ルイズと無重力巫女さん   作:1-UP-code

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第六十五話

 トリスタニアのチクトンネ街にある自然公園から、少し出たところ。

 繁華街にある公園として、芝生や植木の整備がちゃんと行き届いている敷地の向こう側と言えば良いか。

 

 公園とは対照的に放置された為にできた小さな雑木林を挟んだ先には、旧市街地が存在している。

 半世紀も前に放棄されたそこはすっかり荒れ果て、ちょっとした遺跡と言っても過言ではない。

 最も、繁華街との距離が近い為か、人がいたと思われる目新しい痕跡が大量に残っていた。

 雑貨店の安物絵具で描かれたであろう建物の落書きは、芸術家を気取る若者の浅ましい欲望が垣間見える。

 かつては大流行しているファッションを大衆に見せつけていたであろうブティックのショーウインドウは、内側から破壊されていた。

 飛び散ったガラスは道路に四散したまま放置され、もはや過去の栄光すら映し出すことも無いだろう。

 

 そんな退廃的かつ物悲しい雰囲気が漂う廃墟群の路地裏で、霊夢は体を休めていた。 

「う~ん、護符がもうボロボロね…っていうかもう使えないし」

 先程までいた公園跡地よりも、人の気配を大分感じられるようになった場所へと身を移した霊夢は一人呟いた。

「全く、護符はいくらでも作れるけど…こんな調子で消費してたらすぐにストックが無くなるわね」

 彼女はそう言って自らの着ている服を捲り、その下に巻いているサラシへと手を伸ばす。

 無論肌に直接巻きつけている白く細長い布を外すのではなく、その上に貼られている何枚かの護符を剥がす為だ。

 弾幕ごっこで被弾しても軽症で済むように張られた長方形のお札のあちこちには、見るも無残な焦げ跡が付いている。

 札の端っこや中央に書かれていた゛ありがたい言葉゛は自分の弾幕に被弾した際に消滅しており、もはや護符としての役目は果たせない。

 

 ため息をつきながらも焦げたお札を剥がしていく霊夢は、ついでにと周囲の気配を軽く探ってみる。

 少し歩けば人が多すぎる繁華街にたどり着けるとは思えないこここには、隠れる場所など腐る程あった。

 それを留意してはいるものの、割れたショーウインドの奥や薄暗い路地裏からは何の気配も感じられない。

 博麗の巫女である霊夢がこんな場所で警戒している理由…それは彼女に襲い掛かってきた自身の偽者が原因だった。

 

 何者かに導かれるように訪れた公園で戦い、今の様な非常に面倒くさい状況を作り出した傍迷惑なパチモノの巫女。

 そして自分よりも接近戦に長けたアイツに距離を詰められた瞬間、直前に放っていたスペルの光弾が偽レイムの傍で爆発。

 偽者と一緒に吹き飛ばされた直後の記憶は曖昧ではあるが、ふと気づけば荒れ果てた雑草の中で気絶していた。

 目を覚ました後に慌てて辺りを見回したが、不思議な事に偽者の姿は何処にも見当たらなかった。

 一体どこに消えたのであろうか?そう思いつつも彼女は公園跡地を離れ、今いる場所へとその身を移して今に至る。

 

(今の状態で下手に攻撃喰らっちゃう事を想定すれば…楽観視できる状況じゃないわね)

 霊夢は剥がし終えた゛元゛護符を足元に捨てながら、これからどう動こうか考えていた。 

 今の彼女の脳内は、二つほど浮かんできた考えの内どれか一つを選ぼうと目まぐるしく動いている。

 一つ目は微妙に手強かった偽者を捜しだしてしっかりと退治する。ついで、可能ならば事情聴取らしい事もやりたい。

 ヤツは何も覚えてないと言ったが、今までの襲い掛かってきた連中とは明らかに違うのだ。詳しく追及してみても損は無いであろう。

 二つ目はルイズたちがいるであろう繁華街へこのまま戻り、彼女らと再会して自分が体験したことを話すか。

 それを聞いた二人が偽者捜しを手伝うと言い出しそうだが…まぁ捜してくれるだけなら十分にありがたい。

 しかし二つ目のそれを考えていたところで、それは無いなと言いたげに首を横に振る。

 

 ルイズはともかく魔理沙まで来られると、十中八九厄介な事になると霊夢は思っていた。

 森での戦いでは命を助けてくれたから良いものの、次はあの様なヘマはしないし何より人気の多い場所がすぐ近くにあるのだ。

 あの黒白の魔法使いが弾幕の火力を調節するとは思えないし、相当派手な戦いになるのは火を見るより明らかである。

 しかも魔理沙の「騒ぐ」はこの世界の常識では「花火」と呼べるほどに騒々しい弾幕のオンパレードだ。

 下手に騒いで人が来ればややこしくなるし、うまく偽物を倒したとしても人が来てややこしくなるのは変わりない。

 

(やっぱり学院で倒した蟲の時みたいに、一人でやるしかないか……って、あれ?)

 二つ目の考えをあっさりと放棄して偽者を自分だけで倒すと決めた瞬間、霊夢は気づく。

 彼女にしては珍しくハッとした表情を浮かべ、自分の手を懐や服と別離した白い袖の中へと忍ばせる。

 布の擦れる音と共に彼女の左手は五秒ほど動き、やがて諦めるかのように引っ込めた。

 一つ目の選択肢を選んだ彼女が今になって気づいた事。それは手持ちの武器が殆ど無くなってしまったという事であった。

 今日は何も起こらないだろうとお札も針も、そしてスペルカードですら最低限の分しか持ってきていない。

 そして、先程の戦いにおいて持ってきていた分が底をついてしまったのに、霊夢自身が今になって気が付いたのである。

(迂闊だったわね…こんな事になるとわかってたら、もうちょっと持ってきた方が良かったかしら?)

 朝の自分を軽く恨みつつ、彼女は唯一の武器であり今のところ有効打にならないだろうスペルカードを何枚か取り出す。

 

 今手元にあるコレだけでも充分に戦える自信はあったのだが、相手は自分自身と言っても良い。

 少し一戦を交えた程度だが、あの偽物が自分と同じくらいの回避能力を持っていることだけは理解していた。

 今手元にあるカードは、今の魔理沙でも十分に避けれるであろう単調なモノばかりである。

 最も、スペルカードを知らない者から見れば最大の脅威と言えるが、弾幕ごっこに慣れている人妖ならば今の霊夢に言うだろう。

 

「そんな弾幕じゃあ、Easyモードが限界だよ」と

 

 

 スペルカードがダメならば肉弾戦という手もある。しかし、生憎にもそちらの方は偽者に分があるらしい。 

 別に苦手というワケでも無いし、どちらかと言えば幻想郷の妖怪相手でもそれなりに戦える。

 だからといって得意ではなく、魔理沙や紅魔館のメイド長の二人は霊夢よりも上手だ。

 星形やレーザー系統の弾幕をよく放つ魔理沙は素手の戦いでも強いし、箒を武器にして殴り掛かってくることもある。

 彼女とは何回か戦った事のある霊夢も、黒白の魔法使いが手足のみの喧嘩に強い事は知っていた。

 そして紅魔館のメイド長に関しては…何というか、ズルに近いものがある。

 正直に言わなくても、あの銀髪メイドが正面から来ることは殆どないだろうから。

 

 というよりも、霊夢自身彼女との接近戦は御免こうむりたいものがある。

 彼女が持っている能力は霊夢が知っている中ではかなり厄介で心臓に悪いという、非常に悪質なものだ。

 そして接近戦を避けたい理由はズバリ、彼女が一番得意とする獲物のナイフにあった。

 霊夢の御幣や魔理沙の箒とは違い、見た目と殺傷能力がストレート過ぎる青い柄の刃物。

 一人のメイドが持つには少々危なっかしい凶器を、彼女は体のどこかに何十本か隠し持っている筈だ。

 弾幕として大量の刃物を一気に投げつけてくる姿を見れば誰だって不思議に思うだろう。

 あのメイド長は一体何処からあれ程の゛キョウキ゛を取り出し、どうやって一斉に投げつけているだろうか?…と。

 

(まぁ、そのタネは複雑に見えて単純なんだけどね…―――って、アッ…)

