勇者の記録(完結)   作:白井最強

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勇者のエンドロール

 ピンク髪のウマ娘が眠気眼で洗面台に立つ、童顔だが少女の面影は完全に抜けきり、少なくとも中学生や高校生には見られないだろう。

 顔を洗い眠気を飛ばすとヘアブラシを使い寝癖を直していく。その表情と動作は日常の流れ作業をするのではなく、人生において節目の出来事を迎える準備をするかのように真剣だった。

 念入りなブラッシングによってショートヘアーは満足のいく仕上がりになる。だが念のためにと髪を触って確かめる。

 今はショートヘアーだが昔はサイドテールのロングヘア―だった。特にこだわりがないが結構気に入っていた。しかし今の歳と立場でサイドテールのロングヘアーは似合わないので気が付けばショートヘアーになっていた。

 髪型を整えた後はクローゼットからスーツを取り出し寝間着から着替え、服装の乱れが無いか確認する。この日の為にスーツはクリーニングに出しておいたのでバッチリである。

 今はスーツを着てもある程度リラックスできるが、海外遠征で初めて着た時は窮屈すぎて即座に脱ぎたかったのを思い出す。

 そして最後に中央ウマ娘協会所属のトレーナーの証であるライセンスバッチを装着する。今日はアグネスデジタルのトレーナーとしての初出勤日である。

 

 デジタルはトレセン学園卒業後チームプレアデスのスタッフとして働きながら、トレーナー試験合格に向けて勉強していた。

 そして数回ほど試験に落ちたがに何とか合格を果たす。その後はスタッフではなくサブトレーナーとしてチームプレアデスで働き、数年後に機は熟したとチームプレアデスを離れ独り立ちしたのだった。

 

 デジタルはトレセン学園に出勤し、正門を抜け桜並木を通り早速コースに向かう。

 今日は選抜レースが開催され、各チームのトレーナーやサブトレーナーが足を運び、才能や実力が有る者はチームにスカウトする。

 ここがチームのメンバーを集める絶好の機会だが才能や実力が有るウマ娘の半分はトレセン学園入学前にスカウトにより所属するチームは決まり、もう半分は今日の選抜レースで有力チームのトレーナーにスカウトされる。つまり新人のデジタルが有力ウマ娘をスカウトできる可能性は限りなく低い。

 有るとすれば運命の出会いと呼べるほど相性が良いか、よほど奇特なウマ娘だろう。新人の大半はスカウトされなかったウマ娘に声をかけ、消去法的に所属してもらうしかない。

 

 選抜レースが始まり、若々しいウマ娘が全力を尽くす。その姿に一瞬ファン目線でレースを見てしまうが、即座にトレーナー目線になって厳選に才能や実力を評価する。

 デジタルがトレーナーになったのは毎日をウマ娘と触れ合えるハーレム生活を送る為だ、そういった意味ではトレーナーになった時点である程度目的は達成できる。だがそこで満足してはいけない。

 もっと多くのウマ娘と触れ合いたいと思っている。その為にはチームに多くのウマ娘が所属し、ウマ娘が集まるのは実力と実績があるトレーナーだ。現状に満足すれば衰え続け、チームに誰も集まらなくなる可能性もある。常に上昇志向を持たなければならない。

 

──

 

「やっぱりね」

 

 デジタルはコースから離れたベンチで黄色い缶の甘ったるいコーヒーを飲みながら、ため息交じりで独りごちる。

 トレーナー目線で実力や才能が有りそうなウマ娘は何人か居た。早速声をかけようとしたが案の定トレーナーが群がり、自己PRどころか顔を碌に合わせられず名刺を渡すのがやっとだった。

 この事態はある程度予測していたので気落ちせずに次点のウマ娘達に声をかけた。そのウマ娘達にはスカウトが数人声をかけていた程度なので、顔を合わせて話を出来た。だが自分の耳を見た瞬間明らかにテンションが下がり、新人だと聞くと興味を失っていた。

