ルイズと無重力巫女さん   作:1-UP-code

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第九十話

 

 チクントネ街から旧市街地の間を横切るようにして造られた一本の水路がある。

 この水路もまた地下への下水道へと続いており、人通りの少なさもあってか地下へと続く暗渠が他よりもやや不気味な雰囲気を醸し出している。

 また、水路と道路には三メイル以上の段差があるせいか通行人が落ちないようにと鉄柵が設けられている。

 普段は旧市街地と隣接している場所であるためか人気も無く、水の流れる音だけがBGМ代わりに水路から鳴り響いている。

 一部の人間の間では、王都で川の流れる音を静かに聞きたいのならこの場所と囁かれているらしいが冗談かどうか分からない。

 まぁ最も、すぐ近くには共同住宅が密集している通りがあるので完全に人の気配がしない…という日はまず来ないだろう。

 

 そんな静かで、活気ある繁華街と棄てられた廃墟群の間に挟まれた水路には、今多くの人間が押しかけていた。

 それも平民や貴族達ではなく、安い鎧に槍と剣などで武装した衛士隊の隊員たちが十人以上もやってきているのである。

 年齢にバラつきはあれど、彼らは皆一様に緊迫した表情を浮かべて柵越しに水路を見下ろしていた。

 彼らの視線の先には、水路の端に造られた道に降りた仲間たちがおり、彼らは一様に暗渠の方へと視線を向けている。

 暗渠の中にも既に何人かが入っているのか、一人二人出てくると入り口で待つ仲間たちと何やら会話を行う。

 そして暗闇の奥で何かが起こった――もしくは起こっていた?――のか、入口にいた者達も暗渠の中へ入っていく。

 

 衛士達が何人もいるこの現場に興味を示したのか、普段はここを訪れない者たちが何だ何だと押し寄せている。

 近くの共同住宅に住む平民や下級貴族たちが大半であり、彼らは衛士達が張った黄色いロープの前から水路を覗こうと頑張っていた。

 ハルケギニアの公用語であるガリアの文字で「立ち入り禁止」と書かれたロープをくぐれば、それだけで罪を犯した事になってしまう。

 ロープを挟んで平民たちを睨む衛士たちに怯んでか、それとも罪を犯すことを恐れてか誰一人ロープをくぐろうとしない。

 張られている位置からでは上手く水路が見れないものの、それでも衛士達の間から漏れる会話で何が起こったのか察し始めていた。

 

「なぁ今の聞いたか?地下水道の出入り口で白骨死体が見つかったらしいぜ」

「しかも聞いた限りじゃあ衛士隊の装備をつけてたって…」

 一人の平民の話に若い下級貴族が食い付き、それに続いて中年の平民女性も喋り出す。

「殺人事件?…でも白骨って、じゃあ殺されてから大分経つんじゃないの?」

「いや…それがここの下水道近くに住んでるっていうホームレスが言うには、ここ最近死体なんて一度も見なかったらしいぞ」

 女性の言葉に旦那である同年代の平民男性がそう返し、他の何人かが視線をある人物へ向ける。

 彼らの目線の先、ロープの向こう側で一人の男性衛士から事情聴取を受けているホームレスの男性の姿があった。

 いかにもホームレスのイメージと聞かれた大衆がイメージするような姿の中年男性は、気怠そうに衛士からの質問に答えている。

 

 朝っぱらだというのに喧騒ならぬ物騒な雰囲気を滲ませている一角を、博麗霊夢は屋上から見つめていた。

 そこそこ良かった朝食の直後にここへ向かう衛士達の姿を見た彼女は、とある淡い期待を抱いてここまで来たのである。

 淡い期待…即ち自分のお金を盗んでいったあの兄妹の事かと思っていた彼女は、酷くつまらなそうな表情で地上を眺めていた。

「何よ?てっきりあの盗人たちが見つかったのかと思ったら…単なる殺人事件だなんて」

『単なる、と言い切っちゃうのはどうかと思うがね?お前さんたちが寝泊まりしてる場所からここはそう遠くないんだぜ』

 デルフの言葉で彼が何を言いたいのかすぐに理解した霊夢は口の端を微かに上げて笑う。

 

「どんな殺人鬼でも、あの店を襲おうもんならスグに襲ったことを後悔するわね」

『随分自身満々じゃないか…って言っても、確かにお前さんたちと遭遇した殺人鬼様は間違いなく不幸になるだろうな』

「んぅ~…それもあるけど、何よりあそこにはスカロンが店を構えてるし大丈夫でしょ?」

 半分正解で半分外れていた自分の言葉を補足してくれた霊夢に、デルフは『あぁ~』と納得したように笑う。

 確かに、どんなヤツが相手でも人間ならば間違いなく『魅惑の妖精』亭の店長スカロンを前に逃げ出す事間違いなしである。

 タダでさえ体を鍛えていて全身筋肉で武装しているというのに、オネェ言葉で若干オカマなのだ。

 見たことも無い容疑者が男だろうが女だろうが、スカロンが前に立ちはだかれば大人しく道を譲るに違いない。

 

 それを想像してしまい、ついつい軽く笑ってしまったデルフに気を取り直すように霊夢が話しかける。

「まぁ今の話は置いておくとして、普通の殺人事件でこんなに衛士が出てくるもんなのかしら?」

『確かにそうだな。…何か事情があるんだろうが、にしたって十人以上来るのはちょっとした大ごとだ』

 道路の上にいる人々と比べて、建物の屋上に霊夢の目には衛士達の動きが良く見えていた。

 

 その手振りや身振りからしても、自分たちと同じヒラか少し上程度の衛士が死んだ゙だげの事件とは思えない。

 道路の上から現場を指揮する隊長格と思しき隊員が、数人の隊員に人差し指を向けて急いで何かを指示している。

 少し苛ついている感じがする隊長格に隊員たちは敬礼した後、人ごみを押しのけて街中へと走っていく。

 暗渠へ入っていった隊員達の内二人が上から大きな布を掛けた担架を担ぎ、慎重に歩きながら出てきた。

 まるで大きくていかにも骨董的な割れ物を運ぶかのような慎重さと、人が乗せられているとは思えない程の凸凹が見えない布。

 きっとあれが、の中で死んでいたという衛士隊員の白骨死体なのだろう。

 入り口にいた隊員の内一人がその担架の方へ体を向け、十字を切っている。

 それに続いて何人かが同じように十字を切った後、担架は水路から道路へと出られる梯子の方まで運ばれていく。

 恐らく別の何処かに運ぶのだろう、隊長格の隊員が他の隊員と一緒に鉤付きのロープを水路へ落としている。

 

 そんな時であった、突如繁華街の方向から猛々しい馬の嘶きが聞こえてきたのは。

 何人かの隊員たちと野次馬が何事かと振り返り、霊夢もまたそちらの方へと視線を向ける。

 そこにいたのは、丁度手綱を引いて馬を止めた細身の衛士が慣れた動作で馬から降りて地に足着けたところであった。

『何だ、増援?…にしちゃあ、一人だけか』

「もう必要ないとは思うけど…あの金髪、どこで見た覚えがあるような?」

 地上にいる人々とは違い、霊夢の目には馬から降りたその衛士の背中しか見えなかった。

 辛うじて髪の色が金髪である事と、それを短めにカットしているという事しか分からない。

 それが無性に気になり、いっその事降りてみようかしらと思った彼女の運が良い方向へ働いたのだろうか。

 

 馬を下りたばかりの衛士は、別の衛士に後ろから声を掛けられて振り返ったのである。

 髪を少し揺らして振り返ったその顔は―――遠目から見ても女だと分かる程に綺麗であった。

 猛禽類のように鋭い目つきで後ろから声を掛けてきた同僚と一言二言会話を交えて、水路の方へと向かっていく。

 霊夢と一緒に見下ろしていたデルフが『へぇ~女の衛士かぁ』ぼやくのをよそに、霊夢は少々面喰っていた。

 何故ならその女性衛士と彼女は、今より少し前に顔を合わせていたからである。

 

「あの女衛士、確かアニエスって言ってたような…」

 まさかこんな所で顔を合わすとは思っていなかった霊夢は、案外にこの街は狭いのではと感じていた。

 

 一波乱どころではない騒ぎに巻き込まれたアニエスが元の職場に戻れたのは、つい今朝の事である。

 軍部からの演習命令で一時トリステイン軍に入り、そのままタルブでの戦闘に巻き込まれた彼女は散々な思いをした。

 アルビオンとの戦いが終わった後もタルブやラ・ロシェールでの戦闘後の処理作業に追われ、

 更に戦闘開始直後に出現した怪物を間近に見たという事で、数日間にも渡って取り調べを受け、

 やっと衛士隊への復帰命令が来たと思えば、王都へ戻る際の馬車が混雑したり…と大変な目にあったのだ。

 

 そうして王都に戻れたのは今朝で、幸いにも書類に書かれていた復帰までの期日には間に合う事が出来た。

 彼女としては一日遅れる事は覚悟していたものの、早めにゴンドアを出ていて良かったとその時は胸をなで下ろしていた。

 駅舎の警備をしている同僚の衛士達と一言二言会話をした後で、手ぶらでは何だと思って土産屋で適当なモノを幾つか購入し、

 すっかり緑に慣れてしまっていた目で幾つも建ち並ぶ建物を見上げながら、アニエスは第二の故郷となった所属詰所へと戻ってきた。

 ふと近くにある広場にある時計で時刻を確認してみると丁度八時五十分。彼女にしては珍しい十分前出勤となる。

 いつもならばもっと早い時間に出勤して、昨日残した書類の片づけや鍛錬に時間を使うアニエスにとって慣れない時間での出勤だ。

 

 とはいえ立ちっ放しもなんだろうという事で彼女は玄関の傍に立つ同僚に敬礼し、中へと入る。

 そして彼女の目の前に広がっていた光景は―――慌てて緊急出動しようとする大勢の仲間たちであった。

 まるで王都に敵が攻めて来たと言わんばかりに装備を整えた姿の仲間数人が、急ぎ足で彼女の方へ走ってきたのである。

 彼らの鬼気迫る表情に思わずアニエスが横にどいたのにも気づかず、皆一様に外へと出ていく。

 いつもの彼女らしくないと言われてしまう程身を竦ませたアニエスが何なのだと目を丸くしていると、後ろから声を掛けて来た者がいた。

 

――あっ!アニエスさんじゃないか、戻ってきたんですか!?

