐るべし。

 こんな調子で、原初の王すら手懐けた〝目の前の男の子(士郎)を助けられるくらい、隣に並べるくらい強い自分〟的な願いで爆誕してしまった遠坂凛は、絶賛無敵なのであった。

 彼女の横でその無双っぷりをひしひしと感じながら、士郎はふぅと溜息にも似た嘆息を漏らしたが、一先ずその事は置いておくとする。今求められるのは、この場において――如何に戦いを、勝敗の差なく収めることである。

「良い? 士郎。貴方のやるべき事は、やって来るキャスターを迎撃して、撤退させること。

 犠牲はなるべく出さない、なんてのは許さないわ。貴方は、その為にここまで招かれた。私はそうだと信じてる。

 ――師匠にここまで言わせたんだから、やり抜きなさいよね」

「……あぁ。勿論、やるだけやってみるさ。師匠の面目のためにもさ」

「その息よ。……って言いたいんだけど、やっぱり、どっか似てきたわね」

「――――言わないでくれ……」

 どっかの赤い弓兵ほど、皮肉屋でもニヒルになったつもりもない。士郎は苦い顔をしつつ、そんな事を言った。

 相変わらず嫌いなのね、なんて呆れている師匠には悪いが、生憎自分たちはどうにも認め合えない仲なのだ。……そんな事を考えてる士郎だったが、割と二人とも顔を合わせたら協力したりはよくしてたりするので、結局傍から見れば、ただの意地張りも良いとこなのだった。

 そうした和やかな雰囲気を孕みつつも、真剣な二人の表情は今宵の戦いにしかと向けられている。

 覚悟がないわけではない。

 そんなものは、元からしてあった。

 二人は、方いう生き方をして来たのだから。

 どうしようもなくお人好しで、歪な機械を見捨てられない優しい悪魔。

 他人を見捨てられないブリキの騎士は、身内を見捨てられない悪魔にいつも助けられる。

 そして、二人が組んだ時――成せなかった事はない。

「行くわよ――?」

「了解だ、遠坂」

 

 希望、なんてものがあるとまでは言わない。

 けれど、それを信じていないとは言わない。

 もしもそれがあるというなら、戦い抜いた先で、それを示すから。

 だから……今はただ、剣を取ろう。闇を照らす光を放とう。そのために、ここへ来たのだから――――

 

 二人の目指す明日は、もう手の届くところにある。

 

 

 

 *** 悪魔の誘い、滾る闘志

 

 

 

 空を飛ぶ王座がこの森へ迫るのと、時を同じくして――城の中では少しばかり騒々しくなっていた。

 

「……来たわ、切嗣。キャスターよ」

 あのときのテラスでの刹那の言葉の後、切嗣は妻のアイリに、この城の周りを覆っている結界に侵入者が入ってきたことを告げられた。

 そう、それは……まごうことなき、敵の気配。

 何の加護もなく、そこには邪悪しかない。

 だが、こうして出向いてきた相手は、まさしく切嗣とっては獲物も同然。

 倒せる相手ならば、ここで屠っておくのが得策。まして、相手はこちらのテリトリーにのこのこ現れたのだ。

 罠にかかった獲物を、わざわざとり逃がそうとする狩人もいない。

 〝魔術師殺し〟の名を冠するほどに、これまで戦いを繰り返してきた切嗣にとって――今のキャスターは屠ることのできる獲物。

 彼にとって、仕留めるのは至極当然のことだった。

 しかし、

「あなた……でも、入ってきたのは一人じゃないの。もう、二つ――いえ、それ以上に」

「……何?」

 どうやら、招かれざる客人は何もキャスターばかりではないらしい。

 状況をもう少し把握しなくてはならない。

 〝面倒なことになってきた〟

 そう切嗣は感じただろう。此度の聖杯戦争には、不明な点が多すぎる。

 

 ――初戦に現れた、得体のしれない〝八人目〟も、

 

 ――この戦争の最中に、急に起こった間桐邸の炎上も、

 

 ――行方不明事件の最中に冬木の街を震撼させた、ありえないほど膨大な魔力も、

 

 何もかもが、不明瞭だ。

 合理的な考え方、あくまでも最小の危険性(リスク)で最大限の結果を導こうとする切嗣にとっては、一体何がどうなっているのかが想像だにできない。

 少なくとも、こんな戦い方――こんな動きを見せるのは、誰かがこの戦争を動かしているからに他ならない。何か、特異な存在がこの戦争にいるのだと彼は考えている。

 きっとその『何か』は、言峰綺礼以上の仇敵として、切嗣の前に立ちはだかる。

 彼の危惧する点はそれだ。

 情報の無い敵、姿なき敵ほど……暗殺者である切嗣には最も重くのしかかる。

 そもそも、彼は戦士では無いのだ。戦場に希望を持つことも、そこで得る勝利に昂揚と陶酔を得ることも無い。

 欲しいのは結果だけ。だが、それを得るためには切嗣単体での力は小さすぎる。それほどに、彼の求めるものは大きすぎる待望であるからこそ。

 ゆえに、最小にて最大を手にいれる。

 

 この場でとりうる最良の手段――最善手を探す。

 

 今、彼の選び得る手段(カード)

 その全てが彼の脳裏で広げられ、そして〝戦術〟として構成し直される。

 少なくとも、幾つかの策はもともと用意している。だが、現状をより把握する必要があるだろう。まずは、敵の正体を知ることから始めなくてはなら無い。

 瞬時にその思考をまとめ上げ、彼は妻に次の一手への布石を打つための準備を要請する。

「……こちらの取れる手段は、キャスターに対しては有効なものばかりではある。が、まだ情報が足り無い。なら――よし。

 アイリ、遠見の水晶玉を用意してくれ」

 夫のその言葉を受けて、アイリはすぐにその準備を始めるべく、動き出した。

 そばにあった熱が離れていく。

 かつての彼であったのなら、そもそもからして、その熱すら感じることはなかっただろう。

 だが、今の彼は弱い。

 

