群青所望   作:劇鼠らてこ

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泳ぐ私にあなたは言った。

「そんなに水を飲んでしまって、苦しくないかい?」

私にとって泳ぐことは、水を飲む事だと知った。



群青所望(前)/ 2

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「式はまだ眠ってるんだ?」

「うん。ずっと」

「それで、幹也はまだ通ってるんだ」

「式が起きて、戻ってくるまでは通うよ」

「流石」

 いつもの喫茶店、と称していいのかはわからないけど、それなりに良く利用する喫茶店の、これまたよく利用する席で、僕と良空は話していた。

 高校入学から今まで、思えば良空との付き合いも長くなったもので。式と同じだけの時間だから、当たり前ではあるのだけど。

「……」

「良空?」

「……群青が……」

「群青?」

 高校時代からの事だけど、良空は虚空を眺めている事が多々あった。ただぼーっとしているのではなく、虚空に在る何かを目で追っているような、そんな瞳。

 今、良空の瞳は僕の周り……僕のお腹や肩の辺りを泳いでいる。

「……もうすぐ、式は起きるかも」

「え?」

「幹也の群青が、元気になってる。何かあった?」

 群青。その言葉は確か、式が車に撥ねられた時……その翌日に話しかけてきた良空が言っていた言葉だったように思う。

 確かそう――、式が群青に魅入られた、って。

「うーん、僕には特に何もないけど……ちょっと知り合いの凄い人がね、式を見てくれるって話になったんだ」

「へぇ。知り合いの凄い人」

 知り合いの凄い人――僕の勤める事務所の主、蒼崎橙子さん。人形作り専門家と謳っておきながら、建設やらなにやら、とにかく物づくりに関しては右に出る物がいない(だろう)、凄い人。凄くない部分は沢山あるけど、やっぱりすごい人だと思う。

 世捨て人で、色々と残念な部分もあるけどね。

「ふぅん」

 良空はいつも通り、興味の無いだろう顔で相槌を打つ。

 彼女がいつだって、興味があるという素振りを見せて相手の話を引き出すのに、心の中では特に惹かれていない――そんな性格であるのは、出会ってからの数年で把握できている。

 式にすら、聞いたのならもう少し興味を持ちなさい、と言われた事があるほどに筋金入りなのだから。

「じゃあ、その人が式を引っ張ってくれたのかもね。幹也がずっと手を握っていた甲斐はあったんだよ」

「……」

「あぁ、今のは比喩だよ。もしかして本当に握っていた? それは重畳」

 カラカラと笑う友人に溜息が出る。いつもこうなのだ。本質を突くような発言をする割に、その言動は全てからかいから生じたもの。高校を卒業しても変わらない、あまり目立たない格好とは裏腹に、とても角の立つ性格をしている。

「良空、式が起きたら、一緒に会いに行かないかい?」

「私が行っても式は喜ばないよ。幹也が一人で行った方が絶対良いって」

 良空は頑なに式に会おうとしない。

 私が行っても式は喜ばない、の一点張りで、そんなことないと言っても耳を貸さなかった。式が昏睡する前に喧嘩でもしたのかな、と思ったけど、そういうわけでもないらしい。

「私はね、幹也。式に会わす顔がないんだよ。だって私は、見て見ぬふりをしたからね」

「それは……どういう事かな」

「確実ではなくとも――私は、式が眠ってしまう事を、知っていたんだからさ」

 それは、嘲笑のような懺悔だった。

 

伽藍の洞 /

 

 群青が騒いでいる。

 郊外の病院の方。確か、式が入院している病院だ。

 そこに行きたいと。私を取り囲んでいた全ての群青が、あそこへ行きたいと。

「わかった。行こうか」

 余程の事が無い限り、私は群青の行きたい場所へ向かう。

 私の群青は私からはあまり離れられないから。

「……明るいね」

 郊外の病院の方。空が明るい。もう午前零時になろうというのに。

 群青色に明るい空は、明滅を繰り返しているように見える。

 見える。と言っても、やはり目蓋は開けていない。

 閉じていても見える群青が、ずっと私を呼んでいる。

 

 

 当たり前のように、病院の門は閉じていた。周囲は鉄柵で覆われ、入る術は無い。

 だけど、群青は中へ……奥へ行きたがっている。

 余程の事が無い限り、私は群青を優先する。

 これは余程の事だろうか。不法侵入、器物損壊。紛う方無き犯罪歴を、私の経歴に張り付ける事は、群青の行動を阻むに足るだろうか。

「……そこで何をしている」

「この病院に、入りたいの」

「何の目的で?」

「私に目的は無いよ、綺麗な赤い髪の人」

 病院の鉄柵の内側に、その人は立っていた。瞳を開ける。ほら、やっぱり綺麗な赤い髪。

 私の群青(セカイ)によく映える。

「……驚いた。類は友を呼ぶと言う言葉があるが、こんなにも早く呼ぶものかね。どれ、開けてやろう。美しい群青の瞳の子」

 女の人は関係者用出口らしい、鉄柵の小さな扉を開けてくれた。

 会釈をしてそこに入れば、外と中の空気はまるで違った。まるで、そう、まるで……別の世界に来たみたいな、そんな雰囲気。

 群青が沢山集まってくる。歓迎されている。

 目を瞑れば、もっとたくさんの群青がいる事を感じ取れた。

「あっち? うん、わかった」

 誘われるままに足を動かす。

 そこに私の目的は無い。そこに私の意思はない。

 ただ、群青の行きたい場所に、行かせてあげる。

 その場所が例え凄惨な殺人事件の現場でも、学友が凶行に走る瞬間でも、恐ろしい幽霊の溜まり場でも。

 余程の事が無い限り、私は群青を止めたりしない。

 止めようと思えば、簡単に止められるから。

 