 

 その声に後ろを振り向くと、そこには衛士にしては珍しく眼鏡を掛けた同僚がいた。

 彼はこの詰所の鑑識係であり、事件が起きた際に現場の遺品や被害者のスケッチなどを担当している。

 まだ鑑識になって日は浅いものの、若いせいか隊長含め仲間たちからは弟分のように可愛がられている。

 その彼もまた衛士隊の安物の鎧と鑑識道具一式の入ったバッグを肩から掛けて、外へ出ようとしていたところであった。

 アニエスは彼の呼びかけにとりあえず右手を上げつつ、何が起こったのか聞いてみることにした。

 

―――あぁ、今日が丁度復帰できる日なんだ。…それよりも今のは何だ?どうにもタダ事ではなさそうだが…

――――それが実は僕も良く知らないんですが、今朝未明に衛士隊隊員の死体が発見されたそうで…

―――――何だと?だがそれにしては騒ぎ過ぎだろ、こんなに騒然としてるなんて…隊長は何て?

 

 ふとした会話の中でアニエスが何気なく隊長の名を口にした途端、鑑識の衛士ばビクリと身を竦ませた。

 単に驚いただけではないというその反応を見て、アニエスは怪訝な表情を浮かべる。

 鑑識の青年衛士も、顔を俯かせて暫し何かを考えた後……ゆっくりと顔を上げて口を開いた。

 

―――実は、隊長はその…昨晩の夕方に退勤して以降、行方が分からなくて…自宅にもいないそうなんです…

――――な…ッ!?

―――――それで、発見された白骨死体が衛士隊員だという事で…みんな―――

――――――勝手な想像をするんじゃないッ!

 

 ちょっとどころではない死地から帰ってきて早々に、どうしてこんな良くない事が起きてしまうのか。

 アニエスは自分の運の無さを呪いながらも大急ぎで支度を整え、鑑識から現場を聞いて急行したのである。

 場所はチクトンネ街と旧市街地の間にある川で、既に何人もの衛士達が書けてつけているとの事らしい。

 本当なら応援はもういらないのだろうが、それでもアニエスはわざわざ馬を使ってまで現場へと急いだ。

 

 そうして現場へとたどり着いた時、既に件の白骨遺体は水路から上げられる所だったらしい。

 馬を降りて一息ついた所で、既に現場で野次馬たちを見張っていた同僚に声を掛けられた。

「おぉアニエス、戻ってきたのか?…すまんな、復帰早々こんなハードな現場に来てくれるとは」

「野次馬相手なら幾らいても足りなくなるだろう?それより、例の遺体はどこに……ん、あっ!」

 同僚と軽く挨拶しつつ、痛いはどこにあるのかと聞こうとしたところで彼女は群衆がおぉっ!声を上げた事で気が付いた。

 そちらの方へ視線を向けたと同時に、水路にあった被害者が引き上げられようとしていたのである。

 

 アニエスは失礼!と言いながら野次馬たちを押しのけてそちらへと向かう。

 何人かが押すなよ!と文句を言ってくるのも構わず進み、ようやく目の前に引き上げられたばかりの担架が見えた。

 野次馬を防いでいる衛士達が咄嗟に止めようとしたものの、同僚だと気づくとロープを持ち上げてアニエスを自分たちの方へと招いた。

「戻ってきたのかアニエス、大変だったらしいな」

「その話は後にしてくれ、それよりここの現場担当の隊長格は?」

 仲間たちの言葉を軽く返しつつそう言うと、水路に残っている部下たちにも上がる様指示していた上官衛士が前へと出てくる。

「俺の事…ってアニエスか!エラい久しぶりに顔を見た様な気をするが、よく帰ってこれたな」

「あっ、はい!奇跡的に傷一つ負わずに戻ってこれました。…それで、被害者の身元は分かったのですか?」

 彼女が良く知る隊長とはまた別の管轄を持つ彼の言葉にアニエスは軽く敬礼しつつ、状況の進展を探った。

 キツイ仕事から帰ってきたというのに熱心過ぎる彼女に内心感心しつつも、上官衛士は首を横に振りつつ返す。

 

「今の所俺たちと同じ服装をした白骨死体…ってだけしか分からんな。軍服と胸当てだけで身分証の類は持っていなかっ

 たから尚更だ。それに俺たちだけじゃあ骨で性別判断何てできっこないし、何より白骨死体にしては妙に綺麗すぎる。ホラ、見てみろ?」

 

 彼はそう言うと共に担架の上に掛かった布を少しだけ捲り、その下にある白骨をアニエスへ見せてみる。

 最初は突然の骨にウッと驚きつつも、恐る恐る観察してみると…確かに、上官の言葉通り洗いたての様に真っ白であった。

 まるで死体安置所で冷凍保管されていた遺体から肉を丁寧に落として、骨を漂白したかのように綺麗なのである。

 別に腐って乾燥した肉片とかついている黄ばんだ骨が見たいわけではないのだが、それでもこの白さはどことなく異常さが感じられた。

 思わずまじまじと見つめているアニエスへ補足を入れるかかの様に、上官は一人喋り出す。

 

「第一発見者の浮浪者がここら辺を寝床にしてるらしくてな、昨夜は濁流に飲み込まれないよう旧市街地にいたらしい。

 それでも、今朝見つけるまであんな綺麗な骨は絶対に無かった…と手振りを交えながら話してくれた。」

 

 上官の言葉にアニエスはそうですか…と生返事をした後、ふと気になった事を彼へと質問する。

「…それならば、この骨は昨夜の暖流で流れて来たのでは?」

「可能性は無くは無いが、それにしては変に綺麗すぎる。見てみろ、この白さなら好事家が言い値で買うかもしれんぞ」

 仮にも同僚であった者に対して失礼な例え方をしているとも聞こえるが、彼の表情は真剣そのものであった。

 茶化し、誤魔化しているのだろうとアニエスは思った。実際今の自分も冗談の一つぐらい言いたい気持ちが胸中にある。

 この骨が自分の管轄区の、粉挽き屋でバイトしていた自分を衛士として雇ってくれた隊長だと思いたくはなかったのだ。

 今のところは身元が全然分からないという事で安堵しかけているが、それでも不安は拭いきれない。

 

 もやもやと体の内側に浮かんでいるそれを誤魔化すかのように、アニエスは口を開く。

「それで、身元の特定作業はもう行っているのですか?」

「あぁ。今日欠勤している者を優先的に調べているが…ここは王都だ、全員調べるとなると明日の昼まで掛かる」

 アニエスからの質問に上官は肩をすくめてそう言うと、アニエスは仕方ないと言いたげにため息をつく。

 欠勤者だけではなく、非番の者まで調べるとなれば…文字通り街中を駆け巡らなければいけないのだ。

 これが単なる殺人事件ならばここまで大事にはならないが、殆ど傷がついていない白骨という奇怪な状態で見つかっているのだ。

 もはや衛士である前に、一介の平民である自分たちが対応できる事件としての範囲を超えてしまっている。

 

 持ち上げていた布をおろし、アニエスの方へと向いた上官は渋い表情を浮かべたまま言った。

「一応魔法衛士隊にも報告はしておいたが、正直今の国防事情では来てくれるかどうか…だな」

「確かに、平時ならばメイジが関与していると考慮して動いてくれますが…今はアルビオンと戦争が間近という状況ですし」

 上官の言葉にアニエスは頷く。彼女の言うとおり、今はこうした街中の事件で対応してくれる魔法衛士隊は別の任務に就いている。

 大半は新しく補充された新人隊員達に訓練を施し、更に有事に備えて軍や政府関連の施設の警備を優先するよう命令されている筈だ。

 となれば、いくら怪奇的な事件だとして出動を乞うても「今は衛士隊だけで対応せよ」という返事が返ってくるのは間違いないだろう。

 今はドットクラスメイジの手を借りたいほどに、王宮と軍が忙しいのはつい数日前までそこに所属していたアニエス自身が知っている。

 先の会戦で主な将校を何人も失った王軍と、戦力に余裕のある国軍を統合させた陸軍の創設及び部隊の再配置で更に忙しくなるだろう。

 それが本格的に行われる前に衛士隊へ復帰する事ができたアニエスは、思わずホッと安堵したくなった。

 

 ―――しかし、そこで彼女は胸中に秘めていた『願い』を思い出し、内心で安堵する事すら自制してしまう。

 もしも、この騒ぎに乗じて正式に軍に配備されていれば――――自分はもっと『王宮』へ近づく事ができたのでは、と。

 トリスタニアの象徴でもあるあの宮殿の中に眠るであろう『ソレ』へとたどり着ける、新たな一歩になっていたかもしれない。

 

 そこまで考えた所で彼女はハッと我に返り、首を横に振って今考えていた事を頭から振り払う。

(今はそんな事を考えている場合じゃないだろうアニエス。もう過ぎた事だ…今は、目の前の事件に集中しなければ)

 

