「行ってくる」
ウマ娘の少女は玄関先で呟く。だが家には誰もおらず暗闇の空間に声だけが虚しく響いた。ウマ娘はボストンバッグを片手に背負い家を出発する。おでこが完全に露出するほどの黒髪のベリーショート、身長も170センチ台後半とウマ娘としては比較的に大きく筋肉質な身体が印象的である。そして三白眼でありその目つきの鋭さは反骨的な気質を想像させる。
彼女の名前はセイシンフブキ、アグネスデジタル達が所属している中央ウマ娘協会とは異なり地方公共団体が運営する組織、船橋ウマ娘協会に所属しているウマ娘である。
セイシンフブキは中央クラシック3冠にあたるレースの南関3冠に勝利し、さらに中央のウマ娘たちも参加するジャパンダートダービーにも勝利し史上初の無敗で南関4冠を達成した。船橋、いや地方ウマ娘界の期待のホープである。
そして東京レース場でおこなわれるダート1600でおこなわれるGIレース、フェブラリーステークスの前々日記者会見に出席するために東京レース場近くに有る会場に向かおうとしていた。
セイシンフブキは扉の鍵を閉め外に出るとひんやりとした風が体を刺激し薄汚れた黄色の落ち葉が脚に当たる。
今日はいつもより風が強い。その証拠に地面に落ちている枯葉が渦を巻いて常に動いている。セイシンフブキは寒さに耐えるためかマフラーを首元にしっかりと巻き、手をコートのポケットに突っ込みながら歩き始める。するとトレーニングを終えたウマ娘たちが前方から歩いてくる。両者は視線を合わすことなく何事もなかったようにすれ違った。
セイシンフブキは船橋にいるウマ娘全員と親しいというわけではない。今すれ違ったウマ娘も顔を見たことある程度で声を掛け合う関係ではなく、無言ですれ違うのはおかしくはない。
だが彼女たちが纏う雰囲気にはセイシンフブキに対する嫌悪のようなものが感じられた。そして彼女たちが抱く感情は船橋にいる大半のウマ娘たちは抱いている。セイシンフブキはある発言により船橋にいるウマ娘から嫌われていた。
自分は思っていたことを素直に口にしただけだ、それで嫌うなら嫌うがいい。その感情に気にも留めることなくひび割れたアスファルトを歩き寮の敷地内出口から駅に向かう。すると出口の門付近に二人のウマ娘が待ち構えていた。
1人はピンク色のコートに緑のマフラーに髪はベージューカラーのロングウェーブ、そのウマ娘は気怠そうに門に寄りかかっている。
もう1人は赤色のコートに茶髪のショートヘアーで白の星型のヘアピンをつけており、もう1人とは対照的に背筋を伸ばし腕を組み待っている。その2人はセイシンフブキがよく知る人物だった。
「お疲れ様ですコンサートガールさん」
「頑張ってこい、南関の意地と力を中央に見せてやれ」
「ありがとうございます。南関ではないですけど、ダートウマ娘の力は見せつけてやりますよ」
コンサートガール
大井所属の地方ウマ娘であり、地方で最も権威のあるGIの一つである帝王賞に勝利したことがある。中央のバトルラインと船橋のアブクマポーロとの激戦は地方ウマ娘ファンに語り継がれており、その勇姿はセイシンフブキに強く刻み込まれていた。
コンサートガールの言葉にセイシンフブキは笑みを見せる。それは今までの醸し出していた剣呑な空気とは違い好意的な態度を見せる。
「で、何のようですか?」
「そんなツンケンしないでくれたまえフブキ、後輩が中央GIに出走するのだ、先輩が激励するのは不自然ではなかろう」
コンサートガールの時のような友好的な態度とは一転し、舌打ちし睨みつけて敵意を全開にする。それに対してピンク色のコートのウマ娘は自分の髪を弄りながら全く意に介することなく話しかける
アブクマポーロ
かつてセイシンフブキと同じ船橋ウマ娘協会に所属し、地方のダートGIに複数回勝利して、中央のウマ娘たちを蹴散らし、同時期のコンサートガールとメイセイオペラと名勝負を繰り広げ地方を盛り上げた船橋のレジェンド的存在である。
そしてダートとは何かという疑問をレースで走りながら考え続けるその姿から『南関の哲学者』と呼ばれていた
「いりませんよ。アンタが地に落としたダートの価値をアタシが勝って上げてきますよ」
「お前まだそんなことを。あれは…」
セイシンフブキの悪態にコンサートガールは反論しようとするが、アブクマポーロが手で制す。
「期待しているよ」
アブクマポーロの言葉にセイシンフブキは地面に唾を吐きかけ返答する。そして一瞥をくれることなく2人に背を向けて歩みを進める。その背中を寂しそうに見送った。
(クソッ!朝から嫌なことを思い出せやがって!)
