2月某日金曜日。この日は雲一つない青空が広がっていた。2月になると東京レース場でレースが開催され、土日にはレースを見に客が訪れる。しかし平日はレース場に入場できない。だが今日は特別なイベントを開催され、多くの人々が東京レース場に訪れていた。
それはアグネスデジタル引退式である。
中央ウマ娘協会は一定の成績を挙げた選手に対して、引退式を開催する。シンボリルドルフ等数々の名選手の引退式が実施され、最近ではシンボリクリスエスの引退式が実施された。
ある若者男性がパドックの柵の前でカメラを構えながら、固唾を飲んで待つ。彼はデジタルのファンで国内のレースであれば出走する全てのレース場に足を運び、常にパドックでの姿を撮ってきた。
そして今日が勝負服を着てパドックに現れる最後の機会である。ファンとして是非とも写真を撮りたいと、引退式の前々日から並んでいた。
流石に早すぎると思ったが、念には念をと並んでいたが正解だった。もし見通しが甘ければこうして最前列を確保できなかっただろう。
『皆さま、これよりアグネスデジタルさんのパドックを開始します』
場内アナウンスが流れると人々の意識はパドックに向けられ、最後の雄姿を眼に焼き付けようとスマホやカメラを構える。そしてデジタルが姿を現した。
若者もカメラを構え写真を撮り続ける。引退してから運動量と食事量のバランスが取れず、太ってしまうウマ娘が居るが、その姿は有マ記念の時と全く変わってなかった。周りのファンもそれに気づいたのか、所々で感嘆の息が漏れていた。
暫くするとデジタルはパドックでのお披露目を終わらせ、地下バ道に入っていく。観客達もそれに連動するように一斉にスタンドに向かって行った。
『レース場の皆さまお待たせ致しました。これよりアグネスデジタル選手の引退式を行います』
此処に来た人々達は皆デジタルに心惹かれた者達だ、今まで楽しませてくれたお礼として盛大に見送ろうと、大きな拍手と歓声を上げて出迎える。
『最初にエキビションレースを行いますが、このレースの為に様々な方が来てくれましたので、ここで紹介致します。最初はこのウマ娘です。スペシャルウィークさん』
ターフビジョンにスペシャルウィークの紹介VTRが流れ、地下バ道から現役時代の勝負服を着たスペシャルウィークが現れ芝コースに立つ。スペシャルウィークは懐かしさと場違い感を抱きながら過去を振り返る。
デジタルと交流を持つようになったのはドバイ遠征で一緒になったのが切っ掛けだった。それ以降も交流を深め、引退後実家の北海道に帰った後も定期的に連絡を取っていた。そしてエキビションレースで走ってくれと依頼を受け、こうして今日此処に来ていた。
観客達はどよめきの声をあげる。スペシャルウィークは引退してから人前に姿を現さなかった。只でさえ珍しいのに、現役時の勝負服を着ている。思わぬサプライズにファン達は喜び、その姿を写真に収めていく。
『続いてはこのウマ娘です。テイエムオペラオーさん』
オペラオーは歓声に酔いしれる様に声援に応えながら入場し、スペシャルウィークの横に立つ。女優として活躍しているので、比較的に表舞台に上がる事は多い。
だがレース関係で出る事は無く。勝負服を着た姿を見るのは引退式以来で、その珍しい姿に観客達は写真を撮っていく。
『続きましてはこのウマ娘です。メイショウドトウさん』
ドトウはオペラオーと対照的に恥ずかしそうに猫背気味で入場してくる。観客達もオペラオーが出てきたのである程度は予想していたが、実際に出てきて姿を見て思わず歓声を上げる。
スペシャルウィーク達は黄金世代と呼ばれるほど人気で、トゥインクルレース関連の仕事をしているグラスワンダーやエルコンドルパサーとの絡みで、雑誌のインタビューに姿を見せる事はあるが、ドトウは引っ込み思案なせいかインタビューなどでも姿を現さず、多くのファンは何をしているかすら把握していなかった。
そんなドトウが表舞台に姿を現し、勝負服を着てオペラオーの横に立っている。その光景にかつての激闘が蘇り、一際歓声が大きくなった。
『続きましてはこのウマ娘です。エイシンプレストンさん』
プレストンも現役時代の勝負服を着て入場してくる。歓声は上がるが、驚きの度合いは少なかった。
デジタルとプレストンが親友なのは世間に周知されている。親友の引退式に出ないわけが無いと、ある意味予想通りだった。
『続きましてはこのウマ娘です。タップダンスシチー選手』
タップダンスシチーはコースに姿を現すとプレストンの隣に立ち言葉を交わす。タップダンスシチーとは同期でルームメイトである事はデジタルのSNSで発信されていて、姿を見た後では納得の人選だった。
引退組が連続で登場したので、このまま全て引退組かと思わせて現役の選手が出てきた。ファン達は次も現役選手が出てくるのかと予想する。
そしてファン達の予想通り、ヒシミラクル、ネオユニヴァース、ゼンノロブロイが登場してきた。この4人の共通点は宝塚記念、または有マ記念を一緒に走ったウマ娘で関連性を見出すのは容易かった。
『続きましてはこのウマ娘です。アドマイヤマックス選手』
アドマイヤマックスが登場すると、レース場の熱が僅かに下がる。今まで登場してきたウマ娘はゼンノロブロイ以外全てGIに勝利している。ゼンノロブロイもダービー2着、有マ記念3着と王道路線で好成績を挙げたウマ娘だ。
一方アドマイヤマックスはGI未勝利で、安田記念2着だが王道路線と比べるとどうしても評価が低く、それ以降の成績もパッとしない。つまり格が低いと思われていた。その空気を感じたのか、余所余所しかった。
『続きましてはこのウマ娘です。メイショウボーラー選手』
メイショウボーラーは緊張した面持ちで入場し、アドマイヤマックスが気を遣って声をかける。
同じチームのウマ娘であれば縁が深く選ばれても不思議ではない。しかしクラシック級のウマ娘が出てくるとは予想していなかった。
『そして、最後はもちろんこのウマ娘です。盛大な拍手でお迎えください!アグネスデジタル!』
デジタルは地下バ道から姿を現すと、この日一番の歓声が沸き起こる。
一方デジタルはスタンドの観客達に視線を向ける。引退式を見る為にこんなにも人が集まったのか、案外人気有るんだと他人事のように思っていた。
アメリカに居た時は勿論、トレセン学園に来てからも多くのウマ娘の引退式を見てきた。それがする側に立つとは夢に思っていなく、感慨にふけっていた。
