時計の長針と短針が直線を描く頃、部屋の主は目覚まし時計が鳴らなくとも脳を覚醒させ、寝床から体を起こし、布団を折りたたんで部屋の隅に置き、身支度を始める。寝巻きを脱ぎ、枕元に綺麗にたたまれた皺一つない制服を手に取り、鏡のまえに立つ。
「髪の毛、よし。制服の皺、よし」
着替えを進めながら彼女は鏡を覗き込み、服に皺が寄っていないか、どこかに落ち度がないかを確認していく。
「手袋、よし。靴下、よし」
すべての衣服を身につけ、彼女は最後に鏡を見つめ、目を大きく見開いた。
「眼光、よし!」
戦艦クラスの眼光に陰りがないことを最後に確認し、彼女は何一つとして問題がないことを確かめ終える。
「今日も、問題無しですね」
身支度を終えた彼女は、壁に取り付けられたフックに掛けてあるラッパを手にとり、足音をたてないよう忍び足で部屋を出る。
寮を出て、彼女は目的地に向かって歩を進める。基地の中を歩きながら、周囲を見わたす。波が穏やかな海、草木を僅かに揺らすそよ風、晴れ渡った空、ゆっくり進む雲、ほのかに香る海の香り。どこにでも見られる、ありふれた光景。
「静かなものです」
この風景だけを切り取れば、平穏そのもの。だれが、今この海原が、水平線の向こうが、戦場になっているなどと信じるだろうか。基地を満たす静寂の中を、少女は一人歩く。
「起床まであと、5分ですね」
残り時間を寸分の狂いのない体内時計で確認し、彼女はラッパを手に、基地の中央にそびえる司令部の入る建物の階段を上っていく。鉄扉をあけ、彼女は屋上へと降り立つ。屋上を通るそよ風が心地いい。水平線から登り始める太陽に向かって、ラッパを向け、起床時間丁度に狂いなくラッパを鳴らすべく準備をする。起床まで、残り30秒、29秒。秒刻みで、彼女の体内時計は正確に時を刻む。
残り、5秒、4秒、3秒…。吸い込んだ空気をラッパに吹き込もうとして……
「あおばああああああああああああああああああ!」
吹こうとしたとき、起床ラッパも驚く程の大声が基地内の静寂を切り裂き、空気を揺るがした。その大声に驚いた少女は手をすべらせ、取り落としそうになったラッパを慌てて掴む。同時に、寮のいたるところで襲撃と勘違いした者たちが布団をはねのけ、ベッドから転げ落ち、畳みを転がり、窓を開け放ち、寝巻き姿のまま基地内に目を凝らす。いつも決まった時間に、狂いのない起床ラッパで始まる一日が、今日は誰かの大声で騒々しく始まる一日となってしまった。
「・・・不知火に落ち度でも?」
誰にでもなく、彼女はつぶやいた。
「青葉、どこ。どこに行った!」
先程の大声の主は、頭の左右に結ったツインテールを逆立て、肩をいからせながらあたりを見回している。その何かに噛み付かんとする表情の彼女を、一人の少女が馬をなだめるように両手を振る。
「き、衣笠。朝から基地の中で大声は迷惑だって。非番で寝ている子も多いんだから」
すると衣笠は、右腕を一直線に伸ばし、なにかを指差した。
「心配は無用よ古鷹。間近で聞いた加古が、ご覧のとおり寝ているんだから」
「あ~、眠い……」
衣笠が指差す先には、鼻提灯をぶら下げながら立つ加古がいる。未だに意識という船体の半分が、夢の中という名の大海に沈んでいるようで、頭を上下させながら船をこいでいる。
「いやいや、加古を基準に考えちゃだめだよ」
古鷹は、苦笑を浮かべながら言う。可愛い妹のことではあるが、衣笠の言うことも否定はできない。それほどに、加古と睡眠は切っても切れないものになっている。衣笠は大きくため息を吐きだし、雲が流れる青空を見上げる。
「にしても、青葉どこいったのかしら。起きたら布団は綺麗に畳まれていたし、食堂にも姿なかった」
「・・・いいじゃん。非番の日くらい好きにすごして」
加古は、意識が半分沈んだ状態で苦情を訴える。
「加古は、いつも暇さえあれば寝ているでしょう」
起床前に姿を消した青葉を探すべく、衣笠たちはどこへともなく歩き出す。とはいっても、孤島の狭い基地の中。探せる場所など限られる。
