~魔法少女リリカルなのはReflection if story~ 作:形右
√はやてでございます。
夜空の誘い √_Ⅱ
じゃんけんに勝つ確率、実のところそれはかなり容易く変わる。
確率の算出をしようとも、精神的誘導をしようとも、ちょっとしたことで容易く変わってしまうのだ。
緊張からグーを出す、これまでの傾向からチョキが一手目にくる、脱力しているからパーでくる、それらを誘導するべく言葉を重ねるなどといったことも、些細な変動により思惑の方向が百八十度変わることも珍しく無い。
初動の瞬間に千の戦略を思いついた賢者がいたとしても、たった一手でそれを全て瓦解させに来る愚者もいる。
なればこそ、本気で臨んだその瞬間。自分の信じた一手に全てを委ねる。
勝負を分けたのは、たったそれだけのことだった――――。
――――じゃーんけーん、ポン!
***
「ご飯もうすぐやから、もう少し待ってなぁ~」
台所から聞こえてくるはやての優しげな声と共に、八神家にいい香りが漂い始める。
テキパキと作業をこなしながら、はやてと助手のシャマルが本日の晩御飯作りに奮闘しており、美味しそうな料理が次々と出来上がっていく。
それを聞き、リビングではヴィータがくせ毛をぴょこぴょことさせながら、ユーノの膝を枕にしてソファに寝転びつつ、楽しげに完成を待っていた。
「~~♪」
「ご機嫌だね、ヴィータ」
「たりめーだろ〜? はやてのご飯はギカウマだからな!」
「そっか、僕も楽しみになってきたよ」
「だろ~?」
すっかり仲良し。
そんな二人を見て、シグナムは夕刊を片手に微笑むと、足元でくつろいでいる八神家の守護獣ザフィーラにこういった。
「ああしていると、まるで兄妹だな」
「そうだな。あの二人ならば、気の強い妹とそれを諌める兄の構図が良く似合う」
「違いない」
くくっ、と笑いながら、二人はそんなことを考えていた。
だが、忘れてはならない。この家には、最近生まれたばかりの末っ子がいるということを。
「ユーノさん、ユーノさん。また面白いお話聞かせてください!」
ふわりふわりと二人の周辺を飛ぶのは、まるで風の妖精のような見た目の小さな少女。
かつて、闇の呪いに囚われてしまい、夜天の空へと還って行った祝福の風。
その名を受け継いだ、新たなる風の少女。
それが彼女、リインフォース・ツヴァイ――通称・リインである。
ヒュンヒュンふわりとユーノとヴィータの周りを飛び、お話を聞かせて下さいとおねだりしている。
お茶会の時に丁度お昼寝タイムだったため、はやての杖であるシュベルト・クロイツの中で眠っていたのでユーノたちの話を聞きそびれてしまったのだ。
「うん。じゃあ、リインはどんな話がいいかな?」
「それじゃあ、えーと……」
そして、聞きたいことを決めたリインはユーノの肩に乗り、彼の話をニコニコと聞き始めた。
夕飯前の、和やかなひと時。
そんな八神家の懐に包まれながら、ユーノはこの家で過ごす時間を、心の底から楽しいと感じていた――
それから程なくして、はやての料理が完成し食卓を次々と彩っていく。
出来上がった料理を運ぶのを手伝うべく、自然と皆が配膳へと回っていき、一頻り並べ終えたところで一同は席に着いた。
それを見計らい、はやてがみんなに声を掛ける。
「さて、ほんなら用意できたし食べよか。みんな」
日本の作法に則り、食前の礼を皆で口にする。はやてをはじめとし、皆が手を合わせ、声を重ねる。
「「「いただきます」」」
声が重なり合ったのもつかの間。
ヴィータが一番槍を切るとそれに続くようにシグナム、ユーノと流れが続いて行き、はやてとシャマルはそれらを微笑ましげに見ながら自分たちも箸を動かしていく。
「やっぱはやてのご飯はギガうまだな~」
「ふふ、ありがとうなー。ヴィータ」
いつもの様に、美味しいといってくれるヴィータに、はやてはにこにこと笑って応えた。
笑顔で食べてくれる人は、作る側にとってこれ以上ないご褒美だ。
そうして喜んでくれる人がいるからこそ、もっと美味しく作りたいと願い、また大切な人たちの笑顔が見たくなる。
