笑えない少女とニュクスとワガハイ猫と。 作:サボテンダーイオウ
託された想い『願い』がある。それは決して本人には明かせない秘密の話。
今でも昨日の事の様に鮮明に思い出せるのは、一秒一秒が忘れることができないからだ。この
風に運ばれて屋上へ流れてきた桜の花びらを見上げながらお休みなさいと自分の膝に寝る彼を見送った。束の間の休息だと思っていたのに、また『アイギス』と名を呼んでもらえると思っていたのに。それは二度と来なかった。
彼が眠りにつく前、アイギスは瞳に涙を溜めながらこう告げた。
『わたし、あなたを守りたい。あなたの力になりたい。こんなのきっとわたしじゃなくたって出来る事だけど、でも、いいんです』
『その為なら、きっと。わたしは生きていけるから』
『ありがとう』
彼は、ゆっくりと指先をアイギスの目元へやった。彼の温かな体温が冷たい涙を拭ってくれる。
『泣かないで』
『……はい……』
そして青い瞳の彼はアイギスに願った。
『お願いがあるんだ』
『はい?』
今にもとろけてしまいそうなか細い声で彼はアイギスに願った。眠りに引き込まれてしまう前に手を打つように。
『アイギス。あの子を、俺の代わりに守ってくれないか』
『あの子?』
『きっと、あの子は、……なく、だ、ろう、か、……ら…』
『湊さん?』
アイギスの問いかけに彼は答えることはなくそのまま瞼は閉じられた。彼の元に仲間達が集まってくる騒々しい音が階段の方から響いてくる。
ああ、彼が起きてしまうかも。なんてアイギスは苦笑しながら彼の髪を優しく撫でた。
『———今はゆっくり休んでください。起きたら、話の続きを聞かせてくださいね』
そう囁いてアイギスは頭上を見上げ柔らかな春の風を全身で感じ受け止めた。満たされる幸せというものを噛みしめながら。
だがアイギスはすぐにも絶望の淵に叩き落される。仲間たちが湊の元へ駆けつけた時、アイギスが彼を起こそうとするのを止めさせたが暫く見守っていてもまったく起きる気配がない。
いや、気づくべきだったのだ。彼が寝ているのではなく、すでに呼吸が止まっていることに。誰よりも身近にいたアイギスは現実を受け止めることができずにいた。
ただただ、彼が救急車へと運ばれていくのを見送ることしかできなかった。彼が死亡したと報告を受けてより、アイギスは心にぽっかりと穴が開いたようだった。彼の死に至る真相を知り、彼から受け継いだ力を大切にしていこうと決め、美鶴と共にシャドウワーカーの隊員として日夜日常の裏世界でその力を使い人々の平穏の為に動いてきた。ただ、湊が最後に言い残した言葉が気がかりだった。
あの子とは一体誰の事なのだろうか。それが湊の最後の願いならば叶えたいと思った。
それが湊との最後の繋がりになる。
湊の周りには多数の人との
生前、湊はもし妹がいたらこの子かもしれないと順平に嬉しそうに語っていたと後にアイギスは順平を通して知るのだが、時すでにそれらしき少女は別の土地へ引っ越した後でアイギスは約束を果たすことができないと諦めていた。まさか自分の都合で美鶴の傍を離れることもできず、心の片隅に湊の願いがしこりとして残ったまま時を重ねた。あれから成長していく仲間たちと以前と全く変わらないことに少し置いていかれているような寂しさを抱いていたが、それを曝け出すことはなかった。だが美鶴から新しいペルソナ使いを見つけたと報告を受け、そのペルソナ使いが入院しているという病院へ共に向かった際、胸が騒めくような感じがした。それは病室へ足先が向かう度にひどくなっていく。アイギスはなぜこんなにも気持ちが落ち着かないのか不思議でならなかった。
その人物を視界に捉えた瞬間に激しく
ドク、ドク、ドク。