「いずれにしても、この孤島から出ることはできないから、どこかにはいるはずだよ。艤装はちゃんと工廠にあったし」
「あ~。眠い~」
「加古、起きて。眠りながら歩くのは危ないよ」
古鷹が加古の両肩を掴んで揺らすも、沈みゆく加古の意識が浮上する気配はない。
「全く、非番の日はいつもいなくなっちゃうんだから」
非番の日、青葉が布団からいなくなるのは今に始まったことではない。出会ってから間もなく始まり、今でも続いている青葉の習慣の一つ。訓練の時や睡眠の時を除いて、青葉が同室の衣笠たちと一緒にいる時間は、驚く程少ない。鉄の船だった頃から時が経ち、人の形を手に入れて再会できたのに、青葉はちっとも嬉しそうじゃない。一緒にいることを拒むように、青葉は衣笠たちと一緒にいようとしない。別に消灯時刻には帰ってくると分かっているのだが、それまでどこにいるのか。寝床を共にするだけの、妹も知らない姉の行動。
「ほんとに、なんでよ・・・」
その理由が衣笠や古鷹、加古たちには思い当たらず、こうやって姿を消す青葉を探すというのが、非番の日の恒例行事になっている。見つかった試しは一度としてないが。何か嫌われるようなことをしただろうか。でも、青葉は何も教えてくれないし彼らにも思い当たる節はない。それを知るためにも、衣笠たちは姿を消した青葉を探すため、基地の中を歩き始めた。
「ふあ~」
恥じる様子もなく、大口をあけて盛大なあくびをする少女が一人、首からカメラをぶら下げて基地内を歩く。彼女は起床ラッパで目覚める前に布団を抜け出し、基地内を静かに散歩していた。だが、自分の名を呼ぶ大声に驚き、慌てて手近な場所に隠れた。
「はあ、衣笠にも困ったものです。朝からあんな大声で青葉を呼ぶなんて」
原因が自分の行動にあることは脇に置き、ほとぼりが冷めたであろうころを見計らい、愛用していたカメラをもって基地内を散策する。でも、この狭い基地の中では特にネタもなく、カメラのフィルムは一向に減らない。無計画に基地の中をひたすら歩き、無為に時間が過ぎていく。時間が勿体無いとわかっていても、彼女は最近シャッターを押す気になれない。ふと思い立った彼女は、建物の屋上に足を向けた。普段は洗濯物を干すくらいにしか使い道がない場所だが、場所が変わればなにか新しいネタがあるかもしれない。そう考え、足を運んだ。
階段に、彼女の足音だけが等間隔に響く。屋上へつながるドアの前にたち、少しさびたドアのノブを回した。ドアを開け放つと、海から吹く風で髪が舞い上がる。バタつく髪を抑え、屋上に足を下ろす。洗濯物は一つもなく、ただ何もない殺風景な風景が広がるだけ。でも、そこには先客がいた。先客はカメラを構え、レンズの向く先の風景をフィルムに収めている。よほど集中しているのか、重くて高い金属音をあげるドアがしまっても、一向に気づく気配はない。青葉は無意識にカメラを構え、先客にむけてシャッターを切った。
「ん?」
先客に、シャッターを切った音が聞こえたようだった。
「おやおや。こりゃ油断したな」
先客は、頭をかきながら彼女に歩み寄ってくる。
「こんなところへ何の用だ、青葉」
彼女はカメラをさげ、いたずらの成功した子供のような笑みを浮かべる。
「青葉、見ちゃいましたよ。司令官」
「それで、何の用があってここにきたんだ?」
司令官は、クーラーボックスからラムネを取り出して栓を開け、一本を青葉にわたす。
「今日は非番だったはずだぞ」
「非番、といっても、なにかしたいことがあったわけでもないので・・・」
「カメラ片手に、基地の中を歩いていた?」
「はい。この基地は、どこかにいくこともできません。周りに何もありませんしね」
