本作において命という人物が登場しますが、命と書いて『ミコト』と読みます。
本小説では『いのち』という単語を使う場合、生命と書いて『いのち』とルビを振っていきます。
お手数ですが、どうかご容赦下さい。
長い髪は三つ編みに編まれ、目がパッチリとしており、どこか愛嬌があるも気弱さや、内気さが前面から伝わってくるため、まるで小動物のような印象を受ける、か弱そうな女の子だ。
命は、櫛田衿那の親友だった少女だ。
衿那の不幸が始まってから今日まで、多くの人々が彼女から遠ざかって行った。そんな中、ただ一人。家族以外で彼女の側に居続けた友人。どんな不幸を目の当たりにしようと、最後まで衿那を支え続けようとしてくれた親友。衿那自身が弟のときのように、自身の不幸に巻き込むまいと遠ざけた少女。
一方的に縁を切り、離別した筈のその彼女が、衿那の前に姿を現したのだ。
――衿ちゃん、また少しやつれたかな……。
命は親友である衿那と顔を合わせたのが、ちょうど半年前が最後だったことを思い返す。
二人は同い年の友人であったが、お互い通っていた小中学校は別々だった。それでも二人は出会いを重ね、友好を深め、気がつけば親友同士となっていた。しかし――
「なんでここにいんのよ、アンタは!!」
衿那が自分を見て青ざめるその反応に、命の気持ちが沈む。
互いに笑い合っていた、あの懐かしい日々も遠い過去のもの。衿那はあきらかに自分の存在を歓迎してはいなかった。だがそれでも、命はめげずに衿那に微笑みかける。
「……驚いた? 私も刻印、受験したんだ……衿ちゃんと同じ学校に通いたくて……」
衿那に一方的な別れを告げられた後だ。命は衿那の両親に、親友が志望しているという高校を教えてもらい、彼女に内緒で試験を受け、合格を果たしていた。
全ては彼女と同じ学校に通うため、彼女の隣に立つため。
「――んで……なんで、アンタは……!」
命の答えは聞いて、衿那が泣きそうな表情になった気がしたが、それも一瞬――
直ぐに表情を険しく引き締め直し、見下すような冷ややかな目をこちらに向けてきた。
「ふん……馬鹿じゃないの?」
「……」
「私と同じ学校に通いたかったぁ? そんな理由で志望校決めるなんて、一人じゃ何にもできない甘ったれたガキの思考よ、そんなの!」
「……」
「それに……よく刻印なんて受験する気になったわね? ここ、まがりなりにも私立高よ。アンタみたいな貧乏家庭に、ここの馬鹿高い学費が払えるとは思えないけど!」
「――っ!」
衿那の放ったその言葉は、命の胸に突き刺さる。
確かに、彼女の家はとても裕福とは言えない。上流家庭とも呼べる衿那の家に比べると、その差は歴然としているだろう。だが、そんなあからさまな挑発にも耐え、命は言葉を絞り出す。
「だ、大丈夫だよ……特待生制度に受かって、基本的な授業料は免除になったから」
「あっそ……それがアンタの取り柄よね。運動音痴で机にしがみつく以外、能がないもんね!」
再度、心無い罵倒を浴びせてくる衿那。きっと彼女たちの関係を知らない者が見れば、衿那が命を一方的になじっているだけにしか見えないだろう。
しかし、命にはわかっていた。
彼女の誹謗中傷は決して本心からのものではない。自分の『不幸』から遠ざけようと、自分に愛想を尽かせようとしている、演技に過ぎないと。
だからこそ、命は余計に悲しくなってくる。こんなことを言わなくてはならないほど、追い詰められている衿那の心情に、悔しさが込み上げてくるのだ。
「私はね……そんなアンタの相手をするのが疲れたの! もう飽きたの! だから……消えてくれないかしら? 私の前から……今すぐに!」
最後の言葉はもはや悲鳴に近かった。それはきっと、自分の前から立ち去って欲しいという、衿那の心からの願いがこもっているからだ。だがここで引くなどできない。もうこれ以上、彼女を独りぼっちになど、させたくはなかった。