限界まで見開かれる瞳に映るのはベッドに眠る黒髪の少女。ベッドの脇の椅子に座って林檎の皮をむいているまさかの望月綾時にも驚きはしたものの、それは例外だった。というか眼中にない。アイギスの視線が釘付けになるのはただ一人。
「やぁ、久しぶり。アイギス。美鶴も来てくれたんだ」
綾時は包丁をお皿の上に置いて椅子から立ち上がり笑みを浮かべて二人を出迎えた。美鶴は軽く手を上げて挨拶を返す。
「ああ、彼女の様子はどうだ」
「大分落ち着いてきたよ」
その声には安堵感が含まれていて彼女の容態が安定してきたことを含ませていた。それほどに重症だったのだろうかと一抹の不安がなぜかアイギスの頭をよぎる。
早く、早く彼女の名前が知りたい。急かす気持ちがアイギスの口から問いとして漏れた。自分でも驚くほどに声が掠れて出た。
「……その人は、誰ですか」
『ご臨終です』と医師から告げられた湊と同じように白いベッドに横たわる少女は。だが彼と違うのは少女が生きているということ。
そう、生きているはず。たとえ、消毒された様な白さの肌をしていたとしても。
「彼女は佐倉朔。湊と僕が守りたいと思った女の子。湊が君に託した願いの正体だよ」
そう答えた綾時はベッドから数歩下がってアイギスに場所を譲った。綾時は知っていたのだ。湊がアイギスに託した願いを。
「……朔、さん……」
「アイギス、どうした?」
美鶴の問いに言葉を返す余裕もなくアイギスは唇を震わせてゆっくりと一歩一歩、ベッドへと近づく。この少女が湊が言い残した『あの子』。
眠っている少女の顔があの時の湊とダブって見えて重なり恐ろしくなったアイギスはベッド脇に縋りついて少女の体を揺さぶり始めた。衝動のままアイギスは動く。
「起きてください――ー。お願い、起きて」
突然のアイギスの行動に美鶴が咎めるよう声を出し一歩動いた。
「おい、アイギス!」
「美鶴、いいよ。好きにさせてあげて」
だが綾時が美鶴の制止を止めさせた。何かしら考えがあるのだろうと美鶴は戸惑いながらも浅く頷いて傍観することに。
「起きて……、起きてください……!湊さんっ」
二度と開かれることはなくさよならも言えずに逝ってしまった湊の姿が少女と重なる。今アイギスの中であのシーンが再現されている。
つい零れるように出た彼の名前。目の前にいるのは湊ではない。この少女も湊のように起きないのではないか。自分の問いかけに二度と答えないのではないかとどういようもない不安が襲ってくるのだ。
「…………?」
「……ぁ……」
声にならぬ歓喜がアイギスの口からあふれ出た。黒曜石の瞳がゆっくりと開かれていく。
「……どうして、貴方は、泣いてるの?」
あの時と同じようにアイギスの涙を優しく拭ってくれる少女の手がほんのりと温かくそれが生きている証拠と認識させてくれる。
湊のように吸い込まれそうな瞳にはしっかりと自分の姿が映りこんでいた。アイギスの瞳が波の様に揺らいで少女の姿を歪ませる。ついに決壊した涙は滴となってアイギスの頬を伝っていく。
「泣かないで」
自分を労わるその言葉。
ああ、温かい。人の温かさにこれほど嬉しさを感じた事はない。
「……はい、……はい!」
少女の手を自分の手で重ねるように合わせてアイギスは何度も相槌を打った。零れる涙が歓喜に震えるアイギスに呼応するように暫くの間止まることはなかった。
アイギスは佐倉朔とこうして出会いを果たした。湊から託された願いを必ず守らなくてはと決意に奮い立つアイギスだったが、それがただの自己満足の塊でしかない事を認めようとはしなかった。
佐倉朔は湊ではない。身代わりではない。朔だから守らなくてはいけないのに、アイギスの心の中で朔を湊の代わりに仕立て上げようとする愚かな自分がいること。それは薄々気づいていた。だがそれでもいい。