 ウマ娘のトレーナーに名トレーナー無しという格言がある。その格言は現役時代にも有ったが、今でも存在し事実となりつつあった。

 現時点でウマ娘のトレーナーの指導を受けてGIに勝利したウマ娘はゼロである。その事実を知っていれば率先してウマ娘がトレーナーのチームに入ろうと思わないだろう。

 ウマ娘として生を受けレースを走り思う存分ウマ娘を感じるという恩恵を与ったが、今度はウマ娘に生まれたことがハンデとなり、ウマ娘を感じるのを邪魔する。人生はままならないものだ。

 

「さて、足を使ってスカウトしますか」

 

 デジタルは明るい声色を出してベンチから立ち上がり、バッグからノートを手に取る。

 しょげている暇はない。とりあえずやれる事だけやろう。もしかしてリスクがマイナスなら起爆剤と言わんばかりに、ウマ娘がトレーナーのチームに入ろうとする奇特なウマ娘が居るかもしれない。

 それでもダメならウマ娘の新人トレーナーでも構わないと藁でも縋る思いのウマ娘達に入ってもらう。そこから少しずつ実績を積んでいこう。ウマ娘のハーレムは一日して成らず。

 

「あの!」

 

 デジタルは後ろから声をかけられ反射的に振り向く。そこには1人のウマ娘が立っていた。雰囲気からしてデビュー前のウマ娘だった。そしてどこか見覚えがあった。

 

「どうしたの?あとアタシ達どこかで会ったような気がする……え~っと……」

「覚えていますか?アグネスデジタルさんに河川敷の土手で走り方を教えてもらって……」

 

 少女は期待を込めてチラチラとデジタルを見つめる。その瞬間過去の記憶が掘り起こされ、目の前の少女が誰か思い出す。

 ヤマニンアリーナ、かつて勝利中毒に罹った際に初志を思い出せてくれたウマ娘の少女だ。

 

「ヤマニンアリーナちゃん!?大きくなったね!そっかもうトレセン学園に入る年頃か~」

「はい、今年から入学しました」

「連絡入れなくてごめんね~スマホがぶっ壊れてバックアップも取っておいてなかったから、連絡先が分からなくなっちゃって」

 

 デジタルは平謝りする。偶然の出会いをきっかけに交流を始めたが、スマホが壊れた事で連絡が取れなくなっていた。もしかしてと思い出会った場所に足を運んだが会えなかった。

 

「私もデジタルさんと連絡が取れなくなった後に引っ越しまして」

「そうなんだ、でもアタシが言うのもアレだけど、アカウントにダイレクトメッセージ送ってくれれば良かったのに」

「今思うとアグネスデジタルみたいな有名人とアタシじゃ釣り合わないし、年の離れた女の子と喋ってもつまらないかなって」

「そんな事ないのに」

 

 デジタルは笑みを浮かべながら喋り、ヤマニンアリーナも反応から嫌われてなかった事を知り、嬉しさと安堵から破顔する。

 

「明日辺りどこかで話さない?本当なら今からって言いたいんだけど、やる事が有って」

「あの!アグネスデジタルさんのチームの定員は余っていますか?」

「余っているも何も誰も入ってないよ」

「だったらチームに入れてください」

 

 デジタルは予想外の一言に一瞬呆けるが、次第に嬉しさがこみ上げ口角が上がる。

 

「勿論、これからよろしくねヤマニンアリーナちゃん」

 

 こうしてヤマニンアリーナがデジタルのチーム、チーム『ステラリウム』に所属する最初の1人となり、チームは始動した。

 

──

 

『これより天皇賞秋のパドックを開始いたします』

 

 場内アナウンスの声に東京レース場に集まったファン達は自然発生的に声を上げる。

 秋シニア中距離路線3冠の初戦天皇賞秋、2000メートルという距離は時代が経つにつれ重要度と価値が高まり、秋の盾を手に入れようと多くの猛者が集まるようになった。そして今年は近年まれに見る熱気と盛り上がりを見せていた。

