Fate/Zero Over   作:形右

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 Fate√の回想。
 ちなみに、語り部的な同行者がいるのは仕様(と当時のアンケートの結果)です(笑)。


第二十一話 ~運命の道、運命の丘での別れ~

 序 惹かれ合う『剣』と〝剣〟

 

 

 

 ――――それは、『剣』と〝剣〟。

 

 未だ知らぬ本質は、闘う者と生み出す者。

 ――二人の在り方はまるで違う。

 あるべき姿もまた違う。

 赤い荒野で無限に連なる剣と、永久に続く想いを束ねた剣。

 それらは、無限を極めて力とし、たった一つを究極と成す。

 仮に心意気が同じとて、決して相いれることはないだろう。――なのに、二人は惹かれていた。

 己の中の正しさを曲げてしまいそうなほどに。

 果たして、二人にとってこの剣撃の()は、一体どう聞こえていたのだろう。

 真剣を用いた物でないとはいえ、二人の間に張り詰めた糸の様な空気は真に迫る何かを持っている。

 打ち合う度に、二人の心は踊っていく。

 どうしようもないほどに、言葉などとうに越えてしまい、心の融和だけがただ静かにそれを表す。

 心地よく、通い合う熱。

 響き合う音と共に、裡の水面が揺れる。

 まだ、お互いに気づいてはいないけれど――確かに、この時から既に、二人は惹かれ合っていた。

 

 

 

 *** 行間一 姉妹の見た、夕暮れの光景

 

 

 

 燃えるような夕暮れに染まった、静まり返った校庭の一角。

 一人の少年が、ひたすらに走り高跳びを繰り返している。

 未だに繰り返され続けている光景を青い/紫の瞳に映している少女たちは、その光景をただ見ていた/心内で見下していた。

 何がそこまでさせるのかと、

 酷く真摯な姿が妬ましいと、

 どうしても目が離せないままに、ひたすらに見ていた……。

 

 〝いったい何が、そこまでさせるのだろう?〟

 

 〝――――――失敗しちゃえばいいのに……〟

 

 二つの瞳は、凛とした光を、穢れた花の色を示し、少年を見ていた。

 けれど、二人の抱いた感情を意に介することもなく、少年は飛び続けていた。

 ――その時、

 

 

「「――あ」」

 

 

 少年は倒れ、夕暮れの走り高跳びは終わりを告げる。

 それを見て、

 少女は彼の元へと向かい、

 少女は彼に憧れを抱いた。

 そして、少年は――

 

 

 

 〝――――跳べないってことが、挑戦を止める理由にはならない〟

 

 

 

 少女たちへ仄かな想いを抱かせ、決して裏切ることがない強さを見せた。

 焦がれて、任せてもいいかもしれないと思った。

 傍に居たいと、そう願うようになった。

 彼女たちの記憶にその存在を刻んだ、ある夕暮れの出来事。

 真っ赤なグラウンドの中で、ある少女は片づけを手伝うことになり、またある少女は辛い家路を一人辿る。

 

 ――――落ちる夕日が燃える色を放ち、彼女たちの心も小さな熱を刻み込んだ。

 

 

 

 *** 行間二 冬の城で出会った姫と騎士

 

 

 

 冬の城を取り囲む、深い深い森の中。

 かつて、彼女の母も彷徨った森。

 父と胡桃の冬芽を探した森が、母の血が流れた痛みを知らない筈の少女を苦しめる。

 楽しい思い出が、彼女の知らない苦しみと共に、彼女のことをその内へと誘う。

 だが、そんな痛み苦しみは、心の中をドロドロと流れる憎悪によって潰される。

 祖父の語った言葉。

 〝――奴は、アインツベルンに背を向けた〟

 嘘だと思いたかった。

 だけど、迎えに来てくれる筈のあの大きな手は二度と少女のことを撫でてはくれない。それどころか、交わしたはずの約束さえ違えられてしまった。

 大人気無くて、まるで子供の様にズルばかりする人だったけれど、本当は……本当は、大好きな〝お父さん〟だったのに。

 もう帰ってこない。

 少女はもう一人だった。

 沢山のメイドたちや、大御爺様はいるけれど、誰も自分のことを見てなかった。

 どれだけ自分のことを支えてくれても、少し視野を広げてみればこの〝アインツベルン〟のことしか考えていないようなものだ。

 こんな世界は、望んでいたものではなかった。

 ただ、父と母がいてくれるだけで良かったのに。……望みは、本当にそれだけだったのに。

 冬の森は、容赦なく少女の小さな体躯(からだ)を痛めつけてくる。

 獰猛な狼たちは、無防備な肌を爪で裂き、歯で薄い肉を噛み千切ろうとする。

 苦しみに歪んだ表情。その裏に包まれた心は、ただひたすらに泣いていた。

 幼い心は、もうこんな世界は嫌だと悲鳴を上げる。

 誰も聞いてくれない、その悲鳴を――。

 

 だが、

 

 届くはずの無かった声は、一人の戦士によって聞き届けられた。

 巨躯に見合った、鋼の様な体を遺憾なく雪の中に聳えさせた狂戦士。

 少女の呼び出した英霊、苛立ちのままに散々暴騰し罵った挙句に見捨てたほどに、少女は彼に対して無礼なことばかりしてきた。……だというのに、少女の二、三倍はあろうかというその躰は彼女を護り、記憶にある父の手など優に超えた大きさ。だけど、そこに在った暖かさは同じだった。

