アグネスデジタルはドレスに袖を通すと、クルクルと周りながらほつれが無いか姿見で確認する。
赤青黄の色を鏤められたワンピースタイプのドレス、GIの前々日記者会見で着るドレスで初めて来た時は派手目で趣味に合わないと思ったが、何度も袖を通すうちに愛着が湧いてきた。
しかしこれを着るのはもう最後だ。使う用途があればパーティーに着るぐらいだが、恐らくそんな用事は無いだろうし、トレーナーとしてこの席に出るとしても着るとしたらスーツだろう。そう思うと一抹の寂しさを覚えていた。
すると係員からそろそろ登壇してくれと指示を受ける。最後にもう一度姿見に映る姿を焼き付けて控室から出て行く。
基本的にGIの前々日会見は近場の会場を貸し切って行われる。だが有マ記念はファン投票で出走ウマ娘が選出されるという特別な形式もさることながら、注目度も他のレースと比べて大きく。色々な意味で特別だ。
その特別に相応しいようにと日本でも有数のイベントホールを使用していた。
中は1階席と2階席に分れ、前方の席には記者やトレーナー等の関係者席となっているが、それ以外は一般開放となり、入場料を払えば誰でも入れるようになっている。そして多くのファン達が足を運び会場は満員で埋め尽くされていた。
『皆さま、長らくお待たせしました。これより有マ記念に出走する14名に登壇してもらいます。なお、今回は特別にファン投票の少ない順で登壇となります』
司会の呼びかけに一般客達が声を上げる。本来であれば獲得ポイントが低い順番から登場するのだが、ファン投票という形式を採用しているので今回は投票数を基準にしていた。
『最初はこのウマ娘です。アルゼンチン共和国杯では久しぶりのGⅡ制覇。ジャパンカップでも掲示板圏内とさらに力をつけてきました。今年で2回目の出走アクティブバイオ選手です』
アナウンサーの紹介と同時に壇上の後ろにある巨大モニターにも紹介VTRが流れ、アクティブバイオが登壇する、壇上に上がった際にファンらしき客から歓声が上がり、応じるように手を上げる。
それから順に選手が登壇していく。グランプリとあって選手も一時休戦とばかり会場の空気を楽しみ、ファン達も推しの晴れ舞台を祝おうと歓声を送り、会場は和やかで華やかな空気に包まれる。
『次はこのウマ娘です。時代を駆け抜けていった異能の勇者の最後はこの舞台です。前走は大敗でしたが、何かを起すと期待せずにはいられません。人気投票第11位、初出走、アグネスデジタル選手』
デジタルは呼びかけに応じて壇上に上がる。会場の観客は天皇賞秋では奇行を見せたので今度はどんな事をするかと期待の目で見えていた。
だがいつも通りの服装で僅かばかり落胆の息が漏れる。一方デジタルは会場の雰囲気を感じることなく、壇上に居るウマ娘達に意識を向けていた。
『次はこのウマ娘です。ダービー2着、菊花賞4着、その実力は世代屈指、名門チームプライオリティが送る第1の刺客、人気投票第8位、ゼンノロブロイ選手です』
ゼンノロブロイが登壇し声援を送るファン達に丁寧に頭を下げる。緑と黄を基調にしたフォーマルドレスを身に纏い、身長が低く童顔だがいつもより大人びた印象を与える。
すれ違いざまデジタルの熱視線に気が付いたのか目配せで挨拶していた。
『次はこのウマ娘です。今年1番のニュースといえばこれでしょう。全治1年の怪我からまさかの復活、その名の通りまさにミラクル。流れは確実に来ています。なるか春秋グランプリ連覇。人気投票第5位、今年で2回目の出走。ヒシミラクル選手です』
ヒシミラクルが登壇し陽気にファンの声援に応える。衣装は白と青を基調にした和服だった。すると手に持っていた袋から何かを取り出し一般のファンがいる席に投げつける。それはヒシミラクルのお守りである。
受け取ったファンは縁起が良いと騒ぎ、そしてデジタルの熱視線に気づき残っていたのか、お守りを投げ手渡すと嬉しさのあまりファンと同じように騒いでいた。