 ――――どうしようもなく、弱い。

 

 一見冷酷に見えるその内には、どうしようもない脆さを覗かせる。

 が、それを吐き出すことは叶わなかった。……また、そうしようとすることをどこかで考えてしまっている自分が、どうしようもなく腹ただしい。

「ふぅ……」

 吸い残っていた煙草を踏み潰して、自分の中の弱さもまた捩伏せる。

 そんな下らないモノに、策だけの感情を持つ必要などない。彼の肩に乗っているのは、全世界六〇億の人の平和。

 それが偽善であること、独善的な行いであること、それを彼はもちろん知っている。だからこそ、それを嘆く己の独善を貫き通すためだけの担保もまた背負っている。

 六〇億の人類と匹敵――否、霞むほどの担保を背負っている。

 それは、彼の妻と娘。

 彼自身は認めはしても、その衝動に決して従うことは出来ないだろうが……それでも、どうしようもなく〝人間〟である彼にとって、その担保は重すぎるモノ。

 何物にも代えがたい、たった一つの宝。

 それは、血に濡れ汚れた彼には眩しく、そして尊すぎた。

 

 必要のなかった弱さを得てしまうほどに。

 必要のないはずの愛を思い出してしまうほどに。

 決して、自分が抱いてはいけないはずのそれを慈しんでしまうほどに……。

 

 そう。

 彼は鉄の信念と機械の身体を得ようとしている反面、

 どうしようもないほどに脆い、硝子細工の心を持った人間だった。

 本来、人は機械になどなれないのだ。それこそ、生まれ変わりでもしない限り。

 だが、彼はそれを求めている。

 軋みを上げ、崩れ落ちそうなほどに歪な在り方を、雁字搦めにした鉄線で括り上げても尚。

 弱さを抱いた彼にもし、何か幸いであるとするのならばそれは一つ。

 それはとても残酷なことだが、仕方がないことだろう。

 何故なら、

 

 

 ――――彼は弱いが……どうしようもなく、自身の理想に正しすぎるのだから。

 

 

 

 ***

 

 

 

 アイリが水晶に結界内の侵入者を投映する。

「いた」

 水晶玉に移る青瓢箪。

 異様なほど飛び出した目。

 間違いない、キャスターである。

「……こいつがキャスターか」

 ポツリ、と切嗣がアイリの隣でそう呟く。

 だが、今の彼女の意識は、傍にいる夫の声よりも、その水晶の中に見える光景に引きずられていた。

「これは――」

「人質、でしょうね……」

 セイバーの押し殺したような声に、アイリはそう言葉を重ねる。

 水晶に移る森の中には、無数の子供たちの姿が。そこにいたのは、まだ年端もいかない、あってもせいぜい小学生程度の幼い少年少女たち。

 何故こんなことを、と問うのは愚問であろう。

 ここ数日で起こった冬木で退い行方不明事件。その原因は、紛れもなくこのキャスターなのだから。

 そんな音をしでかした男が、こうして子供たちを連れてきて何をするのか――そんなことは、考えるまでもなく明らかだった。

 そうして歯噛みしたアイリとセイバー。

 だが、その時。

「――――っ」

 キャスターが、こちらを向いて微笑んだ。

「……見破られて、いるの……っ!?」

『先日のお約束の通り、ジル・ド・レェ罷りこしてございます。随分と日が立ってしまいましたが……我が麗しの聖処女ジャンヌに、今一度、お目通りを願います。

 ――ですがまぁ、お取り次ぎはごゆるりと。私も気長に待たせていただくつもりで、それなりの準備をしてきましたからね。そのための余興は用意してきましたので。

 なに、他愛のない遊戯なのですが……少々、御庭の隅をお借りいたしますよ?』

 嫌な笑み。

 それに呼応するように、子供たちの意識が解放される。だが、キャスターは何も焦ることもない。

 当然だ。

 彼にとって、これは遊びにすぎないのだから。

 子供達は怯える。自分が置かれた状況がわからないままに。

『さあ、子供たち。鬼ごっこを始めますよ〜?

 ルールは簡単。私から逃げ仰せればあなたたちの勝ちです。……ただ、私があなた方を捕まえた時は』

 キャスターの手が、目の前に立っていた少年の頭蓋を掴み上げる。

 子供は、恐怖のあまり益体のない音を口から漏らすだけで、逃げる気すら失せてしまったように顔を蒼白に染める。

「止めろ……ッ!」

 意味がないとわかっていても、それを見ていてセイバーはそう言わずにはいられなかった。

 そんな思いも虚しく、キャスターの手に力が籠り始める。

 後数秒もしない内に、子供の頭蓋は簡単に握りつぶされ、子供の残骸はキャスターの手からボロボロと地面に落ちていくだろう。

 キャスターは子供達に呼びかける。

「さあ、お逃げなさい。出ないと、次は貴方たちがこの子の様になってしまいますよ? 百を数えたら追いかけますので――さあ、この光景をその目に焼き付けなさい」

 子供達は一瞬だけ固まると、すぐさま逃げなければと本能のままに駆け出した。

 キャスターはそれを楽しそうに見ると、再びアイリたちに呼びかける。〝来るのでしたら、どうぞゆっくり。待つ間のおもちゃはいくらでもある〟と。

 

 そこが、二人の限界だった。

 