 ひょっとすると、自分の体と頭は自分が思っている以上に疲れているのかもしれない。

「…少なくとも今できる事は情報収集です。可能ならば、私もお手伝いします」

 そんな事を思いつつ、それでも担架に乗せられた白骨の正体を知りたい彼女は上官に申し出た。

 

「できるのか?それなら頼む。今は猫の手も借りたい状況だ、是非ともお願いしよう。後、お前んとこの隊長と出会ったらボーナス給弾むよう言っておく」

 疲れているであろう彼女に上官は冗談を交えつつ許可すると、アニエスは「はっ!」と声を上げて敬礼する。

 直後に彼女は踵を返し、野次馬たちの向こう側で同僚が宥めている馬の所へ向かおうとした、その時であった。

 

 急いで馬の所へ戻ろうとする彼女の視界の端に、紅白の人影が一瞬だけ入り込んできたのである。

 

「ん?………何だ?」

 思わず足を止めて人影が見えた方向へ視線を向けると、そこにあるのは屋上付きの建物であった。

 個人の邸宅ではなく、一階に雑貨屋などがある共同住宅らしく窓越しに現場を眺めている住人がチラホラと見える。

 しかし窓からこちらを覗く人々の中に紅白は見えず、屋上を見てみるも当然誰もいない。

 だが彼女は確かに見た筈なのである。何処かで見た覚えのある、紅白の人影を。

 

「気のせいだったのか、それとも単に私が疲れすぎているだけなのだろうか…」

 納得の行かないアニエスは一人呟きながらも馬の所へ辿り着くため、再び野次馬たちを押しのける小さな戦いへと身を投じた。

 

『さっきの口ぶりからして知り合いだったらしいが、声かけなくても良かったのかい?』

「アニエスの事?別に良いわよ。知り合いだけど親しいってワケではないし、向こうも忙しそうだったしね」

 水路からの喧騒が小さく聞こえる路地に降り立ったばかりの霊夢へ、背中に担いだデルフがそんな事を言ってきた。

 昨日の雨で出来た水たまりをローファーで軽く蹴り付けつ道を歩く彼女は、大したことじゃ無いと言いたげに返す。

 建物と建物の間に出来ているが故に道は陽が遮られており、幾つもの水たまりが道端にできている。

 それをローファーが踏みつけると共に小さな水しぶきがあがり、未だ乾いていないレンガの道を更に濡らしていく。

「あんな事件は衛士に任せといて、今はあの盗人兄妹を捕まえて金を取り返すのが最優先事項なのは、アンタも分かってるでしょうに」

『オレっちは手足が無いから持ってても意味ねェけどな』

 鞘に収まった刀身を震わせて笑う彼に、霊夢は「アンタは良くても私達がダメなのよ」と返す。

 いくら子供であっても、あれ程の大金を一気に使おうとすれば大なり小なり人々のちょっとした話題になるのは明白である。

 そうであるなら楽なのだが、明らかに手慣れている感じからして常習犯なのは間違いないだろう。

 と、なれば…盗んだ大金で豪遊などせずに、小分けにして生活費にするというのなら探し出せる難易度は一気に高くなる。

 

「とりあえず昨日はルイズと大雨のせいで行けなかった現場に行って、アイツらを捜すかそれに関する情報を集めないとね」

『成程、容疑者が確認の為に現場へ戻るっていう法則を信用するのか』

 デルフがそう言うと共に陽の当たらぬ路地から出た霊夢は、目に突き刺さるかのような光に思わず目を細める。

 途端、まるで空気が思い出したかのように夏の熱気へと変わり彼女と服を熱し始めた。

 

 

「いくら私でも手がかりの一つか二つ無いと分からないし、何か収穫の一つでもあればいいんだけどねぇ…」

 ハルケギニアの夏の気候に慣れぬ彼女は未だ活気の少ない通りへと入りつつ、デルフに向けて呟く。

 霊夢としては、そう都合よくあの兄妹二人の内一人が現場へ戻っているとはあまり思ってはいなかった。

 ただ何かしらの証拠や、あの近辺にいる住民へ聞き込みをして情報が手に入ればと考えてはいたが。

 

 霊夢のそんな意見に、デルフはほんの一瞬黙ってからすぐさま口を開いた喋り出す。

『とはいってもなぁ、ソイツらが手練れの常習犯なら現場には戻らないと思うぜぇ?』

「それは分かってるよ。だけどこっちは明らかな情報不足なんだし、私が動かなきゃあゼロから先には進まないわ」

 諦めかけているようなデルフの言葉に彼女はやや厳しめに返事しつつ、通りを歩いていると、

 ふと三メイル先にあるベンチに腰かける、短い金髪が似合う見知り過ぎた顔の女性がいるのに気が付いた。

 その女はこちらをジッと睨んでおり、その瞳からは人ならざる者の気配を僅かにだが感じ取る事ができる。

 

『あの女…って、もしかしてあの狐女か?』

「その通りの様ね。アイツ、一体何用かしら」

 気配に見覚えがあったデルフがそこまで言った所で、バトンたったするかのように霊夢が口を開いて言った。

 敵意は感じられないが、昨日見た彼女の豹変ぶりをを思い出した霊夢は若干気を引き締めて女へ近づいていく。

 金髪の女は何も言わずにじっと霊夢とデルフを睨み続け、彼女と一本が後一メイルというところでようやく口を開いた。

 

「やぁ、盗人探しは順調に進んでるかい博麗霊夢よ」

「残念ながら芳しくない。…って言っておくわ、八雲藍」

 

 自分の呼びかけに対しそう答えた霊夢にベンチの女―――八雲藍もまた目を細めて睨み返す。

 それでこの巫女が怯むとは全く思ってもいなかったし、単に自分を睨む彼女へのお返しみたいなものであった。

 両者互いに力ませた目元を緩ませないでいると、霊夢の背にあるデルフが金属音を鳴らしながら喋り出す。

『おいおい堅苦しすぎるぜお前ら?…って言っても、昨日は色々あったから仕方ないとは思うがよ』

 昨日ルイズたちと一緒に、藍の豹変と何かに動揺する紫を見ていたデルフの言葉に霊夢が軽く舌打ちしつつ視線を後ろへ向ける。

 

「だったら少し黙っててくれない?ただでさえ暑いっていうのにそこにアンタの濁声まで加わったら参っちゃうわ」

『ひでぇ。…でもまぁ許す、今はお前さんが俺の使い手だしな。じゃあお言葉に甘えて少し静かにしておくよ』

 随分な言い様であったがそれで一々怒れる程デルフは生まれたばかりではなかったし、経験もある。

 背中越しに感じる霊夢の気配から、ベンチの狐女に昨日の事を聞きたいのであろうというのは何となく分かる事が出来た。

 デルフは彼女の剣として、ここは下手に口を出さすのはやめて大人しく黙っておくことにした。

 

 それから数秒、静かになったデルフを見てため息をついた霊夢は再び藍の方へと視線を向ける。

 特徴的な九尾と狐耳を縮めて人に化けた彼女もまたため息をつきき、自分の隣の席を無言で指さす。

 ―――そこに座れ。そう受け取った霊夢はデルフを下ろすとベンチに立てかけて、藍の横に腰を下ろした。

 太陽の光に照らされ続けた木製のそれは熱く、スカート越しでも容赦なく彼女の背中とお尻へと熱気が伝わってくる。

 せめて木陰のある場所に設置できなかったのか。そんな事を思っていた霊夢へ、早速藍が話しかけてきた。

 

「昨日の夜は悪かったな。まさか雨漏りしていたとは考えてもいなかったよ」

「……そうね。でもまぁ、そのおかけで昨日はマトモな部屋で寝れたし結果オーライって事で許してあげるわ」

「何だその言い方は?もしかすれば私に仕返ししてかもしれないって言いたいのかお前は」

「あら、仕返しされたかったの?何なら今この場でしちゃっても良いんだけど」

「やれるものなら…と言いたいがやめておけ、こんな所で騒げば今度こそ紫様の堪忍袋の緒が音を立てて切れるぞ」

「それなら遠慮しておくわ。アンタが怒るよりもそっちの方が十倍怖いんですもの」

 そんな短い会話の後、ほんの少しの間だが二人の間を沈黙が支配した。

 お互い本当に言いたい事、そして聞きたい事をいつ口に出そうか迷っているのかもしれない。

 いつもならば霊夢が先陣切って口を開きたいのだろうが、昨日久々に姿を見せた紫の動揺を思い出してか口を開けずにいる。

 

 これまで色んな所で彼女の前に現れては、色々なちょっかいを掛けてきた大妖怪こと八雲紫。

 並の妖怪なら名を聞いただけでも怯んでしまう博麗の巫女である彼女を前にしても、常に余裕満々で接してきた。

 ちょっかいを掛け過ぎた霊夢が激怒した時もその余裕を崩す事なく、むしろ面白いと更にちょっかいを掛けてくる事もあった。

 だからこそ霊夢は変に気にし過ぎていた。まるで世界の終わりがすぐ間近だと気づいてしまった時の様な様子に。

 

 ブルドンネ街では市場が始まったのか、遠くから人々の活気づいた喧騒が耳に入ってくる。

 一方で夜はあれだけ騒がしかったチクントネ街は未だ静かであり、時折二人の前を人々が通り過ぎていく。

 きっと市場へ買い出しに行くのだろう、手製の買い物袋を手に歩く女性の姿が多い。

 年の幅は十代後半から六十代までとかなり広く、何人かが集まって楽しげな会話をしているグループも見られる。

 そんな人たちを見ながら、霊夢と同じく黙っていた藍は意を決した様に一呼吸おいてからようやく口を開いた。

「やはり気になっているんだろう、私が急にお前へ掴みかかった事が」

「それ意外の何を気にすればいいっていうのよ。滅茶苦茶動揺してた紫の事も含めて、昨日から聞きたかったのよ?」

 藍の言葉に待っていましたと言わんばかりに霊夢は即答し、ジッと九尾の式を見据えた。

 

