前回ラストから比べると、大分救いになってますね。
最果てを知るために
迸る鮮血が、長い時を経てきた冬の城を染めていく。
それを見守る男の眼は見開かれたまま捉えるべき像を見失っており、顎が外れそうなほど開かれ、震えた口からは
驚愕、
驚嘆、
処理しきれない
心臓は凍り付き、もはや感じ取るべき情報を取り入れることもできなくなりそうだ。
だというのに、だというのに……これらの物語を見るたびに、幾度となく思い返さずにはいられない。
――それでも、目を離せない――と。
もう、どうしようもなくなった。
魔術師殺しを守るべき合理性も、鉄の決意も、何もかもが無くなった。
そうして、失くした理想への答えを導く道だけが残り続け、物語は終わりへの路を流れ下り始める――――。
目の前で蹂躙された幼い少女。
全てを分け隔てなく守りたいと願い続ける少年は、守り切れない現実をもう一度知る。
嫉妬に狂った友は再び敵へ回り、黄金の王はこの戦いに置いての勝利を目前にして不敵に笑う。
だが、殺されることはなかった。
敵でないと、見逃され、捨て置かれる。
しかしそれを屈辱とは思わず、少年はまだそれでも諦めない。
――――何故? なぜ……? なぜ……ッ!?
見ているだけの男ならば、こんな場に送られたらいったい何ができるのか。
いや、恐らくは自分であっても諦めはしないだろう。――だが、それで導ける答えがここまで頑なで在れるだろうか?
決して敵わぬ敵、支える駒の無い状況。
そんな、……そんな状況で、何ができるというのだ。
器は呪いの塊。
四面楚歌の戦場。
それでも、あの少年は諦めないというのか――と、そこまで考えて男は勘違いに気づく。
彼は、彼の周りにいる者を誰も敵としないのだ。本当の意味で、完全な敵とはしないのだろう。
でなければ、自分を一度殺した男と肩を並べることなどできない。
少なくとも自分には考えられない。自分と契約したサーヴァントにすら――互いに落ち度があったとは言えども――まともに信頼を結ぶこともできず、結局、何もかもを取りこぼしただけの自分には、決して。
――――――だが、少年はそれをした。
自分を殺した槍兵と対等に言葉を交わし、傍らの少女に関しての軽口を叩けるほどに自然に、少年は容易くそれをしたのだった。
それだけならば、ただのおめでたい馴れ合いだと言えたのかもしれない。
しかし、少年は成してしまった。
赤い弓兵の思惑こそあれども、囚われた剣を救うまで辿り着き、開放するところまで至ってしまう。
魔女の願いを踏み越えても尚――かつて理想に溺れた、馬鹿な男の真意にまで。
ここまで重ねてきたその疑念。
気づくことが恐ろしかったこの事実。
だがそれも、全てが必然だったのだろうか。或いは、胸の内に巣食っていたそれは全て、この時の為だったのだろうか。
どうなのかは定かではない。誰の
が、確かにあったものが一つだけある。
……そう、それは始まりのその理想を抱いた男が求めていた
そこに在ったものこそが、それだったのだ――――
***
――――
口にされたのは、ある一つの呪文。
ある少年が決めた自分の為だけの決意の句であり、万物の構造を把握し複製するための、己の身体を切り替えるための
全ての理想の果てにある、剣製の丘へと誘う詩の序歌。
そう、それは挙げればキリのない――『
――――そして、それに呼応するように、剣が、迫る――――
「シロウ……ッ」
何もかもが制止した場で、ただ一人その〝襲撃〟を感じ取った剣が、己の主だった少年を突き飛ばし、守った。
何が起こっているのか、誰にも解らない。
「チッ……外したか。余計なことを」
――たった一人の男を除いては、誰も。
「アーチャー、何をしてるの!! 芝居はもう終わりでしょ? アンタまだ、士郎を殺すつもりなの……!?」
そんなのは許さない、と、息まく少女に対し、赤い外套を羽織った男はまるで、耐えがたい屈辱を浴びせかけられたかのような顔をして少女を睨みつける。
「――――許す? 解らないな、なぜ私が許されなくてはならない?
私のマスターでもない
苦々しくそう吐き捨てた言葉に合わせ、唐突に降り注いだ剣が少女の周りを取り囲む。
彼の行動と、その口から放たれた言葉に、その場の誰もが驚愕を隠せない。
皮肉屋でこそあれ、少なくとも
だが、それが今はどうか。
漸く機会を得たかのような、或いはこの時を待っていたかのような面持ちで鋼の光を放つ瞳は、赤銅の髪を持つ少年を鋭く射貫いている。
――――一体何がそうさせるのか?
その答えは、いま。
この瞬間を以て、完全に明らかになる。
「――――そう、自らの手で衛宮士郎を殺す。それだけが、守護者となり果てた
一歩、また一歩と、アーチャーはセイバーと少年の元へと迫る。
だが、その目が狙うのは少年――衛宮士郎のみ。
やっと、この時が来たとばかりに迫り来る弓兵の前に、セイバーが立ちふさがる。
ボロボロの身体で、それでも己が主だった少年を守ろうとするセイバー。
「……アーチャー。あなたは、まさか……」
何かに気づいたように、彼女の内からはあるべき戦意が消えていく。
それに合わせるように、目の前の男もまた戦意を一度沈め、言葉を発した。
「……そうだ。いつか言っていたな、セイバー。オレには、英雄としての誇りが無いのか、と。
当然だよ。オレにあるのは、馬鹿げた後悔だけだった。
――――オレはね、セイバー。英雄になど、ならなければ良かったんだ」
場違いなほど穏やかな声で、彼は『彼』として彼女に自らの心内を告げてきた。
「――――――ッ」
その言葉を受けて、セイバーは苦々しく歯噛みした。
判ってしまったその答えに、そして何よりも。……彼の心内が、あれだけ美しかったはずの理想が、ただの後悔に染まってしまったことに。
「……そういうことだ」
話は終わりとばかりに、その鋼の瞳へと鋭い殺意が戻っていく。
「退いているが良い、
覗かせた微かな
しかし、彼女もまたそれは同じ。――否、己が私情を捨てしまうのではなく、その〝私情〟故に、彼女は『彼』を裏切ることなど出来ないのだ。
「――――それは出来ない。
私は彼を守り、剣となると誓った。マスターでなくなったとしても、その制約は消えない。
……聖杯戦争など知らなかった彼は、それでも私の一方的な誓いに応えてくれた。その信頼を、裏切ることなど出来ない」
自らの決めたその誓い。制約を違えることは出来ないのだと、セイバーは言った。
彼女の答えに、アーチャーから熱は全て消え、そしてどこまでも冷たい殺意だけが場を満たす。
そして、
「――――そうか。ならば、偽りの主共々ここで消えろ」
両の手に双剣を生み出し、セイバーへと斬り掛かった。
向かってくる相手に、どうにか気力を振り絞って彼女は食らい付いていく。
――――だが、ものの数合で戦いは決してしまう。
かつて目の前の弓兵を圧倒し、伝説に名高き騎士王に残された力は、もう僅かな残り香さえ感じさせないほどに薄れてしまっていた。
遂に膝を屈した彼女の手には、当に剣すらない。
魔女に抗い続けた彼女には魔力は残されていなかった。
常時であれば難なく形成できる青き
彼がセイバーのその視線に全くもって感じ入るところがなかったかと言えば、嘘になるだろう。
だが、それでもこの目的の為ならば、と。
赤き弓兵は彼女のことさえも切り捨てに掛かった。
無防備なセイバーに、アーチャーの双剣が振り下ろされる。
けれどそれを、
「っああああああ―――!!!!」
士郎は全力を以て止めるべく、双剣を生み出して間に飛び込んでいった。
その様子に、アーチャーは少しだけ感心したかのように口を開く。
「……ほう。もうしばらくは竦んでいるものと思ったのだがな。流石に、目の前で女が殺されるのは我慢できないか」
「うるさい! お前が殺したがっているのは俺だろ。なら、相手を間違えるな――ッ!?」
言葉を全て吐き出しきる間を与えることなく、腹に蹴りを叩き込まれ士郎は水平に吹き飛んだ。
音を立てて床を転がりながらも、体制を立て直してアーチャーを睨みつける。
無論そんなものが、英霊である相手には何の効果があるはずもない。
代わりに、ぼんやりとしていた〝何か〟が士郎の中へと流れ込みだした。
「人真似もそこまでいけば本物だ。だが――――お前の身体は、その魔術行使に耐えられえるかな?」
まるでそれは、自身の為にある
「前に忠告したな。お前に、投影は扱えないと。分不相応の魔術は身を滅ぼす。
お前をここまで生かしてきた
「ぐ……っ、ぅが……ぁぁ!?」
酷い頭痛が彼を襲う。
自身の中にあるイメージこそが源である投影魔術は、その創造の為の想像が強固なほど、その存在をより明確に形作る。
が、言うなればそれは――右を向いているときに左を向くようなものだ。
剣を想像し、斬り掛かって来る敵の剣筋を己の身体に重ねて宿す。
そのどちらともを完全にこなさなくては、この魔術は成立しえない。……如何に普通ではないとはいえ、異端同士がぶつかり合うのであれば、そこに妥協を生じさせた方にしわ寄せが来るのは必然だ。
敗北を避けるために。何より、己の為に死に体の身体を引きずってでも立ち上がってくれたセイバーを守るためにも、『衛宮士郎』はその
しかし、
「……っは、ああああ――ぁぁッ!!」
「本気で自分が大成するとでも思っていたのか? 愚直に努力さえ続けていれば、その理想に手が届くと……」
生み出された双剣は、寸分違わず生み出された双剣によって粉砕された。
共に己を持たない贋作者同士。どちらがどちらを真似たところで、それは結局複製の複製に過ぎない。
偽りの剣と、偽りの剣技。
だが、それでも差が生じるのは何故か? 答えは、至極単純なものだった。
決定的なまでに異なる、重ねてきた偽善の道のり。
その果てに至ったか至っていないかの違いだけで、これほどまでに違う。
そう、それはまさに――理想と、そこへと駆け上がろうとする未熟者との対峙。
「納得がいったか。それが『衛宮士郎』の限界だ。無理を重ねてきたお前には、ふさわしい幕切れだろう」
最果てを知る者が、未だその頂を知らぬものへと声を投げる。
己のみでの現界はそこだ、と。
故に、これ以上進むことなど出来まいと、その場から動けずにいる士郎へ冷めた目で語りながら、遂に目的を果たさんとしてアーチャーは剣を振り下ろそうし、振り降ろされた剣先が士郎に触れようとした、その時――――
〝――――告げる!〟
暗がりの中。
何もかもが終わったかに思えたその場に、少女の声が鋭く、そして凛と響いた。
こんな状況下でも光を失わない、眩いばかりの蒼い光を放つ少女の双眸が、直ぐ傍にいる翡翠色に煌く少女の双眸へと語り掛ける。
こんなところで終わっていいはずがない、と――!!
