黄金の丘より、赤き荒野へ
――――気づけば、涙など流していた。
そのあまりにも美しい物語に、既に失っていたはずの人間らしい心とやらが震えている。
胸を打つ、なんて言葉では足りない。
あれは、あの物語は――もっと別の何か。
まるでそれは、失うばかりだった自分が、何も手に入れることができずにいて……どこまでも手の中のものにしがみつこうとしていたことに対する、真っ向からの美しい反逆のよう。
互いの中にある、〝美しいもの〟を汚せないと分かったから別れる。――その選択は、いささか自分には酷だった。
失うならば、そこに絶対の意味がなくてはならない。必ず、確固たるその存在意義がなくてはならないと、すべてを葬り続けた機械。そうして、手の中に残ったもの。別れた彼らの中に残ったもの。共に最愛はそこにはなく、けれどその裡にある心は雲泥の差を見せる。
……こんなにも、違うのか。
普段なら嫌っているはずの子供じみた癇癪、あるいは駄々をこねるかのような見苦しい思考。
だが、
「――ヒトは誰しも、間違う生き物だ」
その声にならない〝言葉〟は、再び彼によって受け止められる。
自己を攻め続ける連鎖を容易く断ち切ってくるその声は、まったく違うのに、あの月夜の時の―――
「…………ま、さか……」
―――その時生まれた、新たな可能性へ至る思考。
都合よくとらえたのではないかとさえ思えそうな、その幻想。
あり得るのか? もう一人の自分が問いかける。
しかし、あまりにも違いすぎる。
何がどうなれば、そこに至る?
違う、と思ってみても、思考は矛盾する二つの輪を駆ける。
もやもやと涌いてきた疑念。どこへ執着するとも知れない何かは、革新へと誘われていく。
「君は、」
言葉に詰まった。
浮かぶのも
詰まるところ、自分は臆病者なのだ。
自分の残したものにすら責任を負えない、どうしようもない畜生のようなもの。人々に災厄を振りまき、愛する妻と娘は冷たい檻に。――そして、
――――いや、何を考えている?
自分の齎そうとしたものは平和であり、自分の妻と娘の定めはまだ決まってなどいない。
そもそも、ここは
馬鹿げている。緩みかけた心は、もう一度引き締めなおせ。鉄の意志で、ここを抜けなくてはならない。知りたいのは答え。いや、もうそんなもの――
――蕩けた思考を整えようとする〝魔術師殺し〟。
だが、無論のこと。割烹着の悪魔を宿した杖はそれを逃がさない。
ある意味で、彼にとっては最も鬼門である道を映し出す。……傍らで、本来ならば慈しむべき存在に疑惑と疑念を生んでしまうこの状況。
――だからこそ、意味がある。
一度冷静になっては意味が無い。本当に必要なのは、完膚なきまでの反省。
故に、ここで出るのだ。
自分の選んだ道を、持ちうる
無論、彼女も悪魔とて鬼ではない。
見せることにこそ、意味がある。求めるのではなく、自ら歩み寄る道を示す。
そう、最初にそれを聞いてしまっているからこそ、彼は決してそれに抗えない。
実のところ、非道非業の〝魔術師殺し〟は――善性の化け物であるブリキの騎士以上に、どうしようもなく人間であるからこそ。
――――間違いでないと、
***
二つ目の物語が、幕を開ける。
*** 重なる影、同化していく剣の丘
始まりは変わらず。
騎士王と少年が出会い、夜が始まった。
しかし近づいていく心は、憧れていた宝石の様な輝きを放つ赤い少女へと向いていく。
だが、それは一つ目の戦いにもあった。
決定的な変化。或いは変わるものがあるとすれば、それは騎兵の早期脱落。
まるで蛇の様に妖しくも、儚げな美しさを放っていた女は、聖剣の光を受けることなく戦いから姿を消した。
それと時を置くことなく、魔女の影が迫る。
龍の塒の側にある寺で、少年の運命は変わりだす。
――それと共に、何か違和感を感じていた。
歪な鏡を見せられたように、
まるで初めから分かっていた様に、
少年の裡にあるその『世界』が、呼応を始めていた。
気づくよりも早く感じていたその違和感。……だか、認めてはいけないそれに、少年の心は乱されていく。
――――――知ってはならなかった/知らなければならなかった。
それを示すように、彼は歩き続けてく。
少年は、何もかもを失くして、それでも諦めなかった。
何故なら――そもそも彼の中に、敗走という選択を良しとする選択肢が無かったからである。
現状は最悪。
何も得るべき手段もなく、とるべき札も持ち合わせてなどいない。
けれど諦めない。無謀とも思えそうな方法であろうとも、取り戻したいと願う剣を思う。
時を同じくして、少女もまたその
この世にないものを生み出し、形を与えるその力。
現し身を創造する魔術は形なきモノを彩る――それは間違いなく、一つの側面において、人の理を超越した力だ。
……だが、その極致にして極地たる赤い荒野に立つ男の背にあるのは、到達した喜びでも、そこまでの道のりを慈しむでもなく、ただひたすらに悔やむばかりの思いを重ね続けた後悔の色だけ。
――そこまで至るのに、一体どれだけのものを捨ててきたのだろうか――?