今は、彼女を守りたい。様々に葛藤を抱えながら機械の乙女は生きる理由を胸に刻んだ。
※※
朔が学園での自殺騒ぎのショックで倒れたとの説明により呼ばれた綾時が慌ただしく帰って行った後、一人部屋に残される美鶴の元へアイギスはやってきて開口一番に美鶴に食って掛かった。普段従順な姿から想像できぬほど感情のままに意見をぶつけてくるアイギスに美鶴は驚かずにはいられなかった。
「朔さんを月光館学園へ転校させるべきです!」
「まず彼女の意思が何より最優先されるべきだ。それにアイギス。彼女の保護者は佐倉惣治郎氏だ。最終的に判断は彼が下すべきもの。朔はまだ未成年だ」
美鶴は痛む頭を抑え瞼を閉じて苦悩に満ちた表情になる。
美鶴とてアイギスの意見に気持ちとしては賛同したいところだが、桐条の総帥としての立場から言えばそう簡単に肯定できるものではない。現実的に朔の親権は惣治郎氏にある。権力を持ってすればそれなりの非道なやり方もあるかもしれないが、そんな下種な事やるわけがない。ペルソナ暴走という今回の件は直接一般人に被害が及ぶ前に回収が済んだが、もしこれが一般人の目の前で、もしくは巻き込むような事件へと発展すればペルソナ使いという存在が世間に晒されてしまうことになる。そうなれば自分たちの存在も危うい立場へと追い込まれるだろう。それだけは避けねばならない。実力者としての力を十分に備えている朔とはいえ、まだ17歳の少女。輝かしい未来もある。
出来れば
「ですが私は朔さんが大切です。彼女の精神状況を考えれば一刻も早く手を打たねば。ペルソナの暴走がそう何度も続くようでは体への影響も否めません。今は薬での安定で持ちこたえているような状態ですよ?……私は、二度も失いたくはないのです」
拳を強く握りしめアイギスは辛そうに顔を伏せて訴えた。
「私も同じ気持ちだよ。アイギス。だが我々に無理強いをすることはできない。もし、そのような行動に出れば朔からの信頼は永遠に失われるだろう。これだけはハッキリと言えるぞ」
「……っ!だったら、わたしを朔さんの元へ行かせてください。わたしが直接お願いしに行きます」
「アイギス」
流石にそれは無理強いにもほどがあるとアイギスを咎めようとした。だがアイギスの意思は固かった。
「お願いします。美鶴さん、チャンスをください」
深々と頭を下げてお願いする姿に美鶴は深くため息をついた。
「……分かった。ただし、強要することだけは避けてくれ。あくまで朔の意思によるものだ」
「分かってます」
頭を上げたアイギスは深々と頷いた。
※※
四月三十日。
次の日、アイギスは黒塗りの車を校門前に停めて朔が出てくるのを待っていた。勿論、しっかりと服を着ている状態で。約束を取り付けていないので突撃訪問ともいえる。
下校途中の生徒たちは当然金髪碧眼の美少女に好奇の視線を向けたり、ヒソヒソと誰を待ってるんだろうなど囁き合っていたりもした。そんな注目の的であるアイギスは沢山の生徒の中から待ちに待った人物を見つけ自然と笑みを浮かべた。
「朔さん」
「―——アイギス?どうして」
表情は変わらずとも自分の登場に驚きを露わにする朔にアイギスは素直に答えた。
「貴方に会いたくて来ました。……お時間、大丈夫ですか?」
朔の連れらしき男子生徒が「朔の知り合い?」と小声で尋ねていて、朔も「まぁね、そんな感じ」と短く答えている。名前で呼ばせている様子からかなり親しい間柄であるとアイギスは考える。そして彼の存在を
「元気にしてた?アイギス」
「はい。朔さんは……体の方は大丈夫ですか?」
「あー、まぁいつも通りってやつかな」