〝汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に!
聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うのならば応えよ――――〟
そんな少女たちの邪魔はさせまいと、紡がれ行く
不意を突かれたとはいえども、勿論のこと、彼の剣先が届くことはあり得ない。
だがそれでいい。今の自分がするべきことは、目の前の男に彼女たちの邪魔を刺せない事なのだから。
「――――我に従え! ならばこの命運、汝が剣に預けよう……!」
凛の言葉に合わせ、セイバーが地面を蹴って彼女の元へと駆ける。
二人は手を伸ばし、まるで牽かれ合うようにその間に
その全ては、こんなところで死なせたくない、大切な少年の為に。
「セイバーの名に懸け誓いを受ける。貴女を我が主として認めよう、凛――!」
二人の手と手が重なり合い、凛の手に赤く輝く聖痕が再び刻まれる。
瞬間、すさまじい魔力の奔流がその場を満たして行く。
まるでそれは、堰き止められて行き場所を失っていた水のように溢れ出し、文字通りその場を震撼させた。
士郎を殺さんとしていたアーチャーでさえ、その姿に見惚れたほどに。
それほどまでに、今の彼女は激しすぎるほどに美しく視線をその身に集めていた。
本来の姿を取り戻し、その力の全てを身に宿した剣の英霊。古のブリテンを治めたとされる、騎士たちの王。
世界最高の聖剣の担い手として名を馳せた、アーサー王が完全な姿でその場に降臨した。
紫電が迸るほどに凄まじいその魔力の奔流は、とてもではないが、凡百の英霊如きでは太刀打ち出来そうもない。
そしてその手には、先ほどまでとは打って変わり、確かな輝きを取り戻した聖剣が握られている。
吹けば消えそうだった儚い花はもうそこにはいない。
赤き弓兵の前には、何かを守ると、確固たる決意を以てそう決めた――鮮烈にして勇猛たる獅子がいた。
「――どうするセイバー。凛と契約した以上、君はもう本当に衛宮士郎とは無関係になってしまったわけだが?」
理の通った指摘である。
だが、そんなものでは、彼女の心を揺らせない。
課せられた『座』にふさわしい、鋭く清廉なる剣のようにセイバーは言う。
「言ったはずです。シロウとの誓いは無くならないと」
……知ってしまったがゆえに。解ってしまったがゆえに、こんなところで彼にその選択をさせるわけには、行かないと。
「貴方こそどうするのですアーチャー。貴方がシロウを手にかけるというのなら、私は全力でそれを阻む。考え直すのなら今の内です。―――今の私を相手にして、勝機があるとは思わないでしょう」
事実、今のセイバーならば、あのバーサーカーですら一筋縄には倒せないだろう。
如何に特殊な力を持っていたとしても、白兵戦に秀でたクラスではないアーチャーに彼女を打ち倒す頃は不可能だ。
しかし、
「フン――たかだか魔力が戻った程度で、よくもそこまで強気になる」
敵は引くことも、己の身に迫る終わりの音に恐怖するでもない。
セイバーと相対していたアーチャーはただ、再び手に持った双剣を彼女へ向けて突き立てた。
――――こうして場の状況は、一気に変わり始めた。
***
――――あれ程までに、すさまじいのか。
単なる傍観者にも、その姿はあまりにも美しく、そして激しすぎた。
まるで水を得た魚のように打ち放たれるその剣技は、もう敵う者などいないのではないかと思えそうなほどだ。
もう止められない程に加速のついた物語は、既に彼の心の中に染み入ってしまっていた。
次々と巻き起こる展開から目を離せず、一旦冷静になったはずの頭さえも熱に浮かされた様に見入っている。
加えて、もう答えは目の前にまで迫っていた――――。
***
先ほどまでの不甲斐無さを払拭するように、セイバーは剣を激しく振るう。
嵐の如き剣撃は、あっという間にその双剣を粉砕した。すぐさま次の剣を生み出したところで、壊れこそしないものの――あまりに強すぎる力の前には何も成すことは出来ない。
剣戟こそ防いでも、圧倒的なまでの力の差は埋めようもない。事実、アーチャーがセイバーの聖剣をかろうじて防いで見せても、彼女には足下の床が陥没するほどに彼を押し切るだけの力がある。
それこそ暴力的とまで言えそうなほどに、その力の差は歴然であった。
「―――ここまでです、アーチャー」
戦いはここに決した。本来、こと剣戟に置いては弓兵が剣士に敵う道理などある筈はなかったのだ。
セイバーはアーチャーへ向けて、僅かに悲しみを覗かせてこういった。
「先ほど私の身を案じていましたが、それは貴方にも言えることだ。
キャスターを倒すためにあれだけの『
だが、彼女の言葉をアーチャーは否定する。
「アーチャーのサーヴァントには、マスターを失っても二日は存命できる。――それだけあれば、あの小僧を仕留めるには十分だ」
初めから、抱く望みに変わりはない。
ここに至ってもなお、アーチャーのすることは変わらない。
「馬鹿な、まだそんなことを言うのですか……!? 貴方の望みは聖杯でなく、ただシロウを殺すことだとでも……!」
「――――――」
セイバーの言葉に、アーチャーは何も答えなかった。戸惑いや苦悩を滲ませたセイバーを見つめる鋼色の眼には、向けられた問いに対する、反論も否定もない。
――そうして残ったのは、沈黙という名の肯定だけだった。
剣を握る手こそ緩まないものの、セイバーの翡翠の様な瞳にはいっそう哀しげな愁いが浮かぶ。
「……何ということを。
アーチャー、貴方の望みは間違っている。何故――何故、そのような結末を望むのですか。そんなことをしても、貴方は……」
そこまで言って、次の言葉を紡ごうとしたセイバーは唇を噛んで言葉を切る。
結ばれようとしたその言葉は、その言葉の重みを知るものであるからこそ、軽々しく口にしようとして躊躇いを覚えてしまうもの。
本当は誰しもが求め、且つ平等であるべきもの。
が、それを享受することは決して易しくはない。
彼女もそれを求める者であるからこそ、そんな容易く行ってしまっていい言葉ではない筈だった。
しかし、
「……ふん。間違っている、か……」
アーチャーの心情としてはそちらが重要かどうかは定かではない。いや、彼にとって、そんな事どうでもいいのだ。――何故なら彼は、『彼ら』は、自分のことなど初めから勘定に入っていないのだから。
「それはこちらの台詞だセイバー。君こそ、何時まで間違った望みを抱いている。
……何も残せなかったのではない、全てを借り切ったから故の終わりだったと考えることはできなかったのか」
向けられた言葉は、彼自身にも当てはまるのかもしれない。
だが、〝なるべくしてなった存在〟と、〝なろうとしてなってしまった存在〟に、彼自身が価値を等しく見いだせなくなっていた。
己が間違いそのものだと、そう断じているからこそ。……だが、それと同時に彼女の救いを与えたいと願う。
――――酷く傲慢で、酷く優しい願い。
嘘のように美しい物語を越えられなかったかつての少年が抱き、またその少年が成すであろう願いは今。
こうして、理想との対峙を越えていく物語で彼女へと伝えられた。
「……アーチャー」
退治する二人から、僅かに場を満たしていた闘気が失せる。
けれどそれは、決して降伏などではない。
これは、ただの一度も
やはり剣技では敵わないのか、と、自嘲気味に呟いた。
遠き理想を、輝きに手を伸ばしたかったかのような、そんなアーチャーの呟きに呼応するようにして――。
その時――世界が震え始めた。
判り切ってはいたが、それでも
無論、そこで浸って終わるつもりは毛頭ない。
敵わぬその道理を、捻じ曲げてでも進み続けてやると決意を固めるように。
「――――オレは〝アーチャー〟だ。元より剣で戦う者じゃない。……最も、その弓すら、借り物の贋作だがね」
言って、アーチャーは何のためらいもなく剣を床に投げ捨ててしまう。
まるでそれは、その手の剣と共にこの勝負の行く末さえ投げたかのようにも見える。……が、それは違う。
「何を――」
戸惑ったようにセイバーはそう口にしかけ、アーチャーの意図に気づいた。
そんな彼女の反応に応えるように、彼の周囲には濃い魔力の霧が生まれ始める。
鋭く光る鋼の瞳と、その出で立ちには一切の躊躇いも諦めもない。あるのは、ただひたすらに高まり行く決意と魔力のみ。
「真髄を見せる、と言っている。――それが、オレに出来るお前への最大の返礼だ」
言葉に偽りはなく、本来最も大切にするべきだった少女へ向けての本音だけが、彼女へと向けて口に出された。
〝――――
「止めろアーチャー! 私は、貴方とは――――」
セイバーが叫ぶ。
〝――――
だが、アーチャーは止まらない。
静かな
「セイバー。何時か、お前を解き放つ者が現れる。
それは今回ではない様だが――おそらくは次も、お前と関わるのは
――――だが、今のオレの目的は衛宮士郎を殺すことだけだ。
それを阻むのならば、〝この世界〟はお前が相手でも容赦はせん……!」
小さく消えていく様な声とは裏腹に、確固たる決意のように憎しみと後悔が世界を塗り替え始める。
一節、また一節と。
彼の一生を綴った詩が、静かにその場へと響き、
そして、その最後の一節が紡がれた時。
〝――――
炎が奔り、世界が塗り替えられた。
誰かに、己に、彼はその歩んできた
赤き外套を羽織った弓兵の――否、『正義』という名の理想に溺れた、『衛宮士郎』という名の、少年の道のりを。
こうして、彼らは――『正義の味方』という呪いの真髄を、この時――目の当たりにした。
***
――――そこは、赤い荒野。
広く、遠く、どこまでも果ての無い理想の
まるでそれは製鉄場。
燃え盛る炎と、空で回る歯車。
担い手無き剣を生み続ける、
頭上には、始まりを告げた炎の空。
足下には枯れた大地。
炎が全てを拭い去り、限りなく無機質になった爪痕。
生きているモノは何もない。踏み越えた屍を示し、悼むように立ち尽くす夥しい
それは、まぎれもなく――
終わりもなく、そして果たされることも無い、祈りの
「――――これ、は……」
突如変わった
そんな彼女とは裏腹に、
「……固有結界。
自分の心象風景を具現化して、世界を侵食する大禁呪。
つまり、アンタは剣士でもなければ、弓兵でもなくて――――」
この世界を見つめる凛の声は、寧ろ漸く合点がいったとばかりに淡々としていた。
彼女もまた、セイバーとは違った意味でソレに気づいていたのかもしれない。