コースに入ると整列しているウマ娘に声をかける。今日来たウマ娘達はデジタルと親交が有る者、または印象に残り、引退式で一緒に走れたら嬉しいなと誘っていた。
皆忙しい中、時間を割いてきてくれた。此処にいるウマ娘達は時期や路線が異なり、本来は一堂に会することは無かった。だがこうして一緒に走れる。引退するにあたって最高の贈り物だった。
出走ウマ娘の顔見せが終わると、其々がゲートに移動し入っていく。このレースはトゥインクルレースの花形、距離2400メートルで行われる。
『レースがスタートしました』
スタートして皆はデジタルを囲むようにして走る。レースと言ってもデジタルの思い出作りの一環なので真剣勝負ではなく、全力の半分以下程度で走る。故にジョギングをするように長閑な雰囲気に包まれていた。
「スぺちゃん、今日は北海道から態々来てくれてありがとうね」
「デジタルの引退式だから来るよ。それと久しぶりに勝負服着たけど、変なところない?」
「大丈夫。現役時代そのままだよ」
「よかった~。何もしなきゃ弥生賞の時以上にパンパンだから、必死に絞ったんだよ」
デジタルはスペシャルウィークの傍に寄り和やかに会話する。2人が同じレースで走ったことはなかった。天皇賞秋で走れる可能性があったが、お互い縁がなく交わることは無かった。
もしデジタルがダートプライドを走らなければ、何らかのレースで走れた可能性があった。だがダートプライドを選び、その後は長期休養となりその間にスペシャルウィークは引退した。極端な事を言えばデジタルが選ばなかったといえる。
ダートプライドを選んだのは後悔しない。だがスペシャルウィークと走れなかった後悔は確実に残り、もし同じレースで走ったらどんな感じだったのだろうと、時々想像していた。
理想は真剣勝負のスペシャルウィークを感じたい。だが自分の為に来てくれて、勝負服を着て同じコースを走っている。それだけで充分すぎる。心の中の未練は消えないが限りなく小さくなっていた。
「2人とも相変わらず、素敵だね」
「それはそうさ、引退しても魅力は失われない。勝負服を着てターフを走ればボクが主役さ」
「そうですか~?現役時代の時より体重が増えてますし、だらしない体でとても皆さんに見せられる姿じゃないです~」
オペラオーは胸を張りながら、ドトウは背中を丸めながら走る。その様子を見てデジタルは笑みをこぼす。
「今日は天皇賞秋のように外に向かわなくていい」
「お……思う存分感じてください」
2人はデジタルを挟み込むように近づき、お互いの二の腕をデジタルの二の腕に接触させる。するとデジタルは『ありがたき幸せ~』と奇声をあげ、周りのウマ娘達は苦笑したり、若干引いたりと其々の反応を見せる。
2人と走った最初で最後のレースが天皇賞秋だった。2人を感じる為に内に進路を取るか、勝つ為に外に進路を取るかという2択に迫られ、外に進路を取った。
結果的に勝利し副産物としてトリップ走法を編み出し、この走法が様々なウマ娘を感じる手助けをしてくれた。
トリップ走法が無ければここまで幸せな現役生活を送れなかったかもしれない。それでもあの時の選択に対する後悔の念は完全に拭い去れなかった。
そして2人は想いを汲み取り、より感じられるようにと近づいてくれた。スペシャルウィークと同じで、本来感じたいのは真剣勝負の2人だ。だが心遣いだけでお釣りがくる。
「存分に楽しんでるようね」
1コーナーを過ぎたあたりでデジタルの右斜め前に居たプレストンが振り向いて話しかけ、デジタルは自然に笑みをこぼす。
トレセン学園に入学して最も良かった出来事を挙げるとしたら、プレストンと友人になれた事だ。
そしてプレストンには様々なものを貰った。人の付き合い方、自己分析して無理な目標を立てず、実現可能な目標達成に向けて行動する大切さ、その卓越した身体操作能力による美しい走行フォームとその養い方、それらはデジタルの今後の人生に豊かさを与え、トレーナーになれたとしたら、理想のウマ娘像の1つとして指導の指針になるほど影響を与えられていた。
「最高~!」
「それはようござんした。流石にかきつばた記念の時みたいなワガママボディじゃないみたい」
「当然でしょ!皆が来てるのにだらしない体を見せるわけにいきませんからね!」
「すみません。だらしない体で……」
「あ~違う。アタシはダメでも他のウマ娘ちゃんはいいの。ふくよかなドトウちゃんも新たな一面が見られて素敵というか」
「デブですみません~」
「プレちゃんのせいでドトウちゃんへこんじゃったじゃん」
「アタシに責任転嫁するな」
デジタルとプレストンが気の置けないやり取りをしている様子を他のウマ娘達は見つめる。皆多かれ少なかれデジタルと関係を持つ者達だ、それでも2人の間には特別絆が有るのを感じ取っていた。
「その勝負服も久しぶりだね」
「香港での引退式以来かな」
「香港か、もし……」
その先の言葉はプレストンの手によって制される。デジタルは長期療養しなければ二度目のクイーンエリザベスⅡ世カップで走れたのにと言おうとしていた。仕方がないと何度言い聞かせても、ほんの僅かに割り切れないモノがあり、それが表面化していた。
「過去は取り戻せない。どうせ過去を振り返るなら楽しかった過去を振り返りましょう。あの時は楽しかった」
「本当、やっぱり香港のプレちゃんは最高だよ。色々有ったけど楽しかった」
「何より勝ったしね。デジタルとの通算成績は3勝2敗、アタシが唯一勝ち越してるし」
「プレちゃん算数できる?タップダンスシチーちゃんもヒシミラクルちゃんもゼンノロブロイちゃんもネオユニヴァースちゃんも勝ち越してるよ」
「宝塚記念は適正外で衰えがきてた。有マ記念は言わずもかな。つまり参考記録。全盛期で適性内のレースで勝ったのはアタシだけ」
プレストンは周囲にアピールするように言い、デジタルは思わず目を丸くする。
確かにプレストンはライバルだと思っている。だがここまで屁理屈こねて勝ち越しをアピールするとは思っていなかった。長い付き合いだがここまで子供っぽいところが有るとは思わなかった。
デジタルは妙に熱くなっているプレストンをドトウとオペラオーに任せ、左前に居たタップダンスシチーの横に並ぶ。