「衿ちゃん……私は!」
その想いを、その願いを今度こそ彼女へ。そう覚悟を決め、命は叫ぼうとし――
「――待てい!!」
無粋な乱入者が二人の間に割って入ってくる。
「「?」」
先刻まで、衿那と何事かを話していた命の知らぬ少女が、突然大声を上げたのだ。まさかこのタイミングで、横槍が入ってくるとは思ってもなかったため、二人は驚いてその少女へと視線を向ける。少女は、どこかご立腹といった様子で命を睨みつけた。
「小娘……お主が何者か知らぬが、まだ儂とこやつとの話しが終わっておらんぞ! 火急の用でないのならば、儂の話が終わるまで控えておれ!」
「……え、え?」
まさかの少女の発言に、命は言葉を失う。二人の間に飛び交う会話や空気を察すれば、むしろ控えるべきが誰なのか、自然とわかる様なもの。なのに、少女はそんな二人の重苦しい空気を払うように、ずかずかと干渉してきた。
「……いや、アンタとの話なんてもう終わってるし、とっとと帰りなさいよ、バカ!」
「なにおう……って、誰が馬鹿だ!」
「アンタよ、アンタ」
そんな、空気の読めない少女を衿那が罵倒する。その言葉に、さらに気を悪くした少女は衿那に詰め寄る。衿那は衿那で少女に対し、たじろぎながらも負けずと喧嘩腰に睨み返した。
「ちょ、ちょっと二人とも、少し落ち着いて……」
険悪なムード。何とかその場を収めようと、命は二人へ声をかけようとし――
「――危ない、上っ‼」
誰かの叫び声が響き渡った。その声の導きに従い、命は空を見上げると――
いくつもの鉄骨が、衿那と少女の頭上から降り注いでいる光景を目の当たりにする。
「! に、逃げてぇぇぇ‼」
命は二人に向かって叫ぶが、間に合わない。
櫛田衿那の、呼び寄せた『不幸』によって。
「むっ!」
二人のうち、いち早く迫りくる鉄骨に気づいた見知らぬ少女の方が、咄嗟に己を盾にするように衿那を庇う。迫りくる無数の鉄骨。その全てを一人、その身で受け止める。誰もがそんな彼女の行動に息を呑み、彼女の壮絶な苦痛を想像したことだろう。
「――……おい、無事か?」
しかし予想に反し、少女は平然としていた。自身が庇った衿那の安否を気遣う余裕すら持ち合わせており、「よっこい、しょっ!」と肩に背負っている鉄骨を軽く払いのけ、「さて……どこまで話したかのう?」などと、何事もなかったように会話を続けようとさえしている。
「…………は!」
暫しの間、そんな少女に呆気にとられる命。だが、すぐに我を取り戻し、自分と同じように呆然自失とし、動けないでいる親友へと駆け寄ろうとする。
「衿ちゃん、大丈夫――」
「来るな‼」
だが、衿那の悲鳴とも呼べるその叫びに、命の足が止まってしまった。
「誰も……! 私に近づくな‼」
「あっ――」
助けてくれた少女に礼を言うこともなく、衿那は逃げるようにその場を立ち去ってしまう。
命は衿那に手を伸ばすも、その背中を呼び止めることも、追いかけることもできなかった。
――衿ちゃん……泣いてた……。
彼女は衿那の瞳に涙が浮かべられていた事実に驚き、動けずにいた。
命が知る限り、衿那が人前で涙を流したことなど一度もない。不幸が始まった頃も、多くの人が自分から離れても、弟が意識不明の重体で運ばれても。衿那は命の前では虚勢を張り、決して弱音を吐こうとはしなかった。そんな彼女が泣いていた。その事実が、少なからず命に衝撃を与え、彼女に二の足を踏ませてしまったのだ。
――もう、あまり時間はないのかもしれない……。
半年間会わない間にも、彼女の『不幸』はより一層激しさを増していた。先ほどは運よく助かったが、このまま行けばいずれ――
――だめ! そんな弱気になっちゃ!!
