ルイズと無重力巫女さん   作:1-UP-code

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第九十五話

 サン・レミ寺院の塔の鐘が大きな音を立てて鳴り響かせて、時刻が十一時になったと報せている。

 昔、それも家に置けるサイズの小さな時計が出来るまで寺院の鐘は人々にとって大切な存在であった。 

 今ではそこら辺の雑貨屋に行けば小物サイズの目覚まし時計が格安で手に入り、懐中時計は貴族たちの必需品となっている。

 事実鐘の音を耳にする人々は寺院に目を向ける事は無く、またある者は懐からわざわざ懐中時計を取り出して時間を確認する。

 この時代の人々にとって、既にサン・レミ寺院の鐘は大昔の骨董品――博物館に飾るべき対象にまで成り下がっていた。

 しかし悲しきかな…ただの鐘にそれが理解できるはずも無く、また博物館の人間もわざわざ寺院の鐘を飾ろうとすら思わないだろう。

 

 時代遅れの古鐘は今日も街の人々に時刻を報せる。それを真摯に聞く者がいないという事も知らずに。

 そんな鐘の音が聞こえてくるチクトンネ街の中央広場を、シエスタに連れられたルイズ達一行が横断していた。

「ミス・ヴァリエール、ここら辺は人が多いですから気を付けてくださいね」

「一々言わなくても大丈夫よシエスタ。私達もうんざりするほどここを通って来たんですから」

 自分の達の方へ視線を向けながら声を掛けてくれるシエスタに、ルイズ達は人ごみに揉まれつつ歩いている。

 その後ろにいる霊夢と魔理沙の二人は、無数の人々でできた弾幕の様な混雑をかわしながらも、何やら話し合っている。

「全く…次はどこへ案内するのかと思いきや、まーたこんな人間だらけの場所に連れて来るなんて…」

「まーいいじゃないか、ずっとあの通りにいたらそれこそこんな場所なんか通りたくない…なんて思っちゃうからな」

 丁度良い塩梅だぜ。と最後に付け加えた魔理沙は目をつぶって笑いながら、右からやってきた衛士をスッと前へ行く事で回避する。

 霊夢も霊夢でデルフを背負ったまま、左からやってきた散歩中の小型犬をほんの一瞬宙に浮いて避けて見せた。

 そのせいで彼女の頭が人ごみからヒョコッと出てしまったが、幸いそれに気づく者はいない。

 飼い主であろう貴夫人と連れの者たちはお互い会話に華を咲かせていたので、見られる事は無かった。

 

 お互い、通りがかってきた危機を軽やかに回避して見せた後で、それを後ろから見ていたルイズがポツリ呟いた。

「アンタ達って、偶に涼しい顔してスゴイ避け方するのね…」

「え?…ハハハ!なーに、伊達に霊夢と競い合って異変解決はしてないからな。この程度の人ごみは楽勝さ」

 ルイズの呟きに気付いた魔理沙は一瞬怪訝な表情を浮かべたもの、すぐに快活な笑い声と共にそう言ってのけた。

「良く言うわね。いっつも私の邪魔ばっかしてきて痛い目見てる癖に、そんな一丁前な態度が取れるなんて」

「まぁそう言うなって霊夢。…それに、一つ前の月の異変の時にはお互い良い具合に相打ちだったぜ?」

 魔理沙の言葉で、迷いの竹林でアリスとのコンビを相手にして紫と共に痛い目に遭った事を苦い思い出が蘇ってしまう。

「う、うるるさいわね…第一、アンタだって最後のスペルカード発動した際にアリスごと…」

「ちょっ…!こんな所で言い争うのはやめて頂戴よアンタ達!」

『いーや、無理だね娘っ子。…こりゃあ、暫し人ごみの中で立ち往生だ』

 対する霊夢はそんな魔理沙の言葉に溜め息をつきつつそう言うと、魔理沙も負けじと返事をする。

 霊夢の反応を見て、この先の展開が何となく読めたルイズが止めようとするも、デルフは既に止められない事を悟っていた。

 そんな時であった、これから始まろうとする知り合い同士の口喧嘩にシエスタが待ったを掛けたのは。

 

「…あ、ちょ…ちょっとみなさーん!そんな所で足を止めてたら他の人にぶつかっちゃいますよー!?」

 

 いざ言い争おう…という所でシエスタに呼びかけられて、思わずそちらの方へと視線を向けてしまう。

 私服姿のシエスタはアアワ…と言いたげな表情を浮かべつつも、上手い具合に衝突しそうになる他人と上手にすれ違いつつこちらへと向かってくる。

 伊達にトリスタニアの人ごみを経験していないのか、平民だというのにその身のこなしには殆ど無駄がない。

 そんな彼女の妙技(?)を三人が眺めている内に、とうとうシエスタが自分たちの元へとやってきた。

「ふぅ、ふぅ…もぉ、どうしたんですか?こんな人ごみのど真ん中で止まっちゃうなんて。…迷ったりしたら大変ですよ?」

「あぁ御免なさいシエスタ。ちょっとこの二人がどでもいい言い合いを始めそうになったけど、貴女のおかげで阻止できたわ」

 少し息を切らせつつ理由を聞いてくる彼女にルイズはそう答え、シエスタはそれに「?」と首を傾げてしまう。

 霊夢と魔理沙はというと、シエスタの邪魔が入ったおかげか言い争う気を無くしてしまったらしい。

 互いに相手の顔を見つつも、まぁここで言い争っても仕方ない…と言いたげな表情を浮かべていた。

 

「?…何だか良く分かりませんが、まぁ誰かにぶつかって大事にならず済んだのなら大丈夫ですよ」

「それなら問題ないわよシエスタ。少なくともこの程度の人ごみ何て、私にとってはそよ風みたいなモンだから」

「まぁ確かにそうよね。アンタならちょっと体を浮かせば何でも避けれるだろうしね」

 何が何だかイマイチ分からぬまま、ひとまず安堵するシエスタに霊夢は平気な顔をして言う。

 それに続くようにしてルイズも一言述べた後、シエスタが「さ、急ぎましょうか」と言って踵を返した。

「今はまだ大丈夫だろうですけど、お昼時になったらきっと入るのが大変になりますから」

「…大変な事?おいおい、何だか不穏な物言いだな。一体私達を何処へ連れていく気なんだ?」

 シエスタが口にした「大変」という単語に反応した魔理沙が、三十分程前から気になっていた事を質問する。

 魔理沙の問いにシエスタは暫し悩んだ素振りを見せた後…「あそこです」とある場所を指さした。

 咄嗟に魔理沙と霊夢は彼女の指差す方向へと視線を向け、デルフも鞘から刀身を少し出して何か何かとそちらへ視線(?)を向ける。

 そこから一足遅れてルイズもシエスタの指さす方向へと目を向けて―――そこにある『建物』を見て怪訝な表情を浮かべた。

 

 今から三十分ほど前までは、ルイズ達はシエスタの案内で王都の静かな通りを歩いていた。

 夏季休暇中にも関わらず平穏で、大通りの喧騒などどこ吹く風のそんな場所はとても歩き心地が良かった。

 そして…その通りにあるヘンテコな商品を扱う小さな雑貨屋を見ていた時に、シエスタが小さな悲鳴を上げたのである。

 何事かと思った三人がシエスタの傍へ集まると、そこには店の壁に掛けられた柱時計を見つめる彼女の姿があった。

―――…!どうしたのよシエスタ。そんな急に悲鳴なんか上げて…

――――あ、あぁミス・ヴァリエール!すいません、次に案内する場所をすっかり忘れていました!

 ルイズの問いにそう言ったシエスタが指差した先には、その柱時計。

 単身が十を、長針が六の所に差し掛かった時計から小さな鳩が出てきて、ポッポー!と鳴いている。 

 

 どうやら時刻は十時半になったらしい。それを知った霊夢が次に彼女へと話しかけた。

―――それがどうしたのよ?十時半になったらその案内する場所が閉まっちゃうの?

――――あー…いえ、別にそういう事じゃないんです…タダ、入るのが凄く難しくなっちゃうというか…

―――――何だ何だ、何か面白そうな予感がしてくるぜ。…で、次は何処へ案内してくれるんだ?

