ルイズと無重力巫女さん   作:1-UP-code

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第八十九話

 ハルケギニアの主要都市の水道設備は、思いの外しっかりしているという事を知ってる人間は少ない。

 場所にもよるが井戸から汲んだ水を直接飲める場所は多く、良質な水が飲める事を売りにしている土地もある。

 およそ五百年前までは水まわりの環境は酷く、伝染病の類が発生したらそこから調べろとまで言われていた程だ。

 そうした病気を防ぐため当時の王族は貴族たちに命じて研究させたところで、ようやく今の状態にまで漕ぎ着けたのである。

 今では主な都市部には大規模な下水道が造られ、生活排水などはそこを通ってマジック・アイテムを使った処理施設へと辿りつくようになっている。

 マジック・アイテムの力で浄化された生活排水は比較的綺麗な水となって地下の川から海の方へと流れていく。

 最も最初に書いたように、それを知っているという人間は恐らく義務教育を受ける貴族ぐらいなものだろう。

 その貴族でさえも、下水道はともかく各都市に必ず存在する処理施設の場所を知っている者は殆どいないに違いない。

 都市部で生まれ育った平民ともなれば、水は綺麗なモノだと当たり前に考えている者さえいる。

 

 彼らはかつて水そのものが病気の塊と呼ばれ、怖れられていた時代の人間ではないのである。

 既に生まれた時から井戸の水は冷たくて美味しく、トイレは水洗式で清潔という幸せな時代の人間として生きているのだから。

 彼らにとって、水はもう自分たち人間の友達で怖くないという概念が当たり前になってしまっている。

 それは決して不幸な事ではないし、むしろあの世にいる先祖たちは良い時代になったと感心している者もいるだろう。

 

 だからこそ惹かれるのだろうか、近年肝試しと称して若い貴族や平民たちが下水道へ踏み込むという事件が増えている。

 大抵の者たちは自分たちの勇気を示すために、下水道へと足を踏み入れるというパターンだ。

 基本的に下水道へは町の道路にあるマンホールか、街中の川を伝った先にある暗渠を通れば入る事はできる。

 しかし、出入り口の明りがまだ見えている状態はともかく一時間も歩けばそこは地下迷宮へと早変わりする。

 時に狭く、時には広くなったりと道の大きさは変動し、更には処理されていない生活排水に腰まで浸かる場所まであるのだ。

 そうして当てもなく下水道を彷徨った挙句に方角を見失ない、気づいた時には闇の中。

 

 若い貴族達…それも゙風゙系統が得意な者がいれば何とか風の流れを呼んで無事に出られる事もあるし、

 平民の場合でも何とか地上のマンホールへと続く梯子を見つけて、命からがら脱出できた例もある。

 しかし殆どの者たちは混乱して下水道を走り回り、結果として更に奥深くへと迷いこんでしまう。

 更に錯乱して奥深く、奥深くへと潜り込んでしまい…そうして人知れず行方不明になった者たちが大勢いると噂されている。

 その噂が更に尾ひれを付けて人々の間を泳ぎ回り、いつしか幾つもの都市伝説が生まれ始めた。

 下水道に迷い込んだ若者を喰らう白い海竜や、地下に逃げ込んで頭が可笑しくなった殺人鬼が徘徊している…等々。

 噂話が好きな若者たちの間でそんな話が語られ、そこから更なる話が創作されて他の人々へと伝わっていく。

 そんな話を仲間たちと和気藹々と話す彼らはふと想像してしまうのだ、地下の下水道にいるであろう怪異の数々を。

 いもしない怪物たちの存在を否定しつつも、もしかして…という淡い期待を抱いてしまう。 

 

 だが彼らは知らないだろう。人口といえども明りひとつ無い暗闇という存在が、単一の恐怖だという事を。

 作り話と理解しつつも「もしかして…」という淡い期待を大勢の人々が抱く内に、その恐怖の中で゙架空゙が゙本物゙となり得るのだ。

 そしてもしも…その様な場所で何かしら凄惨な事件でも起これば―――゙本物゙は人々の前へと姿を現すだろう。

 

 

 その日のトリスタニアは、昼頃から不穏さを感じさせる黒雲が西の空から近づいてきていた。

 人々の中にはその雲を見て予定していた外出をやめたり、雨具を取りに自宅へ戻ったりしている。

 中には単に通り過ぎるだけと思い込む者たちもいたが、彼らの願いは惜しくも叶う事はなかった。

 

 夕方になるとその黒雲から一筋の閃光が地面へと落ち、少し遅れて聞こえてくる雷鳴の音が人々の耳の奥にまで響き渡る。

 そして陽が落ちる頃には王都の上空をも覆い尽くした黒雲から雨が降り始め、やがてそれは大雨となった。

 雨具を持って来ていた者たちは落ち着いてそれを用意し、持っていない者たちは雨宿りのできる場所へと急いで非難する。

 

 街中にある小さな坂や階段はたちまちの内に小さな川となり、慌ててそこを通ろうとする者たちは足を滑らせ転倒してしまう。

 結果、急いで適当な店の中へ避難する人々の中にはより一層ずぶ濡れになっている者たちがいる。

 トリスタニアのあちこちに作られた人口の川は大雨で流れが激しくなり、茶色く濁った水となって下水道へと流れていく。

 もしも誤って川に転落しようものならば…少なくとも命は保証できない事は間違いないだろう。 

 

 日中の熱気が籠る王都を突然の大雨が冷やしていく様は、さながら始祖ブリミルの御恵みとでも言うべきか。

 なにはともあれ人々の多くはこの天からの恵みに感謝の気持ちを覚えつつ、自分の体を濡らさぬよう屋根の下に避難していた。

 

 夕方からの大雨で人々が慌てる中、一人の老貴族がお供も連れずにひっそりとチクトンネ街の通りを歩いていた。

 顔からして年齢はおよそ六十代前半といった所だろうか、白くなり始めている髭が彼の顔に渋みというスパイスを加えている。

 昼ごろの雲行きを見て大雨になると察していた為、持ってきていた黒い雨合羽のおかげで濡れる心配はない。

 時間帯と空模様に黒い合羽のおかげで通りを歩く他の人たちの注目を集める事無く、彼はある場所を目指して歩いていた。

 何人かはその貴族が気になったのか一瞬だけ見遣るものの、すぐに視線を前へ戻してスッと通り過ぎていく。

 どうせチクトンネ街を一人で歩く老貴族なんて、この街に幾つかある如何わしい店が目的なのだろうと考えているのかもしれない。

 

 老貴族としてはそんな゙勘違い゙をしてくれた方が、個人的に有難いとは思っていた。

 何せこれから自分がするのは、少なくともトリステイン人――ひいては貴族達からしてみれば到底許されない行為なのだから。

 だから時折すれ違う若い貴族たちが自分を気にも留めずに通り過ぎていく時には、内心ホッと安堵していた。

 そして…自宅を出て一時間ぐらい経った頃だろうか、ようやく老貴族はこの大雨の中目指していた目的地へと辿り着く事が出来た。

 

 そこはかつて、家具工房として開かれていた大きな工房であった。

 しかじかつでという過去形で呼ぶ通り、今ではチクトンネ街の一角にある廃墟となっている。

 十数年前に売上不振からくる借金を理由に経営者の貴族が首を吊り、そこから先はトントン拍子で倒産していった。

 今は看板すら取り払われて敷地に雑草が生い茂り、野良の犬猫たちが多数屯する無人の建造物と化している。

 何処かの誰かがこの土地を買ったという話も聞かない辺り、いずれは国が買い取って更地になる運命なのであろう。

 今ではホームレスたちの住宅街と化している旧市街地と比べれば、更地にしやすいのは明白である。

「さて、と…いつまでもここにいても仕方ない。…入るとするか」

 老貴族は一人呟くと入口に散らばったガラス片を踏み鳴らしながら、廃工房の中へと足を踏み入れる。

 …そして、彼は気づいていなかった。ゆっくりと入口をくぐる自分を見つめる人影の存在を。

 

 入り口から中へと入った老貴族は、まず工房内部が思いの外暗かったことに足を止めてしまう。

 別段暗いのは苦手ではないがここは廃墟だ、万が一何かに躓いて怪我でもしてしまえば厄介な病気に掛かるかもしれない。

「やれやれ…大切な用事の為とはいえ、わざわざこんな所にまで来る羽目になるとはねぇ」

 一人面倒くさそうに言うと、老貴族は腰に差していた杖を手に持つとブツブツと小さな呪文を唱え、ソレを振った。

 するとたちまちの内に小ぶりな杖の先端に小さくも強い明りが灯り、彼の周囲を照らしていく。

 

 工房の内部は老貴族が想像していたよりも、人がいた頃の名残を遺していた。

 あちこちに置かれていたであろう道具や、工房から出荷する筈だった家具は当然持ち出されていたが、

 中は比較的綺麗であり、一目見ただけでは数十年モノの廃墟とは思えない程である。

 しかし、やはり廃墟と言うだけあってか荒廃している場所もあり、屋根の一部分が倒壊してそこから雨風が侵入している。

 老貴族は脱ごうと思っていた雨合羽をそのままに工房の中を歩き始めると、この廃墟の先住者たちとも遭遇した。

 雨が降っているせいか、この辺りに縄張りを持っている野良犬や野良猫といった動物たちが雨宿りの為集まって来ているのだ。

 

 猫の場合は元々人に飼われていたペットか、犬ならば山に棲んでいたのが餌を求めて山から下りて来たのか…

 その真相自体は今の貴族にとってはどうでもよかったが、こうまで数が多いと流石に気になってしまうものである。

 今歩いている長い廊下の端で寝そべっているのだけを数えても、犬猫合わせて十匹以上はいるような気がするのだ。

 こちらに見向きもせずに湿気た廊下に寝そべる犬を見てそんな事を思っていた彼は、ふとある扉の前で足を止める。

 今にも腐り落ちそうな木製のそれに取り付けられた錆びたプレートには『洗濯場』と書かれており、半分ほどドアが開いていた。

「……洗濯室。よし、ここだな」

 老貴族は一人呟くと律儀にもドアノブを握ってから、そっとドアを開けた。

 プレートと同じく、長い事風雨に晒されて錆びてしまっているソレの感触に鳥肌を立たせつつ洗濯室の中へと入る。

 

 そこはかつて工房で働く職人たちの服を洗っていた場所なのだろう。

 あちこちに外で使う為の物干し竿や洗濯物を入れる籠が乱雑に放置されて床に散らばり、

 室内に設置されたポンプから流れてくる水を受け止めていたであろう大きな桶は蜘蛛の巣で覆われている。

 窓ガラスは割れてこそいなかったものの酷いひび割れが出来ており、いずれは周囲に散らばってしまう運命なのだろう。

 しかし廊下とは違って犬猫はおらず、それを考えると微かではあるが大分マシな環境とも言えるに違いない。湿気さえ我慢できればの話だが。

「ふ~ん……お、これか?」

 洗濯室へと入った老貴族は明りを灯す杖を振って部屋を見回すと、隅っこの床に取り付けられだソレ゙を見つける事が出来た。

 ゙ソレ゙の正体……――――それは大人一人分なら楽々と両手で開けて入れるほどの大きさを持つ鉄扉である。

 床に取り付けられた扉は正しくこの工房の下―――つまりこの街の地下へと直結している隠し扉なのだ。

 どうしてこんな工房の跡地に、そんな鉄扉が取り付けられているのかについては彼自身良くは知らない。

 自殺した経営者が地下に用事があったのか、元々地下へと続く道が大昔に作られていたのか…真相は誰にも分からない。

 とはいえ、彼にはそんな真相など゙この扉の先で済ます用事゙に比べれば実に些細な事である。

 その鉄扉こそ老貴族がここへ来た理由の一つであり、 その理由を完遂させるためには扉を開けて先に進む必要があった。

 

 いざ取っ手を掴んで開けようとした直前、老貴族はスッとその手を引っ込める。

 多少錆びてはいるものの、特に何の変哲もない取っ手なのだが何故彼は急にそれを掴むのを止めたのだろうか。

 その答えを知っている老貴族は思い出した様な表情を浮かべつつ、気を取り直すように咳払いをした。

「いかんいかん、すっかり忘れておったよ……え~と、確か――」

 一人そんな事を呟きながら、一度は引っ込めた右手を床下の扉へ向けると、中指の甲で小さくノックし始める。

 コンコン…と短く二回、次にコン…コン…コン…と少し間隔を空けて三回、そして最後にコン…コンコン…コン!と四回。

 計九回も床下の扉から金属音を鳴らした老貴族はもう一度手を引っ込め、暫く無言になって扉を凝視する。

 ノックされた扉は当然の様に無言を貫いている…かと思われたが、

「………新金貨が六枚、エキュー金貨は?」

 突如としてその向こう側から、人――それも若い女性の声が聞こえてきたのである。

 

「エキュー金貨は四枚、それ以上も以下も無い」

 老貴族は女性の声で尋ねられた意味の分からない質問に、これまたワケの分からない答えでもって返す。

 そこからまた少しだけ時間を置くと、今度は声が聞こえてきた鉄扉がひとりでに開き始めたのである。

 ギギギギ…と錆びた音を洗濯室を通り抜けて廊下まで響かせて、地下へと続く秘密のドアが周囲の埃を舞い上げて開く。

 老貴族はその埃を避けるかのように後ろへ下がると、ヒョコッと何者かがドアの下にある穴から顔を出した。

 それは頭からすっぽりとフードを被った、一見すれば男か女かも分からぬ謎の人影であった

 しかし老貴族は何となく理解していた。このフードの人物こそ先ほどドアの向こう側にいた女の声の主であると。

 

