Fate/Zero Over   作:形右

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第二話 ~決戦前夜と幕開け~

 夜は更け、明けてまた更ける

 

 

 

 夜明け前の、仄かに光を孕んだ薄暗い夜闇の中を歩く幼い少年の影が這う。

 寝巻きらしい格好だが、その所々に黒く変色した染みがついており、何か不穏な事の気配が漂うが……生憎、夜の街にその姿を捉えるものはいなかった。

 閑静な住宅地の住人も寝静まり、忙しく起きていた者もそろそろ床に着こうとしているだろう。だが、このまま街を彷徨い続ければ、いずれその目に少年の姿が写るのは必然。それは少年自身も分かっていることだ。

 同時に、それは決してしてはならないということも、少年には分かりきっていることだった。

 しかし、

 

「――――――」

 

 だからといって、少年がすぐさま己の身をひた隠しにするかといえば、そうではなかった。

 泣き腫らした目と、疲れ切った身体。

 足取りこそ地を踏めているが、その心は虚ろな宙に浮いている。

 普通なら、子供にそんなことをするとも、そもそもの時点で期待するなどということはありえないだろう。

 が、彼は見た目こそ幼子であるが、その内にある魂はそういったこと――つまり、こと戦いに置いて、彼はその経験を既に持っている。

 それこそ、こと万人では言うに及ばず……蛮勇であろうとも、越えて来た戦場の数なら負けはしないだろう。

 けれど、そんな経験すら今の彼にとって身体を動かすに至るまでに、億劫さを感じさせずにはいられない。

 

「………………っ」

 

 彼とて、頭では分かっている。

 寧ろ、体の奥底では動き出せと撃鉄が幾度となく引かれ、また幾度となく叩きつけられている。

 歴戦を越えた魂の形は、彼に立てという。

 だが、身体が……はたまたその心か。どちらともつかないが、確かに少年はその身に引きずられていた。

 決して思い出すはずのない『肉親』と、戻ることなどありえない『我が家』。

 どちらも既に得ていた。同時にどちらも、既に無くなっていたのだ。自分の中で糧となり血肉になり昇華されていった筈のものだ。

 その内の片方が――思い出せる筈も、再び目にすることも出来る筈がないというだけで。

 ……それなのに、(まみ)えてしまった。

 再び、出会ってしまったのだ。

 あの焼かれた地獄の中で、二度と戻らないことを知らされた現実の死の中で、炎に飲まれて消えたはずのものに。

 けれど、そんな奇跡は地獄と変わらないものでしかなく――そこには骸が転がっていた。

 また、助けられず……また、見捨てた。

 否応無しに、そう思えてしまう。

 己を戒めるのは、人であれば必然だ。その度が過ぎれば単なる機械になると、教えられたことは忘れてなどいない。

 ただ、どうしようもなく……悲しいのだ。

 訳も分からないこの感情は、歪な生まれ故にこうなった。その当たり前を、当たり前に悲しめない。

 

 だからこそ、それが余計に苦しかった――。

 

 

 

 しばらく歩き、ふと目に付いた公園で足を休ませる。

 プラスチックと金属で出来たベンチは冷たかったが、その冷たさが心に焼け付くような、残り火を冷やすようで心地よい。

 すっ、と抜けていく熱。

 悔やんでも、戻せない。生きている今にあったそれを、無かったことになど、出来ないのだ。

 あの夜の戦いで、それは十二分に学んだ。

 

「――――そうだよな……」

 