 返事を聞いていた魔理沙もそこへ加わると、シエスタは嬉しそうな笑みを浮かべて「これから案内します」と言って店を出ていく。

 結局その場では聞く事は叶わず、一体どこなのかと訝しみつつ三人は彼女の後をついていくしかなかった。

 

 それからあの通りを経由して再び人で溢れかえった大通りへと戻り、そしてチクトンネ街の中央広場まで戻ってきた。

 シンボルマークである噴水広場を少し出た所には、トリスタニア王宮と肩を並べるほどに有名な建物がある。

 トリステインの文化の象徴の一つであり、貴族だけではなく平民からも多大な支持を得ている大型の劇場。

 長い長い歴史の中で幾つもの傑作、怪作、迷作が生み出され、無名有名様々な役者たちが演じてきた芸人達の聖地。

 だからこそ、シエスタがその建物を指さした時にルイズは怪訝な表情を浮かべたのである。

 霊夢と魔理沙の二人を、あのタニアリージュ・ロワイヤル座につれて行くのはどうなのか―――と。

 

「…それが私の表情の真意よ」

「真意よ。…じゃないわよ、滅茶苦茶失礼するわねぇ~?」

 ルイズから怪訝な表情を浮かべた理由を聞いた霊夢は、苦虫を噛んだ様な表情を浮かべて苦々しく言った。

 夏の鋭い陽射しを避けられる陰が出来ている劇場の入口周辺に屯し、シエスタと魔理沙も傍にいる。

 劇場へと入る人々は貴族、平民問わず何だ何だと一瞥はするもののすぐに視線を逸らして中へ入っていく。

 入り口を警備している警備員たちも二人ほどルイズ達へと視線を向けて、じっと見張っている。

 その鋭い視線を背中にひしひしと受けつつも、霊夢は腰に手を当てて不機嫌さを露わにしていた。

 

「第一、私と魔理沙が劇を大人しく見れないって前提で考えてるのは流石に失礼よ」

「…ん~まぁ確かにそうよね、そこは悪かったわ。…でも、アンタ達ってオペラとか演劇とかって興味あるの?」

 ぷりぷりと怒る霊夢に平謝りしつつも、ルイズはさりげなくそんな事を聞いてみる。

 その質問に霊夢は暫し考えると、真剣な表情を浮かべながらルイズの出した質問に答えた。

「いや、そういうのは趣味じゃないわね。…魔理沙は?」

「あー私もそういうのはガラじゃないなー。人里でお菓子とかもらえる紙芝居なら好きなんだが…」

 霊夢に話を振られ、ついでに答えた魔理沙の言葉を聞いて、ルイズは額を押さえながら「オォ…もう」と呻くほかなかった。

 やはり…というか…なんというか、やっぱりこの二人にはそういうものを嗜める人間ではないらしい。

 

 み、ミス・ヴァリエール…と心配してくれるシエスタを余所に、ルイズは更に質問をぶつけてみる。

 今度は霊夢だけではなく、ついでに答えてくれた魔理沙にも同じ質問をする。

「一つ聞くけど…アンタ達、狭い席に大人しく座って…劇見ながら二時間程じっとしていられる自信ってあるの?」

 それを聞いた二人は、一体何を質問してくるのやらと思いつつも魔理沙がスッと手を挙げて即答した。

「まぁ一人静かに本を読む時は、大体それぐらいの時間は余裕で消費するから大丈夫だぜ」

「…悪いけど、劇場内でのマナー一覧には上演中の読書は禁止されてるわ。第一、劇が始まったら照明が消されるし」

 ルイズからの返答に魔理沙は「マジか」と呟き、次いで霊夢が質問に答えてくれた。

「まー、その劇とやらが面白ければ良いわよ。つまらなかったら目を瞑って昼寝でもする…そういうモノなんじゃない?」

「アンタ今、この劇場に対して滅茶苦茶失礼な事言ったわねェ…」

 霊夢の容赦ない一言を聞いて、ルイズは苦々しい表情を浮かべつつ周囲の視線が一斉に霊夢へ向いたのに気が付く。

 劇場へと入っていく貴族―――それも明らかに中流や上流と分かる年配や四十代貴族たちの鋭い批判の眼差しに。

 彼からしてみれば、この歴史ある劇場の席で居眠りする事など…絶対にしてはならない行為の一つなのである。

 ルイズも幼少期の折に、初めてここで劇を観賞する前に母親からしつこく注意されたものだ。

 

 例えどんなにつまらない寸劇や三文芝居だとしても、貴族であるからには最後までそれを見届ける義務がある。

 これから劇を見るだけだというのに真剣な表情でそんに事を言ってくる母に、自分はキョトンとしながらも頷いていた。

 霊夢に呆れるついで昔の事を思い出していたルイズはそこでハッと我に返り、誤魔化すように咳払いする。

「ン…ンゥ…コホン、コホン!」

「……?どうしたのよ、いきなりワザとらしい咳払いなんかして」

 突然の咳払いが理解できなかったのか、何をしているのかと呆れた表情を浮かべる霊夢を余所にルイズはその後ろへと注意を向ける。

 本人は気づいていないようだが、彼女の背中にはこれでもかと入り口で屯している他の貴族達からの鋭い視線が注がれている。

 先ほどの彼女の発言を聞いてしまったのだろう。これぞトリステイン王国の貴族…といった裕福な身なりの者達が目を鋭く光らせていた。

 良く見れば、腰に差した杖の持ち手に利き手を添えている者達までいる始末。

 

 もしもここから先、霊夢か魔理沙…もしくはデルフのどちらかが失礼な発言を重ねれば…どうなるか考えなくても分かってしまう。

 しかし流石の貴族たちも、こんな王都のど真ん中で歴史ある劇場に無礼な発言をした者たちを懲罰したりしないだろう。

 …というよりも、少し生意気な平民を脅かしてやろうと近づいて霊夢達に下手な事を言えば…何てことは想像したくも無い。

 今アンリエッタから請け負っている任務の事を考えれば、大きな騒ぎを起こす事などとんでもない下策なのである。

 そこまで考えたルイズが考えた選択は、ここから一刻も速く離れるという事であった。

 その為にはまずやるべきことは唯一つ…此処まで連れてきてくれたシエスタに、謝る事であった。

 

「…あーシエスタ、悪いけど…まだレイムたちにはタニアリージュ・ロワイヤル座の劇は難しいと思うのよ…」

「―――?は、はぁ…」 

 霊夢と同じく自分の咳払いの意図が分からず、小首を傾げるシエスタに顔を向けたルイズは彼女へそっと話しかける。

 普段のルイズならばこんな感じで平民に話しかけはしないものの、相手があのシエスタなのだ。

 わざわざ自分の貴重な休日を潰してまで、街を案内すると張り切っていた彼女が一番お薦めだと思うのはここに違いないからだ。

 タニア・リージュ・ロワイヤル座は平民も気軽に劇を見る事の出来る場所で、尚且つ平民の女性にとって舞台を見るという事は一種の贅沢なのである。

 前から霊夢達をここへ連れていきたいと考えていたのなら、自然と申し訳ない気持ちになってしまう。

 

 そんな事を考えていたルイズであったが、あったのだが…―――――――

「あの、ミス・ヴァリエール。…実はここへ案内したのは、劇を一緒に見ようとか…そんな事の為じゃないんです」

「――――――…え?」

 ――――惜しくも、そのもし分けない気持ちは単なる思い過ごしとなって霧散してしまう。

 今の自分にとって間違いなく寝耳に水なシエスタの言葉に、ルイズは目を丸くするほかない。

 霊夢と魔理沙の二人も、予想外と言わんばかりの「えっ」と言いたそうな顔をシエスタへと向けてしまう。

 そんな三人に申し訳なさそうな表情を見せつつ、一人空気が違うようなシエスタは話を続けていく。

 

「だって皆さん、そろそろお腹が空いてきた頃合いでしょう?だからここで美味しいモノ食べていきませんか?