 フードの人影は老貴族の考えを肯定するかのように、彼の方へ顔を向けるとその口を開いた。

「…アンタが先ほど合言葉を言った貴族か?」

 影で隠れている口から発せられた声は高く、どう聞いても男の声には聞こえない、女らしい声である。

 だが老貴族のイメージするような一般的な女性像とは違い、その声色には短刀の様な鋭ささえ感じ取れた。

 老貴族は相手が女であるが決して只者ではないという事に内心驚きつつ、フードを被る女性へと気さくにも話しかける。

「うむ、左様。…この先にいる人物に渡したい物がある故にここまで来させてもらったよ」

「そうか、じゃあこちらへ。その人物が待っている場所まで案内する」

 ひとまずお愛想程度の笑みを浮かべる老貴族に対し、女性はその硬い態度を崩そうとはしない。

 まるでここが戦場であるかのように身を固くし、自分が来るのを待っていたのだとしたら彼女は゛その道゙のプロなのであろう。

 彼女の素性はまるで知らないが、自分へここへ来るよう要求したあの男はまた随分と頼りになる用心棒を雇ったらしい。

 女性の手招きで地下へと続く階段へと足を伸ばしながら、老貴族はほんのちょっと羨ましいと思っていた。

 

 杖の明りをそのままに老貴族が地下へと続く階段を降りはじめると、背後から何かが閉まる音が聞こえる。

 何かと思って振り返ると、自分にここへ入るよう手招きしたフードの女が再び扉を閉めた所であった。

 扉が閉まった事で元々暗かった地下への階段は更に暗くなり、老貴族の杖だけが唯一の灯りとなってしまう。

 まぁそれでもいいかと思った矢先、魔法の灯りで照らされているフードの女が懐から自分の杖を取り出して見せる。

 そして先ほどの老貴族と同じ呪文を唱えると杖の先に灯りが付き、地下へと続く道がハッキリと見えるようになった。

 

「……貴族だったのか」

「正確に言えば元、だけどな。今は安い給料と酒だけが楽しみな平民だ」

 意外だと言いたげな老貴族に対し、フードの女はそう答えて彼の横を通り過ぎる。

 ゙元゙貴族のメイジ…という事は何らかの事情で家を追い出されたか、もしくは家を潰された没落貴族なのだろうか?

 そんな事を考えつつも、自分に代わって先頭になった女の「ついてこい」という言葉に老貴族は再び足を動かし始めた。

 

 体内時計が正しく動いているのであれば、おおよそ二~三分くらい階段を降りたであろうか。

 長く暗い階段の先にあったのは地上よりも遥かに湿度が高く、そして仄かに悪臭が漂う地下の世界だった。

 レンガ造りの壁と床でできた通路はそれなりに広く、ブルドンネ街の大通りより少し小さい程度の道が左右に作られている。

 天井から吊り下げられている魔法のカンテラがちょうど階段へと通じる出入り口を照らしており、妙に眩しい。

 思わず視線を右に向けると五メイル先にも同じようなカンテラが吊り下げられ、それがかなりの距離まで続いている。

 何の問題も無く作動しているマジック・アイテムを見て、老貴族はここが上の廃工房とは違い゙生きている゛事に気が付く。

 次いで思い出す、ちょうどこの地下通路がある地上の近くには、トリスタニアの下水処理施設ずある事を

 

「ここは…処理施設で使われてる通路か」

「あぁ、処理施設の職員が問題発生時に下水道へ行く時に使うそうだ。右へ行けばそのまま施設まで行ける」

 老貴族の呟きに女は勝手に答えると杖を腰に差してから、左の方へと顔を向けて歩き始めた。

 足音を聞いて慌てて彼女の背中について行こうとした時、微かに水が激しく流れる音が聞こえてくるのに気が付く。

 鼓膜にまで響くその激しい濁流の音に恐怖でもしたのか、ふと足を止めて呟いてしまう。

「まさかとは言わんが、あの濁流の音が聞こえてくる場所まで行くのかね?」

 

 地上はあの大雨だ、水の流れは激しくなるだろうし音からして下水道は上より危険なのは間違いない。

 そんな心配を相手が抱くのを知ってか、女は振り向きもせずに彼へ言った。

「心配しなくても、下水道まで行く必要は無い。ここから少し先にもう一つの地上へ繋がってる階段の所が目的地だ」

「…ふぅ、そうかね」

「……怖いのか?あの濁流の音が」

 自分の言葉に思わず安堵のため息をついてしまう老貴族の姿を見て、彼女は無意識に口走ってしまう。

 言った後で流石に失礼だったかと思った女であったが、以外にも言われた本人は怒ってなどいなかった。

 むしろ怖いのか?と聞いてきた自分を不思議そうな目で見つめると、逆に聞き返してきたのである。

「じゃあ君は怖くないのかね?この脳の奥まで震えてきそうな濁流の音が」

「い、いや…確かに、この音が聞こえる場所までは行きたくはないが…」

 老貴族からの質問返しに思わず言葉を詰まらせつつもそう返すと、彼は「それで良い」と言った。

 

「本能で「恐い」と感じるモノを、自分のプライドが傷つくという理由だけで否定したら自分を裏切る事になる。

 キミ、それだけはしちゃあ駄目だぞ?そうやって自分を裏切ってたら本能が麻痺して、ここぞという時で命を落とすんだ」

 

 

 そこから更に十分程歩いだろうか、五メイル間隔の灯りを頼りに地下通路を進んでいると一人の男が壁にもたれ掛っていた。

 年は三十代くらいだろうか、明るい茶髪をまるで小さ過ぎるカツラの様に乗せているヘアースタイルは否応なしに目に入ってしまう。

 足元には小旅行などに適したバッグが置かれており、時折そちらの方へも視線を向けて動かぬ荷物の安否を気にしている。

 服装は街中の平民たちに扮しているつもりなのだろうが、周囲の様子に警戒している姿を見れば只者ではないと分かる。

 良く見れば腰元には杖を差している。子供でも扱いやすい様設計された、最新式の取り回しやすい指揮棒タイプだ。

 更に足を見てみれば木靴ではなく軍用のブーツを履いている。こんな場所では完全に扮する必要は無いという事なのだろう。

 男は老貴族と女の姿に気付くとスッと壁から離れ、右手を上げながら気さくな様子で女に話しかけた。

「よぅ、おつかいは無事果たせたようだな仔猫ちゃん」

「バカにするなよ三下。さっさと仕事に入れ、私がここまで連れてきてやったんだぞ」

「おいおーい、そんなにカリカリするなっての?…ったく、おたくらの゙ボズは厄介なヤツを紹介してくれたもんだねぇ」

 

 最初の方は女へ、そして最後は老貴族の方へ向けて男は軽い態度で二人に接してくる。

 女はそんな男へ怒りの眼差しを向けていたが、敬語を使っていなかった彼女にも涼しい表情を向けていた老貴族は相変わらず笑顔を浮かべていた。

 フードの中から睨まれている事に気が付いたのか、男は気を取り直すように咳払いをした後に足元のバッグを拾い上げた。

「ゴホン!さて、と…じゃあこんな辛気臭い所にいるのも何だし、さっさと本題に入っちまおうか」

 そう言って男はバッグを左腕に抱えると右手で取っ手を掴んでロックを外し、バッグの中身を二人の前に見せびらかす。

 まず最初に老貴族の目に入ったのは、大量のエキュー金貨が詰め込まれた五つのキャッシュケースであった。

 五列の内一列に金貨が十枚入っており計二百五十枚のエキュー金貨、下級貴族が家賃の事を心配せずに二年も暮らせる額だ。

 

 バッグの中を覗き込む老貴族を見て、男は「スゲェだろ?」と自慢げに聞いてみる。

 しかし年相応の身分を持つ彼の気には少ししか召さなかったのだろうか、やや不満げな表情を見せて男に聞き返す。

「君゙たぢが支払うモノは金貨だけかね?そうだと言うのなら少し考えさせてもらうが…」

「…へっ!そう言うと思ったよ、けど安心しな?アンタが持ってきてくれだ商品゙の対価に見合う品は他にもある」

 老貴族からの質問に男は得意気に答えるとバッグの中を漁り、金貨が詰まったケースの下から四つの小さな革袋を取り出した。

 最初はそれが何だか分からなかったが、袋を目の前まで持ってこられるとそこから漂ってくる雑草の匂いで中身が何のかを察する。

「それは――――…麻薬か?」

 老貴族の問いに男はニヤリ、と卑しい笑みで返すと袋の口を縛っていた袋を解き、中身を見せる。

 革袋の中に入っていたのは乾燥させた何かの植物―――俗に乾燥大麻と呼ばれる麻薬であった。

 

「サハラの辺境地で栽培されて、エウメネスのエルフたちが作った純正品さ。ここまで運んでくるのも一苦労の代物なんだぜ?」

 まるでセールスマンにでもなったのかように饒舌になる男に、老貴族は今度こそ顔を顰めてしまう。

 女は最初から知っていたのか、フードに隠れた目から嫌悪感をハッキリと滲ませて男を睨んでいる。

「王都やリュティスでも中々お目に掛かれねぇ高級品だ、売っても一袋で入ってる金貨の倍は稼げちまう」

「……私は麻薬などやらない。持ってくる品物を間違えたな」

「おいおい固い事言うなって!…何もアンタ自身が吸わなくても、吸いたいってヤツは今やハルケギニアにはいくらでもいるだろ?」

 老貴族の反応に男は肩をすくめてそう言う。

 確かに彼の言うとおり、今や乾燥大麻…もとい麻薬はハルケギニアでちょっとした問題となっている。

 昔から特定の薬草を乾燥したり、粉末化する事でできる特殊な薬の類は存在していた。

 吸えばたちまち幸せな気分になったり、まるで鳥になって大空を飛び回るかのような高揚感に浸れてしまう。

 しかしモノによっては副作用が強い物もあり、時として服用者の命すら奪うような代物さえ存在するのだ。

 近年に入ってそうした薬物は毒物と定義づけられ、今では危険な嗜好品として取り締まり対象にまでなっている。

 

 男が持ってきたサハラの乾燥大麻も当然麻薬の類であり、持っている事が知られればタダではすまない。

 所持している事自体が犯罪であるが、何より麻薬というものは文字通り大金を生み出す魔法の薬なのである。

 幾つか小分けにして人を雇い、繁華街にあるような非合法的な風俗店の経営者に店で売ってもらうよう頼み込めば、喜んで店の金で取引してくれる。

 そして今バッグの中に入っている一袋分を丸ごと売るとすれば…男の言うとおりバッグの中に入っている金貨よりも稼げてしまうだ。

 この様に使っても良し、売っても良しという麻薬は犯罪組織等の商品道具にもなる為、厳しい取締りが行われているのである。

 仮に老貴族が持っていたとしたら良くて地位剥奪、酷い時にはチェルノボーグへの収監といったところだろうか。

 そして自分で使わず、誰かに売ってしまうと…結果的に購入者の命を縮める行為に加担してしまうのである。

 

「悪いがそれを貰う気にはなれん。…だが、私もここまできた以上は手ぶらというワケにはいかんのでな」

 だからこそ老貴族は首を縦に振らなかったが、からといってこのまま踵を返して帰るつもりはないらしい。

 男が差し出してきた麻薬入りの革袋を丁重にお断りした後、彼は自分の腰元へと手を伸ばす。

 マントで隠れていたベルト周りが露わになり、老貴族の腰に差さっているのが杖だけではないという事に女と男は気が付く。

 老人が取り出したるもの…、それは硬めの紐でベルトと結んでいる小さめの筒であった。

 ちょうどお偉い様が書いた様な書類を丸めてから入れるあの筒型の入れ物を見て、何をするのかと男は訝しむ。

 そんな彼の前で老貴族は筒を両手に持ち、右手に掴んだ部分を捻ってみせると…ポン!という軽い音を立てて筒が開く。

 

 二人が見守る中で老貴族は口が開いた筒を二、三回揺らすと…中から丸めた数枚の羊皮紙が出てくる。

 かなり大きいサイズのそれを老貴族は男の目の前で開いて見せると、その紙に何が記されているのかがわかった。

「……!こいつは――」

「お前の゛ボズが喉から手が出るほど欲しがっていた空軍工廠の見取り図に、新造艦の設計図だ」

 驚く男に老貴族が続くようにして言うと、思わず女も男の持つ羊皮紙を肩越しに覗き見てしまう。

 たしかに老人の言うとおり、数枚の羊皮紙には建物の上から見下ろした様な図と軍艦の設計図が描かれている。

 本来ならばトリステイン軍部が厳重に管理し、持ち込み禁止にしている筈の超重要機密な代物だ。

 男とフードの女が軽く驚いく中、老貴族は肩を竦めながら話を続けていく。

 

「本来ならもっと欲しい所なのだが…私にこれを持っていくよう指示した男は絶対に渡す様言って来てな。

 だから…まぁ、その程度の金貨じゃあ不十分だが…乾燥大麻は抜いて金貨二百五十枚でそれと交換しようじゃないか。

 君たちぐらいの組織ならその見取り図と設計図さえあれば工廠に潜入して、艦の脆い部分に爆弾を仕込む事など造作ないだろう?…そう、」

 