 

 少し行ったところ。

 中庭。そこに、彼女はいた。

 死人のように白い肌。

 眼を覆う包帯。

「驚いた。猫か、おまえは」

 赤い髪の人が呟いた。三階の病室の窓が開いている。彼女は、着地の衝撃を殺すような格好をしている。

 ……飛び降りたのか。

「おまえか。なんでこんなところにいる」

「監視していたからな。そら、休んでいる暇はないぞ。流石は病院、活きの良い死体がある。幽体のままでは近づけないから、肉としてお前を殺して乗り移る気だよ」

「それもこれも、おまえのおかしな石のせいだろ」

 彼女と赤い髪の人は知り合いだったのか、理解の及ばない話をしている。

 美しい群青を走らせて、彼女はこちらを振り向くことなく。

 あぁ、これほどの強さがあるのなら、彼女はもう群青に魅入られる事は無いだろう。

 あれはてこを使っても動かせない。動かせるものがあるとしたら、それはあの全身真黒眼鏡くらいだろうから。

「おまえのせいなら、おまえがなんとかしろ」

「承知」

 ぱちん、と指を鳴らす音がした。

 瞬間、熱を感じる。何事かと瞳を開ければ、そこには燃え上がる何かがあった。

 何か。ナニカ――いや、人だ。人というか……死体というか。

 群青が寄りつかないもの。死ぬ前のものにはこれでもかと集まって来るのに、死んでいるものには見向きすらしない。

 そういうものは、目を瞑っていては見えない。

「おい、詐欺師」

「そう言うな。人間大のものは破壊が難しいんだ――君はどうにかできるか?」

「群青は死体に興味が無いから、無理」

 ここへきて初めて言葉を吐いた。

 彼女の肩が震えたような気がしたけど、決して振り返らない。

「なんだ、仲間がいたのか。でも、あんた達には無理なんだ」

「……君にも無理だ。死者は既に死んでいるから殺せない。ここは逃げよう。朝になれば、悪い夢も覚める」

 赤い髪の人が下がる。眼前の死体は、折れた足で……しかし止まる気配すらなく、動いている。ゾンビ、リビングデッド――いや、憑かれているだけか。

 死体憑きなんてものもあるのか。一つ知識が増えた。

「……」

 赤い髪の人は下がったのに、彼女は動かない。

 彼女はただ、嗤っていた。

 

「死んでいようが、なんだろうが――あれは”生きてる”死体だろ。なら――」

 

 着地時の姿勢から、前屈姿勢に。

 まるで肉食獣が獲物に飛びかかるかのような、その姿。

 彼女の周囲を、歓喜の声をあげるように群青が飛び交っている。

 

「なんであろうと、殺して見せる」

 

 はらりと、瞳を覆っていた包帯がほどける。

 

 闇の中、青白い光が開く――。

 

「っ、――」

 ひどい頭痛を覚えた。

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 ()()()()()()()()()()()()――。

「両儀の肉体でもない君が、アレを直視するのはいけない。――式!」

 私と青白い光の間に入った赤い髪の人が、何かを彼女に投げる。

 あの光は、私の普段見ている群青とは違う。もっと直接的なものだ。

 私の見る群青が”寿命”なら――彼女の魅せる青白は、”死”。

「群青、と言っていたか。君の見ているそれは、所謂ところの運命力。人間が当たり前に生きる為に使っている幸運、というヤツさ。それを視覚化できるチャンネルに君は接続している。

 死を回避するための力を視る事が出来る君は、死そのものを視るのは耐えられないんだろう。君が普段見ているものは”死に至るまでの過程”であって、”死という結果”ではないからね」

 ザク、ザク、と肉を立つ音が響いている。高校時代に良く食べていたローストビーフサンドを噛み千切る時のような音だ。

 群青は彼女に寄り添いこそすれ、その身体に入る事はしない。赤い髪の人の言葉を借りて言うのなら、運命が味方をしているのだ。幸運を侍らせて、運命が彼女の背を押している。

 しばしその様子を見ていた。

 でも、心配はいらないだろう。ついこの間まですぐ近くに会った群青(じゅみょう)は、既に遠い場所に在る。代わりに群青(こううん)がすぐ近くで舞っている。

 あれで死ぬことがあれば、嘘だ。

「馬鹿者! 殺すなら本体を殺せ!」

 突然、赤い髪の人が叫んだ。そして走り寄って行く。

 またあの青白を見てしまう可能性を恐れ、顔を背けた。

 数十秒。

 

「私は弱い私を殺す。

 ――おまえなんかに、両儀式は渡さない」

 

 その言葉が、崩れ落ちるように放たれるまで。

 

 




父は言っていた。

「飛ぶように生きなさい」

母は言っていた。

「落ちるように飛びなさい」

どちらも同じ意味に聞こえた。
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