東京某所 夜 とある山中の境内
俗人の目に触れられぬよう、厳重に不可侵の結界が張られた神聖な神社。一般人にはその存在すら知られていないだろうが、陰陽師たちにとって、その場所は非常に重要な意味合いを持つ。
その神社を管理する者たちの名は――『
かの天才陰陽師、阿部清明の末裔にして、陰陽術という名の神秘を現代に至るまで継承してきた、由緒正しき陰陽師の一派。
ここは、その土御門の総本山だ。陰陽師として日々研鑽に励んでいる者たちにとって、まさに『聖地』といっても過言ではない、歴史ある土地なのである。
しかし、昨今。土御門家の者たちは、自らの血統への自負と、己の秘術を秘匿することに執着するあまり、世俗との繋がりを断つ傾向を強めるようになってきた。
呪術で苦しむ人々を放置し、ただひたすら引きこもり、研鑽に励むだけの日々。
偉大な先祖の血を絶やさぬよう、血を色濃く残そうと歪な近親婚を繰り返す。
その偏屈ぶりは、身内からも離反者が出るほど。彼らの先見のなさに、見切りをつけた者が一人、また一人と、土御門の家々を後にする。
かつての威光は途絶え、土御門家は確実に、緩やかな衰退の一途を辿っていた。
土御門家が管理するこの地の一角に、その洞窟は存在する。
山の中にできた空洞を、さらに広げて作られた暗闇の世界。日の光が当たることのないその空間を、物々しい篝火が煌々と照らす。洞窟内の開けた場所には五つの柱が配置されており、その柱と柱を線でつなぐことで、地面には五芒星が浮かび上がる。
柱の上の台座にはそれぞれ、現在の土御門を代表する長老たちが鎮座している。
彼等こそ、今の土御門を実質的に取り締まる最高権力者。
各々が土御門の秘伝をその身に納めた『継承者』であり、現在の土御門の衰退を担った『老害』でもある。
彼らは、土御門の陰陽師としての絶対性を信じて疑わない。「自分たち以外の陰陽術など、全て亜流に過ぎない」と、同じ陰陽師の一派として双璧を成す、八咫烏ですら見下している。
傲慢と偏見に満ちた長老たち――だが、そんな彼らが今、極度の緊張の中にあった。
「――さて、それで? 今日はいったい、どのような用件かな、長老方?」
五芒星の中心に立った、スーツ姿にハンチング帽を目深く被った男が口を開く。
「…………っ」
男の何でもない言葉に、思わず委縮して押し黙る長老たち。台座の上から男を見下ろす位置に座ってはいるが、彼らの表情は一様に優れない。その顔には敬意、怯え、畏怖。そういった感情が見え隠れし、複雑に揺れ動いている。
土御門家の長老たちが、そういった表情を見せるのは彼――九十九明ただ一人。彼の前では老人たちも、日頃から大っぴらにしている傲慢さを、引っ込めざるを得なかった。
「…………既にお伝えしたとおりです、九十九殿。例の『鬼』の小娘についてでございます」
九十九に委縮し誰もが沈黙する中、意を決した長老の一人が、冷や汗を流しながら、恐る恐ると口火を切る。
「単刀直入に聞きます。……何故、あやつめを人の世に招き寄せたのです?」
その言葉に同意するよう、他の長老たちが一斉に頷いていく。
鬼の小娘。それは言うまでもなく彼女――神宮寺鈴鹿のことである。
土御門に限らず、陰陽師にとって人外の存在。妖怪や怪異といった化け物の類は、滅ぼすべき悪、というのが共通の認識だ。鬼神の眷属を名乗る彼の者たちも、例外ではない。
ところが、彼ら鬼たちの隠れ潜む里の位置を正確に把握していながらも、土御門はこれまで、彼らに手を出すことができずにいた。
「お言いつけどおり。我々土御門は奴らと敵対することなく、今日に至っております」
「貴方様が奴らを押さえつけているからこそ、我々も余計な手出しを控えてきたのです」
「それを何故……わざわざ自らの膝元へ、呼び寄せるような真似をなさるのです?」
「左様……。あのような化け物ども、一生結界の中に閉じ込めておけばよいのです!」
最初の発言者を皮切りに、次々と言葉を発していく長老たち。誰もが注意深く言葉を選びながらも、腹の内に溜め込んだ不満を吐露していく。
