「…………ん……うん?」
再び衿那が目を覚ますと、地下は薄暗い闇に閉ざされていた。かろうじて残る一部の照明だけが消えかかりながらも点滅し、僅かに一帯を照らしている。覚醒したばかりで、ぼうっとなる思考を何とか働かせ、衿那は手探りで状況を探る。
しかし、うつ伏せになって倒れている自身の体を起こすため、手足を動かそうと試みるも、何故か思うようにその場から動くことができない。体全体に何やら怠さを感じていたのもあるが、それ以上に、背中を誰かに強く押さえつけられているような感覚があった。
衿那は首だけを動かして、後ろを振り返る。
腰から下、自分の下半身が、瓦礫の山に埋もれている光景がそこにはあった。
「………」
そのまま視線を上へと向け、天井が割れているのを見て、彼女はある程度の状況を把握する。
――地震? それともただの欠陥工事? いずれにせよ、地下通路が崩れた、みたいね……。
衿那は比較的冷静さを保っていた。普通の人間なら泣き叫び、パニックになってもおかしくないものだが、彼女の場合、ある意味日常茶飯事とも言えるシュチュエーションだ。
なんてことはない、またいつものように『不幸』が来ただけの話。
彼女にとって、それだけのことだった。
「それにしても一日に二度もなんて、だいぶ末期ね……」
自虐的にではあるものの、口元に笑みを浮かべる余裕すらある。昼間の鉄骨事故を含めて、生命の危機を感じるほどの『不幸』はこれで本日二度目。これまでも幾度となく、
確実に、不幸が起きる間隔の幅が短くなっているのを衿那は痛感する。
「ふん……私も、もう……長くはないってことかしら」
だが、そんな現状を、どこか他人事のように衿那は考える。もはや、自身の
それだけが衿那にとって、ただ一つの懸念材料だった。
「……っ……よっと」
彼女はさらに注意深く辺りを観察する。誰か巻き込まれた人間がいないかどうかの確認。皮肉なことに、ついさっきまで衿那に絡んでいたチンピラたちが、人の近寄りがたい空気を作ってくれていたおかげか、少なくとも彼女の視界に、今の地震に巻き込まれた人間は皆無だった。
かわりに別の場所。ここ以外の地下通路はどうなっているのか、地上で建物は崩れていないだろうかと、次から次へと衿那の脳裏に不安がよぎる。とりあえず外の状況を探ろうと彼女は携帯を使い、ネットで情報でも漁ろうと考えた。だが――
「……あっ……携帯……持ってきてない……」
そのときになって初めて、衿那は自分が携帯どころか、財布や鞄すらも持っていないことに気がついた。おそらく刻印での一件のときに、落としてしまったのだろう。
「なんて、間抜け……」
自分の滑稽さに、より一層引きつった笑みを浮かべる衿那であった。
しかし――その自虐の笑みですら、すぐに消え失せる。
「あっ――」
衿那は息を呑む。彼女は、見てしまったのだ。
瓦礫の下敷きになり、ぐちゃぐちゃに潰された――カラスの死骸を。
自身の『不幸』によって生まれた、哀れな犠牲者の無残な亡骸を。
「――――くそ! さっさと、帰ればよかったのに……」
人間ではないとはいえ、どうしようもない罪悪感が、胸の奥から込み上げてくる。
「……なんでいつも……こうなのよ……」
これで何回目だろう? これで何人目だろう?
何故いつもこうなる? 何が原因でこんなことになる?