如何に自分に有利な状況を作るという勝負力、それは勝負に勝つ為に全力で行動するというタップダンスシチーを象徴する力だ、そしてそれはデジタルに最も遠い力ともいえる。
2人はある意味正反対だ、それでも勝利向けて真摯に誠実に行動する姿は尊敬し、影響を与えた。
ウマ娘の多くは自分ではなくタップダンスシチー側だ、その思考を学び将来トレーナーになった際には、その勝負力で教え子の夢を叶えさせてあげたい。
「今日は来てくれてありがとう。正直忙しいって来てくれないかと思ってたよ」
「ドバイシーマクラシックまであと約2カ月もあるんだぞ。流石にそこまで心狭くねえよ」
「しかし次走は大阪杯じゃなくてドバイシーマを選んだのは意外だった」
「今一度鍛え直さねえとな。夜中にイタ電かけまくって睡眠妨害してきたり、何気なく渡した水に下剤とか仕込んだりと勝つ為に色々やってくるんだろ。そんなアウェーで勝ってこそ強くなれる」
「されないよ。そんな事」
「しねえの?だってアウェーだぜ」
タップダンスシチーはこれ以上ない程目を見開く。その様子を見てデジタルは苦笑する。一体どこの世界と勘違いしているのだか、
しかしそこまでされるのを想定するウマ娘も居ないだろう。自分に有利な状況を作るのに長けているという事は、自分が不利な状況に陥らないようにするのに長けていると言える。
アウェーで走るというのは想像以上に厳しい。盛岡で疑似的なアウェーの洗礼をうけたからこそ分かる。ある意味最も遠征に強いウマ娘なのかもしれない。
「一緒に過ごして、同じレースを走って結構楽しかった。特に有マ記念での作戦を見破れたのは良い思い出だ」
「アタシも、あの作戦は見破られないと思ってたけど、さすがだね」
デジタルは嬉しそうに語る。後で聞いたがタップダンスシチーは自分達の作戦を見破っていた。常識外れの作戦で誰も分からないと密かに自負していた。
そして作戦を見破るというのは力だけではなく、心理状況まで分からなければならない。つまりタップダンスシチーは深いところで自分を理解してくれたとも考えられる。ある意味自分の存在が刻まれた事でも有り、嬉しい限りだ。
「改めてお礼を言うね。有マ記念で目的を達成できたのもお守りのお陰だよ。そしてゴメンね。運を分けてもらわなければ、勝てたかも」
一団は第2コーナーに入り、デジタルは後ろに下がり、ヒシミラクルに声をかける。
彼女はレース感に大きな影響を与えたウマ娘だ、今まで軽視しがちだった運の要素の大切さを教えてくれた。
有マ記念は幸運が無ければ決して目的を達成できなかった。それは自分の運で掴み取ったと考えられる程、割り切っていない。それよりヒシミラクルに分け与えられた運によると考えた方がエモい。
そしてもしそうだとしたら、本来持っていた運を貰ってしまった事になる。そう思うと心が痛む。
「それはアグネスデジタルさんの運でもたらした結果です。そして私は自分の運でアシストとして利用できた。あとの不運は全て自分の責任です」
ヒシミラクルは負い目を感じさせないようにきっぱりと言う。
確かにデジタルを利用した瞬間に運をもらった。仮に与えた分がマイナスだとしても貰った分で差し引きプラスだ。それでもダメだったのであればどうしようもない。
「有マ記念に勝ったら世界って言ってたけど、どうするの?」
「とりあえず春シニア3冠に挑んで、勝って運を蓄えます」
「運を蓄えるか、素敵な表現だね」
普通であれば勝利を通して自信をつけると言いそうだが、運を蓄えると言った。実にヒシミラクルらしい表現だ。
「ヒシミラクルちゃんの運の強さが世界に通用するか、楽しみにしてるから」
「アグネスデジタルさんに貰った運は無駄にしません。運の力で必ず世界を取ってみせます」
ヒシミラクルは快活に笑い、その笑顔にデジタルは胸が昂揚感で胸が高鳴る。
デジタルは非公式ながらダートで世界一になった。競った相手は特別な何かを持っていた。それは先天的な能力と環境という運の要素で授けられた力を才能と呼ぶとするならば、ヒシミラクルは運を持っていても才能はないと分析していた。
恐らくヒシミラクルもそれは承知だ、だが己の運によって出会ったトレーナーやチームメイトや関係者が才能を呼び起こし授けてくれると信じている。その一途さは自分をときめかせ、才能を授ける要因の一つになれたらいいなと思わせる程だった。
「アグネスデジタル、お疲れ様」
「うわ!ネオユニヴァースちゃん!?」
するとネオユニヴァースがいつの間にデジタルの真横につけていた。全く動きが見えず虚を突かれていた。
デジタルはネオユニヴァースに気づかれないように覗き見る。現役で最も不思議なウマ娘だった。
ウマ娘を感じる為に走るという感覚は世間からは理解されにくく、不思議ちゃん扱いされる事もあるが、ネオユニヴァースを見ると自分は世間からこのように見られているとよく分かる。
宇宙を伝えるために走るそうだが、その宇宙を未だに何となくでしか感じられない。
「凄い今更だけど、ネオユニヴァースちゃんが伝えたい宇宙って何?」
この際だから本人に直接訊いてみようと気軽に尋ねたが少しだけ後悔する。ネオユニヴァースは非常に困った顔をしていた。
己の内に確かに存在しているのにそれが何かと説明できない。非常にもどかしいだろう。そしてネオユニヴァースがやろうとしている行為の困難さを改めて理解する。
自分の目的だったウマ娘を感じる為に走るという行為は自分が感じれば満足できる。だがネオユニヴァースは他者が宇宙を感じる事で満足できる。感じるのと感じさせるのでは大きな隔たりが有り、後者の方が遥かに難しい。
彼女が成し遂げたい事はある意味無敗の3冠ウマ娘やGI最多勝ウマ娘になるより難しい。さらに言えば誰からもその偉業の価値を理解されない。
「正直何もできないかもしれないけど、手伝える事は何でもするから気軽に言ってね」
「大丈夫、宇宙を伝える為には他者に溶け込み共鳴させる必要があると教わった。それだけで充分、あとは私の番」
ネオユニヴァースは力強く返事する。有マ記念のデジタルによって大きなヒントを貰った。あとは自分で試行錯誤して目的を達成する。
そしてデジタルは満足げな表情を浮かべる。何か手伝った覚えはないが、自分の行動がネオユニヴァースに影響を与え、目的達成の手助けになったようだ。それが何よりも嬉しい。
彼女が歩む道は険しく孤独だ。それでも宇宙を見せたいという熱意が障害を乗り越え孤独に耐える。そしてレースを走るウマ娘と観客に宇宙を見せてくれると信じている。何より自分が宇宙を感じたい。
