ルイズと無重力巫女さん   作:1-UP-code

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第九十二話

 

 時間が午前から午後へと移り変わってから一時間が経ったばかりであろう時間帯。

 一行に人の減らぬ王都の建物や掲示板などに、衛士達がなにかを貼っている光景を多くの人々が目にしていた。

 何をしているのとかと気になった者たちが率先して調べてみると、それは女性の似顔絵が描かれてたポスターであった。

 似顔絵の女性はやや強気な表情であったが、十人中何人かは確実に一目ぼれするであろう綺麗な顔立ちをしている。

 青い髪に碧眼という特徴にも男たちは興味を示しつつポスターを見直して―――そして愕然した。

 

―――○○○○○○詰所所属衛士隊員『ミシェル』

―――――同僚殺害及び軍事機密情報の売買に関わった疑いあり!

――――――この顔にピン!ときた方は、すぐに最寄りの衛士詰め所か警邏中の衛士に声を掛けてください

 

 そのポスターは、似顔絵の元となったであろう女性の指名手配ポスターだったのである。

 一体このミシェルと言う名の美人衛士は、何の理由があってそんな重犯罪を犯したのだろうか?

 多く男達がそんな反応を抱きつつポスターに釘点けになり、通りがかった他の平民たちも何だ何だとそちらの方へと足を運ぶ。

 やがてポスターの貼られている場所には大きな人だかりが出来、多くの人々の目と記憶に『ミシェル』の名と顔が焼きついて行く。

 似顔絵自体の出来も非常に良かった事が仇となったのか、ポスターに書かれた絵だけでも見に来る者たちも何人かいる。

 そして人が集まればそれだけで幾つもの意見が生まれる、つまるところ、街中で人々の議論が始まったのだ。

 ある者は彼女を見て是非ともお近づきになりたいと願い、ある者は彼女を捕まえて賞金にありつこうと企み、

 またある者はこんな綺麗な人が同僚殺しなんかの重犯罪を犯すワケはない、これは何かの陰謀だ!と騒いでいる。

 

 終わりの見えない議論は延々と続き、それだけでも元から喧しい王都は更喧しくなっていく。

 そんな耳に良くない場所なりつつある街中を歩きながら、ルイズ達は人だかりのできている場所へと目を向けていた。

 彼女、そして霊夢や魔理沙達の視線に先にあるのは、ブルドンネ街にある小さな広場の――中央に建てられた情報掲示板である。

 普段は王宮から発布されたお知らせや、近所にある本屋が品切れしていたモノや新品の本などが入荷してきた時、

 同じく近くにあるベーカリーなどが焼き立てのパンを店に出す時間帯などをポスターに書いて貼り出している掲示板だ。

 しかし今は、それらの情報がかすんでしまう程綺麗な指名手配犯のポスターを一目見ようと多くの人々が訪れている。

 

 そんな騒がしくなりつつある広場を通りから眺めていると、それまで黙っていた魔理沙が口を開いてこう言った。

「…にしたって、指名手配犯が出たってだけでこうも賑わえるモンなのかねぇ?」

「まぁ指名手配自体王都で出るのは珍しいかも。地方だと色んな犯罪者が手配されてるそうだけどね」

 魔理沙の言葉にルイズがそう返すと、先ほど昼食を頂いた店で見せて貰ったポスターの事を思い出す。

 中央にデカデカと書かれていた青い髪の女性『ミシェル』の顔と、その下に添えられた罪状と指名手配のお報せ。

 そしてあの似顔絵とそっくりの顔を持ったフードの女と、彼女を追っていたであろう謎の男達。

 

 彼女はひょっとすると、あのポスターに描かれている『ミシェル』だったのではないのだろうか?

 と、すれば…あの男たちは何だったのであろうか?少なくとも、そこら辺の平民よりまともな人間ではなさそうだった。

 彼らが探していたのは間違いなくあのフードの女性だったのであろうが、彼女は何故逃げようとしていたのだろうか。

 そうして幾つもの疑問が脳裏を過り続け、またもや思考の渦に足を突っ込みそうになったルイズは慌てて頭を振った。

 突然そんな行動した彼女に霊夢と魔理沙が首を傾げるのをよそに、ルイズは余計な事を考えようとした自分を叱る。

(何を考えてるのよルイズ。私の記憶違いなのかもしれないし、第一彼女か『ミシェル』だったとして、私に何ができるっていうの?)

 

 ただでさえ厄介な事案を複数抱え込んでいるルイズにとって、これ以上の厄介ごとは正直ゴメンであった。

 スリの犯人はまだ見つかっていないし、情報収集は今になって始めたばかりで手紙一通すら送れていない。

 そこへ更に重ねるようにして厄介ごとであろうモノに首を突っ込んでいては、やるべき事もやれなくなってしまう。

 第一、通りでぶつかっただけの自分がこの広い王都で彼女と何とか再会し、追われていた理由を問うべき道理など全くない。

 気になるのは気になるが、これ以上の問題を抱えることをルイズはしたくなかったのである。

(…所詮ただ道でぶつかっただけ、私が首を突っ込んでも仕方ない事よ)

 ポスター前に集まっている人々の姿を見つめながらそう自分に言い聞かせていた時であった、魔理沙が声を掛けてきたのは。

 

「どうしたんだルイズ?そんないつも以上に悩んでいる様な表情見せるなんて」

「魔理沙?…別に、何でもないわよ」

 恐らく、自分が『ミシェル』と思しき女性に出会ったことを一番話してはならないであろう黒白の呼びかけに、彼女は平静を装って返す。

 しかし、それに対して普通の魔法使いは「えー、そうか?」と怪訝な表情を浮かべて首を傾げて見せる。

「私にはなーんか色々考え事してるように見えたんだけどな?」

「…ふ、ふん!考え事や悩み事ならもう十分足りてるわよ」

「んぅ~そりゃそうか、今の私達って色々と問題を抱えちゃってるしな。主に霊夢のおかげで」

「うっさい、この黒白」

 本当に霊夢より勘が鈍いのか、割と鋭い指摘をしてくる魔理沙のルイズの平静さに若干罅が入りかける。

 幸い余計な一言のおかげで霊夢が横槍を入れてくれた為、魔理沙の話し相手も勝手に彼女へと移っていく。

 

 二人の喧嘩混じりの会話を聞きながら、ルイズは内心ホッとため息をついた。

 もしも魔理沙に今日通りでぶつかった女性が指名手配された女衛士と似ていたと言っていたら、大変な事になってたかもしれない。

 霊夢曰く、自分よりも面白く厄介な事に首を突っ込みたがるらしい彼女ならば、真っ先にその女性を捜そうと言っていた事だろう。

 そうなったら情報収集どころの話ではなくなるし、下手すればこの王都にいられなくなっていたかもしれない。

 ひとまずは回避できた未来を想像していたルイズは、ホッと安堵のため息をついた。

 ふと霊夢達の方を見てみると既に静かな口喧嘩は終わっており、お互い平穏な買いをしている。

 

「…そういやアンタ、道に迷った女の子が泊まってるっていうホテルの部屋ってどれくらい綺麗だったのよ」

「そうだなぁ、アソコを普通とするならスカロンの店は間違いなく倉庫レベルになっちゃうだろうなー」

『失礼な事言うなぁお前さん、ちったぁ無料で泊めさせてもらってる恩義くらい感じろよ?』

「魔理沙、それ本気で言ってるワケ?…実際今は倉庫で寝泊まりしてるようなものだから洒落になってないわよ」

『いやいや、突っ込むところが違うだろ』

 途中からデルフも混ざった二人と一本の会話を聞いて、ルイズも何となく霊夢の言葉に頷いてしまう。

 