 悔やみ続け、ただその中に呑まれるのは逃げでしかなく、敗走に他ならない。

 曲がりなりにも『錬鉄の英雄(そこ)』へ、一度は至ったのだ。そんな道は、選ばない。

 兎にも角にも、まずは顔を上げなくてはならない。

 そこからもう一度、始めよう。

 この戦いを駆け抜け、生き残るために。そして――自らの生きる今を、共に生きている人々もまた、救うために。

 傲慢な願いだ。しかし、それを抱きながら彼は歩みを止めず、その道を走り続けた。だからこそ、一度は辿り着いた。

 本当の最果てに至ることは、まだ出来はしないだろう。が、それでもここで歩みを止めればそれすら無くなる。

 ならば、もう一度本気で走り出す(生きる)までだ。

 決意を固め、少年は顔を上げた。

 もうすぐ朝日が昇り来るだろというその時間に、彼はこれまでと同じく――決意と覚悟を胸に刻んだ。

 

 

 ***

 

 

「――――っていっても、このままじゃマズいか……」

 

 夜明け間近の公園で、『衛宮士郎』はそう呟いた。

 決意を固めたはいいものの、寝巻きのままの子供――それも血の染み付きで裸足ときた――がこんなところにいたら、ほぼ一〇〇%の確率で、お巡りさんないし児童保護施設の方にご厄介になることだろう。

 下手すれば、この状況を説明する訳にもいかずに、しどろもどろとなったのを勘違いされて精神科に強制収容……なんてことにもなりかねない。

 元来、彼は嘘をつくことが往往にして下手だ。

 いや、それよりももっと恐ろしい想像をするならば――

 

「――まさか、教会に保護されたり……はない、よな……多分」

 

 思考がネガティヴな方向に加速する。そのお陰で多少心に余裕は出来るというのもおかしな話だが、事実そうなのだから仕方がない。ただ、絶対に先の想像は現実にしたくないが。

 彼の頭に、外道神父の激辛麻婆が蓮華と共に差し出される。……もっと嫌な想像をすれば、それを掬い口を開けるように催促してくる目の死んだ神父が克明に――そこまで想像してしまったところで、どうにか思考を切る。

 それはただの夢だ。

 あり得ない幻想だ。

 第一、ここにいる訳ない。

 第四次にいるといっても、参加者なのだから神父として教会にいる筈がない。最後に養父と『聖杯』を巡ったと、互いに互いを天敵とみなしていたと言っていたあの野郎が大人しく負けて教会の椅子にのうのうと座しているわけがない。

 確かに、奴は初期の戦いで敗れ、奴の父の管理していた協会に保護されたと言っていた。

 だが、奴はかの英雄王と共に聖杯戦争の最後の戦いに挑んでいるとも言った。それが養父と奴の戦い。第四次聖杯戦争の最後の戦闘だ。

 ならば、奴が敗れたと言ったのは奴の策。つまりは何かしらの手を打って戦争に残留しているということ。

 わざわざそんなことをするのなら、協会に居るはずもない。

 士郎は「そうだ、そうに違いない。だいたい、あの外道神父がそう簡単にくたばる玉か、いや無い」と、自身の脳裏に浮かぶ幻想を打ち砕いた。

 つくりだしたものを消すのは、贋作者たる己には容易いと、幼い顔を何処ぞの赤い弓兵の様なニヒルな笑みに固めようとしたが、どうにも嫌な予感がしてならない。

 どうにも好意や、それこそ悪意にすら鈍いと自負しているが、偶に嫌な予感がすると割と当たりそうになる事が多い。人の感情に疎い筈なのに、どうもこういうことはよく当てる。伊達に虎道場の常連ではないというところか……と、時空が迷走を始めた辺りで、士郎は頭にあった可能性をひとまず振り払う。

「兎に角、服と靴だな……」

 ――いけるか? と手をかざし、目を瞑って集中して服を投影しようとする。相も変わらず剣以外の投影は不得手だが、ともかくやってみるしか他はない。

「――投影(トレース)開始(オン)

 先程の脱出の際、魔術回路自体は開かれたものの……まだ十全とは言い難い。

 なんとか魔力を流し込みはしたが、生前の無茶な鍛錬によって図らずも作られたあの魔術回路に比べると、どうにも使いづらさを感じてしまう。思い通りの構成を作り出せず、ハリボテの様な物になってなってしまうのだが……そもそも、この歳で魔術行使など本来はしていなかったのだから、そういう意味では、回路のは開閉が出来るだけでもまだマシな方だろう。

