笑えない少女とニュクスとワガハイ猫と。 作:サボテンダーイオウ
これも励みと思いつつ本編よりも似非おとぎ話の方へ妄想して逃げる日々。では本編どうぞ。
『海に行かないかしら?気分転換に』
そう言って誘われたのは、二人が出会った初めての場所。
夕暮れの海辺に二人の女性が佇む。一人はふんわりとした髪を海風で揺れるのを手で押さえながら。もう一人はサラリとした黒髪に黒メガネを掛けて白衣を風に揺らしている。キリリとした印象が特徴的だった。
「最近、呟きが無くなったらしいな」
ついこの間まで奇行が目立っていたようだが、ピタリと収まったと馬鹿息子が逐一報告に来るのでこれでしばらく静かに仕事ができるとほっとしていたのだ。
それだというのに、どうしてここに誘うのか人魚の親友は理解できずにいた。対して人魚はいつものようにマイペースな様子。海に足を浸からせて「ああ~、生き返るわ」と嬉しそうにはしゃいだりした。
「おい、はぐらかすな」
「はぐらかしてないわよ。……気になるのね、あの子が」
「………」
「お迎えが来たわ。どこへ連れて行かれたのかは知らないけれど」
「―――そうか」
人魚の親友はぽつりと答えた。海辺に沈んでいく太陽をじっと追いかけるように見つめる。
「……あれから700年くらい経ってるかしら。貴方が精神的に死にかけて浜辺に打ち上げられてから」
「……正確には699年と三か月だ」
「細かいのね、変わらず」
人魚は苦笑した。今の彼女の固い口調が定着し始めたのはいつだったか。最初はもっと女らしい言葉遣いだったのに、過去の自分を消すかのように彼女は変わった。変わざるおえなかった。そうでなくては、きっと人魚の親友は今隣にいなかっただろう。
「………」
「恨んでいる?私の、事」
ぽつりと人魚は問いかけた。ずっと、胸の奥にしまって訊ねることをためらってきた。けど今なら口にすることができる。そう決めた人魚は意を決して親友に尋ねた。
自分を恨んでいるか、と。
親友は決して人魚の方を向こうとはしなかった。ただ、
「……どうしてそう思うんだ」
と静かに尋ね返す。
「だって、貴方はあの時『死にたい』と言って涙していたわ。でも私は貴方を助けた。私のエゴで」
かつての恋人に置いて逝かれた彼女はただ死を願い続けた。だが寂しがり屋の人魚は親友が欲しかったから彼女を死なせずに生かした。
「……そう。私は死にたかった……。死を望む私に居場所を与えたのはあんた」
「でも貴方は死ねなかった。それが恋人からの【呪い】だから」
【愛の呪縛】
自分より先に死んではならない。そう恋人からの呪いで親友は死ぬことができなくなった。恋人が病気で死んでしまった後でもその呪いは途切れることなく親友を蝕んでいった。
「……馬鹿よね。人を殺しておいて幸せになれるわけないのに。だから彼の最後の死に顔は安らかな顔ではなかった。おぞましい形相で苦しみの中に死んでいった」
今でも脳裏から消せないほど鮮明に思い出せる、恋人の死に際を。これが罪の証。
因果往々。
決して誰人もその輪から逃れることはできない。犯した罪の数だけ死の後に待ち受ける罰が課せられるのだ。
不老不死である親友も、人魚も死ねばきっと同じような罰が待っているだろう。精々今を懸命に生きろと天の方からのお達しというわけだ。
「……今も、そう思っている?」
「……いや、最近は割と……お前の息子のジークもいるし退屈ではないよ」
そう言って滅多に笑わない親友は小さく微笑んで人魚を見つめた。
「……そう。良かった」
人魚は親友の笑みに目を見張っては、ゆっくりと微笑み返した。
