ルイズと無重力巫女さん   作:1-UP-code

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第六十一話

 昼の喧騒で賑わうトリステイン王国の首都トリスタニア。

 商売も仕事もこれからという時間の中、ブルドンネ街のとある通りに建てられた一件のレストラン。

 平民から下級貴族までが主な客層であるこの店も、書き入れ時をとっくに過ぎて閑散とした雰囲気を漂わせている。

 しかし個々の諸事情で昼食の時間に食べそこなった人達が席につき、店が振る舞う料理やデザートの味をゆっくりと楽しんでいた。

 

 木製の小さなボールに入ったサラダを、ゆっくりと口に入れて咀嚼している若い貴族の女性。

 ハチミツを塗ってからオーブンでじっくり焼いた骨付き肉にかぶりつく、平民の中年男性。

 常連なのか、カウンターの向こうにいる店長と談笑しながらフルーツサンドイッチを味わっている魔法衛士隊の隊員。

 窓から見える野良猫同士の喧嘩を眺めるのに夢中になって、思わずレモンティーをこぼしてしまう平民の少女。

 

 食べている物や行動などはバラバラであるのだが、彼らには皆一つだけの共通点がある。

 それは、一日という忙しくも長い時間の合間に『自分だけの時間』を作って、ゆったりと過ごしているという事だ。

 

 大勢の人々が忙しそうに行き交う場所から閑散とした場所へ、その身を移して一息つく。

 そうすることで゛自分゛という存在を改めて自覚し、色んな事を考える時間ができるのだ。

 仕事の事や気になるあの人との関係から、これから何をしようかな。といった事まで人によって考えている事も全部違う。

 短くもなるし長くもなる『自分だけの時間』の間にその答えに辿り着く者もいれば、答えが出ずに悩み続けていく者もいる。

 中には最初から考える事をせず、ただ単に体を休ませている者もいるがそれは決して間違った事ではない。

 仕事や人間関係といった気難しい事を一時的に投げ捨ててわがままになる事も、また大切なのだ。

 

 そんな風にして各々の時間が緩やかな川の流れの様に進んでいく店の中で、ルイズたちは昼食を取っていた。

「それにしてもホント、今日はどういう風の吹き回しかしらねぇ」

「……?どういう意味よ、それは?」

 ふと耳に入ってきた霊夢の言葉に、ルイズはキョトンとした表情を浮かべて食事の手を止める。

 口の中に入る予定であったフライドミートボールと、それを刺しているフォークを皿に置いた彼女は一体何なのかと聞いてみる。

「事の張本人がそれを知らないワケないでしょうに」

 質問を質問で返したルイズの言葉に霊夢は肩を竦めると手に持っていたカップを口元に寄せ、中に入っている紅茶を一口だけ飲む。

 そこでようやく思い出したのか、何かを思い出したような表情を浮かべたルイズがその口を開く。

「あぁわかった。アンタの服の事でしょう?」

 ルイズの口から出たその言葉に、霊夢は正解だと言いたげに頷きながらもカップを口元から離す。

 安物のティーカップに入っていたそれはルイズの部屋にある物と比べて味は劣るものの、それでも美味い方だと彼女の舌が判断した。

 上品さと素朴さを併せ持つ一口分の紅茶を口の中でゆっくりと堪能した後に、喉を動かしてそれを飲み込む。

 口に入れた時よりも少しだけぬるくなった赤色の液体が喉を通っていく感触を感じた後、霊夢はホッと一息ついた。

 

「今更過ぎるけどお前ってさぁ、本当に緑茶でも紅茶でも美味しそうに飲むよな」

 その様子をルイズの隣で見つめていた魔理沙は、コップ入ったオレンジジュースをストローで軽くかき混ぜながらそんな事を呟く。

 まるで目玉焼きの目玉部分の如き真っ黄色な液体は、一口サイズの氷と一緒にコップの中でグルグルと回っている。

 しかし幾らかき混ぜても液体そのものが糖分の塊なので、氷が溶けない限り味が変わることは無いだろう。

 黒白の言う通り、本当に今更過ぎるその質問に霊夢は若干呆れながらも返事をした。

「アンタの頼んだジュースと違って、お茶なら熱しても冷やしても美味しいし、色んなものに合うから飲めるのよ」

「でも一日中お茶ばっかり飲んでるってのもどうかと思うわね。私は」

 霊夢がそんな事を言っている間にお冷を口の中に入れていたルイズはそれを飲み込みんでから、思わず横槍を入れてしまう。

 軽い突っ込み程度のそれは投げた本人が想定していた威力よりも強くなり、容赦なく紅白巫女の横っ腹に直撃した。

 

「私が何を飲んだって別に良いじゃないの。アンタには関係ないんだしさぁ」

 ルイズの突っ込みに顔を顰めてそう返しつつ、霊夢はもう一口紅茶を飲んだ。

 そして何を勘違いしたのか、魔理沙は意地悪そうな笑みを浮かべてルイズの肩を軽く叩く。

 

「やったなルイズ、今回の勝負は私たちの完全勝利で終わったぜ」

「アンタは何と戦ってたのよ?」

 自分には見えない不可視の敵と知らぬ間に戦っていたらしい魔理沙の言葉に、ルイズは怪訝な表情を浮かべた。

 その直後、話が逸れてしまった事を思い出した彼女はアッと小さな声を上げて再度霊夢に話しかける。

 

「それで、まぁ話は戻るけど……アンタの服の事だったわよね?」

「そうそうその事よ。まったく、魔理沙のせいで話が逸れる所だったわ」

 さっきのお返しか霊夢はそんな事を言いながら、ルイズの隣に座っている普通の魔法使いを睨みつける。

 しかし博麗の巫女に睨まれた魔法使いは微動だにせず、やれやれと言わんばかりに首を横に振ってこう言った。

「元を辿れば、お前が紅茶を飲んだ所で話が逸れ始めたと私は思ってるんだがなぁ~」

「まぁこの件はどっちも悪い、という事にしておきましょう。これ以上話が逸れたら面倒だわ」

 これ以上進むとまた騒いでしまいそうな気がしたルイズはその言葉で無理やり締めくくり、コップに残っていたお冷をグイッと飲み干した。

 自分たちの論争が第三者の手によって終止符を打たれてしまった事に、二人は目を丸くしてルイズの方へと顔を向ける。

 突然自分に向けられた二人分の視線をまともに受けた彼女は少しだけ気まずそうに咳き込むと、今度こそ本題に移った。

 

「で、服の事についてなんだけど…」

 ルイズはその言葉を皮切りに何で霊夢の為に新しい服を購入してあげたのか、その理由を話し始めた。

 

 

 

 ハルケギニア大陸において小国ながらも古い歴史と伝統を誇るトリステイン王国の首都、トリスタニア。

 国の中心である王宮がすぐ目の前にあるという事もあって、その規模はかなりのものだ。

 平日でも大通りを利用する市民や貴族の数が変わることは無く、常に大勢の人々が行き交っている。

 ブルドンネ街やチクトンネ街などの繁華街には大規模な市場があり、今日の様な休日ともなれば火が付いたかのように街が活気に満ち溢れる。

 その他にもホテルやレストランなどの店も充実しており、特にこの時期は他国からやってきた観光客が狭い通りを物珍しそうに歩く姿を見れるものだ。

 ガリアのリュティスやロマリアの各主要都市に次いで人気のあるトリスタニアには、他にも色々な場所がある。

 かつての栄華をそのまま残して時代に取り残された郊外の旧市街地に、各国から賞賛されているトリステインの家具工場。

 芸の歴史にその名を残す数多の劇団を招き入れたタニア・リージュ・ロワイヤル座は、今も毎日が満員御礼だ。

 