『次はこのウマ娘です。今年の2冠ウマ娘です。菊花賞では3着、ジャパンカップでは4着と勝ち星から遠ざかっていますが、その力は誰もが知っています。ダービー以来の勝利を皆が期待しています。人気投票第3位、初出走ネオユニヴァース選手です』
黒一色に黄色の星を鏤めたドレスを着てネオユニヴァースが登壇する。そして場の空気はひりつく。
普段は何を考えているか分からないが、鷹揚な印象を受けるウマ娘だった。だが今は存在すら吞み込まんという敵意のようなものを体から迸らせていた。
『次はこのウマ娘です。時代の中心は常に彼女でした。早すぎる引退宣言には日本中が驚き悲しみました。皆が有終の美を願います。人気投票第2位、前年度覇者シンボリクリスエス選手です』
緑と黒を基調にスリットが入ったプロムドレスを着たシンボリクリスエスが登壇する。すると歓声と同じく辞めないでくれと嘆きの声が聞こえてくる。突然の引退にまだ受け入れられないファンは少なくない。
そんな感性や嘆きの声に動じることなく威風堂々と歩く。壇上に居るウマ娘は視線を向ける。一方デジタルも視線をシンボリクリスエスに向けていたが、思わず左に居るゼンノロブロイに向ける。
凝視と形容できるほど見つめ、表情が見えないがただならぬ気配を漂わせていた。
『最後はこの選手です。前走では圧巻の圧勝劇でGIウイナーの仲間入り、その先行力は現役随一、稀代の勝負師が去年の忘れ物を取りに行きます。今年で2回目の出走。人気投票第1位タップダンスシチー選手です』
タップダンスシチーが現れると会場はどよめく。来ている衣装はジャパンカップの時とは違い中世の貴族が着るようなドレスに手袋を装着し、インナーで首元を隠していた。そして最も注目を引いたのはサングラスだった。
その奇抜なファッションに今回の奇行枠はタップダンスシチーだと印象づける。その奇異の目線を尻目に周りのウマ娘を見ながら登壇する。
『これより公開枠順ドラフトを実施します。では中田選手とシンザンさんステージにお上がりください』
司会はタップダンスシチーによって作られた妙な雰囲気を払拭するように明るく大きな声で呼びかける。GIであれば出走ウマ娘がくじを選び枠順が決まる。
だが有マ記念ではより盛り上げようと選ぶ順番をくじで決めて指名権が有る者から好きな枠を選んでいく。
これにより最初の者は好きな枠を選べ、後の者も相手の枠を見てから選べるなどより戦略性が高まる。
まずは中田がステージに上がり、会場の人々から大きな拍手で迎えられる。中田はプロ野球選手のピッチャーで、日本の球団在籍時は先発として年間無敗を達成し優勝に貢献するなど数々の実績を残し、アメリカに渡った後も数々の実績を残した名選手である。
日本の誰もが知っていると言われるほど人気と実力を兼ね備えている選手で、また大のトゥインクルレース好きとしても知られ、その縁で呼ばれていた。
そしてもう1人の中年のウマ娘がステージに上がると中田より大きな拍手で迎えられる。2人目の3冠ウマ娘シンザン、さらに天皇賞と有マ記念に勝利した5冠ウマ娘であり、全てのレースで連帯し、歴代最強とも呼び声が高い。その強さに多くの関係者がシンザンを超えろを合言葉に研鑽を重ねていった。
デジタルのトレーナーを始め当時の活躍を見ていた関係者は勿論、リアルタイムで活躍を知らない者も伝聞でその凄さを知り、生で見られた感動で自然に声を上げていた。
『それではシンザンさん、くじを引いてください』
シンザンは視界に促されくじを引くと書かれた名前を呼び、周りに見えるように掲げる。
「ヒシミラクル選手です」
くじの結果に会場がどよめく。枠順が勝敗に大きく左右する重要な枠順決めで、1番先に選べる権利を得たのがヒシミラクルだった。