 実はここのレストランで食べられるパンケーキセット…安くて美味しいって平民の女の子達の間で評判なんですよ」

 

 どうやら近頃の平民の女の子たちの間では、劇よりもパンケーキセットが人気なようだ。

 同じ少女でも貴族と平民、両者の流行には大きな差がある事をルイズは再認識せざるを得なかった。

 

 

 

 

 タニアリージュ・ロワイヤル座は今日も午前中から貴族やら平民達が、娯楽を求めてやってくる。

 観音開きになっている門をくぐり、窓口に並んでチケットを買い、そして劇や芝居…時には演奏を聞くために奥へと入っていく。

 そして観終った者達は再び門をくぐって出ていくか、あるい館内に設けられたレストランで優雅な食事を楽しむ。

 レストランも貴族向け、平民向けと分けられているものの、そこはトリステインの歴史ある劇場内の飲食店。

 平民向けであろうとも彼らが自宅の食卓では食べられない様な料理を、手の届く価格で提供しているのだ。

 

 そうして満足ゆく体験を経て去っていく者たちの大半は、いずれまた戻ってくる。

 またあの時の芝居や劇で体験した感動を、あのレストランで食べた料理をもう一度…という希望を抱いて。

 彼らの様なお客は業界ではリピーターと呼ばれ、そして彼らは今も尚増え続けている。

 このようにして、タニアリージュ・ロワイヤル座は不景気や災害に負けず今日まで続いているのだ。

 過去二十回にも及ぶ増改築を続け、伝統を残しつつ新しさを取り入れた劇場として外国の観光客にも人気がある。

 その内の中では比較的新しく改築した場所と言えば、丁度二年前に上流貴族専用の『秘密の入口』であろう。

 

 『秘密の入口』は劇場の地下一階、丁度裏手の通りにある緩やかなスロープから外へ入る事が出来る。

 緩いL字型の下りスロープを下りた先には、比較的大きめの馬車止めが幾つも用意されていた。

 元々は過去の芝居や劇で使われていた大型の道具を置くための巨大物置部屋として使われていた。

 スロープもその道具を一旦外へ出し、同じく地上の搬入口を運ぶために造られたものなのだという。

 しかし近年、魔法を用いた演出などが増え始めるとそれ等の大道具は時代遅れの代物として見なされ、

 更に同じ時期に、王宮で大事な官位についている貴族から「お忍びで入れる入口はないかと」という要望を出してきたのである。

 

 当時の館長を含め劇場を運営する貴族達が一週間ほど会議した結果、地下の馬車止め場が造られる事となった。

 最も、それまでそこに仕舞っていた道具は幾つかのパーツに解体して別の場所に保管するか廃棄される事となったのだが…。

 何はともあれ、地下の入口が造られてからは更に貴族の客が増え結果的に劇場にはプラスの結果となったのである。

 

 そして今日もまた…当日予約ではあったものの、一台の大型馬車がスロープへと入ろうとしていた。

 外の通りからスロープの間には黒い暗幕が掛けられ、入口の横には槍と警棒で武装した警備員たちが厳しく見張っている。

 その暗幕を抜けた先には壁に取り避けられたカンテラに照らされたスロープが、地下の馬車置き場まで続いている。

 御者が馬の速度を落としつつそのスロープを無事下りきると、近くで待機していた警備員が御者へと指示を飛ばす。

「ようこそいらっしゃいました!ミス・フォンティーヌの御一行様ですね、五番ホームまで進んでください!」

「あぁ、分かったよ」

 

 警備員の指示に従い、御者は馬を前へ進ませて五番ホームへと向かわせる。

 廊下に沿って天井に取り付けられた大型のカンテラが地下を照らしているせいか、かなり明るい。

 既に他の馬車が止まっているホームの中にはハーネストを外された馬が馬草を食んでいたり、留守を任された御者の手で体を洗われている。

 聞いた話では全部約六台分の馬車が入るらしいが、成程貴族たちの間では中々人気なようだ。

 横目で見る限り、馬車に描かれている家紋や紋章はどれもこの国ではそれなりの地位を持っている家のものばかりである。

 その殆どには御者や係の者がついて細かい整備や清掃などを行っており、とても劇場の地下とは思えない様な光景が広がっていた。

 

 それからすぐに、警備の者に言われた通り、要人達を乗せたその馬車を五番ホームへと入れていく。

 コの字型ホームの一番奥で馬を停めると、付近で待機していた数人の係員たちが駆けつける。

 一人が手早くハーネストを外して馬を更に奥へと移動させると、もう一人が御者に水の入ったコップを手渡しながら話しかけた。

「暑い中お疲れさん。…連絡済みだと思うが、当日予約だから馬の手入れや馬車の整備はできないよ!」

「あぁ問題ないよ!ウチのご主人様はそういうので一々臍を曲げたりしないお方だしな…あぁ、どうも」

 係員からの注意に御者はそう答えつつ、額の汗を拭いながら差し出されたコップを受け取って水を一口飲んでみせる。

 ここまで二時間近く、王都の交通事情に苦戦しながらも馬車を走らせてきた彼にとって、差し出された水はとても美味しかった。

 王都の中で飲める水の中ではこれほどまで冷たく、のど越しの良い水が飲めるのはきっと王都ぐらいなものだろう。

 

 そんな風にして御者が係員からの御恵みを受ける中、別の係員が馬車のドアの前に立つ。

 事故防止用の鍵が内側から開かれる音が聞こえるとその場で気を付けの姿勢をした後、レバータイプのドアノブへ手を掛ける。

 馬車に取り付けるドアノブとしては間違いなく高級な類であろうそれをゆっくりと握り、かつ力を入れてレバーを下ろしていく。

 ガチャリ、金属的な音を立ててレバーが下りたのを確認した係員が意を決してドアを開けていくと――――突如、小さな影が飛び出してきた。

「うわっ、な…何だ?」

 予想していなかった影の登場にドアを開けた係員は驚きのあまり声を上げてしまい、影のとんだ方向へと視線を向ける。

 馬車から数十サント離れた煉瓦造りの地面の上、カンテラで薄らと照らされたそこにいたのは…一匹のリスであった。

 

 以前彼が街中の公園で見た事のある個体より少しだけ大きいソイツは、口をモゴモゴと動かしながら係員の方へと視線を向けている。

 嫌、正確には彼の背後――――馬車の中にまだいるであろう自分の『飼い主』の姿をその目に捉えていた。

 そうとも知らず、自分を見つめていると思っていた係員が何て言葉を掛けていいのかと思っていた最中、

「あらあら、御免なさいね。…この子ったら、いつも真っ先に馬車の中から出ちゃうのよ…」

 …と、背後から掛けられた柔らかい女性の声にハッとした表情を浮かべ、慌てて馬車の主の方へと振り返る。

 振り返った先にいたのは、右足を馬車の外から出そうとしている女性―――カトレアであった。

 その顔に浮かぶ笑みに少し困ったと言いたげな色が滲み出ているのに気が付いた係員は、慌てて頭を下げて謝罪を述べようとする。

 

「も、申し訳ありませんミス・フォンティーヌ!馬車の中に入っていたリスに気を取られて、つい…!」

「あぁ、いいのよ私の事なんて。…それよりも、その子が何処に行ったのか真っ先に確認してくれて有難うって言いたいわ」

「……えぇ?」

 貴族を怒らせたらどうなるか、それを何度も間近で見てきた彼の耳に聞いたことの無い類の言葉が聞こえてしまう。

 思わず我が耳を疑ってしまい、怪訝な表情を浮かべて顔を上げる彼を余所にカトレアは右手を差し出して口笛を吹く。

 すると…キョロキョロと辺りを見回していたリスが彼女の方へと顔を向け、タッと走り寄ってくる。

 リスは彼女の身に着けているスカートをよじ登り、そのまま服を伝って彼女が差し出した掌の上へとたどり着く。

 カトレアはそんなリスの頭を優しく撫でながら、キョトンとする係員に詳しい説明をし始めた。

 

「この子、見慣れない場所へ行くとついつい興奮しちゃうのか…まっさきに外へ飛び出してしまうの。

 まだ怪我が治ってないから外へ出るのは危険なのに、でも自立したいって気持ちは私なんかよりもずっと強い」

 

 羨ましくなるわね。ふと最後にそんな一言が聞こえたような気がした整備員は、怪訝な表情を浮かべてしまう。

 しかし今は仕事の真っ最中であった為、気のせいだと思う事にしてカトレアへの案内を再開する事にした。

「で、ではミス・フォンティーヌ。ご予約して頂いた劇の上演まで残り一時間を切っておりますので、こちらへ…」

「あら、丁度良い時間ね。じゃあお言葉に甘えて…あぁ、その前に一つよろしいかしら?」

 リスを馬車の中へ戻したカトレアが係員についていこうとした所で、彼女は何かを思い出したかのような表情を浮かべる。

 彼女の言葉に何か要望があるのかと思った係員は、改めて姿勢を正すと「可能な限りで」で返した。

 

「私たちが乗ってきた馬車の周りを、少し高めの柵で囲っておいて貰えないかしら」

「柵、でありますか?」

「えぇ。ホラ、ちょうどあそこで馬を囲ってるのとおなじような……」

 カトアレはそう言いながら、彼女から見て右手にある四番ホームで馬が出ない様に囲ってある鉄製の柵を指さす。

 係員達は一瞬お互いの顔を見合ったものの、まぁそれくらいなら…という感じで彼女の案内役が代表して頷く。

 

