数十年ほど前までは人が訪れていたであろう、公園と呼ばれていた広い敷地。
今はベンチすら取り外され、放置された雑木林や雑草がこの地を支配している。
もうすぐ真夏だというのに何処か薄ら寒い何かを漂わせており、人が近寄らないであろう環境を作り上げている。
敷地内に吹く風は市街地と比べれば若干涼しいが、その風に揺らされている林や雑草が不気味な音を奏でていく。
きっと三流劇団が演じるホラー劇よりも怖いと感じてしまうそんな場所のあちこちに、誰かがいた痕跡が色濃く残っていた。
一見すれば良くわからないが、目を凝らしてみれば目が不自由な人以外にはわかる程の痕が付いている。
碌に整備すらされず、好き放題に伸びている林の木々には何本もの針が刺さっている。
放置された自然さが漂う雑木に食い込んだ針は鈍い銀色を放ち、あまりにも不自然すぎる空気を醸し出していた。
雑草が生い茂っているはずの地面にも不自然で小さなクレーターがいくつも出来ているが、モグラの仕業ではないだろう。
小さな爆竹を地面に埋め、何らかの方法で爆発させれば作れそうな穴は、どう考えても動物の手で作れる代物ではない。
何故そう言い切れるのかといえば、答えはすぐにもでも言えるだろう。
雑木林に針を投げつけ、地面に小さなクレーターを作ったのはたった一人の人間。
このハルケギニアで異国情緒漂う衣服を身に着け、赤みがかった黒い瞳と黒髪を持つ十代後半の少女。
右手に持った数本の針で、まだまだ自然を傷つけようとしている者は、博麗霊夢という名を持っていた。
「…よっ!」
霊夢はその口から小さな掛け声を上げ、右手に持った針を勢いよく投げつける。
本来は妖怪退治の為に作られた銀色のソレは風や重力に捕らわれる事無く、真っ直ぐに飛んでゆく。
薄い布きれから硬質的な人外の皮膚まで貫ける先端部分が向かう先には、これまたもう一人の゛霊夢゛がいた。
そっくりさんというレベルでは例えられない程似すぎているもう一人の霊夢(以降、偽レイム)は、こちらへ向かってくる針に対しその場でしゃがみ込む。
腰を低くした姿勢になった事で彼女の顔に突き刺さっていたであろう針は標的を刺すことが出来ず、空しくもその頭上を通過した。
標的に避けられた針は投げられた時と同じスピードのまま、偽レイムの背後にあった雑木に突き刺さる。
刃物が通る程度の硬い物に刺さった時の様な音が周囲に響いたが、それを投げた霊夢は一向に気にしない。
それどころか、相手が隙を見せたことを好機だとさえ思っていた。
今の彼女は、針を陽動用の囮武器として使っているのだ。一々気にしていたらキリがないのである。
そして、針を避ける為に腰を低くした偽レイムを叩くための時間を手に入れた彼女は、すぐさま行動に移った。
ローファーを履いた足で地面を蹴飛ばしつつ二、三メイル程もあった相手との距離を一気に詰める。
自身の力である『空を飛ぶ程度の能力』でもって地面から数サント程浮き上がり、ホバー移動の要領で偽レイムへと近づく
その時になって、隙を作ってしまった事に偽者が気づいた直後、既に本物は二回目の攻撃を行う直前であった。
相手の懐へと入った霊夢はその場で瞬時に着地、次いで息つく暇もなく右足を振り上げる。
風を切り裂く鋭い音と共に振り上げられた右足の爪先は、偽レイムの顎を打ち砕かんとしていた。
しかし、甘んじてそれを受け入れる気は無いのか、すれば偽物ではあるが同じ姿を持つ相手の動きを先読みしていたのだろうか。
偽者は自身の顎に目がけて迫ってくる霊夢の右足を、咄嗟に動かした右手で見事に受け止めたのである。
本来なら相手の顎を蹴り上げ、そのまま空中で一回転する筈だった霊夢は勢いに任せて左足も上げてしまい、結果…
「わっ!」
口から素っ頓狂な声を上げて宙に浮いてしまった彼女は、背中から地面に落ちてしまう。
まだ地面に残っていた雑草がクッションとなったものの、それに気づいたり背中を襲う微かな痛みに苦しむ暇すらない。
そんな事をしていれば逆に隙を取られてしまったが為に、その隙を逆手に取った相手の反撃が来るからだ。
彼女の右足を掴んでいる偽レイムは空いている左手で握り拳を作り、それから力を溜めるようにスッと振り上げる。
直後、その左手が青白く光り始めると同時に只ならぬ気配が周囲に漂い出した。
そこから漂ってくる気配は霊夢にとって最も知っている力であり、同時にそれが危険だとも理解していた。
(結界で包まれた拳で殴られるとか、冗談でもお断りよ!)
足を掴まれた彼女は心中で呟きつつも小さな舌打ちをし、偽レイムに掴まれていない方の足に力を入れる。
ピアノ線で引っ張られているかのように指先を天へ向けた左側のソレを、霊夢は勢いよく動かし始めた。
まだ動く足がある事に気が付いた偽レイムは攻撃を中断してそちらの方へ目を動かした瞬間、キツイ一撃が彼女のこめかみにヒットした。
「ぐぅ!」
まさかの攻撃に偽レイムは痛みに悶える声を口から出して、右足を掴んでいた手の力を緩めてしまう。
とりあえず無茶苦茶に動かした左足が偶然にも相手に直撃し、霊夢の右足は無事解放された。
一撃をもらった偽者が右のこめかみを両手で押さえながらよろめいている間に、すかさず体勢を整えて距離を取る。
(今のは惜しかったかしらね。もう少しで蹴り飛ばせるところだったけど)
針やお札が入っている懐に手を伸ばしつつ、次はどう仕掛けようか策を練っていた。
戦い始めてから既に五分近くが経過したが、偽レイムがどのような戦い方をするのか霊夢は既に把握していた。
偽者ではあるがお札や針と言った飛び道具を持っていないのか、基本は接近戦を仕掛けてくる。
使用してくる体術などは霊夢本人が覚えているものである為、先を読んで回避する事自体は容易い。
しかし、相手の方もこちらと同じなのか先程の様にカウンターを取られてしまうのだ。
そして霊夢自身も相手にカウンターを仕掛けるので、ちょっとした無限ループになっていた。
遠距離からお札や針などを投げても簡単に避けられてしまい、今に至るまで決定打を与えられないでいる。
スペルカードという手もあるが、持ってきている枚数が少ないうえ威力が低めのカードばかりという始末。
そして偽レイムの回避能力と゛光る左手゛から繰り出される攻撃の威力を直に見ている霊夢は、どう戦おうか慎重に考えていた。
自分と同じ回避能力を持った相手ならば、今持ってるスペルで弾幕を放っても全て避けられるのはこの目で見なくともわかる。
ならば近づいてボコボコすれば良いのかもしれないが、今の彼女はそれを行う事にある種の躊躇いを感じていた。
別に自分と同じ顔だから殴れないし蹴れないというナルシスト的な理由では無く、偽者が持つ゛光る左手゛が原因である。
(何にしてもあの結界包みの手は厄介ね、あんなの一発でも喰らったらただじゃ済まないわ)
霊夢は相手との距離をジワジワと離しつつ、あの左手から放たれる攻撃の凄さを思い出す。
それはこの戦いが始まって直後の事。
突如跳びあがった偽レイムを返り討ちにせんと勢いよく針を投げつけた時であった。
跳ぶ以前に光っていた左手をサッと胸の前に突き出し、霊夢の放った四本の武器を゛弾いた゛のである。
普通ならば突き出した手の甲にグッサリと突き刺さっていた針は勢いよく吹き飛び、見失ってしまった。