「そう。生前、英霊となる前は魔術師だったということだ」
とすると、これまで見てきた宝具だと思っていたものは、この世界より出でたもの。
では、とセイバーが問う。
「アーチャー、貴方の宝具は……」
投げられた問いに、アーチャーは淡々と答える。
彼は、セイバーのような伝承も神秘もない身で、どうやって英霊に上り詰めたのかを語りだした。
「そんなものはない。私は聖剣も魔剣も持っていなかったからな。
――オレが持ち得るのは、この世界だけだ。
宝具が英霊のシンボルだというのなら、この『固有結界』こそが、オレの宝具。
武器であるのならば、オリジナルを見るだけで複製し、貯蔵する。それがオレの、英霊としての能力だ」
……だが、それは。
つまりそれは、この世界そのものが、彼の結論――結末だったということだ。
「これが……こんな荒野が、貴方の行き着いた
セイバーにはとてもではないが信じられなかった。
あれほど真っ直ぐで、形こそ歪でも、眩しい輝きを持っていたはずの夢が、こんなものになってしまうなど。
しかし、彼女の愁いはそんな、僅かばかり彼の顰蹙を買ったらしい。
不敵な笑みと共に、アーチャーは挑発的に彼女の言葉を突き返してきた。
「フン――言ってくれるな。試してみるか、セイバー? お前の聖剣、確実に複製して見せよう」
「私の聖剣……その正体を知って言うのか、アーチャー」
「あぁ。――此方も自滅を前提とした投影だが、真に迫ることはできる。相討ち程度には持って行けるだろう。
だが、聖剣同士が衝突したとき、周りの人間は生きていられるものかな?」
「な――――アーチャー、貴方は……!」
彼女の動揺を見て、アーチャーは満足そうにニヒルな笑みを浮かべた。
「そういうことだ。
間違っても聖剣を使うな、セイバー。使えばオレも抵抗せざるを得ない。
その場合消えるのは我々ではなく周りの人間だ。……お前のことだ、自身を犠牲にしてでもそこの小僧を守るだろう。オレとて聖剣など投影しては自滅する。
それでは生き残るのは
合わせるように左腕を上げ、空中に剣を投影する。
「――抵抗はするな。
運が良ければ即死することもない。事が済んだ後、今のマスターに癒してもらえ」
暗に殺す気はないという台詞を吐きながらも、その指先はセイバーを捉えて離さない。
無数の剣が、セイバーに切っ先を向けていく。
そのどれもが必殺の武器。
だが、セイバーが本気の抵抗をするのならばアーチャーも捨て身を選ぶ。となると、周囲の人間は生きていられない。仮に生きていられたとして、それはこの戦いに一人きりでは生き残ることのできないド素人の少年一人だけ。
そうなると、彼女に選べる選択は迎撃・回避のみ。
……けれど、それは。
「躱すのもいいが……その場合、背後の男は諦めろ」
そういって、アーチャーは空へ浮かぶ剣たちへと号令を下す。
気を抜けば己に、避けてしまえばマスターたちに。
僅かにでも気の弛みを見せた途端、無限の剣が牙を剥く。
向こうの魔力が尽きるまで、この世界は決して目的を阻む彼女から照準を逸らさない。
これは詰まる所、何方かが限界を迎えるまで終わらない根競べ。
そしてもし、彼女の方が先に力尽きることがあるとすれば――その時、『衛宮士郎』の命は尽きる。
そうだと判っている以上、セイバーは聖剣を解放することなく向かってくる剣たちを薙ぎ払うしかない。
だが、それはあまりにも不利な条件だ。
数の上でも、知りうる情報の上であっても。……今この場の天秤は僅かにアーチャーへ傾いていた。
第二、第三と剣の弾倉を作り出していくアーチャー。
セイバーは歯噛みしながらも、向かってくる
「シロウ!? だめだ、早く――――!」
自分の背後に下がれ、と叫ぶ彼女の声を無視して、少年は己に標的を変えた剣の群れへ向かって行く。
が、それは何も無謀な特攻でも何でもない。始まりの夜に、狂戦士の一撃から彼女を庇ったのとは違う。
確かに、少年には確証があったのだ。
頭が割れそうなほどに痛み、身体は軋みを上げていてもなお、向かってくるそれらに対抗できると信じられるだけの理由があった。
――――そう。
その時の、彼の目には――――迫り来る忌々しい剣の全てが写っていたのだから。
「――――ふざけてんじゃ、ねぇ……!!!!」
***
駆け出しながらも、衛宮士郎は、肉眼では追い付かないほどの感覚で何かが体中を巡るのを感じていた。
迫り来る第一弾――。
数にして十八本、その全てが名剣であり、贋作。
奴が、真似ることが出来るのならば、此方が出来ない筈はない。
疑問など一部もない。これまでもそうだったように、今まで散々真似してきたその道理、法則に間違いがないのなら、必ず。
あの程度、剣の雨を防ぐだけの剣を生み出すことも――出来る!
「――――
左手を突き出し、身体中を巡るイメージをそこに納めていく。
振り下ろし、砕けたのならばまた生み出し、振るう。
ただひたすらそれを繰り返し、自分を無に帰そうとする剣を、自分が引いた途端に背後にいる少女たちへ向かうかもしれないそれらを、打ち払って行く。
それを繰り返していく内に、思考は加速し、意識は希薄になっていく。
そして、意識が戻ったその時――目の前に広がる景色は赤い荒野ではなく、先程までいた場所だった。
襲い掛かる地獄めいた吐き気を推し留めながら顔を上げ、自分を忌々しげに睨む弓兵を睨み返す。すると、ますます憎らしげな死線を強めると、何を思ったのか凛を捕まえ、その意識をあっさりと刈り取って此方へ背を向ける。
「……何処に行く気です、アーチャー」
「これ以上邪魔の入らんところだ。
……オレは今ので魔力切れだ。万全になったお前に守られた小僧を仕留めるだけの力はない。要は仕切り直しといったところだ。〝コレ〟は、あくまでもその為の保険だよ」
言って、そのまま勝手に立ち去ろうとする奴へ向け、場所を指定する。
「―――郊外の森だ」
「……なに?」
吐き気を堪え、今にも押し潰されそうになる意識を保ちながら、懸命に喉から声を絞り出して、場所を示す。
「郊外の森に、今は誰にも使われていない城がある。あそこなら、誰にも迷惑は掛からない。
俺に文句があるんだろ? 良いぜ、聞いてやるよ。言いたいことがあるのはこっちも同じなんだ」
「郊外の森……あぁ、アインツベルンの城があったな。なるほど、確かにあの城ならば邪魔は入るまい。
――――ふん、良い覚悟じゃないか。衛宮士郎」
殺されに来る覚悟は出来ていたのか、と。
まるで小ばかにするような奴の言葉に苛立って、言い返そうとしたが、このままでは身体の中身を全て吐き出しそうだ。
これ以上の軽口は聞きたくない。
残った意識を無理やり留めるように頭に命令を送り、どうにか発せられる限界ギリギリの言葉を返した。
「うるさい。――遠坂に手を出してみろ、お前を殺してやる」
「よかろう。場所を指定した見返りだ、一日は安全を保障してやる。
――――だが急げよ。マスターがいない今、オレとて時間がない。この身は二日と保たぬだろう。その前にお前を殺せないとあらば、腹いせに人質を手にバラしかねないからな」
相も変わらず、最後まで癪に障る物言いのまま地上へと向かう階段へと消えていったアーチャーが消えたのに合わせ、気が抜けたのか膝を付く。
「シロウ……!」
力の抜けていく身体を受け止めるようにセイバーが支えてくれた。
彼女が傍らにいるだけで、僅かずつだが何かが戻っていく気がする。最も、それが彼女という存在を取り戻したからなのか、それともここまでして取り戻せたことが一つでもあることそのものに安堵しているからなのかは分からない。
が、どうにかこれ以上の無様をさらさずに済んだらしい。しかしそれでも、身体はやはり限界の境界線をふらついている。
そんな、僅かに呻く自分を労わるように、セイバーが声をかけてくる。
「無茶をして……いくら貴方でも、アーチャーと同じ投影をするのは早すぎます」
「……御免な、セイバー。遠坂……盗られちまった」
「いいのです。アーチャーも、あれなら直ぐに凛を手に掛けたりはしないでしょう。それより今は、貴方の方が危ない。凛のことは私に任せて、貴方は家で休息をとるべきだ」
家まで運ぶといって、彼女の肩を借りながら戦いの場となっていた教会を立ち去る。
今となっては主もなく、最早そこは伽藍の洞。
空虚なその場に別れを告げて、残った思考を切り替える。
あの赤い外套の男との決着。
そして、遠坂凜を取り戻すことを再度決意しながら――この戦いにおける一時の幕引きを噛み締めながら家路を辿る。
*** 愚か者が歩んだ道のり
この丘が、彼の世界。
他人の為に戦い続けた男が手に入れた、歩みの果て。
誰かの為にと願って、傷ついて、戦い続けた結末の光景。
彼は、こんな風景を抱いて、笑って死んだ――――
〝――――バッカじゃないの……っ!〟
自分が頑張ったのなら、
誰かを幸せにしたのなら、
その誰よりも幸せになってやらなければ嘘なのだという、赤い少女の声が思考に重なる。
だけどもう、そんなことさえ気にならないほどに、心は崩壊寸前まで来ていた。
これ以上見せないでくれ、と、祈りたくさえなる。
求めてきた答えなのに、本当に意味でこれは自分のものではないのに――借り物として、自分もモノでないそれを抱いて歩み続けた少年のことを思うと、恐ろしくなる。
自分の望んだモノだというのに、恐怖した。
その上、他人の理想でもここまで歩んでしまったことに呆然とした。
何故、そこまで――そこまで、しなくてもよかったのだと、僕はそう言ってあげなくてはならないのに。
それが僕の責任、の筈だ……。
その、筈……なのに――――――
――――――情けなくも、僕はそれに救われてしまっていた。
最低だ。
何よりも、最低だ。
これまで重ねてきたことが優しく思えそうな程、最低で、軽薄な心だ。
自分のことを見ていてくれた人たちを殺した。
こんな自分に尽くしてくれた人たちを殺した。
カタチは違えど、願っていた少女の願いを踏みにじった。
これを最後として、少年の両親や街の人々を地獄へ誘った。
目指したモノが、絵空事だけではかなわないから、悪でいいと。真に『悪』を滅ぼせるならば、極悪非道で構わないと思っていた――のに。
そんな最低を、どうしてそこまで行って叶えようとしてくれた。
その上、……その上、行き付いた先が……こんな自分と同じだなんて…………それなのに、それなのに……!
それでも、君は。
こんな僕の夢を引き継いで……それでも君たちは…………笑って、くれるのか……?