 それは昨日――霊夢たちの前に紫が現れた時の事。

 紫は言いたい事を言って、霊夢たちも伝えたい事を伝え終えていざ紫が部屋を後にしようとした時であった。

 何気なく霊夢は昨日見た変な夢の事を話した直後、まるで興奮した獣の様に藍が掴みかかってきたのである。

 突然の事に掴まれた本人はおろかルイズと魔理沙に橙も驚き、思わず霊夢は紫に助けを求めようとした。

 しかし、紫もまた藍と同様に―――いや、もしくは式以上におかしくなっている彼女を見て霊夢は目を丸くしてしまった。

 前述した様に、まるで世界の終わりを予知したかのように動揺している紫の姿がそこにあったのだ。

 

――――ちょっと、どういう事?何が一体どうなってるのよ…

 

 面喰った霊夢が思わず独り言を言わなければ、ずっとその状態のままだったかもしれない。

 まるで見えない拘束か立ったまま金縛りに掛かっていたかのように、数秒ほどの時間をおいて紫はハッと我に返る事が出来た。

 それでも目は若干見開いたままであったし、額から流れる冷や汗は彼女の体が動くと同時に更に滲み出てくる。

 紫はほんの少し周囲にいる者たちを見回して、皆が自分を見ている事に気が付いた所で誤魔化すように咳払いをした。

「…ごめんなさい。少し暑くてボーっとしていたみたい」

「ボーっと…って、貴女明らかに何かに動揺していたんじゃないの?」

 いつも浮かべる者とは違う、苦々しさの混じる笑顔でそう言った彼女へ、ルイズがすかさず突っ込みを入れる。

 ルイズは紫が『何に』動揺していたのかまでは分からなかったが、それでも暑すぎてボーっとしていた何て言い訳を信じる気にはなれなかった。

 あの反応は霊夢の言葉を聞き、その中に混じっていた『何か』を聞いて明らかに動揺していたのである。

 

 そんなルイズの突っ込みへ返事をする気は無いのか、紫は霊夢に掴みかかっている藍へと声を掛けた。

「藍、霊夢を放してあげなさい。彼女も嫌がってるだろうし」

「え――…?あ、ハイ。ただいま…」

 気を取り直した紫の命令で藍は正気に戻ったかのように大人しくなり、霊夢の両肩を掴んでいたその手を放す。

 九尾の狐にかなり強く掴まれてジンジンと痛む肩を摩る霊夢は、苦虫を噛んだ時の様な表情を浮かべて痛がっている。

 そりゃ式と言えども列強ひしめく妖怪界隈でもその名が知られている九尾狐に力を込めて肩を掴まれれば誰だって痛がるだろう。

 大丈夫なの?と心配そうに声を掛けてくれるルイズに霊夢は大丈夫と言いたげに頷くと、キッと藍を睨み付けた。

 

「アンタねぇ…、一体どういう力の入れ方したらあんなに強く掴めるのよ」

「それは悪かったな。…だが、こっちも一応そうせざるを得ない理由があるんだよ」

「理由…ですって?どういう事よソレ」

 霊夢の言葉に肩を竦めつつ、藍は若干申し訳なさそうな表情を浮かべつつもその言葉には全く反省の意が見えない。

 まぁそれは仕方ないと想おうとしたところで、彼女は藍の口から出た意味深な単語に食いつく。

 どんな『理由』があるにせよ乱暴に掴みかかってきたことは許せないが、それを別にして気になったのである。

 あの八雲藍がここまで取り乱す『理由』が何なのか、霊夢は知りたかった。

 早速その『理由』について問いただそうとした直前、彼女よりも先に紫が藍へ向けて話しかけたのである。

 

「霊夢、藍とする話が急に出来たから少し失礼するわね」

「え?あの…紫さ――うわ…っ!」

 突然の事に霊夢だけではなく藍も少し驚いたものの、有無を言えぬまま足元に出来たスキマの中へと落ちてしまう。

 藍が大人しく飲み込まれてしまうと床に出来たスキマは消え、傷一つ無い綺麗なフローリングに戻っている。

 

 正に神隠しとしか言いようの無い早業にルイズと魔理沙がおぉ…と感心している中、霊夢一人だけが紫へと食い掛かった。

「ちょっと紫、何するのよイキナリ。これから藍に色々聞きたい事があったっていうのに!」

 明らかに怒っている霊夢にしかし、先ほどまでの動揺がウソみたいに涼しい表情を見せる紫は気にも留めていない。

 

「御免なさいね霊夢。これから色々藍と話し合いたい事ができたから、今日はここらへんで帰るとするわ」

「ちょ…!待ちなさいってッ!」

 彼女だけは行かせてなるものかと思った霊夢が引きとめようとする前に、紫は右手の人差し指からスキマを作り出す。

 まるで指の先を筆代わりにして空間へ線を書いたかのようにスキマが現れ、彼女はそこへ素早く入り込む。

 たった数歩の距離であったが、霊夢がその手を掴もうとしたときには既に…スキマは既に閉じられようとしていた。

 このままでは逃げられてしまう!そう感じた彼女はスキマの向こう側にいるでうろ紫へ向かって大声で言った。

 

「アンタッ!一体何を聞いたらあんな表情浮かべられるのよ!?」

「……残念だけど、今回の異変に関さない情報は全て後回しと思いなさい。博麗霊夢」

 

 届きもしない手を必死に伸ばす霊夢へ紫がそう告げた瞬間、藍を飲み込んだモノと同様にスキマはすっと消え去った。

 後に残ったのは霊夢、ルイズ、魔理沙にデルフ…そして何が起こったのか全く分からないでいる橙であった。

 消えてしまったスキマへと必死に左手を伸ばしていた霊夢は、スキマが消える直前に中にいた紫が自分を睨んでいたと気づく。

 ほんの一瞬だけで良く見えなかったものの、いつもの紫らしくない真剣さがその瞳に映っていたような気がするのだ。

 まぁ見間違いと誰かに言われればそうなのかもしれない。何せ本当に一瞬だけしか目を合わせられなかったのだから。

 

 

 結局、あの後紫と話をしてきたであろう藍が何を言い含められたのかまでは知らない。

 昨日は屋根裏部屋やら雨漏りやらで聞くに聞けず、霊夢自身もその後の出来事で忙しく忘れてしまっていた。

 そして今日になってようやく、暇を持て余していたであろう彼女がわざわざ自分を誘ってきたのである。

 据え膳食わぬは何とやら…というのは男の諺であるが、出された料理が美味しければ全部頂いてお土産まで貰うのが博麗霊夢だ。

 だからこそ彼女はこうして自分を待ち構えていた藍の隣に座り、今まさに遠慮なく聞こうとしていた。

 

 昨日、どうして自分が夢の中で体験したことを口にしただけであの八雲藍がああも取り乱し、

 そして紫さえもあれ程の動揺を見せた理由が何なのか、博麗霊夢は是非とも知りたかったのだ。

「…で、教えてくれるんでしょう?私が見た夢の話を聞いて何で『覚えてる』なんて言葉が出たのか」

 霊夢の口から出たその質問に、藍はすぐに答えることなくじっと彼女の顔を見つめている。

 まるで言うか言わないべきかを見定めているかのように、真剣な表情で睨む霊夢の顔を凝視する。

 両者互いに睨み合ったまま十秒程度が経過した頃だろうか?ようやくして藍が観念したかのように口を開いた。

 

「私の口から何と言うべきか迷うのだが、…お前は夢の中で自分とよく似た巫女を見たのだろう?」

「えぇ、何かヤケに殴る蹴るで妖怪共をちぎったり投げたりしてような…」

 最初の一言からでた藍からの質問に、霊夢は夢の内容を思い出しながら答える。

 あの夢の事は不思議とまだ覚えていたし、細部はともかく大体の事は今でも頭の中に記憶が残っていた。

 彼女からの返答を聞いた藍は無言で頷いた後、ほんの数秒ほど間を置いてから再び喋り始める。

 そして、九尾の式の口から出たのは霊夢にとって衝撃的と言うか言わぬべきかの間の事実であった。

 

「要だけかいつまんで言えば、恐らくその巫女はお前の一つ前…つまりは先代の巫女の筈だ」

「…は?先代の…巫女ですって?」

 

 少し渋った末に聞かされたその答えの突然さに、霊夢は目を丸くする。

 思わず素っ頓狂な声を上げる霊夢に藍は「あぁ」と頷きつつ、雨上がりの晴れた青空を仰ぎ見ながらゆっくりと語っていく。

 それは人間にとっては長く、妖怪である彼女にとってつい昨日の様な出来事であった。

 

「今から二十年前の幻想郷での出来事か、今のお前より年下の少女が新しい博麗の巫女に選ばれた。

 霊力、才能共に十分素質があり、何より当時の先代が幼年の頃の彼女を拾って修行させいたのも大きかった。

 何よりあの当時は今と比べて雑魚妖怪共による集団襲撃が相次いでいたからな。なるべく早く次代を決めざるを得なかった」

 

 藍の話をそこまで聞いて、霊夢は成程と幾つもある疑問の一つを解決できた事に満足に頷いて見せる。

 つまりあの夢の内容はその先代巫女とやらが妖怪退治をしていた時の光景を夢で見たのであろう。

 そこまで考えたところでまた新しい疑問ができたものの、それを察していたかのように藍は話を続けていく。

 