「……それはそうとトリトン王はジークを王族として迎えるつもりらしいじゃないか。それでいいのか?」
「……それね。断ろうと思うの」
迷わずに人魚はそう答えた。
「理由は」
「……あの子には、やっぱり平穏が一番だと思ったから。海ではなくジークが生きるのはきっと陸なのよ」
彼の人生は彼のもの。決して母親だからと言って都合の良い道を選んではいけないのだ。ジーク自身が自分で決めて選び進んでいくものだから。700年弱かけてようやく知ることができたのだ。かなりの進歩を言えよう。
「……少しは母親になれたな。メリエル」
「ええ。これも貴方のお陰よ。ヴァレリ」
不老不死となった落ちこぼれ魔女と、
永劫人々の間で語り継がれるであろう天然ボケ人魚は
共にゆっくりと人生の最後の帰路まで歩んでいくだろう。
持ちつ持たれつの関係のまま。
【人魚姫の息子】
※※※
深淵の奥深く。人々が忘れ去った場所に彼はいた。自らの魂を捧げることで仲間たちを守りぬいた彼は英雄のようにもてはやされることはなかった。むしろその存在を永遠に失ってしまったことに仲間たちは嘆き悲しんだ。大切な人たちが生きれる世界を残した。一度破滅を迎えようとした世界は今再び破滅を迎えようとしている。彼はその場所から手を伸ばせば届きそうな場所に縮こまって眠っている彼女の名を慈しみを込めて呼んだ。
『朔』
『……誰』
顔を少しあげた彼女の目元は赤い布に覆われて目隠しされていた。
異形の証であるそれを彼女が外すことはない。なぜなら彼女は外界を恐れているからだ。自分に害なる者しか生存しない世界など壊れてしまえと呪詛の言葉を吐き彼女は身を縮こまらせる。
だが先ほどからそんな憐れな少女を呼び続ける声がした。何度も何度も。
『朔』
『……聞き覚えのある声』
少女は耳を澄ませてみた。懐かしいと思える声に少し興味が沸く。だが
『朔、こっちだよ』
まるで誘導するかのようないい方に彼女はまた恐れをなして耳を塞いだ。
『いや!目を開ければ怖いものばかりだもの。目隠ししていれば安全だわ!』
『でも俺が見えないだろう。大丈夫、ここに君を傷つける者はいないよ。俺が許さないから。だからお願い、朔』
耳を塞いでいるというのに今度は脳に直接メッセージが送られてくる。懇願してくる言葉に恐る恐る彼女は真偽を確かめた。
『……本当?私を傷つけたりしない?』
『俺が君に嘘をついたことがある?』
『………分かった』
彼女は彼の言葉を信じることにした。どうしてか、信じてもいいと思えたからだ。
後ろで結ばれていた目元の布をシュルリと取り去り、ゆっくりと瞼を開いていく。すると、目の前には巨大な檻があった。鋼鉄の檻は左右にどこまでも広がっていて彼女の腕一本通れるか通れないかぐらいの隙間がある。何より彼女の目を一番に惹いたのは檻の中にいる彼の存在だ。全身白い恰好でまるで天国にいるかのような姿。
『……湊兄?』
『ああ、やっと可愛らしい顔が見えた』
檻の向こう側で喜びに頬を緩める少年は幼少の頃、兄と慕いすでに故人であるはずの有里湊その人だった。
朔は信じられないと思いながらも震える足で檻の方へ近づいていく。湊は檻越しに手を指し伸ばした。朔はゆっくりとその手を取った。
『湊にぃ』
『朔。綺麗になったね』
『………ほんとに、湊兄?』
『うん』
ぎゅっと握りしめ合う指先からかれ温もりが伝わる。朔はゆるゆると瞳を緩ませていった。本当なら死んだはずの人がいるはずがない。けど湊は大切な人の為に囚われることを選んだ。その大切な人の中に自分も含まれているのかと思うと切なくなってくる。
