勇者の記録(完結)   作:白井最強

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勇者とラストダンジョン#8 

 昼休み明けの5限目の授業、昼食を摂り、友人と雑談し、あるいは運動スペースなどで体を動かしたことで、気分をリフレッシュして授業に臨める。しかし一旦気が緩んだせいか、数名は舟をこぎながら眠気と格闘している。

 アグネスデジタルも眠気と格闘しながら、授業ではなく別の考え事に意識を向けていた。

 

 有マ記念まで残り3週間をきった。トレーニングも順調で日々の生活も充実している。現状では満点と言っていい過ごし方だ。

 しかし次の有マ記念が正真正銘最後のレースとなる。引退会見した手前、易々と撤回するわけにはいかず、衰えが止まる或いは力が戻る事はあり得ない。起きたとしたらそれは奇跡だ。

 ヒシミラクルが全治1年の怪我を1月半で治すという、奇跡じみた事を起したが、自分の場合は奇跡中の奇跡と呼ばれるレベルの事が起きない限り、衰えが止まるか力が戻りはしないだろう。

 奇跡を信じず、残された時間を妥協せず幸福を追求し、やり残しがないようにする。そしてある行動をしようか悩んでいた。

 

 先日ネオユニヴァースと偶然出会い会話した。短い時間だったが5感で存在を感じ取れた。レースでウマ娘を感じ取るのが最も刺激的で好みなのだが、日常の場面で直接会って感じるのも好きである。

 普段はSNSの情報や遠巻きに見て観察し感じているが、近くで会話し感じるのは情報の質と量もさることながら、自分の存在を認知してもらっているというある種の嬉しさがあった。

 

 デジタルは基本的に1ファンとして、ウマ娘とは関わらず遠巻きに観察していた。

 それは学園外のファンと同じ状況であるべきというフェアプレー精神と関わることで不純物が混ざってしまうと考えていた。

 しかしテイエムオペラオーやメイショウドトウなどファンの立場ではなく、友人として交流しているウマ娘もいる。

 それはレースを通して交流を育んだのはそうだが、テイエムオペラオーやメイショウドトウはトレーナー主導だが2人からレース鑑賞会に誘われ、サキーは相手から先に話しかけられたと、相手が切っ掛けになって仲良くなったとして、例外としていた。

 ヒガシノコウテイやセイシンフブキは自分から訪れ、仲良くなるきっかけを作ったが、あれもドバイワールドカップに向けてのトリップ走法の強化の一環として、話を聞かなければならなかったので、これもギリギリ例外としていた。

 相当に甘い判定を下しているが、1ファンとしてウマ娘を愛でて感じるべきと律していた。しかし本心では多くのウマ娘達と直接関わり、感じたかった。

 常日頃から理性と欲望が鍔迫り合いしながら、オタクは奥ゆかしくあるべきと己を律する日々が続いていた。

 

 先日の引退会見で感情の赴くまま我儘に過ごしたと喋った。その言葉が切っ掛けになり、直接会って多くを感じ、相手に存在を認知されたいという想いが膨れ上がっていた。

 そして決意する。最後なので相手に迷惑が掛からない範囲でやりたい事をしよう。方針が決まるとすぐに、今後の行動計画をノートに書き記していく。

 

───

 

 デジタルは食堂の片隅にある席に座り、テーブルに並ぶお菓子を確認する。洋菓子和菓子など様々な種類を一通り用意しておいたので、ある程度は対処できるだろう。

 飲み物は食堂で用意できるものを選んでもらう。コーヒーや紅茶なども此処でなら用意できる。かつてドバイでのサキーとのお茶会を思い出しながら、足りない物がないか確認する。

 デジタルは有マ記念に向けて、出走ウマ娘と話し合いの場を設けて交流を図ろうとしていた。今までは出走ウマ娘についてはネットで調べていたが、今回は直接会って色々と訊こうとしていた。

 ネットや雑誌の記事に載らない些細な情報でも、デジタルにとっては有益な情報で、レースを走るウマ娘を感じる際のスパイスとなる。

 そしてあわよくばこれを切っ掛けに縁を深めたいとも考え、第一弾として、あるウマ娘と連絡をとり、話し合いの場に参加してもらっていた。

 

 そのウマ娘には若干の苦手意識を持っていた。1度だけ直接顔を合わせて会話したのだが、年下であるがその雰囲気と貫禄からついつい委縮してしまう。それはアメリカ時代の怖かった先生を思い出す。