「わかりました。他の係員たちに言って倉庫から余っている柵を持ってこさせます」

 係員のその言葉を聞いたカトレアは嬉しそうに手を叩くと、彼に礼を述べた。

 

「そう、有難うね。…じゃあ、馬車の中にいる『あの子達』に言っておかないと」

 次いで、彼女の口から出た『あの子達』という言葉に係員が首を傾げそうになった所で、

 カトレアはドアが僅かに開いている馬車の中へと優しげな声を掛けた。

「じゃあみんな。私が戻ってくるまでの間、柵の外から出ずに遊んでいるのよぉ~!」

 彼女が大声でそう言った瞬間、馬車のドアを開けた大勢の小さな影が続々と飛び出してくる。

 案内役を含めた係員たちが何だ何だと驚く中で、何人かがその正体が何なのかすぐに気が付く。

 馬車の中に潜み、そして出てきた影の正体は――――大中小様々な動物たちであった。 

 

「え…!?」

「ど、動物…それも、こんな…」

 係員たちは目の前の光景が信じきれないのか何度も目を擦り、激しい瞬きを繰り返している。

 それ等は先ほどのリスよりも二回りも大きく、そして様々な種類がいた。

 先に飛び出してきたリスを含め、一体この馬車の中はどうなっているのかと疑う程の動物たちが五番ホームを占領していく。

 可愛い猫や雑種と思しき中型犬に混じってトラの赤ちゃんが地面に寝そべり、小熊がその隣で座っている。

 亀がゴトゴトと地味に喧しい音を立てて歩き回り、そのままとぐろを巻いて休んでいる蛇の体をよじ登っていく。

 

 あっという間に周りよりも騒がしくなってしまった五番ホームの真ん中で、カトレアは動物たちを見回しながら「みんなー」と声を掛けた。

「少しさびしいと思うけど。御者のアレスターが一緒だから、何かあったら彼の言う事を聞くのよ。わかった?」

 その瞬間…驚いたことに、彼女の言葉にそれぞれが自由気ままにしていた動物たちは一斉に彼女の方を見たのである。

 眼前の蛇を蛇と視認していなかった亀も足を止めて彼女の方へと身体を向け、蛇は首をのっそり上げてコクリと頷いてみせた。

 まるでサーカスの動物ショーを見ているかのような光景に係員たちが呆然とする中、カトレアはその笑顔のまま案内役の係員に話しかける。

 

「それじゃあ、案内してもらおうかしら」

「………あ、え?…あッ!は、はい!こちらです」

 あっという間に劇場地下の一角が小さな動物園と化した事に一瞬我を失っていた係員は、慌てて返事をした。

 再び自分の足元で思い思いに寛ぐ動物たちを踏んだり蹴ったりしないよう細心の注意を払いながら、カトレアへの案内を始める。

 幸い劇場のロビーへと続いている扉はすぐ近くにあり、一分も経たずに扉の前まで彼女連れてくる事ができた。

 そこまで来たところでカトレアはまた何か思い出したのか、アッと言いたげな表情を浮かべて馬車の方へ顔を向ける。

 

 今度は一体何かと思った係員たちがそれに続いて馬車の方へ視線を向けた直後、何人かがギョッとした。

 カトレアが出て、動物たちが出てきた馬車の中から、ヌッと大きな頭の女が重たそうな動作で出てきたのである。

 まるで目覚めたばかりで古代の遺跡からゆっくりと這い出てくる魔物の様に、その一挙一動が無気味であった。

 何せその女の頭の大きさたるや、女の体と比べればまるで子供がギュッと抱きついているかのようにアンバランスなのだ。

 地下の照明が微妙に薄暗いという事もあってか、その頭がどういう事になっているのかまでは良く分からない。

 それがかえって不気味さを増長させており、係員たちの何人かは女からゆっくりと後ずさろうとしている。

 動物たちも馬車から出てきた女に驚いたのか、寝ていた者たちはバッと体を起こして馬車との距離を取ろうとしていた。

 

 係員たちも突然の巨女に対応ができず、ただただ唖然とした様子で見守っていると―――女が言葉を発したのである。

「ニナー、もう大丈夫だから…大丈夫だから、とりあえず私の頭に抱きつくのは、いい加減やめなさい」

「…え?……あれ、もうついたの?」

 その不気味さとは対照的に、冷静さと大人びた雰囲気が垣間見える声に呼応するかのように、今度は少女の声が聞こえてくる。

 何と驚く事に、ようやく言葉足らずを卒業したかのような幼い女の子の声は、女の頭がある部分から発せられた。

 不安げな様子が見て取れる言葉と共に、女の頭の天辺からニョキ…!と女の子の顔が生えてきたのである。

 瞬間、その様子を間近か照明の逆光でシルエットしか分からなかった係員たちは小さくない悲鳴を上げてしまう。

 

 ちょっとした混乱が続いている五番ホームの中、係員たちの恐怖を余所にカトレアはその女に声を掛けた。

「ニナ、ハクレイ。あぁ御免なさい!あなた達に声を掛けるのを忘れていたわ」

「あー別に大丈夫。ちょっとニナが動物たちを怖がり過ぎてて、私の頭にしがみついてて…馬車から出るのに苦労したけど」

 カトレアの言葉に女は軽い感じでそう言うと、自分の頭に抱きついている少女、ニナをそっと引っぺがして見せた。

 そこになって、ちょっとした恐慌状態に陥りそうになった係員たちは、ようやく巨頭の女の正体を知る事となったのである。

 女、ハクレイは引っぺがしたニナの両脇を抱えたままカトレアの傍まで来ると、そこで少女をそっと地面へ下ろす。

 一方のニナはと言うとハクレイの背後でじっと様子を窺っている動物たちを、見張っているかのように凝視していた。

 

 そして凝視するのに夢中になっているあまり、下ろされた事に気が付いていない彼女の肩をハクレイはそっと叩いて見せる。

 ポンポンと少し強く感じられる手の感触でようやく下ろされた事に気が付いたニナは、ハッとした表情でハクレイの顔を見上げた。

「ホラ、これでもう大丈夫よ」

「だ…大丈夫って…何が大丈夫だってぇ~?」

 肩を竦めて言うハクレイに、ニナは子供らしい意地を張りながら生意気に腕を組んでみせる。

 その子供らしい動作にハクレイはもう一度肩を竦め、カトレアはクスクスと笑おうとしたところでハッと気づく。

 

 ふと周囲に目をやれば、いつの間にか自分たちを中心に奇異な目を向ける者たちが数多くできていた。

 係員をはじめとして、自分たちと同じく客として来たであろう貴族達も目を丸くし、足を止めてまで凝視している。

 馬車に乗せてきていた動物たちも何匹かが主の方へと目を向けていた。

 ザッと見回しただけでも実に十以上の視線に晒されているカトレアは、流石に焦りつつも頭を下げて彼らに謝罪をして見せた。

「…えーと、その…変にお騒がせさせてしまい、大変申し訳ありませんでした」

 多少おざなりであったがそれで良かったのか、貴族の客たちは各々咳払いしたりしてその場を後にする。

 係員たちも何人かが頭を下げるカトレアと同じように頭を下げて、各自の仕事を再開していく。

 

 先程までいつも以上に賑やかだった地下の馬車置き場は、再びいつもの喧騒を取り戻していた。

 カトレアが連れてきた動物たちの鳴き声と、五番ホームを囲う柵を用意する係員たちの姿を除けば、であるが。

 

 

 

 

――――あら、懐かしい劇ね。一体何時ぶりだったかしら?