 そんな首都から徒歩一時間ほど離れた所に、ハルケギニアの基準では中規模クラスに入る地下採石場がある。

 周りを十メイルほどもある木の柵に囲まれた敷地の真ん中には大きな穴があり、そこを入った先にある人工の洞窟が採石の場所となっていた。

 土地の大きさはトリステイン魔法学院の三分の一程度の広さで、主な仕事は地下から切り取ってきた岩を地上に上げる事である。

 地下から運び出された岩は馬車に乗せられ、首都の近郊に建てられた加工場で石像や墓石などにその姿を変える。

 ここで働いているのは街や地方からやってきた平民の出稼ぎ労働者や石工、警備の衛士に現場監督である貴族達も含めておよそ九十人程度。

 ガリアやゲルマニアとは国土の差がありすぎるトリステインでは、これだけの人数でも充分に多い方だ。

 一つの鉱山や採石場に二十人から四十人程度はまだマシな方で、地方では十人から数人程度で運営している様な場所もあるのだから。

 

 そこから場所は変わり、加工場と採石場を繋ぐ唯一の一本道。

 鬱蒼とした木々に左右を挟まれたようにできた横幅七メイル程度の道も、かつては広大な森林地帯の一部に過ぎなかった。

 今からもう四十年前の事だが当時は誰も見向きすることはなく、動植物たちが安寧に暮らせる場所であった。

 しかし…今は採石場となっている場所で良い鉱石が見つかった途端、人々は気が狂ったかのように木を倒し草を毟って森を壊していった。

 そして森に古くから住んでいた者たちを無理やり排除して、人は文明の一端であるこの道を作ったのである。

 

 そんな歴史を持っている道を、馬に乗った二人の男が軽く喋り合いながら歩いている。

 薄茶色の安い鎧をその身に着こんだ彼らは、採石場を運営している王宮が雇った衛士達だ。

 市中警邏の者たちや魔法学院に派遣されている者達とは違い、彼らは皆傭兵で構成されている。

 その為かあまりいい教育は受けておらず、常日頃の身なりや素行はそれなりの教育を受けた平民なら顔を顰めるだろう。

 しかし雇われる前に傭兵業を営んでいた彼らの腕利きは良く、文句を言いつつも仕事はしっかりとこなすので王宮側は仕方なく雇っているのが現状であった。

 

 

「全く、こんな休日だってのに採石場警備の増援だなんて最悪だよな?」

 二人の内先頭を行く細身のアルベルトは左手で手綱を握りつつ、後ろにいる同僚のフランツにボヤいている。

 アルベルトとは違い体の大きい彼はその言葉にため息をつく。アルベルトが日々の仕事に対し文句を言うのはいつものことであった。

「仕方ないだろ。他の連中は皆非番で、事務所にいたのは俺たちだけだったんだ」

「だからってわざわざ採石場まで行かせるかよ。あそこの警備担当はヨップが率いてる分隊だろうが」

 空いている右手を激しく振り回しながらそう喋る彼の言葉を、フランツは至極冷静な気持ちで返した。

「そのヨップの分隊にいたコンスタンとダニエルが今日でクビになったから、俺たちが臨時で行くんだ」

 同僚の口から出た予想していなかった言葉に、思わず彼は目を丸くした。

 

「どういう事だよ?あいつ等なんか下手な事でもしたのか?」

「正にその通り。…コンスタンはこの前、高等法院から視察に来たお偉いさんの足を踏んじまったろ?あれのツケが今になってきたのさ」

「うへぇ…マジかよ」

 コンスタンの酒飲みは悪いヤツではなかったし、何よりこの前負けたポーカーの借りをまだ返していなかった事を彼は思い出す。

 後ろにいるフランツの言葉を聞き、惜しい顔見知りを失ったとアルベルトは心の中で呟いた。

「あんなに面白い奴をクビにするなんて、酷い世の中だ。…で、ダニエルの方は?」

 アルベルトは職場から消えてしまった顔見知りの事を惜しみつつも二人目の事を聞くと、同僚は顔を顰めて言った。

「アイツの事なんだが…何でも教会のシスターに手ぇ出しちまったんだとよ」

「シスター!?それはまた…随分派手だなぁオイ」

 女遊びが激しかったアイツらしい最後だと彼が思った、その時である。

 

 

「全く、女に手を出すのは良いが幾らなんでも――ん?」

 ダニエルの事を良く知っていたフランツが彼に対しての文句を言おうとした直後、四メイル前方の茂みから何かが飛び出してきた。

 それはボロ布のようなフード付きのローブを、頭から羽織った身長160サント程度の人間?であった。

 

 

「な、何だ!…人?森の中から出てきたぞ…?」

 先頭にいたアルベルトは驚いたあまり手綱を引いて馬を止めると、目の前に現れた者へ警戒心を向けた。

 この一帯は道を外れると、急な斜面や深さ三メイル程もある自然の溝が至る所にある樹海へと入ってしまう。

 それに加えて九十年近くの樹齢がある木々が空を覆い隠しているので、並大抵の人間ならあっという間に迷い込む。

 更に視界を奪うほどに生い茂った雑草や少し歩いた先にある野犬の縄張りの事も考慮すれば、無用心に森へ入って生きて帰れる確率はそれほど高くはない。

 その事を知っていれば、どんな人間でもわざと道を外れて森に立ち入ろうとは思わないだろう。

 しかし、今二人の目の前に現れた者は間違いなく茂みの…その奥にある森から姿を現したのだ。

 雇い主である王宮側から森の事を教えられた者たちの一人であるアルベルトが警戒するのも、無理はないと言える。

 それはフランツも同じであったが、少なくとも彼ほどの警戒心は見せていなかった。

 

「まぁ落ち着けアルベルト。とりあえず話しかけてみようじゃないか」

 彼よりもこの仕事を大事にしているフランツはそう言うと馬を歩かせ、アルベルトの前へと出る。

 フードのせいで性別はわからないが、人間であるならば話は通じるだろうと彼は思っていた。

 無論もしもの時を考えて、左の腰に携えた剣の柄を右手て掴んみながらも目の前にいる相手へと声をかける。

「すまんがお前さんは誰だい?見た感じ旅人って風には見えるんだが…」

 まずは軽く優しく、なるべく相手が怖がらない様に話しかけてみる。

 このような場合下手に脅すように話しかけると、相手が逃げてしまう事をフランツは経験上知っていた。

 

 彼の声にローブを羽織った者はピクリと体を動かした後、ゆっくりとだがその足を動かして二人の方へ近づいてきた。

 てっきり喋り出すのかと思っていたフランツは予想外の行動に少しだけ目を丸くしつつも、すぐに左手のひらを前に突き出しその場で止まるよう指示を出す。

 彼の突き出した手が何を意味するのか知っていたのか、ローブを羽織った者は一メイル程歩いた所でその足をピタッと止めた。

 うまくいった。彼は動きを止めた相手を見て内心安堵しつつ、ここがどういう場所なのかを説明し始めようとする。

「悪いがここは王宮の直轄でね?関係者以外の立ち入りは――――」

 

 

 禁止されているんだ。彼はそう言おうとしたが、最後まで言い切ることができなかった。

 喉に何か詰まったわけでもなく、ましてや目の前にいる相手が投げつけたナイフで喉を切り裂かれた――という突飛な話でもない。

 

 彼の言葉を中断させたその゛原因゛は、先程ローブを羽織った者が出てきた茂みから現れた。

 

 ゛原因゛の正体は野犬でも狼でもなく、本来なら王都との距離が近いこのような場所には滅多に現れない存在であった。

 全長二メイルもある゛原因゛は太った体には似つかわぬ俊敏な動きで道の真ん中に飛び出してくると、目の前にいる一人の人間をその視界に入れる。

 そしてローブを羽織った者が後ろを振り返ると同時に゛原因゛は体を揺らしながら、聞きたくもない不快な咆哮を辺りに響かせた。

「ふぎぃっ!ぴぎっ!あぎぃ!んぐいぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!」

 もう逃げられないぞ!