衿那に訪れるかもしれない不吉な未来を思い浮かべ、あわてて首を振る。そんな最悪の未来を避けるため、親友を護るため、自分は彼女の後を追ってきたのだと。命は弱気な考えに陥った自分自身を奮い立たせるよう、両手でバチンと頬を叩いた。
「――お、おい。きみ……大丈夫か?」
そうして、決意を新たに衿那の後を追おうとした命の足が、野太い男の声で止まる。工事現場の作業員と思われる男が、あの少女に声をかけていたのだ。
「…………ん? ああ、大事ない……」
少女は舞い上がった土煙の汚れを払いながら、その言葉にどこか上の空で返事をする。彼女が自分と同じ、衿那が立ち去った方向を見ていたのに気づき、命はハッとなる。
――この人、衿ちゃんを庇って……くれたんだよね……。
そんな彼女に、一言も告げずに去るのは何か違うなと感じ、命は少女へと近づいた。
「あの……」
「ん? なんだ、何か儂に用か?」
「ありがとうございます……衿ちゃんを助けてくれて……」
「ふん、礼など不要だ。この程度のことで」
少女は命の感謝を軽く受け流すが、そこに彼女に声をかけた男性が会話に入ってくる。
「この程度って……もろに鉄骨がぶち当たってたけど……ホントに大丈夫なのか?」
「問題ない。こんなものの一つや二つ。何度でも受け止めてやるわ」
「……頭とか打ってないだろうな? ちょっと医者に見てもらったほうが……」
「必要ない」
「いや……こういうのは後からくるもんだし………万が一何かあったら………」
仮設足場が崩れた時点で万が一も何もないのだが、男は尚も食い下がる。純粋に少女を心配しているのか、これ以上被害を増やし、現場の人間として責任を追求されるのが嫌なのかは定かではないが、男の言わんとしていることは命にも理解できた。
昔のニュースで野球の試合中、ピッチャーの球がバッターの頭部に直撃し、死亡したという話を聞いたことがある。最初は平気そうな顔で試合を続けていたが、試合後、何時間か後になって急死したという、かなりショッキングな内容だ。
命は少女の手を取り、強く申し出ていた。
「行きましょう、病院! 何かあってからじゃ遅いんです。さあ、早く!」
「いや、必要ないと言うたではないか?」
「でも! このまま放っておいて、取り返しのつかないことになったら!」
せめて少女自身からではなく、公平な第三者の口から、大丈夫という言葉を聞きたかった。どうしようかと頭を悩ませていると、二人のいざこざを見ていた男が提案する。
「なら、保健室の先生にでも診てもらえばいい。まあ、何もしないよりはマシだろう」
「そうですね! そうしましょう!」
その妥協案に、命は大きく首を頷かせる。少女もしぶしぶといった顔をしながらも、その首を縦に振った。
「うむ……そこまで言うのならば仕方ない。では――」
◇
数分後 刻印学院高校 保健室
「それで、私のところまで来たってわけね……」
養護教諭として保健室で待機していた星野梨花子は、二人の女生徒、鈴鹿と命がここまで来るに至った経緯を聞き終え、軽く息を吐く。唐突な訪問客に優雅な午後のティータイム邪魔されたためか、不機嫌とまではいかないが、少し気分を害したようだった。
だが、そんな梨花子の心情を察することもなく、鈴鹿は保健室のベッドを占拠し、腰掛ける。
「そうだ。何かあればすぐ報告に来いと、今朝お主自身が言っていたことだからな!」
「それは、そうだけどね……」
鈴鹿のその言い分に、首の裏をさすりながら梨花子は言葉を濁す。
彼女は今朝方、学院の理事長である九十九の要請を受け、入学式そっちのけで、鈴鹿に校内を案内して廻っていた。その際、いくつかの注意事項と共に、トラブルや悩み事があれば、いの一番に自分に話をもってくるようにと念を押しておいた。