 どうして彼女たちがタニアリージュ・ロワイヤル座に来たのか…それは朝食を食べているカトレアの一言から始まった。

 

 昨夜のドタバタ騒ぎから夜が明けて、腹を空かせていたハクレイがオムレツを口に入れようとした時か、

 それともカトレアの横に座り、手作りフルーツヨーグルトのおかわりをお手伝いさんに頼もうとした時かもしれない。

 朝陽に照らされた庭で寛ぐ動物たちに餌をやり終えたカトレアが、ポストに届いていたお便りを読みながら、そんな事を呟いたのである。

 中にチーズとハムが入ったオムレツをそのまま口の中に入れたハクレイが口を動かしながら「はひがぁ?(何が?)」と聞く。

 何気にマナーのなってないハクレイをお手伝いがジトーと睨むのを見て苦笑いしつつ、カトレアは彼女の問いに答える。

 

―――ここから少し離れた所にあるタニアリージュ・ロワイヤル座っていう劇場で懐かしい劇がリバイバルされるらしいのよ。

     まだ私が小さい時…故郷の領地にいた頃に一度だけ、とある一座が王都まで行けない人たちの為に出張上演してくれたっけ…

 

 その言葉を皮切りに、カトレアは食事の手を一時止めてハクレイ達に当時見た劇の事を話してくれる。

 劇は王道を往く騎士物で、世間を知らない貴族の御坊ちゃまが一人前の騎士として御尋ね者のメイジを退治する話なのだという。

 苦労を知らず下らない事で一々怒る主人公が多くの人々から時に厳しく、時に優しくされつつも騎士として鍛え上げられていく。

 やがて同期のライバルや教官から騎士道とは何たるかを学び、最後は自身の母を手に掛けた貴族崩れのメイジと一騎打ちを行う。

 これまで培ってきた戦い方や技術を凌駕する貴族崩れの男の攻撃に苦戦しつつも、主人公は機転を利かせつつ攻めていく。

 その戦いの末に杖を無くしてしまった二人は互いに護身用の短剣を鞘から抜き放ち、そして――――…。

 

―――それで…?

――――そこまで言ったら、もしも同じ劇を見た時に面白味が無くなっちゃうでしょ?

 そこまでも何も、物語の大半を語っておいてそこでお預けするというのは正直どうなのだろうか?

 既に手遅れな事を言っておいてクスクスと笑うカトレアをジト目で睨みつつ、ハクレイは朝の紅茶を一口飲む。

 ミルクを入れて口の中を火傷しない程度に温度を下げた紅茶はほんのりと甘く、優しい味である。

 カップを口から離し、ホッと一息ついたハクレイを余所に同じくカトレアの話を聞いていたニナが彼女に話しかけていた。

 

「でも何だか面白そうだよね~、でもリバイバルって何なの?」

「リバイバルっていうのはねぇ、昔やっていたお芝居とか演奏会とかをもう一度やりますよーっていう意味なの」

 カトレア曰く、この手の演劇や芝居などは日が経つにつれ新しい物へと変わっていくのだという。

 稀に何らかの理由で発禁処分にされたりでもしない限り、大抵は短くて三か月長くて半年は同じ劇が見れるらしい。

 終了した物を見るには今言っていたリバイバルか、金持ちの貴族ならばワザワザ劇団を雇って見ているのだとか。

「…で、アンタがさっき言ってた劇は当時の貴族の子供に人気だったからリバイバル…っていうワケね」

「そうらしいわね。まぁでも、タニアリージュ・ロワイヤル座でリバイバルされるのなら相当に人気だと思うわ」

 まぁ実際、面白かったしね。最後に一言付け加えた後、カトレアは手に持ったフォークで付け合せのトマトを刺した。

 一口サイズにカットされたソレを口元にちかづけいざ…という所で、彼女はハッとした表情を浮かべて手を止める。

 

 カトレアへ視線を向けていた他の二人とお手伝いさんたちが訝しもうとしたその時…彼女は突如「そうだわ!」と大声を上げた席を立った。

 突然の事にカトレアを除く全員が驚いてしまう中で、彼女は名案が閃いたかのような自信ありげな顔でハクレイ達へ話しかける。

「何ならこれからその劇を見に行きましょうよ、ここ最近はずっと家の中にいたし…ニナも窮屈そうにしていたし」

「え?本当に良いの!?」

 あまりにも突然すぎる提案にニナはたじろぎつつも、ほぼ同時のサプライズに嬉しそうな表情を浮かべる。

 ここ王都に入ってからというもの、街中の込み具合からニナは庭を除いてここから出た事がなかったのだ。

 多少自分の身は守れる程度に強いハクレイは別として、一日中カトレアと共にこの別荘の中で過ごしている。

 

 年頃の子供にとって、猫の額よりかは多少でかい庭だけが外の遊び場というのは窮屈だったのだろう。

 しかも彼女が連れてきていたという動物のせいで、彼女が満足に遊べるような状態ではなくなっていた。

 そんな今のニナにとって、外に出られるというチャンスはまたとない刺激を得られるチャンスであった。

 自分の嬉しそうな様子に笑みを浮かべるカトレアに対し、ニナはついでと言わんばかりにお願いをしてみる。

 

「ねぇねぇお姉ちゃん、そのついでで良いからさー…その~…」

「……?―――…あぁ!」

 勿体ぶった言い方をするニナの表情と、彼女の事を日がな一日見ていたカトレアはすぐに言いたい事を察してしまう。

「良いわよニナ、時間に余裕があるなら帰りに王都の公園にでも寄っていきましょうか?」

「――…ッ!わーい!やったー!」

 カトレアからのOKを貰ったニナは余程嬉しかったのか、その場で席を立つと嬉しそうにジャンプして見せた。

 ニナの反応を見てふふふ…と笑っていたカトレアは、次いでハクレイにも行けるかどうか聞いてみる。

「ねぇハクレイ、貴女はどうかしら?……まぁ、貴女はちょっと忙しい所を邪魔するかもしれないけれど…」

「…うーん…………貴女の提案ならまぁ…断るのはどうかと思うしね…けれど、」

 少し表情を曇らせながら訊いてくるカトレアに、ハクレイは暫し黙った後で軽く頷きながらも言葉を続けた。

 

「せめてその手に持ったままのフォークに刺さったトマト、食べるかどうかしてあげなさいよ」

 彼女の今更な指摘に、カトレアはハッと自分の右手に握られたフォークへと目をやる。

 持ち主に食べられる事無く放置されていたトマトから滴る赤い果汁は、まるで涙と例えるべきか。

 今になって食べる途中であった事を思い出したカトレアは思わずその場で頬を赤く染めて、お淑やかにそのトマトを口の中へと入れた。

 

 

 

 

 そんなワケで、カトレアはハクレイとニナ…それに連れてきていた動物たちを伴って劇場へとやってきたのである。

 当初はお手伝いさんたちが何も動物まで連れて行くのは…、とカトレアに苦言を呈したのであるが…

「この子たちもニナと同じで、あまり広い所で遊ばせてあげれていないから…」

 …という理由をつけて別荘側の方で比較的大型の馬車を借りた後、劇場へ当日予約を伝えてもらった。

 基本的にタニアリージュ・ロワイヤル座の地下馬車置き場を利用するには前日までの予約が無ければ使用する事はできない。

 しかし、元々それなりの上級貴族が利用する『風竜の巣穴』を通せば空きがあれば当日予約が通るのである。

 かくしてカトレアの考えていた通りに事は運び、こうして劇場に入る事はできたのだが…。

 

「予想以上に、すごい人だかりねぇ…」

「そうねぇ、こればっかりは何となく予想がついてたけど…予想の範囲をちょっと超えてたわ」

 ロビーへと通じる階段を上り、踊り場の所で足を止めているハクレイとカトレアの二人は少し面喰っていた。

 何せロビーから少し下の踊り場から見上げるだけでも、一階にいる人々の賑わいが少し喧しいレベルで聞こえてくるのである。

 見上げた先に見える無数の人影が忙しなく行き来し、シルエットだけでも千差万別だ。

 マントと思しきものをつけていれば、掃除道具であろうモップを肩に担いで横切る人影もある。

 中には明らかに高値と見えるドレスを着た貴婦人の影が、お供と思しきシルエットを数人連れて横切っていく。

 さぞやロビーは物凄い人ごみであろうとハクレイは思ったのか、緊張で息を呑もうとしたその時…

「…ふふ、ふふふ」

 突然、後ろにいるカトレアの押し殺すような笑い声が聞こえたのに気が付き、そちらへと視線を向けてしまう。

「どうしたのよ?急に笑ったりなんかして」

「え?いや、別に大したことじゃ無いのよ?ただね…まるで何か…踊り場の上が小さな劇場に見えてしまってね…」

 何が可笑しいのか、笑いを少しだけ堪えるようにして言う彼女の言葉に、ハクレイはもう一度視線を元へ戻してみる。

 そして踊り場の上からしきりに行き交う人影たちを見つめていると、彼女の言葉の意味が何となく分かってきた。

 