 いつの間にやら幻想郷にいる顔見知りの事を思い出していた霊夢は、ふと我に返る。

 こんな何時襲われても仕方ない時に、あまり親密になりたくない人間二人の事を思い出しているのだろうか。

 霊夢は無に等しい反省を覚えつつ体を動かそうとしたとき、ふと自分が地面に座っている事に気が付く。

 どうやら自分でも知らぬ内に胡坐をかいて座っていたらしく、それに気づいた彼女の顔に思わず苦笑いが浮かぶ。

「何か…私が思ってる以上に体が疲れてるのかしらね?」

 脳内に浮かび上がる言葉をそのまま口に出した霊夢はその場で顔を上げ、空を仰ぎ見る。

 

 気が付くと青かった空に朱色がほんのりと混じり、夕焼けの空を作り上げている。

 水彩絵の具で描いたような雲の群れは夕日に照らされ、焼きたてのパンを思わせる色合いだ。

 今の霊夢がいる場所周辺は今の時間は陽が入らないせいか、ここへ来た時よりも更に薄暗くなっている。

 ここが幻想郷なら、後二時間ほどもすれば陽が完全に落ちて妖怪たちの時間が始まるであろう。

 

「あぁ、もうそんな時間なのね…どうりで疲れるわけか」

 一人呟きながら重くなった腰を上げた霊夢は、その場でゆっくりと欠神する。

 両手を天高く掲げ、無垢と言える程に綺麗な腋を晒す彼女の姿を見る者は生憎な事に一人もいない。

 ここに来るまで数々の異常事態に見舞われた彼女にとって、今は身体の力を抜くのに丁度いい時だった。

「さて…本当にどうしようかしら」

 上げていた両手下ろし、一息ついた霊夢はそう言ってこれからの事を考える。

 

 お札と針が切れ、スペルカードはあまり頼りにならないものばかり。

 偽者を捜して倒そうと思えば倒せるがその分苦戦するだろうし、何より無駄に痛い思いをするのは御免だ。

 自分のそれとほぼ同じ霊力で包んだ左手に殴られるところを想像して、霊夢はその身を震わせる。

 戦っていた時は一度も喰らわなかったが、アレをまともに受けていたら人間と言えど軽傷では済まないだろう。

 しかも霊力に包まれている最中は、剣になるどころか盾の役目も務めているらしい。

 最初に公園跡地で見つけた霊夢が奇襲代わりにとお札を投げつけたのだが、何とそれを左手一つで防いだのだ。

 あの光景を見たのならば誰だって、直接喰らわずとも相当危険な左手だと認識できるだろう。

 しかも自分の身を守ってくれる護符すら貼りつけてない今は、殺してくださいと言ってるようなものだ。

 

 つまり、最終的に倒すつもりではあるアイツと戦うのなら、今の状態では非常に苦しいのである。

 せめてお札と針を目いっぱい装備して護符も貼り直し、保険として強力なスペルカードも欲しいところだ。

 

「どっちみち倒すつもりだけど、やっぱりルイズ達のところか、もしくは学院へ一旦帰った方が良いかな?」

 心の中でこれからの事を考え終えた霊夢は一人呟き、路地裏からひょっこりとその身を出す。

 同じように荒んだ状態のまま放置された通りの真ん中に佇み、改めて周囲を見回した。

 旧市街地の大きさはブルドンネ街と比べれば、あまりにも小さい。

 ブルドンネ街が三とすれば、ここは三分の二程度しかないのである。

 通りを挟むようにして共同住宅が建てられているが、そこから人の気配は感じられない。

 目を凝らしてみれば建物の幾つかに大きな罅が入っており、まるで蚯蚓腫れの様に建物全体を蝕んでいる。

「人がいないとこんなに荒むなんて、まるでこの街の人間すべてが座敷童みたいね」

 周囲にある他の建物や道路にも小さなひび割れがあり、それに気づいた霊夢はポツリと呟く。

 

 大多数の者たちが新しい街へと移り住み、ここに残されたのは僅かな人々と退廃の空気。

 その人々は職を持たぬ浮浪者や犯罪者たちであり、彼らが街の為に何かをする筈もない。

 故にこの場所は死んだような気配を醸し出し、ここに住む者たちはそれに慣れてドブネズミのような生活を営む。

 移り住んだ者たちは目をそらし続け、新しい住処で人生を謳歌しつつこれからの発展を願い続ける。

 

 古い過去を捨てて、現在から未来を築くのが最善か?

 それとも醜い現実から目をそらし、古き良き過去を選んだ方が良いのだろうか?

 二つの疑問をまとめて抱いた霊夢は頭を横に振り、それを払いのけた。 

 彼女はこの街で生まれ育ったわけではないし、何よりここで生きていくという気も無い。

 どっちにしろ霊夢にとって、トリスタニアという都はあまり良い場所とは思えなかった。

 

(ルイズや魔理沙はどうか知らないけど…あたしには人里ぐらいが丁度いいわ)

 旧市街地の通りに佇み続ける彼女がそう思った時。――――それは聞こえてきた。

 

―――――捜せ

 

 それは急な戦いから離れ、一時の休息を堪能していた彼女にとって青天の霹靂であった。

「……ん?」

 くたびれきった通りを歩こうとした霊夢の耳に、誰かの声が聞こえてくる。

 まるで男性と女性のそれが混じったような声のせいで、相手の性別が何なのかわからない。

 それでも霊夢はキョトンとした顔を浮かべて振り向いたが、後ろには誰もいない。

 通りの端に生えた雑草が風でフワフワと揺れているだけで、生物の影すらないのだ。

 一体何なのか?そう思った時、またしても声が囁いてきた。

 

―――――戦え

 

「誰…誰かいるの?」

 考える暇もなく聞こえてくる性別不明な声に対し、霊夢は何となく声をかけてみる。

 男女混合のせいか酷いノイズになりかけている声と比べ、彼女の声はあまりにも綺麗だ。

 気の強さと清楚さが伺える美声は誰もいない旧市街地に響き渡るが、返事は無い。

 きっと神の如き天から見下ろせば、誰もいない通りで一人声を上げる巫女の姿は奇妙であろう。

 遠くから聞こえてくるアホゥアホゥというカラス達の鳴き声は、そんな彼女をあざ笑っているかのようだ。

 何なのだろうか。そう思った時、霊夢はハッとした表情を浮かべる。

 思い出したのである。いま体験している出来事がつい一時間ほど前にもあったという事を。

(そういえば、レストランを出る直前に…)

 心の中で呟いて思い出そうとしたとき、またも声が聞こえてくる。

 

 

―――――殺せ

 

 何処からか聞こえてくる声は、博麗の巫女へ物騒な事を囁いてくる。

 通算で三回目となる声はしかし、先に出てきた言葉よりも過激さが増していた。

(はぁ?…殺す?何を殺せばいいのよ)

 常人なら怯える筈の声に対し、嫌悪感丸見えの表情を顔に浮かべた霊夢は心の中で突っ込みを入れる。

 既によく似た異常事態を体験してきた彼女にとって、これはもう動揺する程の事でもない。

 だからこそもしやと思い、ふと自分の視線から外れていた左手に目をやった。

 何も持っていない彼女の左手の甲。そこに刻まれているルーンが青白い光を放っている。

 左全体ではなくルーンだけが光っているその光景は、誰の目から見ても異常としか認識されないであろう。

 事実、ついさっきまでいたレストランでこれを見た霊夢はおろか、その場にいたルイズや魔理沙も驚いていたのだから。

(ホント参るわぁ…どうしてこう、落ち着いてきたって時に厄介事が舞い降りてくるのかしら)

 二番煎じに近い謎の声に対し、そろそろ辟易に近い何かを感じ始めた時であった。

 

―――――殺せ

 

 四度目となる声を聞いた直後、ふと頭に痛みが走るのを感じた。

 まるで頭の中を直接指で突かれたような感触を覚えた彼女の右手は、無意識に頭を押さえる。

 時間にすれば一瞬であったそれに、思わず怪訝な表情を浮かべた瞬間―――それは始まった。

 

 

「……――――…つッ!!」

 一瞬だけ感じたあの痛みが先程より何倍も強いモノとなって、彼女の頭の中を巡り始めたのである。

 狂った野獣と化した刺激は彼女の頭を走り回りながら、縦横無尽に引っ掻きまわしていく。

 突然であり強烈な頭痛に流石の霊夢も声を上げ、頭を抱えてその場に蹲ってしまう。

 人気のない旧市街地の通りに人が倒れる音が響きわたるも、それを聞いて駆けつけてくる者など当然いない。

 先程までウンザリしたとような表情を浮かべていた彼女の顔には、苦痛の色がハッキリと見えている。

 文字通り廃墟の中にいる霊夢はたった一人だけで、痛みに苦しんでいた。

 