たまに取れる休暇は、艦娘たちにとって、何物にも代え難いものになる。そんな休暇を充実させようと、艦娘たちは休暇申請が通ったら事前調査に余念がない。何をして過ごそうか、何を買いに行こうか。誰を誘おうか。消灯後まで、そんな話に花を咲かせる艦娘は多い。だが、今二人のいる基地があるのは、日本の南端の離島の一つ。元が無人島であったところに基地を作っただけあり、島には無論商業施設などない。必要な物資は、いつも船便か、艦娘の遠征任務の時ドラム缶に詰め込んで届けられる。そんな僻地での非番の日の過ごし方など、読書か、寝るか、自主練か、甘味を楽しむか相場が決まっている。
「そしたら、カメラを構えている司令官という、珍しい被写体に遭遇しまして」
「シャッターを切った?」
「はい、そのとおりです!」
元気のいい声で青葉は言った。
「それにしても、司令官に写真の趣味なんて、あったんですね」
青葉は、司令官が持っているカメラを凝視する。
「しかも、一昔前のフィルム式カメラじゃありませんか。デジタルカメラが当たり前のご時勢で、珍しいですね」
「それはお互い様だろう」
司令官は、青葉が持つ、同じくフィルムを使うカメラを見る。デジカメが当たり前になって久しい中、化石ほど古くはないものの、使う人間の限られるものだった。
「デジタルカメラは、どうも好きになれなくてね」
「どうして、ですか?」
「電子情報は、いつ消えるかもわからない危険性を孕んでいる。少しぶつけただけで、データが破損するかもしれない。そういうものが、どうも信用できなくてね」
「でも、デジタル情報なら、色あせることなく、いつでも同じ写真が印刷できますよ。フィルムの保管ほど手間もいりませんし、長持ちだってします」
「確かにそうだが」
司令官は、屋上の椅子に腰掛け、ラムネを少し飲む。青葉も習って、隣に腰掛ける。
「いつまでも色あせないものが、必ずしもいいとは限らない。人が年をとっていくにつれ、写真だって同じように年をとる」
「でも、それって困りませんか?」
写真は、多くは決定的瞬間など、日常の一幕を切り取った、大事な思い出。それが色あせ、見にくくなるのは困る以外何ものでもないはず。
「場合によるけど、形あるもの、いつかは朽ち果てる。人も、思い出も、記憶も、朽ち果てていつかはなくなる。色褪せることで、味が出るものもあるし、ようやく向き合えるものもある」
司令官はラムネをおくと、ベンチの横に置いていたカバンから、1冊のファイルを取り出した。適当なページを開くと、青葉の前に広げる。
「これは・・・」
青葉は、司令官の開けたファイル、アルバムを覗き込む。そこに収まっている写真は、少し変色してきているものの、まだハッキリ見ることができる。
「私が幼い頃から今まで、ずっと撮影してきたものだよ」
アルバムには、船や飛行機、家族で撮影したのかもしれない集合写真等、色んなものがあった。
「写真はいい。流れていく時間の中で、ある瞬間だけを切り取って、いつでも眺めることができる」
「そうですね。それがやっぱり魅力ですよね」
写真の話題のためか、青葉は笑顔で会話をしてくれる。
「でも、決定的瞬間をとるのは、やっぱり難しいですよね」
「そうだな。この写真なんて、ムササビが飛ぶ瞬間に立ち会えたのに・・・」
ムササビを本でしか知らない青葉は、その写真を食い入るように覗き込む。でも、そこにはよくわからないピンボケ写真が挟まれているだけだった。
「立ち会えたんだが、場所や角度がわるくて、な・・・」
司令官は、片手で握り拳をつくりながら、写真を指差す。それには、ムササビのしっぽと思われる部分しか写っていなかった。
「でも、失敗した写真でも、それはそれで思い入れがある。それを思い出すのも、また楽しい」
司令官はページをめくっていく。
「こうしていると、ハッキリわかるだろ?」
古い写真は、色彩が悪くなっているのに対し、新しいものは写りが鮮明で、細かいところまでわかる。時間の流れを、感じさせるように。
「こうやって、時間の流れを感じる。変かもしれないが、こういうのも、なんだか好きでな。それに、ハッキリとれているか現像するまでわからない。それが不安でもあり、楽しみでもある」
