Fate/Zero Over   作:形右

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 …………(無駄にシリアスでコメントが思いつかねぇ。前は何て書いたか)。


第十八話 ~天秤の傾き、決着への一手~

 矜持と信念の交錯

 

 

 

「――――見つけたぞ。ネズミめが……」

 

 銀色の海月の様になった水銀の幕が開くのと共に、余裕綽々とした声がその場に響く。

 ゆっくりと、サロンの中央に空いた穴から自らの従える水銀の塊に乗って浮上して来たのは、丈の長い洒脱なスーツと青いコートを纏った金髪の男。

 敵へと向けられた青い瞳には明らかな侮蔑が込められており、その(さま)は、戦いに来たというよりも寧ろ、罰を与えに来た執行者か教師のようである。

 が、今宵の敵は、その程度のことで怯む輩ではないらしい。

 向けられる侮蔑の視線には、冷たい殺気でその視線を投げ返す。

 光を失ったような漆黒の瞳と、それ以上に闇に染めたような黒ずくめの風体。もしもこの二人の対峙する様を見るものがいたならば、さぞかし対照的に見えただろう。

 しかし、その刹那の間すらも捨て去る様に、二人の決戦の火蓋は瞬く間なく切って落とされる。

 

 方や、戦場を駆ける猟犬として名を轟かせる〝魔術師殺し〟衛宮切嗣。

 

 方や、()の魔術の総本山たる『時計塔』の若き天才教師、〝ロード・エルメロイ〟を謳われるケイネス・エルメロイ・アーチボルト。

 

 共に規格外の要素を秘めた天才と鬼才。

 それとは裏腹に、二人は正反対に妻の心を手に入れたいと足掻き、妻と娘の命を賭して世界を望もうとする。

 規模こそ違えど、そこに賭ける信念や良し。時に一は全を、全は一を凌駕するものなのだなら。

 なればこそ――果たして運命の女神は、一体どちらに微笑むのか?

 

 ――――これは、それを決めるための戦いである。

 

 〝第四次聖杯戦争〟における、初のマスター同士の決戦の幕が、切嗣の撃ち放った自動小銃(カービン・ライフル)の盛大な火花と共に引き上げられた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 暗い暗い森の中で、子供たちは初めて絶望が希望に変わる様を直に見ていた。

 

 青い輝きが斬り伏せ、緑の疾風が魔を断つ。

 赤き光が闇を照らし、琥珀色の瞳が運命を開く。

 それらは、久しく人が忘れていた……純粋なまでに、善であろうとする者たちの戦いである。

 

 息をする事さえ忘れそうな程、少年少女はその戦いに見とれている。

 もし、その脳裏に残ることがあるのだとすればそれは――きっと希望という光のみ。

 人は、万能では無い。

 簡単なことで歪み、些細なことで闇に堕ちる。

 もちろんそれは、それは武勇を誇る英雄とて同じこと。

 しかし、だからこそその身はいつの世も光であらんと願われる。

 先へ進むための、一つの道標として……彼らは、いつの時代も人の心を救って行く。

 それを間違いとする者もいるだろう。

 いっときの夢であると、そう嘆く者もいるだろう。

 けれど、決してそれは無駄なことでも無意味なことでも無い。

 全て救うことが、ただのお伽話でも、どんなに罪深い祈りなのだとしても。

 

 

 

 きっと人は、それを信じ続けていける先にこそ、確かな未来を描けるのだから――――。

 

 

 

 

 

 

「ぉぉぉ――――うぉおおおおおおおぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!!!」

 

 悪魔が嘆きの悲鳴を上げる。

 悲嘆に(まみ)れた悲鳴を上げる。

 

 それはきっと、

 彼の忘れてしまった光の証で、

 決して忘れてはいけなかった道標で、

 受け入れなければいけなかった一つの結末で、

 ――――きっとまた一つの〝希望〟の形だった。

 

 しかし、彼は罪を犯し過ぎた。

 余りにも、罪なき命を還し過ぎた。

 故に、ここで彼は知らねばならない。

 かつて己の守りたかった、それを今一度。

 

 そして、そのための光は、

 

「――――覚悟はいいか、外道」

 