「あぁっ…つぅっ、…イタ…あぁっ…!」

 傍から見れば頭を抱えて土下座しているように見える彼女の口から、苦しげな喘ぎ声が漏れている。

 彼女の声を聞く者が聞けば、今感じている痛みがどれぐらいのものかある程度分かるかもしれない。

 それ程までに、今の霊夢は自身の想像を軽く超えていた強烈な痛みに襲われていた。

 唐突な刺激に声も出せず、状況把握すらできない彼女に追い打ちをかけるかのように、再び声が聞こえてくる。

 

 

―――――殺せ

 

「ぁあっ!…あぁあぁっ!!」

 五度目となる声は霊夢の頭の中に響き渡り、それが痛みをより激しいものへ変化させる。

 喘ぎ声は小さな叫び声となり、蹲っていた彼女の体から力が抜けてその場に倒れ伏した。

 それでも尚止むことは無い頭痛に頭を掴む指の力を強め、横になった体が魔意識に丸まっていく。

 投げ出された両足の膝が丁度の顎に当たりそうなところで動きが止まる。けれど痛みは止まらない。

 

 頭の中を直接フライパンで叩かれているかのような痛みは彼女の体を蝕み、心さえも汚し始める。

 胎児の様に丸まった霊夢の叫び声には涙声が混じり始めたその姿は、痛みに屈しかけているとも言えた。

 最も、それに屈したところで痛みが消えるモノならばとっくにそうしているだろうが。

 しかしどう屈せばいいのか、そもそも何故こんな事になっているのかさえ彼女には分からなかった。

 そして、なぜ自分がこんなに目に遭うのかという理不尽さを抱いた霊夢は…

 

(何よ…私が一体なにをしたっていうのよ……何を…!)

 

 叫んだ。そう、痛みに潰されそうな心の中で

 姿すら見せない正体不明の声の主と、自身の頭を這い回る激痛に対して叫んだのだ。

 それが奇跡的にも、六度目となる謎の声は彼女の叫びに応えたのである。

 

 

―――――武器を、持て

 

 

 耳を通して激痛走る頭の中に、再び声が聞こえてくる。

 男か女とも知らぬその声はしかし、五度目のそれと違い無駄に頭痛を刺激しなかった。

 まるで痛む部分だけを避けるかのように、身体を丸めた霊夢の耳に入ってくる。

 そして一呼吸置くかのように数秒ほどの時間を空けて、謎の声は彼女に囁き続ける。

 

 

―――――相手を突きさす槍や、切り裂く剣を見つけ出し、その手に持て

 

 

(武器を……―――手に、持て…?)

 

 先程のそれとは違う声の言葉に、霊夢がそう呟いた直後であった 

 

「―――――はっ!…――あ―イタ…?―…っぅあ…えぇ…?」

 

 今まで彼女の頭を蝕んでいた激痛が、何の前触れもなくフッと消えたのである。

 

 

 まるで肩の荷を下ろした時の様な間隔に襲われた彼女は、閉じていた目をカッと見開かせる。

 次いであんぐりと開いた口から酸素を取り入れて吐き出すという事を何回か繰り返し、忙しげに深呼吸を行う。

 ガッシリと力を入れていた手の指から力を抜きながら自分の頭を擦り、もうあの痛みが過去のモノになった事を理解した。

 丸めていた体からも力が抜けたかと思うと、皮膚から一気に滲み出てきた汗が彼女の服に染みこんでゆく。

「消えた…の?」

 確認するかのように一人呟いた時、彼女の額から一筋の冷や汗が垂れ落ちる。

 常人ならば泣き叫んでいたで痛みを味わいながら、霊夢はその目から何も零してはいない。

 その代わりと言うのだろうか?最初に落ちた一粒を始まりにして、何粒もの汗が彼女の顔を伝って地面に落ちていく。

 右腕を下にして寝転がっているせいか、顔から滴り落ちる大量の汗が彼女の右肩を濡らし始めていた。

 

「一体何だっていうのよ、今のは」

 これ以上倒れていても意味はない。そう判断した霊夢は立ち上がる。

 季節が夏に近いという事もあってか、既に彼女の体は冷や汗でぐっしょりと濡れていた。

 

「あ~…何だって今日は、こんなにも運が悪いのかしら?」

 服まで汗まみれの彼女は嫌悪感が混じるため息をつきつつ、先程の言葉を思い返す。

 彼女を一分ほど苦しめた突然の頭痛を消し去ったであろう声は、武器を手に取れと言っていた。

 それもわざわざ左手で取れと細かい注文をしていたのも、当然覚えている。

 一体なぜあんな事を言った来たのか?そもそも頭痛の原因は何だったのだろうか?

「考えれば考えるほど泥沼に浸かるなんて事は…これが初めてね」

 何がどうなっているのだろうか?理解不能な状況に見舞われている霊夢は無意識に頭を掻き毟る。

 冷や汗で濡れた髪に触れた途端、冷たさよりも先に不快感が湧きあがってくる。

 さっきまで唐突な頭痛に苦しめられた彼女の息は荒く、立っているだけで精一杯という感じだ。

 

「…何かもう、やる気とか戦意がバカみたいに無くなっちゃったわ」

 足がふらつくのを何とか堪えつつ、霊夢は気怠そうに呟く。

 本当ならまだ近くにいるかもしれない偽者探しと行きたかったが、生憎そうもいかなくなった。

 手持ちの武器は少なく、それに追い打ちをかけるかのごとき強烈な頭痛と武器を探せとかいう変なアドバイス。

 そして頭痛が治まった後に出てきた大量の汗で、全身びしょ濡れという悲惨な状態。

 色んな事がいっぺんに起きたおかげか、今の霊夢にやる気というモノは無くなっていた。 

「とにかく、学院へ帰れたらお風呂に入ってすぐ寝よう。また頭が痛まないうちに…」

 心が真っ青になりつつある彼女は一人呟きつつ、未だに光り続ける左手のルーンへと目をやる。

 

 まるで数匹の蛇がのたくって出来たようなソレは、ルイズの使い魔である何よりの証拠。

 そしてこれまで出会ってきたこの世界の住人たちの話を聞いて、何て読むのかは聞いていた。

 ガンダールヴ。今から約六千年前…゛始祖ブリミル゛というメイジが使役していたらしい使い魔。

 ありとあらゆる武器や兵器を使いこなし主人を守ったその姿から、「始祖の盾」やら「神の左手」という異名があるらしい。

 しかし今の霊夢には、どうにも鬱陶しい事このうえない呪いのルーンだった。

 

「ガンダールヴだか何だか知らないけど…いい加減光るのをやめてくれない?」

 彼女はそう言って、光る左手を光っていない右手でペシペシと叩いた。

 それで光が止まる事もなく、煌々と輝くルーンを相手に苛立たしい気持ちが湧き上がってくる。

 人や動物に物が相手ならまだしも、使い魔のルーンに対し怒りを覚える使い魔はきっと彼女が初めてであろう。

 最も、霊夢自身は誰が何と言おうとルイズの使い魔になる気は全くないので仕方ないとしか言えない。

「このまま一生…って事はないと思うけど、何時になったら消えるのかしら」

 叩いてどうにかなるモノではないと感じた霊夢は忌々しげに呟き、チクトンネ街へ向けて歩き始める。

 力を抜けばふらついてしまいそうな両足で地面を踏みしめる彼女は、このルーンをどうしようか悩んでいた。

 このままバカみたいに光り続けてくれたら目立つだろうし、今後の生活にも影響してくる。

 

 

 想像してもらいたい。左手が光り続ける博麗霊夢の一日を。

 

 朝起きて、顔を洗おうとすると光手が光っているのに気付き何かと思い見てみると、目にしたのはガンダールヴのルーン。

 服を着てルイズや魔理沙と一緒に食堂へ向かい、朝食を食べている最中にも光り続ける左手。

 朝食が終わり部屋に戻ってデルフと暇潰しをしている最中にも、空気を読むことなく光る使い魔の証。

 お昼になれば一足先に食堂へと入り、後から入ってきたルイズたちに向けて光りの尾を引く左手を振る霊夢の姿。

 午後は軽くお茶を嗜んでから昼寝をしたいというのに、無駄に神々しく光るルーンでベッドに寝転がっても中々寝付けない。

 夕食を食べ終え風呂に入ってからの就寝でさえもルーンは光り続け、疲れ切った彼女の顔をいつまでも照らしている。

 