 こうして様々な姿形の人影が交差していく様子が見れる踊り場は、確かに小さな劇所に見えてしまう。

 それはここが歴史ある劇場である故に設計者が意図して作ったものなのか、はたまた長い歴史の中で偶然に生まれた場所なのか。

 真実を知ることはこの先決してないかもしれないが、不透明な真実を探すのもまた一興と言う奴なのだろう。

 まぁ最も、落ち着いて腰を下ろせる席が無い分劇場としてはかなりランクは低い事は間違いない。

 暫し踊り場の上から一階へと通じる出入り口を見上げた後、気を取り直すようにしてハクレイが軽く咳払いをした。

「……そろそろ上りましょうか?」

「そうね。…ホラ、ニナもこっちにいらっしゃい」

「はーい!」

 カトレアの呼びかけに、少し下の方で壁に掛けられている絵を見ていたニナが元気よく返事をする。

 そうして三人そろった所でカトレアを先頭にして階段を上がり、ロビーへと続く入り口をくぐっていく。

 やがて彼女たちの姿も人ごみに紛れ、踊り場から見上げられる人影の一つとなっていった。

 

 

 

 

 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、誇り高きヴァリエール公爵家の末娘である。

 末っ子であっても、そんじょそこらの二流三流の家と違いしっかりとした教育を受けられる立場の人間だ。

 貴族としての教養は勿論のこと座学、作法、流行りのダンスの踊り方に…当時は全くダメだったが魔法の練習も、

 更に一通り文字の読み書きができる年頃になったところで、法律に関するものや子供向けの難しい魔法の専門書を与えられてきた。

 その甲斐あってか、魔法と体格を除いて今では何処に出しても恥ずかしくない、立派な貴族の子供として成長したのである。

 ハルケギニアの共用語であるガリア語は勿論、ゲルマニアやロマリアの言語なども読み書きできる程になっていた。

 

 そんな家の子である彼女は、離乳食の頃から十分に良い物を食べて育ってきた。

 材料はほぼヴァリエール領で採れたものを使い、取り寄せにしても全てが一級品の代物。

 シェフも王宮勤務から王都で一躍名を馳せた者達を出来る限り採用し、料理にも十分な趣向を凝らしている。

 それこそ王宮顔負けの豪華な食事から、トリステイン各地の故郷料理と様々なメニューを口にしてきた。

 故に今の彼女は、自分が口にした料理が本当に美味しいかどうかを見分けられる確固たる自信を持っている。

 プロのソムリエには負けるだろうが、おおよそ並みの貴族には負けないだろうという…程度であったが。

 

「何よコレ…中々どうして、美味しいじゃない…」

 ―――彼女の味覚はこれでもかと言わんばかりに激しく反応していた。

 今先程ナイフで切り分け、フォークに刺して口へと運んで咀嚼し、飲み込んだモノが『本当に美味しいモノ』だと。

 目の前にはまるでクレープの様でいて、しかしクレープと呼ぶにはやや厚い生地のパンケーキ。

 それが三枚ほど重ねるようにして更に盛り付けられ、その上からチョコソースやら苺ジャムを掛けられている。

 更にはトドメと言わんばかりに専用のスプーンで一掬いしたアイスクリームが、皿の端に添えられていた。

 最初見た時は掛け過ぎだろうと思ったが、意外や意外それらが全て上手い事パンケーキの味を盛り上げているのだ。

 

 薄めで枚数の多いパンケーキに対し、やや過剰なソースとアイスクリームは上手い事計算されて添えられている。

 恐らくこれを考案したパティシエ…もしくは料理人は、相当パンケーキに精通しているに違いない。

 そうでなければ、ここまで美味しいパンケーキを平民向けの値段で作るというのは簡単に出来ないだろう。

 ルイズは口の中に広がる幸せを堪能ししていると、同じパンケーキを食べていたシエスタが嬉しそうに話しかけてきた。

「どうですかミス・ヴァリエール?その様子だと、お口に合って貰えたようですが」

「えぇ。…それにしても意外だったわね。まさかあのタニアリージュ・ロワイヤル座で、こんな美味しい物が安く食べられるなんて…」

 シエスタの言葉にルイズは満足そうに返事をしつつ、お茶を飲みながらふと視線を上へ向ける。

 見上げた先にあるのは劇場二階の通路があり。多くの貴族たちがチケットを片手に忙しそうに行き交っていた。

 

 再び視線を戻して周囲を見回してみると、そこは街中にありそうな洒落た感じのリストランテの中。

 今食べているパンケーキやガレット、サンドイッチといった軽い食べ物を紅茶やジュース等と一緒に頂く店。

 現にルイズ達の周りの席では、主に平民の客たちが席に座って好きな物を飲み食いしている。

 それだけなら普通の飲食店であったが、ルイズ本人としてはこの店のある場所に信じられないという気持ちを半ば抱いていた。

 そう…この店があるのは劇場一階の一角…つまり、タニアリージュ・ロワイヤル座の中なのである。

 

 劇場に入って右へ少し歩いた所、巨大な窓から燦々とした陽射しで照らされレた一角にその店は建っている。

 最初にそれを見たルイズはまさか歴史あるこの建造物の中にそんなモノがあるという事自体が信じられなかった。

 シエスタが言うには、ちょうど今年の春にオープンした店らしく平民の女の子たちの間で人気なのだという。

 中にはここのスイーツ目当てで劇場へ入る者も多いようで、チケットを買わずにここへ直行する者もいるらしい。

「知らなかったわ、まさかあのタニアリージュ・ロワイヤル座がこんな事になってたなんて…」

 シエスタから軽く話を聞いた時は、信じられないと言いたげな表情を浮かべるしかなかった。

 当初はこのリストランテにかなりの難色を示したが、貴族である彼女からしたら至極当然の反応であろう。

 まだお芝居目当てに来るならまだしも、たかがスイーツ目当てで来るというのは流石に度し難いとしか言いようがない。

 

 しかもよくよく見てみれば、店の席には平民に混じって年若い貴族の女性までいるではないか。

 恐らく下級貴族…かもしれないが、いくら給付金が少ないからと言ってこんな店に入るとは貴族の風上にも置けない。

 だから最初は、シエスタがお薦めしたパンケーキセットを前にしても好印象を持てなかった。

 しかし…これが蓋を開けてびっくり、本当にこれが平民向けのパンケーキかと疑う程美味しかったのである。

 

 

 それはルイズだけではなく、他の二人もまた同じような感想を抱いていたようだ。 

「…いやーコイツは美味しいなぁ!このアイスクリームも、程良い清涼感をだしてるぜ」

 二枚目のパンケーキを半分ほど食べたところで、アイスクリームに手を出していた魔理沙が嬉しそうに感想を漏らす。

 いつも頭に被っている帽子を膝の上に乗せて、夢中になってパンケーキセットを頂いている。

 黒白の嬉しそうな反応を見て、ルイズもまだ手を付けていなかったアイスクリームをフォークで切り分けて、口の中へと運ぶ。

「ふぅん…ン……ふぅーん、成程…焼きたてのパンケーキには丁度良いお供かも…」

 彼女の言うとおり、確かに申し訳程度のアイスクリームも決してメインに負けない魅力を持っていた。

 味は至って普通のバニラなのだが、しっかりと冷えたそれは熱くなった口の中を冷やすのに丁度良いのである。

 

 そんな風にしてバニラアイスを堪能する二人と、それを嬉しそうに見守るシエスタを余所に霊夢もパンケーキを堪能していた。

「ふ~ん…まぁこういうのも偶には悪くないわね。わざわざ自分で作ろうとは思わないけど」

 彼女にしては珍しく嬉しそうな表情を浮かべて、パンケーキをフォーク一本で器用に切り分けていく。

 切り分けた分をフォークで刺し、苺ジャムを付けて口の中へと運び…咀嚼、そして飲み込む。

 その後でセットのドリンクで頼んでいたアイス・グリーンティー…もとい冷茶をゆっくりと口の中へと流し込む。

「…ん…ふぅ~……あぁ~、やっぱりこういう洋菓子には…緑茶とかは合わないものなのね」

 飲み終えた後で残念そうな表情を浮かべてそう言うと、彼女の足元に置かれたデルフが話しかけてきた。

『なぁレイム、お前さんナイフは使わないのかい?』

「ナイフ?別に良いわよ、フォーク一本で済むならそれに越したことは無いじゃないの」

 使った形跡が一つも無く、テーブルの上で物言わず輝くナイフを尻目に霊夢はフォークだけで食べ進んでいく。

 ルイズ達を含めて他の客たちがしっかりとナイフで切り分けていく中で、彼女は一人我が道を進む。 

 その光景と言葉にルイズは呆れたと言いたげな表情を浮かべ、シエスタは苦笑いを浮かべるほかなかった。

 

 