 今日はスカロンが雨漏りを直してくれたものの、確かにあそこはどう見ても…少なくとも今は倉庫であるのは間違いない。

 正直言って彼女自身もイヤなのではあるが手持ちの金が限られている今、一番費用が掛かる宿泊代が浮くのは嬉しいのである。

 だから今の所ルイズも我慢はしているのだが、この二人は自分の気持ちをすぐに口に出してしまうようだ。

 まぁスカロンや『魅惑の妖精』亭の人間がいないこの場所でなら確かに言いたい放題だろう。

 とはいえ流石に本音を垂れ流して貰っては困る為、ルイズはほんの少し注意してあげることにした。

 

「全く、アンタ達…倉庫なのは本当の事だけどスカロン達の前でそんな事いわないでよね?」

「それはわかってるわよ。だけどあんな場所に押し込んでおいて、文句を言うなってのは無理な事じゃない」

「まぁそれはそうよね。…っていうか、押し込んだのはアンタん所から来たあの狐なんじゃないの」

『そういやそうか、本人はスカロンに許可取ったっていうが…多少の悪意はありそうだよなぁ~』

 デルフの言葉に霊夢がそれはあり得ると思った。その時であった――――

 

「ふぅ~ん?中々言ってくれるじゃないか、剣の癖して口も達者とは恐れ入る」

 

 ルイズ達の進む方向から、その狐の声が聞こえてきたのは。

 突然の声にまずはルイズが足を止め、次いで霊夢がルイズに向けていた顔を前へと向ける。

 そのにいたのは案の定…何処から姿を現したのか、自分たちの前へ立ちはだかるようにしてあの八雲藍が佇んでいた。

 九尾と耳を限界まで縮めた人の姿にラフな服装という出で立ちで両腕を組んで、呆れたと言いたげな表情を浮かべている。

 今も尚多くの人の往来が激しい通りの真ん中であるのにも関わらず、その存在感はイヤにハッキリとしていた。

 霊夢は咄嗟にルイズの前へ――無論相手がやる気ではないのは理解していたが――出て、彼女へ話しかける。

 

「アンタ…一体何時からいたの?私でも気づかなかったんだけど」

「修行不足が目立つな霊夢。少しお遊び程度で、お前たちが昼食を終えた時から後を追っていただけだ」

「式の仕事だけじゃなくてストーカーまでこなすとは…流石は九尾狐といったところだぜ」

 霊夢の問いかけに藍はあっさりと自白し、そこへ魔理沙がすかさず茶々を入れる。

 こんな時にそんな冗談は…と言おうとしたルイズは、黒白の顔を見て思わず口をつぐんでしまう。

 魔理沙がその顔に浮かべているのは笑みであったが、それはいつも見せているような人を小馬鹿にしたような笑みではない。

 まるで張りつめたピアノ線の様に緊張を露わにし、一度力を入れればすぐにでも歯をむき出して笑う一歩直前の笑顔。

 そして霊夢も構えてはいないものの、相手が『下手に動けば』すぐにでもその袖の中へと手を伸ばすであろう。

 

 さっきまでお昼ご飯を食べて、とりあえず『魅惑の妖精』亭に戻ろうかと歩いていた最中だというのに…。

 たった一人――彼女たちと同じ世界から来た藍が現れただけで、二人はその気配がガラリと変わってしまった。

 指名手配がどーだの屋根裏部屋がどーたらと話していたのが、つい直前の事だと想えなくなってしまう。

 多くの平民、そして貴族が往来する通りのど真ん中で睨み合う三人に囲まれたルイズの喉は、潤いを求めてしまう。

 言葉が噤んでしまったついでに、開きっぱなしだった口から空気が入り込み、中途半端に喉が乾いてしまったのである。

 ルイズは慌てて口を閉じて唾液で潤そうとするが、自身が一番緊張しているためか中々うまくいかない。

 それでも何とか痒みすら訴えてくる乾きを消すことができた彼女は、霊夢の背中に差したデルフへと話しかけようとする。

 

「で…デルフ…」

『まぁそう焦るなって娘っ子、ここでバカ起こせばどうなるかぐらい…コイツらだって理解してるさ』

「ふぅー、全くだな。…失礼な事を言っていたから少し怒っただけだというのにでこうも身構えられてしまうとはな」

 緊張するルイズを宥めるデルフの言葉に藍はため息をついてそう言うと、組んでいた腕をすっと下ろした。

 途端、自分達に向けられていた存在感が薄れ、彼女もまた通りを歩く人々の中に混ざり込んでしまう。

 それを察知して霊夢もため息をついて構えを解き、魔理沙はいつもの人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべ直している。

 二人も楽な姿勢になったのを確認してから、藍は彼女たちへ近づきつつ肩を竦めながら話しかけてきた。

「それにしてもお前らまだ構える事は無いだろう。てっきりここで弾幕ごっこを仕掛ける手来るかとおもったぞ?」

「バカ言わないでよ。…第一、アンタなら手を出さなくても幻術やらの類で私達をどうにでもできるでしょうに」

 お互い言葉の端々に刺々しい雰囲気を漂わせるものの、すぐに争いが始まるという雰囲気は全くない。

 魔理沙との会話もそうであるのだが、幻想郷の住人達は会話だけでも刺々しいのが文化なのであろうか。

 

 何はともあれ、物騒な事にはならないだろうと理解したルイズはついつい安堵のため息をついてしまう。

「はぁ~…何でこう、昼食が終わったばかりのタイミングでヒヤヒヤさせられちゃうのよ」

「全くだな。まぁお互い好戦的な性格なうえに戦る時は戦るから正直私も冷や汗かきそうだったぜ」

 安堵すると同時に出た自分の文句にそう言いつつ、魔理沙がルイズの傍へと近づいた。

 さっきまで自分の前に出てきた霊夢同様、ただならぬ緊張感のこもった笑みを浮かべていた普通の魔法使い。

 それなのに今はいつもの人を小馬鹿にしそうな笑顔でもって、他人事のようにさっきの出来事を語っている。

 ルイズはそれに腹立たしい気持ちを抱いたのか、ニヤニヤする彼女へ向かって「アンタもアンタよ」と非難言葉を向けた。

 

「まぁそう怒るなよルイズ。流石のアイツらだってここで暴れるなんて事をしないなんて想像がつくだろう」

「そりゃそうだけど…だったら、何でアンタも霊夢に混じってあんな野獣みたいな笑みを浮かべてたのよ」

 ルイズの言葉に一瞬キョトンとするもすぐに思い出したのか、暫しう~ん…と唸った後で彼女はこう答えた。

 

「まぁ何というか…その場のノリだな。格好良かっただろ?」

「…アンタ、本当に最高な性格してるわね」

「その言葉、お前さんの口から出た私への最良の賞賛として覚えておくよ」

 ある意味霊夢とは別方向で厄介な彼女に呆れつつも、最高の皮肉を込めた言葉をルイズは送る。

 しかしそれでも魔理沙は気にしてもいないのか、逆にお礼まで言われてしまったのだが。

 

 