セイシンフブキは舌を打ちしながら住宅街を通り駅に向かう。
すると足元にあった小石を衝動的に蹴りつける。ウマ娘の脚力で小石を全力で蹴ればそれは立派な凶器になる。小石は勢いよく前方に飛びゴミ捨て場にあったガラス瓶に当たりガシャーンという音とともに粉々に砕けた。
その様子を見ていた犬を連れた男性が思わずセイシンフブキを見つめ、それに対して八つ当たりのように男性を睨みつけた。その怒気に慄いた男性は即座に視線を逸らし犬はク~ンと情けない声で鳴いた。その様子を一瞥すると舌打ちしながら歩き始めた。
セイシンフブキはダートが好きだった。
砂塵を巻き上げながら走るウマ娘たち、雨が降るなか泥まみれで走るその姿、足に沈み込む重厚な感触、蹴り上げられた砂の痛さ、レースが終わり口に入った砂に気づいた時の気持ち悪さ、それらはすべて戦いの象徴であり、血潮を沸き立たせ興奮させるものだった。
ダート競走こそ真の戦いであり、それに比べ芝のレースなどただスピードが出るだけの軟弱者のゴボウがするレースに過ぎなかった。その持論を力説するが周りは誰ひとり賛同しなかった。
セイシンフブキがレースを見ていた時はダートのGIレースもなく、ダートレースに対する注目度が極端に低かった。
さらにダートレースは地方で多く行われ、地方は中央ウマ娘協会に入れなかったウマ娘達が走る2軍という印象がウマ娘ファンたちに有った。それゆえにダートは芝で通用しなかった落伍者が走る2軍レース扱いされていた。それゆえに変わり者のレッテルを貼られた。
何故皆分からない!?理解してくれない!?その事実は幼いセイシンフブキを傷つけ涙で枕を濡らさせた。
そして世論に憤りその怒りを紛らわすように地方のダートレース場を見に行き次第に中央の芝のレースを見なくなった。地方のダートレースを見続けるなかある夢を抱くようになる。
ダートレースは芝の2軍じゃない、ダートを芝と同等、いやそれ以上の価値に押し上げる。
そして月日が経ちトレセン学園に入学できる年になったセイシンフブキは中央や地方のウマ娘関係者がみるトライアウトを受けそこで好成績を叩き出す。
それを見た中央ウマ娘協会の複数のトレーナーからトレセン学園で自分のチーム入らなかいかと誘われるほどだった。だが即答で拒否する。
セイシンフブキは未だに根付く中央の芝至上主義を嫌悪していた。それにダートレースが少ない、それだったらダートレースが多い地方に入る。
こうして中央ではなく地方の船橋ウマ娘協会に所属することとなり、デビューに向けてトレーニングを積んでいるなかある制度改革が行われる。
地方指定交流重賞。
以前は地方ウマ娘が中央に出られるレースは極端に少なく、また中央ウマ娘も地方のレースに出られなかった。
だが地方のレースにも中央の枠を設け中央のウマ娘も出られるように制度が改正され、そ多くの中央ウマ娘が地方のダートレースに参戦する。
それによりライブリラブリィ、ナントベガなどの強豪が中央の強さを見せつけ地方を蹂躙していった。そんななか1人のウマ娘が頭角を現し始める。
アブクマポーロ。
船橋のレースを走りながら実力をつけたアブクマポーロは地方交流重賞にも参戦し連勝街道を驀進する。
勝ったレースには帝王賞や東京大賞典などのGIレースも含まれ、圧倒的な強さで中央のウマ娘を倒していく姿は地方ファンを大いに魅了し熱狂させる。
その連勝の始まりであるGIレース川崎記念を見て雷に打たれたような衝撃が駆け巡った。
なんて強さだ!