「お前が言っていた人面に猿の体の妖怪の事なら、当時私も現場にいたから良く覚えてる。

 それで、まぁ…実はその当時既に幼いお前さんを紫様が少し前に拾って来ていてな、

 気が早いかもしれんが、何かあった時の跡取りにと二十二なったばかりの先代巫女にお前の世話を押し付けていたんだ。

 まぁ紫さま自身ようやく赤ん坊から卒業したばかりのお前さんの面倒を見てたり……後、妖怪退治にも連れて言ったりもしてたな」

 

 勿論、紫様がな。最後にそう付け加えて名前も知らぬ先代巫女の名誉を守りつつもそこで一旦口を閉じる。

 一方で、そこまで話を聞いていた霊夢はこんな所で自分の出自に関する事が出てきた事に少し衝撃を受けていた。

 放して欲しいとは言ったが、まさかこんな異世界に来てから幻想郷で告白するような事実を告げられたのであるから。

 藍も雰囲気でそれを感じ取ったのか、若干申し訳なさそうな表情を浮かべて彼女へ話しかける。

「流石に堪えるか?…すまんな、お前の出自に関してはお前が色々と落ち着いてから話そうと紫様と決めていたんだが…」

「…ん、まぁー大体自分がそうじゃないかなって思ってたりはしてたけどね?両親の事とか全然記憶にないし」

 今はここにいない紫の分も含んでいるであろう藍からの謝罪に、霊夢はどういう感情を表せばいいか分からない。

 

 確かに彼女の言うとおり、今現在も続いている未曾有の異変解決の最中にカミングアウトするべき事じゃなかったのは明白である。

 恐らく異変を解決した後で、更に自分が年齢的にも精神的にも大きくなった時に話すつもりでいたのだろう。霊夢はそう思っていた。

 最も霊夢自身は両親がいないという事実を何となく察していたし、一人でいて特に不自由する事もなかったが。

 しかしここでふと新たな疑問がまた一つ浮かぶ。霊夢はそれをなんとなく藍に聞いてみることにした。

「んぅ~…でも私、その先代の巫女とやらと一緒にいた記憶がスッポリ抜け落ちたかの如く無いのよねぇ~」

「……………まぁ大抵の世話は紫様がして、巫女はそういうのを面倒くさがって全部あのお方に任せていたからな」

 しかしこの時、霊夢の質問を――ー先代の巫女と一緒にいたという記憶が無い―と聞いて一瞬だけ表情が変わるのを見逃さなかった。

 それを見逃さなかった霊夢であったが、その内心を読み取ることは出来ずひとまず彼女に話を合わせることにした。

 

「…?……んぅ、まぁ例え私が紫にそういうのを押し付けられたとしても確かにそうするかもね」

「まぁオムツはやら離乳食は卒業したばかりであったし、大して世話は掛からなかった…とも言っておこうか」

「そういうのを、普通にカミングアウトするのやめてくれないかしら?」

 藍からしてみればほんの少し前の幼い昔の霊夢と、成長して色々酷くなった今の霊夢を見比べながら彼女は言う。

 そんな式に苦々しい表情を向けつつも、霊夢は昨日から悩んでいた事が幾つか取り除かれた事に対してホッと安堵したかった。

 

 どういう理由かまでは知らないが、どうやら自分は昔見たであろう血なまぐさい光景とやらを夢で見たのだという。

 そしてあの巫女モドキはこの世界の出身者ではなく、同じ幻想郷の同胞――それも自分の先代である博麗の巫女であるかもしれない事。

 何故今になって、こんな厄介かつ長期的な異変に巻き込まれている中でこのような事態が起こったのかは分からない。

 

 解決すれはする度に新しい疑問が湧きあがり、霊夢の頭の中に悩みの種として埋められてしまう。

 そして性質が悪い事にそれはすぐに解決できるような話ではなく、それでも異変解決を生業とする身が故に自然と考えてしまう自分がいる。

(全く…チルノや他の妖精たちみたいな能天気さでもあれば、そういう事に対して一々気にもせずに済んだのかもしれないわね)

 知性が妖精並みに低くなるのは勘弁だけど。…そんな事を思っていた霊夢は、ふと頭の中に一つの疑問を藍へとぶつける。

 それは、かつて自分の前に巫女もどき―――ひいてはその先代の巫女かもしれない人物についての事であった。

 

「じゃあ聞きたいんだけど、私とルイズ達が私とそっくりな巫女さんに会ったって言ったでしょう」

「あぁ、そういえばそんな事も言っていたな。確か夢の中に出てきた先代巫女と瓜二つだったのだろう?」

「だから聞きたいのよ。どうしてこんな異世界に、先代の巫女とよく似たヤツがいるのかについて」

「…………」

 

 意外な事にその質問を耳にして、藍は先程同様すぐに答える事ができなかったのだ。

 まるでとりあえずボタンは押したは良いものの、答えがどれなのか思い出そうとしている四択クイズのチャレンジャーの様である。

 それに気づいた霊夢が怪訝な顔を浮かべて彼女の顔を覗き込もうかと思った、その直後であった。

「―――悪いが…それに関しては私の知る範囲ではないし、紫様も同様に答えるだろうな」

「つまり、あの巫女もどきの存在は完全にイレギュラー…って事でいいのよね?」

 大分遅れて答えを口にした彼女に怪訝な視線を向けつつも、霊夢は念には念を入れるかのように再度質問する。

 藍はそれに対し「そうだ」と頷くと、もう話は終わりだぞと言うかのようにベンチからゆっくりと腰を上げた。

 彼女が立ち上がると同時に霊夢も視線を上げると、金髪越しの陽光に思わず目を細めてしまう。

 

「私が確認しない事には分からないが、生憎未だ見つかってない。最も、何処にいるか皆目見当つかんがな」

「そう…じゃあ私とルイズ達はいつもどおり異変解決に専念するから。アンタは巫女モドキを捜す…それでいいわよね?」

「それでいい。何か目ぼしい情報があれば教える、それではまた今夜にでも…」

 互いにするべき事と任せるべきことを口に出した後、藍は霊夢が歩いてきた道を歩き始める。

 市場へ向かう人の流れに逆らうように足を進める九尾の背中を、霊夢は無言で見つめていた。

 やがて通りの横に造られている路地裏にでも入ったのか、人ごみとと共に彼女の姿は掻き消されたかのように見えなくなった。

 霊夢はそれでも視線を向け続けた後、一息ついてから立ち上がり横に立てかけていたデルフを手に取る。

 太陽に熱されて程よく暖まった鞘に触れた途端、それまで黙っていた彼は鞘から刀身を出して霊夢に話しかけた。

 

『余計なお節介かもしれんが、お前さんあの狐の話を端から端まで信じる気か?』

 いつものおちゃらけた雰囲気とは打って変わって、ややドスの利いたその声に霊夢は無言で目を細める。

 ほんの数秒目と思しき物が分からないデルフと睨み合った後、彼女は溜め息をつきつつ「まさか」と返した。

「アイツといい紫といい、何か私に隠してるってのは分かってるつもりだけど…一番問題なのはあの巫女もどきよ」

『あの狐がお前の前の代の巫女と姿が一致してるって言ってたあの長身の巫女さんの事か』

 デルフもタルブで助太刀してくれた彼女の後姿を思い出しつつ、藍が言う前に霊夢より一つ前の巫女と似ているのだという。

 しかしここはハルケギニアであって幻想郷ではない。ならばどうしてこの世界にいるのか、その理由が分からない。

 

 文字通り情報が圧倒的に不足しているのだ。

 まだ親の顔すら分からぬ赤ん坊に、魔方陣を一から書いてみろと言っている様なものである。

 恐らく藍や紫たちも同じなのであろうし、この謎を解くにはもう少し時間が必要なのかもしれない。

 そしてデルフにとってもう一つ気になる疑問があり、それは今すぐにでも霊夢に問う事ができた。

 さてこれから何処へ行こうかと思っていた彼女へ、デルフは何の気なしに『なぁレイム』と彼女に話しかけたのである。

 

『アイツらは随分と一つ前の巫女を覚えてたようだが、お前さんの先輩だっていうのに肝心の本人は全く覚えてないってのか?』

「ん…?そりゃ、まぁ…そんな事言われても本当に物覚えがないのよねー。…まぁ私がこうして巫女やってるから何かがあったんだとは思うけど」

『何かって?』

 霊夢の意味深な言葉にデルフが内心首を傾げて見せると、彼女はお喋り剣に軽く説明した。

 博麗の巫女は継承性であり、基本は霊力の強い女の子を紫か巫女本人が跡取りとなる少女を探す…のだという。

 当代の巫女は跡取りの少女に霊力の操り方や妖怪との戦い方、炊事選択などの一人で暮らせる為の知恵を授けなければいけない。

 そして当代が何らかの原因で命を落とした場合は、一定の期間を置いて跡取りの少女が次代の巫女となるのだという。

「私の代で妖怪との戦いは安全になったけど…昔は一、二年で死んでしまう巫女もいたらしいわ」

『ほぉ~…そりゃまた、随分とおっかないんだなぁ?お前さんの暢気加減を見てるとそうは思えんがね』

 一通り説明した後、暢気に聞いていたデルフが感心しつつも漏らした辛辣な言葉に彼女はすかさず「うっさい」と返す。

 まぁ確かに彼の言うとおり、スペルカードや弾幕ごっこのおかげで幻想郷全体がひとまず平和になり、自分もその分暢気になれる余裕ができたのだろう。

 時折そうしたルールを理解できないくらい頭が悪い妖怪が襲ってくる事はあるが、これまで余裕で返り討ちにしている。

 幻想郷で起きた異変で対峙してきた連中は幸いにも弾幕ごっこで挑んできてくれたし、それなりにスリリングな勝負を味わってきた。

(まぁ弾幕って綺麗だし避けるのも中々面白いけど…ハルケギニアの戦い方と比べれば何て言うか…命の張り合いが違うというか…)