 確かに、ここにある。

 闇は晴れる。幕開けのために、彼らは剣を取る。

 

 

 

 ***

 

 

 

 森の戦いが、その終幕を飾ろうとしていた頃。

 城の中では二人の男が、共に賭けるべき信念の為の雌雄を決しようとしていた。

 

 開口する間もなく、切嗣の手にあるキャレコが火を噴く。短機関銃から降り注ぐ九ミリ弾の雨を、ケイネスを守護する水銀は苦も無く防ぎきる。五〇発の弾倉が空になるまではものの数秒程度――しかし、それだけあれば〝詠唱〟には充分。

 瞬間――この戦いにおいて初めて、切嗣は己の『魔術師』としての真髄を覗かせる。

Time alter(固有時制御)――double accel.(二倍速)!」

 詠唱によって彼の体内を魔力が駆けるのと同時、止んだ銃弾の雨に合わせる様にして、水銀の鞭の様な刃が放たれる。

Scalp(斬ッ)!」

 それらはまさしく、死活の宣告と宣言の対比。

 だが次の瞬間、驚愕の声を上げたのは死の宣告者であった。

 迫り来る二本の水銀の刃は、切嗣に届くことなく空振りし、城の壁を破壊するに留まる。いかな破壊力を有していようとも、当たらなければどうという事はない。

「ふむ――少しは魔術師としての心得もあるらしいな」

 薄く笑い、ケイネスはそう呟いた。

 結果として、彼は敵を逃がしてしまった。だが、彼の中にあったのは、敵を屠る事が出来なかった悔しさでも、敵が躱してきたことへの称賛でもない。

 あったのは、急激に熱が逃げていくような感覚。

 ただの鼠ならばいざ知らず。仮にも魔術の恩恵を受けながらも、小細工に頼る卑劣漢。おまけに、手段は選ばぬ外道。

 立ち会うでも、名乗るでもなく。邂逅すら許さぬままに銃弾を放ち、当たらなかったと見えるや否や逃亡していった。こんな手段を取り、あまつさえ魔術師としての誇りを賭することもなく戦う。

 こんな人間は、自身と同じ『魔術師』を名乗るに値しないとケイネスは断じた。

「屑めが……死んで身の程を弁えるのだな」

 穴から階下に降りつつ、ケイネスはそんなことを口にしながら、敵の行方を模索する。

 敵が逃げ込んでいった穴は、先程ケイネスが空けたものだが……まさか彼の通って来た通りに出口に向かった、なんてこともあるまい。でなければ、いかにキャスターがいるとはいえ、わざわざ城に残っていたりすることはないだろう。となれば、少なくとも交戦の意志は向こうにもある。

 だというのに、望んでいたような決闘(たたかい)を行えるような相手ではないことが余計にケイネスの癪に障る。まるで嘆くかのように眉を顰め、苛立ちを隠そうともしないままに、彼は水銀に指示を送る。

Ire(追跡)sanctio(抹殺)

 下知を受けた水銀が、飛沫の様に城内を迸る。

 嗜虐的な笑みを浮かべたまま、ケイネスは獲物を探す。

 ……けれど、彼は気づいていなかった。戦うにあたって、自身が最も有効な初手(もの)を逃してしまったという事を。

 彼自身は決して認めないであろうが、状況判断の甘さ。自己への惜しみない賞賛や信頼。それこそが、彼が戦士としては二流であるという事の表れなのであるという事を、さして時間も置かずに体験することになる。

 

 

 

 

 

 

 一階の廊下へと躍り出た切嗣は、背後から即座に迫って来るかもしれない水銀の第二撃を警戒しつつ、手に持つキャレコの螺旋弾倉(ヘリカルマガジン)を交換。更に、彼の〝礼装〟であるトンプソン・コンテンダーの中に通常の弾丸を装填する。

 まだ、〝奥の手〟には早い。

 突き当りの柱の陰に身を隠し、背後を今一度確認する。

 だが、ケイネスの姿はおろか、水銀の影すら見えない。どうやら、敵は随分とこの戦いを愉しみたいらしい。恐らく、切嗣の位置を先ほどと同じように索敵し、その(のち)に仕掛けてくる腹積もりのようだ。