 それから三十分ほど経った頃であろうか、昼食代わりのパンケーキを食べたルイズ達はロビーの一角で休んでいた。

 売店で買った瓶入りのジュースを片手に休憩用のベンチに腰かけ、人ごみを眺めながら賑やかな会話を楽しんでいる。

「ふぅ…まさかこの私が、あんないかにもな平民向けのスイーツ相手に屈する日が来るとは思ってなかったわ」

「そう言ってる割には、結構美味しそうに食べてたじゃないの」

「そりゃそうよ、美味しい物を美味しそうに食べるのは世の中の常識みたいなものじゃない」

 無念そうな響きが伝わってくるルイズの言葉に反応した霊夢に対し、ルイズはそんな事を言って返す。

 二人が会話し始めたのを切欠に、炭酸入りレモン水を飲んでいた魔理沙も面白そうだなと感じて会話に混ざってきた。

 

「にしても、ここのパンケーキは変わってるんだな~。あんなに色々と乗っけてるヤツを見たのは正直初めてだったぜ」

「実際私もあんなのは初めて見たわね。もっとこう…私の想像してたパンケーキはシンプルな感じだったのよね」

 ルイズはそんな事を言いながら、頭の中でメープルシロップとバターがトッピングされた分厚いパンケーキを想像してしまう。

 学院に入る前、そして入った後にも何度か食べた事のあるそれは、あのパンケーキ程ド派手ではなかった筈である。

 改めて世の中の広さを再認識した所で、アイスティーに口を着けていたシエスタも嬉しそうに話しかけてきた。

 

「私もシンプルなのは好きですが…アレだって中々負けていないでしょう?」

「そうなのよねぇ~…ちょっと色々味を付け過ぎな感じもするけど…特にしつこいって所はなかったしね」

 シエスタの言葉にそう返しながら、ふとルイズは今いる場所から劇場を軽く見回してみる。

 自分たちが今いる一階では先ほどまでいたリストランテを含め、軽食などを販売している売店があった。

 シエスタが言うには、お芝居などを見ながら食べられるドリンクやちょっとした料理を注文できるのだという。

 何時ごろ出来たのかは知らないが、少なくともルイズが幼少期の頃にはそういった物は無かった。

 ここは単に芝居や劇を干渉する為だけの施設であり、それ以上でもそそれ以外でも無かった建物である。

 

 しかし、こうして多くの平民たちが劇場へと入っているのを見るには時代が変わったと見ていいのだろうか。

 文明社会としては当然の事なのであろうが、正直ルイズとしては微妙な気持であった。

 トリステインの貴族は伝統としきたりを何よりも愛する、それ故に今のタニアリージュ・ロワイヤル座に対してはどうかと思う所がある。

 本来ならば館内にリストランテや芝居の観賞中に飲み食いできる売店など、許されない筈だ。

 だが…結局のところ、それを是正する筈の貴族達も利用しているのを見るに後世の伝統として残っていくのだろう。

 きっとこれまで築いてきた伝統やしきたりも、当時は受け入れられなかったものなのであろうから。

(実際、私だって劇場内で食べれるパンケーキに喜んでたしね…)

 トリステイン貴族としての理想と現実との板挟みに、ルイズは一人静かに悩むほかなかった。

 

 

 

 その後、腹も満たして一息ついた少女達は暫し劇場内を見学して回る事にした。

 ガイドはいないものの、幸いにもルイズとシエスタの二人という劇場に足を運んだ者たちがいるのである。

 最も、ルイズは幼少期の頃に足を運んだっきりな為、当時と比べかなりリニューアルされている館内を興味深そうに見回していた。

「へぇ~…あちこち変わってるのねぇ、てっきり変わってないままかと思ってたけど」

 チケット売り場の近く…円形に置かれているソファに腰かけながら、彼女は出入口の真上に掛けられた大きな絵画を眺めている。

 それは恐らく近くの噴水広場から描かれたであろう、タニアリージュ・ロワイヤル座の大きな油絵であった。

 ほんの気持ち程度であるがライトアップされている為、劇を見終えて出るときにはその絵に気付く人は多いだろう。

 少なくとも幼い頃に両親連れられてきたときには、あのような迫力のある絵画は飾られていなかった筈である。

 

 今ルイズが腰を下ろしているソファもまた、彼女の記憶には無かった物だ。

 昔のロビーは今の様にそこら辺に落ち着いて座れる椅子やソファなど無く、お客さんは全員立ちっぱなしであった。

 流石に観賞用の席はあったものの、劇が始まるまではロビーで佇み好きで、足が疲れてしまった腰は何となく覚えている。

 そして長い事立ち続けられず、ロビーの隅でひっそりと腰を下ろしていた老貴族達の姿も記憶の片隅に残っていた。

 幼いながらも当時は少し可哀想と感じていた彼女は、自分と同じように腰を下ろして休んでいる貴族達を見回してみる。

 貴族も平民も皆購入したチケットを手にソファに座り、書かれた番号の劇場が開くまで談笑したりして一息ついている。

「……成程、時代に合わせてリニューアルっていうのも…悪くないものなのね」

 そんな事を一人呟いていると、チケット売り場の方からやや大きめなシエスタの声が聞こえ来た。

 思わずそちらの方へ視線を向けてみると、霊夢と魔理沙…ついでにデルフを相手に色々と案内しているらしい。

 

「ここがチケット売り場です。ここで観たい劇や演奏会のチケットを買うんですよ」

「おぉー!夏季休暇という事だけあってか、結構な列ができてるな~」

 シエスタの指さす先、幾つもの行列が出来ているそこへと目を向けた魔理沙も何故か嬉しそうな声を上げる。

 彼女の言うとおり、今は夏季休暇という事あってかその時期限定の劇や演奏会を見ようと客たちが列を成していた。

 ふとよく見てみると、平民と貴族の列が一緒になっているようで列によってはチラホラとマントを羽織った貴族の姿も見える。

 ここもまた記憶に違う所だ。昔は平民と貴族で列が分けられていたのだが、どうやら今は一緒くたになっているようだ。

 先ほどソファの事で喜んでいた彼女は一転表情を曇らせ、流石にあれはどうなのかと難色を示していたる

 

 しかし、よくよく見てみると貴族たちの方は皆揃いも揃ってマントと服がいかにも安物である事に気が付く。

 安い店でズボン、ベルトでセット売りにされてるようなブラウスを着て、安い布で仕立てられたようなマントは薄くて破れやすそうだ。

 そして今いる位置では後ろ姿しかみえないが、恐らく自分よりも四、五歳程度の若者なのであろうと推測できる。

 そこから見るに、平民と同じ列に並んでいるのは貴族…であっても、下級貴族であろうとルイズは断定した。

 成程。平民と同じ通りのアパルトメントに暮らし、国からの給付金も少ない彼らは劇を見るにも平民席を選ばざるを得ないらしい。

 ルイズは一人納得したように頷きつつ、その顔には貴族であるというのに生活に困窮している彼らに同情の気持ちを浮かべる。

 

 その下級貴族達とは天と地の差もあるであろう名家のルイズが一人頷くのを余所に、霊夢は列を見てため息をついていた。

「よくもまぁ、あれだけ面倒くさそうなのに並べられるわねぇ…劇とかそういうのって楽しいのかしら?」

『そりゃあ文明人ならそういうモノに惹かれるものさ。普段は本でしか読めない様な物語を、役者が再現してくれるんだからな』

 霊夢の言葉に対し、まるでお前は文明人じゃないと言いたげなデルフの物言いに彼女はムッとした表情を浮かべる。

 そして文句を言おうと背中に担いだ彼に顔を向けようと上半身を後ろへ向けようとした、その時であった。

「言ってくれるわねぇ?剣の癖に…って、わわっ…と!」

「おっと!」

 

 体を捻ったタイミングが悪かったのか、丁度通りがかった初老の男性貴族とぶつかってしまったのである。

 幸い二人とも転倒する事無く、その場で軽くよろめく程度で済んだのは幸いであろうか。

 何とか転ばずに済んだ霊夢はホッと一息ついた所で、彼女の声で気が付いたルイズ達が傍へと駆け寄ってきた。

「ちょっとレイム、アンタ何やってるのよ!」

「…?そんな怒鳴らなくても大丈夫よルイズ、良くも悪くもコイツのお蔭でバランスが取れたようなもんだから」

『オレっちって重りになるか?結構軽めだっていう自信はあるんだがな』

 怒鳴るルイズの意図に気付かず首を傾げる霊夢は、そう言って背中のデルフを親指で指してみせる。

 どうやら本人は誰にぶつかったか知らないらしい、そこへすかさずシエスタが指摘を入れてくれた。

 