 人間にはわからない言葉で゛原因゛はそう叫んでから威嚇のつもりか、右手に持った棍棒を振り回しはじめる。

 それと同時にローブを羽織った者の後ろにいるアルベルトが、今まで生きてきて何十回も見てきた゛原因゛の名前を口にした。

 

「お、オーク鬼だ!!」 

 

 彼がそう叫んだと同時にフランツが右手に掴んだ剣の柄を握り締め、それを勢いよく引き抜く。

 刃と鯉口が擦れる音ともに引き抜かれたソレの先端は一寸のブレもなく、獲物を振り回す亜人の方へと向けられた。

 彼の表情は厳ついものへと変貌しており、目の前に現れた亜人に対して容赦ない敵意を向けている。

 

「そこのお前、早くこっちへ来るんだ!」

 先程の優しい口調とは打って変わって、ローブを羽織った者へ向けてフランツは叫ぶ。

 しかしその声が聞こえていなかったのか、ローブを羽織った者は微動だにしない。

 それどころか、目の前にいるオーク鬼と対峙するかのように何も言わずに佇んでいるのだ。

 だが、身長二メイルもある亜人と身長160サント程度しかない人間のツーショットというのは、あまりにも絶望的であった。

 どう贔屓目に見たとしても、勝利するのは亜人の方だと十人中十人が思うであろう。

「アイツ、何を突っ立ってる…死にたいのか?」

 まるで街角のブティックに置いてあるマネキンの様に佇む姿を見たアルベルトが、思わずそう呟いた瞬間――

 

「ぎいぃぃぃぃッ!」

 もう我慢できないと言わんばかりに吠えたオーク鬼はその口をアングリ開けて、ローブを羽織った者に向かって一直線に走り出した。

 二本足で立つブタという姿を持つ彼らの口に生えている歯は見た目以上に強く、ある程度硬いモノでも容易に噛み砕くこともできる。

 その話はあまりにも有名で、とある本に火竜の分厚い鱗諸共その皮膚を食いちぎったという逸話まで書かれている程だ。

 それほどまでに凶悪な歯を光らせながら走り、目の前にいる獲物の喉へと突き立てんとしていた。

 二人の衛士たちはそれを見てアッと驚き目を見開くがその体だけは動かない。

 あと少しでオーク鬼に喉笛を噛み千切られるであろう者が目の前にいても、すぐに動くことができなかった。

 そんな彼らをあざ笑うかのように、オーク鬼は走りながらも鳴き声を上げる。

 

「ぷぎゃあっ!いぎぃ!」

 オーク鬼は知っていた。大抵の生き物は。喉を食いちぎればカンタンに殺せると。

 そこへたどり着くまでの過程は難しいものの、そこまでいけば相手はすぐに死ぬ事を知っている。

 だから森で見つけたこの人間も、喉を噛み千切ればすぐにでも食べられる。

 縄張り争いで群れから追い出され、腹を空かせたまま森の中を徘徊していた彼は自らの食欲を満たそうと躍起になっていた。

 三日間もの耐え難い空腹で理性を失い、すぐ近くに武器を持った人間が二人もいるというのにも関わらず襲いかかった。

 たったの一匹で人間の戦士五人分に匹敵するオーク鬼にとって、たかが二人の戦士など問題外である。

 それどころか、オーク鬼は二人の戦士と彼らの乗ってる馬ですら自分が食べる食糧として計算していた。

 目の前にいる人間を殺したら、次はあいつらを襲ってやる。

 食欲によって理性のタガが外れたオーク鬼はそう心に決めながら、最初の獲物として選んだ人間に飛びかかろうとした瞬間…

 

 

 目が合った。

 頭に被ったフードの合間から見える、赤色に光り輝くソイツの『目』と。

 

  まるで火が消えかけたカンテラの様に薄く光るその『目』の色は、どことなく血の色に似ている。

 物言わぬ骸の傷口から流れ出る赤い体液のような色の瞳から、何故か禍々しい雰囲気から感じられるのだ。

 そして、そんな『目』が襲いかかってくる自分の姿をジッと見つめている事に気が付いたオーク鬼は、直感する。

 

―――――こいつ、人間じゃない!

 

  心の中でそう叫んだ瞬間、オーク鬼の視界の右下で青白い『何か』が光った。

 その光の源が、目の前にいる゛人間ではない何か゛の『右手』だとわかった直後。

 

 オーク鬼の意識は、プッツリと途絶えた。 

 

 

 

 

 

――――…と、いうワケなのよ。判った?」

 

 無駄に長くなってしまった説明を終えたルイズは、一息ついてから話の合間に頼んでおいたデザートのアイスクリームを食べ始める。

 カップに入った白色の氷菓は丁度良い具合に柔らかくなっており、スプーンでも簡単にその表面を削ることができた。

 ルイズはその顔に微かな笑みを浮かべつつ、一匙分のアイスが乗ったスプーンをすぐさま口の中にパクリと入れる。

 

「まぁ大体話はわかったわね…アンタが何であんな事をしてくれたのか」

 一方、三十分以上もの長話を聞かされた霊夢はそう言って傍にあるティーカップを手に持つと中に入っている紅茶を一口飲む。

 話の合間に新しく注いでもらった熱い紅茶は喉を通って胃に到達し、そこを中心にしてゆっくりと彼女の体を温めていく。

 緑茶とは一味違う紅茶の上品な味と香り、そして体の芯から温まっていく感覚を体中で体感している霊夢は安堵の表情を浮かべている。

 そんな風にして一口分の幸せを堪能した彼女は再びカップをテーブルに置くと、ルイズの隣にいる黒白の魔法使いに話しかけた。

「ねぇ魔理沙、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「…ん、何だ?」

 霊夢に名前を呼ばれた彼女は、サンドイッチを口に運びかけたころでその手を止める。

 魔理沙がこちらに顔を向けた事を確認してから、霊夢はこんな質問を投げかけた。

「アタシが着てる巫女服って…ルイズが言うほど変わってるかしらね?」

「…う~ん、どうだろうなぁ?私はそんなに変わってるとは思わなくなったが」

 その質問に、魔理沙は肩を竦めながら言った後に「だけど…」と言葉を続けていく。

「ハルケギニア人のルイズがそう思うのなら、この世界の基準では変わってるのかもしれないな」

 自分の質問にあっさりと即答した魔法使いの返答を聞き、霊夢は思わず目を細めてしまう。

 

 そんな二人のやりとりを自信満々な笑みを浮かべて見ていたルイズが、追い打ちをかけるかのように口を開く。

「まぁ私としてもアンタには色々と借りがあったしね。それを一緒に返したまでの事よ」

 彼女の口から出てきたそんな言葉を聞き、霊夢はふと彼女が話してくれた゛二つの理由゛を思い出し始める。

 

 

 ルイズが霊夢に新しい服を買ってあげた゛二つの理由゛の一つめ。

 それは近々行われるアンリエッタとゲルマニア皇帝の結婚式にある。

 