飛んで行った針に霊夢がアッという声を上げて軽く驚いた時、偽レイムが彼女の目の前に着地していた。
そして胸の前に出していた左手を振り上げたのが目に入った瞬間、彼女は反射的に後ろへ下がった。
青白い光を帯びたその手が勢いよく振り下ろされ、まだ昼方にも関わらず霊夢の身体を青白く照らす。
下がっていなければ唐竹の如く両断されていたかもしれない霊夢は、直に感じたのである。
あの手の光は非常に危険だ、下手に当たれば碌な目に遭わない…と。
そうして下手に近づけず、ただイタズラに針とお札を消費しながら今の現状に至る。
これからどうしようか。霊夢がそう思った時、ふと相手の様子が都合の良い事になっているのに気が付く。
「う゛っ…あぅ…」
先程こめかみにキツイ一撃を貰った偽レイムは頭を左手で抱えながらふらついており、回復する様子は無い。
その姿はまるで大音量のノイズで耳元で聞かされたかのように、うめき声を上げて苦しそうにしている。
左手の光も水を掛けられた焚き火の様に消えており、 今ならば追撃を行っても返り討ちに会う可能性は少ないだろう。
(これぞ…正に好機、といったところね)
心の中で嫌な笑みを浮かべつつ、霊夢は懐から一枚のスペルカードを取り出した。
相手との距離は約五メイル程度、やろうと思えば瞬間移動で後ろから殴りかかる事もできる。
しかし、後ろへ回った途端に襲い掛かられては元も子もないのでこのままキツイ一撃でトドメを刺すのがベストだと判断した。
取り出したカードが丁度欲しかったモノだと確認した後、霊夢は軽い深呼吸を行いつつも今に至るこれまでの経緯を軽く思い出す。
ただルイズと一緒に街へ出かけただけで、このような事態になってしまったのは流石の霊夢も予想していなかったのである。
(今日は色々とあったうえに、その大半が未だ解けぬままなんて納得いかないにも程があるわ)
自分の身に降りかかった不条理すぎる謎に憤りを感じつつ、自分の偽物へトドメを刺すべくスペルカードを頭上に掲げた。
まるで断頭台の上に立った処刑人のように振り上げられた腕には、一枚の薄いカード。
この世界に存在するどのカードよりも特徴的なソレは、正しく姿を変えたギロチンの刃そのもの。
無数の罪人たちの命をただ無意識に狩り続けた鉄の塊であったそれは、今まさに一人の罪人を裁こうとしている。
そう、処刑人の立場となった霊夢にとって自分の偽者など罪人として相応しい存在であった。
「このまま放置して下手な事されたら風評被害もいいとこだし、さっさと滅されなさい」
あの世へ旅立つ罪人へ冷たすぎる言葉を送り、彼女はカードに記された名前を告げる。
それこそが死刑宣告。本物の処刑人よりも冷たい霊夢の声が、周囲に響き渡った。
「霊符…『夢想妙珠』」
頭より上にカードを掲げながらそう言った途端、周囲の空気が一変する。
まるで霊夢の力が体内から外へ排出されたかのように、霊力の波が彼女の周りを包み込む。
それに気づいてか、まだ頭を押さえている偽レイムがハッとした表情を浮かべてそちらの方へ目を向けた。
宣言者である巫女を包む不可視のベールはやがて彼女の頭上へと舞い上がると、その姿を作り始める。
時間にすれば二秒にも満たないあっという間の速さでもって、霊力の塊は数個の色鮮やかな球体へと姿が変化した。
「無駄な時間を割きたくないし、これで終わりにさせて頂戴」
大小様々なカラーボールとなった霊力を背後に控えさせた霊夢は、ようやく立ち直った偽レイムへと言い放つ。
その瞬間であった。球状の霊力が偽レイムへの突撃を始めたのは。
先程まで投げていたお札や針に比べれば速度は遅いものの、そのスケールと威力は明らかに桁違いだろう。
霊夢が持つスペルカードの中でも比較的接近戦に優れた虹色の光弾で形勢される弾幕は、確実に偽者へと飛んでいく。
一方の偽レイムは迫りくる光弾に身構えつつもダメージが残っているのか、僅かだが足元がふらついている。
今の状態なら最初の様な跳躍やできないだろうし、使えたとしても瞬間移動をするには遅すぎる。
同じくして霊夢も身構えていたのだが、自分の勝利が確実なものになったと感じていた。
今に至るまで幾つもの戦いを経験してきた彼女がそう思うのも、無理はないだろう。
だが、事態は突如として彼女が予想していなかった方へ動き出す。
あと一メイルほどで光弾が当たろうとした瞬間、偽レイムはその両足で地面を蹴った。
ほんの数分程度の戦いであったが、霊夢が見た限りでは今まで跳躍するときに同じ動作をとっている。
しかし、窮地に立たされた偽者はバネの様に上へ跳び上がる事はしなかった。
勢いよく地を蹴った彼女の向かう先には、迫りくる光弾と―――――既に勝ったつもりでいる霊夢の姿。
そう、偽レイムは地面を蹴って前進したのである。
自分の命を刈り取ろうとする相手へ目がけて。
「ウソッ!?」
一体何をするのかと思っていた霊夢は、予想もしていなかった事だけに思わず目を丸くしてしまう。
そして、その予想もしていなかった偽レイムの行動が、戦局を大いに変えたのだ。
地面を蹴った時の衝撃を利用して勢いよく前転した瞬間、偽レイムの頭上を色とりどりの光弾が通り過ぎる。
先頭の巨大な光弾が先程まで偽レイムのいた場所に落ち、盛大な音を立てて爆発した。
ついで二発目と三発目の光弾も周囲の地面に落ち、最初と同じように爆発する。
最後尾の方にいた赤く小さな光弾は地面に落ちることはなく、何事も無いかのようにスーッと飛んでいく。
しかし。何処へと飛んでいくその光弾を、霊夢は見送ることが出来ない。
何故なら、瞬時に立ち上がった偽レイムが再び左手を光らせて突っ込んできたのだから。
二人の距離は僅かに一メイル。少し歩けばお互いの鼻が当たってしまう程の至近距離だ。
「ちっ…、中々しつこいじゃないの!」
一瞬のうちに距離を詰められた霊夢は舌打ちしつつ、地面を蹴って後ろへ下がろうとする。
本来ならお札や針を取り出していただろうが相手が相手だ、精々悪あがき程度の効き目しかないだろう。
下手に攻撃をして一瞬で距離を詰められるより距離を取って態勢を整えた方が妥当だと、この時思ったのである。
しかし…ホバリングや瞬間移動が間に合わないと判断し、跳び上がった事が却って裏目に出てしまう。
相手が攻撃ではなく様子見を選んだのだと認識した偽レイムは、一気に霊夢との距離を詰めようとする。
先程と同じように地面を強く蹴の飛ばし、光る左手を突き出した姿勢で突撃してきた。
まるで剣先の様な形にした指先を向けて飛んでくる姿は、たった一つしか無い命を奪おうとする処刑人の槍。
その切っ先は赤錆と血でなく、魔はおろか人さえも滅する事の出来るような青白い光に覆われている。
(何よコイツ。さっきの回避といい攻撃方法といい、随分と魔改造されてるわね…!)
一メイルという短くも長くも無い距離を一瞬で詰めてきた自分の偽者に、霊夢は今になって脅威と感じた。
自分と同じような弾幕を使えなくとも左手一本で自分を追いつめてくる相手を、彼女は初めて見たのである。
何処の誰かは知らないが、こんな偽者を送り込んだ奴は余程悪質な人間か格闘好きの脳筋野郎なのだろう。
もしくは―――――
(今回の異変を起こした黒幕が…ってのなら話が早くて良いんだけど?)