そんなささやかな幸せの連鎖が、たまらなく嬉しいのだろう。ヴィータとはやてのやり取りを見て、ユーノはそう思った。
「はやての料理は、皆の笑顔の元なんだね」
そういうと、はやてはとっても嬉しそうにユーノにはにかんでこう応えた。
「えへへ、ありがとう。わたし、皆とこうなる前はずっと一人やったから、誰かに美味しいって言ってもらえるのが、凄く嬉しかったんよ」
両親が早くに亡くなり、ずっと一人で生活していたはやてにとって、ヴォルケンのみんなと過ごす食は――自分の得意な料理を喜んで食べてもらえる食卓を囲むひと時は、何物にも代えがたい幸福な時間の一つになっていったんだろう。
「それで、ユーノくん。お味の方はどない?」
「うん。すごく美味しいよ、はやて」
賑やかな食事、誰かと食べる食事というのは、ただものを食べるということ以上の意味がある。
温かな時間を共に過ごし、笑みのこぼれる様な楽しさを共にできる。一緒にいるのだと、強くお互いの繋がりを感じられるのだ。
それは、ユーノにもまた、分かる。
このひと時が、どれほど代えがたいものなのかということが、ユーノも、ほんの少しだけ、はやてと似通った部分があったからこそ、その気持ちがよくわかる。
染み入るような温もりを感じながら、ユーノは今日八神家へと訪れることができたのを幸運に思いながら、自身も箸を伸ばしはやての料理を平らげていく。
そうして談笑を交えながら、ゆったりと温かい時間が過ぎていった――――。
***
楽しい食事の時間を終え、ユーノは一人、テラスで星を眺めていた。
慣れ親しんだ本局の人口の空とも、共に育った『スクライア』の皆とまた様々な世界の星々とも違う、地球の星。
夜空を彩るその輝きに、目だけでなく心までも吸い込まれてしまいそうだ。
空を見上げるとき……その心境は様々かもしれないが、そこに抱く
そんなことを考えていると、背後から声をかけられた。
「ここにいたのか、スクライア」
桃色の髪をポニーテールに結った女性、シグナムがすぐ後ろに立っていた。
「シグナムさん」
「私もいますよー?」
声を返すと、シグナムの隣にいたショートカットの金髪の女性、シャマルもユーノに声を掛けてきた。
「シャマル先生も……どうしたんですか?」
「別にどうってことはないんだけど、ただユーノくんが星を眺めていたのを見かけたからかな?」
シグナムの方へ視線を向け、どことなく問いかける様にシャマルはそういった。シグナムもまた、その問いに首肯して言葉を続ける。
「まあ、ずいぶんと熱心に見ていたようだったからな。少し興味がわいたといったところだ」
「あぁ、なるほど……」
「地球の星も結構良いものよね。ユーノくんが熱心に見る気持ち、私たちにもわかるわ」
シャマルたちもまた、ユーノと同じようにこの世界――第九七管理外世界・地球の出身ではない。
その上、元々はただの人間というわけでもなく、ユーノたちの住む『ミッドチルダ』に近しい次元にかつて存在した次元世界『ベルカ』で生まれた
地球どころか、ユーノたちからしてもかなり遠い生まれだ。
だからこそ、また同時にユーノの気持ちもわかるのだといえるのかもしれない。
ユーノの出身は、正確に言えばミッドチルダではない。
彼は放浪の一族『スクライア』の出身で、かの一族の所在は転々としている。
故に、彼らは決まった故郷を持たない。
過去の調査、歴史が編纂して来たそれらの痕跡を探索していくその心があれば、彼らは何処へ居ても『スクライア』である。だからこそ、ユーノにとっての自分だけの故郷といったものが、場所としてはないのだ。
故郷という居場所は、一族のみんなの居る場所。
彼らにとっては、座標としての帰巣という意味には当てはまらないそれが、絆としての帰るべき場所なのだろう。
そんな数多の世界を見てきた人間だからこそ、こうして星を見上げるという事の意味を分かり合えるのかもしれない。
「えぇ、シャマル先生の言う通り、地球の星はとっても綺麗ですよね」
そう呟くと、ユーノはもう一度空を見上げる。