 その後、自分たちを追跡していた藍と合流してルイズ達はそのまま『魅惑の妖精』亭へと戻ってきた。

 既に朝から取りかかっていた屋根の修繕は終わったのか、店の屋根には人影は見えない。

 後一、二時間もすれば店の開店準備が始まるだろうと思いつつ、ルイズが羽根扉を開けると、

「あっ、ミス・ヴァリエールにレイムさんと魔理沙さん…それにランさんも!」

 ちょうど開けてすぐ近くにあるテーブルの上に大きく膨らんだ紙袋を下ろしたシエスタと鉢合わせる事となった。

 どうやら見たところ、彼女も時同じくして帰ってきたところなのは一目瞭然である。

 ルイズは店に入ってすぐ近くにいたシエスタに若干驚きを隠せないでいるのか、おっ…と言いたげな表情を浮かべている。

「あぁ、シエスタじゃないの。…ただいま、で良いのかしら?」

「見れば分かるでしょうに。どこをどう見てもただいまで合ってるじゃない」

「…こういう時。、どんな顔すれば良いか分からないんだけど」

 とりあえず口にしてみた自分の言葉に突っ込んでくる霊夢にそう返しつつ、シエスタの元へ近づいていく。

 

 彼女もあの暑い炎天下の中で、私物やら何やらを購入してきたのであろう。

 額や顔には汗が滲んでおり、目の錯覚か平民向けの安い服が汗で薄らと透けているようにも見える。

 次にテーブルに置いた紙袋の中身を一瞥しようとしたところで、ふと話しかけられてしまう。

「それにしても奇遇ですよね。…まさか三人一緒だけじゃなくて、ランさんも一緒にいるだなんて」

「え?え、えぇまぁね。ちょっと昼食終わった街中歩いてた時にバッタリ鉢合わせちゃったのよ」

 すぐにシエスタの言葉に返事しつつも、ルイズは袋の中身が気になったのかそれを聞いてみることにした。

「そういえばシエスタ。結構重そうな紙袋だけど何買ってきたのよ?」

 人差し指をテーブルの上の紙袋に向けてそう聞いてきたルイズに、シエスタは「これですか?」と袋の口を開けた。 

 

「特に貴族様が気になるような物は買ってないのですが、そうですねぇ…例えばコレとか」

 そんな事を言いつつ、音を立てて紙袋を漁るシエスタが取り出したのは一本の歯ブラシであった。

 木製の持ち手に歯磨き用に調整された馬の尾の毛を組み合わせてつくられている小型ブラシである。

 一昔前までは少しお高くついたものの、今では王都にも工房がいくつも出来ているため平民たちの間でも普及し始めている代物だ。

「前使ってた歯ブラシが少しバカになってきたので、思い切って新品を買ってみたんですよ」

 まるで新しい玩具を買ってもらった子供の様に微笑みながら歯ブラシをルイズに見せつけてくるシエスタ。

 普及し始めた値段が低くなってきたとはいえ、値段的に平民が歯ブラシをそうそう何度も買い替えるのは難しいのだ。

 

 シエスタが袋から取り出した歯ブラシに興味をしめしたのか、ルイズの後ろにいた霊夢達も彼女の近くへ集まってくる。

「へぇ、一体どこへ行ってのかと思いきや…新しい歯ブラシを買いに行ってたのねぇ」

「つまり…あの袋の中は新品の歯ブラシで一杯という事か」

「いやいや、そんなワケないでしょうに」

 霊夢に続き、阿呆な事を言った魔理沙にルイズはすかさず突っ込みを入れてしまう。

 それを見たシエスタも苦笑いを顔に浮かべつつ歯ブラシをテーブルに置くと、話を続けながら袋を漁っていく。

「ははは…まぁ歯ブラシだけじゃなくて、学院生活で使う日用品とか色々新調しようと思って…ホラ、例えばこういうのとか」

 

 そう言いながら紙袋からスリッパやクシ、紅茶用のマグカップなど数々の品をテーブルに並べていく。

 これには貴族であるルイズもおぉ…と驚きの声を上げてしまい、霊夢達と一緒にその様子を眺めてしまう。

 結果…一分と経たず丸テーブルの上は、彼女が購入して来た日用品で占領されてしまった。

「うわぁ、これは圧巻ねェ」

「今までは古くなってきた物を誤魔化して使ってた来たから、自分でも変な新鮮感を覚えちゃいますよ」

 思わずそう呟いてしまったルイズに、シエスタは自分の子ながらエッヘンと胸を張ってしまう。

 平民向けといえど、これほどピカピカの新品を前にすれば気分が良くなるのも無理はないだろう。

 

 流石魔法学院で働くメイド。微々たる程度だが、そんじょそこらの平民よりかは金回りが良いのだろう。

 そんな事を思いつつも、魔理沙はシエスタの新しい日用品を見下ろしながら何気なくこんな事を言った。

「まぁ本となると別だが、こういうモノはある程度使い古したら思い切って新品に変えるのもアリだしな」

「えへへ…。さすがにこれだけ買い揃え目るのにお給金一月分の五分の二ぐらい使っちゃいましたけどね」

「アンタのお給金がどれくらいが分からないけど、そこまでしたら気持ち良いだろうに」

「そうですね。思い切ったところまでは良いんですが、何か今になってやりすぎたかなーって思う所もありまして…」

 

 霊夢の問いかけに嬉しさ反面、若干の後悔が滲み出てる彼女の言葉にルイズは変に納得してしまう。

 確かにお金があり過ぎると、購買意欲が薄いものにまでついつい手が出てしまい、後で何故買ったのかと自問してしまうのだ。

 最もルイズ自身はそういう経験は少ないものの、魔法学院ではそれで後悔している生徒を良く目にすることがある。

 下手に親から大量の仕送りを貰う生徒程無駄遣いをして、次の仕送りの日まで地獄を見ることになるのだ。

 

(まぁぶっちゃけ、私も人の事を指させる立場じゃあ無いのよねぇ)

 とはいえルイズも、つい先日までは大量に貰った資金で情報収集を兼ねたバカンスに繰り出そうとしたのだ。

 平民と貴族とでは贅沢のハードルに差があり過ぎるものの、今になって考えてみると後悔してしまう。

 高くていいホテルに泊まらず、そこら辺のそこそこ良い宿に泊まっていれば、スリに遭わずに済んだかもしれな いというのに。

 アンリエッタから貰った資金をむざむざ盗まれてしまった資金の事を思いだそうとしたところで、彼女は首を横に振った。

 

(…後悔後先に立たず。過ぎた事を今になって悔やんでも仕方のない事よルイズ)

 

 その後、テーブルに広げた日用品を紙袋に戻し終えたシエスタと共にルイズ達は二階へと上がった。

 会話に参加してこなかった藍は既に厨房で今夜の仕込みを初めており、一階からそれらしい音が聞こえている。

「でもまだ誰一人起きてきて無いよな?アイツ、よっぽど暇してるようだぜ霊夢」

「少なくとも迷子を案内した後でそのままやるべき事サボってたアンタにそれをいう資格は無いとおもうけど?」

 怪談を上った後、誰もいない二階の廊下を見て魔理沙が呟き、霊夢がそこへ突っ込みをいれる。

 まぁ彼女の突っ込みは何も悪くないだろうとルイズが思った所で、シエスタが声を掛けてきた。

 

「じゃあ私、これから買った物の整理があるのでひとまずこれで…次は夕食の時にでも」

「ん?…えぇ、また夕食時にね」

 両腕で紙袋を抱えつつ、器用にドアを開けたシエスタからの言葉に霊夢が顔を向けて左手を振る。

 それに対し手を振る代わりに笑顔を送った後、彼女はスッと寝泊まりしている部屋へと入っていった。 

 ドアが閉まりきるところまで見て再びルイズ達の方へ向いたところで、彼女は一人呟き始める。

「夕食時って言ってもねぇ、今夜も盛況になりそうだし大変よねぇ~…こういう所で働くっていうのは」

「流石博麗の巫女とかいう自由業やってるだけあるな。お前の言葉には全力で納得できないぜ」

「それをアンタが言っても全然説得力ないわね?…それと、シエスタは今日と明日休み貰ってるらしいから平気よ」

 ルイズは他人の事を言えない魔理沙に容赦ない突っ込みを入れつつも、

 下げっ放しになっていた三回への隠し階段を上りながら彼女たちに今日のシエスタの事を話していく。

 

