12月の2週目、トゥインクルレース業界は大いにざわついた。
中央ウマ娘協会から緊急発表があると告知され、何事かと多くの報道関係者が会場に押し寄せ、その場でシンボリクリスエスから引退報告がされた。その言葉に多くの者に激震が走った。
シニア級2年目での引退はGIを勝利したウマ娘の平均と比べて極めて早い。怪我や衰えという理由なら理解は出来るがそれらの予兆も全く無かった。
真意を確かめようと多くの報道関係者が質問を投げかけ会見は長時間に及んだ、そして会見の様子は動画サイトで生配信され多くの利用者に見られた。
そしてシンボリクリスエスの引退会見の翌日、同じようにアグネスデジタルに関する緊急発表があると告知された。
「それではアグネスデジタル選手、壇上にお上がりください」
司会進行の呼びかけに応じるようにデジタルは壇上に向かって行く。スーツを纏いその表情や動きから緊張の色が浮かんでいた。
壇上に上がると一礼しフラッシュが焚かれ、報道関係者達は様子を注視する中で声を発した。
「本日はお忙しい中お集まりいただき、誠にありがとうございます。私、アグネスデジタルは、有マ記念を最後に引退を決意しました」
その言葉を皮切りに先ほど以上のシャッター音とフラッシュが焚かれ、関係者達はどよめきの声を上げる。
だがシンボリクリスエスほどの反応の大きさでは無く、報道関係者やファン達のなかには天皇賞秋の惨敗でアグネスデジタルの終焉を予感した者は居た。
さらに前日のシンボリクリスエスの発表も有ったことで引退を想起させた。だが予感はしていても時代を作った名選手の引退の報せに多くの者は嘆いた。
「それでは各種メディアの皆さまからご質問を頂ければと思います」
司会の言葉に多くの関係者が手を上げ質疑応答が始まる。
「引退を決意したのはいつ頃からでしょうか?また引退を決断したいちばんの要因は何でしょうか?」
「やはり衰えですかね。自覚症状はなかったのですが、天皇賞秋以降から一気に衰えが進行しまして、このまま衰えが進行すれば満足に走れるレースが無くなると思い引退を決意しました。そして引退を決意したのはここ1週間ぐらいです。衰えを受け入れるのに時間がかかってしまいました」
「衰えを意識したのはやはり天皇賞秋のレースでしょうか?」
「それも有りますが決定的な要因ではないです。ご存じの方も居ると思いますが、トレーニングで後輩との差が徐々に縮まり、追いつかれ、次第に広がっていった。この過程で引退という二文字を強く意識するようになりました」
デジタルの言葉に記者たちはペンを走らせる。やはり衰えか、これは誰もが避けられない運命であり、怪我による強制的な引退でないだけまだマシといえる。
そして後輩からの突き上げにより衰えを認識する。これはスポーツ業界においても珍しくない。
「今回の引退を決断された時に誰かに相談しましたか?」
「相談はしていないですね。自分で決めましたので相談というより事後報告という形になりました」
「最初に報告したのは誰ですか?」
「トレーナーですね。そこから知人やチームメイト達に報告しました」
「報告された皆様はどんな反応を示しましたか?」
「やはり相談ではなく報告でしたので驚いていました。ですが私の意見を尊重してくれました。チームメイトの若い娘達も最終的に認めてくれましたが、最初は辞めないでくれと引き留められました。尊重してくれるもの嬉しいですが、引き留められないのも寂しいですからね。嬉しかったです」
笑い話を言うような口調の言葉に関係者達の空気が緩む。しかし相談も無しに引退すると報告されるのは考え方によっては寂しいだろう。デジタルなら相談しそうと考えていただけに意外だった。
「多くのレースを走りましたが、現役生活で印象に残っているレースは?」
記者の質問に会場のデジタルへの注目度が上がる。大概のウマ娘はデビュー戦か勝ったGIを挙げる。そしてデジタルが勝利したGIは話題性の大きいレースが多い。
13番人気という低評価で後方一気の末脚で撫で切りコースレコードを叩きだしたマイルCS。
ウラガブラックの出走枠を奪った出走表明は物議を巻き起こし、外ラチに向かって走るという奇策で、当時の絶対であったオペラオーとドトウのワンツーフィニッシュを打ち破った天皇賞秋。
香港国際GI3連勝という歴史に残る偉業の大取を見事に飾った香港カップ。
地方ダート、中央芝、海外芝、中央ダートという前人未到のGI4連勝を達成したフェブラリーステークス。
そしてワールドベストレースを受賞し、レースの歴史に刻まれる名勝負だったダートプライド。そのバラエティと話題性は3冠ウマ娘にも劣らない。
「これも難しいですね~。どのレースも今でも鮮明に思い出せる程素敵なレースでした。強いて、本当に強いてあげるならばダートプライドですかね。このレースに勝っていなければ多くのレースを思い出し振り返ることもできませんから、今思うと勝ててよかったです」
デジタルは苦悶の表情を浮かべ数十秒ほど悩んだのちに答えを出す。
同じような質問をして答えを濁すウマ娘も居るが、正真正銘に差が無いので仕方がなく答えを出した様子がありありと出ていた。もしダートプライドに他のGI5勝分の思い出が掛かっていなければ、答えを出さなかっただろう。
「これまで選手として一番うれしかった瞬間は?」
「嬉しかったですか、正直レースに勝利しても賞を受賞しても嬉しいと思ったことはないので悩みますね。楽しかったなら数多くあるのですけどね。レースに勝利しても嬉しいより楽しいという気持ちが大きいので」
レースに勝っても賞を受賞しても嬉しくない。その言葉は一見すれば挑発的な言葉に聞こえるが関係者達はそのような意味で捉えない。
