Fate/Zero Over   作:形右

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 こちら、第一話になります。


第一話 ~少年の終わり、始まりの戦争~

 ある少年の終わり、そして始まり

 

 

 

 

 

 

 〝――――♪〟

 

 

 〝――――――けて〟

 

 

 

 ……何かが、聞こえる。

 自身の居る『英霊の座』という場所にあるはずのない、他人の声が。

 微かな声も聞こえたが、それは霞のごとく弱々しく霧散し、はっきりと聞こえた方は声色はどことなく楽しそうで、ふざけているかのようにも聞こえる。

 だが、そんなふざけた様な軽い声に、度し難い程の邪悪さをにじませていなければ、単なる戯言の類と思ったかもしれない。

 隠しようもない、邪悪さ。

 それはかつて対峙してきた悪に対するものではなく、どちらかというなら……寧ろ、自分の同類だったあの外道神父に近い、何かを求め、その為に何かをただひたすら蔑ろにするかのような。

 極端に形容すれば、無邪気とさえいえそうなその声に、嫌悪以上に恐怖を感じた。

 ……いや、待て。

 そもそも、何故こんな声が聞こえる?

 それに、〝恐怖〟……?

 英霊となったこの身に、正義の味方になりたいと願い、少女たちに支えられ、その理想に向かって歩んだこの身に、〝恐怖〟?

 悪を、より言い含めるならば、人々を苦しめるその原因を打ち倒す。

 けれど、それでも全部救いたい。

 その理想を追い求め、自分の手の届くところの人々は勿論の事、手の届かない人にも手を差し伸べられたら。

 そんな想いで歩み続け、決して孤独のまま終わらなかった。

 こうして歩み続けたはずなのに、どうして今更〝恐怖〟を感じ、こんなにも心かき乱されるのだろうか――

 

「――ッ……!?」

 

 意識が体に宿る。

 その感覚は、英霊(サーヴァント)として呼び出される、あの感覚に似ている。

 しかし、

「――♪ 閉じよ閉じよ閉じよ閉じよ(みったせーみったせーみたしてみったせー)。繰り返すつどに四度――あれ、五度? えーと、満たされるトキをー、破却する……だよなぁ? うん」

 足の指で魔法陣を書きながら、歌うように節をつけ、その詠唱(コトバ)を口にしている。

「♪ |閉じよ閉じよ閉じよ閉じよ閉じよ《みったせーみったせーみったしてみったしてみったっせっ》、っと。はい、今度こそ五度ね。オーケイ?

 ――ん? 目ぇ覚めたかい、坊や」

 今回のそれは、あまりにもこれまでの事とは異なるものだった。

「――――」

 声を失い、目の前に広がっていたその光景がその心をかき乱す。

 ごくごく一般的な民家らしい場所のリビング。だが、その惨状は、とてもではないが一般的だなどとはいえないものだった。

 目を疑う程の、『(あか)』。

 周りを覆いつくすのではなく、足元にだけ広がっているどす黒い赤。

 こんなもの、戦場ではいくらでも見てきた。

 けれど『この身』は一度もこんなものを見たことはない。

 奇妙なほどに、その心は搔き乱される。

 奇怪、異常とさえ言い換えられそうなその感覚に、すっかり呑まれそうになる。

 否、既に〝呑まれた〟のだ。

「」

 そこで理解する。

「んー? もしかして……寝ぼけてる?」

 目の前の軽薄で、異常な青年の残虐性など気にも止まらない。

 そう、これは。

(……そう、か――)

 ここは、

(――『俺』が……死ぬ、場所)