 

 〝――――バーサーカーは、強いね……〟

 

 雫が溢れ、自分のことを守ってくれる誰かにもう一度で会えたことが、どうしようもなく嬉しかった。

 もう、何も恐くない。

 そうと解れば、もう少女に敵はない。

 何故か? と問えば、簡単な話だ。

 

 ――彼女は最強の魔術師(マスター)で、彼女の英霊(サーヴァント)は誰よりも強いのだから。

 

 少女の心は、自分を虐げ続けてきた世界への呪いを隠さない。

 自分を捨てた父も、あるべきはずだった儀式を遂げられなかった母の無念も、……自分という〝娘〟の存在を貶めた〝弟〟への復讐を誓う。

 そこに善悪はなく、あくまでも自分を侵されたからの報復に過ぎない。

 まだ何も知らない彼女は、これから沢山の真実を知っていく。

 胸の中に無い誰かへの想いは、この戦争の中で生まれるだろう。

 今はまだ、ただ憎しみと親愛の複雑な感情ではあるけれど、いずれ出会い、そして紡がれるだろう。

 父の代わりだった狂戦士を失い〝弟〟は〝兄〟として手を差し伸べる終わりもあり、その手が届くこともなく、誰に救われることもなく終わりを迎える結末のこともあった。

 そして、〝兄〟に〝妹〟として救われ、家族というものがどんなものであるのかを、〝姉〟として〝弟〟を救う決意の終わりもある。

 運命の夜は、彼女に優しく微笑むのか――あるいは、牙をむくのか。

 ――そのための夜は、運命を連れてやってくる。

 

 

 

 ***

 

 

 

 幾つもの人が、この夜と少年を待ち望んでいたのかもしれない。

 夜に始まる物語。

 夜に終わる物語。

 幾つもの人々の願いが、奇跡を培ってきた。

 白い祈りを汚した黒い呪いの泥。

 だがやがて、遂に――

 

 ――その一片を、人々は垣間見る。

 

 

 

 *** それは、一つ目の物語

 

 

 

 叫びを上げろ。

 守れなかったことへの、叫びを。

 幾度となく心を捧げ続けた男は、どの戦いに置いても、その心内に、曲げられぬ信念を隠し続けていた。

 すぐそこに在るというのに、何もできない。

 

「――そう、俺は過ちを正したかった」

 

 と、そっと彼は呟いた。

 しかし、その呟きの真意を知ることはまだ出来ない。今、見ているだけの切嗣は、内容をどうにか頭に送り込むだけで精一杯だったのである。

 先ほどまでの少年、そして彼の――

 そこまで考えて、ふと切嗣は今自分の置かれた状況を再び反芻する。

 不思議と落ち着くこの場だからなのか、妙に落ち着いた感覚で思い返すことが出来た。

 ここまで見た光景(きおく)には、いくつか矛盾する点がある。

 傍らの彼は、断定はできないとはい、恐らくはサーヴァントだろう。故に、ここにいる彼が〝聖杯戦争〟たる出来事に参加しているのも頷ける。セイバーがあそこにいるのも同じ理由なのだから、居る・居ないは問題ではない。

 英霊となったものは、『座』と呼ばれる高次の領域に召し上げられると聞いたことがある。何でもそこは、時間も空間も超越した場所。

 だからこそ、世界さえも超えて別世界に召喚させることも珍しくないのだろう。

 ……だが、あの夜は『あの少年』の物語だ。だというのに、あの〝悪魔の様な呪いのステッキ〟は彼をこの場に送ったのだろう? 本来であるのならば、あの少年がここにいるはずだというのに――

 

 〝―――――いや、待て〟

 

 そういえば、確かあの少年……そして、あの赤い少女もまた、あの場にいた。

 あの輝きを放つ『盾』を作り出し、自分の放った魔弾を打ち破った。その事実はもういい。ただ、切嗣は腑に落ちない部分を感じる――この物語を辿った少年はあそこにいた。にもかかわらず、どうしてこの物語の語り部が傍らの彼なのか? ――という部分。

 同時に存在していたのなら、語るには十分なのかもしれない。しかし何故、あのまだ幼い少年の物語がここにあり、そして彼が語るのだろう? そして、彼はいったい何者だ? 今更といって差し支えない疑問だが、ふとそんなことが彼の脳裏を過ぎる。

 切嗣が抱く疑問を他所に、……というよりも、そろそろだろうと解っていたように彼は、場面が変わりゆくさまを傍らの男に告げた。

 

「……混乱しているらしいところすまないが、じきにそれも分かるだろうさ。

 そんなに思いつめなくていい。ただひとつ、言えることがあるのだとすれば――そうだな、

 ()()()()は世界をそのまま受け入れられない堅物で、青臭い夢を追い求めようとした馬鹿な子供だった……ということぐらいだろう。おっと、長々と語りすぎたらしいな。

 ――――さあ、一つ目の物語が終わりへ向かい始めた様だぞ」

 

 顔を上げて、世界を見る。

 見やった先に、一つ目の物語の終わりへと向かう姿があった。

 そこには、ある本質へ迫る戦いが映し出されている――――

 