土御門家が、鬼神の眷属討伐に乗り出せない最大の理由。それは、九十九明の存在が大きく関係している。
鬼神の眷属と九十九は個人的に親しい関係を築いている。そのため、彼らと敵対しないようにと、九十九自身が強く厳命していた。彼に頭が上がらない土御門としては、その言を無視するわけにもいかず、彼らは鬼の存在を認知していながらも、手を出さずにいた。
だが、鬼が一匹でも里の外に出るともなれば話は別。九十九の考えを改めさせようと、さらに言葉を重ねる長老たち。その忠告も、段々と熱を帯びて展開されていく。
「……ふむ、なるほど。君たちの意見も尤もだ。しかし――」
ようやっと、長老たちが言葉を出し尽くしたタイミングを見計い、九十九は改めて口を開く。だがその言葉が、洞窟内に反響した鳥の羽ばたき音によって中断を余儀なくされた。
「ん、なんだ……カラス? 使い魔か」
「誰だ! 話が終わるまで、何人たりとも立ち入るなと、言いつけておいた筈だぞ!!」
洞窟の広間に現れたのは一羽のカラス。それを陰陽師が使役する使い魔だと一目で見抜き、長老の一人が憤りをあらわにする。九十九との会合が終わるまで、洞窟内には決して踏み入るなと、下の者たちに言いつけておいただけに、その苛立ちは当然のもの。
しかし、顔を真っ赤にする長老を、九十九が手で制止する。そこに、九十九は何の力も込めていなかったが、老人は気圧され、己の怒気を引っ込める。
カラスは、洞窟上空を二度、三度と旋回した後、九十九の肩に止まった。
「どうしたんだい? あちらの方で何か動きでもあったのかな……捜し屋」
カラスに向かい九十九が問いかけると、彼の言葉に反応し、長老たちが俄かに騒ぎ出す。
「……捜し屋? あの
「京都を追放され、九十九殿の管理下に入ったと聞くが……」
「不遜な小僧め! ここは貴様が来るようなところではないぞ!!」
見下すように、蔑むように口々に叫ぶ老人たち。九十九が相手のときとは、えらく対応に違いがあるが、これが彼らの本質。現在の土御門の腐敗を招いた、彼らの慢心そのものだ。
カラスは、そんな老害たちの相手を一切することなく、九十九に向かって語りかける。
『ちょっちね……だいぶ、ややこしいことになってるみたいだよ』
それは、セキセイインコなどが、ただ人の声を真似するような声音ではない。人間の声帯と寸分たがわぬ、はっきりとした口調で、カラスは洞窟内にその声を響かせる。
「ほう……?」
捜し屋の報告を聞き、九十九は興味深げに呟く。彼は懐から水晶球を取り出すと、それをそっと地面へと置いた。その水晶球の上に、捜し屋の使役するカラスが飛び乗る。水晶球が妖しい輝きに満ちていくと、その輝きに呼応するかのように、カラスの目から放射線状の光が放たれる。
カラスが視線を上へと向けると、洞窟の天井に巨大なスクリーン映像が映し出された。
「これは……いったい?」
プロジェクターさながらの機能に、土御門の長老たちも天上を見上げる。
映像は、ここから数十キロと離れた、森羅ビルの食堂を映していた。九十九馴染みの食堂では、巨大な黒い蛇の怪物を前に、子供たちが混乱と戸惑いの表情を浮かべている。
「おやおや、これはまた派手にやっているようだね……しかし――」
九十九は映像の中、何一つ揺るぐことのない意志で、怪物と対峙している少女を見つけた。
彼女へと視線を向けながら、土御門の長老たちへと、彼は呼びかけていた。
「せっかくだ。君たちも見届けるといい。鬼たる彼女の実力、その真価のほどを――」
◇
同時刻 櫛田衿那の精神世界
「ちっ! 不味いわね……」
精神世界の意識の底。星野梨花子は己の犯した失態に、苛立ちげに舌打ちする。
眠っていた筈の蠱毒の核、その意識が突如として目覚め活動を開始した。覚醒した蠱毒は梨花子など見向きもせず、水底から海面を目指すかのように浮上していく。
――あれが外に出てしまったら、櫛田さんの肉体は……!