*** 己が理想との対峙
深く、深い森の中に聳えた城。
歩み続ける少年と、救われなった少年が相対する。
ようやく気付いた、と赤いペンダントを手に少年は彼に言った。
――――そうして語られたのは、ある少年が〝英雄〟となる物語。
その生涯を誰かの為に歩み続けて、
死後でさえも、〝誰も泣かずに済むのなら〟と売り渡した――青く、まだまだ馬鹿な夢を見ていた、少年の物語。
――〝世界〟が、己を守るために行使する『抑止力』。
ヒトという、霊長という種の存続を守る存在であるそれは――――苦しむ誰かを、つまりは〝人間〟を救いたいと願っている少年にとっては、きっと願い欲したモノに出会えたと思ったことだろう。
……だが、それは違った。
夢に描いた『正義の味方』――それは、確かに義父の勝った通り、エゴイストそのものだったのである。
味方をした側しか、救えない。
そんな事はとうに分かっていたはずなのに。
……それでも、もっと、と。
人の手に余る夢の代償は、結局願ったこの身に一番ふさわしい形で支払うことになった。
思い上がり、傲り高ぶり、これで大丈夫だとそう思ったのさえ、幻想。それこそ、世迷言の類でしかない。
――――いや、そもそもが間違いだったのだ。
自分を持たない己が、誰かの救いになれるなど……;ある筈がなかったのだから。
そうして分かったのだ。自分の願った世界は、自分の手で踏みにじられていくのだと。
別に、本当に〝争いの無い世界〟なんてものを目指していたわけではない。
本当に願っていたのは、自分の手の届く範囲で涙する人が少しでも減らせたらと願っていただけだったのに――ほんの一片も、幸福を増やすことはできなかった。
救える範囲が広がって、思い上がり始めたのだ。
より多くの人間を救うために、少数には消えてもらった。しかし、それは数が増えればどんどん弥増していく。こうして救えなかった命があるのなら、きっとその先にある何かで悲しむ人や救えない命を減らせなくてはならない。
――減らせるはずだ、と。
そうして詰まらない意地を張っていくごとに、どんどん追い詰められていく。
本当に救いたかったものを、この手で削ぎ落としながら……。
だからこそ、〝後悔〟した。間違いだったのだと、己のこれまでの生を正したいと願うことになった。
果てに得たのは後悔のみ。
――――この身は、〝英霊〟に等なるべきではなかった――――
だからここまで来た。
ここで、終わらせるために。
認められない、己という存在を――消すために。
「――――自害しろ、衛宮士郎」
だが、それさえもまだ認識が甘かったのだろう。
放り投げた短剣を手にしても、『衛宮士郎』は止まらない。
……いや、もしかしたら、止まらないことを忘れていたのかもしれない。
死ねと言われて、簡単に死ぬ玉ではないのは知っている。理想と相対したとき、必ず向こうはこちらを否定しなければならないのだから。
しかし、向かってくればそれまでだと思っていた。
何せ、既に存在が違う。
向こうが勝てる道理などない。
だというのに、それでも――――奴はまだ、剣を下ろさない。
***
理由は、非常にシンプル。
向こうは、此方が気にくわないから叩き潰しに来たのだ。
そしてこちらも、向こうが歩んできた道のりがどんなものなのかは分かった。けれど、それはどうにも全て納得しきることは出来そうにない。
――――故に、一つだけ訊いておくべきことがあった。
「アーチャー。お前、後悔してるのか」
その質問に、吐き捨てるように奴は答える。
「無論だ。オレ……いや、
その答えに、覚悟が決まってくれた。
これで判った。
これで解った。
そして、別った。
――――ここで別たれた。
「そうか。それじゃあ、やっぱり俺たちは別人だ」
僅かに戸惑いを覗かせる奴――アーチャーに、自分がこれから歩む道のりがどんなものであれ、これだけは自分で変える気はないと告げる。
「俺はどんな結果になったって、後悔だけはしない」
そう、これだけは変えない。
〝だから――絶対に
変えて良い筈がない、自分自身の信念。
何もかもが借り物でも、これだけは譲る気はない。
歪な生き方だった。奴の言うように、或いは少女たちが言ったように。
それはやせ我慢の連続で、きっと得てきた物よりも、落としてきたモノの方が多い時間だったのだろう。
だからこそ、その落としてきたモノの為に、『衛宮士郎』はここを退くことは出来ない。
「お前が俺の理想だっていうんなら、そんな間違った理想は、俺自身の手で叩き出す」
「その考えがそもそもの現況なのだ。お前もいずれ、オレに追いつく時が来る」
「来ない。そんな
「……そうか、確かに来ないな。ここで逃げないのなら、どうあれ貴様に未来はない」
俺たちは一歩ずつ踏み出した。
「……シロウ」
「良いんだ、セイバー。その気持ちは嬉しいけど、どうか下がっていてほしい」
不安そうに俺を止めようとするセイバーを制して、前に出る。
「――――だってこれは、俺がするべき戦いだ」
踏み出していく足に不安はない。
そもそも、その手には剣すらない。
だがそれでいい。というよりも、当然のことなのだ。
だって、俺たちは剣士ではない。そう――俺たちは、生み出す者。
そして、そのための言葉は――――
『――――
手に生まれるのは、見かけはまったく同じ双剣。
決して二つ存在するはずのない宝具を、俺たちは無数に、それこそ無限に生み出す。
しかし、この手にある剣はまだ曖昧なままだ。
「分かっているようだな。オレと戦うということは、剣製を競い合うということだと」
まだまだ中身は足りない――俺の剣製は、奴に追いつけてはいない。
「――――――」
尖っただけの空想では、弛みを見せるだけで打ち合った瞬間、ただの妄想として砕け散る。
そんなことは、解っている。
だが、ここで引くわけにはいかない。絶対に、ここから後ろには下がらない。
「オレの剣製に付いてこれるか?
――――僅かでも精度を落とせば、それがお前の死に際だ」
食らいついて、食らいついて――そこに、追いつくまで。
この身は止まらない。そのことは言葉にするまでもなく、どちらにも解っていた。
故に、戦いの幕開けに言葉など要らない。
『――――――ッ』
息を呑む一拍を置いて、俺たちの剣は、まるで磁力にでも牽かれ合うかのようにぶつかり合った。
***
剣を振るう。
そのままぶつかり合い、此方の剣が砕け散った。
砕けたその穴を埋めるべく、再び同じ剣を生み出す。
担い手無き、作り手の為の剣であるとともに、陰陽の夫婦剣である干将・莫邪。
だが、
「お前とオレの投影が、同レベルだとでも思ったのか」
――やはりまだ及ばない。
判り切っていたことだというのに、それでもまだ足りていない。いくら己の中にあるイメージを強めようとしても、所詮は未だ空想。
構造にその理はない。
存在を担うには、未だ足りない。
しかし、打ち合う度に――――確かに、ソコに続いている路が見える。
少しずつ、少しずつ流れ込んでくるものがある。それは奴の剣筋であり、剣たちの記憶であり、そして――地獄への道筋だ。
打ち合い続ける剣撃など、当に気にならなくなった。
迫る剣など恐ろしくはない。――――流れてこんでくるもの、
その光景は、正しいか正しくないのか。はっきりと判断できる人間はいないだろうし、したいと思うものもいないのだろう。
勿論、俺にはハッキリと断言することはできないし、解らないままだった。
――――でも、きっと正しかったのだろうと、思うことは出来る。
奴の信じようとしていたもの、辿って来たもの。
その結末が、脳裏に焼き付けられていく。
追いつくというのは、そう言うことだと奴は言った。
客観的に見れば、そこにおぞましいモノなどはない。
言葉彩られ、命を守ろうとするその姿は滑稽だが芯が通っていた。
美しいものは醜く、醜いものが美しかっただけ。……なのに、どうしてそんな〝偏り〟が生じるのか。
問いかけても、答えは誰からも返ってこない。
だからきっとそれは、己の本質へ迫るということで――――
〝――――体は剣で出来ている〟
誰かの為になれば良いと思っていた。
例え、自分が傷ついても、相手からどんな裏切りや誹りを受けたのだとしても。
それでも自分さえ裏切らなければ次があるのだと信じ続けて、結局それが他からどう見えるのかを知らないまま生き続けた。
嘆くこともなく、傷ついた素振りも見せないままに。
まるでそれは、血の通わない機械のよう。
〝――――血潮は鉄で、心は硝子〟
でも、そんな機械にだって守るべき理想はあったから、異様に使われることさえも受け入れた。
都合のいいように扱われても、いつか何かに繋がるのだろうとそう信じて。
だが、血の通わない、自分の無いそんな在り方は――いよいよ道具じみている。そんなものを、いったい誰が識ることが出来るのか。
〝――――幾たびの戦場を越えて不敗。
ただの一度も敗走はなく、
ただの一度も理解されない〟
それゆえ誰からも識られることはなく、自己満足しか残せない。
が、その身は誰かの為のモノでなくてはならない。……でも本当は、何が一番欲しかったのかを理解した瞬間から、自己の中に生まれた矛盾に食い潰される。
自分を保てず、その身はただの一度も、誰かと寄り添うことが出来なかった。
このような有様で、一体何を救えたというのか。
〝――――彼の者は常に独り、剣の丘で勝利に酔う〟
誰に言うことでもない。
思考と理想は矛盾して螺旋を描き、何時しか醜い偽善すらも残せなくなる。
そうして残ったのはただ堆く積まれた骸の山と、理想の為に殺し続けたそれらへの
〝――――故に、その生涯に意味はなく〟
誓いの月夜を忘れ、
在った筈の意味を失い、
遠く輝く憧れの光すら消え去った。
〝その体は、きっと――――――〟
結局この夢は、『衛宮士郎』という愚者の戯言でしかなかった。
抱いた理想が、嘘で塗りたくられた夢物語だろうと見せつけられて――己の正体が醜悪な『正義』とやらの体現者であると知る。
この身はやはり、何かに使われるだけの意味を持たない剣でしかなかったらしい。
詰まる所、この体は――――
〝――――――剣で出来ていた〟
自分の姿と奴が重なっていく。
視認して、その経験や力そのものが重なっていくたびに、その地獄がどんなものであるのかを、その本質を知ってしまう。
同情などしない。同情なんかしない。同情なんかしない。
――――けれど。
酷い結末に繋がっているその路に、この足が足跡を付けようとしているのだと思うと、その路をこの足が歩き続けるのだと思うと――心が欠けてしまいそうになる。
……弱くなっていく心が、理想に押し潰されていく。
「あ――――ぐ」
いつの間にか倒れていた。
緋色の空が、この死に体の身体を見下ろしている。
内も外もボロボロで、何故まだこうして生きているのか不思議なくらいだ。
意識が遠くなり始めたところで、そこに声が響く。
「――そこまでだ。
敵わないと知ってなお、ここに表れる愚かさ。障害下らぬ理想に囚われ、自らの意志を持てなかった紛い物。
それが、自身の正体だと理解したか」
理解など、とっくに出来ている。
「そんなモノに生きている価値などない。何よりこのオレが確信しているのだ。
『衛宮士郎』という男の人生に価値などない。
……ただ救いたいから救うなど、そもそも感情として間違えている。人間として故障したお前は――初めから、在ってはならない偽物だった」
……ああ、それだって解っていたさ。
でも、
「は――――」
それでも、身体はまだ戦えると訴えている。
折れたはずの心が、折れていないと強がっている。
「――――あ」