 かの神聖アルビオン共和国の前身であるレコン・キスタの出現とアルビオン王家の危機に伴い、帝政ゲルマニアとトリステイン王国は同盟を組む事となった。 

 アルビオン王家が滅ぼされれば、有能な貴族だけで国を支配してやると豪語する神聖アルビオン共和国が隣の小国であるトリステインへ攻め込んでくるのは明らかである。

 巨大な浮遊大陸からハルケギニアでは無敵と評される大規模な空軍と竜騎士隊が攻め込んで来れば、トリステインなどあっという間に焦土と化すだろう。

 そうならない為にもトリステインは隣国に同盟の話を持ち込み、ガリアに次ぐ大国の誕生を望まないゲルマニアはその話に乗った。 

 幾つかの協議を行った末にゲルマニア側は、もしトリステイン国内で大規模な戦争が起こった際に自国から援軍を出すことを約束した。

 それに対しトリステインの一部貴族はあまり良い反応をしなかったが、異論を唱えることは無かったのだという。

 精鋭揃いではあるが小国故に軍の規模が他国と比べて小さいのが悩みのタネであったトリステインにとって、倍の規模を持つゲルマニアの存在は心強い。

 一方のトリステインは、王宮の華であるアンリエッタをゲルマニア皇帝アルブレヒト三世のもとに嫁がせる事を約束した。

 

 その結婚式に関しては一つのアクシデントが起こり、ルイズと霊夢はそのアクシデントの所為でトリステインの国内事情に巻き込まれたのである。

 最もルイズは自ら望んで巻き込まれたのに対して、霊夢は偶然にも巻き込まれただけに過ぎないが。

 まぁ結果的にそのアクシデントは二人の力で無事解決し、晴れてトリステインとゲルマニアの同盟は締結される事となった。

 そして、丁度来月の今頃にゲルマニアで行われる手筈となった結婚式に、ルイズは詔を上げる巫女として招待される事となった。

 幼いころからアンリエッタの遊び相手として付き合ってきた彼女は、幼馴染でもある姫殿下から国宝である『始祖の祈祷書』を託されている。

 トリステイン王室の伝統で、結婚式の際には祈祷書を持つ者が巫女となって式の詔を詠みあげるという習わしがある。

 そんな国宝をアンリエッタの手で直々に渡された彼女はこれを受け取り、巫女としての仕事を承った。

 ルイズが行くのなら、形式上彼女の使い魔であり現役の巫女である霊夢もついて行くことになるのだが…そこで問題が発生する。

 霊夢がいつも着ている巫女服、つまりは袖と服が別々になっているソレに問題があった。

 

 ハルケギニアでは比較的珍しい髪の色や、他人とは付き合いにくい性格は多少問題はあるがそれでも大事にはならないだろうルイズは思っている。

 むしろ性格に関しては、付き合えば付き合うほど良いところを見つけることができると彼女は感じていた。

 表裏が無く、喜怒哀楽がハッキリと出て誰に対してもその態度を変えない霊夢とは確かに付き合いにくい。

 事実、召喚したばかりの頃はある意味刺々しい性格に四苦八苦していたのはルイズにとって苦々しい思い出の一つだ。

 

 しかし霊夢を召喚してから早二ヶ月、様々な事を彼女と共に体験したルイズはそれも悪くないと思い始めていた。

 部屋の掃除は今もしっかりとしているし部屋にいるときはいつもお茶を出すようにまでなっている。

 相変わらず刺々しいのは変わりないが、慣れてくるとそれがいつもの彼女だと知ったルイズは怒ったり嘆いたりする事は少なくなった。

 だが、それを引き合いに出しても彼女の服だけにはどうしても問題があるのだ。

 

 王家の結婚式において、礼装であってもなるべく派手な物は避けるという暗黙のルールが貴族たちの間にある。

 着ていく服やマントの色も黒や灰色に茶といった地味なもので装飾品の類は一切付けず、杖に何らかの飾りを付けているのならばそれも外す。

 ドレスであってもなるべく飾り気の少ない物を選び、決して花嫁より目立ってはいけないよう注意する。

 式を挙げる側もそれを知ってか花嫁花婿ともに華やかな衣装に身を包み、周りに自分たちの存在をこれでもかとアピールするのだ。

 もしも間違って派手な衣装で式に参加してしまえば、王家どころか周りにいる貴族達から大顰蹙を買うことになる。

 事実過去にタブーを犯した怖いもの知らず達が何人かおり、後に全員が悲惨な目に遭っていると歴史書には記されていた。

 

 そして不幸か否か、霊夢の服はそのような場において確実に目立つ出で立ちだ。

 服と別々になった袖や頭に着けたリボンは勿論の事、何よりも目立つのが服の色である。

 紅白のソレはある程度距離を取ろうが否が応にも目に入り、着ている人間がここにいると激しく主張している。

 街の中ならともかく、そんな服を着て結婚式に参加しようものならば顰蹙どころかその場で無礼だ無礼だと騒がれてドンパチ賑やかになってもおかしくはない。

 しかも持ってきた着替えも全て似たようなデザインの巫女服であった為、ルイズは今になって決めたのである。

 

 この際だから、霊夢に服でも買ってあげようと。

 

 

「幻想郷だとそれほど変わってるって言われる事は無かったのに…」

 ルイズの話した゛二つの理由゛の一つ目を思い出し終えた霊夢がポツリと呟いた愚痴に、ルイズはすかさず突っ込みを入れた。

「言っておくけどここはハルケギニア大陸よ。アンタのところの常識で物事測れるワケないでしょうに?」

 辛辣な雰囲気漂う彼女の突っ込みにムッときたのか、霊夢は苦虫を踏んでしまったかのように表情を浮かべる。

 そんな表情のまま紅茶を一口飲むと、薄い笑みを顔に浮かべてこんな事を言ってきた。

「だったら何も知らせずに服屋に連れていって、イキナリ別の服を着させるのがハルケギニア大陸の常識ってワケね」

「…何よその言い方は?」

 薄い嫌悪感漂う笑顔を浮かべる霊夢の口から出たその言葉に、ルイズは目を思わず細める。

 両者ともに嫌な気配が体から出ており、下手すれば静かな雰囲気漂うこの店で弾幕ごっこでも起きかねない状態だ。

 しかしそんな気配が見えていないというか場の空気を読めていない黒白の魔法使いが、霊夢の方へ顔を向けて口を開く。

「まぁ別に良いじゃないか。これを機にお前も袖が別途になってない服を着ればいいんだよ」

 魔理沙がそう言った直後。睨み合っていた二人の目が丸くなると、その顔を彼女の方へ向けた。

 二人同時にして同じ事を行ったために魔理沙は軽く驚いた様子で「え?何…私何か悪い事でも言ったか?」と呟き狼狽えてしまう。

 それに対し霊夢は軽いため息を口から吐くと、出来の悪い生徒に諭すかのような感じで魔理沙に話しかける。

 

「全く服に興味が無いわけでもないし、貰えるのなら貰うわよ。タダ程嬉しい物はないしね」

 彼女はそう言って一息ついた後、「でもまぁ…その理由がねぇ…」と話を続けていく。

「元の服じゃ自分が変だと思われるから別のを買ってやる…って理由で服を貰ってさぁ。喜ぶワケないじゃないの」

 隠す気が全くない嫌悪感をその目に滲ませた霊夢は、ルイズの顔を睨みつけた。

 

