ぴんぽーん、と呼び鈴が鳴った。
来客の予定は無い。誰だろうと思いつつも、見知った群青に安堵を覚え、扉を開けた。
「や、良空」
「や、幹也。珍しいね、幹也が訪ねて来るなんて。というか初めて?」
「うん」
この全身真黒眼鏡は少なからず……否、多少なりと焦燥しているようだ。
……式の事かな。
「良空。式の事なんだけど」
「やっぱり」
「え?」
「ううん、こっちの話。式がどうかしたの?」
真黒眼鏡は人畜無害というか、周囲にほとんど影響を及ぼさない。だから、基本的にすべてを一人で背負い込むきらいがある。頼れる人……例えばあの綺麗な赤い髪の人のような、圧倒的に頼れる人がいるのなら話は別だけど。
これは何かあったな、と思う。
「式がどこに行ったか知らないかな。十日から戻って来ていないんだ」
「……知らないけど、大丈夫だと思うよ。群青に魅入られていなかったし……」
「……そっか」
少し傷ついたような顔をした友人にハッとする。
今の私の言葉は、”死んではいないだろうからどうでもいい”、ともとれる発言だった。
……そのつもりはなかったけど、でも、確かに私は……そういう死生観を持っている。
「ごめん、幹也。私は、死ぬのが怖い。だから……協力できない。協力しようとすれば、私の群青が近づいてくる。
でも、……あんまり、言うべきじゃない……と思うけど、幹也は群青に魅入られていないから……ううん、違う。死ななくても……怪我は、出来るだけ避けてね」
「……ん、ありがとう。良空。心強いよ」
群青に魅入られていないのに。
その姿は、今にも死にそうで。今にも、死にに行きそうで。
「群青は、諦めたモノを好む。嘆いたモノを好む。……諦めないで」
余計なコトを、言ってしまった。
「うん」
友人は儚く笑うだけだった。
「君は、誰かな」
「水野良空」
その邂逅は、本来有り得るものではなかった。
礼園女学院は例外を除き外部の者が入ると言う事は無い。両儀式の侵入こそが異常で、それは頻繁におこる事ではないのだ。
――ましてや、この密室、準備室の中。
刺された腹に何の感慨も抱かずに、自己の中でのみ行われる平静を乱した人物の特徴を玄霧皐月は収集する。
礼園女学院生ではない。大学生だろう年齢の少女。
特徴らしい特徴は、その瞳。揺蕩うような紺碧――否、それはこの場が暗いからだ。
明るい所なら、群青と。そう称されるだろう色をした、深い瞳。
「何か、用かな」
「――群青は貴方を気に入っている。貴方はずっと群青に魅入られていた。その死は、決まりきっていた事」
「そうだね」
一歩、また一歩と皐月に近づいてくる少女。
その姿は幽世の幽鬼のようで、家族に縋る幼子のようでもあった。
――死はどうという事は無い。私はいつだってこの結果を受け入れていた。
皐月の身体はもう持たない。
あと十分も生きればいい所だろう。
その残りわずかな空白は心地の良い物。
せめてそのわずかな時間を、自由に使い切りたかった。
「
明確に。
明確に――少女が言葉を発した瞬間、皐月から死が遠のいた。
「群青を動かした。貴方には聞きたい事がある」
「……なにかな」
遠のいたソレを採集しつつも……玄霧皐月は優しく答える。
目の前の少女は、水野良空という名前らしい。つい先ほど戦った両儀式とは違うアプローチで、死を扱うらしい。その身体はなんでもなく、どこに繋がっているということもないらしい。
群青。皐月にそれは見えないが、口ぶりからそれが何かはわかった。
「貴方は、何を望む?」
「何も」
死の間際にしても、皐月の答えは変わらない。
望みは無い。ただ、解決が欲しい。
そしてその解決は、すぐそばに在る。少女が遠ざけた場所に。
「そう」
「では、返してくれるかな、わたしを」
「……ここは貴方の準備室ではないよ」