珍しくぼぅっとした目で空を見るユーノを見て、シグナムとシャマルはもう少し彼に付き合うことに。
何となくもう少し星を見ようとしたのもあるが、考え込むようにぼんやりとしたユーノの様子が少しばかり気になったというのもある。
「……どうか、したのか?」
「いや、大したことじゃないんです。ただ……ほんの少し、昔を思い出しただけで」
どこか弱さを感じさせる笑み。
何だか寂しげなユーノの表情を見て、シグナムはそれ以上何も言わず「そうか」とだけ言うと、ユーノの頭をそっと撫でて抱き寄せる。
「……? し、シグナムさん?」
少し慌てたユーノだったが、シグナムは静かにただ頭を撫でるだけだ。
気恥ずかしさよりも、そこに在るのはなんだかわからないが、とてもそっと安心できるような抱擁感だけが、ユーノを包む。
そんなシグナムとユーノをシャマルは「あらあら~」と楽し気に見ていた。
「でも、シグナムばっかりでずるいわ。私も私も~」
「ふむ。じゃあ、交代だな」
「え、ちょ……っ」
「やったぁ~♪」
「しゃ、シャマル先生……!?」
「まぁまぁ、そんな恥ずかしがらなくてもいいじゃない。おねーさんたちに甘えていいのよぉ?」
ユーノが赤面するごとに、ますます楽しそうにからかうように可愛がっているシャマル。
女所帯なこともあってか、男の子というのもどこか目新しさがあったのだろう。加えて、シャマル本人の相手を癒す側といった気質も相まって、すっかり甘やかしモードに入ったままユーノをもみくちゃにしていく。
「ほどほどにしておけよ? ヴィータ辺りに見られたら怒られるからな」
「あ、確かに~。お兄ちゃんを取られたーって、ヴィータちゃん怒っちゃうわねぇ~」
「いや、別にヴィータはそんなことで怒らないとは思うんですけど……」
「そう? じゃあ、遠慮なく~」
「あ、いや……そ、そういうことじゃなくってぇ――ッ!?」
「おいシャマル、そろそろ私にも譲れ」
「シグナムさ―んっ!?」
その後すっかり大人二人に可愛がられ、ユーノはなんだかものすごく恥ずかしかったような……凄く心地よかったような、不思議な感覚にしばらく悶々と、顔を赤くしたまましばらくソファに体育座りをしていたとかなんとか――――。
少しして、
「……、何してんだ?」
「…………いや、その」
ソファで顔を赤くしてるユーノを見て、お風呂上がりのヴィータが怪訝そうな顔をして問いかけてきた。
「……はぁ。ま、大方予想はつくけどさー」
呆れたように言いつつも、本気でどうしようもないと思っている様でもなく――ぽすっ、とユーノにもたれ掛かるようにして座るヴィータ。
「気にすんなって。あたしもよくやられる」
「……はは」
力なく笑い、ユーノは仕方ないかなと諦めの境地を知る。
ため息をついているユーノをよそに、彼の身体にもたれているヴィータはユーノに体育座りを崩してとお願いしてくる。
「それよりさ、そろそろ足崩してくれよ。あたしが寝れない」
なんだか流され、このお願いも腑に落ちなかったが……それ自体が別に嫌なわけでも何でもないので、大人しく足を崩して彼女の頭を自身の膝へ置く。
「やっぱいいなお前の膝。はやての隣で寝る次にだけど」
「たはは……それは光栄だ。鉄槌の騎士のお気に入りなんてね」
「だろ?」
にっこり笑ったヴィータを撫でていると、ユーノの気分はすっかりと晴れてしまっていた。
先程のことにしても、シグナムたちはユーノのことをかまってくれていただけで、それはとても嬉しかった。
一人で星空を眺めるだけではなく、誰かとそれを見る。
それだけのことで、どこか安らぐような感覚。それは一人で業務にあたることが多かったユーノにとって、とても有意義なものになっただろう。
「……いい顔してるよ」
「え?」
「なんでもねーですよ」
よく聞こえなかったユーノが問い返すが、それにヴィータは答えず、ただ満足そうにそういった。
本局の廊下で彼を見ていた時から、どことなく感じていた不満にも似たその気持ち。
こうして彼がここにいることで、少しは彼にそれが伝わっていればそれでいい。そう彼女は考えていた。
「楽しかっただろ? 割とさ」