「アグネスデジタルさん、今までお疲れさまでした」
「ありがとうゼンノロブロイちゃん」
するとゼンノロブロイがデジタルの横に着け声をかける。その表情は有マ記念の時とは違い穏やかだ。
「シンボリクリスエスちゃんと仲直り出来たみたいだね」
「はい。有マ記念の時に本音をぶつけたら、シンボリクリスエスさんを理解出来て、私が思うような人じゃなかったと分かりました」
「そうなんだ。ところでシンボリクリスエスちゃんは元気にしてる?」
「元気にしてます。スタッフの一員としてトレーナーの手伝いをして、チームの皆と併走して指導したりしてます。実力は相変わらずなので学ぶべき点が多いです」
「一応誘ったんだけどな。トレーナーの為にやる事が多いから忙しいんでしょ」
ゼンノロブロイはデジタルの言葉に視線を逸らす。確かに忙しいがこの引退式に参加できない程忙しいわけではない。誘われたのは知っているので、来ないかと提案したが拒否された。理由はデジタルが嫌いだから。
天皇賞秋でも有マ記念でも結果的に邪魔されて、印象が最悪であると本人の口から語られた。その時の様子は珍しく素の感情が出ていた。余程嫌いなのだろう。これを伝えれば卒倒してしまうと判断し黙っていた。
「次走は日経賞だっけ?」
「はい、そこから天皇賞春と宝塚記念を予定してます」
「どんな英雄譚を紡いでくれるか楽しみだよ。物語を彩る個性豊かな登場人物は一杯いるからね」
ゼンノロブロイはデジタルの言葉を聞き今後について考える。タップダンスシチー、ヒシミラクル、ネオユニヴァース、他にも同じ路線には強く個性豊かなウマ娘が多く居る。
どれもが物語の主役になれるウマ娘達ばかりだ。その者達を倒さなければ英雄になれない。改めて困難さを実感する。
「ところで、これからはシンボリクリスエスちゃんの走りを目指すの?」
デジタルは複雑そうな顔で問いかける。以前からシンボリクリスエスを尊敬しているのは知っていた。有マ記念前は何かしらが有り関係は険悪になっていたが、今では元の鞘に収まったようだ。
だとすれば有マ記念で見せた全てのウマ娘の煌めきを消すような走りをするかもしれない。個人的にはあの走りはしてもらいたくなかった。
「はい、シンボリクリスエスさんがプロであったと誇ってもらうために、あの走りを習得します」
ゼンノロブロイは決断的な意志を込めて返事する。デジタルが見せた有マ記念での走り、他者に力を与えるその姿は英雄であり、同じように走りたいと思った。
それでもシンボリクリスエスのプロとしてデジタルの恩恵を拒絶した誇り高さに惹かれ、いずれ実現してくれると信じた走りを再現させてあげたい。
デジタルはその表情を見て諦める。有マ記念での自分の走りを出来る者が居れば、レースはより自分好みの素晴らしいものになる。そして走りを継承してくれれば自分が刻まれ嬉しい。その相手がゼンノロブロイであればと期待していた。
もしシンボリクリスエスの走りが再現されたら、レースは自分好みではなくなる。だが尊敬する先輩の走りを実現したゼンノロブロイの姿は尊くある種の煌めきを見せるだろう。それを感じるのも一興だ。
「そっか、ちょっと複雑だけど、再現できるようになることを遠くから見てるよ」
「ありがとうございます」
ゼンノロブロイは思わず口角が上がってしまう。デジタルの表情に感情がありありと見えていた。感情を隠せないのは子供っぽいかもしれないが、嫌いではない。
「前走は惜しかったね」
デジタルはアドマイヤマックスに近づき声をかける。彼女はある意味最も近い存在だった。
デジタルのトリップ走法、それはどんな名選手でも出来ない唯一無二の走りだった。しかしアドマイヤマックスはデジタルに対する執着からトリップ走法を独学で実現させた。過程は違えど同じ走りを実現できたウマ娘として親近感を抱いていた。
そして同じ境地に辿り着いたからこそ、イメージのウマ娘を感じる事に囚われるという選択は幸せになれないと気づき、間違っていると教えてくれた恩人でも有る。
「デュランダルの素晴らしい煌めきを見せてくれました。それをもっと感じたかった」
「あ~分かる。悔しいよね」
アドマイヤマックスは悔しさを滲ませながら呟くと、デジタルも大きく首を縦に振って同意する。
レースで煌めていたウマ娘を感じられなかった無力感と悔しさは堪らない。特にダートプライド以降は勝利よりウマ娘を感じる事を重要視していたので、その無力感と悔しさはさらに増していた。
「けど、私にはトレーナーとチームの皆とアドマイヤの皆が居ます。必ずあの娘に食らいついてもっと煌めきを感じて、レースに勝てるようになります」
アドマイヤマックスは晴れやかな表情で語る。一時期はデジタルに心酔し全てを失いかけたが今では新しい目標を見つけ充実した日々を送っていた。
「アドマイヤマックスちゃんなら必ず出来るよ。一緒に走ったアタシが保証する」
デジタルは励ますように力強く語る。脳裏には安田記念の時の記憶が蘇る。トリップ走法を使ったアドマイヤマックスは本当に強かった。
あの時は慈悲の心という新たな力によって辛うじて先着できた。手前味噌だがあの時は衰えておらず、全盛期と変わらない強さが有った。
その自分と僅差であれば潜在能力を発揮できればどんな相手でも離されず感じられる。
「それはどうですかね。トリップ走法は出来ませんし、するつもりはないですから」
アドマイヤマックスの表情に影が差す。言葉通りトリップ走法は出来なくなっていた。習得する過程で多くの人を傷つけ失望させた。トリップ走法は消し去りたい過去であり汚点であった。
「技に善悪は無いって言葉知ってる?」
「機械に善悪は無く、有るとすれば使う人間の心次第って言葉は知ってますが」
「うん、それと同じ。デュランダルちゃんや素敵で強いウマ娘ちゃんを感じる為にトリップ走法が必要なときが来るかもしれない。嫌な思い出が有るかもしれないけど、全部封印しなくてもいいんじゃないかな。またはトリップ走法の力を少しだけ使うとか」
デジタルは必死に説得する。トリップ走法について良いイメージを持っていないのは先程の反応や、周りの話を聞いて理解している。
だがトリップ走法は力を与える。それを使わずにレースに負けウマ娘を感じられなければ後悔を抱えてしまう。それは一生の傷になるかもしれない。