今も湊は冷たい檻の中で囚われているのかと思うと……。
湊は慈愛こもった瞳で朔を見つめこういった。
『俺はこの檻から出られない。でも一度だけ、本当に一度だけこの檻が開けられる瞬間が来る』
『檻?』
『その時はおいで。俺の所へ、綾時と一緒に』
『……そっちに行ってもいいの?』
そっち側がどんな場所であるか、朔は知っているはずだ。だがおいでと誘う湊に騙されているわけではないと分かっている。本当に来て欲しいと湊は願っているのだ。
『うん。俺は歓迎するよ。でも朔が選択しなければ檻は開かないんだ』
『私が?』
『そう。だからその時が来たらちゃんと選ぶんだ。君の世界を』
『私の、世界』
そっと湊は手を引いた。解かれる指先に朔はハッと我に返る。
『俺はずっと朔を見てるよ。ここから、ずっと』
『湊兄!』
檻の中に必死に手を伸ばしても湊の姿はゆっくりと遠ざかっていくだけだ。湊は繰り返すように言った。
『朔、選ぶのは君なんだ』
※
ダルイ倦怠感と柔らかなシーツの感触と繋がった温かな指先で私は意識を取り戻す。
目覚め初めて目にするのは、私の顔を覗きこむ綾兄の優しい瞳だった。
「…あ…」
綾兄は目覚めたばかりの私を自分の膝に持ち上げて頭を撫でて抱きしめながら言った。
「朔は何も気にしなくていいんだ。思い出さなくていい。いいかい?思い出さなくていいんだ」
何度も暗示をかけられているかのように繰り返される言葉。次第に私はああ、思い出さなくていいんだと安堵する。綾兄は、優しく微笑んで私を抱きしめてくれた。
それでいいんだ。朔。君は君のままでいい。
耳元で甘く囁かれ私は安心して身を委ねる。瞼を瞑り綾兄の温もりに癒されてほだされていく。これでいい、これでいいと広がっていく言葉の魔力は何かに抗おうとするものを抑えてくれる。
「なんだか、不思議。気持ちがどんどん治まっていくの。怖い気持ちが抜けていくの」
「……朔、君は僕の掛け替えのない大切な妹だ」
「うん」
ぎゅっと抱きしめられ綾兄からの独占力に甘く酔いしれる私。
「誰にも、渡さないよ。誰にも――」
「うん。ずっと、一緒だよ」
包まれる温かさに涙がじんわりと浮かんだ。悲しいわけじゃないのに涙が止まらなく溢れてしまう。
「綾にぃ」
「朔、湊には会えたかい」
「湊にぃ?……うん、会えたよ。あのね、湊兄はずっと待っててくれてるみたいなの。私と綾兄を」
「そう。そうだね、一人は寂しい場所だよ。あそこは」
綾兄はその場所を知っているようだ。まるで体験してきたようないい方に私も表情を曇らせる。それに酷く胸が痛んだ。きっと寂しかったのだろうと思う、湊兄と出会うまでは。だから私は綾兄の背に腕を回して寂しくなんかないよという意味を込めてさらに抱き着いた。すると綾兄は分かっていると言わんばかりに頭をポンポンと二度軽く叩いた。
「………私が選ばないと檻は開かないんだって」
「そうだね。朔はどうしたい?」
「……分からない。どうすればいいのか」
「まだ時間はたっぷりあるさ。ゆっくり悩んで決めればいい」
「うん」
私と綾兄は暫くの間、そのまま抱きしめ合っていた。
ほどなくしておじさんが部屋にやってきてから私が倒れてから数日経っていることを知る。
※
今日は四月二十一日。
