青葉は浜辺で一人、手にした写真を虚ろな瞳で見つめ、写る3人を指でなぞる。
「古鷹さん・・・、加古・・・、衣笠・・・」
4人が揃った時に一緒に撮って、いつかこの写真を懐かしく見られるときがやってくる。その時まで、全員で生き残る。そう誓い合った、はずだった。青葉の瞳からこぼれ落ちた雫が頬を滴りおち、砂浜に落ちて吸い込まれる。
「う、うう・・・」
一度結界したダムは、せき止められない。青葉は声を押し殺し、一人波打ち際で涙を流した。今度は大丈夫。そう思った。そうなるよう必死に訓練した。できる限りのことを教えた。なのに、蓋を開ければ自分だけがまた遺された。かつての戦いの時のように、みんないなくなって、自分だけが生き残った。味方を失い、命からがら日本に帰り着いたのに、そんな自分を動かす油はもうなく、呉の港で砲台として係留された。沈んだ仲間の一人の名前の由来となった、古鷹山を見続けることが、彼女の最後の役割だった。
「何も、変わらなかった。何も、何も・・・」
悲しみにくれる青葉の耳に突如、警報が鳴り響くのが聞こえた。
「敵襲!?」
地面が大きく揺れ、遅れて空気を震わす轟音が水平線の彼方から鳴り響く。泊地の施設が破壊され、浮き足立った艦娘たちが入り乱れて走り回る。青葉は自分の部屋に走った。いそいで病院着を脱ぎ捨て、いつもの制服に着替える。そんな中、放送が入った。泊地に設置されたスピーカーから聞こえた声に、青葉は耳を疑った。
泊地の放棄の決定。重巡以下の艦娘は、司令部や戦艦娘の撤退までの時間稼ぎを行うこと。相手はル級を含む強力な水上戦力。にもかかわらず、戦艦クラスは結局戦闘に参加せず撤退。しかも、低速の戦艦クラスや司令部の人員が撤退するまでの時間を稼ぐなど、容易な話しではない。下手をすれば全滅する。それが最善だとしても、青葉の心は、荒波がたったように乱れていた。青葉は、奥歯を噛み締める。
「なんのために、なんのために・・・」
青葉は、古鷹たちのことを思い出す。このまま泊地を放棄したら、彼女たちの犠牲は、沈んだ者たちは、なんのために・・・。でも、選択の余地はなかった。身支度を終えた青葉は、部屋を出ようとドアノブに手をかける。そのときふと、あるものが目にとまった。それは、3人の残していった写真。3人が存在したという、数少ない証明。数少ない、彼らとの思い出。彼女は、3人の写真とカメラを手早く掴み、防水バッグに押し込んで口を締める。そのまま工廠に向かい、装備を受け取る。入渠を途中で打ち切ってしまったため全快ではないが、時間を稼ぐことぐらいはできる。
「青葉、出撃します」
桟橋から海面に着水して外洋に出ると、あの夜戦で取り逃がしたル級が、海上を悠然と進んでいた。周囲に、軽巡や駆逐イ級を従えて。古鷹を、加古を、衣笠を、仲間を沈めた深海棲艦が、青葉の目の前にいる。
青葉は奥歯を噛み締め、胸の奥底から湧き上がってくるものをこらえる。主砲を構え、砲戦を開始する。重巡の大型の主砲の砲撃音が鳴り、砲弾は周囲の随伴艦を無視し、ル級に命中する。
「なんで、どうして・・・」
だが、ル級の硬い外殻や船を立てたような砲塔が盾の役割も果たし、有効打にならない。他の駆逐艦や軽巡たちも応戦を始めるが、敵が損傷を受けているようには見えない。そんな中、ル級が咆哮をあげた。地獄のそこから響くような高くも、体に響く独特の声に、青葉は体の底から恐怖のようなものが湧き上がるのを感じた。足が震え、体が硬直する。ル級の主砲が火を噴いた。
彼女の主砲よりも大きなそれが巨大な砲弾を放ち、直後に耳を塞ぎたくなるような轟音が鳴り、爆風が海面を揺らす。放たれた砲弾は青葉の後方に着弾する。大きな水柱が何本もたち、着水の衝撃で海面が激しくうねって彼女の体を揺らし、何度も海水を頭からかぶる。波に揉まれる中青葉は、体を安定させようと必死になる。うねりが治まったところで、彼女は周囲を見渡す。そこに広がった光景を見て、言葉を失った。さっきまで戦っていた駆逐艦をはじめとした仲間たちが、海面を漂っている。