今まで多くのダートレースと名ウマ娘を見てきたが、そのなかでも別格の強さだ!この人についてければ自分の夢を叶えるほどの強さを手に入れられる!
その日からセイシンフブキはアブクマポーロに舎弟のように付きまとった。
アブクマポーロも最初は邪険に扱っていたがそれでも付きまとう情熱に観念したのか一緒に行動するようになっていく。
セイシンフブキにとってアブクマポーロは師匠であり友人であり同志でもあった。
いつも小難しいことを考え、はっきり言えば変わり者だ。
難しいことを考えることが苦手な自分とは正反対の性格であり、普通に過ごしていたら関わることもなかっただろう。
だがある一点でアブクマポーロとセイシンフブキは繋がっていた。それはダートが好きであるということだ。
考え方は違うにせよダートに対する愛と想いは自分と同等またはそれ以上だった。
この人と一緒ならダートを芝以上の価値に上げられるかもしれない。幼き頃に抱いた夢は現実味を帯び始めていた。
そして翌年の川崎記念を勝ち連勝記録を伸ばしたその日の夜のことは今でも覚えている。
アブクマポーロの部屋の中は埃っぽく、書きなぐったメモ用紙が一面に貼り付けられ書類は塔のようにそびえ立っていた。そんな部屋でセイシンフブキは牛乳を、アブクマポーロはコーヒーのブラックを飲みながら語り合った。
「フブキ、ダートとは何だと思う?」
「ダートとは戦い!真の強者が戦う最高のレースです!」
アブクマポーロの問いにセイシンフブキは即答する。このような問いを思い出したように行い、その度にセイシンフブキはいつも同じ答えを出していた。その答えを聞きアブクマポーロは一笑する。
「あいかわらず実にフブキらしい答えだ」
「これしかないですよ。それでアブクマ姐さんはなんだと思います?」
「それはまだ分からない」
「分からない?こんなに考えているのに?」
「ああ、まるで分からない。もしかしたら一生分からないかもしれない」
「それじゃあ考えるのを止めたらどうですか?疲れちゃいますよ」
「だからこそ考えるのだよ」
「わかんね~」
セイシンフブキは思わず部屋の床に倒れこみ床に散らばっているメモ用紙を手に取り読み、すぐにメモ用紙を床に放り投げた。
これ以上読んだら難しすぎて頭がパンクしそうだ。辛うじて日本語に書いてあることが分かるが内容はさっぱり分からない。
こんな難しいことを考えているのにダートが何か分からないほど深いのか。自分の愛しているモノの底の深さが無性に嬉しかった。
「ところでフブキ、実はドバイワールドカップに招待されてね。受けようと思う」
「マジですか!ドバイってあの!」
「そう、ダート世界一を決めるレースだよ」
「じゃあアブクマ姐さんが世界一じゃないっすか!」
「フフフ勝てばね、ドバイのダートは日本のダートとは性質が違う。私が求める答えは得られないかもしれないが、世界一になれば別の視点で物事が見えてくれるだろう」
アブクマポーロは淡々と話すとは対照的にセイシンフブキは興奮を隠しきれないといった具合にソワソワと体を動かす。
アブクマ姐さんがついに世界一だ!セイシンフブキにとってアブクマポーロの強さは絶対であり、世界一になるのは決定事項だった。
「そして世界一になればこの称号を奪いに芝で走っているウマ娘達も挑みに来るかもしれない。そうなったらダートを理解する手がかりになるかもしれない」
「そうなったらダートを芝の2軍なんて言うバカを黙らせられますよ!」
「その可能性は充分にある」
