あと数日で二月。そんな、まだまだ肌寒い季節。
「ダメですね」
「そうか」
「はい。自殺未遂の七人ですが、家族構成、勤めている会社、会社での人間関係、近所での評判、前勤めていた会社と人間関係を当たってみましたけど、共通点はありませんでした」
僕の纏めてきた自殺未遂者のリストをみた橙子さんは、難しい顔をしながらコーヒーを啜っている。大輔兄さんもこの件は追っているらしく、色々な情報をくれたにも拘らず、共通点らしい共通点はみつからなかった。
「昨日、また二件出たよ。なんと今度は割腹に感電だとさ。勿論今回も自殺未遂、死んでない」
「割腹に感電……それはまた、時代錯誤というか、準備が大変というか……」
「うん、共通点も何もないのだろうね。まるで自殺者達が共謀して色んな死に方を試しているみたいだ」
橙子さんのその例えに冷たい物が走る。
色々な死に方を試す――。そんなの、まるで……。
「死で遊んでいるみたいだ。トウコ、
……今までは黙って聞いていた式が興味を持った。
式が言葉にしたように、死ぬ事よりも死までの過程を楽しんでいるようにすら見える。
「ないね。アラヤならもっと分からせないようにやるし、なによりアイツは次の世代まで出て来れないよ」
「ふぅん。でも、それって何がダメなんだ? 死んでるっていうんならともかく、生きてるんだろ?」
そう、この事件が大騒ぎにならないのは、偏に「自殺者は皆生きているから」だ。各者各様の死に方で死んだのならば、関連性や猟奇性から大事件に、大騒ぎに発展したことだろう。
だけど、自殺者は皆生きている。生きているから警察も医療関係者も詳しい事を発表しないし、報道も聴衆も興味を持たない。酷い話だけど、殺人事件や通り魔事件より、騒ぎ難いのだろう。
「オマエにとってはそうだろうね、式。たとえ六日間で九件同様の不思議な事件が起きていようと、死んではいないのだから」
「……あ」
そうか。
「たった六日で、こんなにも自殺を試みる人が多いのはおかしい……?」
「いやいや黒桐。日本全体で見れば、自殺者は一日に百人はいると言われているさ。
おかしいのはね、黒桐。
自殺者のその全員が――
橙子さんは、なんだか面白く無さそうにそう言った。
水野良空。家族構成、父、母、本人の三人家族。内両親は死去。飛行士の父親はタラップからの転落が死因。母親は自殺。親戚、辿れる限り全員が死去。
素行不良、異常言動等の過去無し。小学校、中学校の教師からの評判、「地味だけど良い子だった」が主。高校教師は「よくおじいちゃん先生のお手伝いをしてくれる子だった」とのこと。成績に特長無し。
高校卒業後から度々大事故に遭う。ブレーキが利かなくなったバイクによる追突で頭を四針縫う怪我を負う。ビルの爆破事件に巻き込まれ、爆破の際の瓦礫に脚を潰され、骨折。暴漢に襲われ、抵抗の際に突き出した腕を包丁で刺される大怪我を負う。
「波乱万丈ってヤツ? アイツ、高校の時はそんな素振り一切見せなかったのにな」
「うん。普通の子だった。良い子だったよ」
「ヘンな言い方だな、それ。まるで今は良い子じゃないみたいだ」
そんなつもりはなかったのに、そう言う風に聞こえたということは、そう思ってしまっているのかもしれない。
「……? 幹也、それちょっと見せてくれ」
「うん? いいけど……何か気付いたのかい?」
式が良空に関する資料の内、大怪我の三つに関わるものに興味を持った。
バイクが突っ込んできた事件は、バイクの整備不良が原因。走行中にブレーキが利かなくなり、曲がりきれずに歩道へ侵入、運悪くそこにいた良空に追突。衝撃で運転者は投げ出され、運転者も腕の骨を折るなどの怪我を負った。
ビルの爆破事件は、そのままの事件だ。ビルが爆破されて倒壊、運悪くそこにいた良空が逃げ切れずに瓦礫の下敷きになった。犯人はビルと共に心中するつもりだったようだけど、下半身不随という大怪我を負ったものの生存している。
暴漢に襲われた事件は、犯人は同じ大学の教師だったらしい。「すぐに金が必要だった」などという理由で運悪く近くにいた良空に、脅し用の包丁を突きつける。良空は断り110番通報。激情した犯人が良空に斬りかかり、防御に上げた腕を突き刺される。犯人は捕まっている。
「すごいな、これ。なんだか良空が事件を引き寄せているみたいだ」
「……そういう言い方は好きじゃないかな。良空は大怪我を負っているんだし……」
「――でも、死んでない」
そういえば良空は”自分の行う行動が命を早めるかどうかわかる”と言っていた。
だったら、何故彼女はこんなに大怪我を?