 以前王宮へ参内した際に同じような目つきで睨まれた事があったルイズは思わず怯みそうになるが、それを何とか堪える。

 霊夢を召喚してかれこれ二ヶ月近く一緒にいる彼女は、ゆっくりとではあるが彼女の性格に慣れ始めていた。

 一方ルイズの隣にいる魔理沙は滅多に見ないであろう知り合いの表情に軽く驚きつつも、それを諌める事は無い。

 霊夢と出会い知り合ってから数年ほどにもなる彼女は、別に怒ってるワケではないとすぐに感じていた。

 何せ喜怒哀楽がすぐに態度で出るような彼女だが、本気で怒るような事は滅多にないのだ。

 

 一見怒っているように見える今の状況も、魔理沙の目からして見れば今の霊夢は゛怒っている゛というより゛呆れている゛のだ。

 相変わらず素直ではなく、下手な言い回ししかできないルイズに対して。

 

(まぁ本気で怒ってるなら怒ってるで、もっとヒドイ事言うからなコイツは)

 魔理沙は心の中でそんな事を思いながら、尚もルイズの顔を睨みつけている霊夢の方へと顔を向けた。

 相変わらず嫌悪感漂う目つきではあるものの、ただ睨みつけているだけで何も言おうとはしない。

 やがてそれからちょうど一分くらい経とうとしたとき、黙っていた三人の中で先に口を開いたのは霊夢であった。 

「…でもさぁ。その後に教えてくれた゛二つの理由゛の二つ目を聞いたら、怒るに怒れないじゃない?」

 彼女はそんな事を言って軽いため息をついてから、もう一度その口を開く。

「アンタが二つ目の理由だけ話してくれたら、私だって発散できないこの嫌悪感を抱かなかったんだけどねぇ」

 霊夢は未だ素直になれないルイズへ向けてそんな言葉を送りつつ、゛二つの理由゛の二つ目を思い出し始めた。

 

 

 ルイズが霊夢に新しい服をプレゼントした二つ目の理由。それは俗にいう『お礼』と呼ばれるモノである。

 まだ付き合って二ヶ月ちょっとではあるが、ルイズは春の使い魔召喚の儀式で呼び出した彼女には色々と助けられた。

 盗賊フーケのゴーレムに踏まれそうになった時や、アルビオンで裏切り者のワルドに殺されそうになった時。

 自分の力ではどうしようもなくなった瞬間、彼女はルイズの傍にやってきてその身を守ってきた。

 それが偶然に偶然を重ねた結果であっても、彼女は自分を助けてくれた霊夢にある程度感謝の気持ちがあったのである。

 いつも何処か素っ気なく部屋で一人のんびりと過ごしているそんな彼女に、ルイズはこれまでのお礼がしたかったのだ。

 

 

(ホント、素直じゃないんだから…)

 二つ目の理由を思い出し終えた霊夢はもう一度ため息をつくと、困ったような表情を浮かべた。 

 先程彼女が呟いた言葉の通り、一つ目の理由だけで服を貰っても嬉しくは無くただただ嫌なだけだ。

 単に他人の見栄だけで貰った服を着てしまえば自分は着せ替え人形と同じだと、彼女は思っていた。

 しかし二つ目の理由を聞いてしまった以上、ルイズから貰ったあの服を無下にする事はできなくなってしまう。

 

 彼女、博麗霊夢は幻想郷を守る博麗の巫女であり何事にも縛られない存在ではあるが、元を辿れば人間の少女である。

 誰かにお礼を言われれば嬉しくもなるし、服にも全く興味が無いというわけでもない。

 正直ルイズから服を貰えた事に喜んではいたが、それと同時に素直でない彼女に呆れてもいた。

 その呆れているワケは今朝、朝食の後に街へ行こうと誘ってきた時の口論にあった。

 

今思えばいつもと違って妙に食い下がっていたし、自分を街に連れて行こうとした際の言い訳もおかしかった。

 きっとこの事をサプライズプレゼントか何かにしたかったのだろう。そう思ったところで霊夢はまたもため息をつく。

(最初から下手な言い訳なんかしなくたっていいのに)

 彼女は心の中で呟きつつ、こちらの様子を伺うかのようにジッと見つめているルイズの方へ顔を向けた。

 先程の言葉の所為か均整のとれた顔は心なしか強張っており、鳶色の瞳にも緊張の色が伺える。

 恐らく何も言わない自分が怒っているのだと思っているのだろうか。

(別に怒ってなんかないわよ。失礼なやつね…)

 霊夢はまたも心の中でそんなことをぼやきつつ、ようやくその口を開けて自分の意思を伝えようとする。

 別に言い訳なんかしなくても良い。今までのお礼として服を貰える事は自分にとっても嬉しい事だから、と。

 「大体。下手な言い訳なんかしなくたって最初から…―――…って…――――あれ?」 

 

 

 その直後であった。゛異常゛が起きたのは―――――――――

 

 喋り始めてからすぐに彼女は気が付いた。そう、突如自分の身に起きた゛異常゛に。

 

 

 彼女は喋るのを途中で止めて、目の前にいた二人がどうしたと聞いてくる前に席を立つ。

 最初は気のせいかと思ったがすぐにその考えが自分の甘えだと気づき、頭を動かして周りの様子を見回す。

 

 今自分たちがいる店内で食事を取っている客たちの声。魔法人形たちの奏でる音楽。

 カウンター越しに平民の店主と仲良く話し合っている貴族の男と、窓越しに見える通りを行き交う大勢の人々。

 そして、不思議そうな表情を浮かべて霊夢に何かを話しかけているルイズと魔理沙の姿。

「…………?…………………」 

「………!…………?」

 二人とも口を動かしているもののその声は一切聞こえてこず、まるでカラーの無声映画を見ている様な気分に霊夢は陥りそうになる。

 それを何とか堪えつつ、腰を上げたその場で見える光景を一通り見る事の出来た彼女は瞬時に理解した。

 

 

 つい゛先程まで゛自分の耳に入ってきた音という音が、今や゛聞こえなくなってしまった゛という事に。

 まるでこのハルケギニアから音だけを綺麗に抜き取ったかのように、何も聞こえなくなってしまったのである。

 

「一体何が?……あっ」 

 突拍子もなく音が聞こえなくなった事に僅かながら動揺した声を口から漏らした時、彼女は気が付いた。

 周りの音や他人の声は聞こえないが、自分の声だけはやけにハッキリと聞こえる事に。

 それに気づいた彼女は落ち着こうとするかのように軽い深呼吸をした後、赤みがかった黒い両目を鋭くさせてこの事態について考え始める。

 

 幻想郷での妖怪退治や異変解決、そしてスペルカードを用いた戦いにおいてもまず冷静にならなければ全てはうまくいかない。

 気持ちを落ち着かせれば今まで見えなかった解決策も瞬時に出てくるが、逆に焦ってしまえば相手に翻弄されて敗北を喫してしまう。

 それは戦いという行為をするにあたって初歩中の初歩とも言える事だが、霊夢はその『何時いかなる状況でもすぐに落ち着ける』という事に長けていた。

 自分の声意外が聞こえなくなったという異常事態におかれても、彼女は自分のペースを乱すことなく僅かな時間で落ち着くことができた。

 それを良く言えば博麗の巫女として優秀な証であり、悪く言えば酷いくらいにマイペースな証であった。

 

(紫の仕業?…イヤ、アイツならもっとストレートにきそうだけど)

 自分に話しかけてくる二人を無視しつつも霊夢は考え、一瞬あのスキマ妖怪のせいかと思ったがすぐにそれを否定する。

 もしも、自分に用があるのだとしたらまずこんな回りくどい事はせずに直接顔を出してくるだろう。

 確たる証拠は無いが、博麗の巫女としてあの妖怪と付き合い数多のちょっかいを掛けられてきた彼女にはそう言い切れる自信があった。

 

(アイツなら普通にスキマから顔を出したり、客に扮してコッチに話しかけてきそうね……―――…ん?)