なら、立って、あいつを倒さないと。
無様に立ち上がろうとして、向かうとしている此方に侮蔑を向けるように、奴はこう言い放った。
「……無駄なことを。
オレはお前の理想だ。適うはずなどないと、今ので理解できたはずだが」
確かに、力の差は明白。
……だが、それでも認めるわけにはいかない。
ささくれだった神経が悲鳴を上げる中、動揺することなく八節の工程を組み上げた。
右手に生まれた剣は、やはり奴と同じ双剣、干将・莫邪。
生み出され、手に握られたそれを、残された己の全てで振るう――
「――そうか。認めるわけにはいかないのは道理だな。
オレがお前の理想である限り、『
平然と放たれた言葉が頭にきた。
此方はもう息も絶え絶えというのに、どこまでも冷静な口ぶりの通り、奴は呼吸一つ乱していない。
「くっ、この―――!」
全霊を込めた、渾身の一撃。
どうにか鍔迫り合いにまで持って行ったが、鼻で嗤われそうなほどに腕力の差は歴然。
剣が押し返され始め、刀身を蝕むようにして伝わってくる圧に、継ぎ接ぎだらけの腕が悲鳴を上げる。
軋みを上げる双剣を見ながら、奴はこんな問いかけを投げてきた。
「では一つ訊くが――――お前は本当に、『正義の味方』になりたいと思っているのか?」
「な、にを――――」
今更、と。
口からはそう漏れ出した。
その不意打ちに、空白を生んだ思考の間を悟られなかったかどうかは自信がない。それでも一瞬の空白を悟られていないと断じ、続けて苛立ち紛れに言い返す。
「――――俺はなりたいんじゃなくて、絶対になるんだよ……!!」
けれど、そうして上げた叫びと。
霞み始めた眼で睨みつけてやろうとしていた思考を、
「――そう、絶対にならなくてはならない」
奴は、心臓を掴むような言葉で止めてしまった。
「何故ならそれは、衛宮士郎にとって唯一つの感情だからだ。否定することも、逆らうことも出来ない感情。
――――たとえそれが、自身の裡から生まれた物でないのだとしても」
その先を、言わせては、いけない。
続く言葉が何であろうと、その先を言わせてはならない。と、考えるより先に否定が生まれた。
気づいてしまっては、この身が。
『衛宮士郎』という存在そのもの、根底を成す基盤が崩壊してしまうと。
だが、しかし――――
「――――ほう。その様子では薄々感づいてはいた様だな。
いや、初めから気づいていて、それを必死に遠ざけていただけだったのか。――――今のオレでは、思い出すことさえできないが」
知りたくない。
知ってはいけないと分かっている。
それでも――――知らなければならないと、いい加減解ってもいた。
『
何を間違えて、何が歪だったのかという、その答えを。
「オレには、最早かつての記憶などない。……だが、それでもあの光景だけは覚えている。
一面の炎と、充満した死の臭い。絶望の中で助けを請い、叶えられた時の感情。衛宮切嗣という男の、オレを助け出した時に見せた安堵の顔を。
――――それが、お前の源泉だ。
助けられたことへの感謝など、後から生じたものに過ぎない。
お前はただ、衛宮切嗣に憧れただけだ」
そう――それが、答え。
あの時、周りで死んで行く人々を助けられないことに、後ろめたさを感じていたわけじゃない。
そもそも、感じるだけの心が死んでしまっていた。
あの時の自分は、何もかもを失くして、空っぽだったのだから。
死ぬのが当然だと思い知らされながらも、ただそこに居るだけで聞こえる死の声に耐えられなくなって、炎の中を彷徨い歩いていた。
そうして、本当に何もなくなった時――助けられた。
目に涙を溜めながら、自分を助けてくれた男は微笑んでいた。まるで、自分の方が救われたかのように。
切嗣が見せた安堵の顔が、あまりにも幸せそうだったから。自分もそうなりたい、と。
――――だから、憧れた。
「そうだ。お前は、ただ一人助かったことによる後ろめたさを感じていたわけじゃない。
……お前はただ、衛宮切嗣に憧れただけだ。
あの男の、お前を助けた顔があまりにも幸せそうだったから、自分もそうなりたいと思っただけ」
……あぁ、その通りだ。
あの時、救われたのは俺の方じゃない。
街を覆った災の中で、切嗣はきっと生存者を死に物狂いで探していた。
原因が自分にあるのだとすれば、きっと耐えられなかったのだろう。自分が引き起こしてしまった過ちを、少しでも変えたいと願ったはずだ。――――でも、そんな相手の事情など知らない。
俺には、あそこから助けて出してくれただけで十分だった。
たとえそれが自己に向けられていたのだとしても、俺を救おうとする意志も、助かれと願ってくれたその真摯さも本当だったのだから。
――――あの、誰一人生存者などいない筈の惨劇。
当事者である切嗣は、血眼になって生存者を探し続け……そうして、いるはずの無かった生存者を捜し当てた。
助かるはずのない子供と、
居るはずのない生存者を見つけた男。
何方が奇跡だったのかといえば、それは――――
「子が親に憧れるのは当然だ。……が、お前の場合はそれが行き過ぎた。
衛宮切嗣に、衛宮切嗣がなりたかった物に憧れるだけなら良かった。だが、最期に奴はお前に呪いを残した。
あの時、お前は必ず正義の味方にならなくてはいけなくなった」
月夜の誓い。
あれが、始まり。
自分の気持ちなどどうでもいい。
ただ、幼いころから憧れ続けた者の為に、憧れ続けたものになろうとしただけ。
〝誰もが幸福であってほしい〟という、その願いは――。
俺ではなく、衛宮切嗣の抱いていた、叶うはずもないユメだった。
「お前の理想は、ただの借り物だ。
衛宮切嗣という男が取り溢した理想、衛宮切嗣が正しいと信じたモノを真似ているだけに過ぎない。
――『正義の味方』だと? 笑わせるな。
誰かの為になると、
そう繰り返し続けたお前の想いは、決して自ら生み出されたモノではない。
そんな男が他人の助けになるなど、思い上がりも甚だしい……!」
「ぐ、が……ぁぁああああ――――ッ!?」
罵倒するように、剣が振るわれた。
これまで技を魅せていた剣撃は消え失せ、力任せの剣が此方を襲う。
「――そうだ! 誰かを助けたいという願いが綺麗だったから憧れた――」
一撃のたび、奴は自らを罵倒する。
「――故に、自身から零れ落ちた気持ちなどない! これを偽善と言わず、何と言う!?」
繰り返される否定。
その言葉が、何よりも『衛宮士郎』を傷つける。
「この身は誰かの為にならなければならないと、強迫観念に突き動かされてきた。
……それが苦痛だと思うことも、破綻していると気づく間もなく、傲慢にもただ走り続けた!!」
砕けた心を、さらに粉砕していくその言葉。
けれど、それでも身体はまだ、剣を受け止め続ける。
「だが、所詮は偽物だ。そんな偽善では何も救えない。……否、元より何を救うかも定まらない!
見ろ! その結果がこれだ。
初めから救う術を知らず。救うものを持たない醜悪な正義の体現者が、お前の成れの果てと知れ――!!!!」
折れた心が、その否定を受け入れたがっているの。なのに、壊れかけの身体は、いっそうその否定を覆そうと
しかし、流れていく血と共に、思考はどこか遠くに流れていく。
遠くなっていく意識の中、奴は自らに対する結論を口にしていた。
「――――その理想は破綻している。
自身より他人が大切だという考え、誰もが幸福であって欲しい願いなど、空想のおとぎ話だ。……そんな夢でしか生きられないのなら、抱いたまま溺死しろ!」
生きる価値無し――否、その人生に価値無し、と。
奴はそう吐き捨てて、此方を見下ろしていた。
倒れそうになっている姿は、きっと酷く無様なのだろう。いっそ倒れてしまえば、それで終わると解っているにも関わらず。
身体は、頑なにそれを否定している。
一度倒れれば、二度と起き上がることは出来ないと理解した上で、降伏を拒み続けていた。
既に、勝敗は決した。
いや、そもそも『衛宮士郎』が『英霊エミヤ』に敵う道理などない。決していたというのなら、それは闘う前から決まっていたことだ。
だというのに、身体はまだ、負けていないという。
それに、奴の言い分に引っかかるところがあった。
ほとんどが正しく、今の『衛宮士郎』に覆すことが出来ないモノばかりが並んでいた。反論など、こちら側からの否定など届かないと思ったその中に。
―――どうも、奴が何かを忘れているというのを感じた。
*** 間違い、それでも〝美しいもの〟
――
――――
――――――いずれ辿る、
それらは等しく現実で、酷く正しい過程だった。
〝アンタは、その――正しかったな〟
〝……器用ではなかったんだ〟
けど、それは何かを失ってしまったかのように見えたが、それは違う。
失ったのではなく、……それは自分から削ぎ落としてしまっただけだ。
〝多くのものを、失ったように見える〟
〝……それは違う。何も失わないように意地を張ったから、私はここにいる。何も、失ったものはない〟
何もかもを求めたから、そこには何も残ることはなかった。
だが、そんな中でも一つだけ―――
〝ああ、でも―――確かに一つ、忘れてしまったものがある〟
――――最初に、その地獄を見た。
炎の中を歩き続けていた。
別に、特に行先があったわけじゃない。
熱くて、息ができなかった。空には大きな〝孔〟が空いていて、そこからは何か泥のようなモノが降り注いでいた。
逃げて、いたのだろうか。
何処へ行っても助かりはしない。死さえ受け入れていても尚、それでも生き延びようとして、地獄を彷徨っていた。
何故そこまでしたのか、そんなことは今となっては分からない。
でも、あの時。
本当に力尽きるその時まで、確かに俺は歩みを止めることは無かった。その様はまるで、死に場所を求める落ち武者か、死に切れていない屍のようだ。
地獄の中を、まるで亡者のように彷徨っている。
そんな記憶の中にいた自分の背に、届く筈も無い声をかけてみた。
〝―――おい、その先は地獄だぞ〟
聞こえる筈も無いのだから、届く筈も無い。
当たり前のことだが、きっと――聞こえても止まらなかったのだろうなとは思う。
何のために生き延びたのか、何のために為に、見送られたのか。
あの時、自分はきっと――――その意味を、地獄の中で探していた。
家族を、実の両親だったものを越え、まだ死んでいない自分と、死んでいく人々の中。
どうして、と考えながら、俺は生きていた。
ここで、なんで今こうしてまだ死なずにいるのだろうと。
細かく考えらないまでも、何かの意味や目的のようなものを探していたのだ。
――けれど、
何も得られないまま、そこで力尽きた。
炎は雨と共に段々消えていく。
それに合わせて、自分の命の灯も一緒に消えていく。
漠然と、ここで終わるんだな――と、迫り来る終わりの刻を、薄れていく意識が受け入れていた。
だが、まだ死んでいくことに抗おうと、残った意志が手を伸ばす。
……当然、誰にも助けられることはない筈だった。
無駄なことだろうと思ったが、それでもまだ願っていた。
星は見えない、暗い夕闇の空。段々と明けていくとき中で、伸ばした手が最後の力を失って行く――その時だった。
まるでそれを待っていたかのように、大きな手が自分の手を包む。
安堵の表情が見えた。救われたのはこちらであるのに、とてもとても嬉しそうな顔をしている。
――――それが、始まりだった。
それが解れば、これからも歩いて行ける。
ここから先にも、進んで行ける。
そしてまた、足を前に踏み出す。
すると、声がした。先ほどの自分と同じように、まるで引き留めようとする声が。
〝おい――――その先は地獄だぞ〟