 

 

 *** 幕間 ――理想の果て――

 

 

 

 ――少年は、知らなかった自分の本質を()る。

 

 その時、男は告げた。

 〝お前は、戦う者ではない〟と。

 雪の少女が従えた狂戦士。冬の城での戦いで、男は彼を護らなくてはならなかった。

 本当にどうかしていた。

 自重するように笑い、呟いた。

 〝――殺すべき相手に助言するなど〟

 その呟きは真にとられることなく、ただ城のホールに流れた。

 ここから先を見ていた者は、狂戦士と少女のみ。その意味を知らず、また同時にこちらから告げる気もない。

 故に、彼女がこの(うた)の意味を知ることはないだろう。

 男が死ぬ、その時までは――――

 

 

 

  ――― 体は剣で出来ている(I am the bone of my sword.)

 

 静かな声色で、城のホールに男の声が響く。

 それは、男が――『彼』が、自身の生涯を現した、一つの(うた)だった。

 自らの全てを代価としてでも、命の果て……あるいは、そのさらに先の終わりなき地獄のつま先までを『剣』として生き続けた、紛い物が描いた軌跡。

 

 血潮は鉄で、心は硝子(Steel is my body, and fire is my blood.)

 

 いつも、滾る想いとは裏腹に。決して救えぬ何かを思い、悔やみ続けた。

 こんな力でも、何時かは救える日が来るのだと、そうどこか甘い理想という幻想(ユメ)を信じながら……。

 

 幾たびの戦場を越えて不敗(I have created over a thousand blades.)

 

 ……けれど、

 

 ただの一度も敗走はなく(Unknown to Death.)

 

 命の一滴。同時に、削り捨て続けたその死にさえ、意味は宿らない。

 

 ただの一度も理解されない(Nor known to Life.)

 

 逃げることはない。目を逸らすことはなかったのだ。

 何もかもを失うまいと意地を張って、結局何もかもを取りこぼし続けた。受け継ぐ前に、この理想(呪い)を抱き続けたある人間と同じように……。

 しかし、そんな紛い物の夢でさえ、彼は辿り着いてしまったのだ。

 

 彼の者は常に独り剣の丘で勝利に酔う(Have withstood pain to create many weapons.)

 

 ――誰一人としていない、たった一人の丘へ。

 自分が救った重みと、救えなかった重み。その全てを、悔いて悔いて悔い続けた。

 擦り減ったまま、何が出来るわけでもない歯車。

 剣を生み、屍を積む。

 赤い荒野に、墓標が刺さる。

 もう感慨も消え失せる。何かが欲しかったはずなのに、もうそれさえ思い出せない。

 

 故に、その生涯に意味はなく(Yet, those hands will never hold anything.)

 

 遂に、意味を失った。

 ならば、それはもうただの機械だ。

 悲しみも、苦しみも。何もかもがこの戦いだけで、決することはない。

 それでも、やり直しができたのだったら。

 

 その体は、きっと剣で出来ていた(So as I pray, UNLIMITED BLADE WORKS.)

 

 願っても、決してできることはないだろう。

 だというのに、それに真っ向から反逆するような道にいる。

 ……全く、ふざけた話だ。

 

 

 

 ――――結局、彼は勝てなかった。

 

 

 

 剣戟の極致たる、剣製の丘。

 大英雄には、あと一歩。……いや、それ以上に遠く及ばず。

 彼は、消えた。

 ……不本意ながらも、彼は『彼』に、その全てを託して。

 

 

 

 

 

 

 *** 写し出す、その本質とは

 

 

 

 その本質、無から有の創造。――否、とならば正解は何か。

 彼は己の中に世界を作り、世界にある『何か』をずっと蓄え続ける。

 とりわけ、その根底にあった代物が収めるべき『何か』――即ち、『剣』を。

 知り、そして複製し、そして変える。

 構造を把握し、成り立ちを読み解き、作り手の想いに共振し、象るべき構成を複製し、その全てを模倣する。

 白き雪の姫が従えた狂戦士。

 赤い外套をなびかせた弓兵を倒し、そして今――目の前で傷ついている騎士王もまた、ヤツは倒さんとしている。

 十二の命を持ち、その約半分を減らされていても尚……強靭な鋼の山の様に、聳える威圧感に衰えはない。

 おまけに、戦う為の大本からして、滝の如き奔流と沢の湧き水ほどに違う。

 闘うための力を、もう彼は彼女に与えることが出来ないでいた。

 だがもう、この場を戦い抜くためにはその存在を全てとすしか道がない。

 そう解っている騎士王は、風の絹衣(ヴェール)に隠された黄金の聖剣を開放しようとした。

 しかし、少年はそれを拒む。

 彼女を失ってでも、この場を切り抜ける道を選ばない。いや、本当はそんな小難しい理由(わけ)など無く、ただ彼女を失いたくなったのだ。

故に、欲しいのは全てを救うという願うべくもない幻想。――だが、それでも彼はなおも勝つための手段を欲した。

 

 

 

 ――――必要なものは、武器。

 それも、あの巨人を倒せるほどに強い武器を考え、心内に思い描く。そうして浮かび上がったのは、見たこともない『黄金の剣』。

 遥か遠い昔に、彼の〝常勝の王〟を選定したという聖剣。一度たりとも触れたこともない幻を今、この手に――

 

