笑えない少女とニュクスとワガハイ猫と。 作:サボテンダーイオウ
S子さんの噂
さながら熟れている林檎のようでいて【それ】は毒々しい林檎だった。魔女はごくりと喉を鳴らす。
透明のガラス瓶にしまわれた赤い林檎は何処から見てもおいしそうな林檎だ。真っ暗闇の室内でもその瑞々しさは失われず思わずかぶりつきたくなる衝動に駆られるだろう。何も知らない人間からしてみれば。
調合を重ねて苦労して作り上げた一つだ。他にもう一度作れと言われたらそう簡単には作れない。というか作ろうとは思わないだろう。昔から魔女は料理が苦手だ。魔法は得意なのに作るものはゲテモノばかり。かつての恋人も魔女の料理下手に君は食べる専門でいいと思うよと朗らかに笑ったのを昨日のことのように覚えている。
もう十年以上前のことだ。
これを食べれば、死は免れないだろう。死ぬように永遠の眠りにつく。それは終わりのない旅の様なもの。
「……いつか、私はこれを食べるのかしら」
吐息のように漏れた死刑宣告を自分へと送る。自分で創り上げた死の果実は自分が救われるための道具に過ぎない。
血の繋がらない娘からやっかみがられようと、城中のものから蔑まれようとも私はまだ王妃だ。傲慢な王が崩御されてより一応王妃としての務めは果たしてきたもののそろそろ世代交代が始まるかもしれない。
最近になって姫の行動が以前よりも大胆で活発になってきた。やれ王妃の命で城中の窓ガラスをふけと言われただの、今度は三の山まで湧き水を汲んで来いなど無理難題を押し付けられて可哀想な同情を引く姫を演じているとか。
「……さて、今日も頑張りましょうか」
自分の身の回りのことは自分で。侍女など一切ついていない王妃は袖をまくり上げるとモップとバケツを持ってお掃除を始めた。
【王妃ですけど掃除します。】
※※※
ある噂がまこと密かに学園内の男子だけの間にて囁かれていた。
今日もその噂はある男子からある男子へと伝言ゲームのように伝えられていく。
放課後の教室前、誰もいなくなった廊下を並んであるく二人の少年たち。
「なぁなぁ、知ってるか?【S子さんの噂】」
「なんだ、それ」
「この学園にいるらしい。金さえやれば一晩とびっきり甘い極上の夢をみさせてくれるんだとさ。それで次の日には見違えるくらい生まれ変わった自分になれるらしいぜ」
「なんか怪しいような?」
「まぁな。それでそのS子さんが例のクール女子らしい」
「それって中学ん時ニュースで取り上げられた例の女子のこと?あれって結局曖昧になってたよね。叩くだけ叩いてマスコミもあっという間に別の話題に食いついてたし。そういえば、一緒の高校だったっけ」
「ああ、その女子だよ。見た目の容姿とは裏腹にビッチだってさ」
「……あれ本当だったんだ」
「しらね。でもこういう噂があるってことは当たらずとも遠からずってことだろ。オレも一晩相手してもらいてぇー!んでもってあわよくば俺のもんにしてえな」
「俺、そういうのはどうかと思う。そもそも彼女、男嫌いだって話だよ。というかクラスの生徒とあんま交流してないらしいし。人間嫌いって噂があったような」
「それマジで終わってるでしょ!でもさ、マジでもったいねぇって!だってあのレベルだぜ!?なかなかいねぇ上玉だって」
「まぁ、見た目は俺も好みだけど…でもさ。それってやばいよ」
「ちょっと一発当たってみるか。確か、アイツがいつもいる場所って屋上だったよな」
「え?いや、やめときなよ。そんな噂っていったって、普通の女子だ。嫌がるだろ」
「いやいや、逆に感謝するかもよ?一人で寂しかったの、貴方の温かさで私を包み込んで!私を貴方でいっぱいに満たして!なんつって」
「馬鹿だ。俺、もう先行くから」
三島由輝は呆れた様子で付き合いきれないと友人を置いて先に歩いていく。
友人は「付き合い悪い奴」と悪態づいては、さっそく屋上へと向かう階段へ。最上階の踊り場まで上がり、さぁ屋上へ出るぞというところで後ろから声を掛けられた。
「ねぇ、知ってるかい」
「あ、誰だ?お前」
振り向いてみればそこには女子受けしそうなイケメンの青年が立っていた。
いつの間に階段を上がって来たのか。その気配は一切なかったはずと少年は訝しんだが、泣きほくろが特徴的な青年はにこやかに軽く挨拶をした。
「僕?ああ、失礼。通りすがりってことでよろしく」
「は?馬鹿じゃねコイツっていうか不法侵入じゃん」
「僕にはあまり関係ないけどねぇ」
少年はそう言いながらくるりと指先で円を描くように指を動かした。