 〝――都合がいい〟

 そんなことを思考した切嗣だが、彼の肉体は、常人ならば耐えがたいであろう〝反動〟に襲われていた。

 そもそも、切嗣の使った先ほどの魔術は『身体強化』の様な単純なものではない。

 彼の使用したのは、『固有時制御』と呼ばれるもので――〝衛宮〟に伝わる『時間操作』を利用したもの。時間を調整するというのは、本来ならば『固有結界』の一種に分類されるもので、〝魔法〟には及ばないものの、かなり大掛かりな秘術ではある。

 しかし、戦場を生きることを決めた切嗣には無用の長物。

 大魔術などとは言っても指定した空間に〝過去化の停滞〟、或いは〝未来化の加速〟といった作用を施すこと――つまりは〝時の流れ〟を世界から切り離す――のは、『因果の逆転』や『過去への干渉』の様な〝時間の改竄〟に比べればさして困難過ぎるという訳でもない。

 しかし、そういった〝時間の調整〟であっても、結局は準備や設備が大仰になってしまう。加えて、往々にして不用意な『変化』を齎すモノは、〝世界からの修正〟が成されることとなる。

 と、これだけならばやはり切嗣にとっては不必要な物であっただろうが……彼は、それを自身の体内に効果範囲を限定することで、戦場で生きるための――〝魔術師殺し〟の力の一端として利用することに成功した。

 〝体内のみを固有結界にする〟ことによって、彼は体内時間を加速・停滞させる。

 これが、衛宮切嗣の用いる魔術――『固有時制御』の正体である。

 この魔術によって、切嗣は常人以上の反射速度や移動速度。或いは生命活動の遅延など、戦うことにおける要素へと転換しうるような力としたのだ。

 ……とはいえ、いくら体内のみに限定したとはいっても、〝修正力〟は容赦なく彼の身体に起こった変化を元に戻そうと働きかけ、容赦のなく変化を圧し戻す。

『固有時制御』における最も難と言えるのは、やはりこの負荷(はんどう)である。

 ごくごく一部を除き、世界からの〝修正力〟は万物に適応される。

 よほどの幸運か、或いは呪いか……もしかしたら、途方もない程の〝永久機関(ふへんせい)〟でも秘めていない限り、世界の流れには人は抗えない。

 個人の手で条理を捻じ曲げようとする『固有結界』とは、往々にしてそんなものである。

 故に、倍速や停滞をひとたび行った瞬間、切嗣の体の中はズタズタに捻じ曲げられているかのような感覚に襲われる。どれほどそれに慣れようとも、人の身体には限界があり、結論として彼が肉体を損壊させない程度に使用出来るのは〝倍速〟と〝三重遅延〟程度まで。それ以上を使用したとき、彼が立っていられる保証はない。

 今も尚、身体にかかる負荷に虐げられるような痛みが切嗣を侵す。

 だが、休む暇はない。――彼の肩のあたりに、ケイネスが放ってきた索敵の為の水銀の触手が迫る。

Time alter> 固有時制御]]――[[rb:triple stagnate.(三重停滞)!」

 鋭く詠唱を口にすると共に、切嗣の視界が一気に狭くなる。

 しかし、それとは真逆に彼の視覚はありえないほどの光を浴びる。

 何も、周囲の光量が増したわけではない。

 切嗣は自身の生命活動を三分の一に減速させ、身体の体温変化や呼吸、心拍音を明らか人間のそれとは異なるように押し留めたのだ。

 そのため、彼の視界には人間の通常浴びる光の量であっても、その捉える量がまるで三倍になったかのように感じられるというだけのこと。そしてこうしたことによって、切嗣はケイネスの索敵から逃れることになるだろう。

 ケイネスの用いている索敵は、別に使い魔によるものの様に目が見えたり、耳が聞こえたりしている訳ではない。……そもそも、無機物が生き物のようになる事例を切嗣は少なくとも見たことはないし、ケイネスがそんなものを用いているという情報もなかった。

 この索敵に置いては、標的の体温や心拍音、振動などを探っているのだと見て間違いはない。ならば、今の水銀には決して切嗣を見つけ出せないだろう。程なく水銀は元来た道をたどるように戻っていく。

