「良くここが見つけられたわね、とだけ言っておきます。黒桐君は大丈夫だから、そう殺気立つのはよしなさいな」
近況報告のために時間がある時は毎週、無いときは隔週くらいの頻度で会っていた全身真黒眼鏡が、何の連絡も寄越さずに音信不通になった。二週間目まではそういうこともあるのだろうと気にしていなかったが、三週目ともなれば流石に心配になる。
高校の頃の数少ない知り合いに頼ってあの真黒眼鏡の住所を聞き出し、彼の住むところへ行ってみた物の、もぬけの殻。近所の人に聞けば、そういえば最近見ていないわねぇ、とのこと。
メールが通じず、家にもいない。
確かにあのブラック眼鏡は群青に取り囲まれていたけど、魅入られてはいなかった。だから死ぬことは無いはずだ。
だけど、どこかに監禁されて生かされている、とかなら群青は反応しない。そのまま八十、九十まで飼われるとしても、それは寿命。群青は寿命があると判断する。自殺をする気が無い限り。
あの普通男に、自殺なんて特別が出来るワケないのだけど。
だから、尋ねた。訪ねた。
綺麗な赤い髪の人。全身真黒眼鏡の勤めているという事務所のオーナーらしい、あの夜の人。
「……幹也が眠っているのは理解した。群青が固まっている。いや、押しとどめられている? ……留めているのは、式の群青」
「へぇ、驚いた。そんなことまでわかるのか、君のその眼は」
当たり前だ。人によって群青は違う。誰の群青かなど、わからないはずがない。会った事が無い人はわからないけど。
さっきと口調が違う。メガネを取った事に何か意味があるのか。群青が変わったわけでもないのに。
「式もここにいるの?」
「そうか、式の知り合いだったのか、君は」
「高校時代の友達。私の事を調べたなら、知ってるでしょ」
目を細める赤い髪の人。
別に特別な事はしていない。そこの机に、無造作に私の顔写真とプロフィールが載っている資料が散らばっているから。
この人、片付けとかできないタイプなんだろうな。
「あぁ、全く……全て黒桐が悪い」
「責任転嫁の権化。それで、幹也は起きるんだよね?」
「問題なく、な。それは君が一番わかっているんじゃないか?」
「うん。幹也の群青は元気。……けど」
部屋に溢れた群青を視る。人だけではない、モノにも群青はある。
それは経年劣化や風化という形で存在を削る。
だけど、動物ほど元気じゃない。サバンナの野生動物ともなれば話は別だろうけど、人ほど突発的な死を回避できない動物は、群青もゆっくりだ。死が、すぐそばにあるということ。
「まだ、何か?」
「……幹也と……式を助けてくれた、お礼。
お姉さん、群青に魅入られているよ。近い内に……死が待ってる」
「……ほう?」
「私が、助けてあげようか?」
式も面白い群青をしているけど、この人も結構面白い群青をしている。
無機物に似ているのだ。群青の形というか、性質が。
まるで、人形みたいに。
「いや、遠慮しておこう。私を殺す程のコトがあるのなら、それは回避し得ぬ運命という奴だ。君のその群青は未来視に通ずるところがあるようだし……私はそれに抗うつもりはない」
「そう。凄いね。珍しいというより、凄い。死の運命を知っていて、それを恐れずに、楽しむなんて。綺麗な赤い髪の人。名前を聞いても良い? 私は水野良空っていうんだけど」
「知っているさ。そして、君も私の名前を知っているはずだ」
「うん。蒼崎橙子さん。偏屈教授と幹也に聞いた」
綺麗な赤い髪の人――橙子さんは、クツクツと笑う。
面白かったようだ。
「……それじゃあ、私は帰るね。幹也をよろしく」
「ああ、預かっておくよ」
……別に、私のモノじゃないけどね。式のモノだよ、どっちかというと。
九月を過ぎて、十月を過ぎた。
あの眼鏡は何事も無かったかのように次の週の土曜日に現れて、その話に触れもしない。