 いつもニヤニヤしていて掴みどころのない知り合いの顔を思い浮かべた瞬間…。ふと左手の甲に違和感の様なモノを感じた。

 まるでほんわりと暖かい手拭いをそっと置かれたように、妙に暖かくなってきたのである。

 一体次は何なのかとそちらの方へ目を向けた瞬間、霊夢はその両目を見開いてまたも驚く羽目となった。

 

 召喚の儀式でルイズにつけられ、此度の異変解決の為に彼女がこの世界に居ざるを得ない原因を作り出した使い魔のルーン。

 

 この世界の神と呼ばれる始祖ブリミルの使い魔であり、ありとあらゆる武器と兵器を扱う程度の力を持ったというガンダールヴの証。

 

 そして、今のところたった一回だけしか反応しなかった左手のそれが、突如として光り出したのである。

 

 

「なっ…!?…これって…!」

 これには流石の霊夢も動揺と驚きを隠せず、目の前にいる二人もそれに気づいてか驚いた表情を浮かべている。

「………、……………?」

「…………ッ!?……、………!!!」

 魔理沙は初めて見るルーンの光に興味津々な眼差しを向け、霊夢に使い魔の契約を施した張本人であるルイズは突然の事に吃驚している。

 一方の霊夢もその目を見開いたまま、久しぶりに見たルーンの光を時が止まったかのようにジッと凝視していた。

 左手の甲に刻まれたルーンの光はそれ程強くもなく、例えれば風前の灯火とも言えるくらいに弱弱しい光り方をしている。

 しかしそれでも光っている事に変わりはなく、特にルイズと霊夢の二人は魔理沙よりも使い魔のルーンが光ったことに驚いていた。

 何せアルビオンで一回見たっきり全く反応しなかったソレが思い出したかのように輝き始めたのである、驚くなという方が無理に近い。 

 

(一体どういう事なの?今になって使い魔のルーンが光るなんて…)

 未だ驚愕の渦中にいるであろうルイズたちより一足先に幾分か冷静になっていく霊夢の脳裏に、とある考えが過る。

 

 まさか…自分以外の声が聞こえないというこの異常事態と何か繋がりがあるのではないか?

 

 突拍子もない仮説と言って切り捨てる事ができるその考えを、しかし彼女はすぐに破棄する事ができない。

(もし違うというのなら今の段階では証明できないし、―――あぁ~…かといって今の状況とルーンが繋がってる証拠も無し、か…)

 一通りの頭の中で考えた末に結論が出なかった事に対し、思わず首を傾てしまう。

 霊夢にとって今の状況は充分に゛異常゛と呼べる代物ではあるが、その゛異常゛を解決するための糸口となるモノがわからないままでいた。

 そして光り続けているルーンは単に光っているだけなのか、今のところは何の力も感じられない。

(参ったわねぇ~…。このまま耳が聞こえなかったら色々と不便になるじゃないの)

 常人ならとっくの昔に慌てふためいている様な状況ではあるが、そこは博麗霊夢。

 まるで傘を忘れて雨宿りしているような雰囲気でそう呟きつつ、ため息をつこうとする。

 

 

――――…

 

 

「……ん?」

 そんな時、彼女の耳に小さな『声』が入ってきた。

 まるで地上から十メートル程掘られた井戸の底から聞こえてくるようかのように、その『声』はあまりにも小さく何を言っているのかもわからない。

 普通の人間であるのならば、恐らくは空耳か幻聴だと思い込んで聞き逃してしまうだろう。

 しかし、この数分間他人の声を聞くことが出来ないでいた霊夢の耳はその『声』をしっかりと捉えることができた。

 

彼女は何処からか聞こえてきた『声』に辺りを見回すが、それらしい人物や物は一切見当たらない。

 もしかしたらとルイズたちの方へ目を向けるが、先程と同じく二人の声は全く聞こえてこない。

(何よさっきの声?…一体どこから聞こえてきたっていうの) 

 霊夢は心中で呟きながらも、大きなため息をつく。

 こうも立て続けにおかしい事が自分の身に降りかかってくるという事に、彼女は辟易しそうであった。

 しかしそんな事は後回しにしろ言わんばかりに、またもや正体不明の『声』が霊夢の耳゛にだけ゛入ってくる。

 

 

―――――…ム

 

 

(まただ、また聞こえてきた)

 先程よりも少しだけ大きくなった謎の『声』に、霊夢は無意識に首をかしげてしまう。

 恐らくこの『声』は彼女の耳だけにしか届いていないのだろう。ルイズと魔理沙の二人はキョトンとした表情を彼女に向けている。

 もし聞こえているのなら何からのリアクションを取るだろうし、取っていなければ聞こえていないという証拠だ。

 そして、霊夢がそんな事を考えている最中にも今の彼女に取り残された二人は何か話をしている。

「……?…………?」

 声が聞こえないので何を言っているかはわからないが、魔理沙は腰を上げた霊夢を指差しつつルイズに何かを聞いている。

 しかしその内容があまり良くなかったのか、ルイズは少し怒ったような表情を浮かべて黒白の魔法使いに詰め寄った。

「…!…………!」

「……?……………」

 そんなルイズに魔理沙は両手を突き出して止めつつ、笑顔を浮かべて嗜めようとしている。

(一体何を話してるのかしら?こうも聞こえないと無性に気になってくるわねぇ)

 魔理沙に指差された霊夢がそんな事を思っていた時…。

 

 

―――――…イム

 

 またもあの『声』が、耳に入ってくる。

 時間にすれば一秒にも満たないがある程度聞き取れるようになったソレを聞いて、霊夢はある事に気が付く。

 

 そう、周りの音や声が聞こえなくなった彼女の耳に入ってくる『声』は、女性の声であった。

 しかし…女性といっても今この状況で聞こえてくるであろう少女たちの声ではないし、この世界で出会ってきた人々や幻想郷の顔見知り達の声とも違う。

 

 自分の『記憶』が正しければ、この『声』は全く聞き覚えの無いものだ。

 

 謎の『声』に耳を澄ませていた霊夢がそう思った時、彼女はある『違和感』を感じる。

(……でも、おかしい)

 その『違和感』は先程左手の甲に感じた時とは違い、自身の『記憶』から感じ取ったものであった。

 

 それはまるで、九百枚ほどのピースがあるジグソーパズルのように繊細でとても小さな違和感。

 しかも額に飾られたそれは固定されていなかったのか、嵌っていたピースが何十枚か床に落ちて穴ぼこだらけのひどい状態を晒している。

 彼女はピースが嵌っていた穴の中から掴みだすかのように、その『違和感』を探り当てたのだ。

 

 周りの音が聞こえなくなり、突如光り出したルーンに続いて自分だけにしか聞こえない謎の『声』。

 ついさっき思ったように、この『声』に聞き覚えは無い。

 

 そう、無いはずなのだ。しかし…

 

(…何でだろう?この声。何処かで聞いたことがあるような無いような…)

 彼女はこの『声』に全く聞き覚えがないと、完全に肯定することができないでいた。

 本当に聞き覚えが無いのか、それとも記憶にないだけで一度だけ聞いたことがあるのか?