「にしても……まさか入学初日から保健室に駆け込んでくるとはね……」
実際、こうも早くにごたごたを持ち込んでくるとは、梨花子も思ってはいなかった。
「な、何かすみません。いきなり押しかけてしまって……」
すると鈴鹿とは対象的に、命が済まなそうに頭を下げる。梨花子とも初対面だったため、どこか萎縮し、部屋に入った後もずっと立ちっぱなしである。
そんな彼女へ、梨花子は「気にするな」と一言告げ、近くの椅子に座るよう促す。事故の原因など、色々と聞きたいこともあったが、頼ってきた生徒を無下にもできない。
とりあえず生徒たちの要件に応えるべく、梨花子は養護教諭としての仕事をこなす。
「まあ、いいわ。とりあえず頭出して、鈴鹿ちゃん」
「うむ」
鈴鹿は大人しく指示に従い、差し出された頭部を梨花子が診察する。見た限り、これといって外傷はない。
「ど、どうですか、先生?」
「……平気よ。特に目立った外傷とかはないから」
「本当ですか! 良かった……」
「ええ……一応、体の方も見ておきましょう。鈴鹿ちゃん、制服脱いで」
その指示にも鈴鹿は素直に応じ、躊躇いなく制服を脱ぎ捨てる。すると、そこには真っ白な
命が頬赤らめ視線を逸らす。同性といえども、あまりに遠慮なく晒された肌に恥ずかしさを覚えたのか。当の鈴鹿本人はまったく気にもとめていないが。
「……どうやら問題なさそうね」
大人の女性としての余裕なのか、鈴鹿のあられもない姿に全く動じることなく、彼女の体全体を診察しながら、梨花子は命に向かって安心させるように言う。肩の荷が下りたのか命は張っていた気を緩め、そんな生徒へ、梨花子はさらに言葉をかける。
「比佐、命さん……だったわね。ありがとう。わざわざ鈴鹿ちゃんを連れて来てくれて」
「いえ……何もなくて良かったです」
「でも、本当にありがとう。彼女……鈴鹿ちゃんは色々と訳ありでね。上の方からも注意するように言われているのよ」
「訳あり……ですか?」
「ええ、そうなの。だからこの学校で上手くやってけるか、少し心配だったんだけど……」
そこで一度言葉を区切り、梨花子は鈴鹿と命の二人を交互に見比べる。
「杞憂だったみたいね。これからも、彼女と仲良くしてくれるとありがたいわ」
「うむ、宜しく頼むぞ!」
制服を着なおした鈴鹿が命に握手を求める。差し出されたその手をしばし凝視した後、ためらいがちながらも命はその手を取る。まだ表情は固いが、悪い雰囲気ではない。梨花子は二人の距離を少しでも縮めることができればと思い、軽くフォローを入れる。
「それにしても、貴方たち初対面でしょ? それなのに付き添いで来てくれるなんて、面倒見がよくて優しい子なのね、比佐さんは……」
梨花子としては、この発言に特に深い意味はなかった。気をよくしてもらおうと、多少おだてる気持ちはあったが、これは梨花子の本心からの言葉でもある。
だが、その発言に命は目を伏せる。
そして――次に顔を上げたとき、彼女はその瞳に涙を浮かべていた。
◇
『――優しい子なのね』
梨花子の言葉が命の胸に染み渡るように浸透し、様々な感情を沸き起こさせる。優しいなどと言われたことに対しての――悲しみや、恥ずかしさ、そして罪悪感。
――違う……。
自分は決して優しい人間などではない。『不幸』によって鈴鹿が致命的な傷を負い、それによって、衿那が余計な業を背負うことになるのが嫌だっただけだ。断じて、鈴鹿自身の身を気遣っていたわけではない。