心の中でそんな事を思った直後、ふと偽レイムの後ろから赤い発光体がやってくるのに気が付いた。
鞠を二回りほど大きくした様なそれは煌々と輝きながら、物凄い速度でもって二人の方へと突っ込んでくる。
「え?――――げっ…!!」
発光体の正体が何なのかすぐに気が付いた霊夢は目を見開き、ギョッと驚いてしまう。
今の霊夢にとってあの発光体は頼もしい存在であったが、あまりにもタイミングが悪すぎた。
「?……あっ」
彼女の表情を見て偽レイムも気づいたのか、ハッとした表情を浮かべて後ろを振り向いた瞬間――――――
数十年ほど前までは人が訪れていたであろう、公園と呼ばれていた広い敷地。
その敷地の一角が突如、小さな爆発音とそれに見合う程の小さな赤い閃光に包まれた。
霊夢が発動したスペルカード「霊符『夢想妙珠』」によって出現した色とりどりの光弾たち。
先程偽レイムへと殺到した光弾の中で最後尾にいた赤い光弾が、今になって爆発したのである。
仕込まれていた追尾機能でもってUターンし、指定された相手の背中のすぐ近くで。
結果、目標であった偽レイムの近くにいた霊夢自身もその爆発に巻き込まれる事となったが。
(ホント、今日は厄日ね…こんなにも痛い目に遭うなんて)
偶然とタイミングの悪さが重なった結果、偽者と一緒に吹き飛んだ霊夢はひとり毒づいた。
◆
霊夢が今いる場所とは地対照的なトリスタニアのチクトンネ街で、ルイズと魔理沙は八雲紫と邂逅していた。
まさかの出会いに二人は霊夢の事を忘れてしまい、知らず知らずの内に足を止めてしまっている。
軽い会話と喧嘩の後、紫はルイズの方へ向けてとある言葉を送り付けていた。
それはここで出会ってから初めてになるであろう、かなりの真剣さが滲み出た話題であった。
「不発弾の様な貴女を、今の霊夢がいる場所へ行かせるのは危険極まりないわ」
左右を建物に挟まれたそこで、八雲紫はルイズへ向けてそのような事を言った。
その言葉は彼女との距離がそれ程離れていないルイズの耳にしっかりと入り込んでいる。
「な…ど、どういう意味なのよそれ!」
敵軍の将兵を爆発する事すらできない不良品と同列に扱われた彼女は、軽い怒りを露わにした。
霊夢を追っていた二人の前に現れた紫はルイズの態度に良い反応を示しつつ、その言葉に応える。
「言葉通りの意味ですわ。望むときに爆発せず、忘れ去られた時に無関係な人々をその力で八つ裂きにする…無差別な存在」
それが今の貴女よ。最後にそう付け加え、幻想郷の大妖怪はその目をルイズに向けた。
先程の様な冷静さとは打って変わって怒りに狼狽える様子を見せ、鳶色の瞳からは憤りの気配を感じられる。
自分の望む反応を面白いくらいに見せてくれる彼女に対し、紫は心中と顔に笑みを浮かべてしまう。
「…っ何が可笑しいのよ!人が怒ってる最中に笑うなんて!」
「別に?ただ、今の貴女みたいに豹変するような人間は見てて楽しいものがありまして…」
「…っ!?」
その言葉を聞いた瞬間、ルイズは手に持っている杖を再び紫の方に向けた。
既に頭の中にまで怒りが浸透し始めている今の彼女は、他人に暴力を振るう事を躊躇しないだろう。
だが、人形の様に均整の取れた顔を歪ませた少女を前にして、八雲紫は尚も笑みを浮かべ続ける。
これから起こり得るであろう事態を予測している筈だというのに、他人事のようにルイズをジッと見つめていた。
一方のルイズも、使えもしない魔法をすぐに放てるようピンク色の綺麗な唇を僅かながらに動かしている。
並の平民やメイジはともかく、ルイズの事を良く知る者たちならば今の彼女を刺激する様な事は絶対に避けようとするに違いない。
もはや問答無用。と言わんばかりの空気が辺りを包もうとした時――――
「…あ~…スマン、ちょっと質問よろしいかな?」
蚊帳の外にいた魔理沙が手に持っていた帽子を頭に被りつつ、その口から言葉を発しする
誰がどう見ても一触即発と言えた空気の中に横槍が入り、ルイズと紫のふたりは咄嗟にそちらの方へ顔を向ける。
空気を読めと言われるかもしれない魔理沙であったが、それを気にすることなく紫の方へ視線を向けた。
それだけで自分に用があると察した大妖怪は、先制を取る様にして魔理沙へ話しかける。
「こんなにも危なっかしい空気の中で私に聞きたいことがあるなんて、きっと余程の事ですわね」
「お前だけが危なっかしいのなら、何があっても私は口を塞ぐ気は無いぜ」
「相変わらず自分勝手な娘ですこと。まぁそういうところはキライじゃ…」
「ちょっとマリサ!何人の間に割り込むような事してるの!」
唐突な会話が本格的に始まる前に、それを制止するかのようにルイズが叫ぶ。
少なくともこの場にいる三人の中では気が短い方であろう彼女に対し、魔理沙は落ち着いて対応する。
「ここは落ち着こうじゃないか、これ以上機嫌を損ねて私まで巻き込まれたら大変な事になってしまう」
「何が大変な事よ?人の気も知らないで、ヘラヘラと傍観してる癖に」
「これはヒドイ!…と言いたいところだが…悔しくも図星だな」
「とりあえず形だけでも貴女の心中、察しておきますわね」
怒りの言葉に苦笑する魔理沙と微笑み続ける紫を尻目に、ルイズは言葉を発し続ける。
「せっかくの休日だっていうのに突然レイムがおかしくなるし、それにそれに…それ…に…」
「――……?それに?」
怒り狂った牛の群れの如き怒声のラッシュを黒白の魔法使いに浴びせていたルイズの口が、突然その動きを止めた。
急に喋るのをやめてしまったルイズを見て、他の二人は思わず不思議そうな表情を浮かべてしまう。
魔理沙に至ってはネジを限界まで巻いたというのに全く動かないカラクリを見たような気分を味わい、首を傾げている。
それにつられて紫も傾げようとした時、ルイズはその顔にハッとした表情を浮かべた。
どうした?と彼女以外の二人の内一人が尋ねようとしたとき、一足先にルイズがその口を開けて喋り出す。
だが彼女が発した言葉の向かう先にいたのは魔法使いではなく、境界を操る程度の人外であった。
「ユカリ、さっきアンタ何て言ったの?」
「……?質問の意味が良くわかりませんわ」
いきなり閉じてすぐに開いた思えば、出てきたのは即答不可能な質問。
流石の八雲紫も、これには投げかけられた質問を質問で返すほかなかった。
「ん~と、確か私の魔法がどうたらこうたらっていうところで…」
「えぇと…あぁ」
相手に杖を向けているルイズの言葉に、紫は何かを思い出したかのようにポン!と手を叩く。
「『望むときに爆発せず、忘れ去られた時に無関係な人々をその力で八つ裂きにする…無差別な存在』―――と言いましたわね」
「…あれ?」
先程述べた言葉を一字一句間違うことなく喋りなおした紫に対し、ルイズはキョトンとした表情を浮かべる。
それから五秒もしない内にまた思い出したのか、ハッとした表情を再度浮かべなおしながら口を開く。
「あ…違った。…何だったかしら?その一つ前の言葉…」
爆発した怒りの所為で一時的に忘れているルイズはそんな事を言いつつ、何とか思い出そうとする。
だが「一つ前」というキーワードで思い出した魔理沙が、以外にもルイズが忘れていた言葉を口に出した。
「『不発弾なオマエを行かせたら、今の霊夢が大往生』…だったような気がするぜ」
冗談という名のソースを少し入れた魔法使いの言葉は、ルイズの目を見開かせた。
もはや紫の言った事とは大分かけ離れているが、それでも忘れていた言葉を思い出させるのに充分だったようだ。
「あ…あぁっ!それよソレ!その言葉だったような気がするわ!」
「良くそれで思い出せましたね。…まぁ思い出せたのなら別に良いのですけど?」
ようやく思い出せたことに嬉しそうなルイズとは反対の紫はため息をつきつつ、「それで…」と呟き話を続ける。
「その言葉がどうかしたのかしら?」
「…ねぇユカリ。今レイムが何処にいるのか、アンタ知ってるんでしょ?」