 ――これでケイネスは、ここに切嗣がいないと確信しただろう。

 それを証明するかのように、停滞した耳から送られる音にも感じられ程、苛立った足音が此方に近づいてきている。

 好機は来た。最早、躊躇う理由などない。

Release alter.(制御解除)!」

 既に組み上がった勝利への道筋が、世界の修正力によって、今度は引き戻されるようになる切嗣の脳裏を駆け巡る。

 視界の明度が一気に戻り、切嗣の視神経が本来の反応速度を取り戻す。

 ――〝狩りの時間〟は、こうして始まった。

 近づいてくるケイネスを迎え撃つべく、切嗣は即座に一手目の構えを整える。

 柱の陰から飛び出し、敵がそこにいたことを認識した敵が驚きに塗れるのを遠めに見るとともに、構えた自動小銃(カービンライフル)が、狼煙の時と同様に火花を散らした。

 唐突に放たれた銃弾の応酬。

 だが、主の驚愕をよそに、月齢髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)は精確且つ速やかにその役目を全うした。

 目の前の現象に、ようやく思考が追いついたケイネスは、今自身の浴びせられている攻撃が先ほどの再演であることを見て取るや、防護膜の裏で失笑を零し、襲撃を掛ければ同じ攻撃でも当たると考えたかと考えていたらしい、〝杜撰な奇襲〟を嘲った。

「――馬鹿めが。無駄な足掻きだ!」

 ……けれど、そんなものは勿論有りはしない。

 無駄も、悪足掻きも、どれをとっても〝魔術師殺し〟に最も不要なものだ。まして、誇りや矜持、自尊心……あるいは、名誉や栄光など、万の塵芥にも劣る。

 敵にとって、最も必要なものはたった一つ。

 それを知ろうともしない彼に、この状況を読み解くことは出来なかった。

 加えて、敵が何を狙っているのかも、自分の礼装を信じ切っているケイネスには決して考えの及ぶことの無い領域――既に彼が〝狩りの獲物〟であるという事実を、彼の優秀なはずの頭脳は都合よく無視して、敗北への選択肢を選び取った。

 キャレコの弾倉が尽きるより先に、切嗣は右手に構えた大型の拳銃、トンプソン・コンテンダーを水銀の張った防護膜のど真ん中に向けた。銃口の先にいる標的(えもの)へ、切嗣は嘲るでもなく、音もなくただ口角を上げる。

 狩りの首尾は、上場である。

 たった一発の発砲音が廊下に轟く。

 派手でもなく、雨霰の様な猛威でもない。ただ一撃の、銃弾による貫通。

 

 ――――それが、完全に勝敗の天秤を余すところなく切嗣に傾けた。

 

Scalp(斬ッ)!」

 殺意のこもった一喝を受け、水銀が敵を屠らんと動き出すが、そんなモノは既に脅威ですらなかった。怒りに震える獲物の声が廊下に轟き、床を、壁を、次々と力任せに叩き壊す。その先にいる敵を殺そうと、杜撰な攻撃を返してくる。

 だが、冷静さを見失った獣など、最早敵と認識する必要もないのだ。

 水銀の動きは、確かに生物の様に機敏ではあるが、その実流動する液体という性質はそのままであった。

 仕組みとして、あの水銀の礼装は圧力を変えることでその形を変える。

 防護膜を張る時の仕組みもそのままで、キャレコの様に弾幕を張る武器に対しては薄く広く、より強大な一撃には厚く緻密に。

 斬撃を放つ時は、機動する鞭の部分が高速で動き、斬撃をぶつける部分である切っ先が切りつけるのだが、その威力の大本は遠心力によるところが大きい。そのため、実のところ斬撃自体の軌跡は掴み易い。とりわけ、切嗣ほどに近接戦闘の心得がある者ならば、それを見抜くのにさしたる時間も要することはなかった。