ボソリとつぶやいた言葉は、今度こそ彼には届かなかったようだ。
けれど、それでもいい。
これの発端はなのはのお節介で、こうして彼がここにいるのはヴィータの縁だ。
とはいえ、じゃんけんの運がはやてとヴィータに味方したのは、それ以外のまったくの偶然だったのだが……まぁ、それは言いっこなしだろう。
今この瞬間が、とても楽しいのであれば、きっとそれだけで――。
「――ありがとう。ヴィータ」
ふと聞こえた声に、どことなく気恥ずかしさを覚える。
「……んだよ、聞こえてたのか?」
口をとがらせてそう訊くが、
「ううん、聞こえなかった。でも……ヴィータの顔見たら、解った気がしたんだ。だから、ありがとう」
今日声をかけてくれて、呼んでくれて、楽しい時間をくれて、ありがとう。
そんな、心からこぼれた、ささやかな感謝の言葉だった。
「おう……よかったよ、ホントに」
どことなくぶっきらぼうにそういったが、言い方とは裏腹に、それはとても優しい声音だった。
「……っ、ぁ……」
青い瞳に見つめられ、優し気な微笑みを直視したユーノは、思わずヴィータに見惚れてしまう。
思わず顔に熱が集まる。
ただ恥ずかしいだけではなく、不意打ちにも似たそれに、ユーノの鼓動は著しく高まっていた。
「……どうした?」
「いや、なんでも……ないよ?」
つい誤魔化し、言葉尻を濁す。
早くなっていく音の意味には気づかれなかったが、そんな態度はほんの少し認識を逸らしてしまったようで、
「??? まぁ、良いけどさ。お前、抱え込みやすそーなタイプだからよ。なんかよくない事とかあったなら、あたしだけじゃなく、他の皆にも相談したりしろよ? ため込んでたって、なんにもなんねーからな」
と、ヴィータはユーノへ向けてそんなことを言った。
それが、ますますこそばゆくて。
「うん……ヴィータは、本当にいい子だね」
「……子供扱いすんなっ」
ついつい出てきたのはそんな言葉だった。ちょうどそれは、彼女と本局であったときに交わしたやり取りのそれに近くて――思わず思い返したのは、自分を引いてくれた手の温もり。
それは、こんな安らぎを与えてくれた、ヴィータの優しい心そのものだった。
また少し拗ねてしまったような彼女を宥めつつ、お風呂から上がったらしいはやてたちが此方へ来た音が聞こえる。
その後、はやてがユーノにお風呂をどうぞと声をかける。
それを受け、ユーノはヴィータの頭をそっとソファに降ろした後、お風呂へと向かって行った。
「どうしたヴィータ、そんなつまらなそうな顔をして。主と風呂に入りたかったのであればそういえばよかっただろう?」
「……これは、そっちじゃねーよ」
「ふ……そうか」
シグナムが「なるほど」と呟いて静かに笑うと、ますます面白くなさそうにヴィータは拗ねた表情を見せる。
結局、はやてに十分ばかり撫でられて漸く機嫌を直すまで、彼女はずっとむくれていたのだったとさ。
ヴィータに思わず見とれてしまった後、はやての呼びかけに応えてお風呂へと向かう。
何だか髪を洗っているとき、何故か後ろに視線を感じた様な気がするが、実際に背後に誰かいたなどという事はなかった。……きっと、別の世界からの電波だったのだろう。可能性的な意味で。
そして、上がってリビングへと向かう。
まだみんな起きていて、そこにはパジャマ姿のみんながいた。ちなみに、ユーノのパジャマはここへ来る途中、夕飯の買い物のついでに購入しておいたものだ。
選んだのははやてで、薄緑のジャージタイプのそれはとてもユーノに似合っていた。
「お風呂どないやった? ユーノくん」
「とっても良かったよ。ありがとね、はやて」
「くつろげたんやったら良かったわぁー。そんでなぁ、ユーノくん。今日ユーノくんの寝るとこどうしようかて、話してたとこなんよ」
なんでも、ユーノの寝床をどこにしようかという話らしい。
はやての両親の部屋をシグナムとシャマルが使っていて、はやての部屋ではヴィータとはやてが寝ている。ザフィーラは獣の姿が本来なこともあって、寝床は普通に犬用のベッドで済ませている。
