~魔法少女リリカルなのはReflection if story~   作:形右

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 長い長い夜が過ぎていき、一人の少年が海原へ沈んだ。
 ……だが、彼の意志はまだ死んでなどおらず――果てへの道を、最後の最後まで示し続ける。

 やがて。やがて。やがて。

 沈んだ先で彼は、小さな奇跡と対面する。
 傷と絆。罪と咎。
 許しと、願い。

 あらゆる心が交錯する中、魔法使いたちの物語はここに終を迎える。
 そこにあるものは、果たして――――?



第二十五章 終の刻、願いと心の行方

 明け行く悲しみの(うた)

 

 

 沈む音はあまりにも呆気なく――。

 世界は何の未練もないかのようにして、一人の少年の退場を見送った。

 そして、

 

「フフフ――――アハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!!!」

「ぁ、……ぁぁあああああああああああああああああああ――ッッッ!!!???」

 

 邪悪な笑いと、悲痛な叫び。そんな相反する二つの声が場に響き渡る。

「やっと……やっと消えた……ッ!」

 ユーリの姿で、彼女の中からイリスが歓喜を漏らす。ここまで散々イリスを阻み続けたユーノが、ついに場から消え去った。

「弱いくせに、散々手後ずらせてくれちゃって……。長かったわ――ええ、本当に」

 噛み締めるような呟き。

 実際、今宵の戦いは本当に長かった。予想外の事ばかりがイリスを翻弄し、あまつさえ身体を捨ててまで抵抗する羽目に――消耗は激しく、目的までの道が少し開いただけ。けれどもう、構わない。

「取り戻す時間に再現なんてない。戻るなら……全部、全部、壊すっ!」

 残すは、あと何人か。――いや、数えるのすら馬鹿らしい。どうせこの先で出会うこともないだろう。

 ならば今は敵に過ぎない。数の問題ではなく、全てが排除すべき対象だ。

「さあ、都合の良い夢は終わり。――幕引きよ」

 浮かぶ『魄翼』に並んで、四対の腕の様な『鎧装』がユーリの周囲へと浮かび上がる。

 その様相はまさしく悪魔の腕。自らの肉体(うつわ)を捨て去った〝天使(あくま)〟が、〝悪魔(てんし)〟へと依代を移した姿――。

 言うなればそれは、絶望という言葉の具現。世界を滅ぼす『闇』が、ようやく本来の形を取り戻した。……しかし、ユーリは未だ泣いている。抗いきれない現実と、友の暴走を自分では止められないという現実に。

 《ごめん……なさい……ごめんなさい……っ》

 だが、それは〝天使(あくま)〟にとって、彼女の流す滴は何よりも甘露なものだった。

 悲嘆に暮れる様さえ愛おしいと言わんばかりに、意識下に沈めたユーリに驚くほど優しげな声色で語りかける。

「泣かなくて良いわ、ユーリ。――どうせ全部戻るんだから」

 優しいのに、冷たい響き。

 ……もう戻れない。もう止まらない。

 あの優しい時間には戻れない。仮にこの世界が消えて、その先にもし〝あの時間〟があるのだとしても――それは誰かの犠牲と、拭い去れない血に染まったものでしかないのだから。

 

 けれど、そんな彼女の心を支えるように。

 仲間たちを守る光は、未だ失われてなどいなかった。

 

「――フィールドが、消えて……ない?」

 

 その事実に、イリスも遅れて気が付いた。

 ユーノの張った『リベレーションフィールド』が、未だ消えていない。

 ……おかしい。あまりにも不自然すぎる。仮にアレが独立した術式で動いているのだとしても、この場全ての魔導師に守護を適応させていたのだ。なのは以外は結晶化が進行しなければ不自然だ。むしろ綻びが生まれていないこと自体、あまりにも理から外れている。

 否、理は通せなくはない。

 しかし、それが意味するところとは――。

 

 

 

「……ユーノは、まだ生きてる。そういう事のようだな、イリス――!」

 

 一番イリスに近い位置にいたクロノが笑みと共に告げると、ユーリの口が憎々し気に歪む。中のイリスの感情が完全にユーリの身体を支配しているらしい。既に今のユーリは、元のユーリではない。

 イリスという操り手に糸を付けられた、マリオネット。だが当然、彼女の心はまだそこに在り――理不尽さと場の惨状を嘆き、泣いている。

 であれば。ここで立たずして、いったいどうやって救えようか。

 それこそが、この場に集う魔法使いたちの抱いた覚悟であり、等しく抱いた願いであったはずなのに。

 

 

 

 ――――そうして再び、星は集う。

 

 

 

「――()くぞ。我らの探し物(のぞみ)は見つかった」

「仰せのままに」

「うん……っ!」

 

 この時を待ち望んでいたかのように、三つ巴の魂が枷から解き放たれた。

 

「……そう、アンタたちも邪魔者ってわけ……?」

「ああ。――我らはようやく、自らの本懐を見出すことが出来た」

「わたしたちが求め、ずっと探し続けていたもの」

「ボクらが本当に願ったもの……!」

「返してもらうぞ、イリス。其奴(ユーリ)は我らと共にあるべき者だ」

 彼女らの様子に、イリスは苦々しくこう吐き捨てる。

「……制御基体の分際で……っ」

 しかし、ディアーチェたちとて負けてはいない。売り言葉に買い言葉とばかりに、最後の舌戦を堪能するとばかりに言い返す。

「ハッ、貴様とて同じようなモノであろう? ……いや、むしろ逆なのかもしれぬなぁ? 貴様がやけに〝ヒト〟に執着するのは、そんなことにいつまでも拘っておるからか?