 ―――――…君たち、神聖アルビオン共和国の者ならばね。

 

 老貴族が最後に呟いた組織の名前に、男…もとい今のアルビオンに所属するメイジはニヤリと笑って見せる。

 確かにこのご老体の言うとおりだろう。これだけの情報があれば上は間近居なく破壊工作を行うよう命令を出すだろう。

 上手く行くかどうかはまだ分からないが、成功すればトリステイン空軍へ致命傷に近い大怪我を負わせる事など造作もない。

「……へへ、アンタがそんなのを持ってきてるって知ってたら…金塊でも入れてくるべきだったかねぇ」

 男は名残惜しそうに言うとバッグから麻薬入りの革袋だけを取り出し、金貨だけが残ったソレを老貴族へと差し出した。

「こんだけスゲェ情報をくれたんだ、まだ追加で金が欲しいってんならこの女を通してアンタに渡すが…いいのかい?」

「別に構わんさ。既に老後の資金を蓄えすぎている身、持ち過ぎれば色んな人間に狙われる」

「そうかい?金なんて多くもってりゃ損はしないと思うが…」

 流石に対価に見合わぬ物を手に入れてしまったと感じている男の言葉に、老貴族は首を横に振りながら受け取る。

 そしてお返しに手に持っていた見取り図と容器の筒を差し出し、逆に男はそれを貰い受けた。

 金に対しそれほど執着心が無い老人を訝しみつつ、数枚の羊皮紙を筒の中に戻しながら男は言う。

 

「まぁこんだけ危ない橋を渡ってくれたんだ、クロムウェル閣下にはアンタの名前を伝えておくよ。

 あのお方は寛大だからねぇ、この国とのケリが着いた暁にはあんたにさぞ素晴らしい席を用意してくれるだろうさ」

 

 麻薬の入った革袋四つと見取り図や設計図が入った筒を両手に持った彼がそう言うと、老貴族は「期待しているよ」とだけ返す。

 この地下通路で怪しい男と出会った老貴族の目的はこの言葉を境に、無事に済ます事が出来た。

 老貴族の目的―――それはかつてレコン・キスタと呼ばれ、今は神聖アルビオン共和国と名乗る国の内通者になる事である。

 目の前にいる男はスパイとして王都に潜り込んだ者たちの内の一人であり、こうして内通者となった貴族達から金と引き換えに機密情報を買っているのだ。

 今のトリステインでは現王家に不満を抱えている者は少なくはなく、喜んで内通者となる者が多い。

 スパイたちも大分前に――タルブでの戦闘が始まる前から王都へと潜入しており、これまで内通者候補の貴族を探して説得を続けていた。

 途中トラブルが発生して仲間の一人が捕まったものの、未だ組織として王都で活動できるほどの力は残っている。

 そして今正に、トリステインにとって最も知られたくないであろう情報がスパイである彼の手に渡ろうとしていた。

 

 それから少し時間を掛けて男は手に持った荷物に紐を使い、ベルトに括りつけていた。

 羊皮紙数枚が入った筒型容器はともかく、麻薬入りの革袋が意外に重くベルトがずり落ちかけているものの、

 とくに気にするこ素振りを見せないスパイの男は、両手が空いたことを確認してからジッと待機している女へと話しかけた。

「…それじゃあ、お互いここで別れるとしようか。…お前はこの内通者様を出口まで送ってやれ」

「分かった。……よし、戻るぞ。そのまま来た道を…」

 女は男の指示に頷いて、金貨入りのバッグを片手に持った老貴族と共に工房へ戻ろうとした直前―――。

 

 

「――――…動くなッ!!」

 突如、老貴族と女が通ってきた道の方から聞き慣れぬ男の鋭い声が三人の動きを止めた。

 

「…ッ!?な、なんだ…――ッ!」

 ベルトの方へ視線を向けていた男は突然の事に驚きつつ、慌てて顔を上げて前方を見遣る。

 老貴族と女も急いで後ろを振り向き、誰が自分たちへ声を掛けたのかその正体を探ろうとする。

 …声の主がいたのは五メイル後方…天井からの灯りに照らされたその姿は紛れもなくトリスタニアの平民衛士の姿をした男であった。

 常日頃王都の治安を守る者としての訓練を受け、昼夜問わず不逞な輩から街を守り続けている衛士隊。

 制服であり戦闘服でもある茶色の軍服に身を包み、その上から軽量かつ薄くて安価な青銅の胸当てを付けている。

 だからだろうか思った以上にその足取りは早く、あっという間に驚く三人との距離を縮めてきたのだ。

 男の年齢は四、五十代といった所だろうか、年の割にはまだまだ現役と言わんばかりの雰囲気をその体から放っている。

「衛士だと?一体どこから…―――――!」

「動くな!次に動けば右手の拳銃を撃つ、この距離なら杖を抜く前に当たるぞ!」

 老貴族が慌てて腰の杖を手に取ろうとしたのを見て、衛士は右手に持った拳銃の銃口をスッと向ける。

 火縄式の拳銃は引き金を引けばすぐに撃てる状態であり、それを見た老貴族は諦めて杖に近づけていた手を下ろす。

 そして改めて自分へ銃を向ける男を上から下まで見直してみると、衛士はかなりの武器を引っ提げて来ているようだ。

 衛士の男はその背中に年季の入った剣を背負っており、左手には右手のものと同じ拳銃が握られている。

 そして腰には杖の代わりと言いたいのか、左右に一丁ずつ予備の拳銃までぶら下げているではないか。

 これでは仮に銃撃を避けれたとしても、すぐに腰のソレを構えられて…バン!即あの世行きであろう。

 

 それに衛士の言うとおり、この距離では杖を抜いて呪文を詠唱するよりも先に拳銃を撃たれてしまう、

 良く他の貴族たちは拳銃を平民たちの玩具と嘲る事があるものの、実際はかなり厄介な代物だという事を知らない。

 剣や槍、同じ飛び道具の弓矢等と比べて撃ち方から装填までの訓練は比較的簡単なうえ子供であっても訓練さえすれば扱う事ができる。

 遠距離ならまだしも、数メイル程度の距離から撃たれてしまうとメイジは魔法を唱える暇もなく射殺されてしまうのだ。

 魔法衛士隊の様に口の中で素早く詠唱できる者ならまだしも、並みの貴族ならばその距離で撃たれてしまうとどうしようもない。

 

 過去、銃と言う武器を侮ったが故にその餌食となった貴族というのは何人もいる。

 それ故に、銃は平民達が持つ武器の中では断トツの危険性を持っているといっても過言ではない。

 

「んだぁこの平民?そんな拳銃いっちょまえにぶら下げて、魔法に勝てるとでも思ってんのかよ」

 老貴族はそれを知っているからこそ杖を手に取るのはやめたものの、もう一人の男は何も知らないらしい。

 背中を向けている為にどんな表情をしているかまでは分からないものの、その声色には明らかな侮蔑の色が混じっていた。

 男は笑いを堪えているかのように言うと何の躊躇いもなく杖を抜き取り、勢いよくその先で風を切ってみせる。

 ヒュン…ッ!と鋭い音は威嚇のつもりなのだろうが、生憎相手が悪すぎたというしか無いだろう。

 時折街中で酔って暴れる下級貴族を止めている衛士の男にとって、杖を向けられても平然とできるほどの度胸は育っていた。

 衛士は前へ進めようとした足を止めて、その場で左手の拳銃を男の方へと向ける。

 

 老貴族には見えなかったものの、杖と拳銃が向き合う姿は正に貴族と平民の対決を表現しているかのようだった。

 もしも彼が撃たれるのを覚悟して振り向いてしまっていたら、きっとそんな事を口走っていたに違いないだろう。

 暫し二人の間に沈黙が走った後、衛士の男が杖を向ける 

 

「この距離で呪文を唱えて魔法を放てる暇はあるのか?やってみるといい、足に銃弾が直撃した時の痛みを教えてやる」

 そう言って衛士が自分の顔面に向けていた銃口を足へと向けるのを見て、男はせせら笑う。

「……へっ、へへ!てめぇ周りが見えてないのか?今この場に居る貴族は俺とそこの爺さんだけじゃねぇんだぜ」

 なぁ、仔猫ちゃんよぉ?男の言葉に、それまで手を出さずに静観していた女が一歩前へ歩み出る。

 頭からすっぽりと被ったフードで顔も分からぬ女がその右手に杖を握っているのを見て、衛士の男は目を細める。

 それを見て男は形成逆転と見て更に笑おうとしたが、その前に自分たちの仲間である彼女の異変に気が付いてしまう。

 

 フードの女は杖の先を地面へ向けたままであり、呪文を唱えるどころか杖を衛士に向けてすらいなかった。

「お、おいおい!?何してんだよ、早くその平民を始末しろよ!それがお前の仕事だろ!?」

 戦意を感じられない女に男は焦燥感を露わにして叫ぶものの、肝心の女はそれを無視しているかのように動かない。

 まるで最初から自分には戦う意思が無いと証明しているかのようだが、一体どういう事なのか?

 杖を相手に向けない女にここまで連れてこられた老貴族も訝しもうとしたところで、とうとう男が痺れを切らしてしまう。

「クソ―――…ゥオッ!?」

 平民の衛士相手に銃を向けられていた事と、自分の味方である女が動かないという事に焦ってしまったのか、

 こうなれば自分の手で…と考えた男が杖を構え直した直後、通路内に銃声が響き渡ると共に足元の地面が小さく弾けた。

 頭の中まで揺さぶるかのような銃声に思わず老貴族はのけぞってしまい、足元を撃たれた男は情けなくもその場で腰を抜かしてしまう。

 地面に尻もちをついてしまうと同時に杖を手放してしまったのか、木製の杖が先程の銃声よりも優しい騒音を立てて転がっていく。

 

「あ…俺の杖―――…っ!」

「その場から動くな。動いたら、どうなるか分かるな」

 自分の傍を転がる杖を無意識に拾おうとした男を、衛士の鋭い声が制止させた。

 慌てて声のした方へ顔を向けると、撃ち終えた左手の拳銃を腰に差した予備と交換し終えた衛士がこちらを睨んでいる。

 こちらに向けられている銃口を見て男は悔しそうな表情を浮かべた後、小声で悪態をついてから小さく両手を上げた。

 先程の銃声と地面を跳ねた銃弾を見て恐れをなしたのだろう、きっとあれで銃の怖ろしさというものを始めて味わったに違いない。

 老貴族も抵抗すればどうなるか分かったのか、観念したと言いたげな表情で小さく両手を上げて降参の意を示して見せた。

 衛士は腰を抜かした男へ銃口へ向けつつ老貴族の傍へ寄ると腰に差した杖を抜き取り、そっと地面へと転がす。

 男はその様子を心底悔しそうに見つめながら、何もせずに傍観に徹していた女へとその矛先を向ける。

 

「てめぇ…!どういうつもりだよ、俺たちの仲間なんじゃ……ウッ!」

「…レコン・キスタの連中はもっと手練れの奴らを集めていたと思ってたが、お前みたいなチンピラだらけで正直助かったよ」

 両手を上げながら罵っていた男に近づいたフードの女は、彼を黙らせるかのように後頭部を押さえつけながら言う。

 杖を持っていない片手だけで大の男を黙らせる彼女を見て、衛士の男が彼女へ向かって初めて話しかけた。

「それにしても…こんな所で取引なんてするとはな?敵さんたちも中々良い場所を見つけてくれる」

「まぁ逆に人の多すぎる場所でやられるよりかはマシでしょう。こうして手荒な事をしても咎められませんしね」

 とても敵同士とは思えぬフランクな会話を耳にして、老貴族と押さえつけられた男は驚いてしまう。

 何せ自分たちの味方だと思っていた女が、会話から察するに平民衛士の味方だったのであるから。

 

「…な、何なんだお前?俺たちの味方じゃなくて…敵なのか?」

「そこは杖を俺に向けなかったところで気づくべきだったな。なぁミシェルよ」

「仰る通りです、隊長」

 呆然とする男に衛士がそう言うと、ミシェルと呼ばれた女は頭に被っていたフードを外す。

 フードの下に隠れていた顔は紛れも無く、トリスタニアの衛士隊で彼女が隊長と呼んだ衛士の部隊に所属するミシェル隊員であった。 

 

 

 

 王都トリスタニアのチクトンネ街にある,『魅惑の妖精』亭の一階。

 そここで朝食を摂っていた最中、霧雨魔理沙は外から聞こえてくる音に違和感があるのに気が付いた。 

 夜が明けて暫く経つチクトンネ街から聞こえる人々の会話や足音の中に、奇妙な金属音が混じっているのである。

 咀嚼していた薄切りベーコンを飲み込み、ふと窓の外へと視線を向けると、その金属音の正体が分かった。

 謎の金属音は日々王都の治安を守る衛士隊の隊員たちが着こんでいる、安っぽい鎧の音であった。

 しかも窓の外からチラリと見える彼らは妙に慌ただしく、そして何かに急かされているかのように走っている。

 