 精神の健康を考えれば会わない方が良いかもしれない。それでも直接会って感じたいという欲が収まらず、これを通して思わぬ素敵な一面が見られるかもしれないと期待を抱きながら約束を取り付けた。

 すると入り口から1人のウマ娘が近づいてくる。身長170cm以上の長身に漆黒と呼べる艶があるロングヘア―、デジタルは椅子から立ち姿勢を正す。

 

「今日は来てくれてありがとう、シンボリクリスエスちゃん」

「こちらこそお招きいただきありがとうございます。1度じっくり話したかったので良い機会でした」

 

 シンボリクリスエスは社交的な笑顔を浮かべながら言葉を交わす。デジタルが着席を促すと席に座り、デジタルも後に続いて席に座る。

 

「好みが分からなかったけど、好きな物食べていいからね。あと飲み物何にする?」

「すみません。体重調整がありますので間食は控えています。あと飲み物は水でいいです」

「水?わっ分かった。持ってくる」

 

 デジタルは急いで立ち上がり冷水器に向かう。良かれと思って用意したが減量中だったか、結果的には配慮が足りなかった。

 そして飲み物すら水で済ますという徹底ぶり、雰囲気と違わぬストイックさだ。早速知らない一面を見られたことに喜びながら水を2人分用意して席に戻る。

 

「普段も甘い物を食べたり、コーヒーや紅茶とか飲まないの?」

「そうですね。特に必要ないので」

「しかし引退発表にはビックリしたよ。アタシも発表する事決めてたから、もしやと思ったら案の定だったよ」

「皆にも同じような事を言われました」

「でも納得しての引退なら良かった。後悔が残ると辛いからね」

 

 デジタルは優しく微笑みながら頷く。生配信で会見を見ていたが、その表情や言葉から未練や後悔と折り合っていたのは分かった。引退する際に未練や後悔と折り合えなければ一生の悔いとなり呪いになってしまう。

 

「引退後はチームスタッフになるって会見で言ってたけど、将来はサブトレーナーやトレーナーになるの?」

「特には決めてないです。取り敢えずは勉強させてもらいます」

 

 その後暫くは日常会話のやり取りが続く。デジタルは会話をしながら観察する。初めて会った時は威圧感が有ったが、今はそこまで無い。あの時は偵察されたと警戒していたからだろう。

 そして次第に焦りが芽生え始める。此方としては楽しいのだが相手は楽しいか分からない。折角時間を割いてもらったのであれば、楽しいと思ってくれるか有益だったと思ってくれるような時間にしたい。だが為になる話が全く思いつかなかった。

 

 

「アグネスデジタルさん、後学のために幾つか訊きたいのですが?」

「いいよ。何でも答えるよ」

 

 デジタルは鼻息荒くする。今まではこちらが話しかけて相手が答えるを繰り返しだったが、初めてシンボリクリスエスから話題を提供した。ここは有益な助言を与えて、好感度アップを狙う。

 

「アグネスデジタルさんはダートプライドに勝利し世界一になりましたが、何か勝つために特別なことをしましたか?」

 

 シンボリクリスエスの本音としてはデジタルに割いている時間は無かった。これが有力ウマ娘なら時間を割いて良かったが、終わったウマ娘は警戒に値しない。その時間をトレーナーの理想とする走りを実現するために、トレーニングやスカウティングの時間に費やしたほうが有意義だ。

 しかしデジタルは非公式だが世界一になったウマ娘だ、その体験を聞き出しトレーナーに伝えればさらなる成長や発想の切っ掛けになり、貢献できるかもしれない。

 

 過去にはジャパンカップに多くの世界トップレベルのウマ娘が出走し、中には凱旋門賞に勝利したウマ娘も居た。そんな豪華メンバー相手に勝利した日本のウマ娘も居る。ならばそのウマ娘は世界一かと問われれば否と答える。

 レースを走ったウマ娘は全力で走っただろう。それでも大目標は凱旋門賞やブリーダーズカップクラシックなどで、ジャパンカップは悪く言えば余裕が有ったから出走したにすぎない。

 そしてダートプライドは地方勢も海外勢もこのレースを大目標にして仕上げ臨んだ。さらに其々が大切にしている優勝レイを賭けた。

 あれは物としての価値だけではなく、誇り、信念、意地など己の大切なものすら賭けていた。そんなレースに無意識レベルでも手を抜くわけが無く、死に物狂いで勝ちにいった。ダートプライドに勝ったデジタルは紛れもなく世界一であると認定していた。

 