 博麗霊夢にとって何の変哲もない一日は、ルーン一つで異常なモノへと変貌してしまうだろう。

 

 

「少なくとも…今夜までにはどうにかしないと」

 左手が光り続けるかもれしれないこれからの人生を想像し、身震いした霊夢は小さな決意を胸に秘めた。

 とりあえずルーンの事は一応ルイズに聞くとして、どうやって光を止めるのか考えなければいけない。

 彼女がそれを知っていれば苦労はしないが、それはないと霊夢自身の勘が告げていた。

 今日はとにかく自分の考えている事とは違う方向に動き過ぎているうえに、まだそちらの方へ進み続けている。

 本来ならルイズや魔理沙と一緒に学院行きの馬車に乗っていたかもしれないのに、実際には廃墟の中に一人いる始末。

 ただの買い物目的で街へ赴いたというのにこんな事になってしまった事自体、運が悪いとしか言いようがないだろう。

 

 つまりルイズの所へ行っても今の状況が良い方向に向くとは限らない。彼女の勘はそう告げているのだ。

 だからといって何かしら動かなければ状況は変わらないし、ルーンが光ったままでは鬱陶しいにも程がある。

 じゃあどうすればいいのだろうか?それを考えようとした霊夢はしかし、既にその答えとなるヒントを自分で出していたことに気づく。

 無論それを覚えていた彼女は暫し顔を俯かせたのち、盛大なため息をついた。

 結局のところ、それが今一番考えられる最善の答えかという感想を心中で漏らしつつ、一人呟く。

「やっぱり…見つけちゃったのなら何とかしとかないと、ダメなのかしらねぇ?」

 面倒くさい仕事に取り掛かる前の愚痴と言える言葉が出た瞬間…

 

―――――来る

 

 見計らったかのように、性別すらハッキリしない謎の声が聞こえてきた。

 通算七回目となるそれには、六回目までには無かった何かが含まれている。

 ここで聞こえた今までの声は淡々と話しかけてくるような感じだったのだが、今の声は違っていた。

 まるで誰かに注意するかのような、僅かではあるが焦燥と警戒心に近い何かをその声から感じ取ったのである。

 霊夢は何処からか聞こえてくる声に対し何も言わず、ただその場で軽く身構える。

 既に彼女は気づいていた。妙な懐かしさが感じられる殺気が背後から近寄ってくる事に。

 

「わざわざ其方から来てくれるなんて。随分御親切じゃないの」

 後ろにいるであろう相手に、霊夢は心のこもっていないお礼を述べた。

 その直後、後ろの方から此方へと近づいてくる足音が聞こえてくる事に気づく。

 ゆっくりとした歩調で足を進める相手の殺気は、酷いくらいに冷たい何かが含まれている。

 そして、殺す意味は知らないがとりあえず殺せばどうにかなるだろうという投げ槍的な適当さも感じられた。

 そんな相手が近づいてくるのにも関わらず、身構えたままの霊夢は暢気そうに言葉を続けていく。

 

「丁度こちらも捜そうと思ってたんだけど、色々と可笑しい事があったから帰ろうとおもってた最中なのよ」  

 気楽そうに話しかける彼女の姿は、まるで故郷の友人と異国の地で出会ったかのようだ。

 しかし、相手から漂ってくる殺気がそれで消えるはずもなく足音は段々と大きくなっていく。

 背中を向けているために正確な距離は分からなかったが、そんな事はどうでもよかった。

 ただ、後ろの相手がどのタイミングで一気に近づくか、今の霊夢にとってそれが一番の悩み事であった。

 そんな時、またしても謎の声が聞こえてくる。

 

――――武器を、取れ

 

 

「で、その可笑しい事ってのがね、何処からか声が聞こえ来るのよ」

 しつこいくらいに囁いてくる謎の声を無視するかのように、霊夢は後ろの相手に話しかける。

 体が石になったかのようにじっと身構え、自分が捜そうとして向こうから来た相手の出方を待っていた。

 その間にも足音は近づいてくるのだが、彼女は振り返ろうともしない。

 ただじっと体を動かさず、相手がどうでてくるか背中越しに伺っている。

 ひしひしと感じられる殺気をその身に受けながら、霊夢はまたもその口から言葉を出した。

 

 

「――もしかして、その声が聞こえる原因は…アンタにあるのかしら?」 

 霊夢がそう言った瞬間だった、聞こえ初めて一分ほどが経つであうろ足音に変化が起こったのは。

 

 

 先程までの霊夢が何を言っても止まる事の無かった足音のテンポが…一気に速いモノへと変わったのである。

 ゆっくりと歩いていた感じのソレはあっという間に早歩きへと変わり、足音の主は霊夢の方へと近づいてきたのだ。

 その時になってようやく霊夢は素早く振り返り、慣れた動作でもって急ごしらえと言える結界を自身の目の前に展開する。

 幻想郷にいる人間の中ではトップに入るほど結界のプロであり、尚且つ博麗の巫女である彼女作りだす結界。

 見た目は青白い半透明の板であってもその防御力は桁外れであり、ちょっとやそっとの攻撃では壊れない程度の強度はある。

 

 しかし、振り返った先にいた相手はその結界の程度を把握していたのだろう。

 霊夢と同じように光る゛左手゛を勢いよく前に出し、それを結界へと突き刺した。

 

 直後、鏡が割れるような耳に良くない音が人気のない通りに響き渡る。

 霊夢の結界をいとも簡単に突破した相手の゛左手゛は力強く放たれた矢の如く、その指先でもって霊夢の顔を貫かんと迫ってくる。

 だがあと少しというところで゛左手゛が不自然に揺れ動き、眼前で停止した指先を霊夢はジッと凝視していた。

 

 結果的に割れる事は無かった結界だが、相手の先制攻撃を完璧に防ぐ程度の力は無かったらしい。

 数秒ともいえぬ短い時間で作られたそれの真ん中に突き刺さった相手の左手があり、そこを中心にして結界に罅が入り始める。

 薄い氷を割るような音が微かに聞こえるなか、酷く落ち着いている霊夢は相手に向けてこう言った。

 

「もしそうなのなら手加減は出来ないけど、それ相応の事をしたんだから恨まないでよね」

「――――面白い事言うじゃないの。…それなら」

 彼女の口から放たれたその要求に対し相手―――偽レイムは淡々と返しつつ言葉を続ける。

 

 

 

「私がアンタを殺しても、恨むのは無しってことよね?」

「あら、悪いけど私は恨むわよ。だって何も知らないままで死ぬのは嫌ですから」

 不気味なくらいに赤色に光る瞳に睨まれながらも、霊夢は自分の事を棚に上げて宣言した。

 互いに左手を光らせ、その身を退かせることなく罅割れていく結界越しに睨み合う二人の霊夢。

 どちらかが倒れるまで終わる事のない戦いが、今まさに始まろうとしている。

 

 

 そんな時であった。偽レイムの手が突き刺さった結界が、音を立てて盛大に弾け飛んだのは。

 少女と少女の戦いの始まりを告げるゴングの音は、あまりにも綺麗で儚い音色だった。 

 チクトンネ街から少し出ると旧市街地の入り口があるが、そこから先は殆ど人気が無い。

 人々が集う飲食店や酒場も無いここは、既に放棄されて久しいと言っても良いくらいの場所であった。

 唯一目につくものと言えば、かつては多くの人を迎えたであろうアーチが立てられた入り口とその真下に作られている一つの台座だ。

 旧市街地へ入ろうとするものを拒むかのような古びたアーチにはどんな事が書かれ、台座の上にはどんな像が置かれていたのだろうか。

 それを知る者はこの場におらず、知っている者もきっとここへ戻ってくることは無いだろう。

 文字通り死した大地とはこの街の事を示すに違いない。今のここは活気を失い、座して滅びを待つ者たちの吹き溜まりだ。

 こんな場所へ何の用事も無しに訪れる者は、きっと余程の変わり者ぐらいであろう。

 しかし、今日は始祖が気まぐれにも救済の手を差し伸べたのか、二人の少女がこの街へ入ろうとしている。

 孤独死を静かに待つ老人の如きそんな場所に、ルイズと魔理沙の二人は佇んでいた。

 