 子を持つ母であるアイリには、目の前で殺される子供たちをそれ以上見捨てることは出来るはずもなかった。

 夫に何を聞くよりも先に、彼女はセイバーに頼んだ。

「セイバー、キャスターを倒して」

 それを受け、

「――分かっています」

 待っていたとばかりにセイバーは夜の中へと疾走する。

 英霊としての力を解き放ち、弾丸のように彼女は城を飛び出していった。

 それを、切嗣は目で追うこともなく、どうでもいいように放置する。自らのマスターのその態度に、結局まだ何も変わっていないのだということをセイバーは再び噛み締めつつも、今自分のするべきことを為すべく、森の中を駆け抜けていく。

 

 

 

 遂に、御伽の森と噂される森の中、一人の悪魔と王の戦いが幕をあける。

 

 

 

 そして、悪魔の手にかかる子供の前には、もう一人――現れる者の姿があった――――。

 

 

 

 

 

 

[newpage]

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 騎士王が夜へ向けて駆け出したのと時を同じくして、二人の男が森の中へと新たに足を踏み入れていた。

 

()くぞ」

「御意」

 

 ブロンドの髪をオールバックにした青の洒落たスーツに身を包んだ男と、深緑の装束に身を包んだ少し癖の強い髪を逆立てたような槍兵が、今共に御伽の森へと足を踏み入れた。

 二人は暫く森を進み、その奥にある城の影が見えた辺りで一度別れる。

 が、その前に。

「ランサー、今ちょうどセイバーが交戦を行なっているのは分かっていような?」

 ケイネスはランサーにそう問うた。

 その問いに対し、ランサーもまた即座に応える。

「はい。恐らくは、例の〝キャスター(七人目)〟かと」

 ランサーの応じを聞き、ケイネスは改めてもう一度だけ彼に今宵の戦略の確認を取って置く。

「よし。ならばランサー、貴様は奴をセイバーと共に打ち捨てよ。この聖杯戦争を汚す下賤な輩には早々にご退場願え。

 そして、私がセイバーのマスターと戦う間、セイバーを食い止めておけ」

「心得ました」

 そういうと共に、ランサーは霞となって霊体のままセイバーとキャスターの元へと駆けて行った。

 次第に主従のパスが遠くなるのを感じながら、彼は柄にもなく、今宵の幸運を噛みしめるような気分になる。

 結局ここまで満足な成果を何一つ示せていない彼にとって、何かしらの勝利の証が必要だったのは言うまでもない。ただ、その為の何かを考えようとするよりも先にこうして表に出て来たのは、なにも苛立ちによる激昂だけではなかった。

 確かに彼は、初戦で何の手数も合わせることの出来なかったセイバーを早く仕留め、初日の無様さを水に流したかったが……それよりも先に、欲しいものがある。

 先日、彼の御三家である〝マキリ〟の屋敷が焼失したとの報告に驚くまもなく、監督役である言峰璃正より通達のあった『キャスター討伐における追加令呪の付与』という褒賞。

 初戦で一角消費してしまったケイネスには、喉から手が出るほどに欲しい代物だ。とりわけ、自らのサーヴァントに不信感を抱いている身としては、手綱は幾つ有っても良いと思えるだろう。

 そのために、一度キャスターを倒そうと冬木の街を探そうとしたのだが――目にした光景に、ケイネスは一瞬唖然となった。

 そもそも、優れた魔術師である彼にとって、魔力の流れを辿って敵を探すのは造作もない。まして相手は、ここ最近行方不明事件を堂々と巻き起こしているような狂人てある。

 いかな魔術師のサーヴァントとはいえ、相手にもならないだらうと思っていた。

 けれど、キャスターの動きにケイネスはその方針を変えた。

 子供たちをぞろぞろと引き連れ、マキリと並ぶ御三家の一つであるアインツベルンの本拠地である城へ向かうキャスターに、これは好機であるとケイネスは踏んだ。

 本来、魔術師たる者にとって――敵の拠点、つまりは魔術工房(ホーム)で戦うのは不利益しか生まず、避けるのが原則である。

 だが、生憎とケイネスはそうしたら原則の内に留まるほど弱くない。

 無論ただ挑むだけなら良くはないが、サーヴァントが出払っているとなれば、必然残りはマスター同士の魔術戦による一騎討ちということになる。

 そうなれば、ケイネスには敵はない。

 こと〝魔術〟に置いて、彼を上回るマスターは存在しないという事実を以て、彼はそれを是とした。

 如何に罠を張り巡らせようとも、彼の魔術礼装には敵はない。

 ホテルの爆破や、崩れ去る建物の崩壊からさえ逃げ果せたという事実と自信。どうしようもなく付き纏う生まれ故の誇りと奢りが、その判断をより強固に肯定する。

 ……彼を突き動かすものすべてが、半ば仕組まれたものであるにも関わらず。

 そんなことは知らぬまま、戦いにおいての経験が圧倒的なまでに不足している若き天才は、自らのハマる泥沼のような過ちに気づかぬまま、森の中を進んでいく。

 

 そうして、ケイネスは毅然と歩みを進めていく頃――この森のあちこちで闘いが幕を開け始めていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「――さあ、この光景を目に焼き付けなさい」

 

 キャスターの腕が、子供の頭蓋を握り潰そうとする。

 握られた子供は、もう既に生きるための気力や希望など何もかもが無くなっていた。

 逆にキャスターの昂揚は、子供の自我の消失と共にどんどん高まっていく。事実、彼の心中は恍惚に染まっていた。

 本来なら、直ぐにでも〝ジャンヌ〟の下へと参じたかったが、ここ最近冬木では不可解な出来事が起こっていたのは彼も感じていた。加えて、彼の現世での主――牽いては、同じ芸術(アート)への情熱を抱く相棒でもある雨流龍之介が、この前攫ってきたはずの子供に逃げられた際に腕輪を壊されたらしいので、その補修の時間もかかった。