 

 だがその反面、この世界での戦い方と比べれば幻想郷側である霊夢も多少相性の悪さを覚えていた。

 弾幕ごっこは基本被弾しても多少の怪我で済むし、当てる方が加減をすれば無傷で相手との雌雄を決する事ができる。

 だがその反面、最低怪我だけで済む命の保証された戦いはハルケギニアの血生臭い命のやり取りとは『真剣さ』に決定的な差がある。

 例えれば、鍛え抜かれた剣と槍を持った鎧武者相手に水鉄砲と文々。新聞を丸めたモノで勝負を挑むようなものなのだ。

 相手がキメラなら霊夢も容赦なしで戦えるが、ワルドの様な人間が相手ではそう簡単に命を奪うような真似は出来ない。

 もしもあの時、自分ではなく魔理沙がワルドの相手をする羽目になっていたら――――…そこで霊夢は考えるのをやめる。

 慌てて頭を横に振って考えていた事を振り払うと、そこへ間髪入れずにデルフが話しかけてきた。

 

『…それにしてもお前さん、結局一昨日の事はあの二人に話さなくて良かったのかい?』

 最初は何を言っているのかイマイチ分からなかったが゙一昨日゙という単語でその日の出来事を振り返り、そして思い出す。

 そう、一昨日の夜…自分たちのお金を盗んだ少年をいざ気絶させようとしたときに、何故か巫女もどきが突っ込んできたのである。

 

 おかげで気を失うわ、あの少年にはまんまと金を持ち逃げられるわで散々な目に遭った。

 さっきまでデルフ言った『暢気発言』のせいで変に考えすぎてしまっていたせいで、ほんの一瞬だけ忘れてしまっていたらしい。

 その時魔理沙の元にあったデルフが知っているのは、昨日他の二人が寝静まった後に顛末を聞かせてくれと頼んできたからだ。

 霊夢本人としてはあまり自分の失敗は話したくなかったものの、あんまりにもせがむので仕方なく教えたのである。

 その事を思い出せた霊夢はあぁ!と声を上げてポンと手を叩き、ついでデルフに喋りかける。

「まぁ説明しようかなぁ…ってのは思ってたけど、下手に一昨日ここで出会ったって言うのは何か不味い気がしてね」

『それは案外正解かもな?あの狐、あまり騒ぐのは良しとしてないようだがそれもあくまで『大多数の人が見ている前』だけかもしれん』

「……それってつまり、藍のヤツがあの巫女もどきを見つけ次第どうにかしちゃうって言いたいの?」

 霊夢の言い訳にデルフはいつもの気怠そうな声とは反対に、きな臭さが漂う事を言ってくる。

 やけに過激な発言なのは間違いないし、そこは霊夢も言いすぎなんじゃないかと諭すのが普通かもしれない。

 しかし、彼女もまたデルフの言葉を一概に否定できるような気分ではなかった。

 

 昨日、あの巫女もどきと似ているという先代の巫女が出てきた夢の話だけで掴みかかってきた藍の様子。

 物心つくまえの自分が見たという光景を夢で見ただけだというのに、あの反応は誰がどうも見てもおかしかった。

 とてもじゃないが、自分が昔の巫女を夢で見たというだけであんなに驚くのははっきり言って異常としか言いようがない。

 それを聞いて酷く動揺し、豹変した藍を無理やり連れて部屋を後にした紫も加えれば…何かを隠しているのは明らかであった。

 そして、その先代の巫女と姿が似ていると藍が言っていた巫女もどき。

 彼女が街にいるのなら藍よりも先に見つけ出して、色々彼女の出自について聞いてみる必要があるようだ。

 

 やるべき事を頭の中で組み立てた彼女はデルフを背負い、市場の方へと歩きながら彼にこれからの事を話していく。

「ひとまず金を盗んだ子供を捜しつつ、あの巫女もどきもできるだけ早く見つけ出して話を聞いてみないと」

『だな。お前さんのやるべき事が一つ増えちまったが…まぁオレっちが心配する必要はなさそうだね』

「まぁね。ついでにやる事が一つできただけなら、片手間程度ですぐに済ませられるわ」

 暗にルイズや魔理沙たちに相談する必要は無いという霊夢の意見に、デルフは一瞬それはどうかと言いそうになる。

 確かに彼女ぐらいならば、今抱えている自分の問題を自分の力の範囲内で片付ける事が出来るかもしれない。

 しかし知り合いに相談の一つぐらいしても別にバチは当たらんのではないかと思っていたが、彼女にそれを言っても無駄になるだろう。

 

 変に固いところのある霊夢とある程度付き合って、ようやく分かってきたデルフは敢えて何も言わないでおくことにした。

 ここで自分の意見を押し連れて喧嘩になるのもアレだし、何より今の彼女は自分を操る『使い手』にして『ガンダールヴ』なのである。

 彼女がよほどの間違いを起こさなければ咎めるつもりは無いし、間違っていれば咎めつつもアドバイスしてやるのが自分の務めだ。

 だからデルフはとやかく霊夢に意見するのはやめて、ちょっとは彼女の進みたい方向へ歩かせてみることにしたのである。

(全く、今更何だが…つくづく風変わりなヤツが『ガンダールヴ』になったもんだぜ)

 デルフは彼女に背に揺られながら一人内心で呟くと、霊夢より一つ前――自分を握ってくれたもう一人の『ガンダールヴ』を思い出そうとする。

 昨日、ふと自分の記憶に変調が生じて以降何度も思い出そうとしてみたが、全然思い出す事が出来ない。

 まるでそこから先の記憶がしっかりと封をされているかのように、全くと言って良い程浮かんでこないのである。

 

 少なくとも昨日の時点で分かったのは、かつて自分を握った『ガンダールヴ』も女性であった事、

 そして彼女と主である始祖ブリミルの他に、もう二人のお供がいた事だけ…それしか分かっていないのだ。

 しかも肝心の始祖ブリミルと『ガンダールヴ』の顔すら忘れてしまっているという事が致命的であった。

(それにしてもまいったねぇ。相談しようにも内容が内容だから無理だし、他人の事をとやかく言ってられんってことか)

 自分と同じように一つ前の巫女の顔を知らない霊夢と同じような『誰にも言えぬ事』を抱えている事に、彼は内心自嘲する。

 互いに多くの秘密を抱えた一人と一本はやがて人ごみが増していく通りの中に紛れ込みながら、ひとまずはブルドンネ街へと足を進めた。

 

 

 

 

 それから時間が幾ばくか過ぎて、午前九時辺りを少し過ぎた頃。

 『魅惑の妖精』亭の二階廊下、屋根裏部屋へと続く階段の前でルイズはシエスタと何やら会話をしていた。

 しかしシエスタの表情の雲行きがよろしくない事から、あまり良い話ではなさそうに見えるが…何てことは無い。

「…と、いうわけであの二人は外に出かけてるのよ」

「そうなんですか、お二人とも用事で外に…」

 今日と明日の貴重な二連休をスカロンから貰った彼女が、ルイズ達三人を連れて外出に誘おうと考えていたらしい。

 しかし知ってのとおり霊夢達はそれぞれの用事で既に外へ出ており、早くとも帰ってくるの昼食時くらいだろう。

 暇をしていたルイズが空いた水差しを手に階段を降りたてきたころでバッタリ出会い、そう説明したばかりであった。

 

「まぁマリサはともかく、レイムは泥棒捜しで忙しいだろうし断られたかもしれないけどね?」

「あっ…そうですよね、すいません。…レイムさん達に王都の面白い所を色々見せてあげようと思ってたんですが、残念です…」

 ルイズの言葉で彼女達の今の状況を思い出したシエスタハッとした表情を浮かべ、ついで頭を下げて謝った。

 

 どうやら彼女の中では色々と案内したい所を考えていたらしいようで、かなりガッカリしている。

 落ち込んでいる彼女を見てルイズも少しばかり罪悪感という者を感じてしまったのか、ややバツの悪そうな表情を浮かべてしまう。

 普通なら魔法学院のメイドといえども、貴族である彼女がこんな罪悪感を抱える理由は無い。

 しかしシエスタとは既に赤の他人以上の関係は持っていたし、何より彼女にとって自分たちは二度も我が身の危機を救ってくれた存在なのだ。

 そんな彼女が自分たちにもっと恩返しをしたいという思いを感じ取ったルイズは、さりげなくフォローを入れてあげることにした。

「ん~…まぁ幸い明日も休みなんでしょう?アイツら遅くても夕食時には帰ってくるだろうし、その時に誘ってみたらどうかしら」

「え、良いんですか!でもレイムさんは…」

 途端、落ち込んでいた表情がパッと明るくなったのを確認しつつ、

 気恥ずかしさで顔を横へ向けたルイズは彼女へ向けて言葉を続けていく。

 

「アイツだって、一日休むくらいなら文句は言わないでしょうに。…案外泥棒も見つかるかもしれないしね…多分」

「ミス・ヴァリエール…分かりました。じゃあ夕食が終わる頃合いを見て話しかけてみますね!」

「そうして頂戴。まぁアンタが空いた食器を持って一階へ降りる頃には、安いワイン一本空けて楽しんでるだろうけどね」

 ひとまず約束をした後、ルイズは何気なくシエスタの今の食事環境と昨夜の苦い体験を思い出してしまう。。

 この夏季休暇の間、住み込みで働いている彼女の食事は三食とも店の賄い料理なのだという。

 賄いなので量は少ないのかもしれないが、少なくとも自分たちの様に余分な酒代が出る事は絶対に無いだろう。

 昨日は魔理沙の勢いに押し負けて安いワインを一本を頼んだつもりが、気づけばもう一本空き瓶がテーブルの上に転がっていたのである。

 安物ではあるが安心の国産ワインだった為にそれ程酷く酔うことは無かったものの、その時は思わず顔が青ざめてしまった。

 