「アイツ、寿命が見えるって言ってたよな。オレの死にも似ているけど……もっと間接的だ。確か鮮花の奴と話している時に死に方もわかる、って言ってたんだよな?
じゃあさ。良空は……
――。
それは。
「それは、式。良空が……その”群青”ってヤツを操って、人を殺している……って、言いたいのかい」
「殺している、になるのか。この場合。ほら、いつか話しただろ。飛び降り自殺は事故なのか、って話。あの時は他殺でもなければ事故死でもないって結論付けたけど――」
この世界は群青に溢れている。
群青は全てを見つめている。群青を連れていない生物はいない。群青に魅入られた生物は死ぬ。
でも、私が群青を動かせば、その死は回避される。
逆に、私が群青を魅入らせれば、その生物に死が訪れる。
無機物、有機物は関係ない。”死んでいなければ”、”生きている”。
何度も繰り返したこの世のルール。生まれ出でてから見続けた群青色。
私は人を助けられる。生物を助けられる。死ぬ運命にある生き物を守ってあげられる。
「……人は一生に一人しか殺せない」
そう言っていたのは、式……いいや、織だ。
高校生の時、一度だけ彼に会った。式が群青に魅入られている事を伝えたら、”それは俺だよ”と笑いながら言っていた。
私は友人が死ぬ事を、見逃したのだ。
それは殺した事になる? 見
……もしそうなら、私は大量殺人者だ。殺人鬼だ。
父も、母も、親戚も、友達も、知り合いも、見知らぬ人も――みんなみんな殺してきた。
でも、それでも。
死にたくない。私は死にたくない。
ずっと、ずっと、ずっと……死を間近に感じていた。すぐそばを死が通り抜けていた。
「……でも」
空を見上げる。蒼穹。群青ではない。
突き抜けた快晴は、しかしその空にも群青は舞っている。
死は怖い物だと思っていた。死は苦しい物だと思っていた。死は辛い物だとおもっていた。
でも。
この間……混線した、知らない誰か。
あんなに満足そうな顔は見た事が無い。望みは何もないと言ったその言葉が本心であると否応に理解させられた。充足し、満足し、”解決”を――”答え”を得て眠れるのなら、あんなにも”幸せ”なのか。
「……いいなぁ」
私もあれが――欲しいなぁ。
土曜日になった。
金曜日までの九日間で、自殺未遂者は十七件にも及ぶ。様々な自殺方法で、しかし生きている。必ず、誰かに助けられていた。
今日は良空に会う日だ。
「……所長、行ってきます」
「ああ。……気を付けろよ」
何に気を付けるというのだろうか。
いつも通り、良空に会いに行くだけなのに。
いつもの喫茶店で、いつも通りの近況報告をするだけなのに。
あぁ、でも。
いつも通りの顔が出来ているかどうか――鏡を見て確かめないと。
「良空」
「や、幹也」
良空はいつも通りの席に座っていた。既に飲み物は注文済みのようで、ストローを口に咥えながら本を読むという、少々行儀の悪い姿で僕を認めた。口から放たれたストローが氷をカランと鳴らす。
対面の席には僕の分もある。お金に余裕がある時は、時たまこうして奢ってくれる。逆もあった。
「近況報告と行こうか、幹也」
「……」
「幹也?」
「あ、うん」
彼女の対面に座る。
良空はいつも通りだった。何かを気負っているようにも、思いつめているようにも見えない。
良空の瞳は、元から少し青い。群青色とは言えない青さだけど、どこか先祖に国外の血が混じったのだろうか、その青みはどこか浮世離れした印象を抱かせる。
そう――夢を見ているような。
「流石にそこまでじっと見つめられると照れる」
「良空が照れる事って、あるのかい?」
「ないかな」
やっぱり。
やっぱり、いつも通りの良空だ。
人を殺すなんてありえない。誰かを自殺に追いやるなんてありえない。
「ところで、幹也」
この子は、名前の通り善良な――。
「最近起きてる、連続自殺未遂者事件って、知ってる?」
良空は、疲れたように溜息を吐いて……そう聞いてきた。