「それは初耳だな。恥かしがらずに言ってくれれば良かったのに」

「その前に私達がどっか行っちゃったから言うに言えなかったんじゃないの?」

 シエスタが休暇を取っていた事にそれぞれ反応を見せつつ、ルイズに続くようにして階段を上っていく。

 見た目同様、やや細めながらもしっかりとした造りをしていると感じさせてくれる階段を軋ませて屋根裏部屋へと入る。

「ただいまー…ってのは何か変な感じだけど……って、あら?」

 階段を先に上っていたルイスズは、部屋に入った所ですぐ目の前に置かれていた道具に気が付いた。

 それはやや使い古した感じのある部屋掃除用の大きな箒と塵取り、それに一枚のメモ用紙が箒に下に置かれている。

 

「ほうき…?」

 目の前に置かれている掃除道具の名前を呟きながらそこまで歩いていく彼女の背後から、

 続いて部屋に入ってきた霊夢もその箒とメモ用紙に気が付き、キョトンと首を傾げた。

「どうしたのよルイズ…って、なんなのその箒?…とメモ?」

 疑問が聞いて取れる霊夢の言葉と同時に箒の下のメモを手に取ったルイズは、ざっと書かれいた文章を読んでみる。

 文章を追うようにして目を左から右へ、右から左へと目を走らせて速読していくる

 

 その時になって、一番後ろにいた魔理沙も何だ何だとやや急ぎ足で屋根裏部屋へと上ってきた。

「おぉ、どうしたんだルイズのヤツ…って、何だその箒?私達が起きた時には無かったような…」

「多分そのメモ用紙に何か書かれてるんだ思うんだけど…どんな内容なのかしらねェ?」

 魔理沙の言葉に霊夢はそう返しつつ>、ルイズがメモを読み終えるのを待っていた。

 本当ならば肩越しに覗いて自分も読みたいのだが、生憎この世界の文字は全く分からないのだ。

 隣にいる黒白なら解読ぐらいしてそうなものだが、霊夢本人からしてみれば蛇がのたくったような記号にしか見えないのである。

 だからこうしてルイズが読み終えるのを我慢して、終わったら何が書いてあったのか聞こうと思っていた。

 まぁ聞かなくとも読む相手がルイズなら、そのまま素直に教えてくれるだろうが。

 

 そんな事を思いつつ待った時間は、ほんの二十秒程度であろうか。

 メモ用紙に書かれていた文章を最初から最後まで丁寧に読み終えたルイズは、ふぅと溜め息をついてから口を開く。

「わざわざメモで書き残して置く事かしら?」

「ちょっとルイズ、何が書いてたのか教えてくれないかしら?」 

 すっかり拍子抜けしてしまったと言いたげなルイズの顔を見て、霊夢は早速問い詰めてみる。

 彼女の問いにルイズはサッと手に持っていたメモを、何も言わずに彼女へ手渡した。

 何気なくメモ帳を手に取った霊夢であったが、当然何が書かれているのか分からなかった。

 

「…差し出されても、読めないんですけど?」

 何も言わないルイズに霊夢が肩をすくめてそう言うと、その背中からデルフが話しかけてきた。

『んぅ…ふむふむ、まぁ娘っ子の言うとおり大した事は書いてないね』

「あぁ、そういやアンタがいたわね。変に静かだったから寝てたのかと思ってたわ。…で、何が書かれてたのよ」

 金属音を鳴らすデルフに霊夢がそう返しつつ、メモの内容がどういったものなのかも聞いた。

『別にどうってことはないが、掃除道具は置いとくから綺麗にしたら…って事だけしか書いてないよ』

「何よソレだけ?それなら別に口で伝えればいいじゃない、たくっ」 

 

 書かれていた事が本当に単純な内容だっただけに、霊夢は足元の箒を見ながらそう言った。

 まぁ何大それた事が書かれていたとしても困っただけなのだが。

 しかし、確かに掃除が必要な程この屋根裏部屋が結構汚れている事だけは確かである。

 霊夢は部屋の端っこで小さく積もっている埃や、先住者の証である蜘蛛の巣を見ながらもその箒を手に取った

「…まぁ暫くここでタダで寝泊まりできるんだし、ちょっとは綺麗にしとかないといけないわよね」

 箒を持って彼女はそう言って背負っていたデルフを床に下ろすと、魔理沙がおぉ!と声を上げた。

 

「おぉ、霊夢がその気になったか。これで今夜は綺麗な屋根裏部屋でグッスリ安眠できるな」

「アンタも手伝いなさいよ。タダでさえ掃除する箇所が多いんだから、猫の手でも借りたいぐらいなのよ」

 すでに勝負はついたと言いたげな笑みを浮かべる魔理沙に、霊夢はすかさず手伝うように誘う。

 彼女の言うとおり屋根裏部屋は相当汚れており、全部を綺麗にするのには結構な時間が掛かるうだろう。

 始める前からすでに自分に任せて楽しようとしてる黒白を睨む霊夢を前に、しかし魔理沙はその態度を崩そうとはしなかった。

「勿論手伝ってはやりたいがね、何せ私にはこれからサボってた仕事をしなきゃならないしさ」

「仕事?あぁ…」

 一瞬だけ何を言っているのかと訝しんだ霊夢は、すぐに魔理沙の言いたい事を理解する。

 

「呆れた!わざわざ掃除したくないってだけで姫さまから託された仕事を理由にするなんて!」

「おぉっと、誤解しないでくれルイズよ。私だって、スカロンが掃除道具を置いて行ったことなんて予想してなかったんだぜ?」

 彼女に続いてルイズも気づいたのか、呆れと僅かな怒りが混じった表情で魔理沙に詰め寄ろうとする。

 しかし魔理沙は近づいてくるルイズをスルリと避けて、二階へと降りる階段の方へと走っていく。

 危うく踏みそうになったデルフを軽く飛び越えた彼女はそのまま階段を降り始め、頭だけ見えている状態で二人の方へ顔を向けた。

「まぁ掃除をサボる分、二人にとって価値のある情報を持ってくるから期待しといてくれよな?それじゃっ」

「あっ、ちょっと!」

 

 ルイズが待ちなさいと彼女を制止する前に、魔理沙はそのまま音を立てて階段を降りてしまう。

 慌てて階段の傍へ行った頃には、既にあの黒白は一階へと続く階段を降りていくところであった。

 まるであと一歩の所でネズミを逃した猫の様なルイズの姿を見て、背後のデルフがカタカタと刀身を揺らして笑う。

 

『カッカッカッ!黒白に一抜けされたようだな娘っ子―――って、イタタタ』

「一抜けとか言わないでくれる?まるで私がやろうとしてる事が罰ゲームみたいに聞こえるじゃないの」

 失礼な事を言う鞘越しのデルフを箒の柄で軽く叩いてから、霊夢もルイズの傍へと近寄る。

 ルイズの方も近づいてくる彼女に気が付いたのか、スッと後ろを振り返る。

 自分を見下ろす霊夢の眼差しと、その左手に持つ箒を見た彼女はふぅ…と溜め息をついてしまう。

 

「…猫の手も借りたいって言ってたけど、貴族の手ってその猫の手よりも役に立たないと思うけど?」

「貴族だろうが公爵家だろうが箒で床を掃く事くらいできるでしょうに。とりあえず手は貸しなさい」

 そう言って左手の箒を差し出してきた霊夢に、ルイズは何か言いたそうな表情を向けたものの、

 彼女一人では流石に今日中には終わらないと察したのか、観念するかのように箒を手に取った。

 