何故、自分は――
もう幾度となく浮かんだ何故、という言葉が頭の中を埋め尽くす。だが、どれだけ、何度考えても、この現状を打破する答えなど出ることはなかった――
「――衿ちゃん!」
そんな一人、絶望に打ちのめされる衿那に、その声は聞こえてきた。その声の主が誰なのかなど、考えるまでもなく衿那は理解する。こんなとき、こんな自分の側に来てくれる物好きなど、やはり一人しか思い浮かばない。
衿那の思ったとおり。薄暗い視界の先から、駆け込んでくる親友の姿が見えた。
「…………命」
「衿ちゃん! やっぱり衿ちゃんだったんだね!」
暗闇の向こうから顔を出した比佐命は、衿那の姿に一瞬安堵しかけたようだが、半身が瓦礫に埋まっているのを見て、喉の奥から悲鳴を上げる。
「え、衿ちゃん! そ、それ!?」
「別に、なんてことないわよ。こんなのいつものことでしょ?」
「怪我とかしてな!? 体、動かせる?」
「さあ……どうかしらね。痛みはあるし、瓦礫が邪魔で動けないけど、何故か生きてるわ……」
慌てふためきながら安否を問いかける命に、衿那はあくまで淡々と答える。
「! え、衿ちゃん! ち、血! 頭から血が!!」
「?」
顔面蒼白になる命の指摘に、衿那は制服の袖で額を拭う。服が黒い液体で濡れた。どうやら瓦礫にでもぶつけらしい。血を流していたことに、今さらながらに気がついた。
「は、早く手当てしないと!」
命の行動は迅速だった。ハンカチを取り出し、傷口部分へと押し当て止血する。その処置を抵抗もせずに受け入れながら、衿那は何気なく浮かんだ疑問を投げかける。
「………アンタ、どうしてこんなところにいんのよ?」
「え?」
先ほどの口ぶりから、ここに自分がいると、それなりの確信があって来たのだろう。そんな単純な衿那の疑問に、僅かに言いにくそうに、命はここに来れた理由を告げた。
「ええとね……。あれからずっと衿ちゃんを捜してて、たまたまこの辺りを通りかかったら男の人たちが話してるのを聞いたんだ。「カッターナイフを持ったヤバい女が……」って」
「ちっ、あいつらか……」
「え、衿ちゃんが護身用にカッターを持ってるのは知ってたから、もしかしたらって思って、そしたら、そのすぐ後に地震があったから……何にせよ、会えて良かった……」
「…………」
口で良かったと言いつつ、言葉の端々からは、どうにも複雑な気持ちが滲み出ていた。
この広い大都会の中で出会えた『幸運』に喜びつつ、このような『不幸』な状態での再会に心苦しそうだ。すると、暗く沈んだ空気を場違いなまでの明るい声が掻き消した。
「命よ! 先に行くなと言って……おっ! こんな所におったか。探したぞ、櫛田衿那よ!」
「アンタは……!」
続いて現れた人物――神宮寺鈴鹿に、衿那は戸惑いの表情を隠せなかった。
「ご、ごめんなさい。神宮寺さん」
彼女の存在に命は驚いた様子もなく、自然と謝罪の言葉を口にしている。
「命……何で、こいつもここにいんの?」
「え? ああ、驚いた? 神宮寺さんも一緒に衿ちゃんのこと捜してくれるって、それで……」
命ならばいざ知らず、どうして見ず知らずの鈴鹿まで、自分を捜す手伝いをしているのか、色々と謎ではあるが、とりあえず置いておいて、衿那は別の質問をすることにした。
「外は……今、どうなってる?」
「え、ええと、外の方はそんなに酷い被害じゃないよ。けっこう揺れて騒ぎにはなってるけど、怪我人とかは全然。みんな、慌てて建物の外に避難してる、くらいかな……」
「そう…………」
彼女の話を聞く限り、これといって甚大な被害にはなってなさそうだ。それだけ聞いて安心したのか、それっきり黙った衿那に、命が会話を繋げようと早口で喋り立てる。