デジタルが求めるのは勝利という結果ではなく、ウマ娘を感じるという楽しさを求めているのは少なからず理解されていた。
「アグネスデジタル選手にとってレースとはどのようなものか?」
「遊園地ですかね。レース場に行けば常に素敵な出会いや体験が待っている。毎回ワクワクしながらレースに臨んでいました。トレーニングもレースをより楽しむ為と思えば苦では無かったです」
デジタルは生き生きと喋る。レースは遊園地、これもらしい言葉だと関係者は頬を緩ませる。
「引退後の一番の楽しみは?」
「楽しみですか、レースでウマ娘を感じるのが一番の楽しみでしたので、パッと思いつかないもので、そうだ、ウマ娘観戦ツアーをするのもいいかも、世界中でレースはやっていますので多くのウマ娘を見て感じたいです。自分へのご褒美ということでトレーナー資格の勉強前に遊んでも罰は当たらないでしょう」
「引退後はトレーナーを目指すのですか?」
「はい」
その言葉に関係者達から感嘆の声が上がる。ウマ娘は名トレーナーになれない。因果関係は証明されていないがこれは迷信ではなく事実であり、最近はトレーナーを目指すウマ娘は少なくなっていた。
数々の常識を打ち破ってきたデジタルならもしかしてやってくれるかもという期待感が有った。
「どのようなトレーナーを目指したいかというイメージはありますか?」
「チームに入ったウマ娘を幸せにできるトレーナーですかね。指導したウマ娘が笑って競技生活を終わってもらえれば最高です」
デジタルの目標はウマ娘のハーレムを作るために、多くのウマ娘に関わるトレーナーになること、それは未だに変わらない。だが今喋った言葉も紛れない本心だった。
「ご自身から見たアグネスデジタルというウマ娘は、どんなウマ娘ですか?」
「ワガママなウマ娘だったと思います。走るレースも急遽走りたいと言ってトレーナーを困らせました。そのワガママに付き合ってくれたトレーナーやチームメイトには本当に感謝しています」
「そのワガママが異色のローテーションを歩ませたのでしょうか?」
「そうかもしれません。南部杯以降のローテーションはアタシの希望が大いに反映されています。でなければ普通のトレーナーはあんなローテーションは組みません」
半笑いで喋り、釣られるように笑いが起きる。本当に我儘なウマ娘で我を通し続け多くの人に迷惑をかけてきた。南部杯以降のローテーションも色々と叩かれていたのは知っていた。それでも希望に沿ってくれたのは感謝している。
「勇者と称される活躍をされたアグネスデジタル選手のようになりたいと思うウマ娘は多く居ると思いますが、何かメッセージを」
「う~ん、正直いえばアタシではなく、テイエムオペラオー選手やメイショウドトウ選手などになりたいと思って欲しいところです。ですがこんなアタシでも推してくれるウマ娘達も居ますのでメッセージあるとしたら、ワガママでいることですね。周りからは常識外れのウマ娘とか言われていましたが、それは遠慮せずに自分の気持ちに正直に生きてきた結果だと思います。でも周りに迷惑をかけないように我儘してください」
現役生活で得た幸せは少なからず我を通した結果で得たものだ。未来のウマ娘達が周りに気を遣い幸せを得る機会を失うのは悲しい。自分の言葉で我を通す勇気を持ってくれたら幸いだ
「時間が迫ってきましたので、会見は以上になります。他に訊きたいことが有れば広報を通して質問をお願いします。アグネスデジタル選手、最後に一言お願いします」
「はい、これまで現役生活を全うできたのはトレーナー、チームメイト、友人達、中央ウマ娘協会の関係者様、大井ウマ娘協会関係者様、多くの人々の支えと協力のお陰です。本当にありがとうございます」
デジタルは深々と頭を下げると同時にこの日一番のシャッター音とフラッシュが焚かれた。
───
「あ~疲れた。久しぶりにこんな長い時間真面目に喋ったよ」
デジタルは控室に着くとトレーナーからペットボトルを受け取り、椅子にもたれ掛かる同時にスーツの上着を脱ぎシャツのボタンを外していく。それは堂々と記者会見で話したとは思えない程緩みきっていた。
「お疲れさん。良い引退会見やったぞ」
「白ちゃんの原稿があって助かったよ。あれが無ければ失言してたかも」
「余計な負担は掛けさせたくないからな」
デジタルはだらけた姿勢で礼を言う。トレーナーが聞かれるであろう質問を予想し、予め答えを考え見せていた。その答えの精度は高く。真面目に答えたらこうなると思われる答えが書かれていた。
「おっ、皆からメッセージが来てる。『感動しました』『良かったが、もう少しドラマ性や印象的な言葉が欲しかった』『これ自分で考えた?ゴーストライターでしょ』って。バレてるしダメだし喰らってます白ちゃん~」
「俺は作家じゃなくてトレーナーや、そこまで求めんな。そういうのが欲しかったら作家を雇え」
「嫌だよめんどくさい。さて終わったしさっさと帰ろ」
デジタルは勢いよく立ち上がり出口に向かう。ドアノブに手をかけた瞬間動きが止まりそのままの姿勢でトレーナーに話しかける。
「正直めんどくさいって思ったけど引退会見って大切だね。今終わってアタシは引退するんだって現実感が湧いてきた。しないまま有マ記念を走ったらすんなり引退しないかも」
「そうやな。色々なスポーツ選手はこうやって区切りというか覚悟を決めて引退試合に臨むのかもしれんな」
「そうか、皆こうやって覚悟を決めたのか」
デジタルは友人達の当時の心境に想いを馳せる。皆も同じような気持ちを抱き現役を退いたのか、同じ過程を辿ったことで妙な親近感を抱いていた。