 

 その後の掃除は、色々と問題を抱えながらもなんとか二人でこなしていった。

 ひとまず箒と一緒に置いてあった塵取りが屈まなくても使える三つ手のものだった為、ルイスでも難なく掃き掃除ができている。

 最初は掃く力が強すぎて埃を飛ばしてしまっていたが、そこは霊夢がアドバイスする事で何とかする事が出来た。

 時折「まさか公爵家の私が掃除何て…」と今の自分に驚いているようだが…まぁ放っておいても害はないだろう。

 一方の霊夢は一階から持ってきたバケツに水を入れて、雑巾で窓ガラスやら使えそうな木箱に纏わりついた埃を拭いていく。

 この屋根裏部屋には人数分のベットはあったものの、何かしら書く際の机やイスの類は見つからなかった。

 だからその代わりに程よい大きさの木箱を使うつもりなのであるが、その事に関してルイズはやや不満を抱いてはいた。

 

「えー?テーブルやイスなら、ランかスカロン辺りに頼めば用意してくれそうだけど…」

「まぁ一応は念のためよ。第一、床を掃いても辺りが埃まみれじゃあ意味が無いわ」

 

 それを聞いてルイズも「まぁ確かに…」と思いつつ、慣れない箒を動かしながら埃を塵取りへ集めている。

 彼女が最初の時よりもちゃんと掃き掃除が出来ている事に満足しつつ、霊夢はふと近くに置いたデルフへと視線を向ける。

 喧しいお喋り剣は埃舞う場所でわざわざ刀身を晒して汚したくないのか、始めてからずっと沈黙を保っていた。

 近くの壁に立てかけられているその姿は、まるで屋根裏部屋に放置された骨董品の武器の様だ。

 刀身自体は真新しくなったが、鞘自体は変わってない為に真新しさが分からず、全く以て意味が無い。

 とはいえ本人(?)はそれを口にすることは無いので、然程気にしてはいないのかもしれない。

 

 そこまで考えていた所で、自分は何馬鹿な事を考えているのかと首を横に振った。

(まぁ私はアイツ自身じゃないんだし、憶測で考えても仕方ないんだけど)

 心中で呟きつつ、しかし雑巾をバケツの中でギュッと絞っている最中もふとデルフの事を考えてしまう。

 それは彼女には似つかわしくない好感情からではなく…ここ最近辺に沈黙が増えた事への違和感であった。

(そういえばアイツ、最近喋らない時が増えて来たけど…何か悩みでもあるのかしら?)

 ちょっと前までは隙あらば喧しい濁声で場を騒がしくしていたが、今では変に黙っている事が多い。

 声を掛ければ普通に反応してくれるし、余計に喋らないのであればこちらの耳にも負担を掛けずに済む。

 しかし、声を掛けなくとも十分騒がしい彼を知っているだけに、霊夢は違和感を感じていたのである。

 

(…とはいえ、悩み事って言われても剣が何を悩んでるのか…全然分からないわね)

 性格と喋り方からして人間ならば間違いなく人生経験豊富で口の悪いおっさんであろうデルフリンガー。

 しかし彼は人間ではなく剣であり、その中でも一際特殊と言われているインテリジェンスソード。

 普段から何を考えて、そしてどうそれを解決しているのかなんて人間である霊夢には中々分かるものではない。

 仮にそれを告白されたとしても解決できるかと言われれば難しいかもしれないし、してやる義理は…一応はあるかもしれない。

 

 その時であった…。

「……お?どうしたレイム、オレっちの事なんかじっと見つめちゃったりしちゃってさぁ」 

 まるで本物の剣の様に何も言わず、壁に立てかけられているデルフの姿を凝視する霊夢の視線に気が付いたのか、

 金属音を軽く鳴らして刀身を鞘から僅かに出した彼は、明るい調子で霊夢に話しかけてきた。

 まさか話しかけて来るとは思っていなかった霊夢は少し驚きつつも、彼の話しかけに応じる。

「別に何でもないわよ。ただ、アンタが何か考え込んでるかのように黙ってるのが気になっただけ」

「……?イヤ、別に何か考え込んでて黙ってたってワケじゃあ無いんだがなぁ」

 自分の言葉に対してデルフの返事に、霊夢は怪訝な表情を浮かべてしまう。

 その顔が「どういう事よ?」と問いかけているのに察し、デルフはそのまま言葉を続けていく。

 

「ホラ、人間だって昼寝するだろ?…それと同じで、オレっちも思考を閉じて頭を休ませてたってワケ」

「頭もクソもない癖に何人間ぶってるのよ、この馬鹿剣が」

 さっきまで真剣に考えていた自分を気恥ずかしいと思いつつも単に休んでいただけというデルフに怒りを覚えた霊夢は、

 彼の傍に近寄ると靴先で軽く小突きつつ、これからは定期的に蹴って起こしてやろうかと邪悪な計画を思いついていた。

 

 

 

 後一時間もすれば日が暮れて赤と青の双月が顔を出すであろう時間帯のブルドンネ街。

 日暮れが迫りつつも人の混雑は殆ど変わらず、貴族平民共に多くの人々が暑い通りを行き来している。

 陽が落ちると共に看板を下ろして閉店する店のほとんどはこの時間帯がピークであり、必死に客を呼びこんでいた。

 パン屋では焼き上がったばかりのバゲットや白パンを夕食用として店の入り口にだし、売り子や店の従業員が声を張り上げる。

 とある惣菜屋ではシチューや肉料理、ラタトゥイユといった料理が出来上がり、それを待っていた客たちが我先に注文していく。

 

 たった一つの通りだけでもこれだけ活気があるのだ。他の通りでもここと同じかそれ以上の人々で賑わっていた。

 そんな暑苦しくも、どこか微笑ましい光景が見れる通りを霧雨魔理沙は箒を脇に抱えて、メモ帳と羽ペン片手に歩いていく。

 黒色が多い服ではさぞや夏の王都は暑いだろうが、彼女は意に介した風もなくテクテクと足を動かしている。

 その視線は手に持ったメモ帳に書いた内容と睨めっこしているが、通行人の誰かとぶつかる様子は無い。

 むしろ視線は前を向いていないというのに、彼女は平然と人を避けながら通りを歩いているのだ。

 伊達に幻想郷で様々な人妖との弾幕ごっこを通して戦ってきた経験が、ここで無駄に生きているようだ。

 

 さて、そんな魔理沙であったが自分でメモ帳に書いた内容に何故か自己評価をつけようとしていた。

 「う~ん、とりあえずあの手紙に書かれた通りの情報は集めた筈だが―――もうちょい集めた方が良いかも…かな?」

 インクの乾いたペン先でページをトントンと軽く叩きながら、集めた情報の量に不満を感じていた。

 そこに書かれている内容は、午前中ルイズが街の人々や下級貴族から集めていた情報と似通っている。

 主に奇襲を仕掛けてきたアルビオンへの反応や、これからのトリステインの事に関する事などであった。

 彼女自身、ルイズと比べて高いコミュニケーション能力が役に立っているのか、既に二ページ程使ってしまっている。

 

 しかし魔理沙としては、まだまだ物足りないという思いを抱いていた。

 情報と言うものは同じ話題でも人によって大きく脚色され、時には嘘さえ平気で混ぜてくる奴もいる。

 単なる道案内でも、心底イジワルなヤツに聞けば間違った道を進んでしまう事もあるのだ。

「…まぁ、今集めてる情報の類ならそういう心配は必要ないと思うけどなぁ…」

 メモ帳に記された、聞き込みにOKしてくれた人々の情報を読み直しながら魔理沙は一人呟く。

 ルイズが集めたものと同様、やはり人の数だけ同じ質問をしても別々の答えが返ってくる。

 