 

 

 辿るべき道筋は既にある。

 この手にするべき、強きモノ。

 己の中にある、最強という壁を越える。

 戦うべき外敵はなく、あくまでも生み出すものとしての敵。それは何時であろうと、己自身に他ならないのだから。

 

 〝――――想像(イメージ)しろ――〟

 

 なればこそ、ただの一つ狂いも妥協も許されない。

 淡く、剣の形を帯び始めた幻想が結ばれ始めた。

 襲い掛かる剣撃も、それを受けとめる剣戟も、何もかも他人事のよう。

 剣が独りでに動き、染み込んだ経験を吐き出している。自分の力ではない、何かを自らに乗せているような感覚。

 事実、それはその通りだった。

 〝生み出す者〟であるならば、戦闘などどうでもいい。己のすべきことは、この手の中にある幻想を、本物と見違えるほどの模造品にすることだけ。

 そしてそれが、この身を先へと進めてくれる――

 

 〝――現実で敵わぬ相手なら、想像の中で勝てるモノを幻想しろ。お前に出来る事など、それくらいしかないのだから〟

 

 ……そうだ。

 何もできないのなら、己の世界で越えるまで。

 自分という限度を持った枷を壊し、先へ進む。

 闘うのでは勝てない。勝つためには、越える何かが必要だ。

 自分という存在に内包された、その〝最強〟を幻想し生み出せ。

 この身は、そのためのモノ。ただそれだけに特化した、存在だったのだ。

 魔術回路を奔る魔力と共に、己のイメージをこの手に。

 生み出さんとする、『剣』という存在の全てを知り尽くして、この世界に置いての形を与える。

 

 ――創造の理念を鑑定し、

 基本となる骨子を想定し、

 構成された材質を複製し、

 製作に及ぶ年月を模倣し、

 成長に至る経験に共感し、

 蓄積された年月を再現し、

 あらゆる工程を凌駕しつくし――――

 

 

 ――――ここに、幻想を結び剣と成す――――!

 

 

 叫ぶようにして上げた雄叫びは、果たして狂戦士ものか、それとも自分のものだったのか。

 認識も追いつかず、判らないままだった。

 それでも、身体はするべき次の行動へ移っていく。

 左腕に囚われていた少女を開放するべく、剣を振るった。

 生み出されたその『黄金の剣』は、確かに凄まじい強さを秘めている。

 認識の方が遅れていた。手の内にある『黄金の剣』は、(まご)うことなく最強の名に相応しいだろう。

 だが、この剣では勝てない。

 何故なら、この剣は自分のものではないからだ。

 勝てるだけの武器があろうとも、担い手足る純然たる器がない。

 一度は拮抗した剣先も、あっけなく怒涛の様な力の前に弾き飛ばされる。

 地面に落ち転がりながらも、どうにか立ち上がった。

 ……どうしたらいい。

 が、悔やむ間もなく次なる一撃が迫る。

 使いこなせない剣を手にしたまま、迫る大剣の斬撃を待つしかないだけの無力な存在。

 苦々しい思いを噛み潰したその時、疾風の様に自身に迫る影が一つ。

 金色の髪を靡かせ、青い戦装束(ドレス)を纏った少女、即ちセイバーであった。

 彼女は、開放しないままの不可視の剣で以て、彼に迫っていた大剣を弾いた。

 すると即座に彼の傍らに寄り、この場に〝生まれ出でた愛剣〟との再会を愛しむような眼差しを一瞬だけ覗かせた。だが、その心は一度仕舞いこまれ、今なすべきことへと思考が切り替えられていく。

 そっと、今瀬での己が主を見やる。

 投げられた視線を見た瞬間、二人の思考は阿吽の呼吸の様に通じあう。

 ……思えば、それは道理だったのかもしれない。

 この剣は、元々彼女のモノ。故に、この剣を使える者がこの場にいるとするならば、それは勿論――彼女に他ならない。

 二人の手が重なり、柄を握る。

 息はピタリと合わせられていて、二人で剣を振るうことになんら支障はない。

 ただ一度きりの幻想にすぎない、紛い物の(つるぎ)

 されど、確かに少年が命を賭した一刀は、黄金の光を放つ剣が狂戦士の心臓へと突き立てられた――――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 あまりの展開に、思わず体中の力が全て抜け落ちたような感覚にとらわれていた。

 息はもう必要とされておらず、身体(にくたい)は空っぽの器の様に注がれた光景の情報を受け止め続けている。

 そこに在ったのは、確かに幻想(ニセモノ)。……けれど、そんな幻想もまた侮れない。

 どこまでも真っ直ぐに、どこまでもあきらめることなく足掻き続けた少年の造り上げたソレは、確かに狂戦士の命を穿ったのである。

 数にして、七つ。

 後にも先にも、永久に失われた黄金の剣。

 だが、その剣は今こうして現れた。

 一人の少年の願い、想いとなり、確かな形を宿して――

 

 

 〝――――バーサーカー、死んじゃったの……?〟

 

 