 そして、生まれる場所。生まれ変わる場所だ。

 その可能性の一端。

 『○○士郎』が『衛宮士郎』になったように、この『士郎』もまた、一度死んだのだ。

 ……何の因果か、至った『衛宮士郎』を引き寄せて。

 一度死んだ伽藍洞の身体に、錬鉄された(つるぎ)が注ぎ込まれた。

 嘗て、伽藍洞のまま『抑止力』となった男がいる。

 彼もまた、ここいる少年たちと魂を同じくするもの。

 どうやら、世界にとって『エミヤシロウ』は、非常に都合のいい存在であるらしい。

 〝正義の味方〟などという幻想を、本気で目指す偽善者。

 歪な心で、誰かに何かをささげなければ息すらできない。そんな、人間ふりをし続けたブリキの騎士。

 誰かを救う。

 悪をくじく。

 そんな子供じみた心を、果てしない程の偽りの心で凝り固めた。

 そしてそれは、最後の最後。己の命が尽きる瞬間にだって折れはしない。

 例え何が起ころうとも、その形は永劫に消えない。

 人類という種を存続させることを目的とした『抑止力』にとって、これほど都合のいい存在がいるだろうか? いや、そうはいない。

 『英霊エミヤ』がそうであったように、ここにいる『士郎』も正義の味方を諦めなかった。

 ただその途中で、彼に至らずそこへ至った。

 そのためか、彼よりはまだ『英霊』に近い。

 ごく僅かな違いだが、それが『彼』という存在の最果てにとっては決定的に、大きな違いとなる。

 そして、ここにもまた――同様に。()()()()()()()()()()()()()()少年がいた。

 そんな少年が真に〝終わる〟ことは、神が許そうと世界が許さない。

 固有結界を潜在的に宿し、死んだときにその世界を完成させる。

 そして、その形は鍛えれば鍛えるほど、鋭さを増す剣の様に。

 闘う程に、戦場を越えるほどに、彼は文字通り鍛えられる。

 空の心が、その内に秘める空白を、心を無限に形にする。

 それこそが、彼に許された唯一の魔術。

 その力は、彼にとっての一度目の死と、父の呪いの言葉経て、二度目の死である『第五次聖杯戦争』を越え、そこに至る。

 これは、どの世界においても、『士郎』という少年が背負った一つの道筋(さだめ)

 

 ――が、ここにもう一つの可能性があった。

 

 それより早く、死んでしまう可能性。

 何にも至らない、まっさらな一度目の死を迎える可能性。

 そんな些末な運命に、世界も抑止も神さえも。誰も何もする気などない。

『士郎』という少年は死んでしまう可能性など、腐るほどにある。そのために専用の案内所が並行世界に用意されているほどに。

 ならば、その大本が死ぬ可能性もゼロではなく、またそれもその一端。

 些細なことでしかないが、気まぐれか偶然か、その綻びを多少気にした世界が、死に瀕する子供を見捨てるはずのない正義の味方を遣わした。

 己自身とはいえ、まだそれは『彼』ではない彼。

 心内に関して言えば、他人と言っても差し支えないだろう。

 それでも、それは彼だ。故に世界は彼の元に彼を遣わすことをした。

 しかしそれは僅かに間に合わず、形式が変更され、召喚ではなく憑依となってしまう。

 

(――じゃあ、あれは……)

 

 『座』に届いた、最後の声。

 あれは、死の淵に晒された、自分自身の声。

 本来、『衛宮士郎』の心は折れない。何者にも屈することもなく、その心は決して敗走を許さない。けれど、ここに居るのはそれ以前の姿。

 何の変哲も無い、ただの子供。

 地獄を見る前の、ただの子供。

 いや、彼も地獄は見たのだろう。

 目の前で、両親を殺されるという、地獄を。

 幼い子にとって、唯一にして絶対無二の存在である親を、こんな理不尽に奪われることがどれほどの衝撃であるかは、想像に難く無い。

 あの時も、この時も。少年はなにも出来ず、目の前のものを失った。

 なのに、そこには自分だけがいた。

 地獄を歩き続けた。生きなければ嘘だと思い、目の前の死を置いて。

 今度は歩くことすら出来ず、より一層明確な死を見た。なにが起こったのか、それを理解できないという意味合いは同じだが、天災に比べ、人災はその形をどうしても解ってしまう。

 目の前で切り裂かれ、誰も自分の味方がいなくなる。死が迫る、逃れることの出来ない、その死が。

 だからこそ、もがこうとした。抗おうとしたのだろう。

 立ち向かうまではいかなくとも、その恐怖から逃れるすべを探そうと。

 しかし、ここにそんな活路はなく、さながら虫と子供。玩具にされるのは目に見えて居る。そんな現実が、彼の心を閉ざし、殺した。

 彼が『彼』になる前に、空の心になるその前に、最後に言い残したあの言葉。

 決して強くはない、断末魔。弱々しいその残響は、酷く耳に残っている。

 間に合わなかったことが――例えそれが自分自身だったとしても――それで救えなかったことが、果てしなく彼の胸を締め付ける。

 これだけは、直ることはなかった呪い。

 だが、同時に目の前の人間を分け隔てなく救おうとするには必要な心。

 そしてそれは、こんな状況でも、彼女たちのくれた『愛』を忘れないという決意を伴って、ここに在る。

「うーん、子供にはまだこの芸術(アート)は早かった、かなー?