 故に、

「っふふふ……!」

 そのための余興にも、より熱が籠るというもの。

 子供を集める為も掛け、こうしてそれなりの人数を集めている。あとは、〝ジャンヌ〟が来るまでの間にこの地を悲劇に染めるだけ。

 そうすれば、きっと彼女は神の枷から解き放たれるのだと……キャスター、ジル・ド・レェはそう信じている。

 なれば、そのための惨劇はより盛大に。悲劇はより悲惨なものにならなければならない。

 子供たちが、背に受けた〝同じ子供が殺された事実〟を知る音。それがギリギリ、逃げ出せそうな距離まで来た瞬間に、届くように。

 ジルは、彼らがそれだけの距離をとれる位置まで行けるのを待っていた。

 あと少し。……もう、少し。

 さあ、盛大な開幕の花火となるべく――ジルは、子供の頭蓋を握り潰そうとした。

 彼の脳裏には、既に陶酔した感情のみが残っている。今日、この時を以て――――聖処女の復活をする、と。

「さあ、神よ! 貴殿の呪縛より、我が麗しの乙女を取り戻すための儀をこれより始めますぞ……?

 貴殿の加護とやらが、その寵愛とやらが、如何に無意味なものであるのか――――今ここに知らしめてご覧に入れましょう!!」

 高らかにジルがそう宣言する。

 もう、子供たちにはそこが地獄にしか見えなかっただろう。

 何もかもが、血に染まる。本能で、彼らはきっとそう感じている。

 この世全てが地獄に染まる。何もかもがここで終わる。これから先にあったはずの未来を、彼らは奪われてしまう。

 ……そのことが、どうしようもなく許せない、度し難い程の業を背負った男がいた。

 

 

 

 〝――我が骨子は捻じれ狂う(I am the bone of my sword.)――〟

 

 

 

 瞬間、一閃。

 闇を裂くように、一本の矢がキャスターの腕を吹き飛ばした。

 刹那の内に、訪れた事象を認識するまで、彼らはいったいどれほどの時間を要することになっただろう。

 ジルは、自らの腕が拭き飛んだことを。

 子供は、自分が悪魔の手から離されたことを。

 

 ――少なくとも、それは決定的な隙となった。

 

 これは、ジルがここを訪れるまでに時間が掛かってしまったこと。そして、彼があまりにも陶酔するほどに、自分の行いに酔ってしまったことが原因だ。

 このことが、この場で起きるはずだった悲劇を蹂躙しつくしてしまった。

「逃げなさい」

「っ、……ぇ?」

 唐突に傍らにあった声に、先ほどまで命運を悪魔に握られていた少年は驚いた。

 赤い少女がそこにいた。艶のある黒髪がふわりと揺れ、その青い瞳は暗い闇の中でも光を放つ。

 失われぬ輝きのようなものが、その少女にはあった。

 思わず言葉を失いながらも、少年は自分の状況を把握しようして周りに目を向ける。

 目の前に、黒と白の剣を手にした子供がいた。

 年は、自分とそう変わらない。

 なのに、彼は臆することなく悪魔の前に立つ。その姿は、彼の目には一体どう写ったのだろうか? ……だが、きっとそれは誰にも分からない。

 しかし、

 

「――好き勝手しやがって。人の命は、お前の玩具じゃない――!」

 

 その一言は、その場の人々に希望を持たせるには、きっと十分だった。

 琥珀色の瞳が、始まりの夜と同じように悪魔を視る。……闇を晴らす様に、正義の味方として。

 ――今宵の悲劇は起こさせない。

 ただ、それだけの決意を持って、少年はここに立つ。

 

 

 

 

 

 

 ――動き出した運命は、終わりへの道を示し始める。

 

 

 

 ***

 

 

 

「これは……?」

 悲劇を止めるべく、駆けつけたはずのセイバーが目にしたのは、悲劇ではなかった。

 その場に広がっていたのは、奇妙過ぎる光景だった。

 二人の子供がキャスターの前に立っていて、その周囲には子供たちが立っている。逃げるでもなく、だ。

 〝一体どうなっている?〟

 彼女がそう感じるのは無理からぬことだろう。

 けれど、それでもなお、目の前にある光景は常軌を逸していた。

 サーヴァントの前に子供が立っている。これだけでも在り得ないと断言できるが、その上、キャスターの片腕が潰されている。

 いかなる手段を以てそんなことをしたのか、セイバーには想像もつかない。

 ……だが、そこに立っている二人。黒髪の少女と、赤銅髪の少年を――彼女の〝直感〟が良しとしている。

 不思議と、胸が高揚する。

 それは、彼女の最初の夜に感じたものと同じ。

 優れた〝直感〟スキルは、未来予知にさえ匹敵するという。

 図らずして、彼女はそれを体験してもいるのだが、生憎と本人にはそれを判別・認識するだけの確証はない。

 故に、彼女は今この場をらしくもなく呆気にとられたままで見るのみとなった。

 

 糸の張りつめたような刹那の空白が場を漂う。

 