あの化け物の意識が表層化することによって発生する悪影響を予測し、梨花子は早急に手を打たなければと、慌てて後を追いかける。
「邪魔よ! いつまでも、纏わりつくんじゃない!!」
そのために、まず目の前の障害を排除する必要があった。自分をこの地に縫いつける、黒い靄。梨花子の意識を浮上させまいと、鬱陶しく絡みつくそれに、不快感をあらわに叫ぶ。
次の瞬間、梨花子の全身から烈火が迸り、蔦のように絡みつく靄を焼き払う。
ここは精神世界。術具の類を持ち込むことはできないが、精神力と意思の力さえ健在であれば、現実世界と同じように術を行使することが可能だ。浄化の炎で灰となった燃えカスを払い落とし、梨花子はすぐにここから立ち去ろうとした。
『――そう簡単に、立ち去れると思わないでもらおうか』
しかし――その行く手を阻もうと、梨花子の進路に黒い人影が現れる。
人影は、全身が黒い霧のようなもので構築されていた。形としては酷く不安定なものだが、感じるプレッシャーは、蠱毒本体に勝るとも劣らぬものがあった。
梨花子は足を止め、数秒ほど思案を巡らす。その影の正体を冷静に分析し、対応を練るため。やがて、答えを導き出した彼女は、警戒しながら影に問う。
「貴方は……さしずめ、術式を管理するために配置された、疑似人格といったところかしら?」
『一目でそれを見抜くか。ここまで侵入してきただけのことはあるな』
影は感心するような言葉を吐くが、そこには一切の感情の揺れ動きがなかった。
『いかにも。私はメフィストより生み出された仮初の意思。創造主たる彼に代わり、この呪いを維持、管理するために存在する、彼の者の代弁者……『端末』のようなものだ』
「そんなものまで……随分と凝り性みたいね、貴方のご主人様は……」
わざわざそんなものまで用意しているとは。一個人を呪うための呪術にしては、あまりにも用意周到だ。その手際に感心しながらも、若干呆れ気味に梨花子は頭を抱える。
「でも、その維持すべき呪いの核がどっか行っちゃったみたいだけど、追わなくていいの?」
梨花子は、あえて挑発気味な台詞を吐いて動揺を誘う。相手の隙を伺い、早急に逃走を図ろうと試みる。しかし、影は特に取り乱した様子もなく、平坦な口調で答えた。
『お前が介入してこようが、しまいが、どの道私の役目は終わっていた。既に宿主に残された時間も残り僅かだ。ならば最後くらい、好きに暴れさせても構わないだろう』
どうやら梨花子たちが予想していたとおり、呪いの進行は末期だったようだ。宿主たる衿那が死を迎えれば、当然のように端末も用済み。己の終焉を、彼は淡々とした口ぶりで語る。
そして、そんな平坦な口調のままで、影は梨花子を見据えて言った。
『だが、僅かでも障害となる可能性のある者を放置はできん。覚悟してもらおう』
もうすぐ消え去る運命とはいえ、まだ役割は果たすつもりのようだ。異物である梨花子を排除しようと、人型を保っていた影はその姿を膨らませ、戦闘態勢へと移行していく。
「…………一つ、聞いてもいいかしら?」
ふと、梨花子は影に向かって問いを投げかける。悠長に言葉など交わしている暇などないのだろうが、一つだけ。これだけは、どうしても尋ねておきたかった。
『なんだろうか』
影は意外にも動きを止め、彼女の疑問に答える姿勢を見せた。その律義さに苦笑しつつ、梨花子は改めて問う。 ある程度、答えが予想できているその問いを――。
「メフィストはどうして、櫛田衿那さんに呪いをかけたのかしら? 彼女に恨みでもあった? それとも彼女の家族、或いはその先祖にでも、何か因縁があったのかしら?」
『――その疑問、創造主に代わって答えよう』
彼女の問いに、代弁者たる端末は即答する。
『この宿主、櫛田衿那という人間を狙った理由――そんなもの最初から存在していない』
「――――」
返答を聞くや、梨花子の纏う空気が一気に冷え込む。それにも構わず、影は淡々と口にする。