 怪訝な表情を浮かべ始めた霊夢は、周りの雑音と声が聞こえなくなった店の中で考え始める。 

 

 

 例えば、テーブルの上に置かれた二つある林檎の内一つだけを選んで食べろと誰かに言われたとしよう。

 

 一見すればどちらとも状態が良く、素晴らしい艶と色を持った朱色の果実。

 しかしその内の一つには毒が入っており、もしも間違って食べてしまえばあの世へ直行するだろう。

 彼女は慎重かつ冷静な気持ちで左の林檎を手に取るが、すぐに齧りつくようなことはしない。

 

 手に取った林檎とテーブルに置かれたままの林檎を見比べながら、彼女は頭を悩まし始める。

 彼女が頭を悩ましている原因は、きっと脳裏をよぎった一つの考えにあるだろう。

 

 『もしもテーブルに置かれている方が何の変哲もない普通の林檎で、手に取ったのが毒入りだったら…』

 

 単なるif(イフ)…つまりは『もしも』として思い浮かべたそれは、秒単位で現実味を帯びていく。

 外見はどちらともただの林檎で、目印になるようなものは一切見つからない。

 だからこそ悩んでしまうのだ。本当に自分の選んだ林檎こそ、毒が入っていない方なのか…

 

 しかし。彼女…霊夢にとってその迷いなど文字通り一瞬でしかない。

 頭に思い浮かんだ『もしも』など少し考えただけですぐに捨て去り、自分を信じて手に取った方の林檎に思いっきりかじりつくだろう。

 無論それに毒が入っていたら死んでしまうが、自らの身がそうなってしまう事を全く想定してはいない。

 持ち前の勘と思い切りの良さで今まで数々の異変解決と妖怪退治をこなしてきた博麗霊夢にとって、毒入りの林檎など恐れる存在ではないのだ。

 

 

(まぁ、気のせいよね。こんなにもおかしい事が続くから気でも立ったのかしら…?) 

 霊夢はたった数秒ほど考えて、謎の声に聞き覚えがあるか否かという事を『単なる気のせい』として片付けようとした。

 突然自分以外の声が聞こえなくなったことや使い魔のルーンが発光、そして謎の『声』。

 常人ならばパニックに陥っても仕方がないこの状況下で、彼女は酷いくらいに冷静であった。

 むしろその様な事態に見舞われているのにも関わらず、平気な表情を浮かべている。

 最初の時こそ軽く驚きはしたものの、数分ほど経った今ではこれからどうしようかと解決策を思案しているのが現状であった。

 

 

(とりあえず声より先に気になるのは…ルーンと私の耳かしらねぇ)

 謎の『声』に関してはひとまず置いておく形にして、彼女は残り二つの゛異常゛をどうする考えようとする。

 自分の事などそっちのけで、何事か話し合いをし始めたルイズと魔理沙をのふたりを無視して…

 

 しかし…事はそう単純ではなかった。

 『単なる気のせい』として片付けられるほど落ち着いていた彼女を、゛異常゛は許さなかったのである。

 

 

――――…レイム

 

「え―――――…あれ?」

 新たな思考の渦に自ら身を投げようとした時。俺も仲間に入れてくれよと言わんばかりに、あの『声』が霊夢の耳に飛び込んできた。

 最初に聞いたときはあまりにも小さく、誰の声で何を言っているのかもハッキリとわからなかったあの『声』。

 しかしそれまでのとは違い通算四度目となるそれはハッキリと聞き取れ、何を言っているのかわかった。

 同時に、この『声』に何故聞き覚えが無いと絶対に言い切れなかった原因も。

 それに気づいた彼女は、思わずその目を丸くしてしまう。

 

 何故、聞き覚えが無いと思っていたのだろうか?

 何故、自分の周りから聞こえてくるのだろうか? 

 

 そんな事を思ってしまうほど、彼女にとってこの声は身近なモノであった。

 いや、もはや身近という言葉では言い表せないだろう。何故なら、彼女だけに聞こえているその声は――――

 

 

―――――…レイム

 

博麗霊夢。つまりは自分自身の声だったのだ。

 

 

「私の――――…声?」

 その事実に気づいて呟いた瞬間。彼女の視界の端を『黒い何か』が横切っていく。

 まるで風に吹かれて揺らぐ笹の葉のようなそれは、美しい艶を持った黒髪であった。

 霊夢がその髪を見て咄嗟に後ろを振り向いた時、目を見開いて驚愕する。

 

 振り返った先には、一人の女性がいた。

 

 歩いて一メイルほどもない所にある出入り口の前で背中を見せている女性は、ポツンとその場に佇んでいた。

 先程霊夢が見た黒髪は腰に届くほどまでに伸ばしており、窓から入る陽の光で綺麗な光沢を放っている。

 少しだけ開かれた店内の窓から入る初夏の風でサラサラと揺れ動くその髪は、一本一本が正確に見えた。

 霊夢自身も黒髪ではあるが、あれ程美しい艶や光沢を放ったことは無い。

 もしも今の様な状況に陥っていなければ、何と珍しい黒髪かと思っていただろう。

 

 だが…。彼女はその事に対して驚いたのではない。

 席を離れて十歩ほど足を動かせば、身体がぶつかってしまうであろう距離にいる女性の服を見て、驚いたのである。

 

 

 血やトマトの色というよりも、何処かおめでたい雰囲気を感じる真紅の服とロングスカート。

 霊夢と魔理沙が本来いるべき世界で起こったという古代の合戦から生まれたと言われる紅白の片割れである紅色は、否応なく目立っている。

 足に履いた革茶のロングブーツは、見た目や歩きやすさだけではなく攻撃性すら要求しているようにも見受けられる。

 もしもあのブーツで力の限り踏まれたり蹴り技をくらうものならば、単なる怪我で済まないのは一目瞭然だ。

 だが、霊夢が驚いた原因の根本はそのどれ等でもない。

 彼女が女性の服を見て驚いた最大の原因は、真紅の服と別離した―――『白い袖』にあった。

 

 彼女が付けているそれよりも若干簡素なデザインをしつつも、常識的には珍しい白い袖。

 不思議な事に、まるで真冬の朝に見る雪原のように静かでありながら何処か儚い雰囲気が漂っている。

 いつの間にかその袖を食い入る様に見つめていた霊夢はその両目を力強く見開き、口を小さくポカンと開けている。

 もしもルイズや魔理沙にも女性の姿が見えていれば、嘲笑よりも先に霊夢と同じように驚くのは間違いないだろう。

 そう、幻想郷でもたった一人しかいない結界の巫女と同じ姿をした者がいる事に。

 

 

 多少の差異はあれど、目の前にいる女性の姿は霊夢と同じく――゛博麗の巫女゛そのものであった。

 

 

 

「アンタ…誰なの?」

 気づけば、霊夢は無意識にそんな言葉を口走っていた。

 その言葉を向けた先にいるのは、彼女に背中を見せている黒髪の女性。

 真紅の服と白い袖をその身に着ける、自身と似たような姿をした謎の女性。

 

「アンタは、何なの?」

 彼女の言葉に女性は何も言わず、体を動かすことも無い。

 ただ店の出入り口の前に立ち、自らの後ろ姿をこれでもかと見せつけている。

 書き入れ時を過ぎたとはいえ営業妨害とも思えるその行為に、店の人間は何も言ってこない。

 いや、言ってこないのではない。気づいてすらいなかったのである。

 初めからいないと思っているように、霊夢以外の皆が女性の存在を無視していた。

 振り返った彼女の近くにいたルイズと魔理沙も同じなのか、キョトンとした表情を浮かべて出入り口を見つめている。

 その二人に気づかぬほど冷静さを失い始めていく霊夢は、またも呟いた。

 自分にしか見えていないであろう女性へ向けて無意識に口から出た、疑問の言葉を。

 

「アンタは―――――――…私?」

 

 言い終えた瞬間、霊夢の耳に再び『声』が入ってきた。 

 寸分たがわぬ彼女自身の声でたった一言だけ……こう呟いた。

 

 

 ――――…霊夢

 

 

 直後、出入り口の前にいた女性の体がパッと消えた。

 まるで最初からいなかったかのように、その存在そのものが消失したのである。  

 その様子を最後まで見ていた霊夢の脳内で唐突に、ある仮説が生まれた。

 

 

 もしかすると、自分の身に起きた異常事態を起こしたのは…彼女ではないのか?