「と、とにかくここから出て、すぐに病院に行こう! 病院でちゃんと診てもらって……大丈夫! きっと救助隊が来てくれるから! 瓦礫なんか、すぐに除けてくれるよ……だから――」
「――だから……だから、どうだってのよ?」
自分を励まそうとしたであろう命の言葉を、衿那は途中で遮った。
「ここから出てどうなんの? 怪我を治したところで、何も変わりはしないわよ……」
不幸体質――といっても、衿那の体はどこも悪くはない。一度、病院の精密検査を受けたこともあるが、返ってきた結果は「異常なし」だった。世界的にも高い水準を誇る日本の現代医療を以ってしても、彼女の『不幸』という名の病魔の原因すら掴めないのだ。
今更、じたばたしたところで、どうにかなるものでもない。
「下手に入院なんかして、また停電でもしたらどうするの? 今度は死人が出るかもしれない。ううん、もっと酷い被害が出るかもしれないのよ。この地下が崩れたみたいにね」
「それは………」
「退院した後は? 自動車の玉突き事故でも起こす? それとも、また鉄柱でも振ってくるのかしら?」
衿那は八つ当たりのように、今までの経験から起きうる不幸をざっと述べてみせる。
「……ここから抜け出せたところで、どうせ何も変わりはしないわよ……何も……」
◇
衿那のネガティブな発言に、命は気の利いた言葉をかけることができずにいた。
「――大丈夫」「――そのうち、きっといいことがある」
そんな安易な慰めなど、口にしたところで、きっと彼女の心に届きはしないだろう。
――どうしよう……星野先生から聞いた
数時間前。養護教諭の星野梨花子から聞かされた例の話。未だに半信半疑ではあったが、親友の不幸を終わらせることができるという、彼女の言葉に命は微かな希望を抱いていた。
だが、衿那の光を失くした、諦めきった瞳が命の喉の奥を詰まらせる。
今の彼女に、自分ですら信じ切れていないことを伝えても意味などない。何を言っても伝わりそうにない現状に、命の瞳からも知らず知らずに光が失せていく。
ところが――
「どうせ、何も変わらないなら……いっそ、このまま、ここで――」
「――――――――」
無気力に衿那の口から発せられたその言葉に、命は――――――――。
◇
「おい、貴様! さっきから黙って聞いておれば、みっともないことをうじうじと!」
衿那の弱気な態度に、初めに口火を切ったのは鈴鹿だった。彼女はその場にしゃがみ込み、顔近づけながら衿那を睨みつける。
「お主を助けに来た友に、礼の一つも述べずに愚痴ばかりたれおって、もっとシャキッとせんか!」
「はぁ? ……うっさいわね! そもそもアンタには関係ないでしょ。こんなところまで出しゃばって、アンタこそ何様のつもりよ!」
一瞬面を食らったようだが、衿那も負けずと、身動きとれぬ体制のままで睨み返す。二人の視線は交わり、火花がバチバチと飛び散る。一触即発、熱気の孕んだ緊迫した空気――。
「――卑怯だよ、衿ちゃん……」
しかし、その熱気は即座に凍りつく。
「……え?」「……は?」
威勢よく対峙していた衿那と鈴鹿の二人が揃って目を丸くし、両者共に、発言者であろう少女――比佐命の方へと振り返る。その際、彼女の纏う空気の変化を、衿那だけは敏感に感じ取っていた。
それまで悲しげながらも、自分を慕い、優しく、その身を気遣ってくれた命であったが、今の彼女から、そんな慈愛や温かさは感じられない。親友として長い時を過ごしてきた衿那ですら、その雰囲気の変わりように、ただ戸惑うばかりだった。