 いつもとは少し違う光景を目にした魔理沙は、この時何かが起こっているのだろうかと思っていた。

 具体的な事までは分からないが、それでも慌ててどこかへ向けて走っている彼らを見ればそう思ってしまうだろう。

 口の中に残るベーコンの塩気を水で流し込みつつ、魔理沙は自分と同じタイミングで食べ終えた霊夢の意見を聞こうと考えた。

「……なぁ、今日は朝っぱらから騒々しくないか?」

「ん?そうかしら?」

 突然そんな話を振られた霊夢は首を傾げつつ、魔理沙と同じように窓から外の様子を覗いて見せる。

 通りのゴミ拾いや清掃、玄関に水を撒く人たちに混じって確かに何処かへ駆けていく衛士達の姿が見えた。

「あら、本当ね。確かあれは…衛士隊だったっけ?一体あんなに慌ててどうしたのかしらねぇ~」

「衛士隊…って、こんな朝っぱらから何かあったの?」

 霊夢の言葉に、魔理沙よりも前に食べ終わって一息ついていたルイズも窓の外へと視線を向ける。

 確かに二人の言うとおり、何人もの衛士達がパラパラと走っていく姿が遠くに見えている。

 けれど何があったのかまでは当然分かる筈もなく、先程の霊夢を真似するかのように首を傾げて見せた。

 

 暫し沈黙が続いた後、まず先に口を開いたのは最初に気が付いた魔理沙であった。

「……んぅー。分かってはいたが、ここからだと何が起こったのか全然分からんもんだな」

「でも一人二人ならともかく、結構な人数が走っていったんだし…何か事件でも起こったんじゃないのかしら」

 ―――朝っぱらだっていうのにね?最後にそう付け加えたルイズの言葉に、

「……!事件ですって?じゃあ、もしかして…」

 それまで静かにしていた霊夢がキッと両目を細め、ピクリと肩を揺らして反応する。

 そしてルイズと魔理沙がアッと言う間もなく席を立ちあがり、突然外へ出る準備をし始めたのだ。

 準備…とは言ってもする事と言えば飛ぶ前の軽い体操であり、持っていく物と言えばデルフ程度である。

 突然軽い準備運動を始める彼女を見て、ルイズと魔理沙は怪訝な表情を浮かべて聞いてみることにした。

「ちょっと、いきなりどうしたのよレイム?……まぁ、考えてる事は何となく分かるけど」

『どうやらレイム的にも、あの兄妹にしてやられた事は相当屈辱だったらしいなぁ』

 妙に張り切って軽い準備運動をする巫女さんを見て何となくルイズは察し、デルフもそれに続く。

 

 恐らくは、衛士達が朝から大勢動いているのを見て、二日前に自分たちの金を根こそぎ盗んだ兄弟が見つかったのだと思っているのだろう。

 確かにその可能性は無きに非ずと言ったところだろうが、決定的証拠が無い以上百パーセントとはいかないのである。

 霊夢本人としては早いとこ雪辱を果たして、ついでアンリエッタから貰った資金と賭博で儲けた金を取り戻したいに違いない。

 しかし、さっきも言ったように全く別の事件が起こっているだけなのではないかとルイズが言ってみても…、

 

「とりあえず行かなきゃ始まらないってヤツよ。さぁ行くわよ、デルフ」

『はいはい。オレっちはただの剣だからね、お前さんが持っていくんならどこまでもついて行くだけさ』

 気を逸らせている彼女はそう言って、インテリジェンスソードのデルフを持って『魅惑の妖精』亭の羽根扉を開けて外へ出た。

 そして一階だけ大きく深呼吸した後でデルフを片手に地面を蹴り、 そのまま街の上空へと飛び上がってしまう。

 ルイズたちが止める暇もなく、あっと言う間に出て行った巫女さんとデルフに魔理沙は思わずため息をつく。

「まぁ霊夢のヤツも、何だかんだで結構根に持つタイプだしな。…財布を盗んだあの子供も、運が無かったよなーホント」

 魔理沙はそんな事を喋りながら席を立つと朝食が盛り付けられていた食器を手に持ち、厨房の方にある流し台へと持っていく。

 それに続くようにルイズも食器を持ち上げた事で、やや波乱に満ちた三人の朝食が終わりを告げた。

 

 その後…片付けずに外へ出て行った霊夢の食器も流し場で洗い終えた魔理沙も外へ出ることにした。

 別に霊夢の後を追うわけではない、今の住処―――『魅惑の妖精』亭のあるトリスタニアで情報収集をする為である。

 

「じゃ、私も昨日言われた通りに情報収集とやらをしてくるが…どういうのを集めればいいんだっけか?」

 食器を洗い終え、一回に置いていた箒を右手に持った魔理沙からの確認にルイズは「そうねぇ~…」と言って答える。

「手紙に書かれて通りアルビオンやかの国との戦争に関する話題ね。それと…後は姫さまの評判とかもあれば喜んでくれるかも」

「分かったぜ。…後、ついでに私自身が知りたい事も調べて来るから帰りは遅くなると思うが…良いよな?」

「それは私が許可しなくても勝手に調べるんでしょ?別に良いわよ、知的好奇心を存分に満たしてきなさい」

「仰せのままに、だぜ」

 そんなやり取りをしてから、魔理沙もまた霊夢と同じように店の出入り口である羽根扉を開けて外へ出ていく。

 これからジリジリと暑くなっていくであろう街中へ出ていく黒白に手を振ってから、ルイズは踵を返して店の奥へと消えて行った。

 どうしてルイズがするべき仕事を、魔理沙が請け負っているのか?…それにはやむを得ない理由があったのである。

 

 

 全ての始まりは二日前くらい…色々ワケあって、アンリエッタの女官となったルイズに街での情報収集という仕事が早速舞い込んできた事から始まった。

 アンリエッタが送ってきた書類には、街で王室の評判やタルブで化け物をけしかけてきたアルビオンの事やら色々集めればいいと書かれていた。

 本当ならルイズ自身がやるべきことなのだろうが、平民の中に紛れ込んで情報収集するには彼女の存在は変に目立ってしまうのである。

 ハッキリと言えば貴族としての教育がしっかりと行き届いている所為で、この手の仕事にはとても不向きなのだ。

 

 その事が分かったのは昨日の午前中、チクトンネ街にある自然公園で情報収集を行った時である。

 やる前はマントを外して変装すれば大丈夫だと思っていたものの、いざ始めるとすぐに彼女の素性がバレてしまう事に気が付いた。

 当然だ。何せ平民に変装していても歩き方やベンチの座り方が、礼儀作法を学んだ貴族のままなのである。

 それこそ面白いくらいに平民たち――特に同年代の女の子達は一瞥しただけでルイズが貴族だと言い当ててしまうのだ。

 

「あら!見てよあの貴族のお嬢様、御忍びで街中を散歩なのかしら」

「ホントだわ!あの綺麗で新品の御召し物に桃色のブロンド…きっと名家のお嬢様に違いないわね」

 

 偶々横を通っただけでそこまでバレてしまったルイズは思わず身を竦ませてしまい、心底驚いたのだという。

 その後もルイズ達は公園の中をあちこち移動して何とか情報収集をしようとしたが、潔い失敗を何度も何度も繰り返していく。

 最初は魔理沙と霊夢にデルフが遠くからルイズの情報収集を見守っていたが、その内何秒でバレるか予想する勝負を始めてしまった程である。

 もちろん、それがバレて怒られたのは言うまでも無いが…このままでは成果ゼロでその日が終わるのを危惧してか、一旦路地裏で何がダメなのか話し合う事となった。

 無論、唯一人原因が分からぬルイズに霊夢達が一斉に指摘する場となってしまったが。

 

「もぉ、どうしてこうカンタンにばれちゃうのよ?」

「そりゃーアンタ、平民の格好してても態度が貴族なんだからバレるのは当り前でしょうに」

「あれだと自分の体に堂々と「私は貴族です」って書いて歩いてる様なもんだぜ?」

『娘っ子には悪いが、あんな上等な服着て偉そうに歩いてる時点でバレバレなもんだぞ』

「デルフまでそういう事言うワケ?…っていうか、この服ってそんなにおかしいのかしら…」

 

 二人と一本からの総スカンを喰らったルイズは、怒るよりも先に訝しむ表情を見せて自分の服装を見直し、そして気が付いた。

 この仕事を始める前に立ち寄った平民向けの服屋で買ったこの服だが、確かに周りの平民たちと比べると変に真新しい。

 通りを歩く平民たちは、皆そこら辺の市場で買えるような安物の服を着ており新品の服を着ているという平民は少ない。

 更にルイズの靴はしっかりとしたローファーなのに対し、通行人の大半…というか八割近くが木靴なのである。

 そして極めつけにいえば、ルイズの体からこれでもかと高貴な雰囲気が滲み出ていることだろう。

 

 顔つきといい髪の色やヘアースタイルといい、一々額や顔の汗をハンカチで拭い取る動作まで貴族のオーラを漂わせているのだ。

 それはある意味、彼女が貴族としての素養を持っているという証明であるが、残念な事に平民の中に紛れるには不要なオーラである。

 その事に薄らと気が付いたのは良かったものの、次にルイズが考えるのは解決方法であった。 

 

「それにしてもこのままじゃあ埒が明かないし、何か良い案はないものかしら?」

「それなら私に良い考えがあるぜ?」

 腕を組んで真剣に悩む彼女に救いの手を差し伸べたのは、以外にもあの魔理沙であった。

「え?あるの?」

「あぁ、簡単な事さ。落ち着いて聞いてくれよ?」

 悩むルイズを見てか、この時魔理沙はとんでもない提案を彼女へ吹っかけたのである。

 魔理沙の出した提案はズバリ一つ―――――今自分たちが居候してるスカロンの店の女の子として働くという事であった。

 もしもルイズが『魅惑の妖精』亭でウエイトレスの女の子達に混じって如何わしい格好をして働いたら、そのオーラを掻き消せるかもしれない。

 ルイズに御酌をされる相手も、まさか自分がトリステインで一、二を争う名家のお嬢様に御酌されるとは思ってもいないであろうし…。

 御酌ついでに酔った客に色々話を吹っかれば、思いも寄らぬ情報をゲットできるという可能性も無くはないのだ。

 

「…何より働けばお給金を出してくれるだろうし情報も集められるしで、一石二鳥だろ?」

「う~ん…とりあえず右ストレートパンチか左ローキックのどちらが良いか答えてくれないかしら?」

「今のはちょいとしたジョークだ、忘れてくれ」

 いかにも名案だぜ!と言いたげな表情を浮かべる魔理沙に、ルイズは優しい微笑みを顔に浮かべてそう返した。

 それを聞いた普通の魔法使いは肩を竦めて自分の言ったことをそっくり撤回すると、二人のやり取りを見ていた霊夢が口を開く。

「大体、何でいきなりそんな提案が出てくるのよ?」

「いやぁホラ、昨夜一階で夕食を食べてた時にスカロンがぼやいてたんだよ。…後一人くらい女の子が来てくれないモノかしら…って」

『だからって貴族の娘っ子に突然あんな如何わしい服着させて平民にお酌させろってのは、そりゃいくら何でも無理過ぎるだろ』

「なっ…!し、失礼な事言うわないでよデルフ、私にだってそれくらいの事…は―――難しいかも」

 霊夢と魔理沙に続いたデルフの容赦ない言葉にルイズは怒ろうとしたものの、咄嗟に昨夜の事を思い出して言葉がしぼんでしまう。

 ひとまずは『魅惑の妖精』亭に泊まる事となった彼女は、一階で働く店の女の子たちの姿をしっかりとその目で捉えていた。

 

 程々に露出の高いドレスに身を包んだ少女達は料理や酒を客に運び、彼らが出してくれるチップを回収していく。

 その時に客の何人かがお尻や胸の方へと伸ばしてくる手を笑顔で跳ね除けているのを見て、あれは自分には無理だろうなと感じていたのである。

「…っていうか、許し難いわね。貴族である私の体を触ろうとしてくる相手の手を笑顔で離すなんて事自体が」

『だろうな。もし昨日の客共がお前さんの尻や…えーと、そのち…慎ましやかな胸に触ろうとした時点で相手は確実に痛い目見るだろうし』

 思わず口が滑りそうになったのを慌てて訂正しつつ、デルフがそう言うとルイズはコクリと頷き…ついで彼をジロリと睨み付けた。

「あんた、今物凄く失礼な事言おうとしたでしょ?」

「はて、何がかね?」

 「慎ましやか」は別に失礼じゃないのか…魔理沙がそんな事を思いながらすっとぼけるデルフを見つめていると、

「はぁ~…全く、アンタ達はホント考えるのはてんでダメなのねぇ?もう少し頭を使いなさいよ頭を」

 それまで彼女たちの会話の輪から少し離れていた霊夢が、溜め息をつきながらルイズと魔理沙の二人にそんな事を言ってきたのだ。

 当然、魔理沙とデルフはともかくルイズが反応しない筈がなく、彼女の馬鹿にするような言葉にすぐさま反応を見せたのである。

「何よレイム?子供のメイジ相手にしてやられたアンタが、私達をバカにできるの?」

「…!い、痛いところ突いてくるわねー。…あんな連中もう二、三日あればすぐにでも見つけてお金を取り返してやるっての」 

 ジト目でルイズ達を睨んでいた霊夢は、ルイズに一昨日の失敗を蒸し返されると苦々しい表情を浮かべてしまう。

 その後、気を取り直すように咳払いをしてから何事かと訝しむルイズへ話しかけた。

 