運は勝つために心技体と同等に重要な要素と提言し、その本人が見事に選ばれた。やはり運の強さは重要ではないかと会場に居る者達は思い始めていた。
『ではどのウマ番を選びますか?』
「2番です」
ヒシミラクルは即答し一般客から声が上がる。有マ記念は内枠有利だというデータがあり、ファンの間でも内枠有利が共通認識になっていた。そして出走するウマ娘が内枠を希望したことで内枠有利が確定事項になっていた。
次に中田が同じようにくじを引き名前を呼びあげる。
「アグネスデジタル選手です」
その瞬間デジタルのトレーナーは小さくガッツポーズする。距離不安があるデジタルとして出来る限り距離ロスしない内枠を希望していた。
ヒシミラクルから貰ったお守りの効果か、理想通りの結果となった。デジタルはトレーナーに目配せし希望枠順を言う。
「1番です」
その後もくじ引きは滞りなく進行する。やはり内枠が人気で選ばれた者は次々と内枠を指定していく。枠順は以下の通りとなる
1枠1番 アグネスデジタル
2枠2番 ヒシミラクル
3枠3番 タップダンスシチー
3枠4番 リンカーン
4枠5番 ゼンノロブロイ
4枠6番 ツルマルボーイ
5枠7番 ウインブレイズ
5枠8番 ダービーレグノ
6枠9番 ネオユニヴァース
6枠10番 チャクラ
7枠11番 ザッツザプレンティ
7枠12番 ファストタテヤマ
8枠13番 アクティブバイオ
8枠14番 シンボリクリスエス
比較的に有力ウマ娘が内枠だが、シンボリクリスエスは最後に選ばれ大外枠の14番となる。その結果にシンボリクリスエスのファンは大いに嘆いていた。
『では質疑応答に移りたいと思います。質問のある方は挙手でお願いします』
質疑応答に移り司会が質問を促すと次々とマスコミ関係者が手を挙げる。
「タップダンスシチー選手、ファン投票1位で当日も1番人気が予想されますが、初めての1番人気が有マ記念となります。心境はいかがですか?」
「前走がフロック扱いされていないかと心配していましたが、ファンの方々は評価してくれて安心しました。1番人気で勝つのが強さの証明でもありますので、きっちり勝ちたいと思います」
1番人気のプレッシャーで潰れてしまうウマ娘も多いが堂々と答える。その姿は好走を予感させる。普通ならそのような感想を抱くはずだが残念ながら普通では無かった。
タップダンスシチーは変声機を使って喋っていた。ファッションに続いての奇行、ウケ狙いなのか別の意図が有るのか?その意図と変化した声のせいで内容が入ってこない。
他のマスコミ関係者が即座に質問するが、答えられませんとあっさり切り捨てられてしまう。
「シンボリクリスエス選手、大外枠と不利な条件になりましたが今の心境は?」
「不利な条件ですが、トレーナーから教わったことを発揮できれば勝てると信じています」
「ヒシミラクル選手、最初に枠を選べましたが、これも実力と言う認識ですか?」
「勿論です。枠の有利不利があるコースで有利な枠に入るのも実力です」
出だしのタップダンスシチーの奇行で困惑するが、そういうもだと割り切り質疑応答は淡々と続いていく。そのなかでデジタルは出走ウマ娘を感じることに集中する。
声量、声のトーン、視線、様々な情報がウマ娘達の心境を教えてくれる。全てを把握することは不可能だが、少しでも情報を収集し想像することは出来る。
幸いにも質問は上位人気が予想されるウマ娘に集中し、答えた質問は1つ2つだったので、そつなく答えた後は情報の収集と想像を楽しんだ。
「それでは最後に各出走ウマ娘の方々に一言頂きたいと思います」
司会の言葉に出走ウマ娘達が喋っていく。ここでも人気順でファン投票の順位が高い者が後に喋っていく。そしてデジタルにマイクが渡される。
「私事ですが有マ記念で引退します。月並みですが悔い残らないように頑張ります」
会場から拍手が送られる。だがそれは形式的なもので、どんな面白い言葉で驚かせてくれると期待していただけに僅かばかり落胆していた。