知らされていないだろうことは理解できるけど、心配した私が少しばからしい。あの廃墟に入る時、群青は凄く嫌がった。あそこの一階、絶対なんかいる。あんな怖い場所に入って、私は魔王城の最終セーブポイント前のような面持ちだったのに、この全身真黒眼鏡は能天気に、なんだか久しぶりな気がするけど、そうでもないか、なんて言って……。
「そ・れ・で、貴女は兄さんのなんなんですか? さっきから何度も何度もはぐらかして……」
「だから、高校時代の友達。大学に入ってからも付き合いがある。毎週喫茶店で近況報告をしあう仲。何か問題が?」
「大アリです! 式だけでも……天敵なのに、藤乃まで出てきて……瀬尾さんもなにか含みがあったし……そこへ、また一人! 増えるなんて!」
「何の話か知らないけど、もう少し落ち着いたら? あと、私は幹也をそういう風には見ていないよ。式のモノを横取りする程私は命知らずじゃないし」
「わかってるじゃないですか! って、まだ式のものと決まったわけじゃありませんから! っていうか名前呼び捨てって……!」
今、私の眼前でキャイキャイと吠え立てている黒髪女子は、誰なのだろうか。
文脈的にあの全身真黒眼鏡を兄さんと呼んでいるので、あの眼鏡の妹か。
随分とまぁ、元気な群青を持っている。この子は中々死なないぞ。往生際の悪いタイプだ。どんなに不利でも諦めない、不屈タイプ。
「人の恋路に口を出すつもりはないよ。勝手にやってて。それとも、貴女は男女間の友情は成立しないというヒト? 男と女がいれば、かならず性行為に発展するとか言ってしまうヒト?」
「なッ……! そんなことは言ってませんから!」
「そう。なら、良いよ。私は幹也の友達。それ以上は無い。以下はあるかもしれないけどね。ところで、いいの?
幹也、後ろにいるけど」
光の速さで振り返る妹ちゃん。そんなに速度は出ていないけど。
そこには、コンビニかスーパーに行った帰りだろう、白いビニール袋を手に提げた全身真黒眼鏡が、苦笑いの表情で立っていた。
「それで、なんで良空がこの事務所に?」
「兄さんまで、名前呼び捨て……!?」
「幹也は普段から友人相手にはそうだよ、妹ちゃん。
それで、ここに来たのは、ちょっと緊急の案件でね。橙子さんに用事があったんだ」
この廃墟を囲む、薄い膜。これにも群青はあるから私にも見えるのだが、こんなもの、自然界でも人工物でも見た事が無い。よって私はこれを魔法みたいなものだと判断した。
そして橙子さんは魔法使い。それなら、私の緊急案件にも対応してくれるはず、という算段である。お金はざっと二千万円ほど出せる。
「そんなにかからないとは思うけど、僕も何処に行ったかまではわからないから、とりあえずお茶、出すよ。緑茶、飲めたっけ?」
「問題ない。でも出来れば珈琲がいい」
「はいはい」
緑茶は利尿作用があるので苦手である。珈琲もある? 知ってる。でも好き。
待つこと数分。流石に豆からではない、インスタントな珈琲が出てきた。砂糖小匙二杯、ミルク多目。うん、素晴らしい。
「何も言わずに……わかりあって……!」
「そりゃ、高校卒業からほぼ毎週会ってるからね。珈琲の好きな甘さ加減くらいはわかるよ」
「それより、妹ちゃんはなんで真昼間からココにいるの? 学校は? 住み込みで働いてるの?」
「……今日は休みです。住み込み……いえ、私の通う学校の学生寮は火事に遭って、閉鎖中なので。一時的にここを借りているだけです」
「……なるほど、礼園女学院の子だったのか。通りで言葉遣い
だけは、は余計です! という反論が来るかと思っていたのだが、来ない。
おや。アテが外れた。
「――どこで、それを? ウチで火事があった事は、揉み消され――報道されていません。学生寮の火事と、礼園女学院。どうして結びついたんですか?」
あぁ、そっち。
そうか、報道されてなかったのか。テレビ見ないからわからなかった。
「建物にも群青はあるからね。古い建物ともなれば、遠くからでも視認できる程大きいし」
「群青……?」
群青は死因を教えてくれる事は無いが、推理する事は出来る。