 その均衡を破ったのは、今しがた腕を潰されたキャスター、ジル・ド・レェでその人だった。

「な、――んなァァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!???」

 何をされた!? と、ジルは驚愕のままに叫びをあげる。

 痛みにではなく、一体誰がこれをしたのかという現実について。

 今宵の儀式を、初っ端から台無しにして掛かる蛮行――それは、ジルにとって、目の前の余興以上に今すぐ排斥するべき『悪』そのものであった。

 だが、それを成した本人はジルの事を睨みこそすれ、彼本人にそれほど集中してはおらず、傍らの少女に今この場の状況を確認している。

「遠坂、皆に何か魔術の痕は……?」

「そうね……何か〝良くないもの〟を仕掛けられている感じはする。多分、寄生の類だと思うわ。でも、今の内ならあんたの投影で造れるものでどうにか出来るわ」

「了解。それじゃあ、解術は任せるよ。俺は、あいつを止めとくから」

「分かった。でも、無茶すんじゃないわよ士郎? まだ、やることは残ってんだからね。特に、あんたのお父さんのコトとか」

「…………分かった。そしてすまん」

「今に始まったことじゃないでしょ。それに、あんまギル待たせるとあいつの方が先に暴走するかもしれないわよ?」

「そりゃ困る……」

 そう締めくくると、シロウと呼ばれた少年は前に彼が造ったどこか歪な形の短剣とは対になるという、それとは反対に整った形の杖を造りだした。

「じゃあ、頼むぞ。遠坂」

「はいはい。……にしても、あんた私が今ルビーと繋がってるからって、魔力持ってき過ぎじゃない? 少しは遠慮しなさいっての。

 全く、魔力の生成量だけはどんだけ成長しても足りないんだから。わたしか桜がいないといけないんだから」

「む……。確かにそりゃそうだけどさ、でもこの世界来てからは魔術回路を身体に馴染ませちゃった所為でだけど、固有結界だって使ったし……」

「短期決戦、それもランスロットとの共闘でしょ? 私が魔力あげてギルを倒したときとか、アーチャーの腕を手に入れたときに比べたら全然じゃない。

 やっぱり、私たちがいないとダメダメなんだから」

 どことなく楽しそうに言われて、士郎はため息をつく。

 いつまでたっても敵わない、と、どこかぼやくように言ったのち、剣を構える。

「いくぞ」

「ええ」

 こうして、二人は一気に思考を戦闘の方へとシフトさせる。

 士郎の目がジルと交錯する。

 敵を捕らえたジルは、怒りに顔を歪ませながら咆哮した。

「き、っさまらぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!! 

 誰の許しを得て、私の邪魔立てをぉぉぉおおおおおおっっっ!!!???」

「うっさいわよ、目ん玉悪魔。私たちが何しようが、私らの勝手でしょ? あんたは悪で、私らは正義。こっちには正義を愛するステッキと、どうしようもない頑固な正義の味方までいるんだからね!」

「いや、それ自慢するところじゃ……」

『流っ石です凛さん! それでこそ私のマスターですよー! そこの神代の魔女っ子の杖に浮気したことさえわすれますから、バンバン愛と正義(ラブ&パワー)しちゃいましょー!!』

 先ほどまで成りを顰めていた五芒星と羽根飾りのついた杖、マジカルルビーが凛の心の昂揚に合わせるように、彼女の髪の中から飛び出してくる。

 それを見て、

「面妖な……子供とはいえ、我が麗しの聖処女(おとめ)の解放の儀を邪魔する者は、何人たりとも許しはしませんよぉおおおおおおっ!!」

 自分のことは棚に上げ、それを面妖と称したジルはすぐさま、目の前の敵を倒すために動き出す。

 彼の手にある魔導書が怪しい光を放つ。

「っと、させるかっての!」

『転身したいのはやまやまですが……まぁ、今回は省略も仕方ないですねー。ではいざっ!』

「いくわよ――放射(フォイヤ)!」

 凄まじい量の魔力が収束された砲撃が、魔術師の『(クラス)』に当てられた英霊へ向けて撃ち放たれる。

 子供の筈の敵から、思いもよらぬ一撃を放たれ、ジルは驚いたようにそれを躱す。交わしながら、彼はようやく自身の腕を吹き飛ばしたのが、目の前の二人であることを認識する。

 狂人ではあるものの、彼は元は才に溢れる軍師。

 敵を倒すために、彼は自分の要してきた策を発動させようとする。

 元々は、この場に来るであろう〝ジャンヌ〟を出迎えるための準備ではあるのだが、この際仕方がない。ひとまずは目の前の敵を討つことが重要である。

 それに、手数の点でいえば――通常、ジル・ド・レェには途切れるという事はまずないのだから。

「ふふふっ……」

 手にするは、彼の盟友プレラーティが残しし、魔書。

 この魔書の名は、盟友にちなんで、彼はこう名付けた――『螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』と。

 使用者に無尽蔵の魔力と、海魔を従えるすべを与えるという逸品である。

「勇者というのは何時の時代もいるようですが……決してその程度の武勇や気概などでは覆すこともできない、数の差というものを、彼の聖処女の軍師たるこの私が享受して差し上げましょう!」

「士郎!」

「了解!」

 手に持った双剣を投げ、士郎はジルに次の動きをさせまいとする。

 空になって彼の手には新たに剣が生まれ、その周囲を取り囲むように剣が生まれる。

工程完了(ロール・アウト)……! 全投影、待機。

 ――――停止解凍(フリーズアウト)全投影連続層写(ソードバレル・フルオープン)!!」

 生み出された剣が、まるで銃の様に撃ち出される。その光景に、セイバーは驚いた。

「な――!」

 こんな戦い方をする人間は、例え英霊の座に至った者の中にもいないだろう。

 どこかあのアーチャーに似ているが、それとは違う。あれは、〝取り出している〟のであって、こうして〝生み出す〟のではない。

 それに、傍らにいる少女が持っているあの杖は――?