「どうして私が全てを知っている。という気でいるのかしらねぇ?」
「だって私たちがこんな所にいるのも、急にレイムがおかしくなって何処かへ行ったからなのよ」
その言葉を聞いた直後、紫は何気なく目を瞑ると「ふぅ…」と軽いため息をついた。
季節外れの木枯らしと思ってしまうそのため息を後、彼女の顔に再び笑みが戻ってくる。
春のそよ風のような柔らかい笑みは、かえってルイズの身構えた体を無意識に強張らせてしまう。
彼女は知っているからだ。今浮かべている笑みが単なるハリボテだということを。
このまま三人して無言の状態が続くかと思われた時、ため息をついた紫がその口を開いた。
「確かに私は霊夢が何処へ行ったか、そして今は何をしているのか…ある程度把握はしているつもりよ」
未だ柔らかい笑みを浮かべてそう行った紫に対し、ルイズは「やっぱり」という言葉で返す。
折角の休日であるというのに突如左手のルーンが光り出す、ワケもわからず何処かへと消え去った霊夢。
アルビオンで死の危機に直面した時に見たあの光を再び見ることになったルイズは、今になって思っていた。
きっと゛何か゛が起こっているのだ。
自分と魔理沙は気づかず、けれど彼女にだけはわかる゛何か゛に。
「何でそういう事を早く私に教えないのかしら?」
「今の貴女なら教えてあげれそうだけど。さっきの貴女だと怒るのに夢中だから教えないでおこうと思ってたの」
挑発とも取れる彼女の言葉にルイズは顔を顰めつつ、冷静さを装って言葉を返す。
「…多分傍迷惑な住人二人と喧しい剣が一本いるおかげかもね。昔と比べて、自分が少し柔らかくなったのは自覚してるのよ」
「ちょっと待てぃ。少し聞き捨てならない事を聞いた気がするぜ」
ルイズがそこまで言った時、後ろにいた魔理沙がストップを掛けてきた。
どうやら何か言いたい事があるらしく、親切にも彼女はそちらの方へ顔を向けて「何よ?」と聞いてみた。
「傍迷惑で喧しいのは霊夢とデルフだけだろ?レイムはこの前、散々な事をやらかしてたしな。それに比べて私は…」
「何寝ぼけた事言ってんのよ?レイムと一緒に私のクッキー食べてたアンタは立派な共犯者だわ」
言葉で形勢されたカウンターに「冷たい奴だなぁ」と、一人愚痴を漏らす魔理沙から目を逸らしたルイズは紫との会話を再開する。
「で、アンタがレイムの居場所を知ってるというのなら…話はわかるわよね?」
「まぁ貴女が言いそうな事は、大体予想できるわ。そしてこれからやろうとしている事も…」
ルイズの質問をすぐに返した紫にルイズは頷き、次に発するであろう言葉を待った。
しかし…数秒ほどおいて発せられた紫の言葉。
それは、ある種の期待感を抱いていた彼女の気持ちを裏切るのに十分な威力があった。
「―――だからこそ、今の貴女を霊夢のもとへ行かせるわけにはいきませんのよ?」
貴女の安全の為にね。言葉の最後にそう付け加えた直後、一陣の風が紫の背中を乱暴に撫でつけた。
夕闇が着々と迫りつつあるチクトンネ街の風は初夏の香りを漂わせつつ、三人の体を通り過ぎる。
それはまるで、ルイズに対する警告とも思える程勢いのある風であった。
本来なら一人の学生として平和に暮らしていたであろう彼女が、非日常の世界へ踏み込まないように。
「だからこそ、今の貴女を霊夢のもとへ行かせるわけにはいきませんのよ?貴女の安全の為にね」
程よい涼しさを持った風が吹くチクトンネ街の人気無い通りに、八雲紫の言葉が響き渡る。
綿が入った枕の様に柔らかな笑みを浮かべた彼女の言った事に、ルイズは信じられないと言いたげに目を丸くする。
かつて有無を言わさず、霊夢と共に自分を幻想郷へと連れ込んだ大妖怪の口から出た言葉とは思えなかったのだ。
「…どういう事よ。それ…?」
「さっきも同じような言葉を使いましたけど…文字通りの意味よ」
突然おかしくなった霊夢から今に至るまでのアクシデントに遭遇し、尚かつ落ち着いてきたルイズの言葉に対し紫は簡潔に返事をする。
その言い方から何か喋りたいことがあるらしいと悟ったルイズは何も言わず、とりあえずは彼女に向けていた杖を下ろす。
先程とは違い怒る気も失せてしまった今の彼女には、妖怪と言えど他者に杖を向ける気は一寸ほども無くなっていたのである。
ルイズ自身を含む貴族達にとって、名誉と命の次に大事なそれを腰に差した所を見て紫は「ふっ…」と息を吐く。
まるで安堵しているかのようなその動作に魔理沙とルイズが注目したところで、紫はその口を開いた。
「ようやく下ろしてくれたのね。これであの爆発にビクつく必要も無くなったわ」
彼女の口から出た言葉はしかし、ルイズと魔理沙の安心を招かせることは無かった。
「…嘘をつく気が無いと確信できるほどの、清々しい嘘ね」
「むしろ、お前が何かに恐怖する姿を思い浮かべてみるのが困難な事だぜ」
トドメと言いたげな魔理沙の言葉の後、ほんの二、三秒程度の沈黙を入れて紫は口を開く。
「――――貴女たちの過大評価に一応は喜んでおきますけど、…逸れてしまわない内に話を戻しましょう」
自分の言葉で話が脱線しかけたのに気が付いたのか、こちらを凝視する二人にそう言った。
二人の内ルイズがその言葉でハッとした表情を浮かべると、紫に向かってこんな質問を投げかける。
「それでどういう事なのかしら?私の安全の為が文字通りの意味って…」
その表情を怪訝なモノへと変えたルイズからの質問に紫は「何処から話せば良いかしら?」と言いつつ、最初に一言を口に出す。
「今回の異変で最も重要な人物は霊夢ではなく、実のところ貴女だと私は思ってるの」
「―――…何だって?」
色の濃い金髪を陽光に照らされた紫の言葉にまず驚いたのは、意外にもルイズではなく魔理沙であった。
唐突な介入者の言葉にルイズが咄嗟に振り返ると、少しだけ目を丸くした魔法使いの姿が目に入った。
声も表情も驚いた素振りを見せていることから、紫の口からあのような言葉が出るとは思っていなかったらしい。
ルイズがそう感じた所で言った方も同じような考えだったのか、魔理沙に話しかけてきた。
「あらあら、まるで死にかけの恋人を見捨てろと言ったかのような反応をしてるわねぇ?」
「えっ?こい…ムグッ」
紫の口から出た「恋人」というワードをルイズが真似て言おうとしたが、魔理沙が慌ててそれを止める。
咄嗟に動かした左手でルイズの口を塞いだ彼女は、焦るようにこう言った。
「イ、イヤッ…!そんなもんじゃないぜ?ただ、お前の口からそんな言葉が出たことにちょっと驚いただけさ」
それが言いたかっただけなのか、魔理沙はホッと一息ついてからルイズの口を自由にする。
時間にして数秒だが鼻呼吸しかできなかったルイズは軽く深呼吸した後、恨めしい目つきで魔理沙を一瞥した。
魂魄四、六回程度生まれ変わっても恨み続けるかのようなメイジの視線に対し、魔法使いは何も言わずにただ肩を竦める。
恨むならお前の前にいる妖怪を恨んでくれ。そう言いたげな笑みを浮かべながら。
一方、ここまでの原因を作ったであろう妖怪は何が可笑しいのか暢気にもコロコロと笑っていた。
口を塞がれたルイズと口を塞いだ魔理沙の二人には理解できないが、どうやら彼女にとっては面白いやり取りだったらしい。
五秒ほど笑った後、気を取り直した紫は魔理沙の口から出た言葉に少し遅い返事を送った。
「ふふふ…貴女がそれで良いのならそういう事にしておきましょうか」
先程までやけに慌てていた魔法使いに対しそう言ってから、今度はルイズに話しかけようとする。
未だ恨めしそうな目つきのままコチラに顔を向けているルイズに恐怖する筈もなく、紫は遠慮無しにその口を開く
「さて…貴女も魔理沙と同じようにおかしいとは思わないかしら…私の考えに」
質問を出す側から出される側に回った彼女は数秒ほど黙った後、「確かにそうね」と言って頷いた。
霊夢や魔理沙と同じく幻想郷出身であり今回の゛異変゛の被害者側である八雲紫が、何故自分の身を案じるのだろうか?