 とはいえ時間の許す限り集めても、全てが役に立つというワケじゃない。

 ここに掛かれている事をルイズの前で読み上げるとすれば、無駄に多く集めても自分の苦労が増えるだけだ。

 かといって二ページ分は少し心許ない気がする彼女は、後一ページ分程集めてみようかとも考えてはいた。

 幸い人の通りは多いし、道案内を装ってついでに質問すれば多少なりとも収穫はあるだろう。

「しかし、時間的にはちょっと難しいかねぇ?あんまり時間かけると夕食を先に済まされそうだし…」

 彼女は空を見上げ、夕焼けの色が目立ち始めた空を一睨みしつつひとまず道の端っこへと移動する。

 そこで一旦足を止めた彼女は辺りを見回し、気前よく自分と会話してくれそうな人を探し始めた。

(まぁ一ページ分とまでいかなくとも、できるだけ情報を拾ってからルイズ達の所へ帰るとしますか)

 心中でひとまずの目標を定めた魔理沙は、適当な話し相手はいないかしきりに視線を動かす。

 

 元々ルイズの為に情報収集する筈だったものの、当初の予定が狂って結局今になって始めている自分。

 アンリエッタから渡された資金を盗んだ子供を捜す為、自分よりもめまぐるしく街中を雨後回っていたであろう霊夢。

 そして座して情報を待つ筈が自分から情報を集めに行ったルイズ達から見れば、自分一人だけがサボっていると見られてしまっているだろう。

 特に霊夢は間違いなく思っていそうだが、それは止むを得ず人助けをしていたからであって実質的な不可抗力でしかない。

 更に案内したホテルにいた助けた少女の保護者達に僅かにだがもてなされ、気づいた時にはとっくにお昼時だったのだ。

 亀を助けた浦島太郎の様に、まぁちょっとだけお礼を…とか言っていたら三百年間程海の底にいたのと同じことである。

「まぁ浦島太郎と比べたら、私の方が数倍マシなんだろうけどな。……お、あそこにいる兄ちゃんとか良さそうだぜ」

 

 子供のころに絵本で知った哀れな釣り人の話を引き合いにだした所で、魔理沙は丁度良さそうな話し相手を見つけた。

 いかにも平民と言う出で立ちだが、近くの屋台で買ったであろう瓶ジュースを飲んでいる姿は観光客には見えない。

 まぁ簡単な手荷物一つ持ってない所を見るに明らかなので、魔理沙にとっては絶好の情報提供者である。

(さてと、まずは旅行者を装って適当な道を聞いてから…さっきと同じような質問かな?)

 魔理沙は彼に狙いを定めつつ、彼に聞くべき事を念のためおさらいしていく。

 聞くべきことは大きく分けて二つ、神聖アルビオン共和国についてどう思っているのか、

 そして今のトリステイン王国をどう思っているのか…、ただそれだけである。

 

 今に至るまで数えて十二人に同じような質問をしてきたが、答えは様々であった。

 例え平民であっても愛国的か、もしくは売国的とも言える様な返答が返ってくるのだから。

(この二つの質問だけでも、人によって大きく分かれるからな…聞いててつまらくはない)

 言い方や個人が持っている思想を含めば十人十色である返事を思い出しながら、魔理沙は男の方へと向かっていく。

 人と話すのは嫌いではないし、それが親しい相手ときたらもっと嫌いではなくなる。

 もしも霊夢が情報収集をしたとしても、ルイズや彼女のようにうまくやりこなせはしなかったに違いないだろう。

 

 ある程度男の傍へ近づいた魔理沙は、とりあえず声を掛けようとした―――その時であった。

 丁度彼の左斜め後ろにある路地裏へと続く横道から、いかにも怪しくて小さな手がスッと出てきたのは。

 明らかに大人の手ではなく、少し離れた位置にいる魔理沙の目にも子供のソレだと分かるくらいに小さかった。

 突然闇の中から出てきた子供の手に驚いたのもほんの一瞬、間を置かずしてその小さな手が何かを持っている事にも気が付く。

 何も知らない人間から見れば、ただ単に少しだけ見栄えをよくした木の枝に見えるかもしれない。

 しかし、この世界に住む人間たちならば誰もが知っているだろう。あの木の棒は権力者の象徴にして唯一絶対の武器であると。

 そして…この世界に来て暫く経つであろう魔理沙も知っていた。あの木の棒は紛う事なきメイジが魔法を行使する為に使う杖なのだと。

 

(ん…あれって、杖か…?)

 思わずその場で足を止めた魔理沙はその杖へと怪訝な視線を向けてしまう。

 声を掛けようとした男は未だ気が付いておらず、まだ半分ほど残っているジュースをチビチビと飲んでいる。

 そして彼の背後から見える子供の手は、握っている杖をまるで指揮棒の様に軽やかに振って見せた。

 直後、杖の先端がボゥッ…と青白く発光したかと思いきや、男の腰も同じように発光し始めたのである。

 少し驚いてしまう魔理沙をよそに本人は気づいていないのか、通りを歩く女性たちに目をやっている始末。

 

 その間にも子供の手が発光する杖をゆっくりと動かすと、男の発光していた腰――正確には腰に付けていた革袋が彼の体から離れてしまう。

 魔理沙の掌にはあと少しで収まらない程度の大きさの革袋が不気味な光を放ちながら、フワフワと宙を浮いたのである。

「なっ…!」

 ギョッとする魔理沙の事は見えていないのか、杖を持つ手はその袋を手繰り寄せるかのように杖を動かしていく。

 恐らくその袋は財布か何かなのであろう、魔法の力で宙に浮く袋は今にも重量で落ちしまいそうなほど不安定な浮き方をしている。

 男は尚も気づく様子を見せず、ジュースを酒代わりにして日が暮れゆく王都の通りをボーっと眺めている。

 対して、何が起こっているのか全て見ていた魔理沙は、ここでようやく何が起こっているのか理解した。

 

(魔法を使った盗みで子どもの手…って、これってもしかしてこの前の…!?)

 今正に声を掛けようとした相手がメイジであろう者からお金を奪われると察した魔理沙は、ついで思い出す。

 二日前に、自分たちからお金を奪っていったのは――――魔法を使う子供であったという事を。

 そして脳裏に再び聞こえてくる。あの少年の傲慢ちきな言葉が。

 

 ―――喜べ!お前らが集めた金は、俺とアイツで有意義に使ってやるから、じゃあな!

 

 得意気にそう言って、まんまと逃がしてしまったのは魔理沙にとっても苦い思い出であった。

 そして今、その苦い思い出を作ってくれたであろう少年が――別人という可能性も拭えないが――が盗みを働こうしている。

 魔理沙は瞬時に判断する。今自分の目の前で悪行を繰り返そうとする少年にどのような制裁を与えればいいのかを。

(何だかんだで、私にも色々とツキが回ってきているようで嬉しいぜ。それとも…ただ単に偶然に偶然が重なっただけかな?)

