~魔法少女リリカルなのはReflection if story~   作:形右

25 / 51
 ――――少女は、真実へ辿り着いた。

 けれど、それは……痛みを伴う現実。
 自らを蝕むすべてに、少女の心が罅割れていく。

 そうして、最後には――――ただ、少女の涙だけが残った。


第十五章 ――〝嘘〟――

 ――親愛という名の虚実――

 

 

 

「やっと見つけた。――――これが〝永遠結晶〟」

 

 イリスの声を聴きながら、キリエは力が抜けた様にぼんやりと、目の前の光景を見つめていた。

 ――時は、海上の楽園を包む戦いの真っただ中。

 にも拘らず、管理局に容疑者として追われている二人の少女は、戦いとは近く遠い場所にいた。

 彼女らが訪れたのは、丸く水槽に囲まれた区画(エリア)

 そんな薄暗い展示室の中央に位置する円柱状の水槽の中に、彼女らの目的のモノが在った。

 納められているのは、緋色の美しい鉱石。

 照明など殆ど無いにも関わらず、鉱石(ソレ)は魔的と言えそうな艶めかしい煌きで、見る者全てを魅惑する。

 ……否。事実、確かにソレは輝いていた。

 暗がりを照らす光は、何かに呼応するように輝きを増していく。

 如何様にして放たれるものかは分からないが、理解など通り越して美しさだけが本能に訴えかけてくる。

 〝綺麗〟だと、鉱石を見ていたキリエは素直に思った。

 だが、同時に〝怖い〟とも感じた。

 正に魔的だ。人知を超えたモノは、往々にして人を魅惑し恐れさせる。

 (ただ)しくソレは、そういった類のモノであったと言える。

 しかし、見惚れていられた時間はごくごく短いものであった。

 

「キリエ、遺跡板(わたし)を〝永遠結晶〟の方に」

 

 弛緩した身体を射貫くように声が、ガランとした場に響いた。

 それがイリスのものであると気づいたとき、キリエはまるで自分が、己の身体を一度離れてしまったかのような錯覚を抱く。

 けれど、呆けてはいられない。

 ここからが本番。

 本当の救いへの道は、此処から始まるのだから――。

 

「うん」

 

 イリスの声に頷いて、キリエはそっと遺跡板を結晶の方へと差し出した。

 すると、仮想体のイリスに吸い寄せられるようにして、遺跡板は鉱石の展示された水槽(ケース)の方に向かう。

 そうして、遺跡板とイリスが重なるようにして一つになる。

 仮想体を消して本体へと戻ったイリスは、ほんの少しキリエに何時ものように微笑みかけたのち、鉱石――〝永遠結晶〟の方を向き直ると、いくつかの言葉を並べていく。

「アクセス――システム・ドライブ」

 紡がれていく言葉に合わせ、鉱石の様子が段々と変わり始めた。

 輝きが増し、美しさが増す一方で――同時に、恐ろしさに拍車が掛かる。

 無機質なはずの鉱石であるのに、それはどこか、卵の殻を思わせる。何かが生まれ出る様を、まざまざと見せつけられている様な感覚だ。

 誕生は消滅と表裏一体。

 生と死の狭間を見せつけられている様なイメージに囚われるも、キリエはただ待つことしか出来ない。

 

「――――〝ウィルスコード〟、起動」

 

 そうして、最後の一節が紡がれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 一気に輝きを増した〝永遠結晶〟の眩さに圧されながらも、キリエは起こり始めた変化を見逃すまいと目を凝らす。

 目を凝らした先では、イリスが何も言わずにただ笑らっているのが見えた。

 ならば、少なくとも何かが起こり始めていることだけは確かだ。どうにかそれを見極めようとしたキリエだったが――。

 

「――そこまでだ!」

 

 彼女がそれを知るよりも先に、其処へ乱入してきた者たちの姿が目に飛び込んだ。

 〝永遠結晶〟の納められていた展示用水槽(ケース)の天井部分から、彼らは彼女らの前に降り立った。

 どうやら天井部分の淵を壊してここへ飛び込んで来たらしい。ガラス張りの透かしのようになっていた為、奇襲に利用された様である。

 奇襲と共に拘束を施され、割られたガラスが何らかの術式によってキリエたちに差し向けられている。しかも掛けられた拘束帯(バインド)には、何らかの術式阻害が伴われており、解除は容易ではなさそうだ。