強いて言えば加害者側に位置する自分の身の安全を優先する理由を、今のルイズには思いつくことができない。
それでも何か返答らしきものを出さねばと思い、自慢の頭脳を少しだけ動かして自身の意見を述べた。
「仮に私が被害者側ならば…優先するべきは同じ側の命かしら?」
「うん、実に人らしい人として模範的な答えですわ。ただ…」
あまりにも典型的過ぎるけど。最後にそう付け加えた紫の言葉にルイズは思わず顔を顰めてしまう。
そんな彼女を更に煽ろうとはせず、紫は口を閉じることなく話を続けていく。
「私が貴女の身の安全を、霊夢よりも優先するその理由の一つ…それは幻想郷を知る唯一のハルケギニア人だからよ。
霊夢をこの世界に召喚して使い魔契約を行った事により、結果としてこことは違うもう一つの世界の存在を知ってしまった。
そして貴女が召喚の際に開いたゲートの力を利用して今回の異変の゛黒幕゛が、幻想郷を覆う博麗大結界に干渉…
既に霊夢が何処へ行ったのか把握していた私は彼女と一緒に貴女を連れて帰り、結界の一時修復と異変が起きている事を伝えた」
そこまで言った所で彼女はホッと一息つき、何故か顔を上げて空を仰ぎ見る。
彼女の動きについついツラれてしまったのか、ルイズもフッと顔を上げたが…見えた先にあるのは単なる青空であった。
僅かではあるが段々と赤くなっていく青空の中を無数の雲がゆっくりと歩く牛の様に前進していく。
魔理沙は二週間近く、そしてこの場にいない霊夢は二ヶ月近く見てきたトリスタニアの空模様は、ルイズにとって何千回も見てきた変哲のない物。
一体どうして、彼女は空を仰ぎ見たのだろうか?ルイズの頭の中をそんな疑問が光の速さで過っていった。
ルイズ自身がその疑問に気づくことはなく、上げていた顔を下ろした紫は何事も無かったかのように話を続けていく。
「少なくとも、゛黒幕゛は私たち側の事情を良く知る人物が貴女だと分かっている筈よ?―――――…まぁ、あくまで推測の域を出ないけどね」
唐突に聞こえてきた言葉でハッとなったルイズはすぐさま顔を下ろし、紫の言葉を脳内でリピートさせる。
不敵を笑みを浮かべている妖怪の話は彼女にとってまさかと思うレベルではあるが、それをあっさり否定することができない。
何故なら霊夢と共に彼女らの世界である幻想郷へと赴き、再びこの世界へ戻ってきてから色んな事が立て続けに起こったのだから。
突如学院に現れたという蟲の怪物の話を霊夢から聞き、それから間もなくして近くの山中で自分達に襲い掛かってきた亜人と思しき存在。
16年間生きてきた中で最も不思議な体験が現在進行中であるルイズにとっても、つい最近のアレは怖ろしい思い出だった。
そして…蟲の怪物の話の際彼女が言っていた、老貴族の幻影の事。
仮面を付けていたらしく顔はわからなかったそうだが、もしかするとソイツがあの怪物たちをけしかけたのではないか?
事実、蟲の怪物は貴族の声に従っていたようなそぶりを見せていたと霊夢も言っていた。
だとすれば、森で霊夢どころか自分や魔理沙にも襲い掛かってきた怪物を操っていたのも…
「何とまぁ、私が話してる最中に考え事とは…きっと余程の事ですわね」
その時であった。いつの間にか思考の渦に飲まれていたルイズに、紫が何気なく声を掛けたのは。
「えっ…?――あ…」
彼女の言葉に今の状況を思い出したのか、ルイズは目を丸くして我に返る。
一歩間違えれば場違いな考察を一人で行っていたかもしれない彼女はほんの少し頬を赤く染め、首を何回か横に振った。
今考えるべきではないという事でも無いが、後回しにしよう。
心の中でそう決めたルイズは改まった様子で再度紫の方へ視線を向けた時、彼女の顔色が変わっている事に気が付いた。
それは先程まで浮かべていたのと同じ不敵な笑みであったが、最初の時のそれとは雰囲気が少しだけ変わっていた。
両目を柔らかく瞑り、綺麗な口元を緩く歪ませたその顔からは僅かではあるが不気味な気配が漂い始めていたのである。
一見すれば優しい笑みを浮かべている八雲紫の中にある人ならざる気配を、ルイズは察知していた。
(な…何よ、一体どうしたっていうの?)
さしものルイズもこれには恐怖よりも焦りを感じ、無意識に動いた足が彼女をゆっくりと後退させる。
いくら魔法を使えるメイジといえども恐れているのだ。八雲紫という人とよく似た容姿を持つバケモノの本質を。
例え花も恥じらう美貌を持っていても分かる者には分かるのである。妖怪が放つ、毒気の様な不気味な雰囲気というのは。
しかし彼女の後ろにいる魔理沙は気づいていないのか、何故か後ずさりしているルイズに首を傾げた。
何かあったのかと思い一人ニヤニヤしている紫の方を見つめるが、特に変わったことは無い。
強いて言えば、胡散臭いいつもの柔らかな笑みがもっと胡散臭くなっただけである。
だとすれば何でルイズは後退るのだろうか?疑問に思った彼女は暢気にも本人へ直接聞いてみることにした。
「おいおいルイズ、霊夢みたいに何か見えない物でも見えたのか?足が勝手に動いてるぜ」
「…うぅっ!?」
人の気も知らず気軽に話しかけてきた黒白に、ルイズはどう返事をしたら良いか分からず言葉を詰まらせる。
予想外の事に喉から変な声が出てしまった直後、彼女の代わりと言わんばかりに紫がその口を開く。
「どうやら私の笑顔を怖がっているらしいわね。タダ笑っていただけだというのに」
「―――っていうか、私が怖がるような笑みを浮かべる理由を教えてくれないかしら…?」
口元を手で隠しつつも喋ってくる紫に対し、怪訝な表情を浮かべるルイズはそう言った。
「う~ん、そうねぇ~………まぁこの際だから言っておきましょうか」
彼女の返事に紫は数秒ほどの時間を置いた後、唐突にその口を開いて喋り始める。
こうなったら何でも来い!心の中で叫んだルイズは紫の口から出る言葉を迎え撃たんとしていた。
だがそれは、彼女にとって絶望とも言える一つの確信を得させる事となったのである。
「貴女たちに襲い掛かってきたバケモノが黒幕の一端だと考えている事に、私は喜んでいるのよ」
彼女――八雲紫は全てを知っているのだと。
「―――――」
「……ぇっ!?」
その言葉を聞いた瞬間、ルイズの表情が怪訝なモノから唖然としたソレへと一変した。
鳶色の両目をゆっくりと見開き、それに合わせて口をあんぐり小さく開けたその顔からは驚きの色が垣間見える。
彼女の後ろにいる魔理沙はというと…その口から素っ頓狂な声を上げ、次いでルイズと同じような表情を浮かべた。
二人して声が出ぬ状況の中、その原因を作り出した紫はキョトンした表情を浮かべている。
「…どうしたのよ二人とも?まるで「何で知ってるのよ」って言いたそうな顔じゃない?」
「――…っ!?い、言ってくれてありがとう。今、本当にそう思ってるところだから」
紫が口を開いたことで硬直状態から抜け出せたルイズは、敵意丸出しの表情で言葉を返す。
確かに彼女の言葉通りである。少なくともルイズは何で知っているのかと疑問に思っていた。
蟲の怪物の話を霊夢から聞いた時や森での体験の時、少なくとも近くには紫はいなかった。
律儀にもデルフを返しに来た夜の時は、霊夢が帰ってくる前の事で彼女が怪物の事を知っている筈がない。
森での事もあの場にいた自分と霊夢にデルフ、そして襲ってきた怪物を倒した魔理沙の三人と一本だけしか知らないのである。
ハッタリの可能性も一瞬だけルイズは考えたが、それは無いだろうと自らの手で斬り捨てた。
仮にそうであるならば、わざわざ「バケモノ」という単語など口に出す必要は無いのだから。
そこまで考えた所で、ルイズの次に硬直から脱した魔理沙が口を開く。
怪訝な表情を浮かべて紫に話しかける彼女の姿は、いつも気楽に生きている少女とは思いにくい。
「もしかしてとは思うが…ずっと見てたって事なのか?それだったら随分酷薄なやつだと私は思うよ」
探りを入れるかのような魔理沙の質問に、少しだけ考えるそぶりを見せた紫はあっさりと質問に答える。
「まぁ゛見ただけ゛という言い方が正しいわね。あくまで゛見ただけ゛で゛見ていた゛わけではないの」
紫の返答によって、ルイズは苦虫を踏んでしまったかのような表情を彼女に見せつける。
一体何処にいたのかすら分からなかったが、彼女の言葉が本当であるのならば相当ひどいことに違いは無い。
ルイズがその気持ちを言葉として出す前に、偶然にも同じことを思っていた魔理沙が彼女の言葉を代弁してくれた。
「゛見てた゛と゛見た゛の違いはともかくあの時の私たちを傍観してだけとは、お前はやっぱりとんでもない妖怪だぜ」
まぁ、別に助けて貰う必要もなかったけど。最後にそう付け加え、魔理沙は苦笑いしつつ肩を竦める。
その姿には先程口を開いたときの緊張感は無く、ルイズの知っている彼女に戻っていた。
確かに彼女の言う通りだ。あの時魔理沙が助けてくれなければ、傷を負った霊夢と一緒にあの世へ逝っていただろう。
(でも元を辿れば、あの怪物を倒したマリサのマジックアイテムを持ってた私のおかげって事にもなるのかしら?)