 今の両者の距離は、おおよそ十五メートル。

 これだけあれば、もう〝固有時制御〟も必要ない。

 となれば――ここからは、正真正銘の〝狩り〟だ。

 切嗣は、既に見切った水銀の動き、特性。そして、その限界を見てとった先にある詰み手を重ねていく。

 先程の一撃、その真の意味はここにある。

 逃走に移った切嗣を奴が追ってくるならばそれで良し、まだ自身の傷を治癒する思慮を残していればまだ挑発が足りないということだ。

 コンテンダーという近代兵器の威力を目の当たりにしたケイネスは、おそらく次はこれを通さない防御膜を作り出すだろう。自慢の〝ロード・エルメロイ〟という自尊心を、たかが現代兵器の一撃で破られた。これだけでも、奴の激高の程は先程の怒り任せの攻撃からも見て取れる。

 次に切嗣が同じ手段で、再びその身を穿とうとする時――ケイネスは全身全霊を込めた防御を展開し、コンテンダーの銃弾を完全に封じてくるだろう。

 いや、より正確には、

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 切嗣は心中でそう呟き、頭の中に馴染んだ城の見取り図を辿る。

 文字通り、これは互いの命を賭けた闘いで、二人がもう一度顔を突き合わせたその時、決定的な命のやり取りが成され――全ての決着――が着く。

 

 

 

 ***[chapter:追想 悪魔の記憶、ある光の啓示]

 

 

 

 森の中、新たに現れた加勢によって――士郎と凜の戦況は、一気に好転の兆しを覗かせていた。

 

 だが、それだけでは意味がない。

 

 ここで必要なのは、キャスターを撤退させることだ。

 決して、倒してしまってはいけない。そうした場合、取り返しがつかなくなってしまう。

 どうにかしてここを切り抜け、既に浮かんでいる幾つかの用意を済ませた後に、奴を倒さなくてはならない。

 おまけに、

 〝――小僧、小娘。城の中でも何やら戦いが始まったようだぞ?〟

 どうやら、厄介ごとがまた増えてしまったらしいことを上空に控えている原初の王が告げてくれた。……そして勿論、彼は自分から動く気はなし。

 その様子に、凛は怒り止まぬ様子で『こんなことなら、さっきの脅しで加勢もつけとくんだったわ』と、隣から物騒な呟きを漏らしたが、その気持ちは良く分かるので、士郎は反論を呑み込んだ。

 短期決戦――いや、要は暫く大仰に動けない程度に弱体化させてしまえばいいのだが、生憎それが難しい。

 次から次へと湧く海魔と、四人の背後に庇われている攫われた子供たち。

 これらを全て庇うには、どうにかして道を開かなくてはならない――その思考は一致し、四人の目標(ねらい)は一点に定められていた。

「どうです? 覆しようのない数というものは」

 今も、愉快そうな笑みを浮かべているキャスターの、左腕に抱えられている一冊の本。

 魔書――『螺湮城教本(プレラーティズ・スペルブック)』。あれこそが、ここに犇めいている悪魔たちを従えている大本である。

 あれさえ壊せれば、キャスターもこれ以上の反撃には出れまい。

 その意を汲む様に、セイバーが皆に声を掛ける。

 

 ――――ここで一つ、賭けに出てみる気はないか? と。

 