それを聞いた青葉は、少し笑い声を漏らす。
「なにか、変か?」
「司令官って、言っていることが時々ジジくさいですよね?」
人によっては怒りかねない台詞を青葉が言っても、司令官は穏やかな表情のままでいる。
「そうか?」
「だって、電子書籍があるのにわざわざ紙の本を取り寄せますよね?情報端末があるのに、古い型の携帯電話とパソコン持ち歩いていますし。現代の若者らしくないですよ」
青葉の言葉に、司令官は苦笑する。
「よく言われるよ。でも、紙の本の匂いや感触が好きなんだ。電子書籍は便利だけど、なんだか味気なくて」
これまで幾度となく言われたことなのか、司令官に気にした様子はない。
「そういえば、先程は何を撮っていたんですか?」
青葉は、司令官が撮影していたものが気になり、カメラがあった場に立ってその先を眺める。その先に広がる光景を目にして、青葉は顔をこわばらせた。そこには、お茶を飲みながら話に花を咲かせる、この基地の駆逐艦娘たちが見えた。青葉の頭に、嫌な予想が浮かんだのは仕方のないことだろう。
「・・・司令官」
青葉はさびた砲塔のように体を回転させて、司令官に向き直る。彼女は、震える口で言葉を紡いだ。
「まさか・・・」
「なんだ?」
「まさか、盗撮!?」
青葉の言葉に、司令官は口に含んでいたラムネを吹き出した。同時に、飲み込んだラムネが変な場所に入り、含まれる炭酸ガスがはじけて妙な部分を刺激し、胸が痛み、それを体外に排出しようと咳き込む。
「司令官は、そういう趣味がお有りだったんですね!」
「ちょっと待て、そういう趣味ってなんだ!」
「だって、階下には、楽しげに話す駆逐艦の子たちが。そういう趣味があるとしか思えません。は!もしかして青葉、本当に決定的瞬間に立ち会ってしまったんじゃ」
青葉はメモ帳を取り出し、目にも止まらぬ早さでペンを紙面に走らせ始める。
「待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て!」
司令官は、必死になって青葉のメモの手を止めようとする。
「もしかして司令官、青葉も対象なのですか!ストライクゾーンが広くありませんか!?」
「ストライクゾーンってなんだ!誤解だ!盗撮じゃない!」
「盗撮犯は、みんなそう言います!」
「会ったことあるのか!?いや、とにかく誓って盗撮じゃない!」
「何が誤解だというのですか!とにかく、この情報を持ち帰らないと」
「だから誤解だというとるに!後で写真を確認してもいい!だから落ち着いて話しを聞いてくれ!」
傍目から見れば明らかに年下の少女にすがりつく大人という、なんとも情けない構図だが、司令官はなりふり構っていられなかった。ここで青葉を逃せば、後日この噂を広められ、駆逐艦娘たちから冷たい目で見られることは想像に難くない。もし新聞でも書かれようものなら、「司令官にロリコン疑惑!?非番の日に駆逐艦娘を屋上から盗撮 その後記者を襲う」などという記事をだされ、色んな意味で抹殺されかねない。そうならないよう、司令官は青葉を止めるため、必死の形相で立ち向かったのだった。
「それで、実際は何を撮っていたんですか?」
それから落ち着いた青葉と司令官は、少し間をあけて再び屋上のベンチに座る。青葉に疑いの眼差しを向けられながら、司令官は答える。
「あれだ」
司令官は、ある方向を指差した。でも、そこにはただ何もない空間が広がるだけ。
「何もないですよ」
「あれだよ。目の前の」
「駆逐艦の子たちですか?」
「だ・か・ら、それじゃない。その向こうだ!」
青葉は、その向こうに視線を向ける。でも、やはりなにもない空間が広がるだけ。
「何もないですよ?」
司令官は大きなため息を吐き出す。出来の悪い生徒に頭を悩ませる教師のような仕草に、青葉は少し頬を膨らませる。
「海だよ」
「・・・海?」
「そう。目の前に広がる海原」