九死に一生を得たあの時の事を軽く思い出していたルイズであったが、そんな彼女の耳に再び紫の声が入ってくる。
「まぁそこは私も同意しますけど。あれを゛見て゛私の心中に一つの考えが浮かんだの」
紫はそう呟いて右手の人差指をグルグルと軽く回した後、その指でもってルイズを差した。
丁度顔の手前で手首を曲げた姿で指差してきた相手に、彼女は脊椎的な反射でたじろいでしまう。
いきなり指差してくるとは何事かとルイズが聞いてみようとする前に、紫は彼女が゛聞きたい゛であろう事を口にする。
「これ以上霊夢や私たちの異変解決に巻き込まれれば、貴女の命が持たない――ってね」
「なっ…!?」
それを聞いた瞬間、全く予想すらしていなかった言葉にルイズは今まで以上に驚愕する事となった。
突如霊夢がおかしくなった時や、いきなり紫がやってきて今に至るまでの目まぐるしい数々のアクシデント。
常人ならば休憩が必要かもしれない非日常なシーンの連続の中で、今日一番彼女が驚いた言葉であろう。
「わ、私の命って…どういう事なのよ!」
他人ならぬ他妖怪に自分の命がどうと言われた所為か、ルイズは声を張り上げて怒った。
今までは何とか堪えつついつの間にか消えていた紫への怒りが、今になって沸々と蘇ってくる。
怒りやすい自分の性格を砂の城と例えられた事は、今考えても相当許しがたい事だ。
というよりも何故あの時の襲撃を゛見た゛だけである彼女が、自分の命についてとやかく言ってくるのだろうか。
先程魔法を放った時は多少やってしまったという感じはあったが、今の彼女ならば遠慮なく自分の魔法をお見舞いできる。
少しだけ理不尽な妖怪を粛清せんと心の中で決めたルイズが自分の杖に手を伸ばそうとした直後、それを制止するかの如く魔理沙が喋った。
「おいお いおい…話が見えてこないぞ。どうしてルイズの命が危ないっていうんだよ?」
黒白からの質問に、紫はフッと鼻で笑いながらもすぐに答えをよこす。
まるで良い悪戯を思いついた大人が浮かべるような笑みを二人に見せつけながら、彼女はルイズに言った。
「あの時…すぐ近くにいた貴女ならわかるでしょう?…霊夢に寄り添い、子猫の様に怯える事しかできなかったあの娘の事は」
自分に向けて送られたその言葉で、彼女はあの時の事を一瞬で思い出した。
◆
霊夢に攻撃を浴びせてきた怪物に襲われたとき、ルイズは確かな恐怖を感じていた。
それはアルビオンでワルドとその遍在達に襲われた程ではないが、あの時の恐怖はそれと全く別物だ。
ワルドは人間であったし、スクウェアメイジという圧倒的存在から来る威圧感に恐怖していた。
彼は結果的に助けに来てくれた霊夢に倒され、今となっては大分前の出来事に過ぎない。
しかし、森で襲ってきた怪物からは本能からくる嫌悪感が恐怖の源であった。
シルエットだけは人らしいものの、いざ蓋を開けてみれば中にいるのは非日常的なモンスター。
オーク鬼やコボルドと言った獣らしい亜人たちとは比べ物にならないグロテスクな容姿。
右腕が無かったのにも関わらず霊夢を苦しませた挙句、自分たちにも牙を向けるその執拗さ。
そして、地面に転がった霊夢へ近づいた時…こちらへゆっくりと近づくヤツの姿を間近で見ていた。
麻薬中毒者のようにギョロギョロと忙しなく動く目玉。
生者を地獄へ誘う死神の笛の如き、シュルシュルと聞こえる呼吸音。
見る者の心をジワジワと染み込むように侵していく毒々しい皮膚の色。
左腕には霊夢の身体を穢した毒の詰まっている、鋭い爪。
絵本に出てくる。という例えが通用しない怪物を前にして、ルイズは本能的な恐怖を体験した。
フーケに羽交い絞めにされた時や、ワルドのライトニング・クラウドを喰らいそうになった時とは全く違う恐怖。
人が本来持っているであろう異形への恐ろしさと、ソイツの手に掛かって死んでしまう事への嫌悪。
そして…何故自分や霊夢達がこの様な怪物に殺されなければならないのかという理不尽さ。
――――やだっ…!こっち来ないでよぉ!わたし達が何したっていうのよ!?
それ等三つの要素が揃っていた時、ルイズは叫んだのである。
◆
「でもまぁ、貴女が怯えるのも確かな事と思うわ。私だってあんな怪物が出てくるとは予想範囲から少し外れていましたし」
軽く暗い回想に浸っていたルイズに向けて、紫は肩を竦めつつも慰めるかのような言葉を彼女に投げかける。
しかしトラウマとして記憶に残っているのだろうか、暗い表情で俯いているルイズはその言葉に反応しない。
その後ろにいる魔理沙は珍しく何も言うことなく、目の前にいる二人を交互に見合っていた。
「だけど…出てきた以上は今後もああいうのが出てこないとは限らないし、その時にまた怯えていれば貴女の命の保証は出来ない」
「…ちょっと待て。その言い方じゃあ、まるで私や霊夢がコイツを見捨てるって事になるぜ」
軽い雰囲気でそう言った紫に、流石にムッとした表情を浮かべる魔理沙が異議を唱えた。
そんな彼女の言葉に対し自分のペースを崩すはずもない紫は、手早く返事をする。
「別に貴女と霊夢がこの娘を守らないとは思っていませんわ。―――ただ、あの森の時の様にシンプルな攻め方でしたらね」
「シン…プル…?」
予想外の単語を聞いて無意識に呟いたルイズへ「そう、シンプル」と相槌を打ちつつ、紫は話を続けていく
「二度目もあって一体だけなら不意打ちを仕掛けても今の霊夢が後れを取るとは思わないし、魔理沙も負ける程弱くは無い。
だけどあの怪物が単なる様子見として放たれたのなら、相手はもっと手駒を増やすとは思わないかしら?