「というより、トリップ走法は今のところアタシとアドマイヤマックスちゃんだけが出来た走りで、2人の繋がりというか。お互い過程は違っても苦労して編み出した走りだから、否定してほしくない」
相手を想う気持ちはあるが、今の言葉がデジタルの本心だった。そしてもしトリップ走法を使った時のイメージに自分が居たらこれ以上の幸せはない。
「でも、私は才能がないから多くの労力をかけないと出来ませんし、そのせいで皆との関係を断ちたくないですし……」
「だったら、アタシが短い練習時間で出来るような方法を考える。これからは暇だからいくらでも時間あるし調べられる」
「ですが」
「何の話してるんですか?」
するとメイショウボーラーが2人の間に割って入り親し気な様子で会話に参加する。
「ああ、トリップ走法について」
「トリップ走法ですか」
メイショウボーラーはアドマイヤマックスの言葉に僅かに目を伏せる。デジタルの代名詞であるトリップ走法、憧れの人の技を習得しようと本人にやり方を教わったが、全くできなかった。
そして有マ記念で偶然アドマイヤマックスと知り合ったのを切っ掛けに親しくなり、話の中でトリップ走法が出来ると知り、嫉妬の念を抱いていた。
「今日は来てくれてありがとうね。本番じゃないけどレース場で一緒に走れて、それだけで後悔が1つ消えた」
デジタルはお礼を言いながら想像する。安田記念を走るとしたらメイショウボーラーが逃げて、アドマイヤマックスが前目に着けて自分は中団ぐらいか。
直線に入り大歓声に包まれるが、そんな声は聞こえず2人を感じる事に神経を全て集中させ存分に感じる。もしかしたらあり得た未来、その機会は2度と訪れないがその分だけ想像で思う存分楽しむ。
「そうだメイショウボーラーちゃん、アドバイスというかお願いが有るけどいい?」
「何ですか?」
「皆メイショウボーラーちゃんはGIに勝てるって思っているし、アタシも思っている。そして周りは期待を寄せるけど、それを力に出来るウマ娘ちゃんも居るけど、もし重荷だと思ったら、期待なんて放り投げていいから」
デジタルはかつては期待を背負う立場だった。応援する者はそれぞれ期待を寄せ、それに添えなければ落胆し時には牙をむく。レースに負けて何度も期待を裏切ってきたが、その度に相手の勝手だと割り切ってきた。
これから適正外のレースに挑み続けるかもしれない。勝利とは別の何かを目指すかもしれない。そして負ければ周りは落胆するだろうが、気にせずやりたい事を追及してもらいたい。それが最も煌めき尊い。
「あと白ちゃんがアタシみたいにGI勝てとか言ってきたら、ふざけるなってぶっ飛ばしていいから」
トレーナーは勝利を優先するタイプだったが、デジタルを通じてそれぞれの価値観や優先するモノを尊重するようになった。
信頼はしているが万が一名誉欲などに目がくらんでしまったら、即座にチームを移籍してもらいたい。もしくは全力で腐った性根を叩きなおす。大切な後輩の煌めきを失わせるわけにはいかない。
「つまり自分が好きなようにやれって事ですか?」
「ざっくり言えばそう」
「だったらトリップ走法が出来るようにさせてください」
デジタルはその言葉に反応を窮する。人には向き不向きが有り、メイショウボーラーにとってトリップ走法を習得する素質は無かった。寧ろ大半のウマ娘に素質は無い、それほどまでに特異な走法だった。
才能が無い者が習得しようとすれば労力と時間がかかり、徒労に終わる可能性が高い。その間に他の者は強くなるために効率的なトレーニングをして、強くなり差が開いていく。可愛い後輩が徒労を重ね栄光から遠ざかるのは見たくない
「う~ん、言いずらいんだけど、メイショウボーラーちゃんはトリップ走法を習得するのに向いてないから、他のトレーニングしたほうがいいよ。GIに勝ちたいでしょ」
「私はトリップ走法を使って勝ちたいんです。それに好きなようにやれって言ったのはアグネスデジタルさんじゃないですか、これがやりたい事です。だから出来るように教えてください」
デジタルはその言葉に深くため息をつく。我の強い性格だがここまで我儘だとは思っても居なかった。年上としてトレーナーを志す立場としては止めるべきだ。だが自らの口でやりたい事をやれと言ったからには責任を持たなければならない。
それに同門対決は出来なかった代わりに技を継承するというのも中々にエモく尊い展開だ。メイショウボーラー我儘で自分の欲を優先するが、自分も同じぐらいに我儘で自分勝手なようだ。
「分かった。頑張って何とかする」
「ありがとうございます!」
メイショウボーラーはこれ以上ない程満面な笑みで返事をした。
「さてと、折角レース場で走っているし、少しはレースらしい事をしますか」
「レースらしい事って?」
「それは全力で走るんだよ」
「どこから全力で走るの?」
「直線から」
「そう、じゃあ勝負しない?これで勝ったら通算成績に加算してあげる」
「やった。これで3勝3敗に出来る」
プレストンの提案にデジタルは嬉しそうに応じる。このままのんびり皆で走るのも悪くは無いが、折角の機会なので全力で走りたい。
態々疲れるだけなのに全力で走りたいなんて、いつからこんなに走るのが好きになったのだろう。思わず自嘲的な笑みを浮かべる。
直線に入った瞬間にデジタルは全力で駆ける。それに応じる様にプレストン等現役を退いた者が同じように全力で駆ける。
「さあ、理想の天皇賞秋を再現しようじゃないか」
「デジタルさんに満足してもらえるように頑張ります」
「そう言えば2人とはレースで走ったこと無かったな。折角だし勝たせたてもらいます」
「私もデジタルちゃんには負けません」
プレストン、オペラオー、ドトウ、スペシャルウィークはデジタルを挟むように横一線になる。デジタルは全力で神経を研ぎ澄まし4人を感じる。
レースの時のように大きな情念は感じられない。だが幼き日に友達と駆けっこで遊んだ時のような高揚感がデジタルの胸中を満たす。何て楽しいのだろう。成長し年をとっても親しい友人達と走るのはこんなに楽しいとは思わなかった。
残り300メートルとなり、4人はズルズルと後退していく。現役を退いて長い月日が経つ者と引退直後の者との体力差は大きい。
そして4人に代わるようにアドマイヤマックスとメイショウボーラーがデジタルの左右に並ぶ。他の者もデジタルと併走しようとしたが、アドマイヤマックス達が併走したそうなので譲っていた。