「特別なことか、一応はしたかな」

「それについて教えてもらいますか?」

「いいよ。まずは…ってちょっと待って」

 

 デジタルは思わず口に手を当てる。トリップ走法は出力が上がるがフォームが乱れ力をロスするので、トリップ走法で走りながら力をロスしないフォームの模索、実行するために必要な身体操作能力の養うためのトレーニング、これらはトレーナーが考案したものだ。

 即座に教えたいが、トレーニング方法はトレーナーにとっては秘伝のレシピのようなものだ。許可なく教えるわけにはいかない。制服のスカートからスマホを取り出し電話をかける

 

「もしもし白ちゃん?あるウマ娘ちゃんがダートプライドにやった時のトレーニング、あれだよ、あれ、それ、それを教えてもらいたいって言ってきてるんだけど教えていい?」

 

 ならば許可を取ればいいと電話をする。僅かな期待を抱いたデジタルだが、その表情は見る見るうちにしょぼくれていく。

 

「ごめんね。ケチだから教えないって」

 

 デジタルは申し訳なさそうに謝る。折角の好感度アップの機会を棒に振ってしまった。個人の利益ではなく、業界全体の利益を考えるべきだろうとトレーナーに対する恨み言を心の中で呟く。

 

「こちらが無遠慮でした」

 

 一方シンボリクリスエスは申し訳なさそうに謝るデジタルに対して、気にするなと笑顔で返す。口が滑ればラッキー程度だったので期待はしていなかった。

 

「アグネスデジタルさんは勝てたのはそのトレーニングのおかげですか?」

「確かにそれもあるけど、おかげというか、あくまでも1つの要因というか…」

「それ以外に勝てた要因はありますか?」

 

 レベルが高ければ高いほど勝者は勝因を把握している。このトレーニングが効果的だった。この作戦が上手くいった。または他のウマ娘がミスをした。他人から見えれば不運でしたと片付けるものでも正確に分析する。

 今は全盛期の力は無いが世界の頂点に立ったウマ娘だ、フィジカルは衰えても分析力や観察眼は衰えているものでなく、当時を振り返って何かしら為になる分析していると期待していた。

 その問いにデジタルは腕を組んで十数秒ほど悩んだのちに答えを出す。

 

「運かな。あのレースは100回やったら100回とも展開も違って着差も着順も変わるレースだった」

 

 シンボリクリスエスは内心で大きく落胆する。確かに1着から6着までの差は2センチという僅差で運と言われても仕方がないが、それでも何かしら別の要因によって勝てたと分析し、作戦を実行していたと思っていた。

 

「あっ、そういえばあった。今までと違ったところあった。一応心構え的なことだけど」

 

 デジタルは相手の反応に焦り即座に勝てた要因を思い出し、シンボリクリスエスはその言葉に僅かに身を乗り出す。精神論は好かないが世界を取った者が明確にしたものなら役に立つはずだ。

 

「今までレースを走る時はウマ娘ちゃんを感じたいって気持ちが大半だった。それでも勝ちたいとかトレーナーやチームの皆を喜ばせたいって気持ちが少しだけあった。けどダートプライドの時はウマ娘を感じたいって気持ちに全振りだった。レース中も位置取りとかペース判断とか一切考えずに5人を感じることだけ考えてた」

「負けるのは怖くはなかったのですか?負ければ金は勿論、レイやレースの思い出も失っていたんですよ」

「レースの思い出は入場料みたいなものだしね。あの5人を存分に感じる為には仕方がない。でも勝てて良かったよ。負ければ記憶を封印で良い思い出も思い出せないんだよね」

 

 デジタルは負けた状況を想像し身震いさせ、一方シンボリクリスエスは感心していた。我を忘れる程物事に没頭する。それは無我の境地と呼ばれ、デジタルはその境地に至っていた。これは中々出来ることではない。

 シンボリクリスエスもトレーナーと結んだ契約のために走るという一心で走る。無我の境地を目指していた。だが金、名誉、地位の向上など欲を捨てているかと訊かれれば自信は無い。

 ダートプライドで負ければ多くを失う状況だった。それでも恐れを捨てウマ娘を感じるという目的だけに全てを向けた。

 そして無我の境地に至った者は高いパフォーマンスを発揮すると言われている。これが世界の頂点に立てた要因の1つだろう。

 

「次の質問ですが、今年の天皇賞秋で未知の感覚、得体の知れない恐怖を感じました。何かされましたか?」

 