「え~…ゴホン!…まぁ私達の言うとおりアンタが平民に混じって情報収集に向かないのは明白な事よね?」

「そりゃそうだけど、一々蒸し返さないで…って私もしたからお相子かぁ」

 巫女の容赦ない指摘に彼女は渋々と頷くと、霊夢はチラリと魔理沙を一瞥した後に、ルイズに向けてこう告げた。

「私さぁ、思ったんだけど……何もアンタ自身が直接情報収集に行かなくてもよさそうな気がするのよねぇ」

「はぁ?それ一体どういう…―――」

 突然の一言にルイズが驚きを隠せずにいると、霊夢は今にも迫ろうとする彼女に両手を向けて制止する。

 

「話は最後まで聞きなさい。…別にアンタが役立たずって言いたいワケじゃないのは分かるでしょうに。

 私が言いたいのは、アンタや私以上に゙平民たちに紛れて情報収集できるプロ゙が今この場にいるって事なのよ。…分かる?」

 

 自分の突然すぎる言葉にルイズが「えぇ?」と言いたげな表情を浮かべるのを見て、霊夢はスッと人差し指をある方向へと向ける。

 その人差し指の向けられた方向へ思わずルイズもそちらへ顔を向けると、そこにいたのは見知った…というより見知り過ぎた少女がいた。

 指さされた少女本人は少し反応が遅れたものの、思わず自分の指で自分を指して「私?」と霊夢に問いかける。

「えぇそうよ?こういうのはアンタが得意でしょうに、霧雨魔理沙」

「……えぇ!?私がかよ!」

 霊夢の言ゔ平民たちに紛れて情報収集できるプロ゙にされた魔理沙は突然の決定に驚いたものの、

 何を驚いているのかと勝手に決めつけた霊夢は怪訝な目で普通の魔法使いを見つめていた。

 

 何はともあれ、勝手に情報収集係にされた魔理沙はその日から早速霊夢の手で平民の中へと放り込まれてしまった。

 ルイズは突然のことにどう対応したらいいか分からず、デルフは面白い見世物と思っているのか静観に徹していた。

 魔理沙は霊夢に文句を言おうとしたものの、それを予想していた巫女さんはこんな事を言ってきたのである。

 

――本来ならルイズ本人がやれば良いんだけど結果は散々だったし、デルフは当然の様に動けない。

    私はあの盗人兄妹を捕まえなきゃいけないし…となれば、アンタに白羽の矢が刺さるのは当然じゃないの

 

 こういう口げんかでは紫に次いで上手い霊夢に対し、魔理沙は苦々しい表情を浮かべる他なかった。

 その時になって初めてルイズが「いくらなんでも魔理沙に頼むのは…」と失礼な擁護をしてくれたものの、あの巫女さんは彼女にこう囁いたのである。

 

―――まぁ任せときなさいよ。コイツはコイツでそういうのを集めるのも得意だしさ。

     それにアンタには、コイツが集めてきた情報をこっちの世界の文字で書類にするっていう仕事があるのよ

 

 とまぁそんな事を言って最終的にはルイズも納得してしまい、晴れて霧雨魔理沙は街中で情報収集をする羽目になってしまった。

 最初は何て奴らかと思って少し怒っていた彼女であったが、冷静さを取り戻すと成程と自分に充てられた仕事に納得してしまう。

 ルイズが平民の中に紛れるのは下手なのは散々見たし、であれば誰かが拾ってきた情報を紙に書いてアンリエッタに送る仕事しかないだろう。

 そして、その情報を集める仕事を担当するのが自分こと――霧雨魔理沙ということなのである。

 霊夢が自分達の金を盗んだ相手を執拗に捕まえようとするのは…まぁ俗にいう『負けず嫌い』というやつかもしれない。

 本人もやられたままでは納得がいかないのは何となく分かるし、何よりあんだけ馬鹿にされてまんまと逃がしてしまったのである。

 絶対自分には捕まえる役を譲ってはくれないだろう。無理やり奪おうとすれば…゙幻想郷式のルール゙に則った決闘が始まるのは明白だ。

 

(それに霊夢はこの世界の文字の読み書き何てできないだろうし、私ならアイツ以上に他の人間と接してるしな)

 まだ納得できないが、妥当と言うことか…。市場から聞こえる賑やかな声をBGMに、魔理沙はチクトンネ街の通りを歩きながら考えていた。

 昨日、王都で降った大雨のおかげで道には幾つもの水たまりができ、青空に浮かぶ雲や横を通り過ぎる人々の姿を鏡の様に写していく。

 こころなしか通りの熱気もそれまでと比べて涼しいと感じる気がした魔理沙は、天からの恵みに思わず感謝したくなった。

 しかし、昨日の大雨ついでに起こったトラブルを思い出してしまい、感謝の念はひとまず横に置いて昨夜の出来事を思い返してしまう。

「それにして…昨日は本当に参ったぜ。当然の様に雨漏りしてきたし…やれやれ」

 それは昨日の…雨が降る前の事で、藍が自分たちを『魅惑の妖精』亭の屋根裏部屋に押し込んだのが始まりであった。

 

 紫にあの店で過ごせるようにしろと言われた彼女はその日の夕方にスカロンと話し合って決めたのだという。

 その時には昼頃から王都の上空を覆い始めた黒雲から大雨が降ると察し、ルイズ達はそれから逃げるようにして店へと戻ってきていた。

 幸い突然の土砂降りで服を濡らすことなく戻る事ができた三人と一本が店の入り口で佇んでいると、あの式が部屋まで案内してくれる事となった。

 丁度開店時間で賑わい始める一階から客室がある二階に上がったところで、彼女はまず最初にしたのか゛ルイズ達への謝罪と弁明だった。

「すまん、スカロンと話し合ったのだが…今の季節はどの空き部屋も゙もしも゙の事を考えて入れないとの事らしい」

「えー、そうなの?じゃあ私が今朝寝てた部屋はどうなのよ。あそこは誰も泊まってなさそうな感じだったけど?」

 申し訳なさがあまり感じられない藍の言葉に霊夢が異議を唱えたが、そこへルイズがさりげなく入ってきた。

「アンタ知らないの?あの部屋って今はシエスタの部屋なのよ」

「……え?何それ、私はそんな話全然聞いてなかったけど」

 ルイズの口から出た意外な一言に霊夢が怪訝な表情を浮かべると、ルイズも目を細めて「本当よ」と言葉を続ける。

「昨日は気絶したアンタをベッドで寝かせる為に、ジェシカと同じ部屋で寝てくれたらしいわ」

「そうだったの。てっきり空き部屋があるかと思ってたけど…どうりで部屋が綺麗だったワケだわ」

「シエスタは魔法学院で穏やか~にメイドさんをしてたからな。…後でアイツにお礼でも言っておいた方がいいと思うぜ」

 三人がそんな風に賑やかにやり取りするのを見ていた藍は、気を取り直すように大きな咳払いをして見せた。

 それで三人が話し合うのを止めるのを確認してから、彼女はルイズの方へと体を向けて話しかける。

 

「んぅ…ゴホン!それでまぁ、お前たちが二階の部屋に泊まるのは無理だが…今の持ち金だけでは他の宿には泊まれないんだろう?」

 式の質問は資金を盗まれ、今の所自身の口座にある貯金しかお金がないルイズへの確認であった。

 ルイズはすぐに答える事無く、暫し今の預金でどれだけ泊まれるか簡単に計算してから藍へ言葉を返す。

 九尾の式へと向けられたその顔は険しく、決して楽観できるような答えではないという事は察しがついた。

 

「…まぁ安い宿なら三泊四泊なら余裕でしょうけど、流石に夏季休暇が終わるまで連泊するのは無理ね

 しかもこの時期は国内外から旅行者が王都に来てるから、大抵の安宿はバックパッカーに部屋を取られてると思うし…」

 

「つまり三泊四泊した後は路上生活…って事か、いやはや~……って、うぉ!」

「余計な事言わないでよ、想像しちゃったじゃない!」

「こらこら、アンタ達。喧嘩は後にするか私の見えない所でやりなさいよ、全く」

 ルイズの後を勝手に継ぐように魔理沙がそんな事を言うと、すぐさまルイズに掴みかかられてしまった。

 見た目の割に意外と腕力のあるルイズに揺さぶられる前に話を進めたい霊夢によって、魔理沙は何とか危機を脱する事が出来た。

 ホッと一息つく黒白と、そんな彼女をジッと睨むルイズを余所に彼女は藍は「話を続けて」と促した。

 

「一応、その事も含めてスカロン店長に話したら………暫し悩んだ後に゙とある゙一室を貸しても良いと許可してくれたよ。

 少々手入れが行き届いてないが掃除すれば何とか住めるようにはなるし、窓もあってそれなりに風通しの良い部屋だぞ?」

 

 右手の人差し指を立てて淡々と説明していく藍の言葉に、ルイズと魔理沙の顔に笑みが浮かび始めてくる。

 てっきり申し訳ないが…と言われて追い出されるかと思っていたのだ、嬉しくないわけがない。

 思ったよりも良い反応を見せる二人を見て藍もその顔に笑みを浮かべると、人差し指に続き更に親指立ててこう言った。

「…まぁこういう時は大なり小なり対価を払うべきだが、元々誰かが住むのを考慮してないから……金を払う必要は無いとの事だ」

「な、何ですって?」

 全く予想していなかったサービスにルイズは喜び舞い上がるよりも、後退りそうになる程驚いた。

 何せ自分の貯金を崩して宿泊代を払うつもりだったというのに、それをする必要が無いというのである。

 ここまで来ると流石のルイズでも嬉しいという気持ちより先に、何か裏があるのではと勘ぐってしまう。

「ちょ…ちょっと待ってよ!流石にお金はいらないって…それ本当に部屋として使えるの?」

 サービス精神旺盛過ぎる藍にルイズは思った疑問をそのままぶつけると、霊夢が後に続い口を開く。

「ルイズと同じ意見ね。…第一、紫の式であるアンタが口出してるんだから何か考えてるでしょうに」

『タダほど怖いモノはねーっていう法則だな』

 彼女の辛辣な意見にデルフも諺で追従してくると、藍は微笑みを浮かべたまま二人へ言った。

 

「まぁお前たちがそう思うのも無理はないだろうな。けれど、一応人は住めるんだぞ」

 そう言って藍は立てていた人差し指と親指を使って、パチン!と軽快に指を鳴らして見せる。

 誰もいない廊下に軽いその音が響き渡り、一瞬で窓の外から聞こえる雨の音と一階の賑やかさに掻き消されてしまう。

 突然のフィンガースナップに何をするつもりかと訝しんでいた霊夢達の頭上から突如、聞き覚えのある少女の声がくぐもって聞こえてきた。

「藍さまー、もう下ろしていいの?」

「!…これって、確かチェンっていう貴女の式の声じゃ…」

 本来ならだれもいない筈の天井から聞こえてきたのは、藍の式である橙の声であった。

 意外にも猫被っていた彼女の事が強く印象に残っていたルイズへ返事をする前に、藍は「いいぞ!」と頷いて見せる。

 その直後…天井から鍵を開けた時の様な金属音がなったかと思うと、独りでに何かが天井から舞い落ちてきた。

 

 ゆっくりと、まるで冬の夜空から降ってくる雪の様な――ーけれどもドブネズミの如き灰色のソレが、パラパラと落ちてくる。 

 偶然にもソレが目の前で落ちていく様を目にした霊夢は、見覚えのあったその物体の名前を口にした。

「これは…埃?―――――って、うわッ!」

 彼女が言った直後、その埃が落ちてきた天井が物凄い音と共に落ちて来るのに気が付き慌てて後ろへと下がる。

 魔理沙とルイズ、それにデルフも何だ何だとその落ちてくる天井を目にし――それがただの天井ではない事に気が付く。

 木と木が擦れる音と共に天井から下りてきたのは、年季の入った階段であった。

「これって、階段…隠し階段か!すげーなオイ」

「『魅惑の妖精』亭って、こんなものまであるのね…」

 自分たちの頭上から現れたソレを見て魔理沙は何故か嬉しそうに目を輝かせ、ルイズは呆然としていた。

「驚いたわね~、まさかこんな場末の居酒屋にこんな秘密基地じみたものがあるだなんて」

『うーん、この階段の年季の入りよう…オレっちから見たら、数年前かそこらに取り付けたものじゃねぇな』

 霊夢も二人と同じような反応を見せていたが、それとは対照的にデルフはこの階段が古いものだと察していた。

 隠し階段は『魅惑の妖精』亭となっている建物に最初から付けられていたのか、床を傷つける事が無いようしっかりと造られている。

 もしも後から造られているのなら、よほどの名工でも無い限りこうも完璧な隠し階段を取り付けるのは無理ではないだろうか。

 そのインテリジェンスソードの疑問に答えるかのように、藍はルイズ達へ軽く説明し始める。

 

「スカロンが言うにはこの店が『魅惑の妖精』亭という今の名前ではなく、

 『鰻の寝床』亭っていう新築の居酒屋として建てられた時に造ったらしい」

 

 おおよそ築四百年物の隠し階段なんだそうだ、と最後に付け加える様にして藍が言うと、

「まぁ結局、色々と問題が発生したから使ったのは開店から数年までだったらしいけどねー」

 階段を上がった先にある暗闇からヒョコッと橙が顔を出して、必要もない補足を入れてくれる。

 どうやら先ほどの声からして、自分が帰ってくる前にそこにいたのだろうと何となく察しがついた。

 いらぬ説明を入れてくれた橙に礼を言う義理も無いルイズは暫し隠し階段を見つめた後、ハッとした表情を浮かべる。

 