『メフィストにとって、この個体は数多くいる被検体の一人に過ぎない。彼が目指そうとしている、魔道の極み。この世界に隠された秘密、真理への探究。全ては、その答えを得るための糧だ。櫛田衿那という人間の
「……そう」
八咫烏本部の報告に上がっていた、メフィストの手当たり次第のやり口から、その答えは予想できていたが、直に聞くことで、梨花子の中にふつふつと怒りがこみ上げてくる。
『付け加えるのであれば、選定の基準として、一定の幸福度に満ちている者を選んではいるようだ。そこからの落差が、どの程度のものかを知りたかったらしい。また、呪術の構築には、彼個人の趣向も含まれている。私という人格を生み出したのも、ひとえに――』
「――わかった。もういいわ」
尚も淡々とした口調で続ける端末に、梨花子は黙るように言う。
『そうか。では、他に聞くべきことがないのであれば、排除に当たらせてもうおう』
影は再び、その姿を大きく広げ、黒い霧となって空間全体を包み込んでいく。
「……ごめんなさいね」
その霧の侵食に呑み込まれながら、梨花子は謝罪の言葉を口にしていた。
「貴方に恨みはないんだけど……私、今の話を聞いて、すっごく機嫌が悪くなってしまったの!」
ただの管理者として生み出された端末相手に、怒りなど抱きはしない。
だが、梨花子はこの胸の内に渦巻くどす黒い感情を、発露せずにはいられなかった。
「だから……ここから先は全部、私の身勝手。完全に、ただの八つ当たりよ!!」
梨花子は己の内側で術式を練り上げる。浄化の炎が彼女の全身から吹きあがり、焔は巨大な獣の顎となりて、立ち込める濃霧を迎え撃つ。精神世界の奥底で、一人孤高なる彼女の戦いが始まる。
そして、時を同じくして――。
現実世界でもまた、とある少年少女たちの戦いの火蓋が切られようとしていた。
◇
森羅本社ビル 食堂
呪術の核となった蠱毒の意思『蛇蠱』は、梨花子の懸念したとおり、精神世界から飛び出し、現実世界に顕現した。巨大な漆黒の大蛇として、現世へとその姿を現したのだ。
「! ちょ、ちょ、ちょ、ちょ! なんですか! アレ!?」
突如として出現した、身の丈四メートルは越える巨大な大蛇を前に、テッドは狼狽する。目の前に現れた怪物が、いったい何なのか。専門家でもない彼には、正確に推し量ることができない。即座に距離を取り、臨戦態勢に入ってはいるものの、その表情は困惑に彩られていた。
怪物は、櫛田衿那という人間の影を水面に、その巨体を覗かせている。頭部から胴体半分までが地上に這い出ており、未だにその全容を晒してはいない。だが、特徴的な鱗模様や、舌を出し入れする仕草、爬虫類独特の瞳孔の開きなど。その全てが、万人に対し、それが『蛇』であるという事実を強制的に理解させていた。
「う……っ、うぁぁ……」
蠱毒がその形を明確にする一方で、櫛田衿那の意識は朦朧としている。彼女は、自身のすぐ背後に、化け物が忍び寄っていながら、逃げる様子もなく、項垂れるように椅子に倒れこんでいた。大蛇に意識を向ける余裕さえないほどに、衰弱しきっていたのだ。
「衿ちゃん!?」
命が悲鳴を上げる。今すぐにでも親友の側に駆け寄って、介抱してやりたいのだろうが、その動きを、鈴鹿が制する。彼女は、命を背に庇いながら、巨大な大蛇を見上げる。
その眼光には一切の油断がない。その真剣な面持ちは、鈴鹿が眼前の大蛇を、完全に『敵』として認めていることが、明確に伝わってくるものであった。
「まったく……こういうのを相手取るのは、僕たちの専門じゃないんですけど、ね!」
愚痴っぽい言動と共に、テッドの二挺の自動式拳銃が火を吹いた。
未だに疑問や、驚きを引きずってはいるが、素早く気持ちの切り替えを済ませ、彼は誰よりも先んじて、攻撃を開始。正確な射撃は大蛇の図体に向かい、一直線に突き抜けていく。
しかし、目玉などの急所と思しき箇所に何発か撃ち込んでみたが、ビクともしない。