この基地の周囲を取り囲む、地球の大部分を占めるという、大きな海原。
「そんなものを撮影しても、つまらなくないですか?」
「なんで?」
「だって、どこを撮影しても同じですよ」
「そうか?」
司令官は、海を、目の前に広がる広大な海原を眺める。基地の沿岸、近くの島、その向こうまで見通すような、そんな視線で。
「海には、色んな表情がある。平穏な海、夕暮れの海、月が写る海、荒れる海。いつみていても、飽きないものだよ」
司令官の言うように、海は色んな顔を持つ。時に、魚介類や塩など、恵をもたらす。その一方、大波や水害などで、人々に牙を向く。どちらも、同じ海のもつ顔だ。水泳に適した、平穏な海。サーフィンに適した波の来る海。月の写る、幻想的な海。引きずり込まれそうな、暗闇の海。時や状況によって、海は様々な顔を見せる。
「まあ、日々海を見ている君たちには、言うまでもないことかな」
「司令官は・・・」
いつの間にか、青葉はうつむいていた。疑いの眼差しではなく、少し表情を曇らせ、司令官に問いかける。
「海が、怖くないんですか?」
青葉の思いもしない質問に、司令官は首をかしげる。
「青葉は、海が怖いのか?」
「質問に質問で返さないでください」
そこには、さきほどまでの笑みを浮かべ、元気そうに振舞っていた青葉はいなかった。何かに怯える少女がいた。艦娘にとって、いや、今の人類にとって、海は決していいものではない。
深海棲艦。ある日姿を現した未知の敵に人類は制海権を奪われ、対抗するために青葉たちのような存在、艦娘を生み出した。この両者の戦う、生と死の交錯する戦場は、目の前に広がる海原だ。深海棲艦が姿を現してからというもの、海を渡ること、漁を行うことは地獄への片道切符に等しい。日々戦闘が絶えず、安全そうに見えても、船が撃沈されることも少なくない。今の海は、人類を陸に押し込める巨大な牢屋のようなもの。楽しめるような場所ではないことは、想像に難くない。
「・・・そうだな」
司令官は椅子に座り直し、話を続ける。
「正直、怖いかな」
先程の司令官の言葉とはかけ離れた答えに、青葉は彼を見つめる。
「海軍入隊間もない頃、私は船に乗っていた」
司令官はアルバムを手に、あるページを開く。
「これが、その船の写真ですか?」
写真には、灰色に塗られた現代風の船と、その前に並ぶ乗員たちと思しき人々が写っている。人数は、200人弱だろうか。
「ミサイル駆逐艦。名前は、いなづま」
「いなづま、って秘書艦の電ちゃんと同じですね」
「平仮名だけどね。でも、かつて君たちが鉄の船だった当時の名前を、引き継いでいるよ」
すると、青葉は目を輝かせ、司令官に迫る。
「あの、今、引き継いでいるって、いいましたよね?」
青葉に気押され、司令官は黙って頷く。
「あの、あおば、はないんですか?」
引き継いでいるという言葉に反応したのか、青葉は期待に満ちた視線を司令官に向け、答えを待っている。それを裏切る結果になるが、司令官は視線を泳がせながら言った。
「いや~。あおば、は、まだなかったなあ・・・」
「・・・そ、そうですか」
きらきら輝く視線から一転、青葉のささやかな期待は、一瞬にして撃沈されてしまった。
「これは、航海に出る前に、船の前で、みんなで撮影したものなんだ」
司令官は、どの人物が艦長なのか、同期なのかを青葉に説明する。ほぼ全員のことを事細かに覚えているあたり、彼は当時の乗員たちとの仲は良好だったようだった。
「それじゃあ、これは皆さんとの、大事な思い出の1枚なのですね」
「まあ、そうだな」
だが、司令官の言葉はどこか歯切れが悪い。
「それで、ここに写っている皆さんは、今はどうしているのですか?」
何気ない質問だったのかもしれない。司令官は僅かに言葉に詰まった。でも、またいつもの表情に戻って、話を続けた。
「もう、ほとんどはいない」
彼の浮かべる微笑みとはかけ離れた言葉に、青葉は口をあけたまま固まる。