「レイムの居場所はわかったけど…何でよりにもよって旧市街地に来なきゃいけないのよ」

 魔理沙の後ろにいる彼女はそう呟き、旧市街地の入り口を軽く見回す。

 ルイズの顔には苦虫を踏んでしまったかのような表情が浮かべており、入りたくないというオーラが身体から漂っている。

 ある程度トリスタニアを知っている彼女は、ここがどれ程危険な場所なのか把握していた。

 犯罪者や浮浪者の溜まり場であり、尚且つ崩壊寸前の建物が幾つも放置されているという立ち入り禁止の土地。

 実際は立ち入り自由なのだが、ルイズは意識してこの旧市街地に近寄る事を今の今まで避けていた。

 

 しかしそんな彼女とは対照的に、ルイズの前にいる魔理沙は楽しげに口を開く。

「へ~…トリスタニアってこんな場所もあるのか。今の今まで知らなかったよ」

 彼女はそう言うと顔を上げ、自分たちよりも十メイル程上にある木造のアーチと、そこに取り付けられている赤錆びた鉄看板を見つめる。

 風雨に晒されるばかりか虫に喰われた箇所が痛々しいアーチは、いつ崩れてもおかしくは無い。

 そしてアーチの上部にある広いスペースに取り付けられている鉄製の看板には、きっと歓迎の言葉が書かれていたのだろう。

 しかし、それもまた数十年の歳月をかけてアーチより更に汚れ、今では屑鉄として処理されるしかないガラクタと化していている。

 一見すればお化け屋敷の入り口だと錯覚してしまうそれを魔理沙は興味津々といった目で見つめ、一方のルイズは嫌悪感たっぷりの瞳で睨みつけていた。

 

「しっかし相当古い所だよな~。幻想郷にある数多の廃屋が結構まともだと思えてくるぜ」

 上げていた顔を下ろし魔理沙がルイズに向かってそう言うと、すぐにルイズは口を開く。

「ふーん…それほどの良い家ばかりなら是非とも見せてくれない?ここより酷かったらタダじゃ済みませんけど」

 隣の少女へ嫌味を含めて送ったルイズの言葉はしかし、「おっと、そう言われると自身が無くなってしまうな」と呆気なく返される。

 ここで自分の言葉に乗ってくれるかと思っていたルイズは、ムッとした表情を浮かべて魔理沙を見やる。

 そんな自分とは対照的にニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべる魔法使いを見て、彼女は不満気な顔のままため息をついた。

 

「ユカリのヤツ…まさか適当な事言って、あたし達から今のレイムを引き離してるんじゃないのかしら?」

 ルイズはそう言って、ここへ至るのまでの経緯を軽く思い出そうと脳内で時を巻き戻し始めた。

 

 

゛霊夢は今旧市街地にいる。行くというのならできるだけ早く行った方がいいわよ?゛

 

 ついカッとなったルイズに足を踏まれ続けていた八雲紫は、痛みに耐えながらも二人にそう教えていた。

 当初はルイズがあまり役に立たないという事で、姿を消した霊夢を追いかけるなと警告した大妖怪。

 しかし、戦力外扱いされた本人はそれで見事に憤り、結果自分をけなした妖怪にキツイ一撃を与える事に成功した。

 本当は拳骨をお見舞いしたかったが失敗し、半ば自棄的に足を踏みつけたのが功を成したと言える。

 両者一歩も引かぬ光景を魔理沙が傍観する中、ルイズはこれからの決意を紫に伝えたのだ。

 

 それを聞いて根負けした…ワケでは無いのかもしれないが、紫は微笑んだのである。

 まるで戦場へ赴く事を決意した我が子を見る母親の様に、優しくも何処か遠い場所を見つめているかのような微笑みであった。

「そこまで言うのなら教えない、と言うワケにはいきませんわね」

 紫はこちらを凝視するルイズに向けてそう言って、今の霊夢がいる場所を教えてくれたのだ。

 いつもと違いやけにあっさり話してくれたことに二人は疑問を持ち、一回だけ魔理沙がその事について尋ねていた。

「珍しいな?いつものお前なら難しい言葉でも出して退散すると思ったんだが」

 黒白の質問に、紫は鼻で笑いつつ丁寧に答えてくれた。

「知ってるかしら?貴女達を含めた周りの者たちが思うほど、私は悪質ではありませんの」

 無論、仏の様に優しくもありませんけどね。最後にそんな言葉を付け加えた後、紫はその口を閉じた。 

 

 

 その後、彼女は「少し用事があるから」という理由で自ら開いたスキマを使ってその場を去ってしまった。

 一体何の用事なのかと一時は訝しんだのだが、それを考えるよりも優先すべき事がありすぐに忘れてしまった。

 その優先すべき事を消えたばかりの妖怪から聞いたルイズは魔理沙と一緒に、チクトンネ街からある場所へと向かった。

 日が暮れるにつれて人混みがきつくなっていく通りを抜けた彼女らは、ここ旧市街地までやってきたのである。

 

 

 そして時間は戻り、廃墟群の前にたどり着いたルイズと魔理沙が入り口の前で佇む今に至るのであった。

 

 

「…まぁ紫の言う事が本当かどうかは知らないが、すごい所が街中にあるもんだな」

 ルイズの言葉にとりあえず肯定の意を示しながらも、魔理沙は旧市街地の入り口周辺を見回している。

 とりあえず応えてみたという魔理沙の言葉に目を細めるが、まぁ彼女が驚くのも無理は無いと感じていた。

 ブルドンネ街やチクトンネ街と比べやや古い空気を残す街並みは、時代に取り残された証拠と言っても過言ではない。

 時と共に増え続ける人口によって不便になる水回りの環境や狭い通りは、人々を新しい街へ移住させるきっかけともなったのだから。

 

 ハルケギニア大陸の主な国々の首都や王都にも旧市街地はあるが、トリスタニアの様に明らかな廃墟化はしていない。

 ガリアのリュティスは幾年もの工事で平民たちの不満をある程度取り除き、ゲルマニアのヴィンドボナでは家屋を取り壊して工場を作った。

 聖都ロマリアでは最近になって難民たちの生活場所になり、アルビオンのロンディニウムには今も多くの人々が暮らしている。

 そんな中であっという間に過疎化が進み、犯罪者や働く気のない浮浪者たちのたまり場となった場所は、ここトリスタニアだけだ。

 

 更に旧市街地自体はいまだ原型を保っている事と多くの人が今も出入りしているという理由で、立ち入り禁止の看板さえ立てられない現状。

 碌な整備もされないせいで通りも建物も荒れに荒れた今では、何も知らない異国の人間が見れば驚くのも無理はない。

 何せハルケギニアでも有数の観光名所である王都の中に、場違いとも言える廃墟が存在しているのだから。

 しかし観光客の中にはこういう場所が好きだという人達がいる事を、ルイズは雑学の一つとして知っていた。

(実際に目にするのは初めてだけど、コイツの性格を知ってると墓荒らしの類かと思えてくるわね)

 初めて訪れる旧市街地にワクワクを隠せない魔理沙を見ながら、ルイズはそんな事を思っていた。

 

 魔理沙が旧市街地をこの街の名所(?)の一つとして見ていたが、その一方でルイズはあまり縁起の良くない場所と思っていた。

 先程呟いた言葉が示すように、今更ながら紫の情報は本当なのかと疑い始めていたのである。

 最初に聞いたときは早く霊夢の所へ行かねばと急いでいたが、ある程度落ち着いた今ではその気持ちも薄らいでいる。

 そして、段々と冷静さを取り戻す彼女はぽつぽつと思い出していた。ここ旧市街地に関するあまり噂の数々を。

 

 肝試し気分で深夜にここを訪れた若者たちが浮浪者たちに襲われ、そのまま帰らぬ身になったという話。

 地下水道に潜むゴーストや、謎の病原菌が蔓延しているという都市伝説の類。

 当時の王家が隠したという財宝が、今もどこかに隠されているという美味すぎる噂。

 他にもあるかもしれないが、少なくともルイズが知っている旧市街地の噂はそれ程多くは無い。

 だが腰を入れて探そうと思えば…百科辞典一冊分は無いにしても、それなりの情報は手に入れられるだろう。

 それ程までにこの場所は怖ろしいくらいに怪しく、暇つぶしのネタにもってこいの土地であった。

 しかしルイズからして見れば絶、ここは対に近寄りたくない忌み嫌われた場所なのは違いないのだ。

 