 パドックが始まり出走ウマ娘達が次々と登場する。彼女達も多くの大舞台を経験した選手で多少の事では揺るがない精神の持ち主だが、辺りを包む異様な熱気に少なからず動揺していた。

 

『5番人気、ヤマニンキングリー選手』

 

 ヤマンニンキングリーがパドックに姿を現す。ピンク髪のセミロングで両側頭部に寝癖のように毛が立っている。勝負服は水色を基調にした学校の制服風のノースリーブに星のアクセサリーが付いた赤色の大きなリボンタイをつけていた。

 パドック場を包んでいた熱気はヤマニンキングリーの姿を見た瞬間に静まる。顔は半笑いで目線は定まらず、歩く姿はどこかフラフラしている。その姿は心をざわつかせる

 パドックとはレース前にファン達に調子を見せるお披露目のようなものだ。ウマ娘達は調子のよさをアピールしよう、恥ずかしくない姿を見せようと体面を無意識に意識する。そしてヤマニンキングリーにそのような意識は欠片もないのが分かる。

 その異様な姿に多くのファンが動揺する中、ある1人のファンは懐かしさを覚えていた。

 

『2番人気、ビスタスペルバ選手』

 

 ビスタスペルバが姿を現す。黒鹿毛のロングヘア―に勝負服は赤と黒と黄色を基調にしたフラメンコダンサー風の服だった。

 姿を現した瞬間にヤマニンキングリーが作った異様な空気は再び熱狂に変わる。朝日FSに勝利し、無敗で皐月賞と日本ダービーを制覇し無冠のクラシック2冠ウマ娘となり、久しぶりの無敗のクラシック3冠ウマ娘の誕生を期待した。

 だが陣営は無敗の3冠ではなく、日本の悲願である凱旋門賞制覇を目標に定める。その選択は日本中で賛否両論が湧いた。

 ビスタスペルバは前哨戦として札幌記念を走るが、そこでまさかの敗北、日本中が驚く世紀の番狂わせとなった。

 この敗北で陣営は凱旋門賞を断念、ファン達は落胆するが久しぶりのクラシック3冠ウマ娘の誕生に心を躍らせる。だが陣営は菊花賞ではなく天皇賞秋への出走を選択する。

 クラシック2冠ウマ娘が菊花賞を走らないのは前代未聞である。これには凱旋門出走表明以上の物議を起すと思われたが、否定的な意見は少なく寧ろ好意的な意見が多かった。それは次の1番人気のウマ娘が居たからだった。

 

『1番人気、ゼニンクス選手』

 

 ゼニンクスが姿を現す。勝負服だが左半身は青の神官風の勝負服に手甲を装着し、右半身は薄紫のワイシャツに革製のチョッキ、下はショートパンツサイズまで切り落としたGパンにガンベルトという奇妙なものだった。

 71戦70勝、うちGI69勝という空前の成績を誇る誰もが認める現役世界最強ウマ娘である。彼女の凄さはGIの勝利数もさることながら、勝ち鞍のバリエーションである。

 合計8か国で勝利し、1200メートルから2000メートルの世界の主要GIは芝ダート関係なく勝利している。

 彼女の登場でビスタスペルバが生み出した熱狂が再び冷める。見ているだけで熱を奪うような存在感、このようなウマ娘は誰もが初めてだった。

 

 パドックが終わると出走ウマ娘はトレーナーの元に向かう。そこでレースに向けての最後の打ち合わせを行い、この時間によって勝敗が決まる事もある。

 ヤマニンキングリーはピンク髪のウマ娘トレーナーの元に向かう。興奮気味で目が血走り口元から涎が垂れている。一方トレーナーはヤマニンキングリーの額に己の額を当てて語り掛ける。

 