「違いますよレイムさん、後ろ…後ろ!」

「後ろ?……って、あら。もしかしてアンタがぶつかってきた張本人なの?」

「逆よ逆!」

 顔を合わせて真っ先に自分は悪くないと主張する彼女に、ルイズは反射的に突っ込みを入れる。

 その際に大声を出してしまったせいか、周りにいた人々が何だ何だと彼女たちの方へと視線を向け始めた。

 彼らは皆、声の中心にいた者達から何となく状況を察した者からざわざわとよどめき始める。

「なぁシエスタ、何か周りの人間が私達の方を見てる様な気がするんだが…いや、こりゃ見られてるな」

「そ、そりゃ当り前ですよ…!」

 視線に気づいたもののその意味が分からぬ魔理沙とは対照的に、シエスタは焦っていた。

 今の時代、貴族にぶつかっただけで無礼打ちに遭う平民は消えたものの、それは即座に謝ればの話だ。

 もしもぶつかった貴族に失礼な態度でも取ろうものならば…死ぬことは無いにせよ、確実に痛い目に遭ってしまう。

 

 そんな事など微塵も知らないであろう霊夢は、ようやく自分が悪いのであろうと理解する。

「あー…何かこの感じ、私が悪いって事で正解なのかしら?…って、わわわわ!ちょっと、胸倉掴まないで…!」

「なのかしら…じゃなくて!アンタが百パーセント悪いのよ!」

『オレっちは剣だから使うヤツが悪い…って事で、見逃してくれよな』

 胸元を掴み上げながら怒鳴るルイズの迫力に、流石の霊夢もたじろいでしまう。

 そこへすかさずデルフが無実を主張するという…、カオスな光景を前にして、ぶつかられた初老の貴族が声を上げた。

 

「あー…そこの桃色ブロンドの御嬢さん。私は平気だから、そこの黒髪の娘を放してあげなさい」

 その言葉にルイズと霊夢はおろか、魔理沙やシエスタもえっと言いたげな表情を浮かべた。

 特にルイズは自分の耳を疑っているのか、初老貴族の方へ顔を向けると目を丸くしている。

「え?…えっと?…その、もう一度言ってもらえませんか?」

「だから私は平気だから、放してあげるといい。…不可抗力の事なら、怒るのも理不尽というヤツだしね」

 聞き直してきたルイズにも丁寧で、かつ優しげな笑みを浮かべながら言いなおす。

 彼女に胸倉をつかまれていた霊夢も、てっきり怒られると思っていたばかりに怪訝な表情を見せている。

 

 

 …その後、ルイズの手から解放された霊夢が頭を下げて謝った事でその場は何とか収まりを見せた。

 あの優しい初老の貴族は霊夢達に向けて、まるで自分の孫娘に知恵を授けるように…

「私のように優しい貴族は少ないだろうから、これからは気をつけなさい」

 …と言って、これから急ぎの用事があるからと言って劇場の奥へと早足で立ち去って行く。

 その後ろ姿を見て許されたのだと理解したルイズはホッと一息つき、シエスタは今に泣き出しそうな表情を浮かべてその場で腰を抜かしてしまった。

 霊夢も霊夢で二人の様子を見て、これからは少しだけ気を付けようと珍しく反省の心を見せている。

 彼女たちを見ていた群衆たちもホッとしたり、つまらなそうな表情を浮かべて自分たちのするべき事へと戻っていく。

 

 アクシデントを避けられた事をルイズを含めた大勢が静かに喜ぶ中、魔理沙だけはマイペースであった。

「いやー、あの博麗霊夢が頭を下げて謝る姿を拝めるとはな。滅多にお目に掛かれぬ光景だったぜ」

『流石マリサだ。一触即発の空気だったっていうのに、物見遊山の気分だったとは』

「まぁホラ、あれだよ?喉元過ぎれば何とかってヤツさ」

「アンタねぇ…」

 何事も無かったかのように笑う魔理沙を見て流石のデルフも呆れてしまい、ついで霊夢もムッとした表情を浮かべる。

 しかし彼女が突っかかろうとする前に、その必要は無いと言わんばかりにルイズの怒鳴り声が魔理沙に襲い掛かってきた。

「ちょっとマリサ!もしかすればとんでもない事になってかもしれないっていうのに、何なのよその態度はッ!」

「え?あ、いや…ま、まぁ良いじゃないか?そのとんでもない事になってたかもしれないっていうのは、過ぎた事なんだし…」

「あんな事故、レイムじゃなくてアンタだったとしても起こり得る事なんだから!アンタも気をつけなさいって言いたいのッ!」

 そんな風にして一分ほどルイズの説教が続いた所で、流石の魔理沙もこれは堪らんと感じたのだろう。

 「分かった、分かった!悪かったよ」と両手を挙げた所で、ルイズもようやく怒鳴るのを止めた。

 

「はぁ…はぁ…何か、久しぶりに怒鳴った気がするわ…」

「で、でもミス・ヴァリエール。こんな所で怒鳴るのはマナーに反するんじゃ…」

 顔から汗を垂らし、肩で息をする自分へ投げかけられたシエスタの言葉でルイズはハッと我に返る。

 そして周囲を軽く見回した所で、怒鳴った事を誤魔化すようにゴホンと軽く咳払いしてみせた。

 

 

 

 

「ま、まぁ分かったのならそれでいいわよ…!…以後気を付けなさい」

「ルイズが言うなら仕方ない、心の片隅に留めておくぜ」

「まぁ一々こんな騒ぎが起こるっていうんなら、気を付けた方がいいわよね」

 魔理沙に続くようにして霊夢も頷きながらそう言ってくれたおかげて、ルイズも説教を終える事ができた。

「ふぅ…!さてと、ちょっと脱線しちゃったけど…シエスタ、他に案内したい場所ってあるかしら?」

「え?あ、あぁすいませんミス・ヴァリエール…!え、えっとその…後、一つだけあります!」

 何故謝るのだろうかという疑問は捨てて、ルイズはシエスタが次につれて行く場所がどこなのか聞こうとする。

 

 

 

 

「―――――……イズ!ルイズッ!」

 ――――――…その時であった。劇場の喧騒に負けないと言わんばかりに、

 彼女の耳に聞き慣れた…けれど久しく耳にしていなかった「あの声」が、必死に自分の名を呼んでいるのに気が付いたのは。

 

 

 

 

 

 幼い頃から一日をベッドの上で過ごし、いつも領地の外の世界を夢見ていた儚くも美しい家族の声。

 声を耳にしただけで、自分よりも綺麗で長いウェーブの掛かったピンクのブロンドが脳裏を過っていく。

 家族の中では誰よりも優しく、幼少から落ちこぼれであった自分に寄り添ってくれた大切な人。

 そして…今自分が誰よりも探していたであろう彼女の声に、ルイズは勢いよく後ろを振り返った。

 

 振り返った先に見えるは、先ほどシエスタが霊夢達に紹介していたチケット売り場。

 先ほどまで自分たちに視線を向けていた人々は再び売り場へと視線を戻し、列を作ってチケットを買い求めている。

 ルイズは鳶色の瞳を忙しなく動かし声の主を探る。右、いない。左、ここもいない。

 今のは幻聴だったのか?やや早とちりともとれる考えが脳裏を過ろうとした所で、ふと彼女は視線を上へ向ける。

 チケット売り場の真上は二階の貴族専用席へと続く廊下があり。ロビーからでも廊下を歩く貴族たちの姿を見上げられる。

 

「……あっ」

 そして彼女は真っ先に見つけた。廊下の手すりを両手で掴み、こちらを見ている桃色の影を。

 自分よりも立派なピンクのブロンドウェーブが揺れて、陽の光に照らされている。

 彼女もまたルイズが自分を見つけてくれた事に気が付いたのか、ニッコリと優しい笑みを浮かべた。

 花も恥じらう程の笑顔…とは正に、彼女の為にあるような言葉なのではとルイズは錯覚してしまう。

 そんな気持ちを抱きながらも、ルイズは自分を見下ろす彼女の名…ではなく、幼い頃から使っていた愛称を大声で叫んだ。

 

「ちいねえさま?…ちいねえさまッ!!」 

「……ッ!あぁルイズ!やっぱり貴女だったのね、小さなルイズ!」

 突然の大声に今度は霊夢達が驚く中、カトレアは眼下の少女が自分の妹であった事に喜び、更に呼びかける。

 今までどれだけ心配していたかというルイズの気持ちを知らずして、小さな妹の名を呼び続けた。

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