 自身の存在が何であろうが、意志が明確であるならば関係ないであろうに」

「その通りです。わたしたちは今――自ら思考し、行動している」

「ボクらは、自分決めたんだ。君を打ち倒して、ユーリも助けて……そして、ユーリが願った場所(ほし)に行くんだって!」

「わたしたちの〝盟主〟が願った、暖かな日常になるはずだった地へ」

「そのためにはまず、この星での罪科は清算すべきであろうな。我は〝王〟として、柵なき世界を創る。我が役は、我が闇の下に集いし者を統べること――」

 つい先ほどまで応えることの出来なかった。あるいは、自覚という工程を欠いた自らの在り方。

 そのすべてを噛み締めるようにしてディアーチェは言葉を切り、ユーリとその内にいるイリスへ手を向けてこう続けた。

「貴様らもまた、我が統べる場所にいるべき存在だ。

 ――――故に、共に来いイリス。ああ、言っておくが異論は認めぬぞ? 何せこれは、王の命令なのだからな」

 不敵な笑み。碧眼に宿った、彼女の闇の在り方。

 それらが束ねられて今、闇色の光を放つ。そして、彼女の闇が――その臣下たちの力を更に黒天へと輝かせる。

 その光景にますます苛立ちを募らせるイリスだが、彼女を掻き乱す波はそこで終わらない。

 

 そう。空に輝くのは彼女らだけではない。

 ここにもまた、夜天へと――そこに集いし叢雲の騎士たちがいる。

 

「――わたしらも負けてられんよ? みんな」

「ええ、その通りです」

「応よッ、ここまで来て、あいつらばっか良いカッコさせられるかっての……!!」

「早く戦いを終わらせて、治療をしなくちゃいけませんからねっ」

「我らもまた、ここが決着の時――!」

 

 恐れはない。

 仲間がいる。

 何時までも続く明日を望む、限りなく続く未来を目指す。

 すべての苦しみが無くならずとも。ここにはまだ、途切れてないものがある。拓いていくだろう道がここにある。

 泣いている誰かがいて、彼女らの手には、救うための『魔法(チカラ)』がある。それと同様に、未だ道標を残した仲間の意思が、確かに存在しているのだから。

 

 ――そうして段々と。

 散らばりかけていた絆が、そこに集っていく。

 

「こんな戦いは、此処で終わらせないといけません……っ」

「アミタさん……っ!? ケガは――」

「大丈夫です。こう見えて頑丈ですから」

「……つくづく思うが、呆れるほどの回復力だな」

「はい、それはもちろん。両親のくれた、自慢の身体ですので。まあ確かに、手負いなのは否定しません。

 それにもう、わたしたちの問題なんて言える状況でもなくなりました。ですがこの決着には、わたしもお力添えをさせてください」

 遠き星よりやってきた来訪者もまたここへ。

 縁もなく、本来交わることもなかったであろう世界を生きる者。だが、此処にはそんな次元さえも飛び越えて、紡がれてきた絆がいくつもあった。

 そして、同じように。

「ありがとうございます……! 一緒に頑張りましょうね、アミタさん」

「もちろんですとも――『……それなら、あたしも混ぜてもらっていい?』――キリエ……っ!?」

 先へ進む覚悟を決めた少女もまた、ここへ。

「…………今更なのも、こんなことが出来る義理じゃないのは分かってる。……でも、逃げるのだけは違うと思ったから……だから、あたしも」

 ここまで積み重ねてきた罪科への償いを。許されることではなかろうと、自分なりのけじめをつけるためにここへ来た。

 だからこそ、

「心強い応援ですっ」

「……正直、民間人に頼りすぎている部分は心苦しい。

 だが、とても助かった。ご協力感謝する」

 ハラオウン兄妹もそれを歓迎した。

 二人の言葉に、申し訳なさそうでいて、少し照れくさそうな声でキリエは「ありがとう」を返した。

「それじゃあキリエ、見せつけてやりましょう。わたしたち姉妹のコンビネーションを!」

「おねえちゃん……うん、分かってる。必ず、やって見せるからっ!」

 そうして、姉妹はようやく対等に並び立つ。

 彼女らの姿を見て、

「わたしたちも、負けてられないよ。行こうなのは、ユーリとイリスさんを助けるために」

「――うん……ッ!!」

 同じように。二人の魔法使いも翼を広げ始めた。

 心の中にあった迷いも辛さも、とにかく今は全てを捧げる。

 翡翠の光は、未だ皆を照らし続けていた。

 助けたい人がいる。涙を拭わなければならない人がいる。

 そんな心を共有できる人たちがここにいて、ここまでたどり着くための路を――ずっと示してくれているように。

 それが、酷く嬉しい。彼の心が、とても温かく感じられるから。

 

 ……でも結局、それは身勝手な願いだ。

 こう在れるなら、という願望でしかない。しかし、それでも、となのはは思った。

 

 一番初めに欲しかったもの。こう在りたいと望んだきっかけは何だったのか。

 

 そのために何が必要だったのか。

 手に入れても、手に入れても、何かが不安だった。

 孤独(ひとり)の寂しさを埋めたもの。信じて貫いて、紡ぎ続けていたのに……それが脆いモノだと思い込んで、何時しか疑ってしまっていたもの。

 何も出来ない自分を肯定されてしまうことを恐れた。

 ……それではいつか、必要とされなくなってしまうかもしれないから。

 だけど、それは違う。

 信頼はそんなに脆くはなく、紡いできた絆はそんなに軽くはない。

 何よりも。自分に魔法をくれた人は、まだ諦めてなどいなかったのだから。

 だから翔ぶ。だから抗う。だかこそ、進み続ける。

 最後の最後まで、苦言を呈することもなく――誰よりも悲しみの元を明かし、それを止められるようにと戦い続けた少年の心を背負って、今度こそ。

「必ず、助けます……っ!!」

 故に、少女はもう一度宣言した。しかし、それに対する返答はこうだ。

「別に助けて欲しいコトなんて無いわ。そう、わたしがするのは一つだけ――アンタたちをこの場で、全員始末することだけよ――!」

 

 その叫びと共に空が光によって割れた。

 開闢の一閃。向けられた星の光を、〝天使(あくま)〟は同じだけの力で薙ぎ払おうとした。

 