 幸い王都では最もポピュラーな大量生産の廉価ワインだったので、大した出費にはならず財布的には軽傷で済んで良かったものの、

 あの二人がいるとついつい勢いで二杯も三杯も飲んでしまう自分がいる事に、ルイズは思わず自分を殴りたくなってしまう。

 ただでさえ金が盗まれた中で簡単にワイン瓶を二本も空けていては、一週間も経たずに財布が底をついてしまうのだ。

(本当ならこういう時こそ私がキチッと節制するべきだっていうのに…あいつらに流されてちゃ意味ないじゃないの)

「…?あ、あの…ミス・ヴァリエール?」

 霊夢が泥棒を見つけて、アンリエッタから貰った資金を取り返すまでは何としてでも少ない持ち金だけで耐えなければいけない。

 ある意味自分の欲との戦いに改めて決意したルイズが気になったのか、シエスタが首を傾げている。

 シエスタ…というか他人の目かから見てみると、ルイズの無言の決意はある意味シュールな光景であった。

 

 その後、今日は霊夢達を外出に誘えなかったシエスタはひとまず私物等を買いに店を後にし、

 手持ち無沙汰なルイズは誰もいない一階で、旅行鞄の中に入れていた読みかけの本の続きを楽しむことにした。

 本自体は春の使い魔召喚儀式の前に買った魔法に関する学術書であり、霊夢が来てからは色々と忙しく集中できる機会がなかったのである。

 故にこうして屋根の修理で騒がしくなってきた屋根裏部屋ではなく、静かな一階で久々に読書を嗜もうと考えたのだ。

 藍の式である橙も用事なのか店にはおらず、ジェシカ達住み込みの数名は今夜の仕事に備えて就寝中。

 スカロンは起きているが、昨日の雨漏りを治す為に呼んで来てくれた大工数人と共に屋根の上に登って修繕作業の真っ最中である。

 丁度霊夢と魔理沙が外へ出た後ぐらいにやってきた大工たちに腰をくねらせてお願いし、難なぐ難のある゙助っ人として急遽加わる事になったのだ。

 本当なら手伝わなくても良い立場だというのに、わざわざ工具箱を持って意気揚々と梯子を上っていった彼はこんな事を言っていた。

 

「長年お世話になって来たんですもの、このミ・マドモワゼルが誠心誠意を込めて直してあげなきゃ店の名が廃るってものよ!」

 

 寝る前に様子を見に来たジェシカやシエスタに向けられた彼の言葉は、確かな重みがあった。

 最も、その大切な言葉も彼のオカマ口調の前では呆気なく台無しになってしまうのだが。

 ともあれ今の屋根裏部屋はその作業の音で喧しく、とてもじゃないが読書はおろか仮眠すら取れない状態なのである。

 故にルイズはこうして一階に降りて、作業が終わるまで暇を潰そうと決めたのだ。

 幸いにも店内は外と比べてそれ程暑くはなく、入口と裏口の窓を幾つか開ければ風通りも大分良くなる。

 水もキッチンにある水入りの樽から拝借するのをスカロンが許してくれたが、無論飲みすぎないようにと注意された。

 しかし外にいるならばともかく屋内ならそれほど汗もかかない為、ルイズからしてみれば余計な注意である。

 

 五分、十分と時間が経つたびに捲ったページの枚数を増やしつつ彼女は熟読を続ける。

 例えまともな魔法が使えなくとも知識というものは、自分に対してプラスの役割を付加してくれるものだ。

 逆に魔法の才能があるからといって学ぶことを怠ってしまうと、魔法しか取り得の無い頭の悪い底辺貴族になってしまう。

 かつて魔法学院へ入学する前に一番上の姉であるエレオノールが、口をすっぱくしてアドバイスしてくれたものである。

 普段から母の次に恐ろしく厳しい人であったが、ツンとすました顔で教えてくれた事は今でも記憶の中に深く刻み込まれていた。

 だからこそ入学した後も教科書だけでは飽きたらず自ら書店に赴き、底辺貴族なら見向きもしない様な専門書を買うまでになっている。

 

 霊夢を召喚する前の休日にする事と言えば専門書を開き、夕食の後はひたすら魔法の練習をしていた。

 今のルイズから見れば成功する筈の無い無駄な努力であったが、それでもあの頃はひたすら必死だったのである。

 その時の苦い思い出と努力の空振りが脳裏を過った彼女はページを繰る手を止めて、その顔に苦笑いを浮かべて見せる。

「思えばあの時の私から、大分成長した…というか変わっちゃったものねぇ」

 誰にも見られる筈の無い表情を誤魔化すように呟いた彼女は、ふと今の自分は読書に耽って良いのかと考えてしまう。

 今は親愛なるアンリエッタ王女――近々女王陛下となる彼女――の為に、情報収集を行わなければいけない時なのである。

 本当ならば霊夢達に任せず、自分が先頭に立って任務を遂行しなければいけないというのに…。

 

 折角貰った資金は賭博で増やした挙句に盗られ、更に平民に混じっての情報収集すら上手くいかないという始末。

 結局情報収集は霊夢の推薦で魔理沙に任してしまい、自分のミスで資金泥棒を逃がしてしまった霊夢本人が責任を感じて犯人探しに出かけている。

 それだというのに自分は何もせず、悠々自適に広くて風通しの良い屋内で読書するというのは如何なものだろうか。

 その疑問を皮切りに暫し悩んだルイズは読みかけのページに自作の栞を挟み込むと、パタンと本を閉じた。

 決意に満ちた表情と、鳶色の目を鋭く光らせた彼女は自分に言い聞かせるように一人呟く。

「やっばりこういう時は私も動かないとダメよね?うん、そうに決まってるわ…そうでなきゃ貴族の名が泣くというものよ」

 閉じた本を腕に抱えた彼女は一人呟きながら席を立ち、着替えや荷物のある喧しい屋根裏部屋へと戻り始める。

 まだ釘を打つ音や金づちによる騒音が絶え間なく聞こえてくるが、着替えに行くだけならば問題は無いだろう。

 

 今手持ち無沙汰な自分が何をすればいいのか…という事について既に彼女は幾つか考えていた。

 とはいってもそのどちらか一つを選ぶことがまだできてはおらず、一人呟きながらそれを決めようとしている。

「まずは…情報収集かしら?…それとも頑張って資金泥棒を捜すとか…うーんでも、うまくいくのかしら」

 傍から見れば変な人間に見えてしまうのも気にせず、一人悩みながら二階へと続く階段を上ろうとした…その時であった。

 

「おーい、誰かいないかぁ?」

 階段のすぐ横にある羽根扉の開く音と共に、若い男性の声が聞こえてきたのである。

 何かと思ったルイズが足を止めてそちらの方へ顔を向けると、槍を手にした一人の衛士が店の出入り口に立っていた。

 気軽な感じで閉店中である店の羽根扉を開けてこっちに声を掛けて来たという事は、この近くの詰所で勤務している隊員なのだろう。

 外は暑いのか額からだらだらと汗を流している彼は、ルイズを見つけるや否や「おぉ、いたかいたか」と笑った。

 ルイズはこの店に衛士が何の様かと訝しむと、それを察したかのように二十代後半と思しき彼がルイズに話しかけてくる。

「いやーすまないお嬢ちゃん、少し人探しに協力してもらいたいんだが…いいかな?」

「お…お嬢ちゃんですって?」

「―――!…え、え…何?」

 いきなり平民に「お嬢ちゃん」と呼ばれたルイズは目を見開いて驚いてしまい、ついで話しかけた衛士も驚いてしまう。

 生まれてこの方、平民からそんな風に呼ばれたことの無かったルイズの耳には新鮮な響きであった。

 だが決してそれが耳に心地いい筈が無く、むしろ生粋の貴族である彼女にとっては侮辱以外の何者でも無い。

 本来ならば例え衛士であっても、不敬と叫んで言いなおしを要求するようなものであったが…

 

「う……うぅ……な、何でもないわよ」

 ついつい激昂しそうになった自分の今の立場を思い出すことによって、何とか怒らずに済んだのである。

 今の自分は任務の為にマントはつけず、街で買ったちょっと裕福な平民の少女が着るような服装で平民に扮しているのだ。

 だからここで無礼だの不敬だのなんて叫んで、自分が貴族であるという事を証明する事などあってはならないのである。

 故にこうして怒りを耐え凌いだルイズは怒りの表情を露わにしたまま、何とか激昂を抑える事が出来た。

 危うく怒ったルイズを見ずに済んだ衛士は「あ…あぁそうかい」と未だ怯みながらも、懐から細く丸めた紙を取り出した。

 一瞬だけそっぽを向いていたルイズが視線を戻すと同時に、タイミングよく彼も紙を彼女の前で広げて見せる。

 

 その紙に描かれていたのは、見た事も無い男性の顔のスケッチであった。

 年齢はおおよそ四~五十代といったところか、いかにも人の上に立っているかのような顔つきをしている。

 自分の父親とはまた違うが、もしも子供がいるのならいつもは厳格だが時には優しく我が子に接する父親なのだろう。

 そんな想像していたルイズが暫しそのスケッチを凝視した後、それを見せてくれた衛士に「これは?」と尋ねた。

 

「ウチの詰所じゃあないが別の詰所担当の衛士隊隊長で、昨日から行方不明なんだ。

 それでもって…まぁ、今も所在が分からないうえに自宅の共同住宅にもいないからこうして探しているんだよ」

 