 本当ならば自分の前にいる異世界人にもそれを教えたい所であったが、彼女はそこで悩んでいた。

(どうしよう…コイツに教えたらもうレイムを捜すどころじゃ無くなる気がするわ)

 もしも目の前の相手が魔理沙以外の人間なら、ここの噂を聞いて予想通りの反応を見せていただろう。

 例えば、若者たちが行方不明とかゴーストの話を聞かせれば多少なりとも自分の気持ちを理解してくれるに違いない。

 だが、魔理沙やこの場にいない霊夢の二人にそんな事を話しても、それで怖がるという場面が想像できないのである。

 むしろそれで怖がる自分を馬鹿にしたり、予想よりもずっと斜め上の反応を見せてくれるのではないかと危惧していた。

 

 霊夢は鼻で笑ってくるだろうし、魔理沙に至っては話を聞き次第本当かどうか確認しに行くだろう。

 実際にそうなるかどうかはわからないが、少なくともルイズはそういう事になるなと予想していた。

 自分の話に斜め上の反応を見せてくれるかもしれない二人の姿を想像し、ルイズは無意識に呟いてしまう。

「言えるワケ無いわよね、面倒事になるのなら…」

「お、面倒事ってなんだ?何やら随分と面白そうな話がありそうじゃないか」

 あまりにも意味深すぎる彼女の言葉に対し魔理沙が反応するのは、必然としか言いようがなかった。

「えっ?――あ、うぅ…」

 まるで子供の様に無邪気な瞳で見つめられるルイズはしまったと後悔しつつ、どう答えようか迷ってしまう。

 

 思い切ってここの噂を話そうか、もしくは何でもないと言って誤魔化すか。

 正直言ってどちらの方を選んでも良くない事が起こりそうだと、この時の彼女は薄々感じていた。

 仮に噂話を教えてしまうとなると、この黒白が唐突な探検を始める事は碌に考えなくとも予想できる。

 かといって何もないと言えばこちらの根が折れるまで問い詰めてくるだろうし、そうなればここで立ち往生してしまう。

 旧市街地へ来たのはあくまでも霊夢の捜索をする為で、都市伝説の真相を確かめに来たのではないからだ。

 

 どんな言葉で返そうか迷っている彼女は、ふと先程の出来事を思い返す。

 それは霊夢の様子がおかしくなった直後に、ガンダールヴのルーンが光り出したことであった。

(何でルーンが光ったのかわからない…けど、良くない事が起こりそうな気がするわ)

 彼女は心の中で呟きつつ、自分の心が不安に包まれていくのを感じてしまう。

 契約直後とワルドの魔の手から救ってもらった時以外、あのルーンが光ったところを今まで見たことが無かった。

 不思議に思ったが本人曰く、自分の能力に関係していると言っていたのでそれが答えなのかもしれない。

 しかし契約直後はともかくとしてアルビオンの時にはそれを光らせ、見事な剣術を見せてくれた。

 何であの時にガンダールヴの力が働いたのだろう?あの日から二ヶ月近くも経つが、ルイズは今でも疑問に思っている。

 当の本人にそれを聞いてもわからないと言っていたし、幻想郷に帰った時も答えらしい答えは見つからなかった。

 

 ただ…異変解決の為に霊夢と一緒に自分の世界へ戻ろうとした直前、紫はこんな事を言っていた。

「この答えは今出てこないが、後で自ずと出てくるかもしれない」と。

 

 

(今回の事…もしかして、それが答えに繋がるのかしら?) 

 

 ほんの少しだけ過去の出来事を思い出していたルイズは、何回か瞬きをしてから現実へと意識を戻す。

 そして後悔する。面白い情報を探り出そうとしている黒白の魔法使いが、すぐ傍にいたことを忘れていたのだ。

「何を黙ってるんだルイズ?黙ってても私は何処へも行かないぜ」

 自分の返事に期待しているであろう魔理沙の言葉に、彼女はため息をつきたくなった。

 知り合いが大変な目に遭ってかもしれないというのに、この魔法使いはくだらぬオカルト話に浮かれている。

 他人との付き合い方も幼少の頃に学ばされたルイズにとって、あまり見過ごしておける人間ではなかった。

(でもここで喰いかかると色々面倒な事になりそうだし…どうしようかしら)

 呆れてはいるものの、答えがみつからない事にルイズが頭を悩ませている時―――゛彼女゛は現れた。

 

 まるで突風のようにやってきた゛彼女゛は燃え盛る炎の様な髪を揺らし、ルイズへと近づいていく。

 考え事をしているルイズは背後から来る気配に気づかず、ルイズの方へ視線を向けている魔理沙も同様であった。

 人々の活気と雑踏が遠くから聞こえるこの場所で靴音を鳴らし、赤い髪の少女はルイズたちへ近づいていく。

 ルイズと同じデザインのローファーを履いた足で、ある程度近づいた少女はスッと息を吸い込み…ルイズたちに話しかけた。

 

 

「あらあら?何かと思えば…ヴァリエールと怪しげな黒白が肝試しの準備をしてるじゃない」

 

 

 背後からの声にルイズは驚いた。まるで灼熱の中で踊る炎の女神を連想させる、美しいその声に。

 そして何より、どうして声の主である゛彼女゛がこの様な場所へとやってきたのだろうかという疑問を覚えてしまう。

 ルイズと同じタイミングで気づいた魔理沙も声の主を見てから、意外だと言いたげにアッと声を上げる。

 この世界…というより魔法学院へ来てからというものの、゛彼女゛の赤い髪を忘れたことはなかった。

 それ故に他の生徒たちが呟いていた゛彼女゛の名前と、持っている二つ名もしっかりと覚えている。

 

 

「それを羨む事は無いけれど、もう学院に帰らなくて大丈夫かしら?」

 目の前の二人がそれぞれリアクションを見せた所で゛彼女゛こと、キュルケは尋ねてきた。

 浅黒い肌に似合うその美貌、怪しげな微笑を浮かべながら。 

「き…キュルケ!」

「ハロローン、今夜も良い双月が見れそうねヴァリエール」

 急いで振り返ったルイズがその名を呼ぶと、キュルケは右手を軽く上げて挨拶をする。

 驚愕の態度を露わにしている彼女と比べ、余裕綽々といったキュルケの顔には笑みが浮かぶ。

 怪しげな雰囲気を放ちながら何処か他人を小馬鹿にしているような嘲笑にも似たソレを見て、ルイズは顔を顰める。

 ルイズとキュルケ。この二人の仲が悪いという事は、魔法学院の中では知らない者の方が少ないくらいだ。

 何せ先祖代々争ってきたのだ。犬と猿、ウツボとタコの間柄と同じく゛相性の悪い組み合わせ゛なのである。

 それでも新しい世代である二人の仲は何も知れない者が見れば、それ程悪いというものではない。

 どちらかの機嫌が悪くなければ軽く話し合う事はあるし、同じ席でお茶を飲むこともあった。

 少なくとも今の所は、かつてのように恋人を奪い合ったりその果てに殺し合うという事は無くなったのは確かだ。 

 

 

 最も、今の状況では殺し合いといかなくても、両者の間で壮絶な口喧嘩が起こりそうな雰囲気があった。

「何しに来たのよ。派手好きなアンタがこんな所に来るなんて」

「別にぃ~?ただチクトンネ街で遊んでたら、眼の色変えた知り合いが旧市街地へ走って行ったからついつい…」

 自分の質問に肩を竦めながらしれっと答えたキュルケに、ルイズは唇を噛みそうになるがそれを堪える。

 ただでさえ厄介な状況に陥っているうえに追い討ちをかけるかの如く現れた今の彼女は、予想外のイレギュラーだ。

 そして彼女の言葉から察するに、どうやら自分と魔理沙を追いかけてここまで来たのだとすぐにわかる。

 軽く驚いた表情を浮かべたままのルイズは、今回の事に彼女が首を突っ込んでくるのではないかと危惧していた。

 魔理沙への返事を一時保留にしつつどう答えようかと思ったその時、後ろから余計な声が聞こえてきた。

「おぉ、誰かと思えばいつもタバサと一緒にいるヤツじゃないか」

「ちょっ…!?あんた!」

 よりにもよってこんな時に空気を読まない魔理沙の発言に、ルイズは血相を変える。

 いくらなんでも自分とキュルケの間に流れる雰囲気を察せれると思っていたが、全くの期待外れであった。

 黒白に「ヤツ」と呼ばれたキュルケは笑みを崩さないものの、その体から発する気配に変化が生じる。

 今まで穏やかだったそれに、弱火の如き僅かな怒りが混じり込む。

 魔法は使えないが、メイジであるが故に相手の魔力を感じられるルイズは思わず舌打ちしたくなる。無論、魔理沙に向けて。

 霊夢が消えたうえにこれから彼女を捜そうという時にキュルケが絡んでしまうと、もはやどうしたら良いか分からなくなってしまう。

 それを避けようとしていた矢先に魔理沙の言葉である。舌打ちどころか鞭打ちでもしてやりたい欲望に駆り立てられる。

 生憎にも鞭を持っていないのでしたくてもできないが、場違いな発言をした黒白に怒鳴る事はできた。

 