 

 

 その時、左手のルーンがフラッシュを焚いたかのようにパッと一瞬だけ力強く輝く。

 瞬間。ルーンの光と呼応するかのように霊夢の視界が白く染まり、次いで彼女の脳内で誰かが囁いてきた。

 先程聞こえてきた自分自身の声とは違い酷いノイズが混じった声は、こう言ってきたのである。

 

 

 『ヤツを、追え』――――と

 

 

「――――――…ッ!」

 気づけば、その体は無意識に動いていた。

 どうして頭より先に体が動いたのか、今の声は誰だったのか。それを理解できるほど今の彼女は落ち着いてはいなかった。

 そんな彼女の心境を表しているかのように、左手の甲に刻まれた使い魔のルーンは先程よりもその輝きを増している。

 まるで霊夢に何かを語り掛けているかのように、その光は強くなっている。

 木造の床を蹴り飛ばすかのように足を動かして、彼女は出入り口へ向かって走り出した。

 しかし、先程まで女性が佇んでいた店の出入り口となるドアへ近づいた瞬間…

 

「……―――ょっと、レイムッ!?」

 懐かしくも、そうでないルイズの声が聞こえてきた。

 それと同時に、まるで世界に音が戻って来たかのように、店内の音と声が霊夢の耳に入ってくる。

 だが、いつもの冷静さをかなぐり捨ててドアを開けた彼女は、その声を聞く前に店を飛び出していた。

 ルイズ達を置いて、街へと再び躍り出た彼女が何処へ行くかは誰も知らない。

 ただ…。霊夢の左手に刻まれたガンダールヴのルーンは、これまでの鬱憤を解消するかのように光り輝いている。

 

 まるで彼女を、何処かへ導くかのように。

 

 

 アルベルトとフランツは思った。オーク鬼を相手に素手だけで勝てる人間はこの世にいるのかと。

 ハルケギニアに住む人間ならば貴族平民問わず、誰もがその質問にこう答えるだろう。

 

「勝てるワケがない」と、確かな自信を持って。

 

 無論二人はそれを知っているし、仕事柄数々の亜人と戦ってきた経験も豊富にある。

 醜悪な外見とその体に見合わぬ俊敏な動き、そして人間以上の怪力を持つオーク鬼は非常に手強い。

 彼らとの戦いでは、例えメイジであっても一瞬のミスが命取りになるのだ。

 そんな相手を素手だけで戦おうというのは、もはや自殺行為以外の何物でもない。

 そして自殺をするなら、まだ首を吊ったり高所から飛び降りた方が楽に死ねるのは火を見るより明らかだ。

 だから二人は常に思っている。武器なしでは亜人に勝つどころか戦う事さえできないという事を。

 

 だからこそ、二人は我が目とハルケギニアの常識を疑った。

 目の前の『光景』は、一体何なのかと。

 

「あ…あ…」

 フランツの後ろにいたアルベルトは口をポカンと開けて、自身の目でその『光景』を凝視していた。

 彼の前にいるフランツは、信じられないと言いたげな表情を浮かべたまま目を見開いている。

 そして彼らの前に現れ、突如乱入してきたオーク鬼に襲われたローブを羽織った者は…その右手で『突き破っていた』。

 

 まるで槍か剣のように突き出したその手で突いたのは、脂肪と筋肉に包まれた分厚い皮膚で守られた額。

 そのような皮膚を持っているのは、ハルケギニアに住まう者たちから恐れられる亜人の一種であるオーク鬼だけだ。

 

 そう、ローブを羽織った者の手が突いたのは…襲いかかってきたオーク鬼の額であった。

 あと少しでオーク鬼に噛み付かれそうになった瞬間。垂直に突き上げた右手がオーク鬼の額を破って脳を突き、見事その息の根を止めたのである。

 しかしローブを羽織った者の後ろにいた衛士たち二人は、その瞬間を見ることができなかった。

 瞬きをした瞬間には、既にオーク鬼は今の様な状態になっていたのである。

 

 頭をやられて絶命した亜人の両腕はだらしなく地面へと下がり、ついで右手に持っていた棍棒が手から滑り落ちる。

 今まで多くの人間や同族たちを屠ってきた血だらけのソレは鈍い音を立てて地面を転がり、ローブを羽織った者の足元で止まった。

 肥え太った体はピクリとも動かず、力を失った両腕がフックで吊り下げられた肉のように揺れ動く。

 標準的な人間の五倍ほどもある体重を支える足からも力が抜けていき、今や地面に突っ立ているだけの肉塊と化していた。

 やがて頭を貫いたその手でオーク鬼が死んだことを感じ取ったのか、ローブを羽織った者は突き出していたをスッと後ろへ引き始める。

 突くときは目にも止まらぬ早業で突いたのにも関わらず、引き抜くときにはとてもゆっくりとした動作でその右手を引き抜いていく。

 しかしその光景は、まるで抜身の剣を鞘に納める時のようにとても滑らかで一種の美しささえ併せ持っていた。

 だがそれを全てぶち壊すかのように、骸となったオーク鬼が死してなお自らの存在をアピールしている。

 

 五秒ほどの時間をかけて右手をオーク鬼の頭から引き抜いた瞬間、亜人の体がゆっくりと右側に傾いていく。

 二人の衛士たちが未だ唖然とした表情を浮かべている中、オーク鬼の骸は大きな音を立てて地面に倒れこんだ

 そしてそれを見計らったかのように貫かれた額から血が流れ始め、むき出しの土が見える地面を真っ赤に染めていく。

 オーク鬼を殺したローブを羽織った者はその様子をじっと見つめていたが、その後ろにいる二人は別の方へと視線が向いていた。

 彼らの視線の先にあるのは、ローブを羽織った者の『右手』であった。

 

 その右手はオーク鬼の赤い血の色や黄色い脂の色でもなく、青白い光に包まれていた。

 まるで夜明けの空と同じ色の光で包まれたその右手は、驚くほどに綺麗だ。

 あの右手でオーク鬼の頭を貫いて仕留めたのにも関わらず、体液の様なモノは一切付着していないのである。

 一体自分たちの目の前にいるのは何だ?人間ではないのか?

 オーク鬼が現れた時も全く騒がなかった馬の上で、フランツの脳裏に数々の疑問が過ってゆく。

 

 どうして素手で亜人を殺せたのか。あの右手を包む光は何なのか。そもそもアレは人間なのか。

 

 答えようのない疑問ばかりが脳内に殺到する中、彼の後ろにいたアルベルトがポツリと呟いた。

「ば…化け物…。化け物だ…」

 彼の声が聞こえたのか。こちらに背中を向けていたローブを羽織った゛何か゛が、素早い動作で振り向いた。

 まるで彼の言った「化け物」という言葉に反応したかのように、それは早かった。

 近くにいたフランツはいきなり振り向いてきた事に驚いて馬上で体を揺らした瞬間、見た。

 

 

 頭から被ったフードの合間から見える、赤く輝くその両目を―――――――

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