 しかし、それは一人の少女が、大切な繋がりを失ったということでもあった。

 哀しげに膝を折った少女の姿は、もう先ほどまで狂戦士を従えていた彼女と同一とは思えない。

 幼く、脆い百合の様だ。

 何かが折れてしまったように、彼女はもう既に戦うための気力を放棄していた。

 その光景は、あまりにも痛い。

 これまで、散々この光景を生んで――そして救い続けたこの身だというのに、未だに捨てきれない人間の部分が、機械の身体にその痛みを刻んだ。

 

 〝もしも、冬の城に残されたあの子が――この道を辿るのだとしたら、僕は、自分を許せるだろうか?〟

 

 問われた者はいない。

 これは、自分への問い。……いや、問ですらないただの確認。

 それは捨てきれないのではなく、本当に守りたいものであるからこそ。

 本当に欲しかったのは、こんなものだったのかと、自分の中に疑念が生まれる。

 ここまで、どこまでも深く深い地獄を重ねて来ても――それでも心の奥底に、僅かばかり残っていた燃え滓。

 それさえももう、残らないだろう。しかし、それもまた道理だ。

 こんなに薄汚れていても、分不相応ともいえる望みを抱いていたのだ。

 世界を平和にして、残されたその全てが誰に蔑まれるものであろうと、この身は全て『(かぞく)』の為に使うと――そう決めていた。

 ……けれど、もうそれは叶わない。

 〝この世全ての悪〟を担ってでも、それでもと、そう考えていた。

 だというのに、この世界には何も齎すことが出来なかったのであるのだとしたら、一体何を祈り続けていたのだろうか――――

 

「……そう悲観するものでもないだろうさ」

 

 傍らの声。

 何時の間にか俯いていた顔を上げ、彼を見る。

 顎で目の先を示す。

 その先には、白い少女があの少年の元で、笑顔でいる光景。

 とても嬉しそうに、安らかで温かな顔をしている。あまりにも尊い、その幸せの形。

 決して、その全てが無駄ではないと――告げられたようで、救われたかのようで。なんともばかなことだが、安心したような感覚に陥る。

 更に、彼は満足そうに微笑んでいるではないか。

 こんな状況、普通ならば在り得ない。だというのに、こうして在り得ている。

 何故、こんなことで、救われているのだ。

 言葉にしがたいジレンマを感じ、喉元をかきむしりたくなる。

 この心地は、一体何からくるものだというのだ。

 傍らの彼の事など、自分は何も知らない。ここで見知った、彼の言葉と雰囲気、そして彼があの中で見せ、そして今自分たちの背後にあるこの『世界』以外、何も。

 ――狂戦士に立ち向かった、あの『世界』の持ち主。

 無数――否、〝無限の剣〟が乱立する、いま二人の居るこの場所の住人。

 それが、彼だ。

 絶えることなく、剣を貯蔵し、生み出し続ける。

 ――――生み出された、『剣』。

 ふと思い浮かんだのは、一つの共通点。僅かばかりだが、そこに引っ掛かりを感じ取る。

 何か、大切なことを見落としているような感覚がある。

 もどかしい様な、言い難い感覚だ。

 思わず、口に出して問うていた。

「――君は、いったい――?」

 だが、それは少し寂し気に躱される。

「……その答えは、自ずと出るさ」

 目の前の光景が、再び変わりゆく。

 

 ――神代の魔女が作り出した『神殿(しろ)』へ誘われた彼ら。

 

 そこでは、『聖杯』の交霊を行おうとしていた。

 そのための贄となったのは、紫の髪を持った少女。

 が、その戦いは長く続かない。彼得らが善戦したというのもあるが、この戦いの幕を引いたのは、決して戦って得た勝利などではない。

 そこに現れたのは、傲岸不遜を体現したかのような男。

 先の戦いで、最後に騎士王と競り合った黄金の王が、この場でもまた再び嵐を起こす。

 

 

『――――その女は王である(オレ)のモノだ』

 

 

 当然のことの様にそう宣言したまま、土足でこの場へと踏み込んだ事を非礼とも感じないままに、黄金の王はこの世全ての財を無造作に打ち放つ。しかし、その威力たるや――もはや、抗おうなどと考えることが無駄に思えそうなほど。

 まさしく、格の違う強者の姿がそこに在った。

 崩れ落ちる魔女の城。

 瓦礫の中に埋もれて()くのは決してただ無念に死んでいっただけの無様な敗北者の姿はなく……決して別つことのできぬ、今瀬で芽生えた熱情と共に沈み行く、二人の男女の姿だけがあった。

 切ない思いに駆られる、なんてセンチなことを言うつもりはない。

 だが、その二人の姿が――先ほど見た己の妻の姿と重なる。

 最も想う誰かへ、最後までその想いだけは失わせまいした、その尊さに。今の自分の心は、確かに共振を感じている――――

 

 

 

 ――――畳み掛ける様に、また誰かと誰かの想いを写しだされた。

 今度の光景は、一人の王が一人の少女に返られてしまう、一つ目の物語の終わりへのひと欠片。

 なんてことない逢瀬だ。

 特に変わったところもなく、ただ二人は街の中を散策し、遊んでいただけ……寧ろ、年頃の男女の関係として言うならば、幼すぎる――といってもいいかもしれない。

 しかし、それでも――

 

『今日は、とても楽しかったです』

 