「アンタ、この場の空気も読めないの!?わざとアイツを怒らせるような事言って!」

 今まで堪えていた分も合わせて怒鳴ったルイズであったが、魔理沙は涼しげに対応してくる。

「いやぁー悪い悪い、名前は覚えてたし悪気は無かったんだがなぁ」

「どこが「悪気は無かった」よ?さっき喋った時に嬉しそうな表情浮かべてたじゃない」

 キュルケを「ヤツ」と呼んだ時の彼女の顔を思い出しながら、ルイズは言った。

 痛い所を突かれたと感じたのか、魔理沙は左手で頭を掻きながらその顔に苦笑いを浮かべてしまう。

 しかしそこからは反省の色が全く見えず、ルイズは歯ぎしりしそうになるのを抑えつつ怒鳴り続ける。

「大体ねぇ、今からレイムを捜そうっていう時に何で真面目になろうって思わないの!?」

「それはお前が、ここら辺の面白そうな話を知ってると思ったからさ。実の所霊夢よりも、そっちの方が気になってるんだぜ?」

「…~っ!アンタってヤツはホント…」

 悪びれることもなくそう言い放った魔理沙にキツイ一発でもかましてやろうかという時であった。

 突如二人の間に挟まれるようにして、キュルケが話に割り込んできたのである。

 

「ねぇねぇ、あの紅白ちゃんが消えたってどういう事かしら?何か気になるんですけど?」

 

 その言葉に応えようとした瞬間、相手が誰なのか気づいたルイズは目を見開いてサッと口を止めた。

 右手で口を押えたものの直前「あっ…!」と小さな声が漏れてしまい、その様子を見ていたキュルケはニヤニヤと笑う。

 まるで相手の言質を取った悪徳商人が浮かべるようなそれを見せながら、彼女はゆっくりとルイズに近づいていく。

 意味深な笑みを浮かべて近づいてくる同級生にルイズは後退ろうとするが、相手の足の方が速かった。

 後ろへ下がろうとする前にゼロ距離と呼べるほどまでに近づいたキュルケは、ルイズを見下ろすような形で口を開く。

「そういえば…貴女達をチクトンネ街で見た時、あの娘の姿は無かったわね…―――――何かあったの?」

「そ、それをアンタに言う義務が何であるのよ。普通はな、無いでしょうが…!」

 いつも詰め寄られる時とは違いあまりにも距離が狭いため、ルイズは言葉を詰まらせながらもそう答える。

 それに対しキュルケはただただため息をつくと、今度は魔理沙の方へ視線を向けた。

 

 

「お、この私に質問かな?」

「まぁ、そうね。普通の子供なら簡単と思える質問だから…正直に答えてくれる?」

「あぁ良いぜ?何でも言ってみな」

 キュルケが質問をする相手を変えた事にルイズは戸惑いを隠しつつ、面倒事にしないで欲しいと心の中で魔理沙に願う。

 ここで今の状況を全部知られてしまえば、赤い髪の同級生はなし崩し的に自分から巻き込んでくるだろう。

 常に面白い事を探求し一日一日を情熱的に生きる彼女なら、絶対的な興味を示すことは間違いない。

 それ程までに自分と霊夢たちが解決するべき゛異変゛は非日常的であり、色んな意味で壮大なのである。 

 

 しかしルイズからしてみれば、その゛異変゛はできるだけ誰にも知られたくないものであった。

 一部の人間にはある程度話していたが、それでも最低限自分と霊夢たち幻想郷の者たちだけで解決しようと決めていたのである。

 もし異変とは無関係な人間にこの事が知られてしまえば、今以上に面倒な事になるのは目に見えていた。

(素直に教えるとは思えないけど、頼むからキュルケが絡んでくるような事言わないで頂戴…!)

 そんな事を必死に願う彼女を他所に、魔理沙とキュルケの話は続く。

 

「じゃあ聞くけど、あの紅白ちゃん…もといハクレイレイムは何処に行ったのかしら?」

「別にどうって事無いぜ?ただ昼食先のレストランでルイズと口論した霊夢が勝手にいなくなっただけさ」

 ついに始まったキュルケの質問にしかし、魔理沙はあっさりと嘘をついた。

 どうやらあまり面倒事にしたくないのは彼女も同じらしく、薄い笑みを浮かべて疲れたような表情を作っている。

 しかし、微妙に勘の鋭いキュルケがそんな嘘を簡単に信じる筈もなく、怪訝な表情を浮かべて口を開く。

「本当にタダの喧嘩なのかしら?チクトンネ街を走っていたこの娘は大分必死な顔してましたけど?」

 すぐ傍にいるルイズの頭を指差しながら、尚も質問し続けるキュルケに対し、魔理沙は肩をすくめて言った。

「まぁあの時のコイツも霊夢も相当イラついてたからな、あの後冷静になって怒りすぎたと思って走ってたんだよ」

 同居人である私はその後をついていっただけさ。最後にそんな言葉をつけ加えてから、これで良いかと言わんばかりに肩をすくめる。

 二度の質問をしたキュルケは三度目を行わず、はぁ…と短いため息をついた。 

「そう…じゃあ単なる喧嘩で、貴女達はこんな辺鄙な所へ来たってワケかしら?」

「結果的にはそうなったな。もっとも、こんな所を知らなかった私としては良い勉強になったよ」

 口から出る言葉に落胆の色を隠したキュルケに向けて、魔理沙はキッパリと言い切る。

 二人に挟まれる形でお互いの様子を見ていたルイズはキュルケの方を睨みつつも、心の中で親指を立ていた。

 無論、向ける相手は自分の後ろにいる魔理沙だ。

 

(ナイスよマリサ!アンタ、やればできるじゃないの)

 口に出せはしないが、うまい事誤魔化してくれた黒白にとりあえずの感謝を述べる。

 色々と面倒事が片付き、学院に帰ったらしつこく聞かれるかもしれないがそれは後で考えればいい。

 今回の異変を解決する霊夢ならどんなに問い詰められようが、真実を教えることはないだろう。

 そして霊夢や自分程とも言えないが、自分のたちの秘密を教えたくないのは魔理沙も同じなのは違いない。

 例えもう一度聞かれたとしても、今の様に誤魔化してくれるだろう。

 先程までならそう思えなかったが、キュルケのやりとりを見た今なら信じられるとルイズは思っていた。

 後は突然のゲストを丁重に返して霊夢を見つければ、事態は収束するに違いない。

 狸の皮算用とも言える脳内での作戦会議に満足していたルイズはふと魔理沙に肩を叩かれた。

 まるで繊細過ぎるガラス細工を扱うかのように叩かれた彼女はどうしたのかと思い、振り返ってみた。

 

 後ろに控えていた魔理沙は薄らとした笑みを浮かべながら、右目だけを忙しく瞬かせている。。

 金色の瞳に見つめられているルイズは一体何なのかと疑問を覚えたが、それは一瞬で解消されることとなった。

 先程まで魔理沙を見つめていたキュルケは落胆しているせいか、目を瞑ってため息をついている。

 その隙を狙った彼女は瞬きを使い、ルイズにある事を伝えているのだ。

 最初はそれに気づかなかったルイズだが、魔理沙の笑みを見た途端に彼女の言いたいことが分かったのである。

 彼女はある要求をしていたのだ。本人曰く霊夢よりも興味が湧くという゛面白そうな話゛を聞きたいが為に。

 

 うまくいったら、さっき言ってた噂とやらを教えてもらうからな――――

 

 言葉を出せぬ今の状況であっても、魔理沙は自分の興味が向くモノに興味津々のようだ。

 無言の眼差しからそれを読み取ったルイズは目を細めながらも、前向きな答えを出してみようかと考えていた。

(まぁ、キュルケを追い払った後で色々と聞かれそうだけど…どうせなら霊夢を捜しながらって条件でも出そうかしら?)