 一度視たものと似ているが、僅かに違う。

 すぐさま解析を走らせることも出来ず、キリエは差し向けられた制圧の手を前に何も出来なくなってしまった。

 そして、二人の拘束が十分に施されたことを確認し――少女らに制止を呼びかけた黒衣の防護服に身を包んだ魔導師が、再度宣告を投げかける。

「時空管理局・執務官、クロノ・ハラオウンだ。

 キリエ・フローリアン、そしてイリス。次元法違反の現行犯で、逮捕する!」

 ここでもまた邪魔が入るのか、とキリエは苦々しく歯噛みした。

 せっかく、目的の完遂まであと一歩というところだというのに――またしても邪魔が入るのか、と。

 願ったのは、決して間違いではない。なのに、誰しもが寄って集って邪魔をする。

 ……挙句、救いたかった姉でさえもそうだ。

 つくづく自分の目的への障害の多さを呪うキリエだったが、その苛立ちが火を散らすよりも早く――。

 

「もう遅いわ」

 

 何か、黒い影を思わせる冷たい旋律のように、場に響いた声が彼女らを凍らせる。

「…………え?」

 そして、その声がイリスのものだったと気づいた頃には。

 

「だけど、ちょうど良かった。――身体を造る為の()()が必要だったから」

 

 ――――彼女の立っていた場所は、とっくに地獄に変わっていた。

 

 

 

「……? っ、ぐ……ぅぅ!」

「ごぼっ……!?」

「ご――ぐおぇッ!!」

「ぉ、ぐ――ぅ、……ッッ!!??」

「……が――ぁ、ああああああああッッッ!!!???」

 

 迸る飛沫(せんけつ)と、

 響き渡る悲鳴。

 (みみ)を覆いたくなるような光景(おと)を前にしても尚、何がなんだか分からない。

 思考の追い付かない現実(あくむ)への驚愕に目を見開いたまま、キリエは為す術なく立ち尽くしていた。

 しかし、彼女がそうしていようと、構うことなく空間を渡る阿鼻叫喚の連鎖は続く。

 血と肉が抉れ、魔導師たちの身体から溢れたそれが、何か別のモノに変わる。

 彼らの血肉に反応するように、水槽が砕け散り、割れた破片が音を立てて床にまき散らされた。

 〝永遠結晶〟が、いっそう妖しい光を放つ。

 いや、もうそれは結晶とさえ呼べない。鉱石は納められていた水槽(いれもの)と同じように外殻(から)を砕き割り、自らの中身を晒していた。

 五枚の盾、あるいは〝翼〟か。

 何なのか分からない。しかし、思考を底なし沼にでも囚われた様なキリエを置き去って、現実はどこまでも先へ進む。

 魔導師たちの血肉が、木が根を生やし降ろすよう様にして床を這う。

 それらはまるで光を求める新芽の如く、ある一点へと集結して行った。そして、その一点には――。

 キリエが、最も信頼している人物が立っていた。

「……イリ、ス……?」

 名を呼ぶも、返事は直ぐに返ってこない。しかし文字通り、彼女はそこに立っている。

 実体を持たない筈の少女は、今この時を以て仮初の肉体を脱し――己の足で、地面に立っていた。

 だが、そこに立っていた彼女は、キリエの知るそれとは異なる風貌をしている。

 薄紅色の双眸と髪はそのままだが、纏った鬱金香(チューリップ)を逆さにしたような戦闘装束(ドレス)は、以前よりも赤の色彩が濃い物に。

 十四歳程度だった肉体は、姉のアミタと同じか、それよりも一つ上くらいの印象を受けるまでに成長を遂げている。

 柔和だった表情は鋭く変わり、朗らかな表情はまるで氷の様に色を無くしていた。

 同じ少女の相反する印象に苛まれながら、キリエは呆然と立ち尽くす。

 そうして、幾ばくかの時が流れ――。

 イリスが振り向くと共に、一時の静寂が明けた。

 

「あのねキリエ。

 この〝永遠結晶〟の中には、()()が一羽眠ってるの。途方もない力を持った、悪魔が――」

 

 だが、その静寂が明けてもキリエには、イリスの言っていることが呑み込めない。

 悪魔? この鉱石の中で、眠っている……?