「センセイ!やっと!やっとだよ!」

「そうだね、前回はこれっぽっちも見てくれなかった。でも今日は違う。ヤマニンキングリーちゃんが振り向かせた。気になってしょうがないはずだよ」

「本当に!」

「本当だよ!気にしてないで感じるより、気にしてくれる状態で感じる方が最高だから。今日のレースは貴女の時間、アタシの為にとかチームの為とか家族の為とか勝ちたいって気持ちは置いていって、全てを感じたいって気持ちに注ぎ込んで」

「うん!」

 

 ウマ娘のトレーナーがヤマニンキングリーを離すと解き放たれたように地下バ道に向かっていく。その姿に過去の自分を投影させながら見送る。

 この後関係者席に向かってレースを見守る。レースに向けてやる事はなく、教え子を信じるのみだ。トレーナー達が移動するなか、ウマ娘のトレーナーは2人の人物に声をかける。

 

「やっと約束が果たせたね。ストリートクライちゃん、キャサリロちゃん」

「ああ、待ちくたびれた」

「アグネスデジタルが遅いからこっちから来た」

 

 デジタルの言葉にストリートクライとキャサリロは僅かに笑みを浮かべた。

 今日の1番人気ゼニンクスは2人が指導したウマ娘である。デジタルとストリートクライ達はトレーナーとなって教え子たちが同じレースで走る事を約束した。そして今日初めて互いの教え子が相まみえたのだった。

 

「来てくれただなんて申し訳ない。でもゼニンクスちゃんの都合を蔑ろにしてないよね。だったら怒るけど」

「寧ろあの娘から選んだ。母さんの約束と仇を討つんだって」

「そうなの?何て親子愛!」

 

 デジタルは大げさな動作で喜ぶ。ゼニンクスはストリートクライと血のつながりは無いが、養子として育てられた親子である。

 

「そして2人が目指した『過去現在未来において最強のウマ娘』って目標は娘が果たしてくれたんだね。エモすぎる!」

「まだまだ、2400メートルや長距離で勝ってないからダメ」

「それは何でも鬼すぎるでしょ」

「冗談。充分に満足してる。ねえキティ」

 

 ストリートクライの言葉にキャサリロは頷く。ストリートクライでも冗談を言うのか、思わぬ言葉にデジタルの肩の力が若干抜ける。

 

「でも現実的に世間は現在においては最強だと認めても、過去でも最強とは認めてくれない」

「う~ん、難しい問題だね」

 

 デジタルは複雑そうな表情を見せる。ゼニンクスのレーティングは現時点で134、これは歴代でも屈指であるが、トップではない。

 実績からして歴代トップでも不思議ではないのだが、そうでないのはレース内容に理由が有った。

 ゼニンクスのレーススタイルはストリートクライから継承した崩しや、展開や相手を支配して徹底的に相手の力を削り、必要最小限の力で勝利する。結果的にコースレコードを更新したことは1度も無く、着差も全てのレースにおいて半バ身差以内で勝利している。

 ファン評価も公式の評価も未だに着差とタイムを重視する。その基準ではどうしても評価を下げなればならない。

 

「走り方を変えようと思わないの」

「ない。ゼニンクスは最も勝った者が最強で、私もそう思っている。いずれ世界の認識が変わる」

「そっか」

 

 ストリートクライの言葉にデジタルは納得する。最も勝った者が最強という基準で有ればあの走りは最良だ。もしゼニンクスが普通に走っていれば消耗し既に引退している。必要最小限の力で抑えているからこそ、今も走り続け、これからも勝利を積み重ねていくだろう。

 周りから様々な事を言われただろう。それでも揺るがない精神で己の理想を体現した。それがウマ娘のトレーナーは1流選手を育てられないというジンクスを破り、過去現在未来のおいて最強のウマ娘を育てられた秘訣だろう。

 

「ゼニンクスは今日のレースに勝つ。でも万が一負けるとしたらビスタスペルバかヤマニンキングリーだと思う」

「へえ、何でそう思ったの?ビスタスペルバちゃんはともかく、ヤマニンキングリーちゃんは5番人気で世間的にはそこまで評価されてないよ」

「ダートプライドの時のアグネスデジタルに似ていたから」

 