「……まあ、こんなもん……かな?」

 どうにか衣服を一通り投影し、それにさっさと着替える。

 出来るだけ子供らしい服を――といっても、幼少期など当に過ぎた身としては子供らしい服などあまり想像がつかないので、ひとまず動きやすくあまり目立たないことを前提にして、青のパーカーと薄緑のTシャツ、灰色の半ズボン。黒い靴下と履き慣れたスニーカーの子供版(ミニサイズ)を投影した。

 幸いここ『冬木市』は割と温暖で、名前ほど寒くはない。幼い身体故に、風邪をひかないようにくらいは気をつけるべきだろうが、それ以外はさほど問題はない。

 

 ――大して厚着をしなくて済むというのは、動きやすくていい。

 

 そんな結論に至った士郎はひとまず身につけた後、朝になるまでに拠点となる場所を探さなければならない。流石に、昼間に出歩くのは兎も角……このまま何の寝床も無しでは、そこでアウトだ。子供一人で出歩いていれば、何かしらの勢力が彼を捕えるだろう。

 

 

 ――それが、公であれ裏であれ、その大勢の前に前にはあまりにも今の自分は無力すぎる。

 

 

 さて、冬木市のことは大体知ってはいるが、それでもここはそれより少し昔だ。覚えきれていない場所の方が多い。

 手頃な場所をいくつか探しておかなくてはならないだろう。それを考えると、誰か協力者が欲しいというのが本音だが、誰かを巻き込むのは本意ではない。まして、恐らくいたであろう一般人の顔見知り程度がいるかいないかといったこの状況では……

「……まぁ、分かっちゃいたことだけどさ」

 ここには、この世界には、養父である衛宮切嗣も姉代わりだった藤村大河も、遠坂凛、間桐桜、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンも、セイバーだっている。いるが、誰も士郎のことなど知らない。

 誰も、知らない。

 なんとも言い難い虚しさが襲うが、それも今は仕方ないこと。

 前向きに考えれば――現状では、というだけのことだ。ここが『士郎』にとっての地獄なら、越えたその先には幸せもある。

 その幸せを見るために、失われるものは、零れ落ちる命があるなら、手を差し伸べなくてはならない。

 自分にとっての現在(いま)は、ここなのだから。

 

 

 ――休めていた足を再び前に出し、歩き出す。

 

 

 少しずつ朝日に晒されていく公園には、誰の影もない。

 もし見る者がいたならば、そこで戯れる雪の妖精や黄金の英雄と青き槍兵、赤い外套の守護者、気高き騎士王にあかいあくま、黒い桜を幻視したかもしれない。

 そして、そこにいる――赤銅の髪の少年の姿も。

 

 

 ***

 

 

 朝日を感じながら、嘗て二人の少女と狂戦士から逃れるために隠れた廃屋に足を踏み入れる。

 アインツベルンの城とその周囲の結界に含まれてはいるが、『士郎』はアインツベルンの敵ではなく、また同時に、()()この城を統べていた小さな主人(あるじ)から護られている。

 小さな雪のお姫様に感謝を重ねつつ、記憶にあるより幾分新しい廃屋を眺める。人が生活するには幾分足りないかもしれないが、練習も兼ねた投影で補っていこうと思う。

「一石二鳥、ってとこかな――」

 そんなことを考えながら、ひとまず横になれる場所を作る。

 こんなところか……と、本来の持ち主には悪いが、しばらく使わせて頂きますと、念を送る。

 しかし、

「本当に、どうするかなぁ……」

 なにぶん着の身着のままで飛び出した故、今の服も文字通り自前だ。

 金銭の類もないので、買い物というのも無理だ。どっかのあかいあくまなら気兼ねなくお金の投影や投影品の売却を提案してきそうだが、一応これでも正義の味方の一端くらいにはもしかしたらいるんじゃないかなぁ、と自負しているので、流石にそれはちょっと……困るというか、なんというか。