しかも、自分は半年間。不幸に晒され続ける衿那を、遠目から見ているしかできなかった人間だ。それなのに、今さらになって、親友面で彼女の隣に居座ろうとしている。他人に優しいなどと言われる人間では、断じてないのだ。
「ど、ど、どうした 何故泣く? どこか痛むのか?」
突然涙を溢す命に、鈴鹿はおろおろと戸惑う。梨花子も初めは驚いていたようだが、すぐに冷静さを取り戻したのか、涙を浮かべる生徒をただ一心に見つめていた。
ひとしきり泣いた後、命は落ち着くと共に、急激に恥ずかしさが込み上げてきた。
「す、すいません……初めて会った人の前で泣くなんて……馬鹿、みたいですよね?」
涙を拭いながら自虐的に笑う彼女に、鈴鹿も梨花子も答えない。梨花子はおもむろに立ち上がると、何かしらの作業をするため生徒たちから背を向け、鈴鹿は命の話にただ首を傾げる。
気まずい空気が、保健室全体に充満する。
「あ、あの……すいません! じゃあ、私はこれで!」
その雰囲気に耐えきれず、命は慌てて保健室を出ようとする。しかし、逃げ出そうと立ち上がった彼女の腕を――神宮寺鈴鹿が掴んでいた。
「えっ?」
驚きで目を見開く命に、鈴鹿は依然として困惑したままだが、はっきりとした口調で言う。
「……お主が何を言っているのか、儂には見当もつかん。儂は賢い方ではない。御爺様や九十九殿のように思慮深くもなければ、他者の心の機微に聡いわけでもないからのう」
「……」
「だから――教えてはくれぬだろうか?」
「?」
鈴鹿の口から出たその言葉に、今度は命が首を傾げる番だった。
「儂は、まだこの街に来たばかりの何も知らない無知なガキだ。見識を広めるため、やらねばならない使命のため、この地に馳せ参じた。その使命を果たすためにも、儂は多くのことを知らねばならない。学ばなければならない。そのために娘よ! まずはお前のことを教えてくれ。お前が、お前たちがその胸に抱えるものを――どうか、この儂に教えてくれ」
なんの躊躇もなくかけられた問いに、命は鈴鹿の顔を覗き込む。一切の混じり気もない、黒曜石のような彼女の澄んだ瞳が、困惑する命自身の姿を映し出していた。
「そうね……私たちでよければ話してもらえないかしら?」
鈴鹿の言葉に賛同するよう、梨花子が優しい声音で語りかける。両手には湯気の立っているマグカップを持っており、その一つを命へと差し出した。
「あ、ありがとうございます……」
命は素直にマグカップを受け取り、口をつけようとそっとカップを近づける。すると、芳しい香りが彼女の鼻孔をくすぐる。
――いい香り……。
カップの中身は紅茶だ。香りは独特な匂いが漂う保険室でも嗅ぎ分けることができるほど、はっきりと感じ取れた。その香りに思わず夢中になりながら、そっと口をつける。
「……! 美味しい……すごく美味しいです! この紅茶!」
「うむ、確かにこれは見事なものだ! メリーの淹れたやつとは雲泥の差だな!」
もう片方のマグカップを受け取っていた鈴鹿が、誰かの淹れた紅茶と比較しながら頷く。
命も、これまでの人生で何度も紅茶と呼ばれる飲み物を口にしてきたが、これはそれらとは全く違うものに思えた。それほどまでに、梨花子の淹れた紅茶は素晴らしいものだった。
「そう。口に合うようで良かったわ」
「こんなに美味しい紅茶、生まれて初めてです。……これ、お高いんですか?」
「安物のアールグレイよ。その辺のスーパーでも売ってるわ。まあ、ちゃんとした淹れ方をすれば、安物でもしっかりと味が出せるものでね。自慢じゃないけど、紅茶の淹れ方に関してなら少し自信があるわ。子供の頃にさんざん駄目だしされたし、あれだけ何度もうんちくを聞かされれば、嫌でも身につくしね……」
「?」
「……ああ、ごめんなさい。こっちの話よ」