「み、命? な、何よ、いきなり……」
衿那の位置からでは俯く命の表情を窺い知ることはできないが、確実にわかることがある。彼女は今――『怒っている』。それは他でもなく、櫛田衿那に対しての怒りだった。
「だってそうでしょう? 今の衿ちゃんは不幸だって自分を憐れんで、悲劇のヒロイン気取って言い訳して逃げてるだけの! ただの卑怯者よ!」
「なっ! 言い訳って……!」
親友のまさかの発言に、少なからずショックを受ける衿那だったが、すぐに言い返す。
「けど! けど、事実じゃない! 現に今もこうやって私は!」
「それが――それが! 言い訳だって言ってるのよ!」
だが、そんな衿那の言い分が、命の見幕によって押しつぶされる。
「不幸だからなに!? 周りの被害がなに!? 衿ちゃん自身はそれでいいの!? 不幸だって甘えたままで終わらして、そんな不幸に怯えるだけの臆病者で終わっていいの!?」
「――っ! いいわけないじゃない……こんな、こんな終わり方、私だってね――」
「だったら――
「!!」
そこで、衿那は見た。伏せっていた顔を上げた親友の双眸から、とめどなく涙が流れ出ているのを――
「……衿ちゃん言ったよね。あの日、私に言ったよね、「戦え」って……」
それは、二人が出会ったずっと昔のことであったが、衿那は鮮明に覚えていた。
◇
七年前
その日、櫛田衿那は偶々その現場を目撃していた。
通学路のバス停。その近くの公園で、小学生の衿那はいつものようにバスが来るのを待っていた。ベンチに座り、特にやることもなく携帯をいじっている彼女。するとその視界の端で、一人の少女が同級生と思しき複数の女子たちに囲まれ、苛めを受けていたのだ。
最初にその光景を目撃した際――衿那はこれといって何かしようとは考えなかった。
いじめなどという低俗な行為に、進んで関わろうとは思わなかったし、見ず知らずの赤の他人の問題に首を突っ込んでもしょうがないと、どこか冷めた目で彼女たちを眺めていた。
しかし、毎日のようにいじめの現場を目撃し、まったくといっていいほど同じことを繰り返すいじめっ子たちを見ているのは、流石にいい気分にはなれない。また、何も抵抗せず、なすがままにされている少女の方にも、衿那は腹を立てていた。
そして――とうとう衿那は彼女たちに声をかけた。
いじめっ子たちを適当にあしらった後、衿那はその少女――比佐命と言葉を交わす。
『――アンタ! なんで黙ったままで、やられっぱなしなのよ!』
『――嫌なら嫌だって、はっきり言わなきゃ、なにも伝わらないじゃない!』
『――言葉で伝えきれないなら、行動で示しなさい!』
『――構うことないわ。右の頬殴られたら、左の頬を殴り返すのよ!』
『――だから! 戦いなさい!』
ほとんど一方的に、自分の言いたいことを言い、返事も待たずその日は別れた。
翌日――昨日と同じ時間、同じ公園に衿那は来ていた。
正直、あの程度の言葉で、何かが変わるとは思っていなかった。どうせ昨日と変わらない、また同じように苛められているだろうと。
だが、そこにいたのは一人、どこか清々しい表情をしていた命一人だけだった。
聞けば、彼女は困難な現状を変えようと、いじめっ子たちと戦う道を選んだのだという。最初の一歩は、いじめっ子たちの顔面に、拳を叩き込んだところから始めたらしい。
衿那は純粋に驚いた。自分の言葉がきっかけとはいえ、まさか、昨日まで何の抵抗もできなかった彼女が、こうも早くに反旗を翻すとは思ってもみなかったからだ。大人しい外見とは裏腹に、心にしっかりとした芯を秘めた強い少女だと、衿那は素直に感心した。
