ヒガシノコウテイは駅構内から外に出ると体を大きく伸ばし深く息を吸い込み吐いた。長時間での移動により凝った筋肉が伸び、暖房で温められた体の熱が冬の外気で冷やされ心地よい。
周りを見渡すと左手には地元には全くないおしゃれな外観の建物があり、外壁には大型の液晶モニターが設置されており映画の予告映像が流れている、
右手には地元にもある百貨店があるが都心だけあり外装の華やかさも規模も雲泥の違いだった。
「ここから会場は何分ぐらいですか」
「歩いて10分ぐらいだな、こっちだ」
ヒガシノコウテイはトレーナーの後についていく。本来なら一休みでもして近くにある美術館で絵画鑑賞でもしたいところだが、あと1時間半後にはフェブラリーステークスの前々日会見がおこなわれる。
遅刻したとなれば岩手の、地方ウマ娘の評判を落としてしまう。それはあってはならないことだ。
すると視界に1人のウマ娘が入る。170センチ台後半の身長に黒髪のベリーショートに鋭い目つき。その姿には見覚えがあった。
史上初の南関4冠を達成した地方の若きエースのセイシンフブキだ。
年の瀬のGI東京大賞典では先着したが骨折明けで本調子ではなかった。今回のフェブラリーステークスでは万全でくるだろう。
ヒガシノコウテイは数秒セイシンフブキに視線を向けた後すぐに視線を外しながら早足で歩く。
同じ地方所属として声を掛けようとしたが見送ることにした。元々社交的な性格ではなく、何より発せられるヒリつく空気に萎縮していた。
横をすり抜ける瞬間セイシンフブキが横を振り向くと反射的に顔を向けてしまいお互いの視線がばっちり合う。
「あっ…どうも」
「こんにちは」
セイシンフブキは軽く会釈を、ヒガシノコウテイは行儀よく頭を下げてあいさつをする。
「ヒガシノコウテイさんも今から会場に行くんっすか?」
「はい」
「一緒に着いていってもいいっすか?スマホが電池切れで道がわからなくて」
「かまいませんよ」
「あざっす」
セイシンフブキは了承を得るとヒガシノコウテイの隣につき歩き始める。するとヒガシノコウテイはある変化に気づく。
ピリピリした空気が感じない、いや雰囲気が和らいだというべきか。
声をかけられる前の雰囲気なら居心地が悪いので、さりげなくトレーナーの横に並ぶつもりだった。だが今なら隣にいても悪くはないと思っていた。
セイシンフブキはヒガシノウテイのことは嫌いではなかった。
本調子ではなかったとはいえ初めて自分に先着したウマ娘であり、同じ地方の、ダートのプロフェッショナルとしてある程度の尊敬の念を持ち、その敬意が刺々しい雰囲気を和らげていた。
「東京は初めてっすか?」
「いえ、オペラお姉……メイセイオペラ選手が出走したフェブラリーステークスを見に来たことが」
「あのレースですか、あたしも現地で見ていました」
セイシンフブキは当時の思い出し感慨深げに語る。アブクマポーロのライバルであったメイセイオペラ。東京レース場は嫌いだがメイセイオペラが出るレースとならばダート愛好家として見なければならない。
メイセイオペラがダートプロフェッショナルとして芝のクラシックレースに勝ったキョウエイマーチに勝ったのは痛快だった。
芝で結果を出せないからダートならという反吐が出るような考えを叩き潰してくれて胸がすっとした。
そしてあの先行抜け出しという横綱相撲での勝利は見事だった。あの強さは尊敬に値する。
「そうなんですか!?地方の威信を背負っての勝利!あのレースでたくさんの勇気をもらいました!」
ヒガシノコウテイは目を輝かせて喋り始める。大人しい人だと思っていたが勢いよく喋る姿には戸惑う。
メイセイオペラの話題から2人の会話は弾む。過去の地方ウマ娘についてなど共通の話題が多く、会場までの道中はあっという間に過ぎていった。
「じゃあアタシの控え室はこちらですので」
「はい」
2人は会場があるホテルに入り控え室前までたどり着く。そこから正装に着替えて会見をおこなうのが本日の流れである。するとヒガシノコウテイがセイシンフブキの前に手を差し出す。
「私たちもメイセイオペラさんやアブクマポーロさんのような偉大な先輩達のように中央を蹴散らし、地方を盛り上げて行きましょう」
今回のフェブラリーステークスは完全なアウェイであり、出走ウマ娘はほぼ中央所属だ。だがセイシンフブキだけが唯一の地方所属である。
レースでは自分以外は敵である。だが矛盾しているようだがセイシンフブキは敵ではないと思っていた。
味方、いや地方のために尽力する同志だ。その同志と健闘を誓うための握手だった。
だがセイシンフブキはその手を見つめたまま握手することはなかった。
「ヒガシノコウテイさん、一つ訂正させていただきます。アブクマポーロは……あいつは偉大な先輩じゃない。ただのカスだ」