 聞こえて来た言葉に対し、様々な思考が頭の中で乱立を始める。しかし、正直なところを言えば、『在り得ない』というのが初めに浮かんだ思考だろうか。

 そもそもキリエ自身、今の自分を取り囲む展開に追いつけてさえいないのだ。急に悪魔などと言われても、直ぐに理解出来るはずもない。

 しかし、そんなキリエを休ませる間もなく、イリスは次々と言葉を並べるばかり。

「だけど悪魔(コレ)は、〝星を救う〟とか、〝あなたのパパを助ける〟とか、()()()()()()()使()()()()()

 ……決して認められない、これまでのすべてを無駄にする様な否定の言葉を、何の躊躇いもなくイリスは並べ立てる。

 

「――――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 目の前でイリスの口走る言葉の意味を、キリエは理解出来なかった。

 というより、在り得ない。そういった気持ちの方が大きすぎて、認めることが出来なかったのだ。……何故なら、イリスはキリエにとって、何よりも大切な友達だから。

 

「でも、イリス……〝永遠結晶〟はエルトリア救済の為の力だって……」

 

 声の震えを無理やり抑えながら、キリエはイリスに問い掛ける。

 全部。

 ここまでの言葉全てが、悪い冗談だったのだろう、と。

 

 

「ごめんね、ウソをついたわ」

 

 

 しかし、その想いは――。

 

「パパの病気も、治るかもって……!」

「それもウソ」

 

 結局は全て、悪夢(げんじつ)という名の壁に阻まれる。

 

「だってそう言わなきゃ、あなたに手伝わせるコトが出来なかったから」

 

 にべもなく切り捨てられて行く言葉。

 抱いた願いは幻想でしかなく、もう既に疑いさえも失われていく。

 事実は事実。

 現実は現実。

 決して覆ることの無い、当たり前の道理。

 しかし、それでも。……それでもまだ、キリエはイリスを信じていたかった。

 痛みを伴い、傷を受け――。

 理解してはいけないと心を磨り潰しながらも、信じたかった。

 ここまで来た理由も、沢山のモノを傷つけてきたのも。始まりの気持ちは、覆らない現実を覆したいという願いだったのだから。

 

「……イリス、ウソ……だよね?」

 

 だから、キリエはそう訊いた。

 違うと言って欲しくて、否定が欲しくて。

 

「――()()()()()()()()()

 

 けれどその願いは、都合のよすぎた幻想の様に、呆気なく花と散る。

 まるでそれは、大人になってしまった子供が、自らの希望を忘れ去ってしまうかのように。

 何もかもが違って。

 何もかもが虚実(にせもの)でしかなかったのだという肯定(ひてい)と共に、イリスはキリエとの〝絆〟という〝嘘〟を切り捨てた。

 

「あなたに話したことも。あなたに言った言葉も。出会ってからの全部が、ウソ」

 

 紡がれる音が耳に届くたびに、何かが軋むような音がする。

 イリスの言葉の全てが、キリエの全てを壊してく。

「…………う、そ……?」

「ええ。本当(ウソ)よ――だって何もかもが、あなたの勝手な勘違いだったんだもの」

 頬を伝う微かな(なみだ)の意味は、果たして怒りか悲しみか。

 何もかもがないまぜになった中で、イリスはキリエを撃ち抜く。

「ぁ、うっ――――」

 自分を襲った衝撃が身体中を掻き回す。

 痛みを痛みとさえ思えないほどに、白熱した鋼を押し付けられたような感覚が襲うと共に、迫り上がってくる塊に喘ぎ、咳き込んだ。

「ごほ……がぼっ……」

 咳き込むたび、鉄の味が舌を包む。

 吐き出された鮮血が床を染めるごとに、キリエの思考が段々と白く染まる。

 そうして熱く粘りつく様な味は、自分の命が……最も信じていたはずの者に削られたという揺らがぬ証明(じじつ)となり、彼女を蝕んでいく。

 段々と冷めていく理性が、漸く現実(いま)を理解し始める。

 ……だというのに、そこまで行きながらも、まだキリエは諦められていなかった。

 縋る様な目でイリスを見る。

 だが、倒れ伏せたキリエを蔑むような眼で見下ろしながら、イリスは。

 