「……はっ!」
テッドの行動に合わせ、呼応するように駆け出していたメリーが刀を振り下ろす。
狙いは胴体。衿那の影から、大蛇を切り離そうと試みる。しかし、彼女の腕前ではその頑強な外皮に傷一つつけられず、その弾力に体ごと弾かれてしまった。人間相手に使用する、メリー特製の神経毒も効力を発揮した様子がない。
――これは…………無理だな……。
その短い攻防でテッドはあっさりと認めた。この大蛇は、今の自分とメリーでは手に余る。少なくとも、拳銃や日本刀程度の装備で、どうにかなるような相手ではない、と。
【―――――――――――――――!!】
テッドとメリーの猛攻が途切れるや、ターン交代とばかりに、大蛇はその牙を剥き出しにして――吼えた。大蛇にとってその雄叫びは、ただの威嚇に過ぎない。だが、その叫びには、ただの蛇には絶対に持ちえない『負の感情』が内包されていた。
「ぐぐ……!?」「……!?」
聞くもの全ての心胆を寒からしめる喚き声に、テッドたちはたまらず耳を塞ぐ。その衝撃だけでも、十分な威力を持っていたが、当然それだけでは終わらない。次の瞬間、衿那の足元の影がさらに膨らみ、残りの身体の部位――『尻尾』が新たに顕現する。
蠱毒はその黒い尻尾を、ぶんと無造作に振り下ろす。
「――あっ!?」
テッドは目を見張る。尻尾が振り下ろされる先には、未だ目を覚まさず、無防備に床に倒れ伏す梨花子がいたのだ。先ほど床を抉り取ったのもきっと、あの尻尾の一撃だ。それを直に叩き込まれようものなら、人間の肉体など、物言わぬ肉塊と化してしまう。
テッドもメリーも命も、大蛇の威嚇行動に動きを阻害され、反応が遅れてしまっている。
間に合わない――誰もがそう思う中、その一撃に割って入る者が、一人だけ存在した。
「ふっ!」
神宮寺鈴鹿だった。誰もが蠱毒の威圧感を前に動けないでいる中、彼女一人は何の影響も受けていないのか、威風堂々たる貫禄で、その一撃を真っ向から受け止める。
「! ほう……思ったより、力があるではないか、やるな、蛇よ!」
鬼の怪力は見事、大蛇の攻撃を喰いとめた。だが、鈴鹿は蠱毒の図体を、払い除けることができずにいた。両者の力が――拮抗していたのだ。
鈴鹿は、そんな大蛇の力を素直に賞賛しつつ、視線をテッドたちへと向ける。
「おい、貴様ら、いつまでぼさっとしておる!」
「えっ……あ、は、はい!」
体を竦ませる彼らに、叱りつけるように激を飛ばす。その叱咤によって、テッドはハッと我に返り、同じように我を取り戻したメリーを伴い、二人係で梨花子を運び出す。そのまま、化け物の間合いの外まで移動し、テッドたちは彼女のバイタルを確認した。
「脈拍、呼吸、体温、異常なし!」
「……心音も正常、どうやら、眠っているだけのようですが……」
生命活動に支障がないことを確認し、一先ず安堵する。だが、梨花子は死んだような深い眠りについており、一向に目を覚ます気配がない。あの謎の化け物に対して、陰陽師の彼女ならば、何か有効的な手段を取れるのだろうが、これではこちらの戦力低下は否めない。
彼女が動けない以上、今いるこの面子だけで、この局面を乗り切る必要がある。
果たして、それでこの窮地を切り抜けられるか――と、思案を巡らせるテッド。だが、考えに浸る間もなく、戦況は刻一刻と変化していく。
テッドが大蛇を見やると、視線の先で、守りの姿勢をとっている鈴鹿を、蠱毒が激しく攻め立てていた。執拗に、狂ったように、大蛇の尻尾が無茶苦茶に振り回される。
「ぐっ……くくく!」
反撃の隙間さえ突けないほどの猛攻。しかし、一方的な攻勢に晒されながらも、鈴鹿の表情には余裕があった。攻撃を受けるたびに、皮膚が赤く染まり、切り傷などの血を流しているが、それでも、彼女の口元には、常に不敵な笑みが浮かべられている。
ところが、そんな鈴鹿の余裕の笑みが、思わぬところで陰りを見せることとなる。