デジタルは懸命に走るなか左右に目を向けると2人は平然とした顔でついてくる。有マ記念から一段と衰えたのを改めて認識させられる。
ゴール板が近づくごとに息が弾み胸が苦しくなる。だがこの痛みや苦しみが何故か心地よい。恐らく人生でここまで全力で走るのは最後になるだろう。大切で愛しい後輩を感じながらこの痛みを楽しもう。そしてゴール板直前で2人は減速しデジタルが先頭でゴールする。
その瞬間に観客席から歓声と拍手が沸き起こり、次第に歓声はデジタルコールに変化し、デジタルは少し恥ずかしそうに手を振り声援に応えた。
『素晴らしいレースでした。さてアグネスデジタルといえば芝とダートを股に掛けたオールラウンダーとして名を馳せました。ダートで走る姿も見たいですよね。という訳でダートでもう一回走ってもらいます。ゲートまで来てください』
場内アナウンスにデジタルはしまったと口をあんぐり開け、その様子がターフビジョンに映り観客達から笑い声が漏れる。
「随分と粋な計らいね。そしてかなり全力で走ったみたいだけど、ちゃんと走れるの?」
「無理かも、テンション上がってつい全力で走っちゃったよ。プレちゃんが勝負とか言わなきゃ全力で走らなかったのに」
「いや、最初に全力で走るって言ったのアンタでしょ」
プレストンは肩で息をするデジタルに半笑いを浮かべながら話しかけ、他のウマ娘達も頑張ってくださいと同情の視線を向けながら声をかける。
そしてあまりに疲弊しているデジタルを哀れに思ったのか、せめてもとメイショウボーラーがデジタルをおぶり係員が居る場所まで運ぶ。係員が居る場所はダート1600メートルのスタート地点だった。
『ではダートのエキビションレースを行いますが、参加してくれたウマ娘を紹介したいと思います。最初はこのウマ娘です。ヒガシノコウテイさん』
先のエキビションレースと同じようにターフビジョンに紹介VTRが流れ、地下バ道から現役時の勝負服を着たヒガシノコウテイが登場し、係員が居る場所まで走っていく。
『続きましてはこのウマ娘です。セイシンフブキ選手』
セイシンフブキが地下バ道から姿を現しスタート地点に向かう。だがダートと芝生の切れ目の場所で突如止まった。その行動にスタンドからどよめきが起きるが、デジタルはその様子を見てクスクスと笑みをこぼした。
『続きましてこのウマ娘です。アジュディミツオー選手』
勝負服を着たアジュディミツオーが姿を現しスタート地点に向かうが、セイシンフブキと同じようにダートと芝生の切れ目の場所で突如止まり、スタンドから更なるざわめきが起こる。
3人が現れてから数十秒後にデジタルを背負ったメイショウボーラーがスタート地点に辿り着きデジタルを下ろした。
「コウテイちゃんと忙しいのに来てくれてありがとう。何だか申し訳ない」
「いえいえ、デジタルさんは私の引退式に来てくれましたので、お返しのようなものです」
「いや~、あの時は感動的だったね」
2人は雑談を交わしながらゲートに入る。一方係員はセイシンフブキとアジュディミツオーがゲートに入らなのでどう対応しようと混乱していたが、デジタルがスタートしちゃってと指示を出してレースはスタートする。
デジタルは疲れのせいか先程のレースの直線前よりゆっくり走り、ヒガシノコウテイも合わせる様に走る。スタートから約150メートル、セイシンフブキとアジュディミツオーが居る地点まで走り、2人もデジタル達と併走する。
「フブキちゃんもアジュディミツオーちゃんもそんなに芝が嫌いなの?」
「アタシはダートのレースを走りに来た。だからダートしか走らん」
「相変わらず徹底してるな~」
デジタルは苦笑を浮かべながら褒め、セイシンフブキは誇らしげにする。かつてフェブラリーステークスの前々日会見で、芝スタートで始まる東京レース場のダート1600メートルをクソコースでGIに相応しくないと非難したのを思い出す。
ウマ娘の神様は芝とダートを走れる力を授けてくれた。それによって素敵なウマ娘を感じられる機会を倍になった。その中で出会ったのがセイシンフブキだった。
ダートに全てを注ぐ求道者、そのストイックさとダートに対する情熱は大いにときめかせてくれた。
最初の印象は最悪で親の仇のように憎まれていた。だが一緒にレースを走り、それ以外でも言葉を交わし、多少なり認められたという自負がある。
セイシンフブキは最終的にダートを追求する過程で勝利よりダートの探求を優先するようになった。それはレースでウマ娘を感じるのを優先し、勝利を目指さなくなった。その心のあり様にシンパシーを感じていた。
「フブキちゃんは引退とか考えたことある?」
「全く。アタシから引退する気はない。仮に日本で走れなくなっても外国に行けばいい。ダートコースは世界中に有るからな」
「そっか、その手が有ったか」
「アタシはお前と違って、どんなに衰えても走る事さえ出来ればダートを探求できる。羨ましいだろう」
セイシンフブキは屈託のない笑顔をデジタルに向ける。その笑顔は眩しく羨ましかった。ウマ娘を感じるというデジタルの目的は衰えによっていずれ出来なくなる。仮に地方に再度移籍できたとしても数年後には引退していただろう。だがセイシンフブキの探求は言葉通り走る事さえ出来ればやれる。
その過程で衰えてもなおレースに走り続ける姿は惨めだ無様と世間は蔑むだろう。それでも一切気にせずに探求し続けるという確信があった。本当に強くて素敵なウマ娘だ。
「こうして東京のダートコースを走っているとフェブラリーステークスを走ったのが昨日のことのように当時の記憶が鮮明に思い出せます」
「そうだね。一生忘れないと思う」
ヒガシノコウテイは柔和な笑みを浮かべながらデジタルに話しかける。彼女は岩手や地方のファンの期待や想いを背負い力に変えて走った。
デジタルは周りの想いを極力背負わず走ってきた。それだけに全てを受け止め走ったヒガシノコウテイは正反対の存在であり、尊敬できるウマ娘だ。
そして地方ファン独特の想いを背負って走るヒガシノコウテイは、他のウマ娘達と違った魅力が有り心をときめかした。
このウマ娘と出会いレースで走り感じられたのは途轍もない幸運であり、ヒシミラクルに負けない幸運であると胸を張って自慢できる。
「遅れたけど、東京大賞典1着おめでとう」