その中でデジタルのトレーナーは感慨深げに見つめる。
月並みと言ったが、その心境に至るまでにどれほどの葛藤と苦労を味わい、それを実現するためにどのような覚悟と決意を抱いているか知っている。それだけに何としても次善を得て欲しいと願っていた。
マイクはデジタルからゼンノロブロイに渡される。
「私はGI未勝利でシニア級のウマ娘と走るのは初めてです。本来なら大言を口に出せる立場ではありませんが、敢えて言わせてもらいます。レースの未来は私が守ります」
その言葉に会場は大きくどよめく。その気質からして大言を口出すタイプではないと思っていただけに、この力強い宣言は完全に不意打ちだった。何よりその雰囲気に驚かされた。
身に纏う感情は憎悪だった。そして向けるのはシンボリクリスエス、喋っている間はずっと視線を向けていたのが何よりの証だ。
怒りとは無縁のウマ娘が隠すことなく向けその相手がチームメイト、これは何かが起こるかもしれない。会場の注目は一気に向けられる。
ゼンノロブロイは怒りを治めると、柔和な表情を見せながらマイクをネオユニヴァースに渡す。
「タイトル宇宙。
ハローハロー聞こえますか?
私は投げる。パリンパリンと砕けていくけど止まっちゃう。
私は鳴らす。ドンドコドンドコと叩くけどけど消えてしまう。
君は見えないの?貴方は聞こえないの?どうすれば伝わるの?
私は冒険に出た。魔法のマスターキー、全てを貫く槍、何でも斬れる刀、そんなものはどこにもない。
すると妖精が語り掛ける。持っているそれを使えばいいじゃない。
手元にあるのは古ぼけた無線機、
私は冒険に出る。探すのは部品、一杯集めて一杯改造して大きくする。
ハローハロー聞こえますか?」
会場は一瞬の静寂に包まれる。それは反応に窮したことが原因だった。
──これは詩だろうか?
会見でビッグマウスやトラッシュトークを仕掛けるウマ娘も居るが、詩を朗読したウマ娘は初めてだった。不思議な感性の持ち主だと思っていたが、ここまでとは思ってもみなかった。それはネオユニヴァースのファンも同様だった
そして詩の内容が読み取れない。何かを伝えたいのだろうか?タイトルからして宇宙を伝えたいのか?推測は出来るが真意は誰にも理解できなかった。
そしてマイクはヒシミラクルの手に渡される。
「まずはこの場を使ってタップダンスシチーにありがとうと言っておきます。京都大賞典で運を奪われました。だがそれは骨折した骨が丈夫になるように、私の運をさらに強くした。そして有マ記念では奪われた運を取り返し、他のウマ娘から運を貰います。そして証明します。心技体と運を加えた強さが世界にも通用することを」
運は奪い奪われ出来る物だろうか?会場に居る者が真っ先に浮かんだ疑問だった。だが余りにも自信満々に既成事実のように喋るさまに疑問はすぐに消えていた。それ程までに言葉に力が有った。
そして世界という言葉、ヒシミラクル理論は世界には認知されていないどころか、冷ややかな目で見られるだろう。
だがどのような勝利でも全て実力であると一切の負い目もなく語り、世界の鼻を明かす光景を見たいという願望が沸々と湧き始めていた。
そしてマイクはシンボリクリスエスに渡される。
「今回の有マ記念は引退レースとなります。そして今年も素晴らしいメンバーが集まりました。今まで培った全てを余すことなく出し尽くし、トレーナーに師事を受けたウマ娘として相応しい走りをして有終の美を飾りたいと思います」
驕らず高ぶらず淡々と心境を語る。有マ記念ではトレーナーが理想とする走りを実現する。そして出来る限り差をつけて勝利する。
これは決して優しくはない課題だ、しかし雇用主に最大限の利益を与える。それがプロフェッショナルである。
最後にタップダンスシチーにマイクが渡される。