「ディバイーン……バスタァ――ッ!」

「〝ヴェスパーフレア〟……ッ!!」

 

 激突する桜色と緋色の光が、カノンと『魄翼』から撃ち放たれた。

 まさしくそれは、夜の空に咲いた花。凄まじい音を立ててぶつかり、舞い散る火花が暗い空を彩っていく。

 だが、

「ぐぅ……っ、――まだ、こんな……ッ!」

 改めて灯り、宿った決意はその程度ではかき消せない。過去を手繰り続ける〝天使〟を、少女の決意の光が圧していく。

 更に、そこへ畳み掛けるようにして、二つの光が先駆けとばかりに放たれる。

「仄白き雪の王。銀の翼()て、眼下の大地を白銀に染めよ……ッ!」

「蒼穹へ轟く、雹霰(はくせん)の咆哮。雪原を翔ける風枷(かざかせ)となれ――」

 それは生物無生物を問わず。万物の枷となり、その動きと共に、生命へ至るまでを凍えさせる魔法。

「来よ、氷結の息吹――〝アーテム・デス・アイセス〟!」

「――〝ブリザードブレス〟ッ!」

 注ぐ息吹と、吹き荒れる雪の嵐。迫る冷気渦は、先程イリスの動きを止めた魔法と同類。しかし、同系統だからこそ――その威力は、嫌と言うほど懲りている。

 故に、

「こ――のぉぉぉ……ッ!!」

『魄翼』を使ってなのはからの砲撃を無理矢理に押し返し――自分の放っていた『魔法』から解き放たれた両腕をクロノたちへ差し向け、今度は自身の周囲を焼き尽くす程の炎を生み出した。

「〝アストラルブレイズ〟――ッ!」

 恒星を爆発させたような輝きが、一気に周囲を覆い尽くす。

 しかし、

(な……凍る、速度の方、が……っ!?)

 早い。

 Sランクと、AAA+ランクという強力な魔導師の放つそれは、属性の上での不利さえも越えてくる。ひとえにそれは、負けられないという意地。

 そして、続く者たちの道を切り開くための布石でもあった。

「な、ぁ――ッ」

 次いで、軛と鉄糸が迫る。『鎧装』を差し向け防ぐが、三つ巴の中心にいる以上、これだけの集中砲火からの隙は禁じ得ない。

「!?」

 その隙間を縫うようにして、青と桃色の少女たちの剣戟が彼女を斬り付ける。

「「せぇああああ――ッ!!」」

 剣閃、剣閃、再び剣閃。重ねる如く紡がれたそれは、ある姉妹が両親から受け継ぎ、高め合ってきたもの。

 重く叩き付けられた刃に、僅かに身を引く。

 思いがけない後退。否、狙い澄まされた一点。獲物へ向かう連結刃は、まさに宙を這う蛇の如く。

 逃げ道を塞ぐ一手――そして、そこへ。

「行け、ヴィータっ!」

「まかせとけ――アイゼン!」

 《Jawohl!l》

「ぶっちぬけええええええええええええぇぇぇ――ッッッ!!!!!!」

 穿ち貫く『パンツァーヴェルファー』の回転打部(ドリルヘッド)が、残された『鎧装』を突き破り、イリスへと迫る。

 堪らず魔法による障壁を作り出すが、当然それは気休めに過ぎない。

 ギリギリギリィ! という唸りを上げ、ユーリの身体――イリス――は、そのまま押し飛ばされる。

「ぬ、ぅぅ――ぐ……っ!!」

 憎々しげにイリスは声を漏らすが、もう遅い。

 向かった先には、三つの魂が待っている。

 

「待っておったぞ――さあ、幕引きだ!」

「ふざけ、るんじゃ……ないわよっ!!」

 目を剥いて叫ぶイリス。

 あと少し。ほんの少しで目的が達成されるというのに、どうしてこんなところで終わっていられるのか。

 ――答えは否だ。

 有り得ない。有り得ない。有り得ない……ッ! そう脳裏を駆ける紫電(しこう)が叫んでいた。

 痺れる身体を無理矢理に動かして、イリスは隠し持っていた奥の手を持ち出す。

「貴様、それは……っ」

 ディアーチェが驚愕したのも無理はない。取り出されたそれは、彼女らが元々眠っていた書物であったのだから。

 が、

「それは、主にしか使えないはず……」

 シュテルは平静に対処しようとするが、イリスは「なめるんじゃないわよ」とシュテルの言葉を切って捨てる。

 確かに、本来は主にしかあの魔導書は使えない。だがそれは、管制人格が主に合わせ自身を調整し、適合するというプロセスを辿るからだ。

 現在の『夜天の書』は、先代のリインフォースが残した剣十字の欠片(きおく)から復元、調整された物だ。しかしディアーチェらが此処に(ねむってい)たのと同じように、ユーリとの共生を可能にしたイリスもまた、魔導書の根幹である連環機構と同様に機能を使用することが出来る。

 あくまでもユーリが魔法を使う。

 ただそれを、差し向けるのはイリスと言うだけのことだ。

「それに言ったでしょう? ――奥の手っていうのは、何時だって自分の手の中に治めておくものだってねぇ……ッ!」

 ページを破り捨て、魔法を行使する。

 選ばれたそれは、かつてこの町を一度、闇の内へと沈めた広域攻撃魔法。

 

「――――〝デアボリック・エミッション〟!」

 