「まさか私たちがこれから暫く寝泊まりする場所って…」

「まさかも何も、今橙のいる階段の先にある部屋がそうさ」

 ルイズの言葉に藍がそう答えると、彼女は隠し階段の先を指さして言った。

「ようこそ『魅惑の妖精』亭の屋根裏部屋へ。…とはいっても、客室とは呼べない程中は乱雑だがな」

 

 

「…まぁ屋根裏部屋は秘密基地って感じがあって良いけどさぁ、流石に雨漏りするってなるとな…」

 昨日の事を思い出していた魔理沙はそんな事を呟いて、屋根裏部屋へと通された後の事を思い出す。

 結局、藍と橙に背中を押されるようにしてルイズ達はあの隠し階段の向こうにあった部屋で暫く寝泊まりする羽目となってしまう。

 荷物は粗方持ち運ばれていたのだが、それを差し引いても屋根裏部屋は正に「長らく放置された倉庫」としか例えようがない程ひどかった。

 部屋の隅には蜘蛛が巣を張ってるわネズミが梁や床の上を走り回るわで、挙句の果てには蝙蝠までいたのである。

 「何よコレ!」と驚きと怒りを露わにするルイズに対し、藍は平気な顔で「同居人達だ」言ってのけたのは今でも覚えている。

 流石にルイズだけではなく霊夢もこの仕打ちに対しては怒ったものの、魔理沙本人はそれでもまぁマシかな…程度に考えていた。

 

 蜘蛛は箒で巣を蹴散らしてやれば出ていくだろうし、ネズミは罠でも張っておけば用心して顔を出してこなくなる。

 蝙蝠に関しては…まぁこの夏季休暇が終わるまで同居するほかないだろう。

 お金はほとんどないし行く当てもない、つまり結果的にはこの屋根裏部屋しか自分たちが寝泊まりできる場所は無いのだ。

 それに昨日の外はあれだけの土砂降りだったのである、雨風がしのげる場所があるだけマシなのかもしれない。

 元々倉庫として使われていただけあって、使っていないベッドが何個か置かれていたのは不幸中の幸いという奴である。

 シーツは後からシエスタに言えば持ってきてくれるというし、スカロンたちも押し込んでそのまま…というつもりはないようだ。

 

 最初は怒っていたルイズと霊夢も仕方ないと思ったのか、ひとしきり文句だけ言った後は一階で夕食を頂く事になった。

 デルフも特に異議は無いのか、階段を下りる前に屋根裏部屋を見回していた魔理沙に「早くしろよー」と声を掛けるだけであった。

 お金はお昼の内にルイズが財務庁から下ろしてきてくれたので、程々に美味いモノが食べる事が出来た。

 しかし…問題はその後、夕食を食べ終わり少し酒を引っかけてから三階へ戻った時にそのアクシデントは既に起こっていた。

 以前にもその勢いを増した雨風に勝てなかったのか、屋根裏部屋の天井から雨水が滴り落ちてくるという事態が発生していたのである。

 ポタ、ポタ、ポタ…と音を立てて床を叩く幾つもの水滴は、当然ながら藍が持ってきてくれていたルイズ達の荷物を容赦なく濡らしていた。

 これには流石の魔理沙とデルフも驚いてしまい、急いで荷物を二階に降ろしたのはいいもののそこから先が大変であった。

 雨漏りを直そうにも外は大雨で無理だし、雨水を入れる為の器を探そうにも見当たらない。つまり手の打ちようがなかったのである。

 

 結局…その夜はスカロンたちに事情を話して、仕方なく二階の客室を無理言って貸してもらう羽目になってしまった。

 そこまでは良かったが、そこから後は色々と大変だったのである。良い意味で。

 スカロンたちもまさか雨漏りを起こしていたとは知らなかったのか、明日――つまり今日にも大工を呼んで直してくれるのだという。

 彼曰く「あなた達が屋根裏部屋に入らなかったら、気付かなかったかもしれないわぁ~」とも言っていた。

 その時に屋根裏部屋を初めて見たというジェシカが、

 

「これも客室として使えるんじゃなーい?」

 

 とか言ったおかげ…かどうかは分からないが、更に色々と手直しするかもしれないのだという。

 ひとまず蝙蝠とかネズミやらを何とかした後でそれは考えるらしく、その駆除自体もまだまだ先になるのだという。

 とりあえず雨漏りさえ何とかしてもらえれば、後は掃除をするだけで多少はマシになるだろう。

 

 

「まぁ、昨日みたいな散々な体験をしないのならそれに越したことはないがな……ん?」

 苦く新しい思い出を振り返る魔理沙がひとり苦笑した時、ふと前方で誰かが道端でしゃがんでいるのに気が付いた。

 それが単なる通行人か体調の悪い人間なら彼女もそこまで気にしなかったのか知れない。

 しかし…少し前方にいるその人影はまだ十代前半と思しき少女であり、何より髪の色が明らかに周囲の人々から浮いているのだ。

 彼女を一瞥しつつ、けれど声は掛る程ではないと思ってか横を通り過ぎていく平民たちの髪の色は大抵金髪か茶髪で、偶に赤色とか緑色も確認できる。

 だがその少女の髪の色は、驚く事に銀色なのである。どちらかといえば白色に近い薄めの銀色といえばいいのだろうか。

 陽光照りつける通りの中でその銀髪は光を反射しており、少し離れたところから見る魔理沙からしてみればかなり目立っていた。

 

 そんな不思議な色の髪を腰まで伸ばしている少女は、通りを右へ左へと見回して何かを探しているらしい。

 端正でしかしどこか儚げな顔に不安の色をありありと浮かび上がらせ、照りつける太陽の熱で額から汗を流しながらしきりに顔を動かしている。

 魔理沙は少女が自分のいる通りへと視線を向けた時に顔を一瞥できたが、少なくともそこら辺の子供よりかはよっぽど綺麗だという感想が浮かんできた。

 髪の色とあの綺麗な横顔…もしかすればあの少女は今のルイズと同じぐワケありの女の子゙なのかもしれない。

 そこら辺は憶測でしかないが、思い切って本人に直接訊いてみればすぐに分かる事だろう。

 とはいっても、見ず知らずの女の子に声を掛けた所で驚かせてしまうか逃げられてしまうかのどちらかもしれないが…

 

「ま、この私が興味を持ってしまったんだ。声を掛けずに素通り…ってのは性に合わないぜ」

 

 彼女は一人呟くと昨日訪れた自然公園へ行く前に、目の前にいる銀髪の少女に声を掛けていく事にした。

 どんな反応を見せてくれるか分からないが、せめて今は何をしてるか…とかどこから来たのかとか聞いてみたいと思っていた。

 自分の興味に従い足を前へ進めていく魔理沙の気配を察知したのか、反対方向を向いていた少女がハッとした表情を彼女へ向けてくる。

 しかし一度動いたら止まらないのが霧雨魔理沙である。自分目がけて歩いてくる黒白に銀髪の女の子は困惑の表情を浮かべた。

「あっ……ん、…っわ!」

 それでもせめて立ち上がろうと思ったのか腰を上げたものの、足が痺れたのか思わず転げそうになってしまう。

 幸い転倒する事無く慌てただけで済んだものの、その頃には魔理沙はもう彼女と一メイル未満のところまで近づいていた。

 一体何が始まるのかと少女は無意識の体を硬くすると、黒白の魔法使いはおもむろに右手を上げて彼女に話しかけたのである。

 

「よぉ、何か探し物かい?」

「…………。…………」

 突然自分に向けて挨拶しながらもそんな言葉を掛けてきた黒白に、少女は緊張気味の表情を浮かべて黙っている。

 そりゃそうだ、例え同性同年代?の相手でも何せ見ず知らずの者が近づいてきたらそりゃ警戒の一つはするだろう。

 対して、魔理沙の方は相手が見た事の無い相手であっても特に態度を崩すことなく、不思議そうな表情を浮かべている。

(ありゃ?ちょっと反応が薄かったかな…って、まぁ当たり前の反応だけどな)

 …反省する気は無いが、相変わらず私ってのはデリカシーとやらがなってないらしい。

 これまで一度も省みた事が無い自分の短所の一つを再認識しつつ、黙りこくる銀髪の少女へ魔理沙はなおも話しかけた。

 

「いやぁ、ここら辺じゃあ見ない顔と髪の色をしてたもんだからつい声を掛けちゃって…、ん?」

「………たから」

 最後まで言い切る前に、魔理沙は目の前の少女がか細い顔で何かを言おうとしてるのに気が付いた。

 言葉ははっきりとは聞こえなかったが、口の動きで何かを喋っているのに気が付いたのである。

 魔理沙が一旦喋るのを止めた後で、少女は気恥ずかしそうな表情を浮かべつつ上手く伝えきれなかったことを言葉にして送った。

「……わ、私―…そ、その…この街へは、初めて旅行へ…来たから」 

 多少言葉を詰まらせおどおどとしながらも、少女は素直な感じで魔理沙にそう言った。

 それを聞いた魔理沙は少女が旅行客だと聞いて、ようやく不安げな様子を見せる理由がわかってウンウンと頷いて見せる。

「成程な、どうりで道に迷った飼い犬みたいに不安そうな顔してたんだな。納得したよ」

「なっ…!そ、それどういう事ですか!?べ、別に私はま、迷ってなんかいないし、第一犬なんかでも…―――……ッ!」

 魔理沙の冗談は通じなかったのか、犬と例えられた少女がムッとした表情を浮かべて言葉を詰まらせながらも怒ろうとした時、

 突如少女のすぐ後ろにある路地裏へと続く道から、本物の犬の鳴き声が聞こえてきたのである。

 それを耳にした少女は驚いたのか身を竦めて固まってしまい、魔理沙は突然の鳴き声にスッと耳を澄ます。 

 

「お、話をすれば何とやらか?まぁでも…この吠え方だと飼い犬とは思えないがな」

 恐らく街の人々が出す生ごみ等を食べて生活している野良犬なんだろう、吠え方が荒々しい。

 きっと仲間か野良猫と餌か縄張りの奪い合いでもしているのだろうが、朝からこう騒々しくしては人々の顰蹙を買うだろう。

「朝っぱらから大変元気で羨ましいぜ、全く。………って、どうしたんだよ?」

 帽子のつばをクイッと持ち上げながら、そんな事を呟いた後で魔理沙は少女の様子がおかしい事に気が付く。

 先ほどしゃがんでいた時とは違って両手で守るようにして頭を抱えて蹲ってしまっている。

 一体どうしたのかと思った彼女であったが、尚も聞こえてくる野良犬の声で何となく原因が分かってしまった。

 

「もしかしてかもしれないが…お前さん、ひょっとして犬が苦手なのか?」

 魔理沙の問いに少女はキュッと目をつむりながらコクコクと頷き…次いでおもむろに顔を上げた。

 何かと思って魔理沙は、少女の顔が信じられないと言いたげな表情を浮かべているのに気が付く。

 一体どうしたのかと魔理沙が訝しむ前に、少女は耳を両手で塞ぎながら口を開いた。

「え?あ、あのワンワン!って怖い吠え方をする小さい生き物も犬なんですか!?」

「…………はぁ?」

 少女からの突然な質問に、魔理沙は答えるより前に自分の耳を疑ってしまう。

 今さっき、恐い恐くないという以前の言葉に魔理沙は暫し黙ってから再度聞き直すことにした。

 

 

 

「……………スマン、今何て?」

「え…っと、ホラ!今後ろの道からワンワンって鳴いてる生き物も犬なんですか…って」

「イヤ、こういう場所でワンワンって鳴く生き物は犬しかいないと思うが」

「え、でも…犬ってもっと大きくて、人を背中に乗せたりもできて…あとヒヒーン!って鳴く動物なんじゃ…」

「それは馬だ!」

 少々どころか斜め上にズレた会話の果てに突っ込んでしまった魔理沙の叫び声が、通りに木霊する。

 これには素通りしようとした通行人たちも何だ何だと足を止めてしまい、少女達へと視線を向けてしまう。

 思いの外大きな叫びに通りは一瞬シン…と静まり返り、時が止まったかのように人の流れが静止している。

 路地裏にいるであろう野良犬だけが、一生懸命何かに対して吠えかかる声だけが鮮明に聞こえていた。

 

 

 

「知らなかった…、まさかあの小さくておっかない四本足の生き物が犬だったなんて…」

「はは…まぁ良いんじゃないか?世の中に犬を馬と思う人間がいても良いと思うぜ?」

 それから暫くして、魔理沙は未だ呆然とする少女を先導するかのようにチクトンネ街の通りを歩き続けていた。

 魔理沙は落ち込む少女ー顔に苦笑いを浮かべてフォローしつつ、馬を犬と勘違いしていた彼女に突っ込んだ後の事を思い出す。

 

 