 そう言って笑い合う二人のことは、どうしようもなく美しいものであると言わざるを得ないだろう。

 互いの理想(しんねん)を曲げられない。

 ぶつかり合い、もう知らないとまで言っても尚、それでも別たれることはない。

 余りにもまっすぐで、嘘のように美しすぎるその在り方を見て、何も感じるなという方が無理な話だ。

 

 ため息が漏れそうな程、あまりにも純粋な二人の姿。

 それと同時に思い浮かぶ、彼女が最後に残した慟哭。

 

 対比されたその二つに対して、言い表せない複雑な心境を抱いてしまう。ただ、それは単純な後悔ではなく……決して変えることが出来ない筈の人間と英霊の関係に、こんな変わり方もあるのだという事実を知って、驚愕を覚えたといった方がいいかもしれない。

 今、こうして目の前にある光景を壊そうなど、とてもではないが思えそうもなかった。これまで散々踏みにじって来たというのに、この二人のことを壊せるものなど誰もいないだろうと確信できそうだ。

 酷く脆い、道一本違えれば直ぐに地獄へ誘われそうなモノでありながら、永久に続く守りの城の様に強固な絆。

 ……知ってしまうということは、罠にもなりえるのだと再認した。余りにも美しすぎて、手出しなどできそうもない。できたとしても、阻まれるだけだろう。

 だが、当然とでもいうかのように、世界は全く容赦なくその絆を壊そうと破壊者を誘ってきた。

 現れたのは黄金の王。

 常世全ての財を有したという、その〝英雄王〟たる己の真打を以て、二人の間を真っ向から切り裂きにかかる。

 相対するヒトであるならば、〝(ソレ)〟を見て恐怖しない筈がない。人という存在に刻まれた、原初の記憶(きょうふ)

 嘗て天と地を裂き、〝世界を創った〟とされる剣。

 敵う道理は、無い。

 だというのに、それでも二人は譲らない。

 どこまでも、どこまでも……ひたむきにお互いを思い続けている。

 聖剣の光が防がれ様とも、決して覆すことなどできはしない人間と英霊の存在の差を思い知ろうとも、それでもなお、食らいついていく。

 無駄なことを、と、英雄王が眼前にいる少年を嘲笑う。

 彼の狂戦士――〝ギリシャ最強の英雄(ヘラクレス)〟をも倒した筈の剣も、至極あっさりとその源流足る〝本物〟の前に〝贋作〟として塵芥と消えた。

 二人共、もう死に体だ。

 自らの血に沈む騎士王には最早、あの清廉なる闘気はなく、汚された直後の乙女にでもなったかのように無力なまま地に倒れ伏せている。

 敗北は必至。……諦めてしまえ、と乞う様に祈る。

 しかし、少年は擦れた声で、なおも彼女に呼びかけていた。

 先程の〝聖剣〟と〝乖離剣〟の激突によって光を失った彼女の瞳は、彼を捉えることが出来ていない。だが、敗北を、痛みなどという括りさえ越えてしまった身体の傷によって理解したらしく、もう敵わないのだと彼女は悟り、彼に逃げる様に告げた。

 その声が、耳に届いた瞬間。

 

 少年の中で――カチリ、と聞こえるはずのない音がした。

 

 まるで撃鉄が起こされたような音は、先程こちらの望んだ放棄・逃走の選択を、真っ向から握り潰す。

 少年の顔に浮かぶ気迫は言葉にならないほどの形相となっていた。

 起こされた撃鉄の音は、切り替えられた魔術師としてのスイッチを示す。

 体中を巡る魔術回路、その全てを総動員して、ある魔術の行使を試みる。

 己の不甲斐無さを痛感し、僅かに抱いていた甘えを清算するべく迸る魔力に形を与える。

 すると、本来在り得ぬはずのその力に、さしも英雄王も足を止めた。

 声になっていない彼の心情が流れ込んでくる。

 

 

 

 分相応の魔術は身を滅ぼす――そんなことは、解っている。けれど、そんな事はどうでもよかった。

 逃げろ、と告げられて、初めに浮かんだのは怒り。

 今まで散々助けられてきた。

 そして何よりも、今までこんなに放っておけない奴などいなかった。

 砕ける骨と身体を、鉄の魔力が埋めていく。

 そんな感覚さえどうでもいい。遠巻きに聞こえる、焦ったような守りたい少女の声さえどうでもいい。

 この手に思い描くのは『剣』。

 何故、戦う者でない自分がそれを取ろうとしたのかといえば、それは――

 

 ――彼女が傷つくのが、嫌だったからだった。

 

 ならば、そう思える彼女のことを、今ここで助けることが出来ないのならば、『――――(じぶん)』はここで死んでしまえばいい。

 故に、出し惜しみはなしだ。

 最初から、自分にできる最高出力まで上げてしまえ。

 さながらそれは、身体を火だるまにして、水辺へ向かう亡者の如き執念であった。

 しかし、それでいい。何も構いはしない。

 目の前であんな姿をしている彼女を見続けるくらいなら、その方がましだ。

 状況は単純。――――目の前には敵、背後には倒れ伏せた少女。

 もう、一歩たりともここから退くわけにはいかない。

 左手には重い剣の感触。肉眼()で確かめるべくもなく、狂戦士との戦いに次ぎ、二度目に行われたその〝投影〟は、滞りなくなされた。加えて、その銘はまさしくこの場に相応しいといえる。