 ま、いいや。ところでさ、坊や――悪魔っていると思うかい?」

 目の前の誰かが何なのかもわからないが、それでも放っておいていい相手じゃない。

「テレビや新聞だとさぁ、よくオレのこと悪魔呼ばわりするんだよね。でもそれって変じゃねぇ? オレ一人が殺してきた人間の数なんて、ダイナマイト一本もあれば一瞬で追いぬいちゃうのにさ」

 傍に転がっている躯に、彼の足元の魔法陣に、一つ一つに目が行き、そして最後はその青年に目を見据える。

「お、ようやく起きたのかな?」

 その目線を自身への抵抗と見たのか、何と見たのかはわからないが、青年はもう少しこの玩具で楽しめるだろうことを喜んでいる。

 また、死に瀕する者を前にすると、彼は饒舌になるという癖があった。

 死に瀕するとき、大人は時として醜い抵抗をするが、子供は純粋で、見ていて愛らしい。故に、こうした問答は彼の好むところの一つと言えるかもしれない。

「いや、いいんだけどさ。べつにオレが悪魔でも。でもそれって、もしオレ以外に本物の悪魔がいたりしたら、ちょっとばかし相手に失礼な話だよね。そこんとこスッキリしなくてさぁ。『チワッス、雨生龍之介は悪魔であります!』なんて名乗っちゃっていいもんかどうか。それ考えたらさ、もう確かめるしかほかにないと思ったワケよ。本物の悪魔がいるのかどうか」

 そう子供に向かって上機嫌になりながら告げる。

 この問答も、儀式殺人に凝りだしたから考えた、なんてものではなく、単なる偶然でしかない。

 実際、ここでこの少年が生き残るのも、単純にここの家の住人が、両親二人と兄妹で、親と一緒に寝るのが恥ずかしかったのか、背伸びしたい年頃なのか何なのか知らないが。たまたま離れた個室で寝ていた少年一人を後回しにして、まとめて殺した後に捕まえて残したというだけに過ぎない。

 実際、魔法陣を描く血に関しても、その三人で事足りた。

 その後で、何か別の殺し方を試してみようと思った程度だったのだが、そこで、一つのアイディアが浮かぶ。

「でもねー。やっぱりほら、万が一本物の悪魔が出てきちゃったらさ、何の準備もなく茶飲み話だけっていうのもマヌケな話じゃん? だからね、坊や……もし悪魔サンがお出まししてきたら、ひとつ殺されてみてくんない?」

 その提案に、先ほどまで恐怖で気が動転していた子供ならば、きっと〝可愛い〟反応をしてくれるだろうと、そんな気分で愛嬌を振りまいている。

 だが、そんなものは士郎にとっては醜悪の極みだ。

 目の前の相手は、かつて対峙した神父と同様、己の欲望にただどこまでも純粋だ。この青年の方がいささか感覚は幼いが、それ故か自分が悪だという感覚はない。それは、この探求こそが彼の生であるからに他ならない。

 そこに彼自身の抱く感慨は有っても、そこに飲まれる者達への罪の感覚はない。

 子供が昆虫の羽をむしり取るのと同じ感覚を持ったままで、彼はそれを人に対してなしている。

 単純にそれだけのことだ。

 この、今始まっている目の前の惨状すら、彼には大したものではない。

 恐らく、彼にとって重要なのは、そこに有る死を見る事だけ。

「悪魔に殺されるのって、どんなだろうねぇ。ザクッとされるかグチャッとされっるのか、ともかく貴重な経験だと思うよ。滅多にある事じゃないし――ぁ痛ッ!」

「――――?」

 喜々として、『悪魔』とやらについて語っていた目の前の男が、急に手の甲を抑えたことを不思議がる。

 なんだ? と、士郎は今の自分の状況すら忘れて、その様子を注視する。

 同時に、背後の魔法陣が微かに流れを生む。

 青年は、手の甲に現れた何かに気を取られ、まだそれには気づいていない。しかし、士郎はそれを理解した。

 アレは、英霊の召喚。

 目の前の男が言っていた『悪魔』とは、『聖杯』により呼び出される『英霊(サーヴァント)』の事だということを。

 ただ、それを理解した上で、この召喚を行おうとしているのではない。かつての自分と同じように、彼は偶然その召喚の仕方だけを知り、この戦争に偶々参加してしまうことになるのだと。