気が付けばカモシダに予告状を出す日らしい。というのも私の数日間の記憶が欠落しているのだ。あれよあれよという間にカモシダパレスに潜入することになった。ペルソナ使いが雨宮君から二人加入ということで怪盗団らしくなったとモルは喜んでいる。だったら私と綾兄はお役目御免かしらと冗談交じりに言ったらモルは本気で受け止めて慌てて、サクとリョウが抜けるなんて考えられねぇー!と必死に止めてきた。まさか、冗談を本気に受け止められるとは私も考えていなかったのでモルに辞める気はないと説明するまで時間が掛かってしまった。意地悪するつもりなかったんだけどモルにとって私達は大切な仲間と受け止めてもらえて嬉しく思う。
そして怪盗姿で皆の前に御披露目となった今日。警戒した様子の雨宮君(なにかあったのかしら?)が少し気になったけど綾兄に誤魔化されて有耶無耶になってしまった。
だから晴れて怪盗団として参加するのは今日が初めてなのだけれど。私としては、コーティザンの衣装で皆の前に出るのはドキドキなのです。
「よろしく。皆」
「え、誰?」
開口一番に高巻さんに言われてうっとたじろいでしまう。
「……そんなに衣装変かな」
自分の衣装をちらちら気にしながらぼそっと呟くと雨宮君と綾兄が声を揃えて、
「いや似合ってる」「まさか似合ってるよ」
と褒めてくれた。若干照れながら私はお礼を言った。
「ありがとう」
だが二人は私の言葉など聞いておらずおでこくっ付きそうなほど顔を近づけてメンチ切って睨みあっている。
「なぜ貴方が朔を褒めるんですか。シスコンも度が過ぎると大概ですよ見苦しいですよ」
「可愛い妹を褒めて何が悪いんだい?君こそ赤の他人にしては深入りしすぎじゃないかい。前にも言ったけど適度な距離で頼むよ適度な距離で」
いつの間に仲良くなったのか私は知らなかった。でも喧嘩するほど仲が良いというので良しとしよう。
しかし一連のやり取りでようやく私であると認知してもらえたようだった。
「え、その声。マジで佐倉朔!?」
「うっそ!」
女豹の高巻さんは大口開けて驚いた。それはいい。その反応は分かる。だがそこの海賊男子、聞き捨てならぬことを吐いたな。
「名前で呼ぶな!」
「あ。本人だった」
条件反射に怒鳴る私に金髪男子こと、坂本君は間抜けな表情になってそう呟いた。私は皆の視線が集中することに居た堪れなくなり無理やり声を張り上げた。
「おっほん!私、コーティザンと申します。そしてこっちは……」
隣のタキシード仮面を紹介しようと腕を引っ張って、促すとファルロスは私の意図に気がついて皆に胸に手を当てて恭しく頭を下げた。
「コーティザンの相棒。ファルロスです。どうぞよろしく」
「……なんか一人だけ別世界ってカンジ」
坂本君の呟きは私も賛成。こうアニメの世界でも紛れ込めそうって意味でしょう。モナがしっかりと私達の事を説明してくれた。
「コーティザンとファルロスはワガハイと行動を共にする前からペルソナ使いだ。勿論パレスの事も詳しい。お前らのサポート役は二人に任せるからしっかり教えてもらえ」
「というわけなんで、よろしく」
っていうわけでこれからカモシダパレスに潜入ってことなんだけど。その前にファルロスが独断で決めたことを皆にサラッと話す。
「で、今日はカモシダシャドウを懲らしめにいくって話らしいんだけど。僕とコーティザンはパスってことで!」
「え?」
「「は?」」
目が点になる高巻さん達。私だってそうだ。何も聞かされていないし倒す気満々だったのに。ファルロスはあっけらかんと口元に笑みを浮かべて言う。
「君達意外と強いみたいだし僕たちがいなくても大丈夫でしょう。モナもいるしさ」
「そりゃそうだが……」
モナも皆の実力なら大丈夫だと思っているらしく、戸惑いながらも認めてはいる。けどせっかくお披露目してそのままバイバイはないでしょう。でもファルロスの考えは割と正解だった。