 作り手の端くれ、……いや、それにも満たない贋作者であるが、それでもこの剣の銘は寸分違うことなく感じ取れた。

 

 ――――『勝利すべき黄金の剣(カリバーン)』。

 

 まさしく、ここで胸の内に刻んだ決意を象徴するに相応しい。

 分相応でも何でもいい。逃げろ、などと言われて引き下がる事などしてたまるか。

 ここへ来たのは、彼女を方ってなど置けないから――そして何よりも、自分が彼女とこれからも一緒に居たいと願うからこそ。

 ……あぁ、そうか。

 答えは、考えるまでもないことなのだ。

 剣に宿った記憶と共に、黄金の英雄に挑みかかるも、あっけなく本物の上位、すなわち源流に叩き伏せられた。

 左斜めからの振り下ろし。斬撃に咲かれた胴体は、先程倒れ伏せていた少女のものよりも大きな血の海を作り始めた。

 肩と胴体が噛み合っていない。

 遠くで耳障りな高笑いが聞こえる。吹き飛ばされた所為で近く聞こえる少女の声より、そちらに意識を集中する。……余りにも、懇願するかのように立たないでくれなどと言われては、決めた心も、途切れ途切れの四肢も、また力を失ってしまう。

 そんな彼女の声が、今は最大の敵――だからこそ、『煩い』と一喝して彼女を黙らせようとした。けれど、自分自身の守りたいという願いは、彼女にとって今この身に死んでほしくないという願いと同じほどに重たいらしい。

 が、それでも――

 本来優先するべき自分の命を勘定に入れらない自分はおそらく、途方もないほどに愚か者だろう。一番大切なものが空っぽで、幸せを完全に享受することが出来ず、本当に相手に幸せを分けられない様な一人よがりばかりが強い、とても歪な存在。

 ――だからといって、何時までもその空席を空けておけるほど器用でもないらしい。

 だって、ちゃんとそこには一番大切だと思える人がいるのだから……。

 答えは、確かな確信と共に強く胸に刻まれ、力を見失った身体へ無理やりにでも力を縛りつける。

 嘲笑し、せっかく手に入れたものを奪われるのは悔しいだろうと、指摘するような声。だがそんなもの、的外れもいいところだ。

 その言葉に我慢は限界を迎え、切れた。

 彼女はモノじゃない。仮に、求めるモノであっても、決してただ集めるための物などでは断じてない。

 彼女がどこに居たいのかは、彼女自身が決めることだ。

 だが、少なくとも目の前にいる奴に彼女を渡してやる気などない。

 求めるのは、此方も同じ。なればこそ、奴に渡してなるものか。守りたい彼女を、あんな奴になど――!

 

『――――俺には、セイバー以上に欲しいものなんて、ない――!』

 

 自分の命を換算できなくても、それでも守りたいものがここにあるのだ。

 好きだから、守りたい。

 まるで抜身の剣の様に、いつでもたった一つきりで完結して、最後が孤独なまま、闇に囚われたまま終わってしまう道に進もうとしているから……その全てが終わって、最後の死に際であっても、積み重ねたその生涯を誇り、胸を張って眠れるように――――

 

 ――――もう、迷いなど完全に消え失せた。

 

『俺、セイバーが一番好きだ。

 だから、お前のことをあんな奴になんて渡さない』

 

 身体中に力が漲っていく。

 死に体だった身体を、まるで何かが癒していくように……守りたいという願いに呼応するかのように、内側からその熱を感じた。

 途切れ途切れでも、まだ鼓動は続いている。

 魔力とは、すなわち命。ならばまだ戦える。

 この身が、完全に潰えぬ限り――挑む。挑み続ける。彼女の剣を手にして、何度でも。

 限界、などというものはない。あるとすれば、それは終わり。

 だからこそ、こうして剣を振るえていた。

 が、拙い。――目の前の敵は、再びあの〝剣〟を打ち放とうとしていた。

 防ぐ術など、此方にはない。でも、守らないと……。

 何時折れても不思議ではない美しい剣の様に、いつも立ち続けていた彼女を守る。

 そのために、剣を握ると決めたのだから――――

 

 

 ――――その時、完全に守りたい心に同調したかのように、目の前には黄金の鞘が現れていた。

 

 

 意識が途切れ途切れではあったが、それでも確かに感じる。

 自分の裡にあった鞘と、彼女の力が混ざり合い、黄金の英雄の一撃を跳ね返したことを。

 退却した怒りに塗れた黄金の英雄を視界の端にとらえたのを最後に、意識が薄れ始めていく。自分の身体が急速に復元されていくかのような感覚と、その復元の過程で自分の身体が無数の剣の刃によって接がれていく様なイメージを幻視した。

 ――まるでそれは、()()()()()()()()()ような錯覚を抱かせる。

 しかし、そんなことは、倒れ行く身体が彼女に支えられたことで、その存在を間近に感じたことで吹き飛んでしまう。気味の悪い、身体を剣で接ぎ直されている様な幻覚より、今は守ることが出来たのだという安堵の方が大きい。