今まで穏やかだった雰囲気が一変する。怒気と侮蔑の感情が溢れ出しヒガシノコウテイに伝わる。
先ほど遠巻きで見て感じた威圧感を何倍に濃縮したようだ、今すぐに立ち去りたい。だがその場に留まり真っ直ぐ目を見据え反論する。
「どうしてそんなことを言うんですか!?アブクマポーロさんは中央から南関を守り地方ウマ娘に勇気を与えてくれたヒーローじゃないですか!貴女もそうだったんじゃないですか?」
メイセイオペラのライバルであるアブクマポーロ、何度もその前に立ちふさがりGIの勲章を奪い取ってきた。もし居なければあと何個の勲章を積み重ねることができただろうか。本来なら憎いはずだった。
だがあのすべてのウマ娘をねじ伏せる四角からの捲くりも一瞬でちぎり捨てる末脚も好きだった。
もし自分が南関に住んでいたらメイセイオペラに憧れたようにアブクマポーロに憧れていたのだろう。
ヒガシノコウテイにとってアブクマポーロは敵ではなくもう1人の憧れだった。その憧れをカスと言うことはメイセイオペラを侮辱することと同じだった。
「あいつは……あたしを……ダートを裏切って日経賞に出やがった!それをカスと言わず何をカスって言うんだ!」
「何でそれがカスなんですか?」
「ドバイワールドカップに…ダートじゃなくて芝を走ったんだぞ!」
「ですが日経賞に出て勝てば天皇賞春に出られます。天皇賞春に勝てば地方所属での芝GI勝利です。そうなれば南関は一気に盛り上がります。南関のことを考えれば一回は芝の適正を試すのも悪くはないと思います」
激昂するセイシンフブキに対してヒガシノコウテイは毅然とした態度で意見を述べる。
ヒガシノコウテイも当時はアブクマポーロがドバイワールドカップでは日経賞を選んだのは疑問だった。しかし現状のダートより芝を重視する日本ウマ娘界の風潮を考えればまだ理解できる。
もし天皇賞春に勝つようなことがあれば社会現象と呼べるブームを巻き起こせるかもしれない。そうなれば南関や地方への影響は計り知れないだろう。
だがその一言がセイシンフブキの逆鱗に触れた。ヒガシノコウテイの襟首を荒々しく掴み吊るし上げ憤怒の表情を見せる。
「あんたは違うと思っていたが、しょせんそっち側かよ」
セイシンフブキは手を離しヒガシノコウテイは思わず尻餅をつく。そしてゴミを見るような侮蔑の視線を向けると自分の控え室に入る。ヒガシノコウテイはその様子を呆然と見つめていた。
2人は同じ地方所属でダートを主戦場としている。一見似たもの同士かもしれないが主義主張は異なっていた。
ダートをとるか地方をとるか?
その質問を両者にしたとしたらヒガシノコウテイは地方、セイシンフブキはダートと答える。
だからこそアブクマポーロの日経賞への出走についてヒガシノコウテイは理解を示し、セイシンフブキは理解することを拒絶していた。
───
中に入るとそこは豪華絢爛と呼べる空間だった。白を基調にし無駄な装飾を施さず落ち着いた雰囲気を醸し出す。
そして高さ6mの天井にはシャンデリアが設置され華やかさを演出する。そしてフロア正面には3台のせりステージを設置され天井付近には「フェブラリーステークス前々日会見」と書かれた横看板が吊るされている。
「相変わらず豪華なところだね」
「ほんまやな。こんな機会しかこんな場所来れへんわ」
アグネスデジタルは会場の雰囲気にマッチした赤青黄の色を散りばめたドレスを身にまとっている。一方トレーナーも会場に相応しい一張羅のスーツを着ている。
「来たのは天皇賞秋以来か」
「オペラオーちゃんとドトウちゃんとのふれあいを思い出すな~」
初めて面と向かって会話したのが天皇賞秋の前々日会見だった。今では2人とは友人だがあの当時の自分はこうなることを想像できただろうか。
「あの時はお前が何を言うかヒヤヒヤしたわ」
一方トレーナーはウラガブラックの出走問題でデジタルが失言をしないかヒヤヒヤした当時の心境を思い出していた。
『ではこれよりフェブラリーステークスの枠順抽選会及び前々日会見を始めます。出走ウマ娘の選手は壇上にお上がりになって指定の席についてください』
「あっ呼ばれてる。じゃあ行ってくるね」
「おう、粗相するなよ」
会場アナウンスに促されデジタルは壇上に向かった。
枠順抽選は滞りなく進み、アグネスデジタルは5枠9番、ヒガシノコウテイは4枠8番、セイシンフブキは6枠12番を引いた。
『では続いて、このレースのプレゼンター兼中央ウマ娘協会広報部所属のオグリキャップさんからお言葉を頂きます』
その言葉を聞き壇上のウマ娘から歓声のようなざわめきがおこる。
オグリキャップ
笠松ウマ娘協会でデビューしたウマ娘であり、ジュニアC級になると中央に所属を移し中央所属のタマモクロスやスーパークリーク、同じく地方の大井ウマ娘協会から所属を移したイナリワンなどと激戦を繰り広げる。