どこか遠くを懐かしむよう、窓の外を見やる梨花子だったが、すぐに話を元に戻した。
「まあ、月並みの台詞かもしれないけど、誰かに打ち明けることで、少しは気が楽になることもあるわ。それに……幸いここには、聞き役が二人もいるしね」
「そうだな! 一人より二人! 三人寄れば文殊の知恵とも言うからのう!」
「…………」
力強く響く梨花子と鈴鹿の言葉。振る舞われた温かい紅茶が命の心を解きほぐす。彼女は、ほんの少し躊躇いながらも、その重たい口を開き始めた。
「う、上手く説明できる自信はありません。私、お喋りとかは基本苦手で、お二人に無駄な時間を取らせるだけかもしれません」
「うん……」
「あの……それでも……最後まで聞いてもらえますか? 私の、私たちの抱えているものを」
不安げな表情の命。そんな彼女に、梨花子は自分の分の紅茶を淹れながら頷いてみせた。
「ええ、勿論よ……」
◇
そして、命は話した。自分がここに至るまでの経緯の全てを、最初から最後まで。
櫛田衿那との出会い――いじめられっこだった自分を助けてくれた、彼女との出会い。
櫛田衿那との日々――学校は違えども、自分たちは喜びも悲しみも分け合える親友だった。
櫛田衿那の不幸の始まり――それがいつの頃からか、彼女を取り巻く不幸が全てを狂わせた。
櫛田衿那との別れ――弟の事故から衿那は命との縁を切り、彼女を遠ざけた。
そして再会――家族からも離れ、一人で生きていくと決めた衿那を追い、命はここへ来たと。
恥も外聞もかなぐり捨て、楽しかった想い出に笑みを浮かべ、理不尽な不幸に憤り、込み上げてくる涙をせき止めながら、命は息つく暇も、時間すら忘れて語り続けた。
延々と続く彼女の話に、二人の聞き手は口を挟むことなく、静かに耳を傾けてくれていた。
どれだけの時間、話し込んでいたのだろう。気がつけば日も暮れ、部屋の外から聞こえていた放課後の喧騒もすっかり鳴りを潜めていた。
「――以上が、私がお話しできる全てです」
話を終えた命の胸は少しだけ軽かった。梨花子の言うとおり、誰かに打ち明けたことで、僅かだが気が楽になった気分だ。
同時に不安でもあった。今の話を、果たして彼女たちはどこまで信用してくれるのか。信用したとして、どのような反応をするのか。おどおどしながら、彼女らの言葉を待つ。
すると、話を聞き終えた梨花子がおもむろに眼鏡を外す。白衣の胸ポッケからクロスを取り出し、レンズの汚れを拭き取る。再び眼鏡をかけ直した瞬間――彼女の纏う雰囲気が一変する。
ほんの少し目じりをつり上げ、声に何らかの感情を込めて梨花子は口を開いた。
「ねぇ、命ちゃん。彼女の……櫛田さんの『不幸』についてなんだけど」
「……はい」
「櫛田さんの不幸が始まったのは、中学生の頃からだって言ってたわよね?」
「は、はい。そうですけど……」
「その頃、彼女に何か変わったことはなかったかしら?」
「変わったこと、ですか?」
「例えば……何日か学校を休んだとか、急に倒れたとか、何かなかったかしら?」
奇妙な質問をする梨花子に、命と鈴鹿が不思議がる。命はとりあえず過去の記憶を振り返り、暫く考え込んだところで、ふと思い出した。
「そ、そういえば中学に上がったばかりの頃ですけど、衿ちゃん、弟さんとの下校途中に突然意識を失って倒れたことがあったんです」
「意識を?」
「はい。そのまま病院に運ばれて、一時間くらいで目を覚ましたんですけど……」
まだ彼女の不幸が始まる前の出来事であったが、そのことはよく覚えている。その報せを受けたときは、本当に心臓が止まるかと思った。結局、これといって大事には至らなかったが。