あぁ、解っているさ。……だが、それでも。
〝これがお前の忘れたものだ。確かに、始まりは憧れだった。
……でも、根底にあったものは願いなんだよ。この地獄を覆して欲しいという願い。
誰かの力になりたかったのに―――結局、何もかも取りこぼした男の、果たされなかった願いだ……〟
眩い光が炎の中で発せられ、その世界を変えていく。もう、そこには炎に焼かれるだけの無力な存在はいなかった。
己の裡にあった世界が変わっていく。
――刻み込まれたその起源は、『剣』。
数多の命を癒し、嘗てそこに納めるモノと別たれてしまった、失われし理想郷の光がその世界を創り上げる。
収めていた星の輝きと同じ、黄金の光がその身体を包み、前に進むために背中を押す。
〝……その人生が、機械的なものだったとしても……〟
〝――あぁ。
その人生が、偽善に満ちたものであったとしても――――俺は、〟
〝――――『正義の味方』を張り続ける――――!〟
この世界に込められた、その
今はまだその真意は判らずとも、この光景を忘れてしまったお前に変わって、この言葉を貰って行く。
――完全に変わり切った、剣の世界。
その丘の頂点に立つ剣を引き抜き、光が繋ぎ、守ってくれた命に再び火を灯した。
奴の忘れている記憶、その失われていた色彩を取り戻す。
これが、これこそが――――俺の、答えだ。
***
死に体だった筈の少年の身体に、再び命が戻っていく。
何が起こっている、と、僅かに驚愕を覗かせたが、すぐに男はその理由に至る。
「っ――、そうか……彼女の〝鞘〟……!」
かつて己の中にも在った、この戦いを見守っている少女との縁。
聖遺物としては頂点に位置するレベルの品であるとともに、所有者を守り、癒すための加護を与える代物。
その上、この場には本来の所有者たる
だとすれば、その加護の力は跳ね上がる。
彼の狂戦士の一撃からさえ少年を守り、彼の父が用いた魔術の自傷からも守り抜いた。そんな守護の力が、この場で少年が死んでいくだけの結末を認める筈も無い――!
「あれは聖遺物……召喚されたモノではない。契約が切れたところで、その守護は続いている……っ!」
ズタズタに、そして粉々になっていった身体が癒され、治っていく。
そして、治された
〝――――、体は〟
――彼らの真髄がある。
「……貴様……っ」
眉根を寄せ、男は忌々しげに少年を睨みつける。
そして、遂に――――その世界の為の言葉が、本来それを知らない筈の少年の口から発せられた。
〝―――――剣で出来ている〟
少年の身体を奔る回路が切り替わる。
その手に再び形を成していく双剣。だが、それでは結末は同じ……。
事実、少年は死に体。対する男は未だに息一つ乱していない。
その力量差は歴然なのは変わらない筈だ。
相手がスクラップ寸前なのは明白。――ならば、あと一撃でケリはつく。
それを証明するべく、男は手にしていた双剣を投げ放った。
宙を舞うように踊る双剣は、陰陽の力によって互いに牽かれ合いながら、少年の首を跳ねようと迫りくる。
けれど、
「お前には、――――」
迫る剣に、
目の前の男に、
もう、これ以上負けてなどやらないと。
少年の琥珀色の瞳には、折れない覚悟が燃えていた。
「――――負けられない!」
手にした双剣で、放たれた双剣を弾き落す。
先ほどまであった差も、この一撃によって完全に埋まる。
少年の手にある双剣は、今の少年の心を表すように――――今度こそ、微塵も欠けてなどいなかった。
「誰かに負けるのはいい。……でも、自分にだけは負けられない!」
もうそこに、迷いなど無かった。
寸分違わず、狂いも妥協もない剣が、少年の意志を強く表している。
「―――ようやく入り口に至ったか。
だが、それでどうなる。実力差は歴然だと、骨の髄まで理解できたはずだが?」
確かに、それでもまだ差はある。
歩んできた道のりはほど遠く、果ての無いほどに遠い。
しかし、
「手も足もまだ動く、負けていたのは俺の心だ。お前を正しいと受け入れていた、俺の心が弱かった」
此処から引く気はない。
「お前の正しさは、ただ正しいだけのものだ。――――そんなもの俺はいらない」
一歩たりとも譲る気はない。
此処から先は、先ほどまで以上に単純明快。
自分と自分との戦い。すなわちそれは、意地と意地のぶつかり合いだ。
ゆえに、絶対に負けてやるつもりなど、欠片も無い。
「俺は『正義の味方』になる!
お前が俺を否定するように、俺も死力を尽くして……お前という自分を打ち負かす!」
そうして、信念の元に剣を振るう為に、地面を蹴った。
「……くだらん」
まだ届かない筈のそれに、何故か男は苛立ちを覚えた。
「くだらん、くだらん、くだらん! 最早見るに耐えん!
愚昧此処に極まったな、衛宮士郎。
……『正義の味方』になる? ただ正しいだけのもの? ――そこまで分かっていながら、何故間違いに気づかない!?」
……己の通って来た道を。
重ねてきたその血の軌跡を思い返しながら、男は募っていく苛立ちの原因が判らないまま、言葉を続けていく――
「――『正義』とは、『秩序』を示すもの。全体の救いと、個人の救いとは別のモノだ!
その二つは、絶対に両立しない。正しい救いを、求めれば求めるほど。お前は自己矛盾に食い尽くされる。――ただの殺し屋に成り下がる!」
迫り来る何かに心をかき乱されるように、男は感情を剥き出しにして、向かってくる敵を罵る。
「それが解らないのなら死ね――その思想ごと砕け散れ! 何も成し得ないまま燃え尽きろ! そうだ、そうなれば俺の様な間違いも霧散する」
「――――――」
少年は、それに応えない。
ただ、彼は剣を振るう。
続けて振るわれたそれは、あまりにも凡庸な一撃。
先ほどまでの間に積み上げられた、経験から真似た剣戟の技を魅せる気など全くない、ただただ力任せの一撃。
だが、
「な――――っ!?」
その重みは、先ほどまでの度の一撃よりも重く男の手に響く。
迫る剣撃の重みに驚愕し、受けに回っていては倒される。そうでなくとも、そのままでは押し切られると悟って、男も本気で剣を振るう。
――――それは、在り得ない剣戟だった。
ほとんど死に体の身体。
呼吸は止まり、魔術回路も焼け付いて、その源足る魔力すらも枯渇している。
最期の炎、終わりまでの刹那。その程度の残り火でしかない、そのはずの剣撃を受け止め続ける。
……だというのに、止まらない。
どれほど受けても、どれほどに捌いても、まだ止まらない。
その姿が、これ以上ないほどに癪に障る。限界など越え、それでも止まらない。
忌々しげに歯噛みする。
間違いでも、偽物でも。理解し、認めた上でなお、それでも美しいと感じたものの為に剣を振るい続ける姿。
その無様さを、彼は良く知っていた。勝てぬと知って、意味がないと知って、なおも挑み続けるその姿。
それこそが、彼の憎んだ自身の過ちに他ならない。
―――――だというのに、何故。
ふと、気が付くと……それをどこまで続くのかを見届けようとしていた。
その事実に気づいて、自分がどこまで間抜けだったのかと思い返し、目の前の少年が切り伏せようとしているモノを知った。
少年が切り伏せようとしているのは、己を阻む自分自身。これからも己を貫くために剣を振るっている。
だが、それは彼とて同じ。
本来、一歩でも退けば敵はそのまま自滅する。そうでなくとも、殺せるだけの剣を作り出すことで、射殺すことも出来よう。
けれど、もしここで引いてしまったらと。
頭の中で、何か決定的なものに敗北すると警告が鳴り響く。
合わせるように、頭蓋にまで響くほどの痛みが走った。目の前がざらつき、景色が歪む。そして、そのまま視界には、何時かの夜を映し出されていき―――――
「っ…………、消えろ――――!」
剣を生み出し、叩き伏せるために撃ち放った。
自分を消し去る様な、敗北の予兆。
この時、初めて真っ向から目の前の
「……じゃない」
迫る剣たちをものともせず、此方へと駆けるその足を一向に止めない少年の口から、何かが聞こえる。
「――い……じゃ、ない――!」
敵は既にこちらを見ていない。
見ているのは、そんなものではなかった。
必殺の筈の一撃を潜り抜け、迫る剣。近づくたびに、僅かずつだが、少年の意志がこの世界を侵食していく。
そして、
「――――この夢は……間違いなんかじゃない――――っ!!」
決死の叫びと共に向けられたその一撃。左胸を狙ったその一刀。
容易く守り切れる筈の一撃を、何故か彼は受け止めなかった。……だが、不思議と後悔はない。
脳裏にあるのは、あの夜。
ただ穏やかな、月夜の誓いだった――――
(……酷い話だ。古い鏡を魅せられているような――――)
――――――――こういう男がいたのだったな……。
*** 己が内に秘めた、最果ての『世界』
――――こうして、戦いは本当に決した。
少年は歩みを止めず、理想との対峙の果てに勝利を得た。
だが、そんな感慨を抱く間もなく、本来の戦争が人々を食らい尽くそうとする聖杯の産声が上がる。
答えに至った二人を襲う、武器の雨。
アーチャーの背に刺さる剣の重みを理解したかと嗤う、黄金の王。
偽物同士のつまらぬ戦いだったと言いながら、男は偽物を蹂躙するべく真作を撃ち放つ。
黄金の英雄は、再び聖杯の中身をこの街にぶちまけようとしている。
この世界を掃除すると、有象無象の世の中を整えると。
無論、そんなことを許すわけにはいかない。
ヒトの命を、現在によって裁く。
なるほど、確かにヒトが積み上げた呪いによってヒトが死ぬのならば、確かにそれは理に適っている。
ヒトは、業が深く醜い生き物だ。
故に、黄金の英雄――英雄王・ギルガメッシュは、そんな地獄でも生き残る〝本物〟を求める目的もあると語る。
そのために何をすべきか、戦いの果てを知っているアーチャーは、一番良く分かっている。
奴の天敵であるのは、贋作者。ギルガメッシュが嫌い、恐れている二人の内――自身ではない片割れを生かした。
そして、戦いのときは一時見送られる。
裁定の時を待つ冬木の街。
杯に満たされた泥は、今か今かと零れだす時を待っている。
人間の悪性を煮詰めた、呪いの塊。願いを汲むべき器は、その内に秘めた穢れをかつてのそれ以上に垂れ流す。
だが、それを止めようと足掻く少年は――少女の力を借りて、黄金の王へ挑む。
対峙し、己の技量の限りを尽くして立ち向かう。
本気にさえなっていない相手にも敵わない。――まだその身は、破るべき殻を破り切れていない。
届かない手を嘲笑うように。
核を殺せばいい、
これならアーチャーの方が楽しめた、と、黄金の王は少年を煽り立てる。
そして、未だ戦いとさえ呼べない剣戟の最中に、決して読み解くことのできない『剣』を視た。
敵わない、そのことが解る。
アレを抜かれた瞬間、此方には勝ち目がない。
いくら本気を出さないと言っても、力量差が埋められない。
口にされることも、いちいち間違っていない事ばかりで、此方をかき乱す。
……でも、それはもう解っていることだ。
少年は思い返す。
借り物の理想を託してくれた人を、託して逝った己の理想との剣戟を。
――――その、最果ての『世界』を。
彼はそこまで行き付いた。誰も犠牲にしないで、何かを得ることなどできない。
平等は、闇を直視できない弱者の戯言。
人間は、他社の犠牲無しに何も得られない獣。
偽物でしかないものが、本物に届くはずなどない。
その程度のモノだと、黄金の王は言い放った。
……確かに、その通りだ。
実際、対峙した理想もこの身の借り物の理想の果て、やっていることは偽善でしかないと言った。
だからといって、偽物では届かないのか?