 後ろの魔法使いにどんな返事をよこそうかと思っていた時、絶賛がっかり中のキュルケが話しかけてきた。

「あぁ~あ、期待して損しちゃったわ。アンタらの喧嘩如きでこんな所へ来る羽目になるなんて…」

「…そう思うのなら早く学院に帰ったらどうよ?アタシたちはレイムを見つけたら帰る事にするから」

「アンタとあの紅白の喧嘩は見れるものなら見てみたいですけど…確かに、もう帰らないと夕食を食べ損ねてしまうわね」

 これ幸いと言わんばかりに畳みかけるかの如くルイズが囁く、それに従うかのような彼女は言葉を返す。

 もしかすると「面白そうだからついていくわ」という言葉が出てくるかと思っていたが、そうならなかった事にルイズは安堵する。

 本心はどうなのか知らないが、何かあれば必ずからかってくるいつものキュルケは鳴りを潜めている。

 逆にいつもより大人しい分何を考えているのか不安であったが、それは杞憂で終わって欲しいと願っていた。

 このまますぐに帰ってくれれば、面倒な事がもっと面倒な事態にならないで済むのだから。

 

「じゃあ私たち、これからレイムを捜しに行くから…ほら行くわよマリサ」

「出来れば置いて帰りたいが、まぁ今回は探検ついでに付き合ってやるぜ」

 いつまでも自分を見続ける同級生にそう言って、ルイズは旧市街地に入ろうとする。

 そして、さっきの瞬きで伝えた約束を忘れるなと言いたげな事を呟きながら魔理沙もそれに続く。

 一方のキュルケは完全に興味を失ったのか、去りゆく二人に向けてただただ左手を振っていた。

 ルイズの考えている通りにいけば、傍迷惑な同級生は真っ直ぐ学院に帰ってくれるだろう。

 

 

 しかし、良い事が二度も続けば三度目もまた良い事になるという保証は無い。

 幸運が連続で訪れた時、それを帳消しにするほどの不幸が降ってくるのだ。

 

 サプライズ的な危機を乗り越え、消えた使い魔を捜しにルイズは旧市街地へと踏み込み―――

 知り合い捜しよりもこの場所を調べつくしたい衝動に駆られた魔理沙もまた、快調な足取りでもってルイズに続き――――

 自分が想像していたものとは違う現実に、一人ガッカリしていたキュルケがさて帰ろうかと踵を返す―――その時であった。

 

 

 歩き始めたルイズたちから約五メイル先にある雑貨屋だった建物の入り口である、大きな木造ドア。

 雨風に長年晒され、もう取り換えられる事の無いであろう両開きのそれ。

 ここへ入り込んだルイズと魔理沙にとって、特に目を見張るものでは無い廃墟の一部。

 

 瞬間――――そのドアが物凄い音を立てて、勢いよく吹き飛んだ。

 まるで上空に浮かぶ戦艦から放たれた大砲の弾が、木の小屋に直撃したかのような轟音が辺りを包み込む。

 突然の事と音に二人は大きく体を震わせてその場で立ち止まり、背中を見せていたキュルケも何事かと振り返る。

 内側から吹き飛んだドアは土煙を上げながら旧市街地の通りを滑り、二メイル程進んだ後にその動きを止めた。

 碌な清掃が行われていない分土煙の勢いはすさまじく、ドアのある場所を中心に空高く舞い上がっていく。

 夕日の所為で赤く見える土煙を凝視しながらも、体が固まったルイズはぎこちない動作で魔理沙に話しかける。

「何よ…?アレ…」

「……さぁ、何なんだろうな?」

 対する魔理沙も驚いているのか、目を丸くしたままじっと佇んでいる。

 全く予想していなかった事に二人の体は動かず、まるで石像になったかのように静止していた。

 しかしそこから離れたところにいたキュルケだけは驚いただけで済んだのか、ルイズたちの方へゆっくりと近づいていく。

 何が起こったのかと言いたげな表情を浮かべて近づく彼女であったが、ふとその足が止まる。

 キュルケだけではない、呆然としていたルイズと魔理沙の二人も、何かに気づいたかのような表情を浮かべる

 あんなに勢いよく舞い上がった土煙はあっという間に薄くなり、旧市街地に静寂が戻り始めていく。

 そんな中、三人は煙越しに人影を見つけたのである。

 

 地面に倒れたドアの上に尻餅をつくかのような姿勢のまま、人影は動かない。

 すぐ近くにいるルイズたちの目にもぼんやりとしか映らず、誰なのかすらわからないでいる。

 そして二人よりも遠くにいるキュルケの目には単なる黒いシルエットにしか映っていないのだ。

 一体何なのだろうかと彼女は訝しむが、それは以外にも早くわかる事となった。

 

 突如ドアが吹き飛び、ルイズたちの視界を遮るかのような煙が舞い上がって十秒が経過しただろうか。

 最初は勢いよく舞ったものの、徐々に薄くなっていった砂煙は初夏の風に煽られて一気に消し飛ばされてしまった。

 それによって単なるシルエットにしか見えない人影は姿を隠し切れず、三人の前にその正体を曝け出す。

 直後、ルイズと魔理沙の二人は目を見開きアッと驚いた。 

 

 人影の正体。それは、一人の少女であった。

 土にまみれても尚華やかさを失わない、赤く大きなリボン。

 汚れてはいるが確かな清々しい白色の袖は、服と別離している。

 黄色のリボンに控えめな白のフリルを飾った赤い服は彼女が巫女である事を示す、証拠の一つ。

 ハルケギニア大陸では滅多にお目にかかれない黒髪は、土を被ってもその艶やかさを保っていた。

 

 ルイズと魔理沙、そして二人の後ろにいるキュルケは知っていた。

 何せ黒髪の少女の名を、三人はすっかり頭の中に刻み込んでいるのだから。

「……レイム!」

 そして我慢できないと言わんかのように、ルイズがその名を叫んだ。

 少し大きな声であった為か近くにいた魔理沙は勿論、ある程度離れたところにいたキュルケの耳にも入っていた。

「レイム…?じゃあアレって…」

 キュルケはその声を聞きながらもまた歩き始め、ゆっくりと二人の背後へ近づいていく。

 一応気づいてはいたのか、魔理沙は首を少し後ろへ動かして歩いてくるキュルケの方へ視線を向ける。

 自分の方へと目をやった彼女に気づき、少しだけ荒くなった呼吸を整えつつキュルケは話しかけた。

「何だか知らないけど、アンタたちの捜してた紅白ちゃんが見つかったわね」

「私としてはもう少し隠れてもらいたいと思ってたんだがな…?」

 キュルケの問いに対して魔理沙は、知り合いが見つかった喜びよりも、楽しみを奪われたかのような落胆の言葉を返した。

 さぁこれから捜しに行こう、という時にこの展開だ。さしもの魔理沙もこれにはガッカリせざるを得ない。

 

 そんな二人のやり取りを尻目に、ルイズはもう一度口を開いて声を上げようとした。 

 だがその前に、゛レイム゛と呼ばれた少女は無表情な顔をゆっくりと、彼女たちの方へと向け始める。

 まるで老朽化しつつある歯車のようにゆっくりとした動きに、ルイズは怪訝な表情を浮かべた。

「レイム…?」

 訝しむ声に気づいて他の二人もそちらを見やり、何か様子がおかしい事に気が付く。

 まさか怪我でもしているのか?゛レイム゛を見つけて最初に声を上げたルイズがそう思った時だ。

 

 ゛レイム゛と呼ばれた少女は、五秒もの時間を使って動かした顔を三人の方へと向け終える。

 夕焼けに黒髪を照らされ、尻餅をついたままの彼女は、間違いなく三人が知る博麗霊夢そのものだ。

 

 

 そう、霊夢そのものであった。

 

 

 

 鮮血のような、赤色の瞳を爛々と光らせている以外は。


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