 シンボリクリスエスの表情が一段と鋭くなる。この会話に応じた最大の理由は今の質問をする為だった。

 天皇賞秋ではデジタルによって大きく心を乱された。途中で収まったがもしレース中ずっと続いていたなら、全員同じ状況なら負けはしないが走破タイムは遅くなり、2着や3着のウマ娘が影響受けていなければ負けていた可能性が有った。

 そしてこれはトレーナーの理想の走りをするためのヒントとなる。もし同じようなことが出来れば相手の力を削げる。

 

「あ~、あの時は嫌だった?」

 

 デジタルは両人差し指をツンツンと突きながら顔色を窺う。反省はしているのだが、当事者に嫌だったと面と向かって言われ罪悪感が掻き立てられる。

 

「別に気にしていませんが、その時のお詫びとして何したか教えてくれれば助かります」

「分かった。多分役に立たないと思うけど教えるね」

 

 罪悪感から逃れるように話し始める。ウマ娘断ちとレース前まで何をしたのか詳細に語った。

 

「どう?参考になった」

「残念ながら」

 

 デジタルはその言葉に肩を落とす。少しでも役に立てれば良かったのだが、その仕草で全くと言っていい程役に立っていないのは分かった。

 

 

「すみませんが、用事がありますので退席してよろしいですか?」

 

 シンボリクリスエスは時計を見て若干申し訳なさそうに声をかける。訊きたい事は訊けて用事は済んだ。これ以上は話すメリットはない。

 

「あっ、ごめんね、アタシの為に時間を使っちゃって」

「いえ、楽しい時間でした。では有マ記念ではお互い悔いのないレースをしましょう」

「うん、またね」

 

 デジタルは手を振りながら見送る。第一印象のせいで怖いと思っていたが、話して見ると物腰柔らかで探求心も強く素敵なウマ娘であると実感した。

 その後暫くはシンボリクリスエスの会話や動作や声の記憶を反芻し堪能していた。

 

 シンボリクリスエスは部屋に帰りPCで天皇賞秋のレースを見ながらデジタルがした相手の力を削ぐ方法について考える。

 あのやり方は習得できるとは思えない、仮に習得しても長い月日がかかる。あれは目指すのは徒労だ。だが話を聞いて強い感情はレースを走るウマ娘に伝わるのが分かった。

 デジタルはウマ娘を感じたいという感情によって他のウマ娘達を怖がらせ心を乱した。ならば別の感情でウマ娘の心を乱せば同じことが可能ではないのか?だとしたら何の感情をぶつければ心が乱れるか考える。

 脳裏に思いついたのは自信だった。どんな展開やペースになっても絶対に勝てるという自信、その自信の前に他の者達は勝つビジョンが浮かび上がらず、心が挫け弱体化するかもしれない。

 天皇賞秋を走る前ならオカルト理論だと一笑しただろう。だが実際に体験したことで存在しある程度は効果が有ると理解した。やってみる価値はある。

 この案を実現するために必要なのは勝てるというイメージを持つこと、その為には確かな地力と相手がどんな走りをしても対処できる知識だ。

 

「なんだ、単純なことじゃないか」

 

 シンボリクリスエスは思わず吹き出す。相手を知り自己を高める、いつも通りではないか。

 有マ記念ではトレーナーの理想の走りはトレーナーから教われば誰でも出来るかではなく、その走りは実現可能かを実証するために走る。その理想の走りはどこか空想めいて、武術の奥義か何かのような特別な技だという印象が有った。

 奥義とは今まで学んだ思考や技術とはまるっきり別体系で、今まで学んだ技術体系とは別の思考や技術を学ばなければならず、それは今まで学んだものが円形の中に入っているとしたら、円形の遥か上にあると思っていた。

 だが自分で実現可能な相手を削る方法を考えることで、その奥義のような特別な技は今まで学んだ思考や技術を発展させれば実現できる可能性が有った。つまり奥義とは円形の中に潜んでいるのだ。

 そして理想の走りが実現できれば、それは円形の中に有るという事になり、トレーナーの教えを受ければ出来るという証明にもなる。そして脳内である単語が思い浮かぶ。

 

 無我の境地

 

 理想の走りを実現することに必要なのはそれだけに集中すること。それは無我の境地でデジタルがダートプライドに勝った時と同じ心境だ。

 最初は無駄な時間だと思ったが理想の実現のために多くのヒントを残してくれた。無駄だと思ってもやってみるものだな。

 シンボリクリスエスはデジタルにほんの僅かに感謝の念を抱いた

 

 

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