「こうまでされて、まだあたしに縋るつもり? ……ホント、何時までもずっと変わらないのね、あなたは」

 

 呆れたようにイリスは吐き捨て、キリエを罵倒する。

 これまでずっと隠してきた鬱憤を晴らすかの如く、言葉という刃を突き立て、責め立て始めた。

「……まったく、甘ったれのあなたに付き合うのは大変だったわ」

 被った〝迷惑〟を突き返していくイリス。

 何時もうじうじと下らないことで悩み、その度に自分を頼っていた。

 時に親身に、時に励まし。時には叱りながらも、先へ進む道を指し示す。

 何度も、何度も。

 それなのに、いつまでも学ばない。

 ずっとずっと、一人じゃ何にもできないから、キリエはイリス無しで何かを成せたことがない。

 役立たずだと告げるように。

 もしくは、成せたと思っていた幻想が利用されていただけの傀儡の業だったのだと突きつけるように。

 しかし、

「――――だけど一応、少しは感謝してるから教えてあげる」

 義理立てを果たす様に、これまで傀儡に甘んじていた分だけは返して置く。

 そう言ってイリスは、ほんの少しだけ真実を語り出した。これまでひたすらに隠し続けて来た、自分のことを――まるで、自分たちの終わりを見せつける様にしながら。

 

()()()は人工知能なんかじゃない。エルトリアで暮らしてた、〝人間〟だった。――――だけどこの悪魔に、()()()は命も家族も大切なものも、全部奪われて……心だけが生き残ったまま、あの遺跡板の中で眠ってた」

 

 告げられた初めての真実は、これまでの彼女へ対する認識をがらりと変えた。

 妖精。

 遺跡板の主。

 人格を持った仮想体。

 …………もう一人の、姉。

 抱いていた全部が変わり行く。

 優しく自分を導き続けてくれたイリスが、自分以上に目的に執着していた復讐の鬼だったという真実に、塗り潰されて行く――。

「だから、ずっとずっと――眠っている間もずっと、()()()()()。この悪魔に復讐するための方法を」

 浮かぶ〝翼〟――未だに目覚めぬ〝悪魔〟を睨みつけながら、イリスは苦虫を噛み潰した様に最後にそう結ぶ。

 自分の目的は全てコレだったのだ、と。

 そのために、キリエを利用し続けていたのだと。

「……でも……ッ」

 事情は分かった。細かい経緯はともかく、イリスもまた悲しみを背負ったものだったのだと理解した。

 だが、その為に騙されていたと知り、キリエは強い悲しみの波に呑まれていく。

 何で話してくれなかったのか。

 どうして教えてくれなかったのか。

 最初から、それを教えてくれていれば――こんなことまでしなくても、よかったのに。

 と、そう責めるような思考が湧き起こる。

 信頼を逆手に取ったような思考。

 それはある意味正しく、何よりも間違っている。

 ――少なくとも、この場においてそれは鬼門(タブー)だ。

 

「…………だけどっ、だからって……!」

「――――心から願った〝思い〟があるなら、()()()()()()()()()()()()()()

 

 何故ならそれは――。

 キリエが、決して抱いてはいけない思考であるが故に。

 

「――――ぁ」

「キリエもそうやって、自分の願いを叶えようとしていたでしょ?」

 

 再び突きつけられた刃に、遂にキリエの心が完全に砕け散った。

 抱いていた覚悟はもう紙切れ以下。

 割れた心の、罅だらけの欠片(のこりかす)

 それさえも更に磨り潰すように、罪悪感という槌が打ち付ける。

 ――――沢山の〝傷〟が思い浮かんだ。

 高速道路の上で、自分が叩き落したアルフとザフィーラ。

 ヴォルケンリッターやはやて、アミタ。なのはとフェイト、ユーノ。そして、最後に撃ち抜いたリインの姿が。

 ……あの傷は全て、キリエが分かっていて作ったものだ。

 悲しみを無くすために。これから先にどんな咎を背負うことになろうと、正しいと信じたことを成そうとしたが故に。

 が、それも視点(みかた)を変えてしまえば――ただの自己満足。

 それどころか、本来なら此方の事情など、傷つけられた側からすれば知った事ではない。

 偶々、善性の範疇に収まっていただけ。こちら側さえ重んじるような、行ってしまえばお人好しの中にいただけの話だ。

 