 資質があろうがなかろうが、そこに身を差し出す覚悟があるのなら、聖杯はそのものを『マスター』として選び取る。

(―――拙い……っ)

 拙い。非常に拙い。

 見たところ触媒もなく、彼はここへその英霊を導こうとしている。

 『聖杯(きせき)』を巡るこの戦争(たたかい)において、英霊は触媒を用いない場合は、その召喚者に近い性質の英雄が呼び出される。

 無色の願望来る聖杯はその性質が悪である英霊を呼ぶことは、本来ならばない。しかし、この世界に士郎がいるという事は、恐らくであるが第四次聖杯戦争が行われていて、この召喚はその戦いのもの。

 つまり、聖杯は第三次聖杯戦争の『この世全ての悪(アンリマユ)』の召喚が行われ、汚染されている。

 無論、聖杯戦争を辿る世界は様々な可能性に満ち満ちている。

 確実ではない。けれど、往々にして無色のものは侵されるのは物事の道理に等しい。

 加えて、

「……ん? ――ッ」

 青年は、魔法陣に起こっている明らかな変化に息をのみ、その行く末を見据えている。

 それを受けて、士郎は今この瞬間に自分を監視するものが無くなった好機を得る。

 だが、このままでは、おそらく士郎は何もできずに死んでしまう。

 死ぬことは出来ない。義務ではなくとも、このまま今を生きることを放棄することは、出来ない。

 この体の元の『士郎』はこの状況に心を殺してしまった。

 そこに割り込んだのは、例え同じ自分でも、その命を継いだなら……無駄になど、出来るはずがない!

「…………生きる……生きるんだ……っ」

 新たに決意を固めた士郎の声は、口に貼られたガムテープと、召喚によって巻き起こる魔力の風の音に搔き消え去れてしまう。徐々に強くなるその流れが、血の匂いにむせ返りそうな部屋の空気を循環させる。青年はそれに夢中になり、士郎のことは頭から抜け落ちてしまっている。

 チャンスは、今しかない。

 

(――――同調(トレース)開始(オン)――)

 

 未熟な身体が空になり、その虚空に剣の体が押し込まれた。開いてなどいない魔術回路は置き換わり、次第にその身体を侵していく。

 巡る感覚が、空の身体にあるべき世界を作り出していく。

 ――開かれた。

 身体と手首を縛るロープと、口に貼られたガムテープ。その材質を、その構造を、解析する。

 綻びを探す。どうすればこの場を脱せるのか、それは分からない。けれど、足掻き続ける事こそ、諦めない事こそ、自分自身が自分自身である、その所以。

 手首を縛ってたのがテープではなくロープであったことや、まだ未熟な身体が幸いした。経験を持つ士郎は、固まり切っていない関節を上手く外し片手を引き抜くと、次なる動きへと繋げていく。

(――――投影(トレース)開始(オン)……ッ!)

 撃鉄を引く、魔術回路を開く、その行為が、これほどに身をよじらせる。

 開かれても、使われてもいない、ある事すら知られていなかったその回路(みち)が、現身(うつしみ)にされた英霊の――衛宮士郎の力で満たされる。

 ……まるで、『体』を作り変えるようだ。

 漠然と、そう感じる。

 元よりこの『体』は――本来の(カラダ)は――生み出し創るためのものだ。しかし、それはこの身体の本来の持ち主である『士郎』のもの。果たして、これが正しいのか、それは分からない。

 だけど、ここで終わるわけはいかない。

 

 ――この体を、本意かどうかは別として、こうして託されているなら……それを、無駄になんてするわけにはいかない!