 その声を受けて、ランサーは「良いだろう。このままというのも芸がないだろうからな」と同意し、凛や士郎も頷いて了承の意を示す。

 一同の向くべき方向は重なり、一点を穿たんと燃える。

 そして、そのための一番槍は――この場に置ける最速の戦士が請け負うことに。

「私が道を開く。ただ一度きりのチャンスだ。風を踏んで走れるか? ランサー」

「――なるほど。その程度なら、造作もない」

 翡翠と黄土の瞳が交錯し、互いの意を酌み交わす。

 セイバーとランサーのしようとしていることを見て取り、呼吸を合わせ、次なる一撃へと備える。

 だが、キャスターはこの状況がまだ揺るがないものだと確信に見た多声で嘲る。

「何をぼそぼそと囁いているのです? さては末期の祈りですかな?」

 数に任させるままに周囲を取り囲む。なるほど、確かに彼の聖処女を支えたという軍師としては、正にらしいやり方であるだろう。

 多勢に無勢、少数は往々にして多数に蹂躙される――なるほど、確かにこれは真理だ。

 が、それは勿論、踊る駒が確かな単一の個体である場合の話である。

 もし、それらがたった一手で瓦解するような脆いものであるのならば、その理屈は成り立たないことになってしまうだろう。

 ……そう。今の状況は、まさにそれだった。

風王結界(ストライク・エア)!」

 セイバーの構えた剣を隠していた風のヴェールが解き放たれ、キャスターへの道を阻む海魔たちを吹き飛ばす。この一撃は、キャスターも確かに予想しなかったものではある。

 が、通常であれば問題はなかった。

 開けられた道は、再び魔の群れによって綻びを直す様に塞がれるだろう。

 しかし、

「な――ぁッ!?」

 にもかかわらず、彼が驚愕の声を漏らしたのは、この一撃はそれのみには終わらなかったからである。

 即座に塞がれるべき綻びを、その綻びとなった道を駆ける影に気づく。

 若草色の人影は、さながら風に翼を預けた燕の様に、風の航路を飛翔するように駆けていた。セイバーの造りだしたそれを、阿吽の呼吸で合わせたランサーが利用しキャスターへ迫っていく。

「獲ったり、キャスターっ!」

「ひいぃッ!?」

 右手に握られた赤い魔槍が、悪魔の呪いの根底を穿たんと突き出される。

 背後から主を護ろうとした海魔たちの攻撃も、後方深淵の様に放たれた殺と魔力弾によって防がれた。それを受けて、この一撃が、この場全ての想いを重ねるような者であることに、ランサーの口角は自然と上がる。

「抉れ、『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』ッ!」

 ランサーの声と共に突き出された赤槍が、魔書の表紙をその切っ先で抉る。遂に、全員の誇りを賭した一撃が魔書を穿つこととなった。

 だが、それは必殺には程遠い一撃でもあった。

 キャスター自身、自らの身体を槍が抉ることがなかったのを見て、再び邪悪な笑みを浮かべようとしたが……生憎と、それが叶うことはなかった。

「――? な……ッ!?」

 彼が見たのは、自らの『宝具』たる魔書がその力を失っていく光景。

 何が起こったのか、彼には直ぐには理解しがたいだろうが、その場にいる他の戦士たちにはその意味が良く分かっていた。

 

 宝具潰し――それこそが、〝魔を断つ〟とされるランサー、ディルムッドの魔槍『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』の持つ力である。

 

 紅の長槍の一撃が、悪魔の持つ魔書を抉り穿つ。

 邪気が霧散し、辺りの海魔たちが肉壊を通り越して血飛沫のように弾けて液状化に晒される。

 暗い森に蠢いていた闇の気配は一気に薄れ、それを象徴するように風の道を作り出した剣の輝きが悪魔の目に止まった。

「――――、……ぉ」

 一瞬目を奪われてしまうが、直ぐさまそれから目を逸らす。

 

 ――アレは見てはいけない。

 ――アレは理解してはいけない。

 ――アレを、知っては、いけないのだ。

 

 そうでなければ、きっと悪魔は悪魔ではなくなってしまうだろう。

 眩いほどの輝きは、何かを思い起こさせる。今知ってはいけない何かを思い出させる。

 

 

 

 ――――逃げなければ。

 

 

 

 今、直ぐに。

 この場を離れなければならない。

 思い出してはいけない何かからの逃避、避難、逃走を図る。

 悪魔は、自分が相手に与えるべき恐怖に晒されたまま、森から逃げ出そうとした。

 それを見て取った少年と少女。倒さずに、この場から満身創痍で逃げ出させるためにさらなる追い打ちをかける。案の定、悪魔は我先にと逃げ出した。

 自ら発した目くらましの中を、呼び出した海星擬きのようにうねりながら森を飛び出す。

 

 ――戦いは終わる。

 

 何を失うこともなく、何も失われることはなく……滞りなく、詰まりなく、この戦いは終わる。終わらせる。

 あと、たった一つ。城の中の結末をここで変えれば、この戦いは終わる。

 そのための準備は、とうに終わっていた――――。

 

 

 

 *** 幕間 交錯する一手

 

 

 

 森での戦闘が幕引きを覗かせていた頃、城での戦闘もまた――終結への足音を加速させていた。

 

 ――有り得ない。

 

 ケイネスはじくじくと自身の思考を阻害する肩の傷に蝕まれながら、城の廊下を破壊し続ける。

(有り得ぬ。こんなことは、断じて――ッ!)

