【完結】群青所望   作:劇鼠らてこ

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たまに、群青を自ら受け入れる生き物がいる

見えていないだろうそれを、愛おしそうに

「お迎えがきたみたいだ」

そう言うんだ



群青所望(後)/ 3

群青劇 /

 

 黒桐幹也が水野良空に話しかけられたのは、クラスが一緒になって彼女が前の席に座ってすぐのことだった。

 彼が読書用の本を取り出し、今まさに読もうとしているところで振り向いてきた彼女が”よろしく”と言ったのが始まりだ。

 今に思えば、その時の彼女は厭にゆっくりと振り向いてきた。まるで、中に漂う何かを目線で追った結果、その先に黒桐幹也がいた、とでもいうかのように。

 そんな些細でありふれた発端(はじまり)。それだけで、式と良空。見た目で言えば対極に位置するこの二人と、黒桐幹也は高校生活を送ったのだ。無論、彼には他にもたくさんの友人がいたが。

 高校時代の教師に彼が訪ねたように、そして彼の記憶に在る限りでも、良空はとある高齢の教師を気にかけていたように思えた。荷物を持つ事、階段の上り下り、雑用。それは姿形を”地味”で纏め上げている良空にしては、少しだけ目立つ行為。

 その教師の担う授業の単位を選択していなかったため、ごますりであるとは思われなかったようだが、それについては友人間で周知の事実になるくらいには、有名な事だった。

 高齢の教師は、黒桐幹也、水野良空たちの卒業前、卒業式に参加する事無く亡くなった。

「黒桐。寿命という言葉は、他にどんないい方をするか知っているか?」

「言い替え、類語って事ですよね。うーん……運命とか、天寿とか、終生とかでしょうか?」

「じゃあさ、寿命が来ることが分かる、というのは一般的になんて言う?」

 蒼崎橙子の問いに黒桐幹也は少し考える。

 考えて、深く考えずに、彼は言葉にした。

死期(シキ)を悟る――ですかね」

「そう。寿命というのは言い換えると死期だ。だからさ、その高齢教師と水野良空が一緒にいたのは――その教師の、死期を悟っていたからなんじゃないか。だから、最後だけはと尽くしてあげた」

「……シキを悟る」

 彼は改めて言葉にしてみて、おもしろいなと思った。

 意味合いは余りよろしくない単語だけど――彼女と同じ読みを持つモノを、良空は悟る事が出来る。見る事が出来る。

「……これは完全な蛇足だがね、黒桐。

 寿命を受け入れる……本人が寿命を悟った場合は、もう一つ違う言い方がある。少々詩的な表現だが……潮が引くように死ぬ、なんて言い方を聞いた事がないか?」

 何かに気づいたように橙子は話し始める。

 何かを皮肉るように。意地悪い笑みを浮かべて。

「あぁ、長く生きたお年寄りが、人生に満足して……それまで元気だったにも拘らず、ってヤツですよね」

「そう――寿命は潮の満ち引きでも表されるんだ。

 それでさ、黒桐。日本の神道については少しくらい知っているか?」

「ええ、まぁ。多少なりとは」

潮盈珠(しおみつたま)潮乾珠(しおふるたま)という神珠がある。海幸彦山幸彦(うみさちひこやまさちひこ)という神話に登場する竜宮の珠なんだがね。コイツは潮の満ち引きを操る事が出来るんだ」

 咥えていた煙草を灰皿に押し付けると、橙子は疲れたとばかりに背凭れへ身体を預けた。

 いつか式の名前に対しても言っていたように――出来過ぎだよ、と。

 

「――この珠を人間に授ける神の名を、阿曇磯良(あづみのいそら)という。もしくは安曇磯良と書いて――あずみのいそら、と読む事もあるね」

 

群青劇 / 了

 

群青所望(後)/ 4

 