「そういえば、それからすぐだったと思います! 彼女の周りでおかしなことが起きて……」
「なるほど、なるほど……」
二つの事柄の妙な因果関係に、合点がいったという様子で梨花子は何度も頷く。
「………命ちゃん」
「はい?」
梨花子は顎に手を当て何かを考え込んでいたが、やがて思い定めたように言う。
「詳しいことは、実際に櫛田さんを診てみないとわからないわ、だけど、もしかしたら――」
そして、梨花子はその結論を口にする。
それは、命が心の奥底でずっと欲してきたもの。
そんな都合のいい望み、叶うわけない。そう、あきらめかけていたものだった。
彼女たちが長年願い続けたその答えを、養護教諭――星野梨花子は口にした。
「――貴方の親友の『不幸』を、私たちの手で終わらせることができるかもしれないわ」
◇
同日 夜 森羅本社ビル 食堂
「…………遅い」
森羅本社ビル。いくつものテーブルや椅子が整然と並べられている広々とした室内で、テッドは夜に放送されるアニメを鑑賞しながら、一人不安を募らせる。
ここは九十九の所有する部屋の一つ。彼ら専用の食堂である。部外者は勿論、社員ですらも立ち入らないこの食堂で、テッドやメリーは基本的に食事をとっている。
現在、テーブルの上には、かつてないほどの規模で豪勢な料理が所狭しと並べられていた。高級魚の盛り合わせに、霜降り肉の牛ステーキといった御馳走。宮廷料理にでも出てきそうな野菜でできた鳳凰から、オムライスやスパゲッティといった、庶民的料理まで。
「確かに君の言うとおりだね、テッド」
それらの料理を一人で調理した九十九が、調理場から顔を覗かせテッドの言葉に同意する。料理作りは九十九の趣味の一つで、普段の双子たちの食事なども彼が一人で賄っている。
「今日は鈴鹿君の入学祝いをと思い、腕によりをかけて気合を入れたんだがね……」
もっとも、その腕前は既に趣味の領域を完全に逸脱してしまっており、あまりのクオリティの高すぎる料理を前に、九十九の腕前を知っているテッドですら、ドン引きしていた。
「九十九さん……いくらなんでも作りすぎですよ。流石にこんなに食えませんって」
「そうかい? あの子の胃袋なら、これくらいペロリと平らげそうなものだが?」
「どこの大食いタレントですか、それ?」
九十九の言葉に呆れ気味に答えながら、テッドは話を戻す。
「もうこんな時間ですよ。今日は入学式と軽いHRで終わる予定ですよね? やっぱり、また何かトラブルでも起こしてるんじゃ……」
あくまで、トラブルに巻き込まれたとは考えず呟く少年に、九十九はやんわりと言う。
「心配ないさ。何かあればすぐに梨花子君に報告するように言ってある。それに、昨日あれだけ言い含めておいたんだ。流石の彼女も、昨日の今日で同じようなトラブルを起こしは――」
と、心配無用と九十九が発言しようとしたときだ。突然、彼の体が光を放つ。いや、正確には彼の服の下からその光は発せられていた。
「「…………」」
その光の意味を悟った二人は揃って沈黙。珍しく、九十九がきまり悪げに頬を掻いた。
「あ……前言撤回だ、テッド。メリーを呼んできてくれるかい?」
「……………………了解しました」
微妙な間を置いて返事をしたテッドは、重い足取りで妹を呼びに部屋を後にする。くたびれた社会人のような哀愁を漂わせるテッドの背中を見送り、九十九は懐に手を伸ばした。
彼が取り出したのは一つの球体。手のひらの上に乗る大きさの、光り輝く水晶玉だった。
「『水晶球』を介しての連絡は緊急時だけの筈だが……」
そして、その水晶玉に向かい、九十九は楽しそうに口元を緩ませていた。
「どうやら何事かあったようだね……梨花子君」