「そ、そんな・・・」
中には大破し、海に沈みゆく者もいる。戦えるのは、青葉一人だけ。彼女は恐怖で震える体を、逃げ出したくなる足を必死に押さえつけ、主砲を敵に向け、砲撃を再開する。だが、もう勝てる相手ではない。被弾しなくても、間近に着弾した戦艦の主砲弾の作りだす海面のうねりで体は揺れ、吹き飛ばされる。加えて、随伴艦も砲撃してくる。力でも数でも不利では、もう勝目はない。懸命に回避行動をとるも、ル級の砲撃が青葉をかすめ、主砲の砲身が曲がり、艤装が損傷を受ける。体が吹き飛ばされ、何度も海面を転げまわる。
度重なる被弾で服は破れ、艤装は損傷がひどく、残弾も多くない。それでもまだ機関はかろうじて無事なのか、体は沈まない。満身創痍の状態になった青葉は、海面に仰向けになって漂う。どうやっても、敵を倒す方法が思いつかない。もう、戦う気力もない。勝目もない。
「ここまで、ですか・・・」
一人、諦めの言葉を呟く青葉。でも、青葉の心は不思議と、もう恐怖に震えてはいなかった。呉の港で砲台として過ごし、最後に爆撃で大破着底したかつてとは違う。今度は、自分も逝ける。戦った結果、自分も沈む。古鷹や加古、衣笠のいる、南方の海の底へ。みんなの元へ。
「・・・待っていて、くださいね」
砲撃音が海や大気を揺らす中、青葉は目を閉じ、最後の瞬間が訪れるのをまつ。
「青葉も、行きますから、ね」
すべての感覚を手放し、最後の瞬間が訪れるのを青葉はただ待つ。沈むときは、痛いのだろうか。沈んだら、どこにいくのだろうか。沈んだら、自分はどうなるのか。そんな些細な疑問が、彼女の頭に浮かんでは消える。ル級たちが、彼女にむかって距離を詰めてくる。そのとき、水の中から声が聞こえた。
脳内に直接届いたように感じたのは、聞き覚えのある声。水底から響いたような声に、青葉は目を見開く。無意識に彼女は、自分の制服の胸ポケットに手を当てる。確かに感じる、僅かな厚み。ポケットには、取材に備えて常に肌身離さず持っている手帳が入っている。そしてその手帳の中には、沈んだ3人との思い出も。ふと、彼女は思った。
ここで沈んだら、誰が、彼女たちの最後を伝える?誰が、覚えている?彼女たちが、ここにいたことを。青葉の脳裏に、彼らと過ごした日々がよぎる。わずか3ヶ月たらずであっても、青葉にとって彼らと過ごした時間は、かけがえのないものだった。もし彼女が沈めば、その記憶はここで潰える。ここで沈んでこれまでのことを、全て無かったことにしていいのか。
「・・・みんな」
青葉は痛む体に鞭打って海面に立ち上がると、まだ使える主砲をつかって、ありったけの砲弾をル級に放った。また、同じように砲弾が阻まれる。それは、彼女も承知のはず。残弾が少なくなる中、有効打にならなくても、青葉は移動しながらの砲撃を止めない。それでよかった。彼女の目的は、別のところにあった。少なくとも、少しは時間が稼げたはず。その間に、青葉の周りに黒煙が立ち込めてきた。
砲弾を放ちながら、青葉は急いで機関の出力をあげ、煙突から出る黒煙の量をふやしていた。次いで何度もその場周辺をまわって煙幕をはる。十分に煙幕をはると、ル級に背を向けて彼女は一目散に逃げ出した。後方では、またル級の主砲の轟音が鳴り響く。砲撃を回避するために、青葉は海上を蛇行しながら進む。機関は無事だが、部分的に損傷しているのか浮力が安定せず、何度もバランスを崩しては転びそうになる。だが彼女は速度を落とさず、何度も転倒しそうになりながらも、ル級の射程範囲外へと逃げ切ったのだった。
結局、南方への大攻勢は失敗におわり、多くの資源と、艦娘を失うという結果に終わった。青葉は修理を繰り返し、呉に命からがら帰還した。
だがその彼女を待っていたのは、生き残ったことに対する賞賛ではなく、逃げ帰ったことに対する侮蔑の視線や陰口。そして、古鷹たちの遺品整理という、気の進まない作業だった。