「いくわよ――『修補すべき全ての疵(ペインブレイカー)』!」

『あーん、凜さんったら浮気者ぉ~!』

 ……杖、なのか? いや、一本は間違いなくそうなのだが。もう片方は何というか、うねうねと蠢ていて、ただの無機物という気がしない。

 魔剣か何かの一種か――と、セイバーが当たりを付けたのと合わせる様に、杖から放たれた光が周囲の子供たちの身体に染み込んでいく。

 一瞬皆の顔が歪むが、すぐに我に返ったようにハッと顔を上げた。

 邪気が祓われたと判る魔力の残滓が立ち上り、子供たちの中にあった『何か』が消え去る。

 それで驚愕したのは勿論、他ならぬジルである。

「な、何を――!?」

「何って、別に。どっかの魔女の性格が歪む前の夢見がちな乙女心(やさしさ)の象徴よ」

「そして、お前もこれを終わりだ――――赤原猟犬(フルンディング)

 言葉と共に放たれた赤い矢に、ジルは歯噛みしながらも応戦しようと再び魔書を翳す。

 計画通り、とはいかなかったものの……それでも彼もまた、形こそ狂い切ってはいるが、譲れぬ信念の下でここにいる。

 だからこそ、彼にはここでは引けない。

 贄とすべき者はいる。ならば、後はそれを喰らい増える者たちを呼ぶのみ。

 通常よりも魔力は掛かるが、今は仕方がない。

 彼の持つ、『螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』が再び光を放つ。

 すると周囲から海魔が生み出されて、呼び出した主たるジルを矢の攻撃から庇った。

 そして、それはある意味で妙手である。

 ――――ただし。

 その赤原猟犬が〝本物〟であったのなら、の話だが。

「――壊れた幻想(ブロークンファンタズム)

 言葉と共に、()がその内側に秘めたる神秘を解放する。

 神秘とは、その高さ故に強いものだ。例えば、名のある英霊は、その知名度などによってその力を補正されることもある。補正とは、例えば生誕の地であり、戦った土地であり、時に人々の信仰でもある。

 人々の心にある分だけ、その幻想はよりその輪郭を鮮明にする。

 則ち、それを解放するということは、これまで積み上げられてきた数多の夢を砕くことと同義。

 それ故に、その爆発的なまでの威力を得るのだ。

 幻想が砕け、その力でジル・ド・レェを焼き尽くす。

 だが、魔力を一層消費し、吹き飛ばされた英霊の血肉によって呼ばれたそれらが吹き飛ばされ、辺りに広がった海魔の残骸。

 それを更に介して、海魔が呼び出される。

「数ばっかりがうじゃうじゃと……でも、厄介ね」

 凛の言葉はその通りではあった。

 いつの間にか、周囲一帯を覆い尽くす海魔たち。

 次第に包囲網を固め、士郎と凜だけでなく、もっと狙いやすい獲物――逃げられていない子供たちへと目標を定める。

 血肉を得ることで、更なる呼び出しを企てるジルは顔を悪辣な笑みを浮かべて、嗤う。

「ぅ……ぅぅっ」

「っ、ひっ……ひくっ」

「えぐ……っ、ぅ……」

 子供たちの嗚咽が僅かに木霊する。

 蠢く海魔たちの呻きの様な声に、子供たちに生まれたはずの希望が段々と薄れていく感覚。

 まるで縋るように、彼ら彼女らは士郎と凜の元へと寄っていく。それ自体は間違った行動ではない。少なくとも、恐怖でパニックに陥るよりは、皆はまだ心の均衡を保っている。それだけでも、十分に勇気があるといえるだろう。

 けれど、このままでは守り切れるかどうか――。

 特に、この後にもやることが控えている二人としては、ジルを早く退けたい。

 あくまでも今夜の目的は、他陣営への勧告。特には、まだ何も知れていないセイバー陣営への勧告だ。

 ハッキリ言うと、凛の言からして『あんたの父親とか、綺礼と同レベルの破綻者じゃない。ベクトルは反対だけど』といったものである。なので、その正義厨(偶に凛が士郎とアーチャーに使う)たちを一旦諫めようとするつもりである。

 ……しかし、このままでは。

「士郎。固有結界で、こいつらを飛ばせる?」

「あぁ、じゃあ遠坂は皆を森の外に……」

 と、二人が最大の殲滅手段に出ようとした、その時。

「――子供相手にこの所業、頂けんな」

「――同感です」

 赤と黄の槍が、暗闇を裂いて現れる。

 そして、それに呼応するように不可視の剣が纏った風が海魔たちを切り払う。

 青と緑の装束に身を包んだ、二つの影。夜の冷たさを輝きに照らしていく様な、端麗さを滲ませる美しい二人の騎士たち。セイバーとランサーである。

 先ほどまで戦いを見るだけだったセイバーも、主と別れこの場に辿り着いたランサーも、戦いを邪魔にするほど無粋ではない。

 あくまで、今宵の救い主はあの二人。

 そうであるとしたのだが、これ以上無辜の子供たちが恐怖に駆られるのを見ているのは忍びない。

 二人が飛び出してきたのは、そう言ったわけからだった。

「助太刀させてもらうぞ、小さな戦士たち」

「この剣、今は貴方たちと共に振るわせてもらいます」

 頼もしい二人の登場に、士郎と凜の士気は上がる。だが、しかし。それは逆にジルの激情を煽った。

「貴様……誰の許しを得て、我が麗しの聖処女ジャンヌと共に……っ!?」

 呼び出したはずの想い人を、脇から攫われたかのような声を出すジルだが……それは、別段彼らには何の意味も齎さなかった。

「ふむ――なぁ、キャスター。別に俺は、貴様の恋路にまでは邪魔だてはせんよ? だがな、そこのセイバーは俺と再戦を誓っている。騎士として、それを違えられるのはいただけない。