 ストリートクライは懐かしむように喋る。現役時代で全盛期だったのはダートプライドの時で、そのレースに勝利したのはデジタルだ。あの時もパドックで異様な姿を見せていた。

 正直アグネスデジタルのようなウマ娘はトレーナーになってから見たことが無く、あの時のような得体の知れない強さを持ったウマ娘にも出会っていない。

 だが今日のレースでデジタルの教え子が同じように得体の知れない強さを見せるかもしれない。

 

「勝つね、だとしたらビスタスペルバちゃん次第かな」

 

 デジタルは思わせぶりな言葉を呟く。その真意を訊こうとしたが止めた。答えはレース中に披露され見つければいい。

 

「ありがとうね。ストリートクライちゃんが多くの凄いウマ娘を育てたから、他のウマ娘ちゃんも諦めないでトレーナーを目指すようになった」

 

 デジタルは唐突に礼を言う。ストリートクライはGI25勝したウインクスや、アメリカのティアラ路線を走りながらブリーダーズカップクラシックを制覇し、アメリカ歴代最強の一角に数えられるゼニヤッタ等多くの名選手を育てた。

 今では世界最高のトレーナーと称され、トレーナー志望のウマ娘を爆発に増やした要因と言われている。まさに救世主だ。

 

 デジタル達は話し込んでいると関係者席に着く。そこは観客席の上にあり、レースの全体の様子が見られる特等席になっている。

 

「じゃあ、ちょっと話す人が居るからこれで、お互いの教え子の幸せを祈っているよ」

 

 デジタルは話を切り上げストリートクライ達から離れる。その後ろ姿を眼で追う。健闘ではなく幸せを祈るか、ウマ娘を愛し勝利以外を目的にして走ってきたウマ娘だから出る言葉だ。

 

「ご無沙汰しています。お元気そうで何よりです先生」

 

 デジタルは老人男性の元に歩み寄り深々と頭を下げる。その所作は淀みなくどのような場に出ても恥ずかしくない、品のあるものだった。

 

「デジタル君か、君も元気そうで何よりだ。ヤマニンキングリーは見事な仕上がりでした」

「お褒めいただいて恐縮です」

 

 2人は社交辞令のような当たりのない言葉を交わす。だがそれ以降は言葉が続かず数秒の沈黙が続く。お互いが黙るなか先に動いたのはデジタルだった。

 

「ごめん、昔みたいに喋っていい白ちゃん?」

「ええぞ、正直外向き様に喋られると笑いそうになったわ」

 

 その言葉を切っ掛けに二人の空気が弛緩し、トレーナー同士から親しい間柄の雰囲気に変化する。

 

「お待たせ」

「ああ、待ちくたびれてぽっくり逝きそうやったわ」

「メイショウボーラーちゃんとは同門対決できなかったのに、初めての同門対決的なのが白ちゃんとか、何だかな~って感じ、あと大分老けたね」

「それは定年前やからな、ジジイなのは当然やろ。それ言うならお前こそ老けたぞ」

「あれから独り立ちして何年経ったと思っているの。もうアラフォーだよ。小皺の1つや2つ出来るって」

 

 2人は気の置けない会話を交わす。かつてデジタルがチームプレアデスのサブトレーナーを辞めて、独り立ちする際にある約束をした。お互いのチームのウマ娘同士でGIを走ろう。それが出来るまで会わないと。

 これはデジタルにとって決意表明だった。トレーナーはデジタルにとって師であった。もしトレーナーになって指導する際に悩みごとを相談すれば答えてくれるだろう。だが甘えては成長しない。成長の先に己の目標が叶えられると考えていた。

 