「ありがとうございます。南関東のウマ娘として、ダートプロフェッショナルとして負けるわけにはいかないですから」
アジュディミツオーはデジタルの言葉に興奮気味に返事する。年末の東京大賞典においてクラシック級ながら見事に勝利した。
出走メンバーにはセイシンフブキは勿論、ティズナウの親戚やゴドルフィンのウマ娘も居て、まるでダートプライドを見ているようだった。
彼女はセイシンフブキからダートプロフェッショナルとしての技術と精神性、ヒガシノコウテイから地方総大将としての責任と精神性、それらを兼ね備え強さに変えられるウマ娘を目指している。
一緒に走った日本テレビ盃ではその片鱗を感じ取り、先の東京大賞典ではより完成に近づいていた。
アジュディミツオーは2人の技術や精神を引き継いだ、云わば2人の娘のようなものかもしれない。もし一緒に走るとするならば、友人の娘と走るような今まで感じたことが無い素敵な感覚が味わえるだろう。
「そういえば次はドバイワールドカップだっけ?」
「はい、大師匠や師匠が走れなかった舞台で、2人から受け継いだ強さを証明します」
アジュディミツオーは鼻息荒く語る。大師匠であるアブクマポーロは色々有ってドバイワールドカップに出走できなかった。セイシンフブキも衰えた現状ではドバイワールドカップに招待されない。師匠たちの無念を弟子が晴らす。エモいシュチュレーションである。
そして脳内である想像をする。もしメイショウボーラーが自分と同じようにダートを走れれば、アジュディミツオーと同じレースを走るかもしれない。
ヒガシノコウテイとセイシンフブキの後継者と自分に憧れてくれるメイショウボーラーが対決する。それは是非とも見たいレースであり、願わくは同じレースで走り感じたかった。
レースはゆったりと進み、デジタルも直線で全力を出すことなく半分程度の力で走る。セイシンフブキとヒガシノコウテイは先程のレースと同じようにデジタルに1着を譲ろうとするが、アジュディミツオーが頑なに先頭を譲らず逃げ切りで1着をもぎ取る。
その空気の読めない行動にスタンドからブーイングのような声が飛び交うが、どんなレースでもダートで負けるわけにはいかないと頑なに謝らず、デジタルはその様子を素敵と呟きながら嬉しそうに眺めていた。
『各ウマ娘の方々お疲れさまでした。これよりアグネスデジタルさんの輝かしい活躍を振り返りたいと思います。ターフビジョンをご注目ください』
ターフビジョンに今までの戦績のダイジェスト映像が流れる。有マ記念前日にトレーナーと今までを振り返ったが、映像で見るとより鮮明に当時の記憶が蘇る。
そこからウイナーズサークルに移動し、エキビションレースを走ったウマ娘を交えて今までを振り返るという形式のトークショーが始まった。レースを走った当事者達と思い出を語り楽しい時間だった。
「そして本日は都合により来られなかったウマ娘達からメッセージを与りました。ターフビジョンをご覧ください」
司会の言葉にデジタル達や観客達は一斉に視線をターフビジョンに向ける。
『こんにちはデジタルさん、サキーです』
ターフビジョンにサキーの姿が映り、デジタルは感激し目を潤わせ口に手を当てる。これはデジタルも知らないサプライズだった。
『デジタルさん今までお疲れさまでした。貴女と出会いレースを走り言葉を交わし友人になれた事は私の人生にとって掛け替えのない財産になりました。貴女の走りは唯一無二のもので、私はその走りに魅了された者の1人でもあります。今後はトレーナーを目指すと思いますが、貴女の個性を受け継いだウマ娘達が世界中で活躍する事を祈っています』
オペラオーとドトウが引退し、目標を失ったデジタルの心を救ってくれたのがサキーだった。
レースに携わるウマ娘と関係者を幸せにするという夢の為に自分の身を顧みず精力的に活動する姿はまさに太陽であり、その太陽に魅入られたウマ娘だった。
そして世界の頂点の強さを身をもって体験させてくれた。今後教え子で世界の頂点を狙えるウマ娘が現れれば、サキーの凄さと素晴らしさを存分に語ることになるだろう。
『ストリートクライです。アグネスデジタルお疲れさまでした。私達は貴女に敗れて終わったけど、あの時は全力を出し尽くした。それで負けたなら恨みはない。でも私達の夢は続いていて、貴女の育てたウマ娘に勝たなきゃ夢は達成できない。だから絶対にトレーナーになって』
ストリートクライから激励をうけデジタルの心は熱くなる。キャサリロという友の想いを背負い走る姿はまさに一心同体であり、心を大いにときめかした。彼女達より深い絆で結ばれているウマ娘は知らない。
そしてトレーナーを目指す先輩であり同志でもあった。ウマ娘のトレーナーは大成しないと言われている。だが2人ならその常識を打ち破ってくれる。そしてエールと夢に応えるために頑張らなくてはならない。
『ティズナウだ、会場に居る皆は知っていると思うが、私はアグネスデジタルに負けた。だが私個人が負けただけで、アメリカのウマ娘が負けた話ではないとこの場を借りて言わせてもらう。そしてお前の魂を受け継いだ者をBCクラシックの舞台に送りこめ、間違っても凱旋門賞なんぞに行かせるな。そしてBCクラシックで真に王者の魂を持ったアメリカのウマ娘が打倒するだろう。最後に当時は日本で走るアメリカ出身のウマ娘は全て惰弱だと思っていたが、レイと勝ち鞍と記憶をかけて挑んだアグネスデジタルは少しだけ認めていたと伝えておこう』
この場においてある意味負け惜しみともとれる発言、だが本人にとっては事実でなにより実にらしい言葉でデジタルは思わず半笑いを浮かべる。
ティズナウは当時において間違いなくアメリカ最強だった。そして強さと気高さはデジタルを大いにときめかした。日本に来たことに後悔は無い。だが結果としてティズナウにとってアメリカを裏切ることになり、嫌われてしまった。
ティズナウという祖国のヒーローに認められたいと思いながら、叶わぬ願いだと諦めていたが映像での認めたという発言は何よりも嬉しかった。
「続きましてチームプレアデスのトレーナーより花束贈呈です」
トレーナーが現れてデジタルに花束を渡し、司会から今までの振り返っての一言をお願いしますと促されてマイクを手に取る。