 

 拙い構成で、それでも強い心で、その剣を打つ。

 本来に比べれば粗雑であるが、生み出されたその剣は士郎の手に良く馴染んだ。

 細やかな動作で、身体にまとわりつくそのロープに剣を当てる。

「――問おう」

 士郎が身体を縛るロープを切るのと、目の前の魔法陣から英霊が出現したのはほぼ同時だった。

「我を呼び、我を求め、キャスターの(クラス)を依代に限界せしめた召喚者……貴殿の名をここに問う。其は、何者なるや?」

 現れたのは、異様なほど眼球の大きい男。着ている服のせいで瓢箪ないしマトリョーシカのように見えるだろうが、その中身はおそらくがりがりにやせ細っていることは傍目から見ても明らかだ。

 そのことから、おおよそ〝戦闘〟を主軸とした英霊(サーヴァント)ではないであろうことが見て取れる。加えて、先程聞こえた本人の発言からも、召喚された(クラス)が『キャスター』だと分かる。

 そんな相手の前で魔術を行使したのだから、気づかれる可能性もあるが、今二人は何かを話していて士郎の方には注意は向いていない。

 だからといって、この隙を隙と思って無防備に逃げ出そうとすれば、その考えは悪手になりかねない。

 狙うのは、相手と自分が十分にお互いを認知した状態での決定的な隙。

 通常サーヴァントから逃げ出そう、などというのは本来なら絶対にできないといっても過言ではない。それこそ、蟻が象に挑みかかるようなものだ。

 けれど、今の士郎なら――その可能性は、決してゼロではない。

「――まぁ、それは置いといて。とりあえずお近づきに、ご一献どうです? ……アレ、食べない?」

 此方に注意が向き、その視線に身体が強張る。

 見る者が見れば、それだけで悪魔と呼べそうなその風貌。そんな男の異様にギョロついた目玉が、真っ直ぐ士郎を見据えている。

「――――ふむ」

 しかし、即手を下すという事はせず、男は何から洋書のような厚手の表紙の本を取り出す。

「あ、凄ぇ、それ人間の皮でしょ?」

 青年がその材質に興味を持ってそう呟く。

 士郎はその材料に眉を顰めるが、ここであまり暴挙に出ても仕方がない。

 汚染された聖杯は、反英霊や怨霊すらも呼び出す。

 その英霊の持つ宝具などが悪趣味なものであっても、それはその伝承から来たものだ。今更とやかく言って変わるものでもない。

 落ちついて、まだ無力な子供であることを示すのだ――この先にある、生存を勝ち取るために。

 動揺を押し殺し過ぎず、相手が侮る程度の状態を保つ。難しい上に、厳しい賭けだ。

 額を汗が伝う。それを相手は恐怖ととったかどうかは定かではないが、相手は、先程から凝視してくる士郎を見て、何かを思いついたらしい。

 二、三節程度の呪文らしきものを唱え、士郎の傍に寄ってくる。

 いつでも行動に移せるように、覚悟だけは強く鋭く、けれど静やかに。一本の糸の様に張り詰める。

 だが、意外なことに、士郎に対してその『キャスター』は――

「――? おぉ……! これは……」

 手首と身体を縛っていたロープを、どうやったかまでは分からないだろうが、抜け出している士郎を見て、喜色を浮かべる。

 こういう反応をするものは、総じて危険だ。

 これは、子供が助かる道を模索して、それをしようとしたことに対する勇気の称賛ではない。獲物がいかに足掻き自分から逃れようとしているかを楽しみ、その最後を自らの手で刈り取ることを目的とする狩る側の愉悦でしかない。

「よく頑張ったね、坊や。怖がらなくてもいい、君の勇敢さは素晴らしい……さあ、立てるかい?」

 手を差し伸べ、あくまで優しく士郎を立ち上がらせた。

 そっと士郎の口からガムテープを外し、笑顔を浮かべる。

 その笑顔は、まさに悪魔だと思っていた男が、実は慈愛の精神を持っていたという〝演出〟にはうってつけだった。

 頭をそっとひと撫でし、

「さあ、あそこの扉から部屋の外に出られる。一人で行けるね?」

 といって、部屋の扉を指さした。

「――うん」

 こういったタイプは、その最後の瞬間を絶望に染め上げたがる。かつてたどった道の中、その手の輩は大勢いた。戦い、時にその命を屠り、時のその命は本来の形を取り戻して和解したこともある。

 掃除屋に成り果てなかった自分の姿は、かつて対峙した『理想』に届いているだろうか。

 ただ、その掃除屋だって、間違いだったわけではない。そう、俺たちの理想は――決して間違いなどではなかったのだから。

 一歩、また一歩と外へ進む。

 廊下に出ると、すぐその先に玄関があった。もしこれが一から捕らえられ、殺されかけたただの子供であったのなら、きっと玄関の戸から漏れ出す光は、救い光明か世界からの祝福に見えただろう。