偽物だから、届いてはいけないのか?
……それは違う。
借り物であっても、どんなに歪であっても、単なる偽善であっても、そう断じてきた男こそがその理想を貫き通したのだから。
ならば、歩いていける。
たとえこの先に、何一つ求めたものがないのだとしても。
それでも、確かに続いている。偽物であっても、その先へ進めるだけの路が、確かに存在している。
それだけ解れば十分だ。
『衛宮士郎』は、この先もこの
少年は立つ。
大切な人たちを守りたい。この街を守る。もう、あんな悲劇は起こさせない。
己の理想を、この先へ続く夢を示すために。
目の前の敵を倒すために今――――
――――少年は、その偽善の最果てへと手を伸ばす――――
助けに来たセイバーを凛の元へ向かわせ、たった一つの勝機を逃したことを嘲るギルガメッシュの声を聞きながらも、平静に己の裡に集中した。
己の本質を漸く知り、目の前の敵を足すためにその力を解放する。
そのための
あの弓兵と同じ、自らを律するための詩。彼がその一生をつづるなら、自分は己の覚悟や決意を詠う。
自らの世界を生む、その言葉は――――
〝――――
今いる寺で、かつて弓兵と槍兵が戦った時に見せた盾。
かの必殺の一撃をも防ぎ切った、七つの花弁を重ねたよう盾を用いて、敵の攻撃を防ぐ。
放たれる武器の雨など、今の彼にとって何の問題にもならない。
〝――――
この体は、生み出すためのもの。
ただ漠然と真似て造るのではなく、作り手の記憶に共感し、担い手たちの記憶に共振することこそが本質。
己の心を、形にすること。
〝――――
それだけがこの身に許された、ただひとつの術。
身体中を巡る魔力が、暴れている。
流れる道が狭いと、足りないと内側の残された領域も侵食していく。だが、それでもまだ足りないとその奔流が体外にも押し出される。
しかし、それでいい。
〝――――
基盤を壊し、流れ出していく魔力。
頼もしい少女の膨大な魔力は、この身の内側だけでは収めるに足りない。そんなのは当たり前のこと。
〝――――
だからこそ、解放してしまえばいい。
あふれ出した魔力が空間を侵食していく。
そうして世界さえも塗り替えて今、自分のだけの『世界』を形造れ――――!
〝――――
――――炎が走る。
世界との壁が創り出されて、牽かれたその境界から『世界』が生まれる。
赤い荒野と、墓標の様に乱立する剣。
空は炎に染まりきらない、青みがかった緋色。
あの弓兵の様に歯車はなく、代わり果てに果て無き空はどこまでも広がり、その雄大さを感じさせる。
だが、その心象風景は黄金の王の気には召さなかったらしい。
みすぼらしい、と称した上でその『世界』を傲岸不遜に嗤う。
確かに、奴の持ちうる真作――『本物』に比べれば、この世界にあるのは全て『偽物』でしかない。
しかし、だからといってその偽物が本物に敵わない、などという道理はない。
ヤツが『本物』こそを至高だと謳うのなら、悉く凌駕して、その存在を叩き落そう。
ここに在るのは無限の剣。
この剣製の丘は、剣撃の極致たる一つの形を体現した世界。
さぁ、その蔵にある武器はこの『世界』と渡り合うだけの数を有しているのか……
「行くぞ、英雄王――――武器の貯蔵は十分か」
「ハッ、――――思い上がったな、雑種」
常世全ての武器を治めた王の蔵と、無限に剣を内包する錬鉄の丘。
本物と偽物、贋作と真作――互いの矜持を賭けた闘いが、ここに幕を開ける。
撃ち放たれる数多の武器と、丘から抜き出されて飛び放たれる無限の剣。
撃ち漏らした敵の攻撃は、〝門〟を開放した敵の武器とまったく同様の物を投影して薙ぎ払う。
迫り、離れ、そして迫る。
荒野を駆け抜けて、黄金の英雄へと手に持った剣の切っ先を突き立てる。
地面を蹴り、放たれた剣は全て吹き飛ばす。
「何故、雑種如きの剣が――」
刃先が噛み合ってこそいないが、拮抗するこの状況は、まさしく剣戟の鍔迫り合いそのものだ。
自分こそが最上。唯一無二の存在であると自負する敵は、この状況はさぞ不満だろう。
だが、奴は『俺』が――『俺たち』が自身の天敵であると、そう理解しなければこの状況を変えることは出来ない。奴がそれを認めない限り、つまりは奴が自分の矜持を捨てない限り、奴の敗北はずっと二重の攻め手となる。
詰まる所、奴は一度敗北を認めなくては、俺たちには勝てない。
「分からないか? 千を越える宝具を持つお前は、英霊の中でも頂点に立つ存在何だろうよ。
だがな、お前は王であって剣士じゃない。一つの宝具を極限まで使いこなす道を選ばなかった――――俺と同じ、半端者だ」
「っ、……贋作を造るその頭蓋、一片たりとも残しはせん!」
怒りのままに、攻撃の手を強めてくるギルガメッシュ。
だが、そんなものは何の意味もない。
ただ放たれるだけの担い手無き剣たちを、全て完全に解析して次々と複製していく。
何の信念も籠っていないそんな攻撃など、如何な真作であるとしても、背負ったものの重みを振るうこの贋作にすら劣る。
――その勢いのまま、駆け抜けていく。
奴までの距離は、後十メートルもない。埋めるのに二秒も掛からないだろう。
向こうもそれは解っているのか、苦々しげな顔をしてこちらを吹き飛ばすだけの威力を持つ武器を撃ち放った。
瞬間、目の前が爆ぜる。
が、それだけでは甘い――
「――〝
再び咲いた花弁は、四枚だけと少し頼りない。
しかし、残りあと一撃か、或いはその次弾に至る攻撃を当てるまでの間なら、これでも十分だ。
宙を滑るようにして、奴めがけて飛び込んでいく。
迎撃を試みた攻撃によって盾は崩れ去る。だが、もうそれだけではこの進撃を止めるには至らない。
突き出した手に、双剣の片割れを投影する。
向かう先は、ただ一点。遂にその真打を取りだそうとするその手へと目掛けて、その手を振り下ろした。
世界最古の剣は地面を転がり、その力は解放されぬまま主の手から逃げて行く。
この状況に、己の敗北を悟る黄金の王。地を転がった剣の主は、屈辱と怒り、そして僅かな敬意に塗れた顔で絞り出すようにこういった。
「認めよう――――今はお前が、強い……!」
「――――逃が、すかぁああああああッ!!」
そして、その声との間を置かずに、もう片方の手に双剣の片割れを生み出し、最期の一撃を振り下ろした――――
――――その一撃と共に世界は崩れ去り、勝敗の決した勝負は、完全なる決着を向かえないまま終わりを告げる。
***
勝負には、少年が勝った。
聖杯は崩れ、泥は止まっている。
戦いは、完全に失うものなどないまま終わったかに見えた。
だが、
「はあ――はあ、……まったく、魔力切れとはくだらん末路だ。
――――お前の勝ちだ。満足して死ね」
まだ決着はついていなかったのだ。
完全に力を使い切り、世界は元に戻ってしまう。額がこすれ合うほどに肉薄していたというのに、満足に剣を届かせることも難しい距離まで離れてしまった。
確信できていた勝利が遠ざかる。
このまま奴が野放しになれば、自分だけでなく、自分に力をくれた少女にまで死が迫る。
何が何でもあと一手を詰めようとして、その異変に気付いた。
「な――――に?」
ギルガメッシュの、先程自分が切り落とした側の腕に、黒い〝孔〟が生まれていた。
人一人の見込めそうなその穴は、まるで本人の内側からギルガメッシュを呑み込むかのようにして吸い込む。
「この
何だかわからないが、どうやら終わったらしい。何が起こったのか、〝孔〟の正体も分からないが、それでも終わったのだろう。
――そうして敵は〝孔〟に吸い込まれ、何もかもが終わったかに思えた。
安堵を覚えたその時、その中から鎖が飛び出して腕に絡みつく。
驚愕に目を見開いていると、先程の〝孔〟から這い出して来る影が見える。
「ぐっ――――あの出来損ないめ! 同じサーヴァントでは、〝核〟にならんとさえ判らぬのか……!!」
彼の狂戦士さえも拘束した鎖。
自身の
「くそ――道連れにする気か……!」
「たわけ、死ぬつもりなどう毛頭ないわ!