「しかもその舞台が天皇賞秋か、何か縁を感じるよね」

「そういえば、ヤマニンキングリーは初めてチームに入ったウマ娘の娘やろ?」

「そう、アタシにはもったいないウマ娘ちゃんだった。本当なら有力チームに入れたみたいだけど、絶対にアタシのチームに入ったほうが良いって説得してくれたんだよね」

「そうか、親子2代の絆か、その絆が俺の夢を断ったんやな。お前のところのウマ娘に負けなきゃ。凱旋門賞を走って、史上初の凱旋門賞トレーナーになっとったかもしれんのに」

「それは残念、ヤマニンキングリーちゃんがビスタスペルバちゃんをレースで感じたいって言うし、走らせないわけにはいかないでしょ。それに勝てば2人の事だから王者として出なきゃ意味がないって凱旋門賞走るのやめて、借りを返さなければいけないってワンチャン天皇賞秋参戦あるかなって」

「半分合ってるが読みが甘い。天皇賞秋を走るのはゼニンクスが目当てや。世界最強がわざわざ来てくれたからな」

「だったらアタシに感謝してよ。ゼニンクスちゃんはストリートクライちゃんの約束と仇を討つために来たんだから。定年前に世界最強の称号を得られるチャンスがきたのはアタシのお陰ででもあるんだよ。お礼言おうよ一社会人として」

「癪やがしゃあない。ありがとうございました」

「よろしい」

 

 デジタルは満足げな表情で鼻を鳴らす。暫く会っていないのでぎこちなくなると心配していたが、いざ話してみると瞬く間にかつての関係に戻っていた。

 

「さてと、世界最強に勝つためにどんな策を授けたの?アタシの時みたいに観客席に向かって走る?」

「アホか、あれはあの時だから有効な手段だった。そして策やが、見てのお楽しみや。定年前の最後の大勝負や。年甲斐もなく血が騒ぐ」

 

 デジタルはトレーナーの顔を見る。チームプレアデスのトレーナーの代表的なウマ娘と関係者やファンに訊けば、デジタルではなくビスタスペルバと答えるだろう。トレーナー最大の名誉であるダービーを取ったというのもあるが、最大の要因は相性だ。

 ビスタスペルバは勝利を第一に考える。今まで勝つときは正攻法で勝ったが、勝てばどんな勝利でも構わないというタイプだ。そしてトレーナーもどんな手段を使っても勝ちをもぎ取りに行く勝負師気質だ。

 デジタルの時は勝利以外を目標にしていたので、その本質は十全に発揮できなかった。

 だが今は違う。今日のレースに向けた自分には分からない盤外戦術を駆使し全力で勝ちにいくだろう。歴代屈指の実力のウマ娘と勝負師気質のトレーナーが走る。世界最強が破れる日が来るとすれば今日かもしれない。

 そして自分がトレーナーの代表的なウマ娘でないことにほんの僅かに嫉妬していた。

 

「ところで、ヤマニンキングリーがご執心なのはビスタスペルバか?」

「そうだけど」

「そうか、厄介な展開や、パドックで光っておったしな」

 

 トレーナーは苦虫を嚙み潰したような顔をする。パドックでヤマニンキングリーの姿を見た時にダートプライドのデジタルとダブっていた。あの時のデジタルは今までのトレーナー人生においてベスト3に入る強さだった。

 もしこのレースであの時のデジタルが走ったとすれば、ビスタスペルバは負ける可能性は充分にある。今日のヤマニンキングリーはデジタルと同じだと思っておいたほうがいい。世界最強に勝ててもヤマニンキングリーに負けてしまえば意味がない。

 さらにあの状態は強くなるだけではなく、執心している相手にプレッシャーを与える。それは絶対に勝つという断固たる決意とは別の圧を与え能力が削がれる、それが出来るウマ娘は世界中探してもそうはいない。

 

 一方デジタルはトレーナーに背を向けながら何度もガッツポーズを繰り返す。トレーナーは稀にパドックでウマ娘が光って見える。その状態になったのはヤマニンキングリーのビスタスペルバへの執着だろう。それは全面的に認める。

 それでも光るのはレースに向けての仕上がりも左右する。自分の調整がヤマニンキングリーを光らせたほんの僅かな要因になった。そして同時にトレーナーに認められたような気がしていた。