 

(…………せめて、やるにしても最後の手段にはしたい)

 

 子供の身ではバイトにしてくれとも言えないし、だからって盗むのは絶対にあり得ない。

 となると、文字通り自らの内から生み出したものなら――多少誠意増しでなんとか――と。

 何だか、あかいあくまがこんなとこで死ぬくらいならやりなさい、さもなきゃ私が殺すわよ? と言ってきてる気がした。いや、死ぬ気はないから、頑張るからもう少し待っててください赤師匠。あ、虎師匠ちーっす。

 

 ……なんだか、変なことになってきたな。

 

 まあ、一度気を取り直そう。まずそこから考え直そう。

 ふざけた想像が頭の中をかき乱したが、どうにか冷静にはなれた。

 冷えた頭で、一度状況を確認していく。

 

 (ここは、第四次聖杯戦争の時代。俺は、『俺』の中に憑依している様な状態……まるっきり幽霊だな、こりゃ……)

 

 背後霊や守護霊程度だったらまだ可愛いものだったが、これではまるで擬似的な先祖返りだ。ある意味、これも呪いといえるかもしれない。

「まったく……難儀なもんだな」

 自分という存在は、と最後に付け足す。

 どうにもこうにも徒労の多い人生を歩まねば済まない質らしい。

 そんなことを考えながら、これからすることを整理していく。

(ここは、第四次聖杯戦争の行われている時代。

 つまり、切嗣(じーさん)やセイバーが居る。その他に記憶にある第四次に関する情報は、イリヤの母親が今回の小聖杯に据えられている。その他に知っているのは、せいぜい言峰がギルガメッシュと組んでることくらいだ……)

 他にも遠坂凛の父親が参加していることなど、朧げに知ってはいるが……それ以上の詳細は知らない。

(まいったな……)

 今更ながら自分の無知さを思い知る。

 師匠が聞いたら相当怒り心頭であろうが、生憎とそういったことを知る機会はなかった。

 いや、あるにはあったが、それでもその情報に『過去の出来事』それ以上の理由を求めることが出来なかった。養父(キリツグ)とセイバーの戦い抜いた戦いであることは分かっていたが、それでもあの出来事は自分にとっても、あまりいいことではない。

 あの戦いがあったことが、自分の始まりではあったが……それでも、あの火災で見たものは等しく地獄だった。

 やり直したい、とは思わなかった。それを越えてきた〝それまで〟を、無くしたりはしないと。

 だが、やり直しなど求めるでもなく、この時代に自分は存在してしまった。

 並行に流れる、世界の一端。その場に、今こうして立っている。

 ならば、この身に傍観は容認し得ない。目の前で零れるなにかを、そのままにしておくことなど……出来はしない。

 故に、この身は再び剣をとる。――自分に出来ることを、するために。

 例え偽善だとしても、それはいい。もとより、この身にある本物(おもい)など、ただ一つ。その根底すら、借り物でしかないのだ。今更、何をどう臆しろというのか。惑うこともなく、あるのは美しい夢を見た心。その夢を成すために、彼女らから貰った愛。

 真に必要なものなど、それだけだ。

 

「…………っし」

 

 方針や、やることは決めた。

 しかし、それでもこの世界の情報はまだまだ足りてない。

 かといって、今の実力ではこの戦いにむやみに飛び込むことは出来ない。嘗て、自分の戦闘技術や回路の使い方、あるいは投影武器も、自分の理想の果てとの戦いで自分に写して見せたことはあった。

 この身が作るのは、本物の影――贋作だ。なればこそ、真に迫るために、その使い手たちの持つ『技術』すらも写し取る。

 

 

 ――創造の理念を鑑定し、

 ――基本となる骨子を想定し、

 ――構成された材質を複製し、

 ――制作に及ぶ技術を模倣し、

 ――成長に至る経験に共感し、

 ――蓄積された年月を再現し、

 ――あらゆる工程を凌駕し尽くし、

 