季節が巡り、時が過ぎ、高校生になっても、命の根本の強さに変わりはなかった。なにせ『不幸』となったこの身を案じ、こんなところまで追いかけてくるほどだ。
いじめっ子の一件以降、友人として共に過ごす彼女たちを見て、周囲の人々はいつも衿那が命を引っ張っているように見えていたらしいが、そうではなかった。
いつも大人しいくせに、いざというときに芯の強さを垣間見せる――比佐命。
日頃強がってばかりで、本当に気を強く持たなければならないときに弱気な――櫛田衿那。
今更ながらに気づく。
親友の存在に支えられていたのは……本当に救われていたのは、自分の方なのだと。
だからこそ――これ以上、彼女を巻き込みたくはなかったのだが――
◇
それでも命は来てしまった。
あの日の言葉を返しに。『戦え』と言ってくれた親友に、同じ言葉をかけるために。
「私はその言葉で立ち向かえたんだよ? そして、そのきっかけをくれたのは他の誰でもない。衿ちゃん何だよ? その衿ちゃんが……戦いもせずに逃げちゃ……ダメ、なんだから……」
「命…………」
泣きじゃくりながら自身の気持ちを吐露する命。その声は、今にも消え入りそうなほどに弱弱しく、儚いものだったが、言葉は確実に衿那の胸の内へと響いた。ぶつけられた親友の思いの丈に、迂闊な言葉など吐ける筈もなく、衿那はただ押し黙るしかできない。
しかし、襲いかかる『不幸』は、少女たちに考える猶予すら与えなかった。
再び――大地が鳴動する。
『!!』
さきほどの本震と同等、あるいはそれ以上の規模の轟音が地下に鳴り響く。さらなる追い討ちに地下が軋み声を上げ、走る亀裂が瞬く間に天井を侵食していく。いつ崩壊してもおかしくない。そんな状況下で、衿那は瞬時に決断を下した。
「ちょっと、アンタ!」
「ん? 儂か?」
凄まじい縦揺れにもかかわらず、何故か平然と立っている鈴鹿に、衿那は声を張り上げる。
「早く! 命を連れてここから逃げなさい!」
「衿ちゃん!」
その発言に、命は咎めるような悲鳴を上げるが、衿那は既に腹を括っていた。
一緒に逃げようにも、彼女は瓦礫に挟まれ動けずにいるのだ。自分を見捨てて、一刻も早くこの危険地帯から抜ける。それが今できる、最善な行動であると衿那は判断する。
そんな衿那の苦渋の決断に対し、鈴鹿は堂々と答えた。
「――断る!!」
「……なっ!」
あまりにも、あっさりとした鈴鹿の返答に衿那は絶句する。だが――
「逃げろだと? ふざけるなよ、小娘! 何故この儂が、たかが地震如きのために尻尾を巻いておめおめと引き下がらなければならない! 舐めたことをほざくでないわい!」
憤慨するように吐き捨てる鈴鹿の言いように、二人の少女はただ唖然となった。
「不幸? 幸運? 笑わせてくれる! そんな、
「じ、神宮寺さん?」
「ちょ、アンタ……さっきから何を言って?」
こうしている間にも、揺れは激しさを増し、地下の崩落は確実に進んでいる。だが、そうした絶体絶命の渦中でありながら、衿那も命も鈴鹿から目を離せずにいた。
二人の中の『なにか』が彼女から目を逸らすな、その言葉を聞き漏らすなと警告している。
それは直感とも、第六感とでも呼ぶべき、人としての本能の部分からくるもの。そして、そんな二人の視線を背に、鈴鹿は天井を仰ぎ見ながら言ってのける。
「この程度の『呪い』に儂らは決して屈さぬ! 跪かぬ! どんな不運だろうが物の数ではない! それを今、我が身をもって貴様らに証明してやろう!」
瞳の奥に、これから降り注がれるであろう『不幸』への闘志を宿らせながら。
少女、神宮寺鈴鹿はその雄姿を……否!!