「知ってるよ。今週に入ってもう十七件。流石に、知ってる」

「そっか。……幹也はどう思う? 結構凄惨な事件だと、私は思うんだけど」

 良空はカラカラと氷をストローで回しながら、俯き加減に問うてきた。迷っているようにも、悩んでいるようにも――自慢しているようにも見える。

 こういう事件の問題提起はずっと僕がしてきたから、なんだか不思議な気持ちになりながらも、答えないわけにはいかないと言葉を探した。

「うん。自殺をする人の気持ちはわからないから、何とも言えないけど……死にきれないのは、辛いのかな、って思うよ」

「どうだろう。一時の迷いで死にたくなったとしても、生きていたら希望が湧いてくるかもしれない。焼死直前だった人とかもいたから、一概には言えないけど」

 ――自殺未遂者は生きている。生きているから、詳しい状態は公開されていない。

「死ななかっただけ……それは生きているって言えるのかな」

「死に損なっても生きてれば生きているんじゃない? 死ななければ、生きているよ」

「じゃあ良空は、連続自殺未遂者事件の彼らが――助かった、って思っているんだね」

 良空の口から、今まさに飲み物を吸おうとしていたストローが離れる。

 俯いた顔色は伺えない。肩は強張っているようにも見える。

「助かった――っていうか、助けてもらった、でしょ? よっぽど恵まれていたんだろうね。全員が全員、救助されているなんてさ」

 顔を上げない良空の口から漏れ出でる言葉はいつも通りのもの。

 震えていないし、強張ってもいない。

 それがどうしてか、浮世離れしている印象を受けた。

「恵まれている――自殺者が?」

「うん。自分を殺そうとしているのに、それを止めてくれる人がいるなんて……止めてくれる人が間に合うなんて、幸運だと思わない?」

「……自殺未遂をした人を、僕は”恵まれている”なんて表現は出来ないかな……」

「そう? そのまま死んでしまったなら不運だろうけど、助かったんだよ?」

「自分を殺すにまで至った人が、幸運だとは思えないよ」

 カラン、コロンと……カップの中の氷が回る。

 ストローに掻き混ぜられて。

「……じゃあ幹也は、そのまま死んだ方が幸運だった、っていうの?」

「そうは言ってない。そもそも自殺しない選択肢が出来れば幸運だった、って言っているんだ」

「……それが出来なくなった時点で、生きていようが死んでいようが不幸、ってこと?」

「……うん。今の時点で、僕はそう感じている」

「なにそれ」

 少しだけ怒った声の良空。

 顔を上げた彼女の口元は、わかりやすいくらい”へ”の字に曲がっていた。

「助かったなら、感謝するでしょ。普通。助けてくれた人に、ありがとうって。それで自分は幸運だったなぁって思うでしょ」

 こんなに感情を励起させている彼女は初めて見た。

 憤り。怒り。彼女がこれらを現したところなど、見た事が無い。

「良空、落ち着いて。僕は、って話だよ。僕は自殺をしようと思った事が無いから、彼らの気持ちはわからない。彼らは助けてくれた人にありがとう、って思っているかもしれない」

「……かもしれない、じゃ困る。それじゃあ、なんのためにやってるのかわかんないじゃん……」

「え?」

 どういう、意味だろう。

 それは。

 それは――まるで、良空が感謝されたい、とでもいうような。

「良空、それって……」

「もう、いい。だったらもう――」

 良空は飲み物を飲み干して、立ち上がる。

 飲み終わったカップを持って、バッグを持って。

「良空!」

「もう知らない。どうなっても、知らないから」

 それだけ言って――良空はカップを乱暴に返却口に突っ込んで、喫茶店を出て行ってしまった。

「……はぁ」

 溜息を吐いて、背凭れによりかかる。

 ケンカ。鮮花との言い合いはよくあるし、二年前は式とも口論になったけど……良空とこうなるのは、初めてだ。

 良空は何に怒ったのだろう。

 なんのためにやっているのか――感謝されるために、自殺者をつくって、助けている?

 そんな――そんな外道を、彼女が行えるというのか。

 あまつさえ、生きていれば幸運、だなんて――。

「……はあ」

 先程よりも大きなため息を吐いて、僕も立ち上がった。

 事務所へ帰ろう。

 

 

「自殺者、ですか? 未遂者ではなく……」

「ああ。未遂者ではないから警察は関連性を見ていると言う事は無いようだけどね。とある喫茶店の従業員が自殺したそうだよ。つい先ほどの話さ」

 そう言って橙子さんはメール文を見せてくれた。紙類にまとめていない辺り、本当についさっきの事なのだろう。

 その、喫茶店は。

「……橙子さん」

「うん?」

 

「これ……さっきまで僕と良空がいた喫茶店です」

 

群青所望(後)/ 4 了

 




近所の人のお手伝いをする。

ありがとうと言われて、駄賃をもらった。

お爺ちゃんのお手伝いをする。

ありがとうと言われて、頭を撫でてもらった。

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