「デジタルとはトレセン学園では7年、それ以前からも付き合いがありましたので約10年以上の付き合いになります。多くのGIを取らせてもらい、様々な経験をさせてもらい感謝しています。良い思い出はありますが、我が強く我儘でいつも問題ごとばかり起こし、デジタルには多くの苦労をもらいました」
トレーナーの言葉に観客席から笑い声が漏れる。天皇賞秋でウラガブラックの枠を潰した事へのバッシング、ダートプライド出走の為の地方移籍などでマスコミから問い詰められた。あの時は結構苦労した。
「デジタルは良い意味で常識外れのウマ娘で、私の常識をいつもぶっ壊していきます。デジタルが居なければ私は常識に囚われたつまらないトレーナーとして今後を多くのウマ娘を指導し、多くの可能性を摘み取っていたでしょう。弟子から教わることもありますが、デジタルからは多くの事を教わりました。これではどちらがトレーナーか分かりません」
トレーナーの声は徐々に涙声になり、時々嗚咽が漏れる。
デジタルは芝とダートの垣根を越えて走り続けた。何よりウマ娘にとって勝利より価値があるモノが有ると身をもって教わった。勝利よりウマ娘を感じる事を優先するという考えはトレーナーのこれまでの常識をぶち壊していた。
「デジタル、お前は俺の誇りや」
トレーナーの目から涙が溢れこれ以上喋られないと司会にマイクを渡す。その光景に感情が揺さぶられたのか、多くの観客がもらい泣きしていた。
「ありがとうございました。ではアグネスデジタルさん最後に一言お願いします」
デジタルはマイクを受け取ると深呼吸をしてから喋り始める。
「え~この度はアタシの引退セレモニーに来てくれてありがとうございます。正直こんな引退セレモニーを出来るほど活躍できるとはこれっぽっちも思っていませんでした。選手生活は楽しい事や嬉しい事ばかりでしたが、辛く苦しい事も有りました。でもそれも大切な思い出で、全てをひっくるめて楽しかった。現役生活に一片の悔いなし!」
デジタルはトレーナーが作った湿っぽい空気を払拭するように明るい口調で話す。レース場もその空気に引っ張られるように明るくなる。だが晴れやかだったデジタルの表情が徐々に影を差し始める。
「ウソ、やっぱり悔いありだ。大阪杯でネオユニヴァースちゃんとヒシミラクルちゃんを感じたい!かしわ記念とかでアジュディミツオーちゃんやフブキちゃんを感じたい!安田記念でアドマイヤマックスちゃんとメイショウボーラーちゃんを感じたい!天皇賞秋でタップダンスシチーちゃんやゼンノロブロイちゃんを感じたい!いっぱいレースを走って色々なウマ娘ちゃんを感じたい!あ~あ、白ちゃんが湿っぽい空気にするから、アタシも湿っぽくなっちゃったじゃん!」
デジタルは自分の想いを叩きつけるように叫ぶ。見苦しいと思われるだろうが、溢れ出た気持ちを留められず、感情が赴くままに喋る。レース場は再び湿っぽい空気に包まれていた。
「でもどうしようもないし、観客席でウマ娘ちゃんを感じて我慢する。そして未来の楽しい事に目を向ける。アタシにはトレーナーになった後にはウマ娘ちゃんのハーレムっていう楽しい未来が待ってるからね!」
デジタルがトレーナーになるのは様々な理由があるが、最も主たる理由はウマ娘のハーレムを作る為だ。
しかしそれを外に出せばドン引きされるのは必至であり、今まで隠していた。だがこの場で心が揺さぶられ思わず吐露してしまった。
一方デジタルの爆弾発言で周りは困惑或いは苦笑する。気が付けばデジタルの言葉によって作られた湿っぽい空気はいつの間に消えていた。
「え~、今の言葉は忘れてください……そうだ!アタシのファンで引退したからもうレースを見ないって思っている人いる?その気持ちは分かるよ。推しが居なくなるのは辛いよね。でもレースを走るウマ娘ちゃん達はみんな輝いていて、新たに夢中になれるウマ娘ちゃんに絶対に出会えるから!」
デジタルは強引に話題を切り替える。そして今の言葉は本心で有り切実な願いだった。
オタクにとって推しが居なくなるのは非常事態だ。その事実に心が引き裂かれるような苦痛を味わう。
それでも心に空いた穴は同じジャンルの別なモノで埋められる。あるいは寂しさを埋めてくれる。
「それでもダメならアタシを思い出して、でも囚われないで。良い思い出として振り返って明日への活力にして。つまり何が言いたいかって言うと、レースを走るウマ娘ちゃんは最高だから見続けて欲しいってこと、以上!」
観客席からの疎らな拍手は次第に大きくなり、万雷の拍手に変わる。
引退セレモニーでの最後の言葉であれば、もっと厳かで感動的になるものだと思っていた。
だがデジタルは悔いという我儘を吐き出し、己の願望をぶちまけ、自分が望む行動を取ってくれるように願った。何とも肩の力が抜けるような言葉だ、だが我儘なデジタルの最後に相応しい言葉だった。
「俺が良い感じに湿っぽい雰囲気にしたんやが、その路線でいけや」
「もっと感動的にしなさいよ。これじゃあ名場面じゃなくて迷場面でしょ」
「いいんじゃないか、少しコミカルな幕引きも悪くはないさ」
「そうですね。デジタルさんらしかったです」
デジタルはトレーナーや友人達から言葉を投げかけられる。皆の表情は半笑いで感動ではなく楽し気な空気に包まれていた。
「次はライブか……ってちょっと何何!」
すると皆はデジタルを抱えて胴上げする。ウマ娘の腕力は常人より遥かに強い、デジタルは優に5メートル放り投げられる。その後も二回三回と宙に浮かび、その度にファン達は万歳してデジタルを祝福する。
東京レース場は幸せな空気に包まれた。
真の勇者は、戦場を選ばない
3つの国に11にも及ぶレース場を駆け巡り獲得してきたタイトルのバリエーションは、どんな名ウマ娘の追随を許さない。
芝とダートの垣根を、そして国境さえも乗り越えて、チャンピオンフラッグをはためかせてきた勇者。貴女が刻んだ空前の軌跡、そのひとつひとつが永遠に輝く。
こうして異能の勇者の選手生活は幕を閉じる。その走りと生き様は多くの人々に刻まれ、魅了した。
アグネスデジタル
公式総獲得賞金10億5100万5000円、
非公式総獲得賞金22億5100万5000円
勝ち鞍
GⅢ 名古屋大賞典
GⅢ ユニコーンステークス
GⅡ 日本テレビ盃
GⅡ 全日本ジュニア優駿
GⅠ マイルチャンピオンシップ
GI 南部杯
GⅠ 天皇賞秋
GⅠ 香港カップ
GⅠ フェブラリーステークス
GI 安田記念
エキビションレース ダートプライド