 球形の、小さな魔力の塊。だが、それは一気に膨れあがり周囲を呑み込む。――はずだった。

「――――っ!?」

 再度驚愕。

 目の前には、受け入れがたい光景が広がっている。無傷の三人――いや、より正確に言うならばそれは。

「……余計な真似をしおってからに」

 ディアーチェは軽くぼやきながらも、その口元は何処か隠しきれない笑みを浮かべていた。

 シュテルやレヴィは不思議そうな顔をしながらも、やがて自分たちを覆う防護膜の意味に気づく。

「これは……彼の」

 ぽつり、と呟かれたシュテルの言葉通り、彼女らを包むそれは淡い翡翠の光を放つ。

 単にこれは温かく守るように寄り添った魔法。

 一度は争い、ぶつかりあってもなお、誰かへの傷を悼む心の象徴。

 広域攻撃を無意識のうちに防いだ守りは段々と解けていく。どうやら、一度きりの守りだったのかも知れない。けれど十分だった。

 奥の手として出してきた手さえ、種が割れてしまえば不意を突くも何もない。

 詰まるところ、最後に駒を進めることが出来るのは、最終的な盤面を見定められた者だけだ。

「まったくもってこざかしい。……だが、まぁ奴が献上したと考えてやろう。これで貴様も種が割れたな、イリスよ。そろそろ大人しく我が膝下に来る気になったか?」

「ふざけないで、誰がそんな――!」

 ディアーチェの言葉を拒み、なおもイリスは次の魔法を行使するために、『夜天の書』の(ページ)を捲り続ける。種が割れたところで、イリスがユーリという無限の連環を持つことに変わりは無い。

 呪縛(ウィルスコード)で繋がっている以上、自分たちに燃料切れなんて事態に陥る道理もない筈だ。

 だというのに、なんなのか。

 ほぼ無敵に等しい状態で魔導師如きに圧され、おまけに得体の知れない焦燥感に急き立てられ続けている。

 遂げられる筈だった目的(モノ)さえ、どこか遠くへ逃げて言ってしまう。

 イリスは自らを取り囲んだ不条理を呪った。いつまで経っても何も掴めない、自らの両手の狭量さに。

 そして、ついには。

(……っ、な――に……?)

 イリスを護り続けていた何かさえ、決定的な途切れに攫われていく。

「い……や」

 知らず、声が漏れた。まるでそれは、置き去りにされることを恐れ、見捨てないでと手を伸ばす子供の様な声。

 取り戻したかったものから。

 自分がしがみついていたものから。

 まるで、世界から捨てられて行くような幻視。

 

 だが、寧ろそれは逆で――彼女は、戒めの時を迎える。

 

 場のありとあらゆる力が集約されていく。

 火花が散り、瞬きの暇もなかった戦いの果てへの路。

 多様な彩が空を染めようと、目指す先は誰もが同じ。自らの明日をその瞳に写すまで、彼らは止まらない。

 そして、その輝きは――。

 少しずつ少しずつ、ある二つの闇の中で巡り会った、二つの心の奇妙な結びつきから起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *** ――空白(ブランク)――

 

 

 

 そこは、とても空っぽな場所だった。

 

 上も下もない真っ暗な闇の底。

 何故ここにいるのか、自分がどうしてここにいるのかも分からない。

 

 痛みもなく、苦しみもない。

 別にいるだけなら、きっとここでは何不自由することもないのだろう。

 

 ……ただ、何故か。

 ほんの少しだけの寂しさがあった。

 同じように胸の内には、何か諦めきれないものがある様な気がした。

 

 そして、それを自覚したとき――。

 ユーノはふと、自分と何処かを繋ぐ糸の様なものを見た気がした。その先にある、何かの残滓も。

 形容するのであれば、それは光。

 思わず足を向けてしまうほど、とても眩い光に惹かれた気がした。

 

 〝…………だけど、そっちでいいのか?〟

 

 休んでしまえばいい。立ち止まっていても構わない。どうせ、何もする必要などないのだから。

 それは必要がない――というよりは、どこか必要とされていない、と告げる声。

 なんとなく、とても正しい事のように聞こえる。

 だからユーノは、光を手繰り続けるのを少しだけ躊躇った。確かに自分はそこまで大層なことはしていないし、何かをしていたわけではない……ハズだ。

 

 どうにも記憶が不確かでしょうがない。いうなれば、自分という存在が汚れとして洗われている気分だ。

 しかしそれは、大事なものを削ぎ落とされているようで……。

 

 と、その時。

 闇の中でもう一つ、別の光を見つけた。

 

 それは、小さな女の子だった。

 背丈は自分よりも頭一つ半低いくらいだろうか。ふんわりと波打つ金色の髪が、とても綺麗な少女だった。

 けれど、彼女はとてもとても悲しそうな顔で泣いている。

 

 その様は、まるで紫の茨に囚われた天使。

 呪いに掛けられたお姫様か何かのように思えた。

 

 放っておけるはずもなく、「どうしたの?」と声を掛けてみる。すると、こう返事が返ってきた。

 

 ――目の前で流れる血や、進み続ける争いを止められないのが悲しい。

 ――帰りたかった場所へさえ、もう帰ることが出来ない。

 ――とてもとても大切だった友達を救うことも、もうできない。

 

 それを聴いて、何かが引っ掛かった気がした。

 でも思い出せなかったので、ひとまず自分に出来る範囲で彼女の悲しみの原因に当たれないかを考えてみた。

 

 ぼんやりと二つ目くらいは叶えてあげられそうな気がしていた。

 

 転送魔法は得意だった。幾つもの世界を移動するのは日常茶飯事だったし、それに……それに何時だったか、誰かを誰かのところまで送り届けたことも、あったような……気が。

 

 〝――助けになりたかった――〟

 〝――助けになんてなれない――〟

 

 ズキ、と頭が軽く軋む。だが、原因がよく分からない。

 そんな原因の分からない痛みも気になるが、とにかく今は聞こえてくる嗚咽を止めてあげたかった。

 だから、「泣かないで」とも「大丈夫だよ」とも訊かずに、ユーノはこう彼女に問い掛けた。

 

 〝――帰りたい?〟と。

 

 もしかしたら、とっても痛いかもしれない。

 友達と仲違いしているのなら、何か辛い思いをするかもしれない。

 ……もしかすると、帰るべき場所そのものが無くなっていることだって、あるかもしれない。

 だが、だからこそ。

 

 〝それでも、君は帰りたい?〟

 

 その気持ちの行方は、そこに在るのか。

 何方を向いていて、何を望んでいるのか。

 ユーノはそれを少女に訊ねていた。

 