セイシンフブキはさらに体をソワソワさせる。もしそうなればそれは思い描くシナリオのなかで最高のものだ。
「アブクマ姐さん!アタシはまだ弱いです。でも必ず強くなります。だから勝ち続けてください!そして強くなったアタシと連勝記録を伸ばすアブクマ姐さんと走りましょう。そしたらダートの価値は必ず上がります!」
「そうだね。強くなったフブキと走れればダートの本質に一歩近づけるかも知れない。その日を楽しみにしているよ」
その言葉にアブクマポーロは真剣に頷く。セイシンフブキの抱く夢は中央の3冠レースに勝つより難しいかもしれない。だがそれを実現できると一点も曇りもなく信じている。
その情熱は刺激を与えダートの本質にたどり着くために重要な要素だった。何より自分と同じようにダートを愛するウマ娘がいるのは心の底から嬉しかった。
2人は無言のまま示し合わしたようにお互いのカップを当てる。それは2人が一緒に走ることを約束した証だった。
だがそれは叶うことはなかった。その翌日セイシンフブキは今後の人生において絶対に覆らない最もショックな報せを受ける。
――――――アブクマポーロ芝に参戦!日経賞から天皇賞春へ
「姐さん!どういうことっすか!」
セイシンフブキは文字通り扉を蹴破ってアブクマポーロの部屋に入っていく。その鼻息は荒く目も興奮で血走っていた。
「姐さんドバイワールドカップを走るんじゃないんすっか!?芝を走るだなんて嘘ですよね!」
「本当だ…私は日経賞から天皇賞春を目指す…」
アブクマポーロは昨日の生命力に満ち溢れた表情とは別人のように弱々しく返事をする。
その態度に激高しセイシンフブキは胸ぐらをつかみ体を揺らしながら喉も張り裂けんばかりの声で叫び拳を振り上げた。
「ダートで世界一になってダートの本質を理解するんじゃないんですか!そんなに芝が羨ましいか!?答えろアブクマ!」
セイシンフブキの拳は驚く程あっさりアブクマポーロの頬に突き刺さる。憧れの人を全力で殴った。それに対して罪悪感や後悔は一切沸かなかった。湧き上がるのは怒りのみだった。
その騒ぎを聞きかけつけた人々によりセイシンフブキは取り押さえられ暴行により謹慎処分を受けることとなる。そして謹慎中にアブクマポーロは日経賞で大敗したことを聞き、その数日後トレーニング中に怪我をしてそれが原因で引退をしたのを知った。
アブクマポーロの芝での大敗はダート界にとってマイナスイメージを植え付けることとなる。
――――アブクマポーロ、所詮低レベルのダートで粋がっていただけだろう、だから日経賞で大敗したんだよ。やっぱりダートは芝の2軍だよ。
一部のファンからこのような意見があがってくる。これは極論であり断じてダートのウマ娘が芝のウマ娘に劣っているわけではない。
だが日本ウマ娘界全体に蔓延る芝至上主義がこの意見を肯定する雰囲気を作り出した。
同じようにダートを愛しながら、芝を走り惨敗しダートの地位を貶めたアブクマポーロの存在はセイシンフブキにとって許しがたい存在だった。奴も所詮芝至上主義に染まった軟弱者だ。
その憎しみからアブクマポーロを声高に徹底的に批判する。慕っていた分だけ反動は大きくその批判は苛烈だった。
そして船橋の英雄に対する侮辱的な発言は周囲の反感を買ってしまう。それがセイシンフブキの嫌われる原因だった。
志を同じくした同志の突然の裏切り、それはセイシンフブキを深く傷つけた。幼き自分だったら悔しさと悲しみの涙で枕を濡らしていただろう。
だが今は違う!この感情を力に変える!ダートは自分ひとりの力で引っ張り上げる!