 彼女は心中でそう呟いた後、手に持っていたメモ帳とペンを懐に仕舞い、脇に抱えていた箒を右手で握りしめる。

 使い慣れた木の触り心地に思わず笑みを浮かべた彼女は、その足でバッと地面を蹴って走り出した。

 

 これまた使い慣らした靴底が煉瓦造りの地面を蹴り、軽快な音を連続的に立てていく。

 目指す先には路地裏へと続く横道―――杖を持つ手の持ち主が潜んでいる場所であった。

「ん?…って、おわ!?」

 当然そのすぐ傍にいた男は走ってくる彼女に気が付いて、慌ててその場から飛び退ってしまう。

 それが原因か、はたまた位置的に姿の見えなかった魔理沙が走って来るのに気が付いた窃盗犯の集中力が切れたのか、

 あと一歩でその掌の上に落ちる筈であった男の財布は、哀しいかな少々喧しい金属音を立てて地面に落ちてしまう。

 それと同時に袋の口を縛っていた紐が緩んだのか銀貨や銅貨、そしてわずかなエキュー金貨が地面へとぶちまけられる。

 

 男が突然あげた大声と、その金貨の音で周囲の人々は、何だ何だとそちらの方へと目を向けてしまう。

 そして何人かが、路地裏への入り口で杖を構えた者の姿を目にすることとなった。

「…ッ!畜生…」

 路地裏にいたであろう盗人は仕事が失敗終わり、更に周囲の目が自分へ向けられているのに気が付いたか、

 汚い言葉を口走りながら踵を返し、すぐさま灯りの無い道へと姿をくらまそうとする。

「おぉ!上手くいったぜ。ありがとな、おっさん」

 魔理沙は盗まれそうになった男に一声かけると、そのまま犯人の後を追って路地裏へと入っていく。

 対して男は何が起こったのか分からないまま、地面にばらまかれたお金を拾うのに必死にならざるを得なかった。

 

 

 王都トリスタニアのブルドンネ街といえど、路地裏ともなれば人気は無いし灯りもない。

 夕暮れに差しかかった今の時間帯は陽の光が入ってこず、薄暗く不気味さを纏っている。

 それも後数時間経てば夜の帳が訪れ、二人分程度の横幅しかない道は暗闇が包み込んでしまうだろう。

 

 そんな路地裏を、財布を盗もうとした犯人―――ルイズ達から金貨を奪った少年は必死に走っていた。

 まだ小さな両足を懸命に動かし、その途中で道に置かれていた空き瓶を蹴飛ばしつつも決して速度を緩めない。

 道の端で寝ころんでいた猫たちが突然の足音に顔を上げ、近づいてくる少年に威嚇をして彼が来た方へ走っていく。

 少年は暫く道が真っ直ぐなのを知ると一瞬だけ顔を背後へ向けて、追っ手が来ていないか確認する。

 ……いない。既に二回ほど角を曲がった為に、背後に見えるのは薄暗く狭い道だけだ。

 誰も追って来ていないのを確認した彼が再び前へ視線を向けると速度を少しだけ落とし、右へと進む角を曲がる。

 

 それから数分程走った後、正念は広場らしき広くひらけた場所へと出てきた。

 どうやら広場として使われていたのは昔の事なのか、人の気配は全くといっていいほど感じない。

 ボロボロのベンチが二つに、大通りのソレと比べて錆が目立つ街灯は一つだけ。

 時間で中のマジックアイテムが作動する街灯は未だついておらず、広場は薄暗い。

 奥には別の路地裏へと続く道があり、自分が来た道を覗けば周りは全て共同住宅の壁で塞がれている。

 王都のど真ん中であるというにまるで戦場跡地のように暗く、そして静かであった。

 小さく聞こえる大通りの喧騒とのギャップは、あまりにも激しい。

 外国人が見れば、なぜトリスタニアだというのにこうも暗い場所があるのかと驚くかもしれない。

 

 少年はそんな広場で一旦足を止めると、誰も追って来ていないのを知ってからふぅと一息ついた。

 ここまでずっと走り続けていたためか息は上がり、汗まみれの体が妙に気持ち悪い。

 肩をほんの少し上下させて呼吸する少年は、ふと近くにあるベンチに視線を向ける。

 …少しだけなら大丈夫だろうか?誰も追って来ていないという気の緩みからか、そんな事を考えてしまう。

 本当ならば少し奥に見える道から広場を出て、そこから別の大通りに出て姿をくらますべきなのだが…、

 しかし走り続けた小さな体は休憩を欲しがっており、自分も心も休むべきと訴えている。

「…ちょっとぐらいなら、良いかな?」

 一人呟いた少年はそのままベンチの方へと歩みを進め、束の間の小休止を――――

 

「おぉ、休憩か?まぁあんだけ走り続けてたんなら、無理はないと思うぜ」

 ―――しようとした直前、頭上から聞こえてくる少女の声に彼はその場で足を止めてしまう。

 そして慌てて声のした方―――つまり自分を見下ろせるであろう自分の目の前にそびえたつ一軒の共同住宅を見上げた。

 十メイル近くもある共同住宅の屋上。その上に立って、こちらを見下ろす影が一人。

 夕焼け空を後光に、時代遅れのトンガリ帽子と右手に持った箒のシルエットが地上からでもはっきりと見て取れる。

 顔までは分からなかったが、声からして間違いなく少女だという事は少年にも分かっていた。

 

 少年を見下ろすトンガリ帽子の少女こと霧雨魔理沙は、相手が動かないのを見てその足を動かす。

 木製の滑りやすい屋根に上手い事たっていた右足を何もない宙へと出し、そのまま一気にジャンプする。

 結果、魔理沙の体は何もない宙を一瞬だけ浮いたかと思いきや、そのまま地上へと落ちていく。

 アッ!と少年が驚き、これからの事を想像して目を背けようとする前に彼女が右手に持つ箒がその力を発揮する。

 魔理沙の体が地面と激突する前に箒は握られたまま浮遊し、そのまま彼女の体をも浮かしてしまう。

 

 てっきり地面とぶつかるかと思っていた少年はその光景に息を呑み、その場から動けなくなってしまう。

 やがて宙に浮いた魔理沙は重力に従ってゆっくりと着地し、両足に穿いた靴が芝生すらない地面を踏みしめる。

 そうして自分と同じ地上にまで降りてきたところで、ようやく少年は魔理沙の顔を間近で目にする事が出来た。

 白い肌に金髪、そして青い瞳というこの近辺では特に目立っているとは言える特徴は無い。

 しかし、トンガリ帽子にエプロンドレスという時代遅れも甚だしい格好とは裏腹にその顔は中々綺麗であった。

 もしも然るべき教育や作法を学べば、どこに出しても恥ずかしくない令嬢になれるかもしれないだろう。 

 

 そんな場違いな事を考えつつも、突然現れた魔理沙に対し身動き一つできない少年に魔理沙はほくそ笑んだ。

「へへっ?私が身投げをするとで思ってたのかい、ソイツは甘い見通しだったな坊主」

 思わず目をそむけそうになった自分をからかっているのか、魔理沙は凶暴さが垣間見える笑みを浮かべている。

 その言葉にハッと我に返った少年は、目の前の少女に見覚えがある事を思い出した。

 忘れもしない、二日前の夜…。思わぬ大金を手に入れるキッカケを作ってくれたあの三人組の一人に彼女がいた事を。

 

「お前…まさか僕の事忘れてなかったのかよ?」

 僅かに足を動かして後ずさり始める少年に、魔理沙は笑みを浮かべたまま「それはこっちのセリフだぜ」と答える。

「てっきり忘れられてたかと思ってたが、案外覚えてくれているようで助かるよ」

「何が助かるんだよ?…それはそうと…イヤ、もしかしなくてもやっぱり僕からあの金を取り戻そうとするんだろ」

「それ以外何があるんだ?茶会でも開いて「あの時はしてやられましたなー」って笑いあうつもりだったのかい?」

 

 