 すると少女は、段々と嗚咽を止めて、闇の中にはシンとした静寂のみが漂う。

 

 そして。そして。そして。

 

 長い様な、とても短かったような逡巡の後。

 少女は少しだけ震えた声音で、しかしハッキリとこう口にした。

 

 〝……帰り、たい……です〟

 

 それは、本当に小さな願いだった。

 でも同時に、どうしようもなく大きな願いでもあった。

 

 〝……わたしは、許されないことをしました……〟

 〝うん〟

 〝拒絶されても仕方がなくて……。どうしようもないことだって、解ってます……けど〟

 〝……うん〟

 〝辛くても……苦しくても……。それでも、一緒に……居たい……。もっと……もっと、一緒に……いたかった、から……っ〟

 〝……そっか。じゃあ、僕も君の願いを手伝わせてもらっても……いいかな?〟

 〝え……?〟

 〝もちろん、絶対とは保証できないけど……。もしかしたら、力になれるかもしれない〟

 〝……何で、そこまで……?〟

 〝理由?〟

 

 問い返され、はてと首をひねる。

 そもそもの理由は、何だったのだろうか。

 目の前でそうするのが当たり前だから? いや、それもあるが……少しだけ、違う。

 

 こうしたいと思うのは、自分が()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そして、同じように()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 護りたかったあの少女の持つ願いと、その尊さを、彼が知っているからだった。

 

 〝……あ……〟

 

 気づき、微かに笑みが漏れた。

 やるべきことにも、気づけた。

 

 これがどんな偶然か奇蹟か。あるいは、先程の()()が原因なのか。

 細かいことは解らなかったが、一つだけ確かなことは――自分はとてもとても、幸運に見舞われたということくらいだろうか。

 だって、ここまで聞けなかった彼女の心を、こうして聞くことが出来たのだから。

 

 仮にこれが幻か、夢だったのだとしても。

 苦しんでいた彼女の姿は、確かに見えていた。

 故に躊躇う理由など、もう存在しない。

 

 〝理由は、僕も少しだけ……知っているから、かな〟

 

 辛さや独りでいる心の痛みを、彼もまた知っている。

 そして、それと同じくらい。もう一つの気持ちが彼女を包んでいるだろうことも、分った気がした。

 きっと、あの〝糸〟は――そのための最後の道標。

 

 〝だから、君を助けたい。みんながそれを願っているのと同じだけ、君が悲しまないようにしたいんだ〟

 

 柔らかに告げられた声に、少女は驚きと嬉しさが入り混じったような表情を見せる。

 ……当然と言えば、当然なのかもしれない。

 この子はずっと、あの子が見つけてくれるまでの間――こんな寂しい場所に、独りでいたのだから。

 

 〝でも、少しの間、とっても痛い思いをするかもしれない〟

 〝……はい〟

 〝我慢してもらう事になっちゃうけど、それでも?〟

 〝それでも、わたしは……かえり、たいです……っ〟

 

 〝――――解かった〟

 

 願いを受けて、最後の仕事をするために意識を集中する。

 始めに、知りうる呪いを解除する符号を送っておく。……ただ、これは基となった符号がかなり複雑だったこともあり、個人用の解除符号を新たに作るには時間が足りなかった。結果、この符号の効力は一時的な緩和が関の山と言ったところ。

 

 しかし、当人の意識を僅かにでも面に出せるのならばそれでいい。

 結局のところ操作の術式とは、本来の人格の上に乗せられたものに過ぎない。たとえ本人がどこに閉じ込められていようと、剥ぎ取ろうと思えば出来ないことはないのだ。

 

 事実、一度それと似たケースを経験してもいた。

 だからもう一度、同じだけの奇蹟を起こせるように。

 

 とっくに空になった内側と、外側にあるモノを無理やりにでも使う。

 もう一度だけで良い。もう一度、このたった一度だけ、道を創る為の力をかき集めるために。

 

 ――鬼気迫る想いは結び、彼の想いは遂に為すべき役(カタチ)を得た。

 

 

 

 そうして現実(そとがわ)で、翡翠の鎖が縦横無尽に空間を埋め尽くしていく。

 在りとあらゆるモノをその内側に繋ぐ、戒めの鎖。同時にそれは、決して逃れ得ない封鎖の檻と化す。

 たった一度、そこに懸けられた思いを紡いでいくように。

 

 ――――彼の魔法が、その道を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「――――、な……っ」

 

 突然、周囲が鎖に取り囲まれた。

 水面から、上空から、或いはそれらが交わり左右から。無限に列なる螺旋のように、その鎖はイリスを封殺していく戒めの檻。

 驚きに目を見開きながら、イリスは微かに歯を鳴らす。

 分かってはいた。

 事実として、認識したつもりだった。

 だというのに、それでも理解を拒みたくなったのはきっと――あまりにもこの状況を導いた存在が、彼女にとっての天敵であったからだろう。……そもそも、この星でなければ、彼女の計画は滞りなく終わっていた。

 誰に気づかれるでもなく、傷は全て消え、再生を迎えるはずだった。

 

 だというのにそれは起こらない。

 何故か、などと問うまでもない。

 

 この世界には全て揃っていた。

 イリスという悪を阻むだけの、全てが。しかし、初めからこうだったのかと言えば、それは違う。

 ごく普通の街だった。

 当たり前の中に、ほんの少しだけの不思議さがあって。人と人とが出会い、別れ、また出会う。

 そんな現実が過ぎていく場所だったのだ。

 ……でもそこに、一人の傷を抱えた少女がいた。

 

 自分だけの価値を、求めていた少女がいた。

 愛の傍で、守られるだけの自分を受け入れられない少女だった。

 だからこそ欲しかった。自分が必要とされる場所や、自分にとっての全てを賭けられる目標が。

 

 そして、彼女は――それに出会った。

 