 最初何かの冗談かと思った彼女が少女の言葉に、思わず突っ込みを入れてしまった後は色々と大変であった。

 何せ自分の怒鳴り声でそのまま尻もちついた彼女が何故か泣き出してしまい、魔理沙は変な罪悪感に駆られてしまう。

 事情を知らぬ人間が見れば、気弱そうな銀髪の少女を怒鳴りつけて泣かした悪い魔法使いとして見られかねないからだ。

 とりあえず平謝りしつつも、野良犬の鳴き声が怖いらしいので仕方なく彼女をそこから遠ざける必要があった。

 移動した後も少女はまだ泣いていた為に放っておくことが出来ず、魔理沙は動きたくても動けないまま彼女の傍にいたのである。

 

 大体小一時間ほど経った時に、ようやく泣き止んだ少女は頭を下げつつ魔理沙に自分の事を詳しく話した。

 名前はジョゼット、以前はとある場所にある建物でシスター見習い…?として暮らしていたのだという。

 しかし丁度一月前にある人達が自分を秘書見習いにしたいといって彼らの下で働き始めたらしい。

 そして今日ばその人達゙の内一人で、自分が゙竜のお兄さん゙と呼ぶ人が今この街で働いているので、もう一人の人と一緒に会いに来たのだという。

「…で、その後は竜のお兄さんと会ったのはいいけど、調子に乗ってホテルから通りの方へ出ちゃって…」

「成程、それで路地裏に入り込んじゃって…挙句の果てに野良犬に追いかけられた結果…ワタシと出会ったというワケか」

 自分が言おうとした言葉を魔理沙に先取りされてしまったのに気づき、ジョゼットは思わず恥ずかしそうに頷いた。

 それで、竜のお兄さんやもう一人のお兄さんが心配しているから、急いでホテルに戻らなければいけないのだという。

 魔理沙はそこまで聞いて、先程ジョゼットが道の端で不安そうな表情を浮かべていた理由が分かってしまった。

「はは~ん!つまり、帰ろうと思っても道が分からないから帰れなかったんだな?」

「……!」

 容赦する気の無い魔理沙の指摘に、ジョゼットは思わず頬を紅潮させながら頷く。

 その後は、何だかんだでジョゼットと彼女を拾ったお兄さんたちとやらに興味が湧いた魔理沙は少しばかり彼女に付き合う事にした。

 つまりは乗りかかった船として、迷子のジョゼットをそのホテルまで連れていく事にしたのである。

 

「……にしても、大通りから少し離れただけでも大分涼しいんだな…」

 先ほどの事を思い出し終えた魔理沙は、今歩いている小さめの通りを見回しながら一人感想を呟く。

 賑やかな市場から少し離れているここの人通りはやや少ないものの、散歩をするにはうってつけの道であろう。

 恐らく市場に行った帰りなのか、紙袋を抱えた平民たちの多さから見て自宅へ戻る際にここを通る者が相当いるらしい。

 建物の影もあるおかけで真夏の暑い太陽から隠れるこの場所は、ちょっとした避暑地の様な場所になっているようだ。

 魔理沙はそんな事を考えつつ箒片手に歩いていると、後ろをついて来るジョゼットが「あの…」と申し訳なさそうに声を掛けて来たのに気づく。

 

「ん?どうしたんだ」

 また素っ頓狂な質問かと思ったが、それを顔に出さず魔理沙が聞いてみると彼女はオロオロしつつも口を開く。

「え…っと、その…ありがとう、ございます。初対面なのに、道に迷った私を助けてくれるなんて…」

「あぁ、その事か!そう気に病む事はないさ、この街って私の生まれ故郷よりずっと大きいしな、迷うのは無理ないと思うぜ?」

 だからそう気に病むなよ?そう言ってコロコロと笑う魔理沙を見て、ジョゼットもその顔に微笑みを浮かべてしまう。

 

 何だか不思議な女の子だと、ジョゼットは思った。

 黒と白のエプロンドレスに絵本に出てくるメイジが被るようなトンガリ帽子にその手には箒。

 子供のころに読んだ絵本ではメイジが箒を使って空をとぶ話はいくつもあるが、実際は箒で空は飛べないのだという。 

 ではなぜ箒なんか持って街中にいるのだろうか?そんな疑問が頭の中に浮かんできてしまう。

 ――――まさかとは思うが、本当に箒で飛べるのだろうか?あのどこまでも続く青空を。

「……くす、まさかね」

「…?」

 変な想像をしてしまったジョゼットは小さく笑ってしまい、それを魔理沙に聞かれてしまう。

 しかし聞いた本人もまさか手に持っている箒の事を笑われたというのに気付かず、ただただ首を傾げていた。

 

 そうこうする内に小さな通りを抜けて、魔理沙はジョゼットの案内でブルドンネ街の一角へと入っている事に気が付く。

 周りを歩く人々の中にチラホラと貴族の姿が見えるし、何より平民たちの服装もチクトンネ街と比べれば小奇麗であった。

 右を見てみると幾つものホテルや洒落たレストランがあり、まだ開店前だというのに美味しそうな匂いを周囲に漂わせている。

 左には川が流れており、昨日の大雨の影響か水の色が土砂のせいで薄茶色に染まっていた。

 チクトンネ街とはまた違うブルドンネ街の景色を二人そろって見とれかけたところで、慌てて我に返った魔理沙がジョゼットに聞く。

「あ、そういや…ここら辺で合ってるんだよな?」

「え…うん、路地裏で犬に出会う前に川を見ながら歩いたから…」

 危うく目的を忘れかけた二人は何となく早足で前へと進むと、左側に小さな広場があるのに気が付いた。

 どうやら川の水はそのまま道の下にある暗渠に流れていくようで、濁流の音が微かに穴の中から聞こえてくる。

 地下へと続く暗い穴を一瞥した魔理沙がジョゼットの方へ顔を向けると、彼女は川を横切るようにして造られた左の広場を指さした。

 

 そこから先は左へと進み、まだ人の少ない小さな広場を抜けたところでまたしても道の片方に川が流れていた。

 ここには排水溝がすぐ真下にあるので、今度は川の流れに逆らって歩くような形となるらしい。

「なるほど…さっきの排水溝とはそれほど離れてないから、多分こことあそこの川の水は全部地下に流れてるのか?」

 だとすればこの街の真下には、巨大なため池があるようなもんだな…と魔理沙がそんな想像をしていた時、

 何かを見つけたであろうジョゼットが自分の横を通り過ぎ一歩前へ出ると、すぐ近くの建物を指さして叫んだのである。

「あった!あれ、あれだわ。あのホテルは川の傍にあったもの、間違いないわ!」

 嬉しそうなジョゼットの言葉に思わず魔理沙もそちら方へ視線を向けると、彼女の言うとおりホテルが建っていた。

 これまで通り過ぎてきたものとは違い、妙に新築の雰囲気が残るホテルの看板には『タニアの夕日』という名前が刻まれている。

 

「『タニアの夕日』…か、確かにここの屋上から見たら夕日は良く見えるかもな?…昨日を除いてだがな」

 看板の名前を読み上げながら、さぞ昨日だけ名前負けしていたに違いないと思っていると、

「わはは!やったぁー、やっと戻れたぁー!あはははー!」

「ちょ…っ!?お、おい待てって!」

 それまで大人しかったジョゼットが嬉しそうな笑い声を上げ、ホテルの入口目がけて走り出したのである。

 周囲の人々の奇異な者を見る視線と、突然のハイテンションに珍しく驚いている魔理沙の制止を振り切って。

 よっぽど嬉しかったのであろう、長い銀髪を振って走る彼女の後姿を見て、魔理沙はヤレヤレと肩を竦めて見せた。

 

「……ま、結局遅かれ早かれ中に入ってたんだし。仕方ない、私もついて行くとするか」

 あのホテルの中にいるであろうジョゼットを連れてきた者たちがどんな人たちなのか知りたくなった魔理沙は、

 もう大丈夫だろうと一人静かに立ち去るワケがなく、ジョゼットの後を追ってホテルの入口へと足を進めた。

 

 一足先に入ったジョゼットに続くようにしてドアを開けた魔理沙は、思わず口笛を吹いてしまう。

「へぇ―、こいつは中々だな!ウチの屋根裏部屋が動物の住処に見えてしまうぜ」

 笑顔を浮かべて辺りを見回す彼女の目には、二年前にリニューアルした『タニアの夕日』の真新しさが残るロビーが映っている。

 流石ブルドンネ街のホテルという事だけあるが、何よりもロビーの隅にまでしっかりと手が行き届いているからであろう。

 フロントやロビーの真ん中に配置されたソファー、そして建物の中に彩りを与えている観葉植物にも古びた所は見えない。

 床にも埃の様な目に見えるゴミは魔理沙の目でも視認できず、まるで鏡面かと思ってしまう程に磨かれている。

 

 少々ぼやけて見えるがそれでも自分の顔を映す床を見つめていた魔理沙の耳に、ふとジョゼットの声が聞こえた。

「お兄様!竜のお兄様ー!」

 その声でバット顔を上げ、声のした方へ目を向けた先にジョゼットが手を振っているのが見えた。

 丁度ロビーから上の階へと続く階段の手前で足を止めた彼女は、その階段の上にいる誰かに手を振っているらしい。

 彼女の言ゔ竜のお兄様゙とやらがどんな人物なのか知りたい魔理沙は、すぐさま目線を彼女が手を振る方へと向ける。

 階段を上った先にあるホテル一階の廊下、そこで足を止めてジョゼットと目線を合わせたのはマントを羽織った美青年であった。

 魔理沙が今いる位置からでは詳細は分からないが、少なくともそう判断できるほど整った容姿をしている。

 

 見えないのならもう少し近づこうかと思ったその時、ジョゼットを見つけたその青年も声を上げた。

「ジョゼット!ようやく帰って来たんだな、このやんちゃ者め。迷子になったのかと思ったよ」

 軽く叱りつつも、その顔に安堵の笑みを浮かべる青年はそのまま階段を降りてジョゼットの方へと近づいていく。

 そして十五秒も経たぬうちにロビーへ降りてきた彼を見て、ジョゼットもまた笑みを浮かべて言った。

「まぁ酷いわお兄様、私が報告しようとした事を先に言い当てちゃうなんて!」

「これから僕が直々に君を探しに行こうかと思ったけど、取り越し苦労で済んで何よりだよ」

「あら、そうでしたの?…だったらもう少し迷っていたら良かったかも知れませんわね」

 悪戯っ気のあるジョゼットの言葉に青年は「こいつめぇ!」と笑いながら彼女の髪をクシャクシャと撫でまわす。

 それに対しジョゼットは怒るでも嫌がるでもなく、頭を撫でられている仔犬の様に嬉しがっていた。

 

 まるでカップルの様な慣れ合いを見て、魔理沙はやれやれと溜め息をついて肩も竦めてしまう。

 この後はジョゼットをここまで連れてきた事を話して、ついでほんの少しお話でもしたいと思っていたが、これでは無理そうだ。

「とはいえ、このまま黙って去るのも私の性分じゃあないし―――はてさて…」

 イチャつく二人の周りに出来た蚊帳の外で、一人考える魔理沙の姿にジョゼットは気が付いたのだろうか。

 頭をやや乱暴に撫でられて笑っていた彼女はハッとした表情を浮かべると、すぐにロビーを見回し始める。

 そして、ここまで一緒に来てくれた魔理沙がすぐそこまで来てくれていた事に気が付くと、彼女に手を振りながら呼びかけた。

 

「黒白のお姉さん!こっち、こっちにいる人が竜のお兄様だよ!」

「ん?―――………なッ」

 少女が突然あげた声に青年と魔理沙は同時に互いの顔を見つめ、それぞれ別の反応を見せた。

 突然ジョゼットに呼びかけられた魔理沙は少し驚きつつも箒を持つ右手を挙げて「よぉ、初めまして!」と気軽な挨拶をして見せる。

 しかし青年は違った。彼もまた挨拶を返すつもりだったのだろうか、右手を少しだけ上げた状態のまま―――目を見開いて驚いていた。

 それだけではなく、体を少し仰け反らせ声も漏らしてしまったが為に、魔理沙だけではなくジョゼットも青年の方へ顔を向けてしまう。

 そして、ついさっきまで自分の頭を笑いながら撫でてくれた彼の表情の変わりっぷりに怪訝な表情で首を傾げ、彼に声を掛けた。

 

「……?お兄様?」

「――――…え、あ…!ゴホン!いや、何でもない」  

 ジョゼットの呼びかけが効いたのか、魔理沙を見て驚き硬直していた青年はハッと我に返り、

 ついで誤魔化すように咳払いをしてそう言うと、ジョゼットよりも怪訝な顔つきをした黒白の方へと視線を向け直す。

 一方の魔理沙は自分を目にしてあからさまに驚いて見せた彼の様子から、自分の勘がしきりに「怪しい!」と叫んでいる事に気付いていた。

 まるで今顔を合わせるのはマズイと思った相手が目の前にいて驚き、一瞬遅れてそれを誤魔化す時の様なワザとらしい咳払い。

 あれは…そう。紅魔館の門番をしている美鈴が居眠りしていて、咲夜が様子を見にきていたのに気が付いて慌てて目を開け咳払いした時のような手遅れ感。

 湖上空でそれを目撃し、その後の顛末もばっちり見ていた魔理沙には目の前の青年が取った行動にそんな既視感を覚えていた。

 問題は、互いに初めて顔を合わせるというのになぜ青年はそんな反応を見せたのか…である。霧雨魔理沙にとって、それは無性に気になる事であった。

 