仮に相手が異変の黒幕ならば、貴女を捕まえるか…最低でも始末しようと思うのならば一体だけで攻撃しても勝敗は目に見えてる。
けれども、数を増やしてしまえば倒すのはともかく貴女を守るのに二人が手間取るどころか霊夢の様に隙を見せてしまい後ろから一撃…なんてことも有り得るわ」
紫はそこまで言って一旦口を止めるとホッと息をつき、またも喋り始める。
「無論、貴女は異変が解決するまで部屋に引き籠れ…とは言いません。けれど、多少の自重はしなさい。
貴女が自分の魔法で霊夢達と一緒に戦えずただただ怯えていても、何の役にも立たないの。
偉そうなうえに悪い事を言いますけど。もし今後も怯えるだけなら、霊夢の傍につくような事はやめなさいな。
あの娘は誰かを守りながら戦う…って経験は殆ど無いし、あの娘自身鬱陶しいってことは多少思ってるかもね?」
とどのつまり、臆病者は引っ込んでいろという冷たい紫の言い方に、魔理沙は異議を唱えようとしてやめた。
自分が見知っている者の中では一番冷たくて酷いであろうあの巫女なら、そんな事を思っていても不思議ではない。
だがそれを言われた当の本人は酷く落ち込んでいるのか、顔を俯かせたまま微かに両肩を震わせている。
泣いているのか?一瞬だけそう思った魔理沙はしかし…すぐにそれが勘違いだと気づき、ギョッと驚いた。
肩の震えに付いていくかのようにサラサラと揺れる桃色のブロンドヘアーからは、悲しみの雰囲気は伝わってこない。
否…悲しみどころかそれとまったく別の、言わば発火性の強い油の如き気配を読み取ったのである。
それを読み取った魔理沙は以前に一度だけ経験した゛ある出来事゛を思い出し、すぐに後退れるよう無意識に身構えた。
何時爆発するかもわからない存在と化したルイズと距離を置くことは、自分の身を守るのと同義である。
当時その場にいた霊夢と一緒に゛ある出来事゛を体験した彼女にとって、これは咄嗟の行動であった。
(触らぬ神に祟りなしとはこの事か?…いや、この場合は人か…もしくはルイズで良いかな?)
地面に置いていた箒を手に取りつつ、二人の動きを見てみることにした。
「どうしたのかしら、ルイズ・フワンソワーズ。身体が震えていますわよ?」
一方の紫は、これから何が起こるか知っているうえでルイズの出方を伺っているのだろうか。
面白い物を見るかのような目でもってルイズに話しかけいるが、それこそ火に油を注ぐようなものだ。
油を大量に加えた火は並大抵の獣より凶悪であり、人間はおろか妖怪でも下手をすれば致命的な火傷を負う。
そして今、油を注がれた小さな日は燃え盛る炎となって紫の体へと牙をむかんとしていた。
「…………しら」
紫が話しかけてきてから十秒も経たぬうちに、ルイズがひとり呟いた。
最もその声は小さく、大妖怪の耳をもってしても最後の部分しかまともに聞こえなかったが。
ともかく、ルイズが反応を見せてくれたことに良しと感じたのか、彼女は首を傾げつつ口を開く。
「ん?今なんて言ったの?良く聞こえませんでしたわ」
妖怪からのリクエストを、ルイズは律儀にも言葉として答える。
「……言いたいことは…それだけかしら?」
体の震えを止めることなく、顔を俯かせたままのルイズは言い直す。
この場にいる三人の中では一番小さい両手に作られた握り拳が微かな音を上げている。
あぁ、もう取り返しがつかない。魔理沙は心中でそう呟きつつもゆっくりと後ろへ下がり始めた。
以前にもあんな調子のルイズを見て、襲われた彼女にとってこの展開は非常に危険で駄目な展開であった。
しかし襲われる相手が余裕の笑みを浮かべる大妖怪という事か、その顔にはうっすらと笑みが浮かんでいる。
(さて、先程の爆発かこの前の素手…どっちが来る?両方ってのも面白そうだぜ)
「…えぇそうよ。怯えるだけなら霊夢たちの邪魔をせずに安全な場所にいて欲しいと…私は言いましたの」
これから自身の目に映るであろうルイズと紫の姿を思い浮かべている魔理沙を尻目に、紫はルイズに言い放つ。
戦力外通告とも言えるその冷たい言葉にルイズは「そう…」とだけ呟いた瞬間、その足をゆっくりと動かした。
魔法学院お墨付きのローファーを履いた彼女の足が向かう先には、微笑み浮かべる大妖怪の姿。
ゆっくりと、だが確実に紫へと近づくルイズは顔を上げることなく、その口を開く。
「成るほ、ど…こ、この私が…ヴァリエール出身のき、貴族である私を戦力、外…あつか、いなんてねぇ…」
もはや限界に達しているのか、言葉を詰まらせながら喋るルイズを見て魔理沙は思い出す。
あの時もこうであった。今はまだマシな方だが、ルイズが゛爆発゛するのは後十秒程度といったところか。
自らの経験をもとにそう予測した魔理沙であったが、その時はすぐに起こった。
魔理沙が自分の脳内で勝手な予測を立てた直後、今まで歩いていたルイズはその足を一気に速めたのである。
ゆっくりとしたテンポを奏でていた足音が一気に早くなり、紫との距離をあっという間に縮めていく。
これにはさすがの紫も表情を変えてしまのうか、今までの笑顔から一変したキョトンとしたモノとなる。
一方の魔理沙は思っていた以上に早かったルイズの゛爆発゛に対し、そのまま一発かましてしまえと心の中で叫ぶ。
そして相手まで後五十サントというところで、ルイズは握り締めていた右手を振り上げ、
「言って…くれるじゃない…――のぉっ!」
紫の胴体部目がけて勢い良く殴り掛かったのである。
小柄な見た目と比べ対照的な程運動神経の良い彼女の右手は、今や強力な怒りという名の大爆弾。
当たれば一発、妖怪であっても紫ほどの存在なら悶絶する事は間違いないであろう。
紅魔館の門番や鬼といった面子だと蚊に刺された程度のパンチは、紫のような日ごろから鍛えて無いような奴には効果覿面だ。
更にそれを喰らう本人は身構える事すらしておらず、今から回避しようにも手遅れなのは決定事項と言える。
恐らく霊夢も見たことが無いであろう紫が悶絶する姿を想像し、魔理沙は思わず笑みを浮かべてしまう。
だが。現実は非情だという言葉があるように、そううまくいく事は無かった。
「あら?」
暴風雨に吹かれて飛んできた紙袋を避けるかのように、紫は自らの左手を腹の前に出す。
直後、ちょっと認識できる程度の速度で襲ってきたルイズの拳は見事妖怪の掌に直撃したのである。
少し人間離れした紫の反射神経に対し流石の魔理沙も驚きを隠せず、アッと大きな声を上げてしまう。
その声に顔を上げたルイズはピクリと左の眉を動かし、残っている左手の握り拳を振り上げようとする。
「図星を突かれて悪戯とは、頂けませんわね。思ったより見苦しい人ですこと…」
しかし次の手は既に読まれていたのか、ルイズの動きを見た紫は一人呟きながらスッと自身の右腕を動かす。
結果、勢いよく振り下ろそうとしたルイズの左手が紫の右手に掴まれ、その場でピタリと静止した。
まさかこれで終わりか?魔理沙がそう思った直後、ルイズはバッと左足を上げる。
突然の動きに紫が怪訝な表情を浮かべた瞬間、その足が目にも止まらぬ速さで下ろされた。
「?…――うっ!」
それを目で追おうとした瞬間、彼女は自分の右足に激痛が走ったのに気づきその顔を苦痛で歪めてしまう。
一体何なのかと顔を俯かせたところ、先程振り下ろしたルイズの足が自分の足を踏んでいるのだと気が付く。
ローファーを履いたルイズの足が踏んだもの、それは自分の腕を掴み上げた大妖怪八雲紫の足。
自分を戦力外扱いした八雲紫への仕返しとして放たれた彼女のストンプは、思いのほか効果抜群だったようだ、
いつも澄ましたような紫が珍しく痛い目を見たことに、魔理沙は後の事を考えが「おっ、スゲェ」とルイズに賞賛の言葉を贈った。
孤独の野次馬と化した黒白の声を耳に入れつつ、ルイズと紫の二人はキッと真正面から睨み合う。
身長の関係からか、紫は自分の足を踏む少女を見下す格好となるがそれでもルイズは動じない。
今まで俯かせていた顔にはため込んでいた憤怒を解放させており、見る者に恐怖を覚えさせる。
両目に嵌る鳶色の瞳でもって人の形をした人外を睨み上げるその姿を見れば、誰が臆病者と呼ぶだろう。
人知と科学的常識では説明できない力を操る八雲紫の足を踏む彼女こそ、俗にいう勇者ではないのか?