 否定に否定を重ね、彼は自分を侵す感覚を脳裏から排斥しようとする。

 だが、城を壊せば壊すほど。

 その痛みの(もと)を排斥しようとすればするほど。

 ケイネスの心中は、言い得ぬ不快感に晒されていく――。

 

 もしもこれが魔術師同士の戦いであれば、彼はここまで怒りにさいなまれることもなかっただろう。

 

 ――しかし、これは〝戦い〟ではない。

 断じて、これは〝魔術師〟同士の戦いではない。

 そもそも、聖杯に欠ける望み事態はさして重要ではなく……こんな極東の僻地まで来た目的は、遠坂時臣や間桐臓硯を始めとした、この『聖杯戦争』を共に競う好敵手たちとの決闘を望んでのこと。

 故に、この傷は〝戦い〟によってのものではない。

 こんなもの、道端の小石に躓いた様なものだ。

 腐った床を踏み抜いた程度のものだ。

 服の裾に泥がはねた程度のものだ。

 

 ――〝怒り〟など、感じる事さえ馬鹿々々しい。

 

 野良犬にかまれた程度だと、笑い飛ばしてしまえばいい。

 事実、彼の表所は青く能面の様に無表情だった。傍目に見えるその様子は、〝怒れる者〟のそれではない。

 誰に憎しみを向けているわけではなく、彼が不愉快だと感じているのは、ひとえにこの世の不条理に対してのもの。

 敵――いや、敵とさえ形容したくはない今の相手は、不愉快な虫けらでしかない存在だ。視界に納めるのすら腹ただしいゴミの様なモノだ。

 だというのに、肩の傷がそれを許さない。こんなものを〝怒り〟の対象とするなど、〝ロード・エルメロイ〟としての沽券に関わる。決して、そんな事は有ってはならないというのに、それはまるで焼けつく酸の様に、彼の中をじわじわと焦がし続ける。

 己が内に向くその憤怒は、まるで子供の癇癪。

 思い通りにいかない、言ってしまえばその程度のことだが――それらに対しての滞りや憤りが、これまで人生を阻害されることの無かったケイネスの脆い器に、いまなお罅を刻み続けている。

 〝有り得ない――〟

 既に〝戦い〟ですらないこんなことで、傷を負うなど。

 〝あのような下膳のクズが、私の血を流すなど……有り得ぬ! 有って良いわけがないのだッ!〟

 彼は一言の罵倒も口にすることもなく、ただ夢遊病にでも罹ったかのような足取りで切嗣の後を追って行った。

 何の音も彼が発しない中で、彼を守護する水銀の塊だけが主の心内を反映したかのように、通りかかる廊下にある物を手当たり次第に破壊していく。

 絵画も、陶器も、瀟洒な家具も。一切の隔てりなく、何もかもを壊して進む。

 途中、幾つもの仕掛けもあった。

 無論の事、魔術的なものではなく近代兵器の類、所謂ブービートラップである。

 そして当然の様に、それらを蹂躙して進むケイネス。彼の礼装〝月齢髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)〟は、先程突破されたことが嘘のように――爆撃、銃撃、刺殺に圧殺。その他迫り来る数多の脅威から、己が主を完璧に守り通した。

 まるで子供騙しの玩具如く仕掛けを蹴散らす度に、その罠の滑稽さに笑いそうになった。

 けれどそれは、先程それによって手傷を追う事となったケイネス自身を笑うことと同義である。

 そう自嘲するたびに、返ってより一層内面が掻き乱され、心が煽り立てられる。

 本来であるならば、こんな下らない戯言に付き合う必要はない。

 彼の水銀――礼装は、こんなことの為に使われるべき代物ではない。ガンドを受け止め、霊刀を弾き、魔術の炎を、氷を、雷撃を突破するべき武装であるとともに……敵となるべき魔術師を驚嘆させ、異形と共に死を知らしめるための秘術であるべき代物なのである。

 

 ――なのに、今の彼の有り様はといえば。

 