 ――では、その境が取り払われてしまったとしたらどうか。

 

 全部を客観的に、キリエのしてきたことを端的に言ってしまえば、それは。

「みんなを傷つけて、わたしを利用して……それでも叶えたかったんでしょう? ()()()()()()が被る迷惑より、自分の〝目的(ねがい)〟の方が大事だから――――」

とどのつまり、いま自分が受けているものと、何ら変わりないのではないか。――否。それどころか、自分の意志や方法を他人に任せっきりだった分、己の方が遥かに酷いのではないだろうか……?

 決定的だ。

 逡巡を経るたび、生まれる痛みがそれを物語る。

 キリエの中にあった何かがガラガラと崩れていくのが、何よりの証拠だと言えよう。

 けれど、認めたくない。

 自分のこれまでは、こんな酷いものではない。

 だから、キリエは否定してようとした。……だが、イリスはそれを許さない。

「ち……ちが……っ」

「おんなじよ」

 いまさら、都合のいい逃避など認めない。

 自分たちは目的を掲げ、それを成そうと足掻いた。

 そこで傷つくモノに、どれほどの情けをかけたのかなど瑣末なことだ。

 つまるところ、欲したのは変わらない。

 本質そのものは、何一つとして違わない。

 だから、イリスはこう言った。傷だらけのキリエの心全てを踏み躙り、自分たちの本質を刻み付ける為に。

()()()()()()も、何も変わらない」

 突きつけられた言葉が、屍になった心を抉り続ける。痛くて痛くて、助けてと叫びたかった。

 でも、誰も助けてなどくれない。

 分かっていたからこそ、認めたくなかった。

 救えるのが自分だけなら、違うと言わなくてはならなかった。

 しかし、それこそがウソだと思おうとしても……。

 既に矜持などは失って、決して欠けさせないと決めた決意さえ、今となっては塵も同然。

 

 ――最早、今の自分(キリエ)を守るモノなど、何も無い。

 

 信じていたはずのものは砕け散り、

 確かだったはずの道標はもうどこにもない。

 それが正しい事実で、目の前の現実。

 何一つとして形を残さない彼女に、再び立ち上がるきっかけなど皆無。

 ……そう。

 どこまでも、今のキリエは――〝ひとりぼっち〟だった。

 

「…………っ、ぅ…………ぅ」

 

 ……零れていく涙は、嘗て卑怯だと堪えたもの。

 しかし、最早あったはずの自分(かくご)を失った今のキリエには、留める堰を用意することなど出来なかった。

 出来たのは捨てられた赤子の様に、涙を流す事だけ。

 そんな彼女を見ても、イリスは何も言わない。

 だが、別にそれは情けを掛けている訳でも、これ以上責め立てる気が失せたからですらない。

 イリスがそうしなかった理由は、実に単純である。

 用済みの駒に、これ以上語る意味(コトバ)など無く――

 願いの本質を直視出来ず、この程度で起き上がれない者になど興味が無いというだけのこと。

 故に、

 

「……お話は終わり。

 それじゃ、バイバイ――――()()()()()()()()

 

 イリスは最後にこう言い捨て、キリエという存在への関心を完全に捨てた。

 

 〝――もう要らない――〟

 

 と、暗に告げる様にしながら。

 無様だと罵るでも、情けないと誹るでもなく――。

 

 〝信頼(きずな)〟という幻想を砕き、キリエという少女の〝希望(ユメ)〟だけを否定して――その場の全てへの興味を失ったように、イリスはただ静かに立ち去って行った。

 

 

 

 ――少女が上空(そら)へ消えた痕には、微かな嗚咽だけが残るのみ。

 虚空(フロア)に響く音は、痛々しさしか残さない。

 

 それ以上の音は消えている。

 

 地獄だった場所は、もう地獄ですらない。

 何もかもを失くしてしまった少女にとって、其処はただの伽藍洞。

 

 ――――自分が願っていた筈の理想(ひかり)さえも失って、キリエはたった独りで泣いていた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。