「いなづまに乗っていて、航海が終わるのを目前に控えたとき、深海棲艦の襲撃にあってね」
こともなげに話を続ける司令官に、青葉は固まったように動かない。
「私を含め、数人だけ生き残って、190人近くの乗員たちは皆海に消えた。いなづまと、共に・・・」
ちょっとした世間話でもするかのように、司令官は軽い口調で言い放った。
「これは、彼らと撮った、最初で最後の写真なんだ」
写真も、思い出も、いいことばかりではない。いい思い出だったのに、突如として思い出したくないものに変わることもある。
「みんなで、また平和な海を。そう誓い合った仲間たちも、今はこの写真の中でしか、生きていない」
司令官にとって、仲間たちとの思い出を、彼らの存在を語る、最後の遺品になった瞬間だったのだろう。
「その後は、飛行機勤務になった。その時も、深海棲艦のものと思われる艦載機に襲われて、海に落ちて、何度も陸まで泳いだよ」
「何度も、ですか?」
「何回かは覚えていないけど、6回はあったかな。暗い海を、星を頼りに泳いだ。海の底に引きずり込もうと、海の中に無数の手が見えたこともあった。幻覚だったけど、今でも夢に見る」
深海棲艦の登場により、貿易は勿論、漁業まで影響をうけることになった。加えて、空母級の登場により、空も安全ではなくなった。
「あの時ほど、海がこわいと思ったこともない。先が見通しにくくて黒くて荒れる海は、気を抜けば全てを飲み込んでしまいそうだった。私は一人、冷たい水の中、波に揉まれながら陸地を目指した。あんな経験、もうごめんだよ」
「じゃあ・・・」
青葉は、言葉を選ぶように、聞くのをためらっているように間を置く。司令官は、青葉が言葉を発するまで、じっと待つ。
「そんな怖い思いをしたのに、なんでまだ海軍にいるんですか?近づきたくもないはずでしょう?」
「まあ、そう思ったこともある」
「じゃあ、なんで・・・」
青葉の問いかけを遮り、司令官は話を切り出した。
「私は仲間の犠牲の上に立っている。みんな死に際に、お前は生きろといってくれた。後は頼むとも言った。託されたものがいっぱいあるのに、自分だけ逃げるなんて、私にはできなかった」
司令官は、口調を強めて言った。自分に、言い聞かせるように。
「司令官は、強いんですね」
「強くない。でも、そうしていないと君たちが不安がる。そうするしかないんだ」
それが、誰かを率いる、上にたつということだ。そう最後につぶやいた。
「いいんですか?青葉にそんなこと話してしまって?」
「問題ない。付き合いの長いメンバーは、みんな知っているから」
「む~。青葉だって、司令官との付き合いはそれなりに長いですよ」
古鷹に加古、それに青葉と衣笠の計4隻の艦娘は、この基地でも古参とは言わないまでも、着任してからそれなりに長い。それでも、青葉の司令官に関して知っていることは、多くない。
「でも、私は古鷹たちほど、君のことを知っているわけじゃない。だから、折に触れて話すようにしているんだよ。今みたいにね」
青葉は体をピクリと震わせた。
「そういえば、今日は衣笠に古鷹、加古も非番のはず。一緒に過ごさなくていいのか?」
基地には、数は少ないものの姉妹艦がいる艦娘もいる。非番が重なった日は、一緒に過ごすのは珍しくない。司令官は、ふと青葉の異変に気づいた。青葉はうつむき、体を震わせている。
「青葉?」
何事か、司令官は近づこうとする。その時、青葉が急に顔をあげ、立ち上がった。
「あ、青葉取材に行きます、ではでは!」
青葉は言うなり、走り去ってしまった。
「・・・なんだ?」
突如走り去ってしまった青葉に、取り残された司令官は呆然とする。置かれたラムネの瓶を処分しようと、彼は手を伸ばす。そのとき、青葉が座っていた場所に、黒いメモ帳が置かれているのが目についた。さきほど、青葉が司令官の盗撮疑惑を書きとめようとしていたメモ帳だ。
「忘れ物か、そそっかしい奴め」