 それに、子供相手に数頼みとは、外道とはいえ些か芸がないのではないかな?」

 フフン、と蠱惑的な笑みでジルにそういうランサー、ディルムッド・オディナ。そして、彼の言葉を受け、セイバーもまたこう応える。

「その通りだ。やりすぎたな外道、もはや貴様は聖杯を競うに値しない……この程度のことでしか己を示せんのなら、ここで斬り捨てる!」

 剣先を突きつけながら、言葉も共に突き立てられ、ジルは激情に駆られるままに叫ぶ。

「その女性(ひと)は、私の願いによって蘇った! その肉の一片から血肉の一滴、魂に至るまで全て私のモノだぁぁぁああああああっっ!!」

 最早そこに何か考えらしい考えなど無かった。

 思い浮かべた目論見は全て潰され、今目の前には作る筈だった惨劇の欠片さえも残っていない。

 そう、彼は今宵、するはずだったことを全てに失敗したのだ――――。

 

「――――覚悟はいいか、外道」

 

 セイバーのその言葉を皮切りに、運命は完全に変わった。

 こうして集まった彼ら彼女らは決して、背後にいる子供たちを見捨てることはない。

 その姿勢はきっと、子供たちの未来に残されるはずだった遺恨など全て吹き飛ばすだろう。

 それは、セイバーやランサーに言わせれば、戦場に置いての騎士の役割に起因するところとも言える。

 彼らの役割は、何も理想や忠義に従って戦い、主や国にその身を捧げる事ばかりではない。騎士の義務ともいうべき役割の一つに、戦場での希望でなければならないという側面を有する。

 人という生き物は、最悪の状況に陥っていくほどに、どんどん醜悪な側面を露わにして言ってしまう。だからこそ、そのためには何かしらの証明がいる。

 何時であっても、騎士とは戦場の華。

 光を示すものでなくてはならないのだ。堕ちていくものを、再び人へと戻していくための光。それが、セイバーやランサーにとっての〝騎士〟である。

 それは決して間違いではない。

 だが、決してそれが正解であるともまた言えない。

 だからこそ、人の争いは止まらない。――そのことを、セイバーは今瀬で再び理解した。

 ……とはいえ、彼女にとってそれが目の前の小を切り捨てる事と同義にはならない。

 だからこそ、彼女はこうして剣をとる。

 隣にいるディルムッドもまた、同様である。

 そしてまた、士郎と凜もまた、零れる何かを……零れてしまうだろう何かを掬い上げ、そして少しでも救いになるように願っている。

 故に、こうしてここにいる。

 信念は同じく。結果として、悲劇をなくしたい。

 

 

 

 ――そんな想いが、こうして悪魔の所業を終わらせるべく動き出す。

 

 

 

 ***

 

 

 

 森での戦いが佳境に入り始めた頃、城ではまた別の戦いが幕を開けようとしていた。

 

 城の入り口に、ケイネスが足を踏み入れる。

 心持ちが焦っていても、彼には彼なりのプライドに由来する作法、或いは〝しきたり〟とでも呼ぶべきものがある。

 それは、貴族の生まれならではともいえるかもしれないが、魔術師同士の戦いはあくまでも〝決闘〟である、という認識が彼の中にあるからであるともいえるだろう。

 魔術師たるもの、誇りをもって挑むべし。

 そんな彼だからこそ、この城で――つまりは、御三家の一つである〝アインツベルン〟の洗礼を受けたことが、その怒りを増長させる。

「アーチボルト家九代目当主、ケイネスエルメロイがここに推参仕る!

 アインツベルンの魔術師よ! 求める聖杯に命と誇りを賭して、いざ尋常に立ち会うが良い!」

 挑発的な宣告だが、応じる声は何もない。

 勿論ケイネスとて、馬鹿正直な決闘を期待していたわけでもないのだが……それでも、ここの主ないし魔術師が仕掛けていたらしい仕掛けの巻き起こした爆風に、眉根を寄せる。

「――ここまで堕ちたか、アインツベルン」

 彼の周りには、自身の礼装である水銀の塊が幕の形をとって彼を護っていた。

 時計塔、降霊科の天才児と呼ばれるロード・エルメロイの誇る最強の礼装。『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』と呼ばれるそれは、ケイネスの持つ二重属性の〝水〟と〝風〟の双方の合わせ技である『流体操作』を軸にした最強の攻撃手段()であり最強の防護手段()でもある。

 元々、天才とされる彼にはこの城に張り巡らされている結界も、城の門を護る術式もさして苦も無く破ることができた。

 そもそも、この礼装を用いている時点で、ケイネスに自身が敗れるなどといった考えはなかった。

 この『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』は、二重属性の流体操作によって動く代物だが、それがすべて手動という訳ではなく、ある程度の自律防御も可能である。

 勿論、使用者が指示するほど細かい動きが成されるわけだが、こと迎撃・防御に関してはそうではないことが多い。

 例えば、拳銃程度であるならば、秒速はおおよそライフル弾の三分の一。秒速にして、おおよそ三六〇m/sといったところか。

 これであれば、通常の十分な距離が空いていれば必然。そうでなくとも、銃口を向けられた瞬間に体面を覆う幕を張り巡らせれば弾丸を防ぐことは可能だ。

 しかし、それにはかなりのリスクが伴う。

 そうしたリスクが大きい程、人は危険性よりも安全性をとるのは必然。故に、ケイネスのとった安全策はこうだ。人の感覚よりも遥かに速い速度で、それこそ脊髄反射の様に〝攻撃〟に反応し、それを防ぎ、放った敵を察知し、それを見つけ攻撃する。

 こうして施されたその自律防御の精度は一流と呼んで差し支えない。事実、この門を潜って直ぐに襲ってきた地雷の爆風さえ防いで見せた。

 彼が先日のホテルの爆破から助かったのもこの霊装の力によるものだ。建物の倒壊、地上五〇mほどの建物の崩壊からすら逃げおおせるならば、その防御力はお墨付き。さらに、こうして速度まで備えられてしまえば、通常突破する手段はない。