「……! 鈴鹿さん、足元を!?」
「なんだ、メリー! 今取り込み中で……足元?」
最初にその亀裂に気づいたメリーが、鈴鹿に向かって注意喚起を促す。メリーの警告に、鈴鹿の意識が一瞬、床下へと注がれる。
そこへ、すかさず振り下ろされる、一際強烈な大蛇の一撃。不意を突いたその攻撃を、鈴鹿は難なく受け止めるが、その衝撃により――足元の床が崩れ落ちた。
「のわぁっ!?」
鈴鹿の口から素っ頓狂な声が上がる。度重なる大蛇の猛襲に、建物の方が先に限界を向かえてしまったのだ。さしもの鈴鹿といえども、足場が無ければ、踏ん張りをきかせることもできない。抜け落ちた床下から、彼女の体が重力に身を任せ、落下していく。
大蛇の両目がギラリと光った。またも尻尾が大きく振り上げられ、崩れる足元に意識を割かれ、まともに防御すらとっていない鈴鹿へ、その痛烈な一撃が叩き込まれる。
「――っ!」
鈴鹿の体は、ピンボールのような勢いで弾き飛ばされ、そのまま真下の部屋の床すらも突き破って、さらに下層へと墜落していく。先日、渋谷を襲った局地的地震にもビクともしなかった森羅ビル内部を、爆発するような振動が駆け抜けた。
食堂から下の階層がまとめて吹き抜けとなり、窓という窓が割れ、至る所に亀裂が走り、ビル全体が悲鳴を上げていく。
「うわぁ……酷いな、コレ……。鈴鹿さん! 生きてますか!?」
甚大な被害に顔を青くするテッド。ポッカリと空いてしまった風穴を覗き込みながら、下のフロアへと落下していった鈴鹿へ、その安否を問うた。
だが、テッドの狙撃手としての視力を以ってしても、鈴鹿の姿は確認できず、返事もない。吹き抜けの底は、瓦礫の山で埋め尽くされている。そこに生き埋めとなってしまったのか。
それを確認する間もなく、さらに事態は急変していく。一番厄介な邪魔者を片付け調子づいたのか、大蛇はその場からゆっくりと動き始める。
「つぅ……!」
すると、蛇の動きに連動するかのように、気を失い、床に伏していた衿那の体も引きずられる。影を通して繋がっている衿那の肉体が、彼女の意思に反して、引っ張られていく。
「衿ちゃん!?」
無残に引きずり回される親友の姿に、命の口から悲鳴が上がる。テッドとメリーもそれに気づいたのか、武器を構え直し、大蛇への攻撃を再開しようとするのだが――それに先んじて大蛇が動いた。
【―――――――――――――――!!】
雄叫びを上げながら大蛇が、テッド達に向かって、猛牛のように突っ込んできたのだ。
「――っく!」
「……っ!!」
「きゃあ!?」
その巨体によるぶちかましに、咄嗟に回避行動を取るテッド。メリーも呆然と立ち尽くす命を伴い、横へと飛んだ。そして、大蛇は先ほどまでテッド達がいたところを通り過ぎ、その後方にあった壁をぶち壊す。
「ああ……しょ、食堂が……」
馴染みの場所が音を立てて崩れ落ちていく様子に、さらに顔色を悪くするテッド。大蛇はそのまま、自らが空けた穴を通じて、食堂の外へと飛び出していった。
「ま、待って!?」
命を先頭に、一同は急いで後を追う。廊下を出ると、そこには大蛇の通り過ぎた痕跡が残されていた。その巨体を引きずって通過した道筋が、階段を通じ上の階へと続いている。
比佐命は、一切の迷いも、躊躇いも見せず、大蛇と共に引きずられていった衿那を追いかけようと、階段を駆け上がる。その後をわずかに遅れて、メリーが追う。
「え、ええと……」
一人出遅れて、その場に残されたテッドは、その場で暫し考え込む。
鈴鹿の安否を確認するため下へ降りるか。食堂に留まり、梨花子が目覚めるのを待つか。
「う~ん、………………ごめんない!!」
悩んだ末、彼は階段を駆け上る。
その場を放置して、とある場所へと駆け出していった。
◇
「……そこまでです。比佐命」
「……」
階段の踊り場。メリーは命の腕を掴み取り、その動きを止めることができた。命よりメリーの方が年下ではあるものの、握られた手のひらから感じる力は強く、命はメリーの手を振り払うことができずにいた。