あの慌てぶりでは、忘れたことにも気づいていないだろう。届けようと、司令官はそのメモ帳を手にする。すると、中から挟まれていたのであろう紙が、4枚落ちる。それを彼は、指で掴んで拾い上げる。それがなんなのかわかったとき、司令官の顔が驚愕の色に染まった。
「あ・・・」
4枚の紙に驚く司令官が、ゆっくりとした動作で声の方向を見ると、忘れ物に気づき戻ってきた青葉が屋上出入り口に立っていた。
「し、司令官、それ・・・」
青葉が震える指で指す方向には、司令官のもつ手帳、落ちた4枚の紙があった。
「・・・見たんですね?」
「え、いや、その・・・」
青葉の目が細められ、鋭さを増した表情で見つめられ、司令官はたじろぐ。
「見たんですね?」
「あ、その・・・」
「見たんですね!?」
有無を言わさぬ、言い訳を許さない青葉の気迫に、司令官はただただ頷く。青葉は、動けない司令官の手から、手帳と紙を取り戻すと、それを胸に抱きしめる。
「・・・悪い、勝手に見て」
「・・・いいんです。忘れた青葉が悪いんです」
会話が続かず、お互いの間に沈黙が訪れる。
「なあ、青葉」
司令官が声をかけると、青葉は体を震わせる。
「実は、衣笠たちから、相談を受けていてな」
内容が気になるのか、青葉は司令官に顔を向ける。
「君たちが以前いた、呉鎮守府に着任したときから、青葉がよそよそしい。一緒にいようとしない。まるで、壁を作られているようだ、とね。」
思い当たる節があるのか、彼女は表情を曇らせる。
「それと、今日は折角の非番なのに、朝起きたらもうどこかに行ってしまった。見かけたら、居場所を教えて欲しいって言われているんだが・・・」
何も答えない青葉に、司令官は話を続ける。
「君は、なぜ彼女たちに壁を作る?鉄の船だった当時から共に戦った、大事な仲間のはずだ。それに、その写真・・・」
先程司令官が見た青葉の手帳から落ちた4枚の紙は、ただの紙ではなかった。少し色あせた、写真だった。4枚の、全く同じ角度から、同じ被写体を写した、全く同じ4枚の写真。少しよれて、退色し、オイル等の汚れがついていても、それは同じものだった。
「その写真、君に衣笠、古鷹、加古の4人が写っている。場所は、背景の建物からして呉鎮守府。でも、なんで全てを君が持っているんだ?」
青葉はうつむいたまま、何も答えない。
「まさかと思うが、その写真に写っている3人は・・・」
「司令官は・・・」
突如青葉が口を開き、司令官は言葉を切る。
「言いましたよね?」
青葉の声が低くなり、司令官は戸惑う。
「形あるものは、いつか朽ち果てるって。記憶や、思い出も」
「・・・ああ」
それは、先程青葉と話していた中で、司令官が言った言葉。
「私も、そう思っていました。いつか、時間が経てば、自分の中で向き合えるって、そう思っていました」
青葉が振り向き、顔をあげて司令官を見つめる。彼女の顔を見て、司令官は言葉を失った。彼女が、笑いながら、涙を流している。
「でも、この思い出は、朽ちてくれないんです。いえ、朽ちて欲しく、ないんです」
青葉の声に、涙声や震えが混じりはじめる。
「時々、夢にまで見るんです。楽しいはずの思い出なのに、大事な写真のはずなのに、思い出すたびに、見るたびに苦しくて、悲しくて。私、どうしていいか、わからなくて」
いつもの元気な彼女からは、想像もできないほど弱い声。
「沈んだ者は、勝手です。沈まなかった者を呪ったり、憎んだり。特に最後には、勝手に、想いを託して。遺された者が、どう思うかも知らないで!」
悲しんだり、声を荒げたり、青葉はいつも見せない顔をいくつも見せる。いや、これが本来の彼女なのかもしれない。むしろ、いつも笑顔を貼り付けている青葉のほうが、演技なのかもしれないと、司令官は考える。微笑ましい笑みの影に、暗い影があることを隠すために。
「司令官、聞いてくれますか?」
青葉はゆっくり司令官に歩み寄り、彼の胸板にこつんとおでこをぶつける。
「私にとっての、最初の、彼らの話を・・・」