それなりの硬さを持つルイズのローファーは紫のロングブーツをグリグリと踏み続け、その下にある指にまで攻撃している。
一度現れれば全てを破壊する竜巻と化したルイズを睨みつける紫の頭にも、自ら退くという選択肢はないようだ。
先程まで浮かべていた不敵な笑顔は痛みをこらえる苦笑いへと変わっている事から、攻撃事態はかなり効いたらしい。
両目からは微かな怒りの気配が放たれており、この場に霊夢がいるなら驚いていただろう。
時に柔らかくも胡散臭い笑みの下に怒りの色を滲ませる事はあれど、今の様に痛み堪える苦笑いの表情は滅多に見ないのだから。
強い者ほど常に笑顔を浮かべると幻想郷録起にも書かれているが、彼女も例外ではないようだ。
たとえルイズの踏み付けが思っていた以上に痛くとも、八雲紫は笑顔を崩すことなく彼女を睨みつけている。
お互い引くに引けなくなった状況から十秒近く経過した後、そこで変化があった。
指先の痛みが段々と酷くなっていくのを感じていた紫が、足の力を弱めないルイズに話しかけてきた。
「成る程…これが貴女の返答というワケね」
「…えぇ。ついで、人を臆病者と罵ったアンタへの攻撃…って事もあるけどさぁ」
ひたすら痛みに堪えているのか苦笑いを浮かべる顔で右の眉をヒクヒクと動かす紫の言葉に、ルイズはすぐさま返事をする。
今まで好き放題に言われていたルイズは今ここで鬱憤を解消せんと、その口から言葉を放出し始めた。
「確かに今までの私は臆病だった。それに間違いは無いわ。
生まれたころから魔法が使えないからと幼少時に母親からスパルタ教育されて、辛い時はいつも逃げていた。
学院に入っても魔法が使えないという理由でイジメの的にあって、それに抗うことなくただ受け流してきたわ。
それで一年生の夏頃に゛ゼロのルイズ゛っていう不名誉なあだ名を貰ったのよ。おかげでイジメがもっと酷くなったけど。
辛くて耐えられない時はいつも自室に籠って夢見てた。いつか私だってスゴイ事ができるって。
誰にも真似できないような、自分にのみ許された゛何か゛がきっとあるって…そう信じてたのよ」
そこまで言ってから一息分の休みを入れて、再びルイズは喋り出す。
まるで喋るごとに憑きものが落ちていくかのように、彼女の顔から怒りの表情が薄くなっていく。
「そして二年生へと進級する際に行う使い魔召喚の儀式で、私はレイムと出会った。
黒い髪に蝶みたいな赤いリボン。この世界じゃ考えられないくらいに派手な紅白の衣装と分離した白い袖。
私とほぼ同年齢だというのにとても同世代の人間とは思えないくらいに冷たい性格の異世界少女。
召喚したばかりの頃は酷いヤツだと思ってたけど。今じゃそんな事滅多に思わない。
確かにアイツは酷いけど。二ヶ月近く一緒にいれば案外良いヤツじゃないかって…不覚にも思えてくるの」
話の方向が自らの過去から霊夢の事へと移っていく彼女の脳内を、召喚からアルビオンまでの出来事が過っていく。
魔法学院の自室で使い魔やこれからの事を説明した時。自分の魔法を失敗だと思わなかった事。
連れて行った街で東方のお茶を買わされた事や、フーケのゴーレムから自分を守ってくれた時。
話してもいないのに何故か任務で赴いたアルビオンで再開した時に、自分を守る代わりに怪我を追ってしまった事。
その怪我の所為で裏切ったワルドに致命傷を与えられたのにも関わらず、ただ震えていた自分を助けてくれた紅白の彼女。
「アイツと出会ってからは、色々と面倒な借りまで沢山作って来たわ。
今日はそれを返す為に新しい服を同じようなモノばかり着てるアイツに買ってあげた。けど、それでもまだ足りない。
私をフーケの攻撃から救ってくれたり、トリステインの裏切り者まで倒してくれたアイツへの借りは大きすぎるのよ。
それに、アンタが見ていた森での時はただただ怯えるだけで、戦うどころか泣いていたのは事実。
でもね…、もう決めたのよ。――――次は絶対に逃げたり怯えたりしないって」
霊夢を召喚して以来、ルイズは彼女の所為で色々とイヤなことがあった。
それこそ今まで生きてきた中で、数多くいる人間の中には霊夢みたいな冷たくて酷い奴がいるのだとさえ思った。
だがそれを差し置いても、今の彼女を見捨てて大人しくしていろと言われてはいそうですかと従う事はできない。
仮に従ったとして、もしも霊夢が自分の目の届かぬ所で死ぬような事があればルイズは悔やむであろう。
そしてルイズの考えを聞けば、アイツが死ぬ瞬間は思い浮かばんと魔理沙は言いそうだが、それは違う。
霊夢だって異世界の中核をなす博麗の巫女でなければ、ただの少女だ。
普通の人間と同じく傷だって負うし疲れる事もあり、そして致命傷を喰らえばそのまま死ぬことだって有り得る。
ニューカッスル城でワルドに刺され、森の地面に倒れ苦しむ彼女の姿を見てきたというのに、その時手助けの一つもできなかった
そして紫に異変解決を手伝ってほしい言われたのにも関わらず戦いに怯え、結果彼女自身から臆病者と呼ばれる始末。
だから、この時のルイズは改めて決心していた。
これからどんな事が起こり、体験しようとも…怯えたり泣きわめく事はしない。
霊夢達の世界が抱えた未曾有の異変を解決する為に、異変の゛きっかけ゛となった自分も杖を手に取り戦おうと。
もう後には引き返せないであろうルイズの決意表明を聞き、紫の顔が無表情となる。
まるで自分の心を閉ざしたかのような冷たい眼差しでもって、ルイズの顔を見つめていた。
「――――言うだけなら簡単ですけど…。貴女の様な貴族に、これからの人生を棒に振るかもしれないような事を…体験できるかしら?」
話の途中に口を挟むような事はしなかった紫の言葉は、まるで契約書に書かれている注意事項である。
自らの家名が刻まれた判子を押す前に、本当に契約をするかどうかの瀬戸際で教えられる唯一の折り返し地点。
ここで引き返せば契約は無かったこととなるが、承諾すれば何が起こるかもわからないであろう。
しかし、紫の言葉によって興奮した今のルイズは彼女の言葉に戸惑うことなく口を開く。
「舐めないで頂戴。―――何せこの私は、博麗の巫女を召喚した貴族なんですから」
怖気づくことなく吐き出したルイズの返事に、紫はフッと微笑んだ。
今日、この世界へ来てから結構な数の笑顔を浮かべていた。
だがしかし、今浮かべている微笑もにはそれまで浮かんでいた不敵さや柔らかさ、そして胡散臭さは無い。
その微笑の裏に隠れているのは、ほんの一握りの安堵。
一人で戦う事を好む霊夢の為に戦ってくれるという少女の存在に、紫は安堵していたのである。
(こんなにもあの子…霊夢を大切に思ってくれるような人間がこの世にいたなんてね)
――――ハルケギニアに酔狂という言葉があれば、きっと彼女の為にあるのかしら?
紫は一人そう思いながら、揺ぎ無い決意に満ち溢れる鳶色の瞳を見つめていた。