 結ばれた出会いは、愛されなかった少女へ始まりを告げる。

 愛を求め続け、傍にあったものを忘れてしまった少女であった。

 最後には自分と向き合い、答えを出した。長い様で、短い時間を経て――凍り付いた心を溶かすことになった。

 

 そうして結ばれた出会いが、今度は運命に縛られた少女に繋がっていく。

 

 自分への価値に折り合いを付け、尽きる時を待つだけの命。彼女はそんな、愛を失った少女だった。

 けれど、新たな出会いが福音を彼女へともたらす。

 守るべき家族、守ってくれる家族。もたらされた運命が、失ってきたものを、再び少女に与える。

 

 ……幸福(いのち)を代償とした、呪いと共に。

 

 だが、尽きるだけの終わりは。呪いと共に滅び行く定めは、これまでの出会いが重なり、その枷を打ち破ることになった。

 

 やがて、小さな始まりは大きく輪を広げていった。

 ――――こうして、不条理なまでにあった力の差さえも覆すほどに。

 

 

 

 ……そう、本当ならば終わっていた筈なのだ。

 ただ一人、この少年さえ――()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 《――――今なら、ユーリを助けられる。みんなの純粋な魔力砲で、〝ウィルスコード〟を引き剥がして!

 いつも通りに、全力全開、手加減無しで……ッ!!》

 

「待っとったよ……!」

「でも、流石だね」

「うん、とっても分かりやすい!」

 

「やはり、わたしたちの目に狂いはなかったようですね」

「……フン、言われずとも分かっておるわ。このたわけめ」

「オッケー、いっくよーっ!」

「あなたは、確かに導く者でした。故にこの路を成し遂げて見せます。――我が師に誓い、この身の魔導、その全てを賭けて……!!」

「今度こそ終幕にしてやろう。――いまこそ、我が闇へ還る時だ!」

 

 響き渡った念話(こえ)に、全員が応えた。

 目の前にある物語の幕を閉じるため、先へ進むために。

 この時、その心は一つとなり――。

 集い束ねられた光は、未来(さき)を照らし切り開く、一つの路を描き出す。

 

 

「先方はアタシらだ」

「ああ、敵の盾を砕くぞ」

「応よ!」

 

 シグナムとヴィータが、初めの路を作り出す。

 

「まあ、同情って訳でもないけどな――なんとなく分かるんだ。言葉で理解しろって言っても、きっと伝わらねぇ。

 だからな、ちょいと手荒なやり方だが……力ずくでお前たちを連れて行く――!!」

「求めることは、悪ではない。だか、お前たちの帰る場所があるという事実も見てやってくれ。

 お前たちの仲間が待っている。――さあ、行くぞ!」

 

 構え、振われた古の騎士たちの一撃。

 それは、まさしく明日へ向けた咆哮であった。

 

「業天、爆砕……ツェアシュテールング、ハンマァァァ――ッ!!!!!!」

「射貫け、隼!」

 《Sturm falken-inferno.》

 

 柵を粉砕する鉄槌と、空を裂く烈火の矢。

 それらが、〝天使(あくま)〟に残された最後の守りを壊していく。

 

「君たちを救いたいと願っている人がいるんだ。君たちを、助けたいと願っている人がいる。だからどうか、後少し……後、ちょっとだけ――ッ!」

 

 浮遊する『鎧装』へ向け、黒衣の魔導師が魔法を放つ。

 先程のそれと同じでありながら、今度は凍てつかせた氷を砕く魔法。ちょうどそれは、凝り固まったままの魂をほどくように。

 

「これで、終わりだ――〝エターナルコフィン〟!」

 《Destruction Siht.》

 

 続くように、氷結したそれらが崩壊していく。だが、それだけでは届かない。

 故に、繋ぐ――更に先へ。

 

「行きますよ、キリエ!」

「うん。――これが、わたしの最後のケジメ!」

「悲しみの螺旋を、わたしたちが此処で終わらせます!」

「あなたたちを、必ず助けるために――!」

 

 青と桃色の輝きが際限(かぎり)の無い色彩(ひかり)で空を埋めていく。

 果てへ進む様に。守るべき運命の為に運命を終わらせ、進むべき未来(とき)の為に歯車(ものがたり)を動かして。

 

「「――――ヴァリアント、ブレイクッ!!!!!!」」

 

 撃ち放たれた光弾の雨が全ての守りを取り払った。

 残すは本丸。最後の一撃を解き放つのみ。

 それらは、撃ち抜く魔法。これまでずっとずっと物語のなかで培われてきた、絆そのものである。

「こんなこというのは、勝手だけど……それでも、変わっていけるはずだから! わたしは今、その迷いを砕きます!」

「過去が大事だって言う気持ちは、痛いくらいに分かります。

 でも、目を閉じないで。心を開いて……。

 友達が、家族が……これから絆を紡ぐ大切な人たちが何時か、きっと失ったものと同じだけの大切なものになりますから!」

「ずっとずっと気づけへんかった不甲斐ない主やけど、それでも行くよ……!」

 《はい、行きましょう。はやてちゃん!》

「――わたしたちから捧げる夜天の祝福、受け取って!」

 二年前と同様の、悲しき定めを変えていく光。それは守るべき物のために戦う少女たちの、最大の魔法である。

 もちろん、並び立つかの者達も負けてはいない。

「見果てぬ先は、無数にあります。わたしたちが生まれてきた意味は、決して途切れてなどいません」

「その為に今、貴様らを過去という永遠の牢獄から引きずり出す!」

「行くよユーリ、イリス。ずっと気づかなくてゴメン……でも、ボクとシュテルと王様が、きっと君らを助けるから!