 これほどの才能と武器を持ち合わせている彼が、自身の敗北を考えないのも無理からぬことだろう。

 加えて、彼は今何よりも払拭すべき至上の事項がある。

 その払拭すべき事項とは、彼が〝戦士としては二流である〟というもので、彼の婚約者であるソラウの言葉だ。

 焦がれている婚約者にそんなことを言われては、彼とて引き下がれない。この聖杯戦争に参加した理由からして、『自分の武勇を上げるため』である彼は、ここまでの失態を全て今宵の〝決闘(たたかい)〟でこれを示さなくてはならない。

 ……けれど、その願いはどうにも果たせそうにないようだ。

 

「下種め……」

 

 どうやら、先日ホテルを爆破した発破師はアインツベルンの手のものであるらしい。

 近代兵器にはとことん疎いケイネスだが、それでも先ほどの〝洗礼〟が魔術によるものでないくらいのことは判る。

 ため息を一つ吐くと、彼は僅かばかり嘆きにも似た表情を覗かせる。

 同じ魔術を学ぶ者として――何よりも、この戦いの発端である一族が、このような現代兵器に頼り切った〝無粋な〟戦法を取るとは信じたくはなかった。

 しかし、他の血族を入れないまま純潔を守り続けた、などという逸話を持つかの一族が専門である錬金術やホムンクルスなどの製造以外で、こうも実践的な戦いの手段をとれるはずもない。それは、第三次までの聖杯戦争の結果を見ていれば明白である。

 ならば、これは戦いに勝つために雇った第三者の手法。

 〝勝利に執着するのは結構だが、もう少し矜持を持ってもらいたいものだ〟

 そんな事をケイネスは考えながら、城の廊下を悠然と闊歩していく。

 周囲を見渡すと、それなりの装飾品が色々と目について回る。それらは、アーチボルト家の御曹司であるケイネスをしても中々目を見張るものばかり。

 現在ホテルを破壊されてしまい、埃臭い廃工場を拠点にしているケイネスは、この戦いが終わったらこの城を新たな拠点にしようかと考え始める。婚約者の機嫌が日に日に悪くなっているのもそうだが、貴族育ちの彼からしても今の環境はプライドが許さないといって差し支えない。

 破壊は最小限にして早々に敵を討ち取るか、と、余裕綽々とケイネスは廊下を歩いていくが、敵はお構いなしに無粋な殲滅手段をとってくる。

 降り注ぐ爆風や銃弾。

 けれど、そんなものはケイネスには通用しない。

 流石にしつこいそれらに、彼もうんざりしてきた。

 こちらが破壊の規模を抑えようとも、向こうが自身の拠点を何の感慨もなく破壊してくるのでは奪うどころではないだろう。

 ならば簡単に、向こうの居所を突き止めて倒せばいい。

 いくつかの節を詠唱し、礼装である水銀に指示を与える。

 すると、まるでその命令に応える意志があるかのような勢いで城中に水銀の手が伸びていく。

 〝手向かってくる気がないのなら、引きずり出して魔術師同士の決闘の何たるかを、指南してくれる〟

 ケイネスは、時計塔で出来の悪い生徒に罰を与える教師の心情になる。ここまで無粋極まりない戦いを見せてくれたのだ、ならばこちらは貴族として礼節というものを相手に叩き込んでやるがいいだろう。

 

「――――宜しい。ならばこれは、決闘ではなく誅罰だ」

 

 聞く人もなく、彼自身の意志の矛先として放った言葉ではあったが、その言葉と共に進んでいく彼の姿は、物陰に潜んだ小型のCCDカメラによって二階のサロンに送られていた。

 そこには、妻と自身の相方を先に退避させたこの城の今の主がいる。

 厄介だとは思っていたが、どうやら相手の力は聞き及ぶよりも凄まじい。仕掛けもさして効果が見られないことを考えると、自身もまた〝魔術師〟としての戦いをしなければならないと、衛宮切嗣は静かに自身が勝つための最善手を一度頭の中で反芻する。

 気を抜けば、一瞬で勝敗を持っていかれる。

 確かに勝つことは難しい。だが、ケイネス・エルメロイと衛宮切嗣の戦いは、その道筋を間違わない限り、必ずその行方は決まっている。

 何故なら、ケイネスは〝魔術師〟として天才であり、衛宮切嗣はそんな魔術師たちをカモにしている〝魔術師殺し〟――ならば、その行く末は決まっている。

 頭の中に完全に叩き込まれている城の見取り図を思い浮かべながら、迎撃するための位置を考えていた切嗣は、ケイネスがここへ来るよりも先に迎撃するための場所へ向かおうとする。

 が、しかし。

「……なるほど。『自動索敵』か」

 扉に手を掛けようとしたところで立ち止まり、切嗣は苦々しくそう呟いた。

 鍵穴から垂れる水銀の雫。それは切嗣が近づいた瞬間、まるで生き物のように鍵穴を逆行してその奥へと戻っていく。

 水銀が跡形もなく消え失せたのと共に、サロンの床が円形に刳り貫かれる。

 どうやら、事態は僅かばかり切嗣の当初の策より敵の方が先手を取ってしまったらしい。

 だが、それもまた想定はしていた。切嗣にとって、事態とは常に最悪を想定するものである。

 故に彼に失策という言葉は存在しない。相手を屠るまで、最善を取り続けるのが、〝魔術師殺し〟の戦い方であるのだから――――。

 

「見つけたぞ。ネズミめが……」

 

 余裕綽々と放たれたその言葉を皮切りに、今回の聖杯戦争における、初のマスター同士の戦いが始まった。

 

 

 

 ――――人の業と、誇りを求める我欲。

     明日を見るのは、果たしてどちらなのか――――

 

 

 


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