 そしてここに――幻想を結び、剣と成す。

 

 

 真に迫ろうと足掻く贋作者のとった、たった一つの魔術。

 それが、この魂のとった形。己の起源となる剣を内包する世界を作るに至る、そのとるべき工程にして越え続ける過程。

 いずれ、打ち続ける屑鉄(ガラクタ)刀剣(ユメ)に変える。そんな想いを含んで、理想を目指す。

 そんな大仰な願いは、たった一人の人間では包みきれない大望。

 だからこそ、心が作るのは無限に広がる剣を蓄え続ける世界。

 それは、魂を同じくし男の――人を救うため、理想を願い続けたことで理想に反し続け――戦い続け、すり切れて伽藍堂になった一人の男がただ一つ持ち得た、心の姿でもあった。

 失い続けて、手に入れ続けた、墓標(けん)が納められる――そんな世界。

 そこに、少女たちのくれた色彩を残したのが、今の『自分』の世界だ。

 それまでの己を、今の身体に重ねる――。

 

同調(トレース)開始(オン)……!)

 

 身体を巡る魔力が、その心象を写し取り、この身体を作り替えていく。

 重ねられていくその影が、身体を少しずつ自身の『体』へと変える。

 痛みが走る。

 骨が捻れ、身を裂かれるような、身体そのものを侵していくその感覚。

 人の身が、耐えられるはずがないその感覚。しかし、その身体は元からある一つを成すだけのもの。一度死ぬことで、身体は中身を失い空になる。

 人らしいものなど当に捨て、内に秘めるのは思いのみ。

 

 故に――そこに、あるものはたった一つ。

 

 空になったからこそ、そこに包みこめる(得られる)ものがある。

 生み出せるものもある。人の限界を超え、その先へと進む。

 元より、生まれ持った限界など、当に超えている。そもそも、この非才の身にはそんなことを考えている余裕すらない。

 ただ、幻想していく。己を、己の内にある自分(げんかい)を凌駕する。

 

(――イメージするものは、常に〝最強の自分〟)

 

 生み出すものだからこそ、挑む外敵などいらない。

 常に、越えるべき壁は己だけ。そこに並ぶものなど、己を越えれば超えられる。だからこそ、ひたすらにその身を穿つ。鋭く、もっとその先へと、(カラダ)を鍛え続けていく。

 

 さあ、もっと……その先へ――!

 

 身に刻まれた回路が軋みを上げる。

 循環する魔力は、経験から得たものをかき集めても微々たるものだ。が、その程度ですら……今のこの身には、苛烈に感じる。

 だが、ここで止めてはならない。

 経験を宿すには、止まっては駄目だ。止まったままでは、その先へ行けない。常に、もっと先へと進まなくてはならない。今、それこそが必要だと解っているのならば尚のこと。

 一つ、その先へ。もう一つ、その先へ。

 〝これまで〟を――己の歩んだ経験(それまで)を、影のように見に重ね合わせていく。

「う――――あ……ぁぁ……っ!」

 剣が、内側から飛び出して来そうだ。

 ともすれば、そのまま刈り取られてしまうような。慣れ親しんだ、魔術を行使するその感覚。『衛宮士郎』にとっては、極々当たり前でしかないこの感覚は……心の世界の内側に宿す剣が、生み出されては身体を裂き、骨を砕き、捻れ狂うようににして体に置き換えられ――再生していく。

 そうだ。これが、これこそが――この身にあるべき形。

 酷く歪で、異常なほどに狂っている。

 そんな無茶な魔術の形が、かつて英霊の持つ楔を折ったこともある。

 その異常さを、すべて飲み込んでしまえ。

 恐怖に呑まれた、あの感覚も。この世界で見た、初めての絶望も。何もかも呑み込んで、糧にして、それを作り変えて、力に変えてしまえ。

 数多の武器を墓標()とした、錬鉄の守護者のように。

 この身に託された愛も、決意も覚悟も何もかも、新たなものを生み出す大本へ。

 取り込め取り込めと、不相応に得た経験が魔力を取り込み、送り込まれた魔力は魔術回路を循環する。

(この、感覚は……)