 その為に、君たちを救うために! 今は君たちを打ち破る……ッ!!」

 勇ましい声と共に、レヴィの上空から稲妻が降り注ぐ。

「轟ぉ雷爆烈ッ!! じっとして――ボクとシュテルと王様が、今君たちを助けるから!」

 天より注ぎ、彼女の中を巡る紫電の煌めきは、手に持った戦斧の先へと集められ、翳した手の先から放たれる。

「――走れ明星、全てを焼き消す焔を変われ!」

 続くようにシュテルの杖先に灯った焔が燃え上がる。

 そして、それらを繋ぐように闇が星と雷の輝きを束ね導く。更なる先へ、自分たちの進むべき路を示すように。

「集え星と雷、我が闇の下へ! これが我らの力――〝砕け得ぬ闇(紫天の輝き)〟よ!!」

 ディアーチェの声を皮切りに、詠唱(むすび)の一節が紡がれる。

 叫ばれるのは、それぞれが持つ最強の魔法。長い長い夏の夜に出会い争って、ここまで続いてきた戦いの幕引きを告げる弩級の一撃であった。

 

「スターライト……ブレイカーッ!!」

「プラズマ・ザンバーッッッ!!」

「《響け、終演の笛――〝ラグナロク〟!!》」

 

「真・ルシフェリオーン……ブレイカーッ!!」

「雷刃封殺ッ! 爆滅けぇぇぇんッッッ!!」

「闇に滅せよッ! ――〝ジャガーノート〟ッ!!」

 

 

 

『ブラスト・シュ───トッッッ!!!!!!』

 

 

 

 ――――そうして、六つの光に誘われる様に、長かった夜が明けていく。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 …………放たれた魔法に呑まれ、イリスは目の前が真っ白になっていくのを感じていた。

 

 切れた糸は、戻らない。

 しがみついていた目的さえ、消し去られてしまった。

 

 望みは果てを見ず、燻って消えていく。

 全てを踏みにじってでも、手に入れ、取り戻そうとしたはずのものだったのに。

 

 しかし、それなのに。どうしてかも分からないのに。……イリスは漠然と、不思議とこうなる定めだったのだろうとも思っていた。

 

 ()()()()()

 だが、()()()()()()()

 

 明けていくのは、釣り合いの取れた運命。

 変えようと足掻き、結局何一つとして得られなかった差し引きの結果。

 

 自分に残った傷も。

 誰かに負わせた傷も。

 いずれ、勝手に消えていく。

 

 きっと残された構成体と、ユーリがエルトリアに引き渡されるのだろう。

 組織というのは往々にして腹黒いものだが……舞台にそろった役者は、吐き気がするほどに〝正しさ〟に生きている。

 そうなるのだろう、きっと。

 未来を目指し、未来を信じたという気高き意志やらに従って。

 

 ……そう。

 自分が何をしようと、何をしなかったのだろうと、結局は何も変わらないのだ。

 

 最初に〝魔法(ユーリ)〟と出会ったのが間違いだった。

 何も知らないまま、消えてしまえば良かった。

 

 『エルトリア』にはきっとそれで傷は残らなかっただろうし、もしかすると……全く別の結果(歯車の定め)だってあったかも知れない。

 

 だから消えてしまえ。

 悪は消えた。それでいいではないか。

 何の揺らぎもない、嫌なものが消えた世界。

 本来在るべきだった形が、そうして幸せな世界が、当たり前の日常が回り始める。

 

 成そうとしたことを進め、阻まれた。でも、少なくとも世界を掻き乱してやった。

 

 ああ。確かにこれは負けだ。

 完膚なきまでの敗北だ。

 

 しかし、ここで終われば勝負の上では自分の勝ちだとも言える。

 

 小さな間違いがあって、その程度の火種でさえ世界を覆う。深く深く刻みつけてやったこの傷は、いずれまた来る滅びの時に疼くだろう。

 そうなれば精々その足掻きを見せて貰おうではないか。

 こうまでして、守り抜いた世界とやらを、この先も護り続けていけるのか。

 

 その、結末を――――

 

 

 

 〝……ま、それこそ知ったことじゃないんだけど〟

 消え行く刹那、イリスは口元を軽く歪めて嗤った。

 反省などではなく、盤上を眺める打ち手のように。自分の敗北を認めた上でなお、まるで裁定者のような面持ちで。

 だが、それを。

 誰に向けたわけでもないそれを。

 

 〝――そう? ならちょうど良かったかな〟

 

 一つの声が、受け取った。

 〝!?〟

 そこに居たのは、やはりというべきか……最も憎らしい()()()であった。

 何がどうなってこうなったのか。そんなこと知るべくもないが、とにかく巡りが悪かったということだけは分かる。

 どうしようもなく、この少年――ユーノは、今回のイリスにとって最も厄介な相手だった。

 まさか、こんな今際の際にさえ来るとは、流石に予想外だったが。

 

 

 

「……ユーリとの繋がりから、アタシのとこまで辿ってきたってワケ?」

「そうだけど、実は自分でもよく分かってないかな……。

 でも、こうして話が出来るなら――海の底に沈められた甲斐はあったかもね」

「…………」

 皮肉なのか、素なのか、或いは両方か。

 今ひとつ判断が付けにくい返しをされて、イリスは少し押し黙る。世界と乖離した狭間で時間の概念がどう働いているのかは知らないが、それでも十分に長い沈黙だった。

 しかしやがて、何時までも終わらない走馬燈を煙たがったように、イリスはこう訊いた。

「…………何しにきたわけ?」

 とても嫌そうな声色。さっさと帰れとでも言わんばかりの、拒絶に近い。けれど、ユーノの方は彼女のそんな反応予想通りとばかりに言葉を続けた。

「理由を訊いているなら、まずはユーリから聞いた方が良いと思いますよ。僕は、彼女に協力したくて来ただけですから」

 指名を受けて、彼の背に隠れるようにしていた小さな少女が顔を出す。……相変わらず、持っている力と相反するように弱そうな見た目だ。

 しかも性格の上でもそのままで、ユーリは少し言葉に詰まっていた。

「イリス……わたしは、」

 とぎれとぎれの声。何を伝えたいのかさえ定まってなさそうな自信なさげな声であった。

 でも、それでも引かないのは、伝えるべきことがあると決めているから。そうして段々と気持ちを落ち着けてながら、ユーリは小さく――だがハッキリと、イリスへ向けてこう言った。