「衛士隊の隊長が行方不明ですって?」

「あぁ。…それでお嬢ちゃん、この顔を何処かで見た覚えはないかい?」

 丁寧にそう教えてくれた衛士はルイズの言葉に頷くと、改まって彼女に見覚えがあるかと聞いた。

 またもやお嬢ちゃん呼ばわりされたことに腹を立てそうになったものの、何とか堪えてみせる。

「み…!みみみみみ、見てないわよ、そんなへ―…男の人は」

 思いっきり衛士を睨み付けつつも、彼女は歯ぎしりしそにうなる口を何とか動かしてそう答えた。

 危うく平民と言いかけたが幸い相手はそれに気づかず、むしろ怒ってどもりながらも言葉を返してきたルイズに驚いているようだ。

 まぁ誰だってルイズのやや過剰気味な返事を前にすれば、思わず面喰ってしまうのは間違いないだろう。

 

「そ、そうかい…はは。まぁ、もしも見かけたんなら最寄りの詰所にでも通報してくれ」

 自分を睨み付ける彼女を見て後ずさりながらも、衛士は最後にそう彼女に言ってから踵を返し店を出ようとする。

 たった一分過ぎの会話であったというのに疲労感を感じていたルイズが落ち着きを取り戻すのと同時に一つの疑問が脳裏を過り、

 それが気になった彼女は自分に背中を見せて通りへ向かうおうとする衛士に再度声を掛けた。

「そこの衛士、ちょっと待ちなさい」

「え?な、何だよ?」

「ちょっと聞きたいんだけど、その行方不明になった隊長さんと言い…何か朝から事件でも起きてるのかしら?」

「え……な、何でそんな事聞きたいんだよ?」

 呼び止められた衛士は、単なる街娘だと思っているルイズからそんな事を言われてどう答えていいか迷ってしまう。

 振り返って顔を見てみると、先程まで腹立たしそうにしていたのが嘘の様に冷静な表情を浮かべているのにも気が付いた。

 

 これまで色んな街娘を見てきた彼にとって、ここまで理性的で意志の強さが見える顔つきの者を目にしたことが無かった。

 だからだろうか、彼女からの質問を適当にいなしてここを後にするのは何だか気が引けてしまう。

 今ここで忙しいからと無下にしてしまえば、それこそ彼女からの『御怒り』を直に受けてしまうのではないかと…。

 ほんの少しどう答えていいか言葉を選んでいたのか、難しい表情を浮かべていた彼は周囲を見てから彼女の質問にそっと答えた。

 

 今朝がたに浮浪者からの通報で、衛士隊の装備を身に着けた白骨死体が水路から発見されたこと。

 死体には外傷と思しき瑕は確認できず、また第一発見した浮浪者も発見の前日や数日前には目撃したことがなかったのだという。

 そして昨晩、先ほどのポスターに書かれていた顔の主である衛士隊隊長が行方不明の為、白骨の事もあって全力で探しているらしい。

 短くかつ分かりやすい説明で分かったルイズはルイズは「成程」と頷き、説明してくれた衛士に礼を述べる。

 今朝の朝食時に見た何処かへと走っていく衛士達が何だったのか、今になってようやく知る事ができたのだから。

「ありがとう、大体分かったわ。…じゃあ今朝見た衛士達の行先はそこだったのね」

「あぁ、何せ通報受けたのはウチの詰所だったしな、もう朝っぱらからテンテコ舞いさ。じゃあ、そろそろ…仕事の途中でな」

 

 本当にさっきまでの腹立たしい彼女はどこへ行ったのかと言わんばかりに、落ち着き払ったルイズに目を丸くしつつも、

 こんな所で油を売っていてはいかんと感じたのか再び踵を返し、今度はちゃんと羽根扉を閉めて大通りへと出る事ができた。

 思わずルイズも後を追い、羽根扉越しに見てみると今度は外――しかもこの店の屋根の上にいるスカロンへと声を掛けるところであった。

「おぉーい、スカロン店長ぉー!ちょっと聞きたい事があるんだが、降りてきて貰えないかぁー?」

「はぁ~いィ!…御免なさいね皆さん、ミ・マドモワゼルはちょっと下へ降りるわよ~!」

 その声が届いたのか、数秒ほど置いて頭上からあの低い地声を無理やり高くしたような声のオネェ言葉が聞こえてくる。

 

 そこで視線を店内へと戻したルイズは壁に背を預けてはぁ…とひとつため息をついた。

 危うく貴族としての『地』が出てしまいそうになった事を反省しつつ、結局これからどうしようかという悩みをまたも抱えてしまう。

 平民を装って話すだけでも自分にはキツイと言うのに、一人で街へと繰り出して情報収集などできるのかと。

 さっきの衛士はまだ良い方なのだが、街へ行けば確実に彼より柄の悪い平民にいくらでも絡まれてしまうだろう。

 そんな相手を前にして、自分は平民として装い続けられるのか?迷わず『はい』と答えたいルイズであったが、そうもいかないのが現実である。

「………結局、レイムの言った通り私はこの仕事に向いてないんだろうけど。…だからといっではいそうですが…なんてのは癪だわ」

 結局のところ、あの二人に任せっきりにするというのは、自分の性に合わない。

 先程はあの衛士のせいで上りそびれた階段目指して、今度こそ外へ出ようとルイズは壁から背を離す。

 

 その時であった、入口の方から階段の方へ向こうとした彼女の視線に『何か』が一瞬映り込んだのは。

 タイミングがずれていたなら間違いなく見逃していたかもしれない、黒くて小さい『何か』を。

 それはゴキブリともネズミとも言えない、例えればそう…縦に細く伸びた人型――とでも言えばいいのだろうか。

 一瞬だけだというのに本来ならお目に掛からないであろうその人型を目にして、思わずルイズは視線を向け直してしまう。

 しかし彼女が慌てて入口の方へ視線を戻した時、既にあの細長い影の姿はどこにも無かった。

「ん?………え?何よ今のは」

 ルイズは周囲の足元を見回してみるが、どこにもそれらしい影は見当たらない。

 それどころかネズミやゴキブリも見当たらず、開店前の『魅惑の妖精』亭の一階は清掃がキチンと行き届いている。

(私の見間違い?…いえ、確かに私の目には見えていたはず)

 またや階段を上り損ねたのを忘れているかのように、彼女は先程自分の目にしたものがなんだったのか気になってしまう。

 だけども、どこを見回してもその影の正体は分からず結局ルイズは探すのを諦める事にした。

 認めたくはないが単なる見間違いなのかもしれないし、それに優先してやるべきことがある。

 ルイズは後ろ髪を引かれる思いを抱きながらも、二階へと続く階段を渋々と上り始めた。

 外の喧騒よりも大きいスカロンと衛士のやり取りをBGMにして、ひとまずは何処へ行こうかと考えながら。

 

 ……しかし、彼女は決して目の錯覚を起こしてはいなかったのである。

 彼女が背中を向けている店の出入り口、羽根扉下からそれをじっと見つめる小さな影がいた。

 それは全長十五サント程度であろうか、小動物程度の小さな体躯を持つ魔法人形――アルヴィーであった。

 人の形をしているが全身木製であり、球体関節を持っているためか人間に近い動きもこなす事が出来る。

 何より異様なのは頭部。本来なら顔がある部分には空洞が作られ、そこに小さなガラス玉の様なものが収まっている。

 青白く不気味に輝くガラス玉はまるで目玉の様にギョロリと動き、ルイズの後ろを姿をじっと見つめていた。

 

 やがてルイズの姿が見えなくなると、アルヴィーは頭の部分を上げて周囲を見回してから、スッと店の出入り口から離れる。

 横では衛士とスカロンが会話をしているのをよそに、小さな体躯にはあまりにも大きすぎる通りを横断し始めた。

 人通りが多くなってきた為か、アルヴィー視点では巨人と見まがうばかりに大きい通行人達の足を右へ左へ避けていく。

 少々時間が掛かったものの二、三分要してようやく反対側の道へ辿りついた人形は、そのままそさくさと路地裏へと入る。

 日のあたらぬ狭い路。ど真ん中に放置された木箱や樽を器用に上り、陰で涼んでいる野良猫たちを無視して人形は進む。

 やがて路地裏を抜けた先…人気の全くない小さな広場へと出てきた所で、元気に動いていたアルヴィーがその活動を急に停止させる。

 まるで糸を切られた操り人形のように力なく地面に倒れた人形はしかし、無事主の元へとたどり着くことは出来た。

 

 人形が倒れて数十秒ほどが経過した後、コツコツコツ…と足音を響かせて一人の女性が姿を見せる。

 長い黒髪と病的な白い肌には似合わぬ落ち着いた服装をした彼女は、地面に倒れていたアルヴィーを拾い上げた。

 前と後ろ、そして手足の関節を一通り弄った後、クスリと微笑むと人形を肩から下げていた鞄の中へとしまいこむ。

 そして人形が通ってきた路地裏を超えた先――『魅惑の妖精』亭の方へと顔を向けて、彼女は一人呟く。

 

「長期戦を覚悟していたけど、まさかこうも簡単に見つかるなんて…全く、アルヴィー様様ね。

 人形ならば数をいくらでも揃えられるし、何より私にはその人形たちを自在に操れる『神の頭脳』があるんだからね」

 

 そんな事を言いながら、黒い髪をかきあげた先に見えた額には使い魔のルーンが刻み込まれている。

 かつて始祖ブリミルが使役したとされる四の使い魔の内『神の頭脳』と呼ばれた使い魔、ミョズニトニルンのルーン。

 ありとあらゆるマジック・アイテムを作り出し、そして意のままに操る事すらできる文字通り『頭脳』に相応しき能力を持っている。

 そしてこの時代、そのルーンを持っているのは彼女―――シェフィールドただ一人だけであった。

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