「えっと、さっきヒシミラクルから礼を言われたが、こっちこそ礼を言いたい。京都大賞典で勝ったことで運を奪えた。ジャパンカップは運に恵まれたとも言われているが、奪った運によって作られた有利だろうな。さらに今まで以上に運を蓄えて参戦してくれた。これで勝てばさらに運を奪えて強くなれる。至り尽くせりだ、京都大賞典の二の舞にしてやるよ」
タップダンスシチーは今までとは一転し、くだけた口調で挑発的な笑みをヒシミラクルに見せながら語る。宝塚記念の敗北によってヒシミラクル理論を体感できた。だからこそ運の重要性に気づき前哨戦で京都大賞典を選び、運を奪うつもりで走った。
そして嫌なイメージを残すような勝ち方をしておいた。僅かでも思い出してくれれば儲けものだ。
「そしてシンボリクリスエス、アタシとの直接対決は1勝1敗、だが着差で考えれば9バ身差ぐらいついている。有マ記念は最低でも9バ身差以上つけて勝てないと世間は上だと認めない。天下のチームプライオリティのエースが、そこそこ程度のトレーナーに育てられたウマ娘に負けたとあっちゃ顔向けできねえな」
そしてシンボリクリスエスの方を向くと挑発的な声色で煽る。どれだけ着差がつこうが勝利の価値は変わらない。それは重々承知の上で敢えて喋る。
条件戦ならともかくGIで大差をつけようと走れば無茶が生じ隙となる。
相手はバカではない。大差をつけようとは思わないだろう。しかしほんの僅かでも差をつけようと思ってくれれば充分だ。その為にトレーナーを出しに使う。
本人の名誉については無頓着だが、トレーナーに対する名誉に対してはやけに敏感で気にしているのは今までの言動やインタビューで把握している。このレースはウマ娘同士の優劣ではなく、トレーナーの優劣をつけるレースと印象付けさせる。
「アタシはジャパンカップを経て1段階上のステージに上がった。走りにキレが増してるのはどの陣営も分かってるよな。ハイペースならすり潰す。スローペースなら切り捨てる。レースを作るのはアタシだ」
観客の歓声と同時にこの日1番のシャッター音とフラッシュがタップダンスシチーに浴びせられる。その光に僅かに目を細めながら、壇上に居るウマ娘と最前列に居る各陣営に視線を向ける
また協会の人間に小言を言われるだろうが構わない。たとえ無意味だろうが出来る限りの仕掛けは施し勝利を目指す。それが勝負だ。
『以上で前々日会見は終了いたします。各ウマ娘の健闘を祝して盛大な拍手でお見送りください』
司会の声とともに万雷の拍手が各ウマ娘に送られ、それに応じるように各ウマ娘達が客席に手を振るなど反応を示しながら退場する。
そして会場ではウマ娘達が退場しても騒めきが収まらない。この騒めきは期待感によるものだった。決してお行儀が良いと言える会見では無かった。だがエキサイティングで其々の考えがぶつかり合い、大いに高揚させる。
「う~ん、素敵すぎる会見でした!」
デジタルは控室に向かう道すがらトレーナーには勢いよく話しかける。先程の記者会見は各ウマ娘から濃厚な感情が迸っていた。それはある意味極上のエンターテインメントであり、素晴らしい映画を見た後のように誰かと語り合いたかった。
「そうやな、中々面白かった」
「でしょ!まずヒシミラクルちゃんの世界取り宣言、あの素晴らしさが世界中に知れ渡るんだよ!ワクワクが止まらない!」
「ヒシミラクル理論がどこまで通用するかは正直見てみたい気持ちはある。あのメンタリティのウマ娘は世界中探してもそうそうおらんやろ」
ヒシミラクルは今日の抽選で最初に選ばれ有利な枠に入った。他のウマ娘であれば偶然で片づけられる。だがヒシミラクルに限っては偶然片付けられなくなっていた。
自分に有利な状況を作り上げる。これは実力と認めざるをえない。そしてこれだけ終わるとも思えず、本番はさらに有利になっていくだろう。