「大体大人数で動いたって効率がいいわけじゃないし、狭い城の中で別行動したって行きつく先は一緒なんだ。僕たちが先に攻略をしているお陰で君達はすんなりとボスの所までたどり着けるだろう。ということで僕とコーティザンは帰らせてもらうね。あ、モナは今日彼の部屋に泊めてもらってね。僕たち佐倉家の方に帰るからさ」
「え、ちょっと?ファルロス!」
「じゃあ、お先に」
という強引さで私は攫われるようにファルロスに抱きかかえられてカモシダパレスから帰ってきてしまった。現実世界での学校前から私は綾兄と手を繋いで駅まで歩き途中、どうしてあんな強引な事をと訊かずにはいられなかった。すると綾兄は
「だって汚いものを朔に見せるわけにいかないだろ」
と爽やかに言ってのけました。カモシダパレス内で起こることを知っているような口ぶり。
私は呆気にとられるしかなくこういう時綾兄に何を言っても無駄であることは十分理解しているので下校途中の生徒たちに仲良く手を繋いでいる私たちの姿がたとえ明日、変にねじ曲がった噂として校内で流れようと気にしないことにした。どうせいつもの如くやれビッチだ不潔だなどと言われる程度なのだ。
私の大好きな綾兄に害がないのならどうでもいい。
「だったら放課後デートでもしますか」
「それもいいね」
「綾兄のおごりで」
「了解」
とここで私のスマホが着信を告げる。綾兄に取り出してもらい出ると珍しい!なんと荒垣先輩からだった。
「荒垣先輩!」
『元気か、朔』
頻繁に会っているとは言えないけどつい先輩と呼びたくなるほど優しい人で荒垣先輩から教えてもらった料理のレシピは佐倉家では大人気だ。
「はい。あのこの間はお見舞いのお花とかお菓子ありがとうございました」
『いや、気にすんな。他の奴らも心配してたぜ』
「はい、そうみたいで順平さんとかゆかり姉とかに電話でしこたま叱られました。えへへ……。風花姉にもですかね」
皆に迷惑をかけてしまって本当に反省してますと電話口で謝るとホントだと言われなんだかしょげてしまう。私が体調に気遣わなかった所為で皆に要らぬ心配をかけてしまった。
学校で起きた事件が原因らしいが、おじさんも詳しく教えてくれないしどういう内容なのかがいまいち分からない。綾兄も誤魔化して教えてくれないしそれとなくモルに尋ねても分かりやすく動揺して話を逸らしてくる。で決まって皆言うんだ。
『朔には関係ないことだから』って。
私には関係ない。そう何度も同じ言葉ばかり言われると、あ、本当に私に関係ないことなんだって思えてくる。だから今は関心すら沸かなくなった。不思議だね。
まるでマインドコントロールされてるみたい。
さて荒垣先輩だけど、彼も私が倒れていた間にお見舞いに来てくれていたらしいので顔を会わせることはなかった。どうせなら会えないかなぁなんて期待込めつつ会話をしていると一緒にラーメンでも食べに行くかとの誘いをもらった。これには飛び上がらんばかりに喜んで声を弾ませて綾兄と一緒に行くと大声を上げた。周囲の視線などまったく気にならないくらいだ。綾兄は苦笑しながらとりあえず道路の端っこへと誘導してくれる。
「行きます行きます!死んでも行きます!」
『後半はいらねぇぞ、冗談でも』
「はい!どこ連れてってくれるんですか?っていうか待ち合わせは?迎えに来てくれるんですか!?」
早口でまくし立てるように矢次に尋ねると荒垣先輩は動じた様子もない。
『これから行く。高速飛ばせばはがくれ行けるだろ』
「はがくれ!?おぉ~」
あの湊兄が足繁く通ったとされる伝説の、は・が・く・れ!