「せやから、わたしらかシグナムたちのとこかで、どっちにしようかなーって話してたとこなんやけど――」
「ちょっと待って。なんだか話が根本から間違っているような気がする」
「「「えー」」」
はやてとシャマル、そしてリインから不満そうな声が漏れる。
いつの間にかシュベルトクロイツから出て来ていたらしいリインも、せっかくの来客に一緒に寝ようと言っている。
だが、そんなことで引き下がってしまったが最後、色々と拙いことになるだろう予感が警告を発している。だからこそ、ユーノはフェレットモードになってザフィーラさんと一緒でもいいと宣ったのだが、
「……(じゅるり)」
「……ユーノくん、そっちもいける口やったん?」
「」
その言葉を受けたシャマルとはやての反応に言葉を失った。
先ほど以上に、選択肢を誤っているのだと本能が必要以上に警告を発している。
きらきらとした目で見ないでくださいシャマル先生。何をそんなに喜んでるんですか貴女は、というかその手に持ったメモはいったい……? ユーノの脳裏には、そんなヘンな思考だけが残る。
一つ書き残すことがあるとすれば、ユーノは「あきらめろ」といいながらヴィータが肩に置いた手を、先程とは絶対に違うだろう心境で取ることになった。
「おめぇは間違わなかった、それだけでいいじゃねぇか」
「……うん……」
その慰めが、なんだかとても痛く心に残ったことをユーノだけが覚えている。
そして深夜――。
「…………」
眠れる筈も無いこの状況で、ユーノは悶々としながら過ぎていく時間を感じていた。
明日はなのはたちの早朝エキシビションがあるというのに、見せたいと言ってくれたなのはたちの言をないがしろにすることだけは、ユーノの性格上絶対にできない。
徹夜などは『無限書庫』の業務で慣れてはいるが、この類の耐性に関しては皆無なユーノにとって、この状況はかなり鬼門といってもよかった。
背を向けてこそいるが、背中越しにヴィータとはやて、そしてリインの三人の寝息が聞こえてくる。
正直逃げ出したいような気もしたが、逃げ出してどうこうなるものでもない。
結局動くことすらできないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
そんな時、
「ふふ、寝られへんの? ユーノくん」
急に耳元で囁き声が聞こえ、ぞわっと背筋を撫でる感覚に、ユーノはベッドの端から落ちそうになる。
「は、はやて……!」
小さく、けれど強く抗議の声を上げた。
ゴメンゴメンと笑っているはやては、上半身を起こして口元をユーノに近づけて先ほどの声を浴びせてきたらしい。
なんとも心臓に悪い悪戯だ、とユーノは動悸が激しくなった胸をなでおろした。
何ではやてがまだ起きてるのか知らないが、向こうが上半身を起こしているのに合わせてユーノも身体を起こす。
「どうしたのさ、一体……」
「うーん、あからさまにユーノくんが眠れてへんよーやったから、少し話し相手になろうと思って」
それはまた有難い申し出だが、しかし。
「…………」
ちらり、とはやてを見る。
「??? どないしたん?」
彼女は気づいてはいないが、夜を照らす月の光に照らされている姿は、どことなく幻想的だ。流石は夜の空を司る主なだけはある、といったところか。
「何というか、さ……その」
「んー?」
けれど、知識の申し子であるようなユーノも、彼女の前では形無しだ。
今の彼女を指して、そして表現する言葉を上手く紡ぐこともできないのだから。
言い淀むユーノに、はやては不思議そうな顔をしているだけだ。しかし、だからといって月並みに綺麗だと言葉にするのは、一体どうなんだろうかと思いもした。
「……なんでもない」
「えー? 教えてくれてもえーやん」
「わっ……は、はやて!」
ねぇねぇ、とユーノを軽く揺するはやて。
ヴィータとリインが間で寝ているというのに、随分な豪胆ぶりだと、どこか他人事のようにユーノは考えていた。
そこで、
「ん……、……んっ」
何だか煩げに、ヴィータが身をよじる。
「……おっと……」