その異形なる姿を――人間たちの前に晒す。
◇
余震が起こる、ほんの数分前。
渋谷を中心として発生した地震に、地上は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。揺れと同時に人々は恐怖し、いつかどこかの特番でやっていたような、都市崩壊最悪のシナリオを想像した者も、少なくはなかっただろう。
しかし、地震自体はすぐ止み、徐々に揺れが収まるにつれ、人々は落ち着きを取り戻す。現在は建物の中にいた者たちが、念のため外に移動して様子を見ている段階だ。
ここ、宮下公園交差点付近にも、避難してきた人々がかなり集まってきている。万が一に備え、人々は建物から離れ、人の波は自然と車道に身を寄せるようになっていた。
突然の災害の到来に恐怖していた人々も、現状においてその表情は幾分か晴れている。とりあえずの一時避難が完了したことで、気が緩んでいるのだろう。周囲の人々と軽く談笑する者もいれば、ネットで他の場所の情報を漁る者もちらほら。胸の内に危機感を持ちあわせていても、どこかで「大丈夫」と、思いたい気持ちがあるのだ。
そのためか、再び襲いかかってきた余震に対しても、人々の反応はどこか薄いものだった。
「きゃっ! ちょっと、また揺れ出したんだけど!」
「震度4くらいか? 念のためビルから離れなさい、窓ガラスが割れるかもしれないからな」
「へ、平気さ! このくらいなら問題ない!」
わずかに浮足立つも、この程度の『不幸』などすぐに去っていくだろう、と。
その場に留まり、ひとまず揺れが収まるのを待とうとした――まさにその瞬間、
咆哮が世界を震わせる。
【オォオォオォオオォオオオオォォォ―――‼】
『――!?』
その叫びは、突然の地震でも余裕を保っていた、全ての人々の思考を止めた。
大半の者たちが、生涯で初めて耳にするその叫び声に、一斉に口を閉ざす。
人間のモノでも、猛獣のモノでもない。もっと何か別の、得体の知れない『なにか』の吼え。
聞くもの全てに恐怖、畏怖といった感情を呼び覚まさせる――けたたましい雄叫び。魂の奥底を震え上がらせる咆哮、あまりにも巨大な咆哮。
地の底からせり上がったそれは、まるで天へと昇る竜の如く、高く、遠く、真っ直ぐ突き上げるように街全体まで浸透していく。
まるで声の主が、己の存在をこの街に刻みつけるかのように。
ややあって、叫びは止む。地震の方は相変わらずだったが、人々にとってそんなことはどうでもいいことであった。誰もがその咆哮の次にくるであろう『なにか』を予見し、固唾を呑んで身構える。
そして――その予見は、現実のものとして顕現する。
さきほどの咆哮とは全く違う、物理的な破壊音。ミサイルでも着弾したかのような爆発音が響き渡る。その爆発音に悲鳴を上げながら、反射的に耳を閉じる群衆たち。
そんな彼らを、さらなる衝撃波が襲う。
大気を震わすほどの威力の、戦闘機が地上スレスレを通り過ぎたかのようなソニックブームが、建物の窓という窓をことごとく粉砕し、周囲一帯にガラス片の雨を降らせる。突如として発生した凶器の雨に、不用心に建物側にいた人間が頭を抱えて身を守る。安全だと高を括っていた危機意識の甘い者は、ガラス片に切り裂かれる痛みに、手痛い教訓を得ることになった。
そして――世界は静寂を取り戻す。
いつの間にか地震も止み、暴力の具現とも呼ぶべき嵐も過ぎ去っていった。
危機が去ったことに誰もが心底安堵しながら、恐る恐る顔を上げ、閉じていた目を開く。
「……なんだよ……あれ……」
それが誰の呟きだったのかなど、わからないし、その詮索に意味などなかった。
何故ならそれは、その光景を目撃した全ての人間が例外なく思い、呟いたことだったからだ。
人々の目の前には――
多くの人々の往来する街中に、突如として現れたそれは、まるで近づくもの全てを飲み込まんとする奈落の底のように――地下三階から地上までを貫通していた。
何故こんなものがと考える一方で、人々は悟っただろう。
この穴を開けたモノと、あの咆哮の主が――同じ存在であると。
それが、ただの人間の仕業によるものではないと、理解したことだろう。