「離して……」
「……そんな非力な身の上で、何ができるというのですか?」
泣きそうな声で懇願する命に、メリーは現実を直視させるために言い聞かせる。
「……あの化け物相手に、貴方に何ができますか? 大人しく、部屋に戻っていてください」
鈴鹿との攻防、食堂で暴れまわった破壊の痕跡を見れば一目瞭然だろう。ただの人間にあれと対峙して、抗う術など、ある筈もないのだということが。
「……我々も、今の装備では心許ない。一旦態勢を立て直さなければ……」
テッドとメリーの現装備が通じないのも、実証済みだ。ここはすぐには追いかけず、武装を改めて挑む必要があった。おそらく、兄もそのために武器庫へ向かっているだろうと、その動きを正確に読んだ上で、メリーは命に進言する。だが――
「立て直す? そんな余裕があるの? そんな時間……衿ちゃんに残されているの?」
間髪入れずに返ってきた命の言葉に、メリーは咄嗟に視線を反らし、辺りを見渡す。
階段の至る所に残された、大蛇が通過した痕跡の跡には、所々血の跡も残されている。言うまでもなく、櫛田衿那のものに違いない。大蛇に繋がれたまま引きずられていった、彼女の生々しい傷痕。この足跡を辿るだけでも、衿那の苦痛を想像するのは容易だった。
「これ以上、衿ちゃんを苦しめたくないの。ただでさえ私は、ここに来るまで『二度』彼女の手を振り払ったんだから……」
命は、親友を一刻も早く苦しみから解放したいのだろう。しかし、それだけではない。彼女にはこれ以上、逃げられぬ理由があった。
「一度目は、弟さんの事故の後。もう誰も巻き込みたくないって、自分の不幸で傷つけたくないって、そんな衿ちゃんの決意に沿うためだって……私は逃げたんだ……」
命の口から零れ落ちる声音からは、強い後悔の念がヒシヒシと伝わってくる。
「二度目は、再開のすぐ後。今度こそは力になろうって決めたのに、衿ちゃんの涙に怖気づいて、一人駆け出していく彼女の手を、私は引き留めることができなかった……」
自らの罪を悔いるような面持ちだが、当然命に非などない。寧ろ、彼女はよく頑張った方だ。陰陽師でも、鬼でもない。メリーやテッドのように荒事に慣れている身でもない。只の人の身で、よくぞここまで諦めずに食らいついてこれたものだ。
だが、そんな上辺だけの賛辞、他でもない彼女自身が望んでなどいない。
「ここでまた逃げたら……私はもう二度と、衿ちゃんの隣を歩けなくなるよ……」
命が望むのはただ一つ。もう一度、親友と笑いあう未来だけだ。そのためにここまで来た。ようやく、その未来に手が届くところまで来たのだ。
「だからお願い……最後まで見届けさせて! 元々これは、私たちが乗り越えるべき『不幸』なんだから‼」
「……」
命の決意を前に、メリーは彼女の腕から手を放し、もう片方の手で触れていた刀からも手を放す。
いざとなれば、この愛刀で命を斬りつけ、塗りつけられた毒で身動きをとれなくすることもできた。しかし、それで命を黙らせようとも、彼女は地を這ってでも進みそうな気迫でこちらを睨んでくる。メリーは僅かに逡巡し、諦めたように小さく息を吐いた。
「……決して無理はしないことです、いいですね?」
「ありがとう」
メリーの了承に命は未だ影があるものの、確かな笑顔で応える。
「……そうと決まれば急ぎましょう、どの道、今から引き返す余裕もなさそうです」
一度は引き返すことも考えたメリーだったが、辺り一帯に飛び散った血痕や、蛇が顕現した際の衿那の体調の変化を鑑みるに、悠長に装備を整えている暇もなさそうだ。助けるのが遅れれば、その分だけ手遅れになる可能性も高くなる。
二人の少女は大蛇の後を追い、二段、三段と飛ばし飛ばしで急ぎ階段を駆け上る。
そして――たどり着いた先。屋上へと続く扉へ手をかけ、比佐命は親友の名を叫んでいた。
「衿ちゃん‼」