はやてはそれを見て、少しはしゃぎすぎたかなと動きを止める。
「ごめんなぁ、ヴィータ」
優しく頭をなでると、ヴィータは寄せていた眉をすぐに離して安らかな寝顔を取り戻す。
そんなはやての様子を見て、ユーノは先程までの気恥ずかしさも忘れてしまい、はやてのことをじっと見つめてしまう。
まるで慈母のような雰囲気を醸し出す彼女に、思わず見惚れてしまっていた。
口は半開きになり、そこから漏れ出すのはただの音。
だが、たった一つ――それは呟きとなる。
「――綺麗だ――」
ぽつり、と呟きとなった音が口から零れ落ちる。
零してからハッと我に返り、この家に来てからずっとそんな風に誰かに見とれっぱなしだという事を自覚して、ユーノは硬直する。
「あ……い、いまのは……えっと」
「――――」
はやては一瞬きょとんとしてから、ユーノのことをしげしげと眺めてきた。
「ふふっ。ユーノくん、何だか随分と口が軽くなってるみたいやね?」
その笑顔は、月明かりの下で益々眩しくなって――。
「だ、だからそれは……」
「んー? じゃあ、わたしのこと綺麗っていってくれたのは、嘘なん?」
分かり切ったことだ、そんなのは。
そんなのは、最初から……決まっている。
「嘘じゃ……ない」
「そっか。ありがとーなぁ」
顔が熱い。
ユーノはもう自分が何を言っているのかという文面以外、何も理解することを放棄している様だった。
いや、もしかしたらこれは。
そもそも、これ以上の認識をしたら……どこか止まれなくなりそうな気がしたからかもしれない。
目を伏せる様にして、ユーノははやてから視線を外した。
はやてはそれを優しく見ているだけで、先ほどまでとは打って変わり何も言ってこない。
――微かな沈黙が、その場に流れる。
月明かりのカーテンは、二人を優しく包むだけ。
それはまるで、今のはやてのようで……どことなく、月と彼女の姿が重なってユーノの中に浮かぶ。
いつも家族を優しく見守る、夜天の主。
呪いの定めを解き放ち、自らを慕う騎士たちへその祝福を与えた少女。
それが、『八神はやて』――今、ユーノを優しく見つめている女の子だった。
「ふふっ。ユーノくん、そんな恥ずかしがらんでもええんよ?」
「……だって」
「まぁ、ええもん見れたってことで、ここまでにしとこか」
いいものって……と、ユーノは漸く顔を上げてはやてを見ることができた。
それを見て、はやては「うん」と頷くとユーノの背をそっと撫でる。
「今くらい気張らんで、たまにはただゆっくりすることも大事やで? いっつもユーノくんが頑張っとるの、私らはみんな知ってるからなぁ」
優しい声色は、恥ずかしさなど感じさせない程しっとりと、ユーノの中へ染み込んでくる。
ただ、そっと優しく――。
「明日は、しっかりとエキシビション見てもらいたいし……それにもしかしたら、ユーノくんにも参加してもらうかもしれへん」
それはない、といいたいような気もしたが……はやてに語り掛けられるたびに、身体の力が、強張っていた緊張も何もかも、全て抜けていくような気がした。
「せやから、今日はもう寝よう? ……もう、平気?」
ふと、眠れない子供に対する母親とはこんな感じかと思った。
ユーノは『母親』――というより、『両親』や『肉親』といったそのものを知らない。
元々、一人だった――血のつながった『肉親』はいなくても、確かに彼の育った場所には『家族』はいた。
……でも、本当はどこか、自分が浮いているような感覚を持っていた。
それは、とても自分勝手な想いだったのかもしれない。
でも、心の奥底に引っかかっていた寂しさが今日、八神家で過ごしてほんの少しだけ、思い出してしまった。
そんな想いが、抜けていく――。
――実は、そこから先はよく覚えていない。
よく覚えていないけれど、はやてにそっと頭を撫でられたことだけは覚えている。
何もかも安心できるような場所、包み込んでくれる優しさをくれた八神家での夜が明けていった。
――心地よい安らぎをくれた夜が明け、始まりの朝を迎える。
ここから始まる、新しい嵐の種と共に……海鳴の夜は明けて行くのだった――――。