一度は行ってみたいと思っていたのだ。何という夢のシチュエーション。荒垣先輩と私と綾兄が一緒だなんて。ああ、幸せ。
『じゃ、待ち合わせは――――』
荒垣先輩が待ち合わせ場所を伝えてくれてたけど私は幸せのあまり有頂天だったので綾兄が代わりに場所を聞いてくれていた。それから待ち合わせ場所で荒垣先輩の車を待って待ちに待ったはがくれデビューを果たしたのである。
※※※
すっかり夜になってしまった。四月とは言え、まだ夜も冷え込む時期。佐倉家にはすでに遅くなるという電話を入れてあるので心配されることはないが、それでも遅くはなるなと厳しく電話口で何度も惣治郎に言われ彼が納得するまで電話を終えることができなかった。お腹一杯満たされ朔はお店を出てから荒垣に礼を言った。
「美味しかった~。また連れてってくださいね!」
「またな」
ぽんと朔の頭を撫でる荒垣。笑えない朔は目元を細ませ気持ちよさそうにする。たとえ笑えていなくとも荒垣には嬉しそうに微笑む朔の姿が想像して見えた。
朔が自分のスマホをいじって雨宮達からのMissionクリアの連絡に返信している間に綾時がさらりと紙を差し出す。
「これ、僕のアドレス。お願いね」
「……そう美鶴を出し抜けると思わねぇ方がいいぞ」
紙を受け取ってさっとポケットに乱暴に突っ込むと荒垣は忠告をした。
「分かってるさ。君は保険だよ」
「っチ……」
男二人の謎のやり取りを知ることなく、朔が返信を終えてさっと綾時の腕に自分の腕を絡ませて強引に覗き見る。
「あー!綾兄いつの間にスマホ持ってるの?もしかして自分用?」
「うん。これがあれば朔といつでも連絡できるからね」
「そんなこといっていっつも私の背後にいるじゃない」
「まぁ、万が一ってこともあるからさ。ちなみに朔のスマホには僕の連絡先すでに登録済みだから安心して」
「えぇ!?いつの間に……」
パスなんていつの間に分かったんだろとブツブツ呟きながら荒垣の車へと三人並んで向かうのであった。
【君は知らないままでいい】
彼は歪んだ物語をパタン、と一つまた閉じ本棚に収めた。
幸せの形。それは誰もが同じパターンではない。
他人にとっては悲しみの最後でも本人にとっては幸福な終わり方である時もある。
故に、その物語は証拠として本に残され彼の手元にあるのだ。
本物とは何を指す?偽物とはどこから決める?
人間が決める物差しに境目はない。決めるのは極限られた方だけ。
憐れな人魚姫と不老不死の魔女。
彼女達は自分たちの生き方に満足しているのだろう。故に彼女達は巡り合った縁を大切にして生きていくはずだ。終わりの時まで。
「これで、二つ。まだまだ道のりは遠そうだ」
彼は、無事に【記録】を回収することができた。
「ちょっと!いつまでこんな地味な仕事させんのよ!」
乱暴な言葉遣いに似合わない可愛らしい容姿を持つ少女は椅子に縛り付けられながら片手に羽根ペンを持たせられ空っぽの本棚の前に立つ男に文句を飛ばす。男はゆっくりと振り返りながらいつもの癖である眼鏡をくいっと持ち上げた。
「いつまで、とは?」
「何そのいい方!?」
「まったく反省の素振りすら見せないのですね。貴方は」
「反省してるわよ!だからこうやって手が痛くなるの我慢して付き合ってるんじゃない」
罪を背負った少女は男の元である仕事を任せられていた。真っ白な本にただひたすら自動で動く羽根ペンで字を書くことだった。楽、と思うかもしれないがこの作業、本が完結するまで終わらないのだ。席を立つことさえ許されない。存外退屈を嫌う少女にとって苦痛以外の何者でもない。だからこそ彼女に最適な仕事なのだ。ちなみに今は報告書(感想文)を書かせれている。それも彼女の仕事なのだ。
男は呆れながらも机の前まで行き、少女が仕上げた報告書(感想文)を手に取って、目を動かす。顎に手をやって「ふむ」と一つ頷き自分の腕時計をちらりと見て「もうよろしいですよ」との言葉と同時に少女は「はぁ~~~」とため息をついて羽根ペンを放り投げ机に突っ伏した。
「これくらいでへこたれては先が持ちませんよ」
「うるさいわ~」
気力もない声で少女は言い返す。本当に口先だけは一人前だと男は心の中で思い
「しばらく休んでいなさい。次がまたありますから」
と言い残して【 】を目指し彼は異世界へのドアを開けて出ていった。
残された少女はのそりと顔をあげていなくなった【上司】に悪態づいた。
「失敗でもしてくればいいのよ、偏屈眼鏡!」
彼が飛んだ先でくしゃみしたとかしないとか。