言われて、ようやく気が付いた。
確かにそこは自分のいた礼園の準備室ではない。
どこか小さな家の一室。簡素で飾り気のない部屋。
「あぁ――」
そうか。
既に、私は。
時々あることだ。
全ての群青は一つ一つであるように見えて、根底で繋がっている。
だから、時たま”混線”する。
死の際――死に瀕したモノの群青と、群青を見る目を持つ私の群青が。
「……今の、誰だったのかな。なんか幹也に似ていたけど」
布団から体を起こして呟く。
あんなに神秘的な人は初めてだった。
あんなに脆いひとは初めてだった。
あの、満足そうな顔が――脳裏に焼き付いて、離れない。
「自殺未遂、ですか?」
新年明けて、一か月が過ぎようとしていた頃。
鮮花も礼園に戻り、僕の怪我もほぼほぼ治って、いつも通りの日常に復帰しようとしていた。
そんな折、橙子さんから聞かされた話。
「うん、そう。自殺未遂が、今週に入って七件も上がってきているらしいよ」
パサ、と無造作に置かれた捜査資料を見せてもらえば、年齢も性別もバラバラの七人のリストが上がっていた。これ、警察の……。
「未遂ってことは、死ななかったんですか?」
「ああ。首吊り、飛び降り、刺傷、薬物、入水、果ては焼身に線路飛び込み。七人七様の自殺をして、その悉くが
リストには詳しい内容が載っていた。
渡辺俊哉。28歳。男。証券会社勤め。首吊り自殺を試みるも、発見時までに縊死せず。搬送先で一命を取り留める。
佐川華子。38歳。女。スーパーのパート。七階のベランダから飛び降り自殺。全身骨折、一命を取り留める。
藤田ゆり。21歳。女。大学生。動脈を切断したが、出血性ショック死手前で救助、搬送。一命を取り留める。
三堂巡。44歳。男。看護師。アルコールとコカインの併用・大量摂取でオーバードース。錯乱し病院の駐車場で暴れていた所を確保、救助。一命を取り留める。
志藤みつこ。40歳。女。警察官。海で入水を試みるも、釣り人達の懸命な救助によって一命を取り留める。
花田祥吾。22歳。男。フリーター。全身にガソリンを被り、火を点け、焼身自殺を図る。両腕、背中の炭化の末、鎮火。一命を取り留める。
尾道純也。27歳。男。シンガーソングライター。地下鉄のホームへ飛び込み自殺するも、弾かれ、全身の骨を折るなどして意識不明の重体。
「……こういうの、あんまり見るものじゃないですね」
「まぁ、そうだろうな。自死を目の当たりにして気分の良いものなどいないだろう。だが、奇妙だと思わないか黒桐。自死への手段の差異はあれど、全員が命を取り留めている。それも、普通であれば絶対に助からない状況で、だ」
「偶然じゃないですか? たまたまその人達の運が良かった……あ、でも、死にたいのなら運が悪かったのかな……」
「ま、普段なら警察もそれで片付けたと思うがね。自殺者達を治療した医者が、揃ってこう言ったのさ。”何故生きていられたのかわからない。奇跡というか、不思議としか言いようがない”ってさ。それで、私に頼ってきたというわけだ。最近立て続けに不可思議な事件を解決に導いてしまっている私にね」
やれやれ、と橙子さんは額に手を当てる。
橙子さんを頼りにしている警察関係者は、橙子さんを魔術師だと知っているわけではないらしいのだが、それでも”不思議な事件は橙子さんに頼る”という方程式が出来てしまっているらしい。
「僕はこの七人を調べればいいんですか?」
「ああ、頼む。何か共通点でもあればいいんだがね」
「わかりました。調べておきます。……あ、ちょっと出てきますね」
「もう行くのか?」
そうではなく、今日は土曜日なのだ。
小川マンションの一件でも心配をかけたあの友人は、毎週顔を出さないとメールを入れてくるようになった。
「いえ、良空に会いに行くんですよ」
いつもの、喫茶店へ。