4人分のベッドと机が置かれている部屋で、青葉は静かに作業を進める。彼らの、沈んだ古鷹たちの遺品を、ダンボールに一つずつ詰めていく。とは言っても、古鷹たちは着任から間もないということもあり、遺品はほとんどない。勉強ノートや日記などしかなく、2つほどのダンボールに、全てが収まってしまった。この世に存在したことが、まるで夢や幻であったかのように。その中の一冊を手に取ると、青葉は体の底からこみ上げてくるものを感じた。
「古鷹さん、加古、衣笠・・・」
青葉はハッキリ覚えている。着任した日に、一緒に並んで写真を撮ったことを。今度は一緒に生き残ろうと、共に鍛え合った日々を。夜気持ちよさそうに眠る、加古の寝顔を。青葉を励まそうと手を握ってくれた時に感じた、古鷹のぬくもりを。姉を励まそうと微笑んだ、衣笠の最後の笑みを。彼らとの過ごした日々を、大事な記憶を、無かったことになど、青葉はできなかった。
ふと、彼女は思い立って自分のカバンをあけて、3人の写真を取り出す。急いでカバンに放り込んだ上に、戦闘にも巻き込まれたからフレームやガラスが破損している。でもこれは、4人の大事な、数少ない思い出。青葉は、写真立ての裏面の蓋を開け、中身の写真を取り出し、アルバムにでも保管しようと考える。裏蓋を開けると、青葉はそこで動けなくなった。
「・・・これは」
写真の裏面には、彼らが着任した日付と、短い言葉が書かれていた。
「青葉と一緒に、今度は生き残る」
青葉はもしやと思い、残りの二つも裏蓋を開ける。
「みんなと一緒に寝られる 今度は、いい夢が見られる」
「青葉を、お姉ちゃんを、一人にしない」
それぞれの写真の裏には、持ち主の決意が、願いが書かれていた。それを見た青葉は、次第に視界がにじみ、文字が読めなくなった。
「・・・みんな」
彼女は、写真を胸に抱いた。そのまま、彼女は床にうずくまり、ひとり、涙を流した。でも、彼らが着任した日に青葉が感じたぬくもりは、もうない。慰めてくれる優しい声も、頭や背中をなでてくれる手も、もう、何一つ。この部屋に、彼らは帰ってこない。でも、彼らは確かに存在した。青葉の胸に抱く写真が、大事な思い出が、青葉に一層その事実を突きつける。彼らはもう、いないということを。
「はじめまして、青葉」
青葉は、脳天に雷が落ちたような衝撃に、体が動かなかった。かつての3人と、寸分違わぬ姿をした3人が、そこにいた。
「ちょっと青葉、この姿で初めての再会なんだから、もう少し嬉しそうにしたら?」
「あ~、眠い」
「ちょっと加古、折角初めての再会なんだから起きて」
青葉の頭は、目の前の出来事を受け入れるのに精一杯で、他のことに処理能力をさけないでいた。
「ああ、そうですね」
青葉は、なんとか笑みを顔に貼り付け、言った。
「古鷹、加古、衣笠、お久しぶりです。またよろしくです」
照りつける日の光によって陰った顔で、引きつった笑みで青葉は、なんとかその言葉だけをひねり出した。
そしてまた、彼女は新たに着任した古鷹たちの指導役を任された。でも、意気込んでいたかつてと違い、青葉は次第に彼らと距離をとるようになり、部屋にこもりがちになった。彼女は苦しんでいた。記憶の中に生きるかつての古鷹たちと、今目の前にいる古鷹たちとの違いに。記憶の軋轢に。
何気ない仕草、考えるときの癖、言葉の反応、味覚、服を着る順序・・・。どんなに微細であっても、青葉はそういった違いが、次第に目に付くようになった。姿形は同じでも、艦の頃の記憶は同じでも、他は同じじゃない。それによって生じる違いが、彼女を困惑させた。その記憶との違いに耐えられず、彼らから青葉は次第に遠ざかっていった。
「ねえ、青葉。訓練の時間よ」
衣笠が訓練開始の時間を伝えるが、青葉は机に突っ伏したまま動こうとしない。
「ちょっと聞いているの」
「聞いていますよ、衣笠。訓練メニューは、ちゃんと渡しましたよ」
机に突っ伏したまま顔を上げず、曇った声で青葉は応えた。
「青葉に教えて欲しいって言っているの」
でも、青葉は動こうとしなかった。そんな姉の様子に、衣笠はどうしたものかとため息をはく。ふと、衣笠は机の上の倒されている写真立てに目がいった。彼女は、それを持ち上げた。
「この写真、こんなの撮ったっけ?」
青葉はすばやい動きで、衣笠の手から写真を奪い返した。
「触るな!」
姉の敵を見るような鋭い視線と声に、衣笠は首をすくませる。
「ご、ごめん・・・」
衣笠は両手を前にだし、降参の意志を送る。
「ねえ、その写真に写っているのって、誰?」
「・・・話すことはありません」
青葉は彼女に背を向けて、そっけない言葉で応える。
「妹にも言えないの?」
「・・・はい」
「たった一人の、妹なのよ」
たった一人。その言葉が、青葉を激高させた。
「私の妹はもういませんよ!」
衣笠は、一瞬目を見開いたが、表情を曇らせ、「そう」とだけ言い残して部屋を静かに出て行った。扉が締まる音と、足音が遠ざかるのを耳にすると、青葉はその場に膝をついた。