 だが、少々擦り減りすぎた精神は、一刻も早い回復を訴えてきた。

 でも、まだ彼女の声を聞きたい。ここで途切れる前に、もう少しだけ――――と、そう願ったとき。

 

『――――やっと気付いた。■■■は、私の鞘だったのですね……』

 

 深く染み入るような彼女の声に、言い知れぬ安心のようなものを感じて、意識が途切れた。

 戦いが、終わったのだと、まるで身体の方が理解していたのだといわんばかりに、その意識は沈んでいく。

 

 

 

 ***

 

 

 

 その縁は、先の戦いより既に続いていた。

 ――剣と鞘。

 並び立とうと剣を握った少年も、ついにそれに気づいた。並び立つのではない、元から二人は一つだった。

 出逢うべき、その時のために……二人は今こうして、生まれも地位も、遥か遠く隔てる時代(じかん)さえ超えて共にいるのだから。

 まさに運命だった、その出会い。

 あまりにも尊い、理想に殉じた二人の出会いの物語は、ここに結びを迎えた。

 

 

 

 *** 黄金の丘での別れ

 

 

 

 ――見ていただけだというのに、その光景は異常なほどに心に染みこんでくる。

 物語は、もう佳境へと突入していた。

 見る側が息つく暇も無いほどに、互いのことを知った二人は駿馬の様にこの戦いを駆け抜ける。

 最後の戦い。

 攫われた少女を救うべく、二人は『聖杯(きせき)』が生まれるべき場所へと向かった。

 空には再び〝孔〟が開き、溢れ(いで)る黒い泥が、かつて龍が住まうとされた洞穴の周囲を侵していく。

 そしてその〝孔〟の前には、奇跡に繋がっている雪の妖精のような少女。まるで磔にでもされたかのように、あるいは最後の審判を待つ神の子の如く、この奇跡を敵にすべき人間の手を待つだけ。

 壊れ行く造花のように、何者かの思惑によって生まれた彼女には、この〝泥〟によって侵され()く己を救うことなど出来はしない。かつて、彼女の母もそうだったように……その〝呪い〟は決して解かれることはない。例え死んでも尚、その人格を殻とするほどに傲慢なそれは、最早打ち倒す術など何もない。

 だが、それでも二人はその場へと向かった。

 たったの二人。しかし、敵も二人。

 ならば、勝てぬ道理はない。

 無論、強敵であることには変わりない。故に、何処までも食らいつき続ける。決して負けぬと誓った、夜の決意と共に。

 互いを思い合い、求め合うというのに――二人は、それでもただ熱に溺れるだけの選択を是とはしなかったのだ。

 許されるのならば、共に居たい。

 ……けれど、互いの理想がそれを許さない。

 今はまだ、二人はそれぞれの根底を変えられなかったのである。自分に譲れないものがあるように、相手にもまた……曲げられないものがある。

 理解し合った。いや、最初から解っていたのかもしれない。

 それほど、二人の在り方が似ていたから。

 

 ――――これも、縁というものなのかもしれない。

 

 ふと、そう思えた。戦いは既に佳境、けれど二人が折れる様など想像も付かないといえる。

 見返して、自分と似通った生き方を辿ったのだと解る。

 しかし、それでも希望を捨てなかったのだと言うことも理解できた。

 空想妄想、虚偽夢幻の類。それを、現実という言葉と、奇跡と言う言葉で解釈する。ただ、噛み砕いた最後(けつろん)が、美しいはずだと汚れたそれを信じ思い続けたか、あるいは本質は悪であるとして全てをまとめ上げようとしたのかどうか、と言う違い。過程(それだけ)が、どうしようもなく違っていた。

 が、それももう終わりを告げる。

 二人の中の答えは、もう決まっていた。

 戦いの前に、最後の言葉を投げかけられた彼と彼女の言葉が、それを物語っている。

 

 

『やり直すことなんて出来ない。俺は、あそこに置き去りにしてきた物のためにも、アレを無かったことになんて出来ない』

 

『「聖杯(きせき)」が私を汚すものならばいらない。解らぬのか、外道。そんなものより、私は□□□が欲しいと言ったのだ』

 

 

 

 そして、二人は戦いの果て――――朝日に照らされた、黄金の丘での別れに至る。

 

 

 

 傷つき、それでも戦い抜いた。

 失ったものはあったけれど、それでも護り続けたものがある。

 確かに此処へ、二人は後悔無く至った。

 切なさも、哀しさもある。

 誰よりも幸せになって欲しいし、誰よりも幸せにしたい。

 だが、誰よりも愛しているからこそ――彼女の言葉を、受け入れなくてはならない。

 

『最後に一つだけ、伝えないと』

 

 それは、彼女にも解っているだろうし、自分も解っていた。

 強がりのように、最後にいつも通りに問い返す。

『……あぁ、どんな?』

 向けられた優しく、柔らかな声。そこに後悔はなく、二人は互いを愛し合ったが故の結論(わかれ)を取る。

 互いの誇りを汚さぬように、後悔だけはしないよう――想い合う心と、相手のことを愛したのだという確信が、それを選ばせた。

 

 

 

 

 

 

()()()――――――貴方を、愛している』

 

 

 

 

 

 

 そして、一つ目の物語が終わりを告げた――――

 

 

 


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