すると、
「あ、れ…体うごかね…」
少年の体が石のように固まって動かなくなった。どうしてか。
少年は必死に自分の体を動かそうとするが、指先までピクリとも動かない。
なのに、目玉だけはぎょろりと動く。
不法侵入者の青年、特徴的な泣きほくろの青年は彼の異変など気にすることもなく芝居ががった口調で喋りだす。
「実は【S子さんの噂】 にはもう一つ付属されている噂があるのを知っているかい」
「そのS子さんには素敵紳士な守護者がいて少女に不埒な真似をする小僧共にはお仕置きをするっていう噂さ。ちゃんと仕事もするけどね。だって少しくらい僕が手を出したって悪くはないだろう?腐るほど男はいるんだ。この世の中に」
「どれだけ人に中傷され後ろ指さされてもめげなかった、強くて脆くてそれでも歩くことだけは止めなかった彼女を、自分の抑圧された汚らしい欲で塗りつぶそうだなんて許せないじゃない?許しがたいんだ、ホントは。彼からもくれぐれに言われてるしね。目を離すなって。僕たちにとっては目に入れても痛くない可愛い妹みたいな子なんだ」
「だから」
「僕がお仕置き係。よろしく」
ブンと青年の体が一瞬ずれて何か別のものに変化したのを少年は見てしまった。
それは、―――の様なものだった。
「―――――」
少年から声にならない悲鳴があがった。
少年は夜中、警備員の手によって発見されることになる。
あられもない、姿で。
そしてしきりに「―――が―――が」と恐怖に歪んだ表情でうわ言のように何度もつぶやいていたという。
※
誰もいない屋上にひっそりと彼女は佇んでいた。
まるで燃え上がるような夕焼けが世界の端に存在している。
少女はこのまま世界が燃え上がってしまえばいいのにとさえ思った。この腐った社会も、悪戯に人の人生を滅茶苦茶にするマスコミも、自分のことばかりの政治家も、誰も信じられない世界など存在する価値すらない。
いっそのこと暴走してみればそれなりに邪魔なモノを一気に排除できるのかなと少女は考える。一人そう考えこむ少女の背後で靴音がする。少女は振り返らずにその誰かに向けて口を開いた。
「……どっか行ってたの」
「うん。ちょっと野暮用」
「野暮用って、不審者で捕まるよ。実体化してると」
「大丈夫大丈夫。誰にも見つかってないよ、安心して」
「そう」
言葉少なく彼女はまた両目を細めて世界を見る。
後ろにたつ青年がそっと手を伸ばし彼女の視界を両手で優しく塞いだ。
「見ない方がいい」
「どうして」
彼女は青年の行動に驚いた様子もなく静かな声で尋ねた。
「外界は君を壊してしまうだろう?」
「―――壊れてもいいの。私は」
迷いのない言葉に逆に青年は痛ましさを感じた。
彼女の心は壊れかけている。今繋ぎとめている自分がいなかったらきっと、もたない。
「……」
「私は、誰にどう思われようとアイツらに復讐してやる。母さんを殺したアイツらを」
そう、少女には成さねばならぬことがある。誰を犠牲にしてでも行わなければならない。なぜならそれが少女の生きる理由の一つだから。
「……そうだったね。君は昔から真っすぐだ」
そっと青年は名残惜しそうに両手を外し下し、彼女はゆっくりと青年の方へ体を振り向かせた。
「綾兄」
「うん」
兄と慕う青年を見上げる少女は無表情だった。感情を現すこともないその顔で少女は青年に甘えるように言う。
「一緒に、いてくれるよね」
「もちろん、君が僕を必要としてくれるまで」
青年は愛しみを込めて彼女の額にキスをした。彼女はそれを目を瞑って受け入れた。そして青年からある銀色の銃を手渡された。
「時間だよ」
「わかった」
彼女は銃を受け取り、それを右手で握って『手慣れた動き』で自分の蟀谷に銃口を当てた。もし、この場以外に他者がいれば自殺かと目を疑ってしまう場面。まさにそうだ。
少女は昼間の顔から夜の顔へと変化する瞬間。それは弱い自分と決別の意味もあった。
夕焼けから世界は夜へ変化する。
かつて、もう一人の兄が初めて彼を呼び出したように、
『ペルソナ』
彼女の口から洩れる、力ある言葉。そして人差し指を掛けて引き金を引く。カシャン!と何かが割れる音がして、途端に舞い広がる青い花びら。
そして、優美に現れるもう一人の自分。
全てを力に変える異端の存在。
「今日も頑張ろう、ヨシノタユウ」
滅多に笑みを見せない彼女は、もう一人の自分に微笑みかけた。ヨシノタユウは静かに頷いて見せた。
全ては、復讐の為に。
【この手に望みがあるならば取りなさい】