ぽりぽりと指先で頬を掻く朔。なんとなく誤魔化しているとアイギスは思った。それにしても朔のリュックが勝手に動いているが、中身を尋ねてもいいのだろうかと思う。視線はリュックへ向かった。
「………」
「アイギスは心配してきてくれたんだよね。ゴメンね、わざわざ」
「いいえ、そんな……。朔さんは、迷惑、でしたか?」
気持ちばかり先走ってしまったが、実際のところ朔にどう思われているのか不安で仕方がなかった。朔は手を振って否定した。
「全然そんなことないよ。…あふ……」
「最近はちゃんと眠れてますか?」
若くして不眠症を患っている朔に薬は欠かせないものとなっている。
「う~ん、どうだろう。昨日は砂漠のピラミッドでスフィンクスと戦う夢みたしね。強かったよ」
そう言って二度目の欠伸をする朔にアイギスは小さく笑った。
「変な夢ですね」
「だね」
他愛もない会話をして二人が乗る車が向かった先は井の頭公園だった。落ち着いた場所で話したいとアイギスの希望である。ちなみにリュックの中身は猫だった。飼い猫で普段からリュックの中に入ってくっ付いてきてしまうらしい。主人想いの黒猫だがアイギスを見ても驚いた様子はなく鳴くこともない。尻尾をゆらゆら動かしてリュックの中から顔を出して興味深そうに眼をくりくりさせて観察してくる姿は愛嬌があって可愛らしかった。
だがアイギスが朔に会いに来た理由は飼い猫を愛でる為ではない。静かな場所へと朔を誘った先は公園の湖がある木のベンチだった。二人でそこに並んで座る。カップルが乗っているボートがゆっくりと濃いで進む姿を眺めながらアイギスは意を決して朔へ願い出た。
「朔さん、月光館学園に転校しませんか?」
「え、いきなりなんで急に」
やはり想像通り戸惑う朔にアイギスはズイッと距離を詰めて朔の両手を取って握りしめた。
「心配なんです。貴方のことが」
「………アイギスはさ、私と湊兄を重ねてみてるだけなんだよ。湊兄に頼まれたからって私を守ろうとしなくてもいいんだよ」
「いいえ!そんなこと」
ないと続けようとしたがそれを遮るように朔が続けた。
「私は湊兄じゃない」
「!」
ハッキリとした拒絶だった。苦し気にそういう朔はアイギスから視線を逸らす。アイギスは胸を突かれたように反射的に朔の手から自分の手を離した。
朔はベンチから立ち上がり、アイギスに背を向けて言葉を続けた。
「湊兄がアイギスに託した願いは貴方を縛っているよ。過去の呪縛になってる。それって邪魔じゃない?私はアイギスに守られなくてもちゃんと生きてるよ」
「朔さん……わたしは、そんなつもりで……」
縋るように朔へ手を伸ばしかけたが、アイギスは嫌われることを恐れ手をひっこめた。
わたしは、今言い訳をしようとした?
いや、嘘だ。違う。わたしは。
確かにアイギスは朔を理由にして湊からの願いを正当化していた。朔だから守りたい、ではなく、湊から託された願いだから朔を守ると決めたのだ。それは朔の意思を無視する行為に他ならない。
朔の中に湊の影を見出そうとした。過去の呪縛に支配されているのは、本当は朔ではなくアイギスなのか。自分の、朔を守りたいという気持ちがグラつき始めた。託されたから守りたいと思っているのか、朔だから守りたいと決めたのか。
「ゴメン。こんないい方して……。突然のことだから私も混乱してるの。アイギスの気持ちは分かった。———返事はもう少し待ってもらえるかな」
「……はい……」
もとよりすぐに返事をもらえるとは考えていなかった。ただ、彼女の身を案じての行動であると朔には理解して欲しかったが、これ以上言葉を重ねればそれだけ朔を傷つけてしまうような気がしてアイギスはただ、頷くことしかできずに帰りの車の中でも互いに言葉を交わすことなくそれぞれの日常へと帰ることになった。
【守りたい気持ちに偽りはない】