踏みとどまれ下郎、
「この……!」
どこまでも傲慢な奴だ。
しかし、悔しいことに鎖はどうやっても外れそうにない。
このままでは引きずり込まれるか、或いは足が持たなくなるのが先か。
どうせ外せないなら、道連れにされるくらいならば。
「――――ふ、ざけるな! こうなったら、腕を千切ってでも……!!」
「っ――――ぐ!」
悔しげな顔が見える。
やはり今この腕に巻き付いている鎖が意味をなくせば、奴はそのまま闇の中だ。ならば、こんなところで楔になってやる必要はない。
と、そこまで思った瞬間。
遠くから、聞こえない筈の声が聞こえた。
〝――――ふん。お前の勝手だが、その前に右に避けろ〟
驚きと戸惑い半分で、声のした方を指示のまま咄嗟に振り返る。
境内の方から迫るそれは、
真っ直ぐに穴を射貫くように飛来したその
――そして、どこまでもしつこく抗っていた黄金の英霊の断末魔が微かに響き、戦いは確かに終わりを告げる。
不思議な満足感を覚えながら、その場にへたり込む。
無理を重ねてきた身体は休息を欲し、安堵からくる疲労感にどっぷりと浸かる。
言いたいことは、いくつかあった気もする。……でも、それを告げるのはきっと、自分ではないのだろう。
第一、きっと行ってもケンカになるだけ。
そもそも、自分自身に別れを告げる、などというのもおかしな話だ。なら、後は任せよう。きっとアイツには、彼女が――〝遠坂凜〟が、きっと俺が言いたかったこと以上のことを、伝えてくれる。
そうして
緋色の荒野は、もうそこにはなく。
朝焼けに照らされた黄金の大地には、その輝きを浴びた赤い出で立ちの二人が立っていることだろう――――。
***
奇跡を巡る戦いに終止符が打たれた。
この夜が、長かったのか、短かったのか。それは判らない。時間にすれば短かったように思えるし、色濃く残った記憶からはとても長かったと感じられている。
ただ、永久に縛られ続けるだけだった積念はもう、今はない。
己を繋いだ枷はなく、そしてまた――この時代に留まるための楔もなくなった。
終わりはただ速やかに肉体へ浸透して行き、現身の身体を消していく。透けていく身体が、あの時の様な黄金の朝日を浴びているのを感慨深く思う。
記憶は無い筈だが、心に何かが残っていた。燻っているようなそれは、かつて救えなかった少女への想い。
が、自分に出来ることはない。
この光景に、彼女と共に辿り着くのは、きっと違う己なのだろう。
……敗者は去るのみ、だ。
すると、その時。背後に駆け寄ってくる、懐かしい気配を感じる。
戦いの最中、幾度となく傷つけて、ないがしろにしてしまった少女の気配。
「アーチャー……!」
自身へ呼びかける声に視線を向ける。
あれだけのことをしたのだ。きっと走るだけの気力もないだろうに、少女は息を乱ながらも、此方へと駆けて来た。
それを、彼はただ黙って見守る。
今いる場所よりも少し下の方で、彼女は立ち止まった。
擦れた声で、己を呼ぶ声。
特に言い残すこともないのか、以前と変わらない調子で赤い弓兵は、騎士然とした口調で少女の声に言葉を返した。
「――――残念だったな。そういう訳だ、今回の聖杯は諦めろ。凛」
そんな彼の様子が、何より少女には堪えた。
……ずっと残っていたのだ。
主なき現身のまま、それでもこの戦いを見届けるために残っていてくれたのである。結局、最後に彼の助けが無かったら、きっと凛と士郎はこの戦いに置いての、最善の勝利を得ることは出来なかっただろう。
真に失われたものは何もない、これ以上ない終わり。
確かに最善と呼べる結末だが、このままでは一つだけ失われてしまうものがある。
けれど、こんな時だというのに、少女は言葉を紡げずにいた。いつもならば無駄に回る舌も、こんな時ばかりにはその器用さを失っている。
いざというときに動けない、そんな自分を情けなく思う少女。
それとは裏腹に、弓兵は穏やかな笑みを口元に浮かべていた。
彼女がこの場面で、こんな場面だからこそ―――動けなくなるなんてことは、彼にとって分かり切っていたことだ。
少女の感じている情けなさは、彼にとってはとても好ましい。
赤い騎士にとっては、その不器用さこそが彼にとって何よりも懐かしく、好ましい思い出となっていたのだから。
「く――――」
思わず口元が緩むのを感じた。
しかし、そんな笑いは彼女にとっては少し癪に障ったらしい。
「――――な、何よ。こんな時だってのに、笑うことないじゃないっ」
ふくれた少女は、僅かにむくれた顔で彼を睨む。
だが、立っている場所の高低差と元々の身長の差の所為もあって、上目で見上げるその姿はどことなく幼く見える。
再び笑いが零れそうになったが、これ以上怒らせても仕方ない。
ひとまず、最初に笑ったことを謝っておくべく、弓兵は出会った頃と何も変わらない、皮肉屋な口調のまま、少女に謝辞を述べる。
「いや、失礼。君の姿があんまりにもアレなものでね。
……お互い、よくもここまでボロボロになったと呆れたのだ」
軽口を叩きながらも、まだその笑みは消えないまま。
彼の表情に、もう後悔の色は見られない。そんな顔に、少女の胸が詰まらされる。
このまま消えてしまっていいのか、と。
本当にそれでいいのかと、そう思ってしまった瞬間。
「アーチャー。もう一度、わたしと契約して」
言うべきでなかったことを、口にした。
彼にもう未練がないというのに、それでも縛るようなことを言ってしまう。このままでは、また嫌な掃除屋に逆戻りしてしまうのではないかと、そう思ってしまったから。
「それは出来ない。君がセイバーと契約を続けるのかは知らないが、私にその権利はないだろう。
それに、もう目的がない。私の戦いは、ここで終わりだ」
返ってきたのは明白な思いと、これ以上とどまる理由はないという答え。
不躾かもしれない少女の言葉を、宥めるでも、咎めるのでもなく。彼はただ、この時代から立ち去るとだけ言った。
「……けど! けど、それじゃ。
アンタは、何時まで経っても――――」
その言葉に、彼女の想いに。
例え本当に与えることは出来なくても、それでもこの身を案じてくれる、その想いに。
彼は、自分がかつての自分に戻ったかのような感慨に囚われながら、困ったようにこう言った。
「――――まいったな。この世に未練はないが」
自分に愁いはないが、自分の為に彼女が泣くというのなら、それは困った。
未練はなくとも、この少女に泣かれるのはとても困る。
彼にとっての彼女は何時だって前向きで、現実主義者で、とことん甘くなくては張り合いがない。
そんな姿にいつも励まされてきた。
……だから、彼女には最後まで、いつも通りの彼女で居て欲しい。
「――――凛」
優しく、彼女の名を呼ぶ。
涙を堪えるその顔は、可愛かった。
柄にもないことを思いながら、胸に僅かに湧いた未練をおくびにも出さずに圧し留める。
そして、彼は遠くで倒れているだろう少年へ視線を投げながら、
「私を頼む。知っての通り、頼りない奴だからな。――――君が、支えてやってくれ」
彼女にそう頼んだ。
この上ない別れの言葉。
そこに込められた、想い。――未来を変えられるかもしれないと、そんな希望の籠った遠い言葉。
きっと、彼女の様な人間がいてくれたら、『英霊エミヤ』は生まれない。
路を見失わないように、支えて欲しいと彼は彼女に頼む。
……けれど、それは。
「――――――アー、チャー」
例え、この世界で彼がそこに至らないのだとしても。
――――それでも、それは『彼』の救いとはならない。
既に存在してしまっている『彼』は、これからも永久に〝守護者〟として在り続けるのだろう。
二人は、もう別の存在。
故に、彼女が彼に与えられるものはない。
救いを届けることなど、当に出来ないのだ。
……だからこそ、それを承知した上で、少女は彼の頼みに頷いた。
何も与えられないからこそ、最期に、満面の笑みを返すのだ。
――――私を頼む、と。
己のことを自分に託してくれた、彼の信頼に精一杯応えられるように。
「うん、分かってる。わたし、頑張るから。アンタみたいな捻くれた奴にならないように頑張るから。きっと、あいつが自分を好きになれるように頑張るから……!
だから、アンタも――――」
――――今からでも、自分を許してあげなさい。
思いは言葉にせず、それでも届くと万感の思い込めて。
少女は、消えて行く赤い騎士を見上げた。
……それが、どれほどの救いとなったのか。
誇らしげに、彼女にもあったその答えを胸に、彼は微笑みながら消えていく。
「答えは得た。大丈夫だよ遠坂。――――オレも、これから頑張っていくから」
幸せそうに、彼は微笑みながら傷ついたその身を休ませた。
さあ、と。彼だった魔力の粒子は、風に流れる様に消えていく。
――――黄金に似た、その朝焼けの中。
消えて行った彼の笑顔は、いつかの少年の様だった。
何時しか成りたいと思っていた、その理想。
彼はその願いを一つ叶えて、その時代を去って行った。
託された想いを胸に抱き、消えて行った彼の表情に後悔はなく。
……間違いなく彼は。
色を取り戻したその
***
巡り、巡り、巡り、巡って来た。
これまでを見て、今起こることを見て、これからあるかもしれない道を見て、自分残してしまった呪いを見た。
余りにも罪深い願いはどこまでも尊く、大きくなっていく。
自分が出来なかった事や、
自分が踏みにじって来たものや、
自分が残してしまった沢山のものが、
大きく強く、そして優しく紡がれていく――。
――――こんな自分が、救われてしまってもいいのだろうか。……いや、それこそ自分勝手なのだろう。
これは、勝手に自分が救われているだけだ。
残してしまったものを引き継いで、この
だから、伝えるべきことは沢山あった。伝えたいことが沢山あったのだ。
でも、口から漏れ出すのは、陳腐な言葉ばかりで――
「ありがとう……ありがとう……っ」
こんな自分の、子供であることを。
どうしようもない自分の夢を引き継いだことを、誇ってくれて、ありがとう。
叶えてくれて、……救ってくれて、ありがとう。
涙と共にあふれ出した言葉は、きっととてもみっともない音になっている。
それでも腕の中に居る息子の温もりは、とても優しいものだった。
あの炎の中、地獄の底で何もかもを失ってしまった自分が、初めて手に入れて、失わずに済んだ、あのぬくもりと同じ……。
「ありがとう……ありがとう……、士郎ぉ……っ」
「……あぁ。オレこそ、ありがとう。
救ってくれて、家族になってくれて、大切なものを沢山くれた。
……ありがとう――――
*** 三つ目の路
そうして、遂に物語は――散り行く花の物語へと進んでいく。