 あの時と、似ている。

 遠坂凛の魔術刻印を移植して、その繋がりを持って交わしたパスから引き入れた魔力を自分の魔力回路に流し込んだ時に。

 だが、あの時とは勝手が違い……同時に、その意味も大きく違ってくる。

 溢れ出す力が、流れる未熟な回路(みち)を壊していく。

 痛い、という言葉の意味すらも疑いたくなるほどの激しい衝撃。

 膨れ上がるように、身体(から)を破ろうとノックしてくる。血の塊が心臓から直接送り込まれてくるようなその圧迫感に、幼い身体が悲鳴をあげる。

 悲鳴をあげ、静止を呼びかける身体。けれどその心はその無茶を厭うことはしない。

 解っているのだ。

 目を見開け、止まろうとするな。その先を目指さない限り、きっとそこに生存はないのだからということを。

 

 ――経験、憑依。

 ――肉体、解析。

 ――回路、生成。

 ――身体、強化。

 ――魔力、循環。

 

(巡れ、巡れ……巡れ!)

 

 駆けめぐれ。

 恐れを抱くな、そこにはきっと未来がある。

 

 

『シロウ』

 

 そうだ――信じ続けた、先にこそ。

 

『士郎』

 

 守るべきものも、大切な人たちも。

 

『先輩』

 

 享受すべき、己自身の幸せもまた。

 

『シロウ』

 

 

 いつだってそれは、信じて走り続けたその先にあった――!

 

 

「ぁ――――がぁああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 迸る魔力と、紫電のように周囲を取り巻いた閃光が、バチバチと音を立て……この身体が変わり始めたことを知らせる。

「ごほっ……げほ……っ!!」

 込み上げてくる咳をすべて吐き出し、息を戻そうとする。その意思とは裏腹に、血反吐を混ぜながら、床を吐き出した咳と唾が濡らしていく。

 廃屋に膝をついて、ぼろぼろになっている幼子。

 自分を客観視してみると、酷く痛ましいものなのだと今更ながら気づく。

 少なくとも、他の誰かがこれをしていたら絶対に止めているだろう。自分だと思って無茶を重ねすぎたのかもしれない。

 ぼんやりと熱を帯びたその思考が、次第に冷却されていく。

 比例するように、支えとなっていた手も次第に力を失い、身体は床に倒れた。

 人らしい中身などなくしたはずの体は、途方も無いほどにボロボロになった。その度に、体内の剣が傷を覆い被さるようにして包み、段々と身体に戻していく。

 英霊としての記憶にあるより、治りが早いのは何故なんだろうな……と、人ごとのように考えていた。

 

(……でも)

 

 この感覚には、覚えがあった。

 あの夜、幾度となく尽きた命を救ってくれた力に、とても似ている。

 そういえば、あれが始まりだった。

 炎の中で、死にかけた身体に埋め込まれたのは――黄金の鞘。

 深く刻見込まれたその縁は、しっかり己の起源としても残っている。そのものは無くても、しっかりと……心は、繋がっている。

 満ち足りた思いで、黄金の輝きを目に浮かべつつも……どうにか保ち続けた意識もそこで限界を迎え、途切れてしまった。

 

 

 ***

 

 

 温かな流れを感じた。

 何か、懐かしいものが側にあるような、そんな気がした。

 とてもとても、引かれ合う。引っ張られるように、目が覚めた。

 

「――あれ?」

 

 寝惚けた目で、辺りを見渡す。

 外は暗く、廃墟には月の明かりだけが注がれている。そこでようやく自分が大ポカをやらかしたことに気づいた。

「しまった……こりゃあ、遠坂がいたらぶっ飛ばされてるな」

 なんの警戒もなく、そもそも結界を張るような才能は持ち合わせていないため、そのまま寝てたようなものだ。こんなのをその辺にいるかもしれない魔術師に見つかってたらと思うと、ぞっとしない。