「……ごめんなさい。わたしが、あなたを壊してしまった。あの時、自分の意志でなかったとしても……事実は変わりません。だから、ごめんなさい」

 まず始まったのは、謝罪。

 涙が流れ、声は震えていく。

 しかし、そんなものが何だというのか。

 悲劇のヒロインというだけなら、そんなものは何の意味も持たない。

 お決まりすぎてあきれるほどに。そして、ユーリはもう一つのお決まりも口にした。

「それでも、一緒に……あの時の約束を、果たせなかった約束を……もう一度、果たしたくて」

 そういえば確かに、守られていなかったものがあった。

 忘れるはずもない。

 間違いではない。なんの問題もない。

 芝居ができるほど器用でないのも分かっているし、当然性根が純粋だったのも知っている。

 自分たちが夢を作る技術から生まれ、悲劇をもたらしてしまう形になったということだって、分かっていたのだ。

 ゆえに、イリスはこう応える。

「――――いやよ」

 短くユーリを、突き放した。

「どうせもう、わたしが欲しかったものは帰ってこない。……わたしがあなたといたいと望んでいた場所には、今の世界にあるものだけじゃ足りない。

 だから、そんな言葉くらいであなたと行く気なんてないわ」

 イリスがそう言い切ると、ユーリはとても悲しそうな顔をする。不思議だったのは、先ほどとは違って、泣かなかったことくらいだろうか。

 だが、気持ちは何となく理解できる。

 結局は咎人同士の問答。お互いがお互いの罪や目的に従事する限り、手を取り合う必要なんてどこにもないはずだった。

「それなら、これから見つけていけば良いと思います。前に在ったものと、同じだけのものを」

 しかし、ユーノはイリスへ向けてこういった。無論、彼はユーリに協力していると言っていた以上、当然といえば当然の反応である。

「……詭弁ね。無い物に縋って生きろっていうの?」

「ある意味では、そうです」

 応え、言葉を続けるユーノ。

「前に僕の悪友が言ってました。――世界はこんな筈じゃないことばっかりだ、って。

 同じように、それにどう向き合うかは個人の自由だけど……自分の悲しみに他人を巻き込む権利なんて、どこの誰にもありはしない、と。

 僕もそうだと思ってます。なんでも思い通りに運ぶなら、少なくとも僕はここに居るはずもなくて……きっと、みんな危険に身を賭す必要だってなかった。

 ――でも、それから生まれたものもありました。

 だから可能性を捨てて消えるより、少しでも希望があるなら、それに縋るような形を選んだって『悪』じゃない。ただ他人を傷つける権利だけは、誰も持っていない。そうだからこそ、罪は雪ぐものなんですよ。今を生きているからこそ、自分と失くしてきたものの価値を、忘れないために」

 

 そのために、と。

 ユーノは言葉を切ってイリスへ手を差し向けた。

 

「だから僕とユーリは、あなたのことを迎えに来ました。

 あなたが取り戻そうとして、なかったことにしようとした――失い続けても、ちゃんと残されていた大切なものまでも捨てさせないために。

 あなたが目を背けようとしたものの価値を――

 今ある幸せと、これからあなたに与えられる幸せから、絶対に目を逸らさせないために」

 

 これが、罰。

 そして同時に祝福である。

 もう一度、世界に戻って来いという――とてもとても身勝手で、生意気な宣告であった。

「……」

 逃げ道は、当然のように用意されていない。

 最後の最後で、勝ち逃げの道まで封じられてしまい、イリスの取るべき手段は一つしかなくなった。

 

「…………後悔、するでしょうね……」

 

 それは誰に対してのものか。

 ユーノか、ユーリか、あるいは自分か。

 だがイリスはそれ以上は何も言わず、ただユーノの手を取った。

 すると、目の前の空間がだんだんと崩れ始めていく。

 卵の殻を割るように崩壊していく夢の狭間。在りし日の炎が再び灯り、深い闇はここで明日への扉へと変わりだした。

 まるでそれは、ここから始まる何かを讃えるように。

 

 

 

 誰よりも夢に見た未来は終わり、長かった夜が明けていく。

 

 そうしてまた、告げられた終わりと共に、いずれ新たな日々の始まりへの路が拓かれていくのだろう。

 

 けれど今は休息。

 長い長い物語の終わりである。

 

 そうして、朝焼けに染まった紫天の下――

 曙光に包まれながら、魔法使いたちの物語が、その幕を閉じた。

 

 

 




 はい、というわけでRef IFの本編が〝ほぼ〟終了ということになりました!

 ……正直Det公開前ならうん、まあそうだな。と自分で納得できていた(というか勝手に自分の予想を妄想にしただけな)んですが、どうしてもやっぱりDetのが面白い。都築先生やっぱヤバいですよね(何をいまさら)。

 と、そんな勝手におこがましい事書いてる駄目作者なわけなんですが、とりあえずこれであとはエピローグである二十六章もしくは終章が終われば、次はいよいよ映画沿いのイフ書いていこうと思います。……頑張って映画館ループしないとっ!

 まあ、たぶん全部のセリフちゃんと把握する前に公開期間過ぎそうな気がしてますが(記憶力と遅筆さの弊害)どうにか間違わないように頑張っていこうかと思います。

 とまあ、そんなわけでグダグダしてますが、今後も楽しんでいただけるように頑張りたいと思います。
 この先も読んでいただけたらと思いつつ、新たに筆を進めていきます。
 それではまた次回も、よろしくお願いいたしますね。


 …………ところで皆さん。
 映画のラストのほうで、迎えに来るのがもし……とか考えたりしませんでした? 自分はむっちゃしてました(笑)
 翡翠の光が桜色の星を迎えに来るとか、いいと思うんですが……どうでしょうかね。

 まあ、そんな感じからモチベーションも上がってるので、改めてもう一度。
 今後も頑張っていきますので、楽しんでいただけたら幸いです。今後もよろしくお願いします^^

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