それから病的なほどに練習に打ち込みそれによって急激に力を付け史上初の南関4冠を達成するまでになる。そして病的なほどに芝を嫌悪していた。
芝至上主義は未だに覆らない、いやむしろもっとひどくなっていた。
その証拠に南関4冠を達成した後ある関係者が中央クラッシクのトライアルであるセントライト記念に出走しろと提案してきた。何故ジュニアC級ダートチャンピオンがわざわざ芝に出なければならない。その関係者を力づくで黙らせておいた。
そして芝至上主義によってダートウマ娘は被害が及んでいる。
GIレースジャパンカップの1着に与えられるレースポイントが3億ポイント、一方同じGIでダートのフェブラリーステークスの1着に与えられるレースポイントが1億ポイント。この例の通り芝のレースのほうがダートに比べ与えられるポイントが高い。その結果起こることが芝ウマ娘による出走枠の強奪だ。
最近では芝で勝てないウマ娘が新しい活路を求めてダートを走ることがある。それによってポイント数が少ないダートウマ娘が枠から弾かれる。
中央にもダートに真剣に挑んでいるウマ娘はいる。そういったウマ娘は例え強くなくともセイシンフブキは嫌いではなかった。だがそういったウマ娘が芝ウマ娘のダート初参戦により除外に追い込まれる。それはひどく気に入らないことだった。
さらにその芝至上主義に拍車がかかっている。その拍車をかけているのがオールラウンダーの存在だ。
NHKマイルとジャパンカップダートに勝ったウラガブラック。そしてマイルCSと南部杯と天皇賞秋と香港カップに勝ったアグネスデジタル、この2人が芝とダートのGIに勝ったことにダートは芝の2軍論が有力視されてしまう。
この風潮を止めるにはその2人にダートで勝つしかない。ウラガブラックは怪我をしたがアグネスデジタルはフェブラリーステークスに出てくる。
アグネスデジタルは天皇賞秋や香港カップなど芝中距離のビッグレースに勝利し、これからは芝路線を選択するだろう。このレースに出たのもドバイワールドカップへのステップレースだ、恐らく交わることはない。
ならばここで勝つしかない。もし負ければ再戦の機会は与えられずダートは芝の2軍理論にさらに拍車をかけられる。それは何としても阻止しなければならなかった。
それにセイシンフブキはアグネスデジタルのことが大嫌いだった。芝を走っていたら突如ダートに顔を出して勝利し地位を貶める。アブクマポーロ、いやそれ以上に嫌悪している。
「絶対に勝つ…あいつは絶対に倒す…」
歯を食いしばりポケットに入った両手を血が滲むほど握り締め敵意を高める。その膨れ上がった憎悪は周囲を威圧し行き交う人々は無意識にセイシンフブキを避けていった。
「やっぱり怒っているな」
アブクマポーロはセイシンフブキが去った後乾いた笑いを見せる。刺すような敵意はあの一件からまるで変わらない。
「なあ、いい加減真実を伝えたらどうだ?真実を伝えれば分かってくれるはずだ」
「いい、裏切ったことは事実だ」
コンサートガールの言葉にアブクマポーロは寂しそうに笑った。
セイシンフブキと仲違いしてしまった原因でもある日経賞への出走、直前まではドバイワールドカップに出走するつもりであった。
だがその直前トレーナーからドバイワールドカップではなく日経賞に出走してくれと懇願するように頼まれる。
日経賞への出走はトレーナーではなく船橋ウマ娘協会の意志だった。アブクマポーロの活躍により船橋は活気づいていた。だが協会はそれでも物足りなかった。
かつてオグリキャップというウマ娘がいた。地方の笠松ウマ娘協会に所属していたが、中央に移籍し数々のGIに勝ち多くの名勝負を演じた。