今までのトレーナー人生で理解を超えるウマ娘は何人か見てきた。自分の常識や理屈に収まらない思考を持ち、信じられない力を発揮するウマ娘達、そのカテゴリーの中にヒシミラクルは入っていた。
強いウマ娘ならシンボリクリスエスやタップダンスシチーを挙げるが、怖いウマ娘ならヒシミラクルの名を挙げる。そして勝負するなら強いより、怖いの方が個人的に相手はしたくない。
「そしてネオユニヴァースちゃんのポエム!家に帰ったらネット巡回して意味を考察しないと!白ちゃん意味分かった?」
「いや、分からん」
「トレーナー試験受かったんでしょ?分かってよ」
「試験に読解問題はない」
「トレーナー試験も変えた方が良いかもね。でないとレースに関することしか知らない頭でっかちなトレーナーばかりになっちゃうよ」
デジタルは芝居がかった動作で肩を竦める。これでは今後ネオユニヴァースのような素敵なウマ娘が現れてもトレーナーと意思疎通が取れなくて可哀そうな想いをしてしまう。
だが今の自分もトレーナーと同じだ、せめて理解しようと努力しなければと詩の内容を思い出し考察する。
タイトルと内容からして宇宙を伝えたいのに伝わらない苦悩を表現したのだろう。そして誰かにアドバイスをもらって実行しようとしている。そのアドバイスが上手く作用し宇宙が伝われば嬉しい限りであり、自分も宝塚記念以上に味わってみたい。
「それでタップダンスシチーちゃんの格好も驚いたよね。あんなドレスを着るタイプじゃなかったし、変声機を使ったのも驚いた。そしてサングラスを着けたせいでミスマッチ感が凄かった。言いたくないけどセンスがよろしくないというか……」
「あれはそんなこと一切考えてないぞ。全ては勝つための行動や」
「どういうこと?」
デジタルは僅かに目を剥く。自分には理解できないのにトレーナーには理解できている。その事実が妙な悔しさを抱かせる。
「まずあのドレスは勝負服と同じ、いや強化版やな。身体のラインを隠しながら極度に肌の露出を抑える。肌つやで調子を悟られるのを防ぐ為やろ。変声機も同じや」
トレーナーは会見の光景を思い出し思わず笑みを浮かべる。まさか声まで隠そうとするとは思っていなかった。本当に徹底している。
大半の人間は気にせず判別することもできない。それでも万が一を考えて備える。勝つために考えることを全て実行する。そのメンタリティは実にトレーナーが好みだった。
「あとシンボリクリスエスちゃんは良い意味で変わらなかったね。引退レースなのにそれって凄くない?そして何より驚いたのはゼンノロブロイちゃん。何であんな怒ってるの?前話した時はシンボリクリスエスちゃんを慕ってたのに。それに未来を守るってどういう意味だろう?」
デジタルは顎に手を当てながら悩まし気な声を出し、トレーナーも同じように顎に手を当てて考える。
公の場であそこまで感情をむき出しにするとは余程のことだ。そして未来を守るという言葉、これはシンボリクリスエスがレースの未来を脅かし、それを守ろうという意味だろう。
「まあ色々有るけど、それは帰ってから考えるとしますか、ウマ娘ちゃん達の心境や関係性を推理する。これこそがレース前の醍醐味だよね」
「ある意味そうかもな。俺もトレーナーになる前はレースの展開や着順予想するのが楽しみやったし、今も関係ないレースでやっとるしな」
「無粋~って言いたいところだけど、楽しみ方は人それぞれだし。あとは……」
それからもデジタルは記者会見のウマ娘達の様子や想像した心境を語り続ける。トレーナーは話を聞きながら別の思考をする。
デジタルは本番までレースについて考えず、ウマ娘達について思いを馳せていればいい。レースについて考えるのは自分の役目だ。
今までの情報は勿論今日の記者会見の様子を加味して考える。デジタルがゼロコンマ1秒でもウマ娘を感じられるように、その表情は勝負師のものになっていた。
有マ記念まで残り2日