 デジタルはコース場に視線を向ける。本バ入場が終わり、出走ウマ娘達がゲートに向かいゲート入りを待っている。ヤマニンキングリーは露骨にビスタスペルバから視線を外し、感じたいという情念をレースに全てぶつけようとしている。ビスタスペルバはゼニンクスに何か話しかけている。きっと勝つ為に挑発なりトラッシュトークでもしているのだろう。

 デジタルはトレーナーとして教え子の幸せを祈り、ファンとしてどんな素晴らしいレースが繰り広げられるかという期待感を抱きながら、ふと感傷的な気持ちになりポツリと呟く

 

「正直さあ、約束はすぐに果たせると思ってたんだ。アタシには才能が有って、誰もが分からない才能が有るウマ娘の才能を見極めてGIを勝たせたり、チームに居るウマ娘ちゃんは最低でもOPクラスに上げさせられて、物凄い才能があるウマ娘ちゃんが『フッ、オモシレー女』って有力チームの誘いを断ってチームに入ってくれるとかさ」

 

 自分は競技者として特別な才能を持っていた。そしてトレーナーとしてもそうであり、ウマ娘のトレーナーは1流のウマ娘が育てられないというジンクスを打ち破り、今のストリートクライのようになれると楽観的に思っていた。しかし現実は全く甘くなかった。

 理想としていたサブトレーナーを数人抱え、日本の才能あふれるウマ娘は勿論、世界各国からウマ娘が師事を請いにきて、リーディングトップになるという目標には遥か遠い。

 メンバーは最低人数に少しだけメンバーが増えた程度でサブトレーナーは居ない。GIに出走したウマ娘もトレーナー生活十数年でヤマニンキングリーが初めてだ。今のデジタルはよくて2流程度だ。

 そしてトレーナー生活で多くの酸いを味わった。素質あるウマ娘の状態を見抜けず怪我させて2度と走れなくした。

 目をかけていたウマ娘があっさりと別のチームのトレーナーにスカウトされた。

 運よく素質あるウマ娘をスカウトしたが、結果が出ないことに業を煮やして移籍し、移籍先で重賞を何度も勝った。

 

「正気か?どんだけ頭お花畑や」

「だよね~」

 

 デジタルはトレーナーの辛辣な言葉に一瞬目を丸くするが、すぐさま苦笑で誤魔化す。

 

「ごめんね不肖の弟子で。ヤマニンキングリーちゃんが居なきゃ、白ちゃんとの約束も果たせないポンコツだ」

「アホか、まだトレーナー初めて十数年やろ。俺から見たらペーペーの若造でポンコツなのは当然や。あと30年はあるんやから、それだけあれば多少はマシになる。精進せい」

 

 トレーナーはデジタルの肩に手を置く。それはトレーナーとサブトレーナー以前のトレーナーと現役であったころのやり取りのようで、デジタルは数十年の時をタイムスリップしたような感覚を味わった。

 

「それにペーペーの若造のポンコツやが凄いと思っとる点もあるんやぞ」

「それって何?」

「言うと自惚れるから言わん」

「そこまで言うなら言ってよ」

 

 デジタルは現役時代のように気軽な態度でトレーナーの肩を掴み揺さぶる。

 

 中央トレセン学園に入るウマ娘は皆が頂点を目指す。その中で現実を知り妥協点を見つけ、それなりに頑張って青春を謳歌しようと俗言うエンジョイ勢になる。

 そして大半のチームは勝利を目指すガチ勢だ。そしてデジタルのチームはガチ勢とエンジョイ勢が所属している。ガチ勢とエンジョイ勢は相反し高確率で衝突する。だがデジタルのチームではそれが起こらない。お互いの主義主張を認め合い尊重している。