その活躍に世間は大いに湧き社会現象と呼べるほどのオグリキャップブームを沸き起こし、笠松ウマ娘協会を潤した。
そして船橋ウマ娘協会はその幻影を求めていた。アブクマポーロが仮にダートのドバイワールドカップに勝っても業界内で賑わう程度だ。
だがオグリキャップのように芝で勝てばブームを、いや地方所属であればさらなるブームを巻き起こせると考えていた。
さらにドバイへの遠征はリスクが高い。ドバイに遠征したウマ娘は軒並み体調を崩し、なかにはレース中の怪我で選手生命が絶たれてしまったウマ娘もいた。それも協会がドバイに行かせたくない理由でもあった
自分にはドバイワールドカップに勝ちダートの本質を理解したいという欲求がある、それに同じ志を持ちダートを愛するセイシンフブキを裏切ることができない。
アブクマポーロは断固たる意志で断る。その態度に対してトレーナーは苦虫を噛み潰したような顔で告げた。
―――ドバイワールドカップに出走するにあたって経費が発生する。その経費を協会は一切払わず個人で負担してもらう。さらに出走した場合はトレーナーを解雇する。
思わぬ言葉に激昂し地面を全力で踏みつけた。その足跡は地面にくっきりと残っている。
そこまでのことをするのか!
アブクマポーロの怒りをよそにトレーナーは経費の詳細を語る。
その経費は家の台所事情を知らないアブクマポーロでも捻出不可能とわかるほどの大金だった。
さらにトレーナーのクビまでかかっている。夢のために自分が苦労するのはかまわない、だが家族やトレーナーを巻き込むわけには行かない。
頭を抱え悩むアブクマポーロにトレーナーは協会の言葉を伝える。ずっと芝を走れとは言わない、日経賞で好走できなければ芝を走らずダートを走ってもいい。
その妥協案にアブクマポーロの心は揺れ動く。自分の夢か家族やトレーナーの未来か。数十秒か数分か、時間は定かでないが悩み続けついに答えを出した。
「日経賞に出ます……」
眉間にシワを寄せ搾り出すように声を出した。アブクマポーロは自分の夢のために他人を犠牲にできるほどエゴイストになれなかった。
「クソ!今思い出しただけでも腹が立つ!何で告発しなかったんだアブクマポーロ!」
コンサートガールは拳と手のひらを力いっぱいぶつける。その言葉に雲一つない青空を見上げ達観したように答えた。
「私は船橋が好きだし世間に醜態を晒したくない。今思えばリスクを回避したい協会の気持ちもわかる。それに出たかったら募金でもして金を集めれば良かったし、ドバイに勝てばそのトレーナーをクビにすることを世論が許さないことも分かっていたはずだ。たぶん無意識で勝てると思っていなかったし、芝への憧れがあったのかも……」
「そんなわけないだろう……」
お前ほどダートを愛していたウマ娘はいない。それなのに芝に憧れていたなんてあるわけない。
コンサートボーイはアブクマポーロの言葉を否定するように腕を軽く殴った。その思いが伝わったのか優しげに笑った。
「でもフブキのダートへの愛は私以上だ。私が『ダートの哲学者』ならフブキは『ダートの求道者』だ。同じ立場になってもどんな手を使ってもドバイワールドカップに出るだろう」
アブクマポーロは思いを馳せるようにもう一度空を見上げた。セイシンフブキの強さとダートへの愛は本物だ。この情熱がダートの地位を押し上げるという夢を実現させるかもしれない。そしてその走りは己が求めていた疑問の答えを出してくれるような気がしていた。
フブキの夢の実現と無事を
アブクマポーロは空に向けて東京レース場で走る後輩に祈りを捧げた。
またまたすべてオリキャラ!
今回も一応元解説しておきます。
コンサートガールはコンサートボーイです。
アブクマポーロはそのままで、セイシンフブキはトーシンブリザードです。