 後ずさる少年についてくかのように、彼女も一歩一歩ゆっくり前へ進んで彼に近づいていく。

 少年は腰に差していた杖を手に取り、対する魔理沙も懐へと手を伸ばす。

 両者の距離は一メイル。魔法を放とうとしても近すぎる為に、呪文を詠唱している間に杖を取り上げられてしまうだろう。

 

 互いに睨み合う状況の中、魔理沙の方へと勝利の天秤が傾いている。

 その事を相手も知っているのか、箒片手の魔理沙は一歩一歩確実に少年の方へと近づいていく。

 対する少年も杖を向けたまま後ろへと下がり、いつ呪文を唱えればいいか様子を窺っている。

 キッと目を細めて自分を睨み付ける彼の姿に、どうやら抵抗する気はあるのだと察した彼女は笑顔を崩さぬまま話しかける。

「まぁ私も子供相手に暴力をふるうつもりは無いさ。…盗んだ金を全額返してくれるのなら穏便に済ませるぜ?」

「は!そんなの誰が信じるかよ。どうせ俺を衛士たちの所に連れてって牢屋に放り込むんだろう!」

「んぅ~まぁ…大人しくしてくれないのなら連れてく必要はあるかな?…ただし、私と一緒にいた二人の元へな」

 未だ強気な少年の文句に魔理沙はそう返して、次いで意地悪そうな笑みを浮かべて「それでもいいのか?」と聞いた。

 

「そこら辺の衛士よか、あの二人に詰め寄られる方がずっと怖いぜ?…それでも、言う事聞くつもりは――――…なさそうだな」

 ルイズと霊夢の前に引っ立てればさぞや壮絶な事になるだろうと想像して、ついつい笑みを浮かべてしまった魔理沙は、

 それでも尚抗う態度を見せる少年を見て、これは一筋縄ではいかないと感じた。

「当り前だろ!あんな大金滅多に手に入らないんだ、そう易々と返してたまるかよ」

 杖を構え直してそう叫ぶ少年に、魔理沙は自分の頬を小指でかきつつ「はぁ…」と溜め息をついた。

「ソイツは参ったなぁ~、私としてはあまり乱暴はしたくないんだぜ?…疲れるし、一々小言を投げつけてくる奴もいるしな」

 その顔に苦笑いを浮かべつつそんな事を言う魔理沙に、少年は「だったら見逃してくれよ」と強気な態度そのままに言う。

 当然ではあるが魔理沙は首を横に振って拒否の意を示し、懐に入れていた左手から小瓶を一つ取り出しながらも言葉を返した。

 

「無理な相談だな。ここで運よく再会してしまった以上、お前さんは私に捕まるしかないんだぜ?」

 中に何が入ってい目のか分からない魔理沙の手の小瓶に目を向けつつ、少年はジッと身構え続ける。

 魔理沙も相手がやる気だと察したのか、彼女もまた身構えて相手の出方を窺おうとした…その時であった。

 自分の後方―――外界を隔てている共同住宅の方から聞き慣れぬ激しい音が聞こえたのは。

 まるで錆びついて動かなくなっていた扉を力押しで開けた時の様な、何が破損した時の様な妙に心臓に悪い音。

 思わずその音が何なのか気になった魔理沙は何事かと振り返ってしまい、そして呟く。

 

「…何だこりゃ?」

 彼女の視線の先に見えたのは、微かな土煙を上げて地面に倒れたばかりの小さなグレーチングがあった。

 共同住宅の壁の下部にある排水溝の蓋であったろうそれが取り外されて、地面に転がっていた。

 鉄でできたそれはずっと昔に取り付けられて以降放置されていたのか、黒錆に覆われている。

 魔理沙はそれを一瞥した後、すぐに排水溝の方にも視線を向ける。

 グレーチングで誰かが入らないよう蓋をされていた排水溝の中は、闇で満たされている。

 大きさからして子供が誤って入ってしまう心配はなさそうだが、何故か魔理沙の心に不安が生まれてくる。

 

 別に闇が怖いわけではない。問題は何故急に大きな音を立ててグレーチングが外れたかにあった。

 少なくとも、ここへ辿り着いて少年と対峙した時にはまだ蓋はついていたし、外れる気配もなかった筈である。

 

 しかし、突然の事に目を丸くしていた魔理沙の姿は少年にとってまたとないチャンスを与えてしまう。

 相手は急に外れた排水溝の蓋を気にしており、ほんの少しだが自分は視界から外れている。

 戦いに関して少年は素人であったが、これを逃げられるチャンスとして大いに有効活用する事はできた。

 彼は今いる位置から数メイル先にあるもう一つの道へと、ゆっくり近づいていく。

 抜き足、差し足、忍び足…と煉瓦造りの地面を靴底で滑るようにして音を立てずに移動しようとする。

「クッ!」

「あ!おいッ!」

 しかし、思っていた以上に魔理沙の耳が良かったことを彼は知らなかった。

 喧騒が遠くから聞こえる寂れた広場で微かに聞こえる足音に気が付いたのか、魔理沙が再び少年の方へと顔を向けたのである。

「待てコラ!」

 気づかれた!少年が悔しそうな表情を浮かべて走り出し、魔理沙が逃げる相手に叫んだのはほぼ同時であった。 

 咄嗟に左手に握っていた小瓶を振り上げて投げようとした彼女よりも、走る少年の方に軍配が下る。

 魔理沙に攻撃される前に何とか道へと入った彼は、そのまま一気に路地裏を駆けていく。

 

「んぅ…、畜生!このまま逃がしてちゃあ私の名が廃るってもんだぜ」

 対する魔理沙もわざわざ追い詰めたというのに、自分の不注意で逃がしてしまった事に納得がいかなかった。

 視線を外した時には、てっきり魔法で攻撃してくるだろうと思っていただけに、何故か無性に悔しかったのである。

 振り上げたままの小瓶を懐に戻した魔理沙は、箒は使わずそのまま走って少年を追いかけようとした。

 幸いまだそんなに遠くへは行っていないだろうし、足が速いのなら箒を使って空から捕まえてしまえばいい。

 

 未だ勝機あり、そう考えている魔理沙も少年と同じ道へと入ろうとした―――その時であった。

 丁度道の出入り口の地面から、彼女が想像していないような謎の物体が現れたのは。

 

「―――な…ッ!?」

 突然の事に思わず二メイル程前で足を止められた魔理沙は、驚きながらもその物体を凝視する。

 それはまるで、地面より下――彼女の足下を流れている水道から出て来たかのような液体の体を震わせている。

 形はまるで子供が造ったようなお地蔵さんみたいで、横にやや太い棒状の体を持つ黒いスライムと言えばいいのであろうか。

 更に液体状で黒色…と聞いただけで何やら人体には良くなさそうな手なのは一目瞭然であった。

 全長はほぼ魔理沙と同じであるが、常時不安定な体を大きく揺らしているためにうまく大きさを目測できない。

 

 これだけの特徴でも十分に不気味であったが、それ以上にその物体の不気味さを引き立てているのが゙両目゙であった。

 魔理沙の顔がある位置に合わせるかのようにして、彼女の頭ほどの大きさのある黄色い球体が驚く彼女を見つめている。

 時折ギョロギョロと動いてはいるが、それは目というにはあまりにも無機質であり、目では無いと否定するには位置が変であった。

 その目と思しき二つの黄色い球体はじっと魔理沙を見据え、液体の体を震わせている。

 

――――何だ、コイツは?

 一時的に少年の事を頭の隅に追いやった魔理沙が、冷や汗を流して呟く前に、

 その黒いスライム状の物体は、呆然と立ち尽くすしかない彼女へと跳びかかったのである。

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