衰弱するようにゆっくり魅入られる場合――溺死、衰弱死、老死、そして焼死。あとは毒死と病死か。これらであると判別できる。
そしてそれが、建物となれば――焼死。つまり火事に遭う事は想像できるのだ。
ちなみに老朽化による崩壊などは、崩壊の瞬間が一瞬であるが故に、魅入りはわかりやすい。
最近で来たでっかいマンションなんかがその例だ。あれは、近いうちに壊れる。
「貴女……もしかして」
「――あぁ、良空は式や浅上藤乃と同じだよ、鮮花」
後ろのドアから、橙子さんが帰ってきた。
「不審な大男に追いかけられた、ねぇ……」
「群青に魅入られていたにも拘らず、群青を連れていなかった。あれは人間じゃない。何か守るものをください」
「考えてやらない事も無いが……何故私が守るものを作れると思ったんだ?」
「この廃墟を囲む、薄い膜。群青が元気だったから、なんとか見えました。ああいうの、他では見た事が無い。魔法みたいなものだと思ってる。魔法使いなら、そういうの作れそう」
「……完全に憶測で、か。一応訂正しておくと私は魔法使いではなく魔術師だ。それで、その大男について詳しく知りたい。群青に魅入られていて、群青を連れていないというのは、私達の言葉にするとどういう意味なんだ?」
魔法使いと魔術師。何が違うんだろう。あんまり興味ないけど。
魔法使いって名前の方が、強そうなのに。
「……生きるモノは群青を従えている。有機物、無機物は問わない。生きているモノは、全て、群青がある。無いのは死体だけ。死んでいるモノには寿命が無いから、群青も無い。
あの大男は、群青を連れていなかった。つまり死んでいる。けど、喋ったし、動いていた。この時点で怖い。人間じゃない。
さらにアイツは群青に魅入られていた。群青に魅入られたモノはすぐに死ぬ。でも、さっき言った通り、群青を連れていない時点で死んでいる。死んでいるモノは死なない。魅入られるなんてありえない。つまりやばい。超、やばい」
「ふむ……」
あと、そんなヤツが私の名前を知っていたのがもっとやばい。
口ぶりからして、私を探していた事になる。なんであんなのが私を探していたのか理解できない。怖い。やばい。なので、頼った。
橙子さんは何か思案するような顔で、顎に手を当てて考える。あ、違う。これはエアタバコだ。今は無いけど、もしあったらあの中指と人差し指の間に煙草が挟まっているだろう。
「群青に魅入られている、と言っていたな。死期はわかるのか?」
「――今月中には、必ず。群青に魅入られたモノが、
私が生まれてから、今まで。例外は見たことが――あ、いや。
「……あった。式以外、見た事が無い」
「なるほどね。それじゃあ、大丈夫だ。一応コレ……ルーンの守護は渡しておいてやるが、これ自体は気休めに過ぎない。でも、ソイツがお前を襲う事はもうないと思うよ」
「……信じる。……前も、言ったけど」
貴女も群青に魅入られているから――
その言葉は、橙子さんの人差し指によって止められた。メガネとウィンク――二重人格なのだろうか、この人は。
「はい、それじゃあお帰りなさいな。もうすぐ式がくるわよ?」
「……わかった。帰る。ありがとう。お金は?」
「十二月になったら、それを返しに来てくれればいいわ」
「……それじゃあ気が済まない。五百万、持ってくる」
命の代価。足りないくらい。
でも、上げ過ぎはよくない。それは橙子さんの目をみればわかる。
「それも、十二月でいいわ」
「わかった。幹也、またね。式によろしく。鮮花も、また」
「いきなり呼び捨て……はぁ、まぁ、いいですけど」
「うん。またね、良空」
手を振って、そこを出る。
寒い。
そういえばここ廃墟だった。あと今冬だった。
「……安心した、かも」
なんせ魔法使い……魔術師だっけ? の太鼓判。
それにルーンなんてものが彫られた石までもらってしまった。
ちょっとワクワク。ルーンとか、ファンタジー。
家に帰るまで――私は、その石をずっとポッケで弄んでいた。