 そしてチームに所属していたウマ娘達は皆トレセン学園は楽しかったと口をそろえて言い、卒業後も交流が続くほど仲が良い。これは1流と呼ばれるトレーナーでもできない。

 それはデジタルのウマ娘に対する愛だろう。関わる限り全てのウマ娘を幸せにすると気遣い環境を整える。

 全てのウマ娘が頂点に立つことが出来ず、失意の元に去っていく。だがデジタルは失意ではなく楽しい記憶を与える。ある意味最高のトレーナーかもしれない。

 

「デジタル、最高のトレーナーの条件は何やと思う?」

「ウマ娘ちゃんの望みを叶えられるトレーナー、大半のウマ娘ちゃんは勝つのが望みだから、アタシは最高には程遠いけど」

 

 デジタルは自嘲気味に答えるがトレーナーは満足げな表情を浮かべる。長年のトレーナー生活で見つけた答えに辿り着いた。

 

「正直に言うとヤマニンキングリーじゃレースでビスタスペルバを感じられないと思っておった。だがお前のチームに入り、丹精込めて育てたから望みが叶られるウマ娘になった。誰でも出来る事やない。お前は俺の誇りや」

 

 トレーナーは真剣な表情で語る。今日のレースでビスタスペルバはヤマニンキングリーに追い詰められるという確信があった。それはヤマニンキングリーがゴールまでに限りなく接近し近づくという事だ。

 手前味噌だがビスタスペルバは強い。ヤマニンキングリーではここまで苦戦させられるわけもなく、そもそも札幌記念で負けることもなかった。デジタルがトレーナーだからこそ望みを叶えられるまでになったんだ。

 そしてデジタルの苦労は陰ながら見ていた。多くの苦難を味わいながらも挫けずトレーナーを続け、多くのウマ娘を幸せにして約束を果たした。これを誇りと言わず何と言うのだ。

 

「止めてよ。歳とって涙腺緩いんだから」

 

 デジタルは思わず天井を仰ぐ。この言葉はかつて引退式に言われた言葉だ。今までそれなりに褒められたが、一番嬉しかった言葉だ。

 トレーナーである今の自分は現役選手であった自分と比べて褒められる点は無い。世間から見たら2流以下だ。それでも結果ではなく、自分なりに苦労し乗り越えてきた過程を褒められた気がした。

 

「デジタル、俺にはある夢があったんや」

「どんな夢?」

「育てたウマ娘でおまえを倒すって夢や。今日のヤマニンキングリーはダートプライドの時のお前や。定年前に世界最強の他にもう一つの夢も叶えさせてくれた。孝行弟子やでほんまに」

「白ちゃんこそありがとう。ビスタスペルバちゃんをここまで素敵なウマ娘に育ててくれて。ヤマニンキングリーちゃんは最高に幸せな体験をする。弟子思いの師匠で嬉し涙が出てくるよ」

 

 2人は芝居がかった動作でお互いを褒め合い、妙な可笑しみを感じて笑い合う。

 

「さて、お互いのウマ娘の幸せを願いながら見るか」

「そうだね」

 

 デジタルはゲートに入るヤマニンキングリーに目線を向ける。どうかビスタスペルバを存分に感じられるレースになりますようにと再度祈る。

 

 勇者と呼ばれたウマ娘のセカンドキャリアは決して理想的ではなかった。それでも少しずつ理想を目指して歩み続ける。

 勇者とは勇気ある者であり勇気を与える者、その勇気とウマ娘に対する愛はどんな困難にも立ち向かい、関わる者に勇気を与え幸せにするだろう。

 

 

 勇者の物語はこれからも続く。

 




これにて勇者の記録は終わりです。

 ふとしたきっかけで書き始めましたが、書きたいシーンやレースがどんどん湧いてきて、全て書くのに4年も掛かってしまいました。我ながら飽きずに最後までよく書けたと思います。
 そして最後まで書けたのはこの作品を読み、誤字脱字の指摘やコメントをしてくださった全ての方々のおかげです。ほんとうにありがとうございました。

 勇者の記録についての後書きを書きましたので、興味がある方は読んでみてください
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