(ちょっと挨拶だけして、後はお茶とかお茶請け―――ついで昼飯も頂いて帰る予定だったが…こりゃ思いの外、面白そうな事になってきたぜ)

 三度のパン食よりも米食が好きな魔理沙は、遠慮なく自分の好奇心を優先する事にした。

 場合によってはジョゼットを怒らせるかもしれないが、今の彼女にとって青年が何で驚いたのかを知りたくてたまらないでいた。  

 と、なれば即行動…と言わんばかりに魔理沙は今にもため息をつきそうな表情を浮かべると、肩を竦めながらジョゼットに話しかけた。

「おいおい、いきなりどうしたんだコイツ?私を見てびっくりするとは、随分な挨拶じゃないか」

「そうですよね?竜のお兄様、どうしたんですか急に驚いちゃったりして」

 挑発とも取れる魔理沙の言葉に気付かず、ジョゼットも若干頬を膨らませて青年に先ほどの驚愕について聞いている。

 まぁ見ず知らずの自分を助けてくれて、ホテルまでついてきてくれた恩人に対してあんな様子を見せれば、そりゃだれだって失礼だと感じるだろう。

 とはいっても、それ程怒っている様には見えないジョゼットに応えるかのように、青年は再度咳払いをしながら言い訳を述べた。

 

「コホン、いやーすまないね君。僕はこれまで色んな女の子と知り合ってきたけど…一瞬君が女装をした男の子だと思ってね?」

「んな…ッ!お、おと…女装!?」 

 これを言い訳と捉える他者がいるのなら、そいつは色んな意味で世の中の中性的な女性の敵になるだろう。

 最も言われた魔理沙自身は、自分が中性的だと一度も思ったことが無いし霊夢達幻想郷の知り合いからもそういう風に見られたことは無い。

 だがジョゼット以上に見ず知らずの男に何も言ってないのに驚かれ、初っ端からそんな言い訳をされたら怒るよりも先に驚くしかなかった。

 そして青年の声はロビーにいた客やフロントの係員たちの耳にも入ったのか、皆一斉に魔理沙達へ視線を向けている。

「お、お兄様…!なんて酷い事言うんですか!どう見てもこの人は女の子でしょう!?」

「そう怒るなよジョゼット、今のはロマリアじゃあちょっとした褒め言葉みたいなもんさ」

 流石のジョゼットも周囲から注がれる視線と恩人に対する無礼な発言に対して、顔を真っ赤にして青年に怒鳴っている。

 しかし一方の青年は先ほど目を見開いて驚いていた時とは全く違い酷く冷静であり、その整った顔に不敵な微笑みを浮かべて言葉を返す。

 次いで、先ほどまでの自分と同じように驚き硬直している魔理沙へ「すまなかったね」と手遅れな謝罪を述べてから話しかけた。

 

「さっきも言ったよう、僕はこれまで色んな女の子と出会ってきたが…君みたいに男の言葉を使う快活な子と出会ったのは初めてでね。

 つい中性的で綺麗だと遠回しに褒めたつもりだったのだが、君の耳にはとんでもない侮辱として届いてしまったようだ。その事については謝るよ」

 

 照れ隠しの様な、それでいて相手を小馬鹿にしているとも取れる笑みを浮かべる青年に魔理沙はどう返せばいいか迷ってしまう。

 とりあえず苦虫を噛んだうえで無理やり浮かべた様な笑みを顔に浮かべつつ、いえいえ…とか適当な言葉を口にしようとした所で彼女は気づく。

 自分の顔を見つめる青年の両方の瞳…左は鳶色で右は碧色と、それぞれの色が違う事に気が付いたのである。

「ん?その目は…」

「あぁ、これかい?僕と初めて会うの人は真っ先にその事を聞いてくるから、いつ聞いてくるのかと心待ちにしてたんだ」

 恐らくこれまで何度も聞かれているのだろうか、若干の皮肉を交えながらも青年はサッと教えてくれた。

 自分の両目の色が違うのは生まれつき虹彩の異常があるらしく、そのせいで幼少期は色々と待遇が悪かったのだという。

「ハルケギニアじゃあ僕みたいな『月目』は縁起が悪い人間扱いされるし、おかげでしょっちゅう冷や飯を食わされたもんだよ」

「ふぅーん…冷や飯云々はどうでもいいが、私は綺麗だと思うぜ?なりたいかと言われれば別だけどな」

 手振りを交えて軽い軽い説明をしてくれたジュリオに魔理沙もまた毒と本音を混ぜて素直に月目を褒めた。

 女である自分をさらりと女装男子扱いしたイヤな奴ではあるが、良く見てみればまるで丁寧に磨かれた宝石の様に綺麗なのである。

 

 青年は魔理沙が褒めてくれたことに対しありがとうと素直に礼を述べ、さっと右手を彼女の前に差し出した。

 突然の右手に一瞬何かと思った彼女であったが、すぐに察して自分の右手で彼の差し出す手を握る。

 手袋越しの手は少々くすぐったいものの、握力から感じるに自分に対してあまり警戒はしていないようであった。

 互いの顔を見つめあい、暫し無言の握手が続いたところで魔理沙は自分の名を名乗る。

「私は魔理沙、霧雨魔理沙だ。街中で迷ってたジョゼットを見つけた普通の魔法使いさ」

「魔法使い?メイジじゃなくて…?」

「ここら辺の人間には名乗る度に似たような疑問を抱かれてるが、誰が言おうともメイジじゃあなくて魔法使いなんだ」

「成程、面白いヤツだよ君は。それに名前も良い」

 隠すつもりが全くない魔理沙の自己紹介に青年は笑いながらも頷いて、次に自分の名を名乗った。

 

「僕の名前はジュリオ、ジュリオ・チェザーレ。ワケあって今はトリステインへ出張している普通じゃないロマリア神官さ」

「おいおい、人の名乗りを模倣するかと思いきや…何て自己主張の激しい奴なんだ」

「いかにもメイジですって格好しておいて、わざわざ魔法使いとか主張する君も相当なもんだぜ?」

 互いに笑顔を浮かべつつ、棘のある会話をする二人の間には自然と和やかな雰囲気が漂っている。

 それを見守っていたジョゼットは、ジュリオが魔理沙を男子扱いした時の一触即発の空気が変わった事にホッと一息つくことができた。

 緊張に包まれていた周囲の空気も元に戻るのを感じつつ、ジュリオは魔理沙からここに来るまでの出来事を聞く事となった。

 興味本位でホテルの外に出て、街中を歩いていたら野良犬に追いかけられて道に迷った事。

 そして偶然通りがかった魔理沙に助けられて、トコトコ歩きながらようやくここへ辿り着くまでの話を聞いてジュリオはウンウンと頷いた。

 

「キミには助けられたようなものだね。まさかトリスタニアに、キミみたいに親切な魔法使いさんがいるとは予想もしていなかったよ」

「何といっても私は魔法使いだからな。自分が興味を抱いたモノにとことん付き合うのは職業柄のさだめ…ってヤツさ」

「おや?僕の知らない世界では魔法使い…というのは職業として扱われているらしいねぇ。どこに行ったらなれるんだい?」

「残念だがこの業界はライバルが少ない程に得なんでな、なりたいなら自分で方法を探してみな」

 そこまで言った所で、いつのまにか魔法使いに関しての話になってしまったのに気づいた二人はクスクスと笑う。

 出会ってまだ十分も経たないというのに、すっかり打ち解けたかのような雰囲気になってしまっているからだろうか。

 二人して明確な理由が無いまま暫しの間笑い続け、それから少ししてジュリオが共に落ち着いてきた魔理沙へ話しかけた。

 

「改めて言うが本当に助かったよ。トリスタニアは以外に複雑な街だし、性質の悪い平民たちもいるしね」

「あぁ確かに…路地裏とか結構入り組んでるし、いかにもチンピラって奴らもあちこち見かけてるな」

 念には念を入れるかのようなジュリオの言葉に魔理沙は納得するかのように頷きつつ、ついでジョゼットの方へ目を向ける。

 恐らくこの世界の人間でも珍しい銀髪に小さな体躯。もしも自分と出会わずに夜中まで迷い続けていたら大変な事になってたかもしれない。

 そう考えると自分はとても良い事をしたぜ!…と誰に自慢するでもなく内心で踏ん反り返っている。

 一方のジョゼットは自分を見つめてニヤニヤする魔理沙に首を傾げた思った瞬間、

 ハッとした表情をその顔に浮かべると慌てて頭を下げて、ここまでついてきてくれた彼女へお礼を述べた。。

 

「あ、あの!助けてくれて本当にありがとうございます、キリサメ・マリサ…さん!」

「別にタメ口でもいいぜ?でも゙さん゙付けは別に嫌いじゃあないし、嬉しいけどな」

 魔理沙の言葉に頭を上げたジョゼットは暫し考えるかのように体を硬直させた後、再度頭を下げて言い直した。

「じゃ、じゃあ…ここまでついてきてくれて、ありがとう。マリサ、さん」

「ははは、そうそうそんな感じでいいんだよ!…っていうか、別に言い直さなくたっていいんだけどな」

 律儀にも言葉を訂正してお礼を述べてくれたジョゼットに魔理沙は苦笑するしかなかった。

 彼女としてはほんのアドバイス程度だったのだが、どうやら真面目に受け取ってしまったらしい。

 ちょっと言い過ぎたかな?魔理沙がそう思った時、それはジュリオの背後――先程まで彼がいた一階から聞こえてきた。

 

「ジョゼット、無事だったのですね!」

「え…あっ、せ…―――セレンのお兄さん!」

 

 ジュリオと比べ微かに低く、しかし十分に若いと青年の声に真っ先に振り向いたジョゼットは、真っ先にそう叫んだ。

 遅れてジュリオも背後を振り返り、魔理沙は視線を動かして階段を降りてくる青年の姿が目に入る。

「あれは…?」

「彼は…セレン。ここへジョゼットを連れてきた騒ぎの張本人にして、もしかすると…彼女の身を一番案じてた人さ」

「…!成る程、ジョゼットが言ってたもう一人のお兄さんってアイツの事なのか」

 思わず近くにいたジュリオに訪ね、返事を聞いた魔理沙はここに来る前にジョゼットが言っていた事を思い出す。

 年の程は良く分からないものの、階段の上からでも分かる程にその背丈は大きかった。

 恐らくジュリオと比べて一回り大きいがそれでいて痩せているためか、一見するとモデルか何かだと見間違えてしまう。

 ジュリオのそれと比べてやや濃い色の金髪をショートヘアーで纏めており、窓から漏れる陽の光で反射している。

 そして何よりも一番目についたのは、ジョゼットがセレンと呼んだ青年の表情から『優しさ』のようなものが溢れ出ていた事だ。

 

 『優しさ』――或いは『慈悲』とも言うべきか、とにかく彼の顔には『怒り』や『悲しみ』といった負の感情…というモノが一切見えないのだ。

 普通なら勝手にホテルから出て、街で迷ってしまったジョゼットを怒るべきなのだろうが、その予想は惜しくも外れてしまう。

 優しい笑みを浮かべる金髪の青年セレンが階段を降り切ると同時に、ジョゼットが彼の下へ走り出す。

 セレンは駆け寄ってくる少女を自らの両腕と体で優しく抱きとめると、繊細に見える銀髪を優しく撫でてみせたのである。

「あぁジョゼット、まさか探しに行く前に帰ってきてくれるとは…始祖に感謝しなければなりませんね」

「はい、仰る通りです!…けれど、始祖のご加護だけではなく、それにマリサさんにも!」

「?…マリ、サ…?もしかすると、そこにいる黒白のトンガリ帽子の少女ですか?」

 ジョゼットの口から出た聞き慣れぬ名前にセレンは顔を上げ、ジュリオの後ろにいる魔理沙へと視線を向ける。

 それを待っていたと言わんばかりに魔理沙は左手の親指でもって、自分の顔を指さしてみせた。

「そ!ジョゼットの言うマリサさん…ってのはこの私、普通の魔法使いこと霧雨魔理沙さ!」

「普通の、魔法…使い?メイジではなく?」

 魔理沙の自己紹介で出た゛魔法使い゙という言葉に彼もまた首を傾げ、それを見たジュリオがクスクスと笑う。

「セレン、そこは疑問に感じるでしょうが彼女にとってはそれが至極普通なんだそうですよ」

「…ほぉ、成程!つまり変わっているという事ですね?…嫌いじゃあありませんよ、そういうのは」

 笑うジュリオの言葉にセレンもまた微笑みながら返すと抱きとめていたジョゼットを少しだけ離して魔理沙と向き合う。

 一方の魔理沙も自分の顔を指していた親指を下ろすと、今度は彼女の方からセレンへ向けて右手を差し出す。

 それを見てセレンも気持ちの良い笑顔を浮かべながら、自分の両手でもって彼女の手を優しく包み込むように握手する。

 

「ジョゼットの知り合いになったばかりの私だが、以後お見知りおきを…ってヤツで頼むぜ」

「えぇ勿論。…私の名はセレン、セレン・ヴァレンです。今日、貴女という素晴らしい人、貴女を出会わせたくれた始祖の御導きに感謝を」

 互いに気持ちの良い握手をする最中、ふと魔理沙はセレンの首からぶら下がる銀色のアクセサリーに気付く。

 それは彼女のいる世界では良く見るであろう十字架とよく似た、敬虔なブリミル教徒が身に着ける聖具であった。

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