考えても、そんなことは判らない。
しかしそれでも一つだけ、思うところがある。
それだけの道を歩みながらも――それを何故、彼は後悔しなければならなかったのだろうか、と。
だから、というわけではないが……ふと彼に問うた。
――――自分は、最後まで後悔しないような生き方をしたいとは思っている。
だが、それが最後まで出来るのかどうかは判らない。きっとそれは難しいのだろう――――と。
そう訊ねられた男は、少女を……本当はここにいない少女を……見て、言った。
『出来る者もいれば出来ない者もいる。とりわけ、君は前者だ。
――凛よ。鮮やかな人間というのは人よりも眩しいものを言う。そういった手合いにはな、歯をくいしばる時などないのだよ。
そして、君は間違いなくその手合いだ。
〝遠坂凛〟は、最後まであっさりと自分の道を信じられる』
その言葉は、あまりにも染み入る。
途方も無い信頼、あるいは無償の親愛にも似た感情を向けられ、伝えられた。
頰が高揚し、不自然な早鐘が耳を鳴らす。
……判らない。判らないが、彼の言葉がどうしようないほど裡に響く。
それはまるで、彼が自分の全てを知っているかのよう。――――いや、知っているだけではなく、まるでそれは見てきたかのような言い草にも思える。
同時に、何故かなどと思考を重ねても、きっとその答えは彼以外に解り得ないのだ、ということも判ったような気がした。
けれど、
『……じゃあ、あなたは……?』
まだ一つ、先ほどの問いかけの答えをもらっていない。
『最後まで自分が正しいって信じられる?』
彼の後悔の意味。あるいは、彼がその道を悔やんだのか否かを。
本来ならば、先ほどの言葉の端々の音から半ば予想はつく――といってもいい。だが、彼の心境にはそれだけでは無い何かがある。
決して他人が踏み入れてはならない、しかし踏み入れなくてはならない何かが。
一人にしてはいけない。その思いはちょうど、あの少年に彼女が抱いた想いとどこか似ていて……
『……いや、すまないがその質問は無意味だ。――忘れたのかマスター?
私の最後はとうの昔――――』
――――近づいたはずの距離は、再び開く。
『終わっている』
***
少年は、魔女に挑む。作り出された『
裏切りに始まり、またも助けることが出来なかった剣は未だ囚われのまま。
だというのに、もう心など折れてもおかしくなどないのに、彼にそこまでする意味など、もう失われているにも関わらず、―――それでもまだ、少年は諦めない。
心の折れない、そんな様子を見せ……気を張っている少女の心を解いてしまうほどに。
自分ではなく、誰かを助けたいというその願いは、どうしようもなく美しいものに見える。
――――しかし少女の目には、その姿は、段々と被っていくように見えただろう。
自分から離れてしまった、自分と同じ赤を纏った男の背中と――目の前にいる少年の背が、どうしようもなく重なって見えてしまう。
何故だかは判らない。
けれど、少女には確かにそれを感じさせるだけの何かを二人に見た。
まるで似ていない、半人前の魔術師と皮肉屋の弓兵。
ただもし、どちらにも当てはまる印象があるとするならば――〝遠坂凜〟にとって、決して無視できない『何か』と呼べるものがあるのならば、それはたった一つの共通項。
とてもシンプルな答え、印象。
――〝放っておけない〟――
ただ、それだけだった。
***
目指すは冬の城。
そこに
――――しかし、それは叶わない。
ある
ある路では、確かな笑顔で〝孔〟を閉じた。
後悔などでは無く、確かに幸せを抱いて――――。
だが、運命はそれさえも叶わせない。
二人が見たのは黄金の王と、狂戦士の戦い。
人の域などとうに越えた、岩山の様な大剣を振るう。まるでそれは、巨大な嵐のように冬の城を揺るがすほどに吹き荒れた。
怒りなどではなく、ただ一人の護りたい少女の為に奮われた力。
しかし、そんな想いさえも――この世全てを支配したという
幾多の剣撃。
撓る鎖と鋼の決意、擦れ合う音が響き、固めた決意と友への加護とが拮抗する。
いつの世も、誰かを護ろうとする心は等しく何者をも凌駕し続ける。が、その想いも一歩届かず――阻まれた英雄の一撃は王の財により蹂躙され、王は少女へと迫る。
薄れゆく命。
造られた造花の少女は、幻の
その姿に、彼の王は何思ったのだろう。
彼の友もまた、何者かに造られた命。この少女に、その面影を見たのか……それは定かではない。
だが、何時か違う出会いもあれば――何かしらの縁を結ぶこともあったやも知れぬ。……しかし、そんな事は今、この場に何の関係もない。
故に――――
――――原初の王の手は、願いの器たる『杯』の核を容赦なく、抉り取った。