「何しているんでしょう、青葉は」
本当は、妹に全てを打ち明けたかった。今の古鷹たちに甘えたかった。でも、それはできない。今の彼らと仲良くなる。かつて失った古鷹たちと、同じ姿をした彼らと。それは、沈んだ彼らとの思い出の絵に、新たな絵の具で上書きをして塗りつぶしてしまうような行為だと、彼女は思っていた。そんなことをすれば、海に消えた彼らは、永遠にこの世界から消えてしまう。だから、青葉だけは忘れるわけにはいかない。
でも、今のままでは、古鷹たちとの仲は悪くなるだけ。かつて大事だった古鷹たちと同じ姿をした彼らと、反目し合う。そんなこと、青葉には到底耐えられない。でも、彼女は認めたくなかった。青葉が一緒に居たいと願った彼らは、もうこの世界のどこにもいないという事実を、彼女は受け入れられなかった。
「どうすれば、いいんですか・・・」
静かな部屋で、青葉はひとりつぶやいた。
「転属、ですか・・・」
司令官は黙って頷いた。ある日の朝、秘書艦から呼び出しを受けた青葉は、執務室で司令官から転属の旨を告げられた。理由は、古鷹たちの指導をおろそかにしていること、やる気が見られないなどが理由だという。それだけでも納得できる話ではあるが、青葉は独自の情報網でもう一つ理由があることを知っていた。最近、利根型、高雄型、妙高型等新型の重巡の建造に成功し、配備が始まる予定であること。それを受け入れるためにも、能力の劣る艦娘をどこかへ送らなければならない。各鎮守府等が持てる艦娘の数は決まっている。つまり、性能の低い青葉はお払い箱ということになる。それを口にしなくても、彼女を転属させるにはちょうどいい理由もある。
「・・・わかりました。明日の朝、鎮守府を発ちます」
青葉は、淡々と答えた。
「急ぐ必要はないんだぞ。期限までは、まだある」
「別に。ご命令ですから」
秘書艦から必要な書類を受け取った青葉は、執務室をあとにした。
自室に入ると、青葉と同室の古鷹たちが椅子から立ち上がり、神妙な面持ちで青葉を見つめる。
「どうしたんですか、皆さん?」
青葉が笑みを貼り付けて問いかけると、古鷹が両手を拳の形に握り締めながら、青葉に言った。
「青葉、転属するってきいたけど・・・」
「ええ、そうですよ。古鷹さん」
今更隠すこともないだろうと、青葉はあっさり肯定する。すると、いつも眠そうにしている加古が、真剣な顔つきで青葉の胸倉を掴んだ。
「青葉、なんで勝手に転属なんて決めた。私らに何もいわずに」
「ご命令ですから」
「私たちの指導を投げ出してか?」
「優秀な重巡が配備されるそうですから、その方たちの方が青葉より適任ですよ」
加古が奥歯を噛み締め、青葉を掴んでいない右手で拳を作る。
「私たちは、青葉がいいって言っているの」
衣笠が加古の手を払い除け、青葉の両肩を掴んで向かい合う。
「青葉に、教えを請わないほうがいいですよ」
「・・・なんでよ」
「青葉が教えることなんて、なんの役にも立ちませんから」
彼女は知りうる限りの、全てを彼らに伝えたはずだった。でも、その彼らは皆、海の底に消えた。そんな教えなど、何の意味もないと青葉は考えていた。部屋に、乾いた音が響いた。衣笠が、青葉の左頬を張り飛ばした。
「どうしたのよ。どうしちゃったのよ、青葉」
「・・・どうしたんですか、衣笠。折角の美人が台無しですよ」
今度は、右頬が打たれた。
「なんで、なんで何も言ってくれないの!そんなに、私たちのこと頼りないの?」
「・・・はい」
衣笠は、再び右手を振り上げた。それを、古鷹が掴んだ。
「古鷹、離して!」
「ダメだよ、これ以上は」
青葉は、ふらつきながら立ち上がる。
「とにかく、もうこれは決定事項です。もう覆りません。明日の朝、青葉は呉を発ちます」
青葉は、精一杯の笑みを浮かべて言った。
「皆さん、お元気で」
雫がたれそうになるのを、必死にこらえながら。古鷹たちは、無言で部屋を出て行くより他なかった。
翌朝、青葉は早くに部屋を出た。私物と呼ばれるものはほとんどなく、背中に背負ったリュックに収まる程度の量だけ。中にはカメラと、あの3枚の写真が入っている。彼女は、鎮守府の門の前で立ち止まって振り返る。もう、帰ってくることもないだろう。新たな配属先は、日本本土から離れ、南端に存在する孤島にある基地で、艦娘の墓場と呼ばれ、再訓練場という名の最前線基地。お似合いだと思った。彼女は、鎮守府の背後に見える山を見上げた。仲間の一人の名前の由来になった山、古鷹山。せめてもの救いは、これを見続けなくていいということだろうか。そしてこれで自分も、沈んだ彼らの元に、今度は行けるのかもしれない。あの時は、ル級を前に諦めた自分を励ましてくれた声を裏切ることになるが、やっぱり一人は辛い。
「やっぱり、もう一度、会いたいです。どんな形でも、構いませんから・・・」
それがたとえ、冷たく、暗い海の底に沈むことであろうとも、今の青葉には些細な問題だった。彼女は、静かに呉をあとにした。