 相変わらず、悪運だけは強いらしい。

 色々と、今後へ向けての改善点はあるが、ひとまず助かったことを喜んでおくべきか。

 そんなことを考えながら体を起こすと、微かに……魔力の強い流れを感じた。

 一体何だと思ったが、その理由は今ここにおいては、ほぼひとつしかない。

 

「サーヴァントか……!?」

 

 聖杯敗戦争に招かれる、七人の英霊。かつてその名を歴史に刻んだ、伝説の存在。人では決して追いつけない境地にいるとも言われるその存在。

「この近く……じゃないな」

 気配そのものはもっと遠い――でも、この感じは。

「セイバー……なのか?」

 ここが第四次であるなら、彼女がいる可能性は高い。今にしても思えば、最初に感じたのも彼女の気配だったような気もする。

 となると、その場へ行って確かめたいという気持ちが先行し、居ても立ってもいられなくなってしまう。

「けど――今の俺じゃ」

 何も、できない。

 寧ろ、ただの邪魔者でしかなく。知っている筈の人とも、再会の言葉も交わすこともできない。というよりも、誰も自分のことを知らない。

 ……知りもしない、それも己の願望を邪魔立てする者に対してどういった感情を抱くのかなど、目に見えているだろう。

「はぁ……」

 解ってはいた――その筈、だった。

 幾度となく、否応なく、この世界において何度も実感してしまう。仕方の無いことだと、理性は知っている。頭では理解できていることなのだが、どうしても割り切れないと思えてしまう。

 それは一人きりを選ばなかったが故かもしれないが、それは弱さでも……ましてや罪では無いのだと、そう教わった。

 自分の幸せを享受することは、自らの命を換算に入れることとは――間違いか否か以前の問題であり、それを感じられてこそ人間(ヒト)であれると。

 別に、機械でありたかったわけではない。

 同時にまた、その感情を殺して合理的な天秤の釣り合いを求めることが、自信の志す『正義の味方』としての理想であったことも、思い知った。

 けれど、それでも〝全てが救えない〟ことを悩むよりも、〝全てを救いたい〟と願うことをやめない道を選んだ。

 誰かを思いを通じ合わせ、心を繋げられる様な――――そんな、正義を。

 優しい様な、甘ったるく、それでいてどこまでも歪な願いを。

「……悩むのは、やめだ」

 動き出してしまえ、まずはそれからだ。

 冬木の虎ならきっとそう言うだろうし、あかいあくまにしても似たようなことを言う。

 具体的には、そう――

 

『なーに弱気になってんのぉ? 考える前にまずは行動! 考えるな、感じるんだ若人よ! ボーイズビー、アンビシャス!』

 

『ったく、士郎のくせに悩みで動けないなんて……そもそもへッポコなんだからぐだぐだしてないで動きなさい! アンタに出来ることをまずやりなさい! 士郎の取り柄なんて、愚直につっぱしることくらいなんだから!』

 

 ……うん。なんだろう、すごくいいそうだ。

 まあ、師匠二人のアリガタイオコトバを賜ったわけだし、早速動くとしよう。狙撃くらいなら投影層写(ソードバレル)を使えば、放った場所を少しくらい誤魔化すことは出来る。弓でも、赤原猟犬(フルンディング)のような追尾性をもった()を用いれば同じことは出来る。

 要は発想。後は行動。

 

「……うっし」

 

 少しけだるさを残した身体を起こし、立ち上がる。

 その先に見据えるものは、現在を精一杯生き抜いた先。理想へ至っても、未だ見果てぬ夢の果ての、そのまた続きを。

 

 

 

 さあ、もう一度飛び込もう――始まり(ゼロ)の――幕を開けた、新たな運命の夜へ。

 

 

 


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