 名も知らぬネズミ一匹にまんまと手傷を負わされ、自慢の礼装も一度ではあるが突破された挙句、今も辺りを取り囲む不愉快な児戯を防ぐのに使わされている。

 〝こんなことが、有っていいものか――ッ!〟

 積もり積もった苛立ちが頂点に達した頃。そうして続いたヒステリーの悪循環にも、ようやく終わりが見えてきた。

 水銀の自動索敵が、遂に獲物を見つけた。

 上階に逃げた以上、退路は有限。それは敵の側も分かっているのか、先程からピクリとも動かない。

 このまま登っていけば、いずれ三度目の邂逅へと行き着くであろう。

 逃げない敵、つまりは最後の対決を誘っているのだろうか――と、そこまで考えて彼は失笑する。脳裏に自然と浮かべた〝対決〟という言葉に、いつ間にか自分が散々と今宵の毒に晒されているのだという事が分かってしまった。

 が、もうそれも終焉。

 次に顔を合わせた時、その毒は完全に浄化される。

 ケイネスの聖杯戦争を狂わせた害悪は、ここで以て粛清されるのだから。

 報いられた一矢は、何のことはないただの不条理という偶然が呼びこんだだけだという事を、思い知らせてやらねばなるまい。解らせてやらねばならないのだ。

 対決などという言葉になるはずもない、ただ一方的なまでの虐殺――処刑によって。

 

 ケイネスが闊歩していくと、三階の廊下へと程なく行き付いた。

 ゆらり、と揺らめく月から窓を通し注ぐ光に照らされた廊下の突き当りに、奴はいた。

 逃げる気はどうやら本当にないらしい。

 この時ばかりは、真正面から二人は向かい合っていた。

 その距離三〇メートル弱。廊下の幅は六メートルで、遮蔽物らしいものは何もない。

 二人の男の間には、最早何もない。

 次の一瞬で、その全てが決まるだろう。

 

 お互いの次の一手――それら全てを以て、この刹那の開港は終結する。

 

 苛立ちにまみれたケイネスと、どこまでも冷淡な切嗣。

 どこまでも対照的な二人は、互いの次の一手の為に互いの是とする行動をとる。

「まさか先と同じ手が通じる、などとは思っておるまいな? 下種が。

 最早楽には殺さぬ。魔術で肺と心臓だけを再生し続けながら……爪先からじっくりと切り刻んでくれる。

 悔やみながら、苦しみながら、絶望しながら死んで行け。そして、死にながら呪うが良い。貴様の雇い主の臆病ぶりを……この〝聖杯戦争〟をここまで貶めた、アインツベルンのマスターをなァ!!」

 そんな怨嗟にまみれたような叫びと共に、火蓋は三度(みたび)切って落とされる。

 これまでの二度と同様に。――それゆえに、決定的なまでに異なる、この三度目の銃撃と水銀による防御のぶつかり合い。

 どちらも、その表情は笑みであった。

 互いに、自身の策がすべてハマったという確信の下での笑み。

 こうして女神の天秤は傾き始める。

 約束された勝者の為に、その傾きを確かなものにするべく、どこまでも正確無比な結末を用意するが――――。

 

 

 

 ……しかし、その結末は訪れない。

 結末は、正確無比な天秤を、その在り方を決して是としなかった、一人の少年の手によって防がれる。

 それと共に、一人の男は地獄を辿ることになるだろう。

 誰よりも熱く、誰よりも焦がれ続けた夢に正直すぎたゆえに、あまりに歪な在り方を辿り続け、どうしようもなく〝無知〟だった彼は――己の在り方そのものを、今一度、見つめ直さねばならない。

 

 ――一人の女を妻として生かし殺したことを、

 ――自分の娘を死ぬよりも辛い道を辿らせたことを、

 ――同じように理想に焦がれた少女を慟哭の淵に追いやったことを、

 ――一人の少年を救い、決して戻れない理想(みち)へと誘ったということを。

 

 それらすべてを、彼は知らねばならない。

 救いへの道の為に、犠牲を是とするのであれば――今、彼自身が心傷(それ)を追わねばならないのだと。

 赤い少女に命じられ、その手を一度離れ少年と共に降り立った、呪いと称されるほどの悪魔の手によって――――

 

 

 

 ――――彼は、自身の悪とする戦場以上に、最もおぞましい、ある〝過ち〟の地獄(きおく)を巡る。

 

 

 


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