 が、士郎にとって、この光は……まるで自分を試している世界からの挑戦状に思えた。

「――――、……る」

 背後から迫る殺気。

「――生きてみせる……ッ!」

 士郎の手に霧の様な魔力が浮かび、双剣が生み出される。生きる決意が、形を成す。

「ぅ――あぁぁッ!!」

 迫り来る蛸擬きのような、或いは人食い海星のようなその怪物の触手を、幼子にあるまじき剣捌きで斬り落とす。

 とはいえ、熟練の武人如き捌きができたわけではない。

 己の生存を勝ち取るため、誰かの命を守るための剣を磨き続け、自分の命も換算に入れて闘うことを目指した、もう一人の錬鉄の英雄。

 その剣を、託されてしまった命を守るべく、振るった。身体が恐れるその恐怖を切り伏せるように、心を研ぎ澄ましながら。

 そうして、自分を捉えようとする触手のみを切り落とし、外に出ることだけを最優先にする。

 本来なら、相手に背中を見せるようなこの行動は悪手になるかもしれない。だが、たった今召喚されたばかりのキャスターにそこまでの準備は出来ていない筈だ。

 ここで無理に戦うことは、きっと何もできずに終わるだけだ。あんな悪魔の化身のようなマスターとサーヴァントを放っておくことなどできないが、今の己にできることは何もない。生き残る事、それ以外には。

 確固たる決意で、その怪物から逃れるための最善手を選び抜き、命からがらそこから退却する。

「はぁ……はぁ……ッ!」

 外に出て、すっかり夜に染まった夜明け前の街を幼い足で駆け抜ける。

 自分が覚えているよりも少し昔のこの街で、戦いが始まる。

 何故自分にとっての過去に呼ばれたのかは分からないが……それでも、まぎれもなく、今自分はここで『生きて』いる。

 既に止まったはずの心臓は、先ほどまでの緊張でバクバクと脈を打つ。

 燃え上がりそうな脈動に、息を荒げながら夜の街を駆け抜ける。わき目もふらずに駆け抜けているのに、湧き目に映る光景は、『士郎』の心を締め付ける。

 ここに在ったはずの平穏は今日――そして、あの日をもって打ち砕かれた。

 

「ぅ……く……っ!」

 

 流れるはずの無い涙は、空の身体から流れ出して頬を濡らす。

 見も知らない、けれど……確かに解る、本来の父と母、そして忘れていた妹の骸を残して来たということに。覚えていなくても、なにも出来ない自分と、こうなってしまったことへの悲しみ。

 ひび割れた心を潤すかのように、忘れてしまったその悲しみの元を弔うように、士郎ができないことを代わりに悼むように流れた。

 本来なら、もう会うことはなかった。思い出せるはずも、なかった。でも、こうしてここに居ることで、この身体に――魂の根幹に刻まれたその本能が、悲鳴の代わりと言わんばかりに溢れ出した。

 酷い顔になっている。その自覚はあったが、足を止めて死ぬわけにはいかない。

 あんな事をした悪魔を野放しにすることは、こうして涙を流しても洗い流せないが、今出来もしないことでこの身体を殺すのは、この命と共にあった人たちへの冒涜であるように思えた。……何より、起こってしまった悲劇は覆せない。なら、できることは一つだけだ。

 自分は偶然だが、ここで『生きて』いる。ならば、前に進むしか無い。

 いつだって、答えも明日も希望さえも、前にしか無いのだから。

 そうして悶々とした思考の中、走り続けた。どれくらい走ったかもわからないが、明けの明星が輝き始めたことを見ると……夜は明けるらしい。

 また、しばらく走ったが、後ろから迫る者はなかった。どうやら、そこまで追い汚い狩人ではなかったらしい。

 息を整え、これからのことを考える。しかし、考えなければならないが、心の動揺が大きく……冷静になりきれない。目眩を感じながら、それでも前に進む。

 そんな心の痛みを抱えながら、少年の戦いは始まった。

 

 

 

 ――――こうして、始まりの戦争に、正義の味方を目指し至った少年が招かれ、本来とは異なった始まりを迎える。

 

 

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