その実力と地方から中央に殴り込み成り上がるというシンデレラストーリーはブームを巻き起こし、興味がなかった人すらオグリキャップの名は知れ渡り、元々知名度があったトウィンクルシリーズの人気をさらに爆発的に上げた。
トウィンクルレースでは3冠ウマ娘のシンザンなど歴史的ウマ娘は数多くいるが、知名度という面ではオグリキャップを凌ぐ者はいないと言われている。
そして壇上に上がっているウマ娘の大半はオグリキャップの活躍を見ていて、直撃世代の彼女らには嬉しいサプライズだった。
オグリキャップは新雪のような白のロングドレスを身にまとい壇上に上がる。何を話すのか?会場にいる全員が固唾を飲んで見守る。
「オグリキャップです。明後日には今年初めてのGIレース、フェブラリーステークスが行われます。真冬の肌寒い季節ですが、そんな寒さすら吹き飛ばすようなレースを一人のウマ娘レースファンとして期待しています」
オグリキャップは喋り終わると一礼し会場から拍手が起こる。話として無難な内容といえるものだった。だが壇上のウマ娘達は憧れのオグリキャップからエールを受け気持ちが高揚していた。
『ありがとうございます。では各選手の方々一言お願いします』
壇上のウマ娘は司会に促され一言ずつ意気込みを語っていく。そしてヒガシノコウテイの番が回ってくる。
「岩手ウマ娘協会所属ヒガシノコウテイです。このフェブラリーステークスは同じ岩手所属のメイセイオペラ選手が出走し歴史的快挙を達成したレースです。私も偉大なる先輩と同じようにレースに勝ち、フェブラリーステークスのレイを岩手に持ち帰りたいと思います」
ヒガシノコウテイは静かに落ち着いた声色で淡々と抱負を語り隣に座るアグネスデジタルに渡す。
岩手の至宝を奪い取った相手が目の前にいる。今での闘志が溢れ出し睨みを利かせてしまいそうだが必死に押さえ込む。
その努力が実ったのかデジタルはヒガシノコウテイの内に秘めた闘志に気づくことなくマイクを手に取る。
「アグネスデジタルです。ウラガブラックちゃんと一緒に走れないのは残念ですが、このレースに出走するウマ娘ちゃん達はどの娘も魅力的で一緒に走れるのは楽しみです。そしてこのメンバーとレースを楽しんで勝ってドバイに行きたいと思います。サキーちゃん待っていてね~」
デジタルの願望垂れ流しのコメントに会場が笑いに包まれる。
本来ならもう少し真面目にコメントをすべきと批判を受けることもあるのだがデジタルのキャラクターはある程度浸透し始め、これぐらいのくだけたコメントは許容範囲だった。
そして各ウマ娘が抱負を語りセイシンフブキの順番が回ってくる。
「え~あたしは非常に不機嫌です。フェブラリーステークスってダート1600のGIだよな?なのに何でスタートが芝なんだ?おかしくね。これじゃあ芝150メートル、ダート1450メートルだよな。これじゃJAROに訴えられるぞ。こんなクソコースで走らきゃならないと思うと腸煮えくり返る思いです。今すぐこのクソコースを改修するか、芝スタートじゃないコースでレースしろよ。まあ芝至上主義の中央じゃそんなことするわけないけどな。あとトゥザ…ルーザーにアグネス…ポンコツだっけ?芝の奴がダートに来るんじゃねえよ。大人しく芝で軟弱なゴボウ共と走ってろ。それともドバイワールドカップに出たいからフェブラリーで勝ちたいってか?ふざけるな。ここはあたし達の場所だ。最近は芝で勝てないからってダートに来る奴が多すぎる。芝で勝てないからダートで勝てると思ってんじゃねえよ。とりあえず感覚で来るな。ダートプロフェッショナルとして叩きつぶしてそいつらと同じように恥さらしにしてやる」
喋り終わるとマイクを隣のウマ娘に荒々しく渡しふんぞり返る。そして会場は水を打ったようになる。
中央ウマ娘協会への批判は無いわけではなく、ゴシップ雑誌やネットの個人ブログでは文句を言っている者もいる。だがセイシンフブキは公然と中央ウマ娘協会を批判した。
何という大胆不敵さ。その言葉遣いと内容は中央ウマ娘協会に喧嘩を売っていると言われても仕方がないものだった。
そしてトゥザヴィクトリーとデジタルへの言動。気性の荒いウマ娘がいる場合は舌戦のような煽り合いになることはある。だがこれは明確な侮辱だった。
何より芝からダートを走ったウマ娘への言及、トレセン学園のウマ娘は入学前に適正テストを経てある程度自分の得意分野を知る。
だがテストだけでは本当の適性はわからないものだ。芝の適正が出てもダートで走って芝以上の強さを見せるなど例を挙げれば星の数ほどある。
芝のレースに走っていたウマ娘が自分の適性を測るためにダートのレースに走ることは当然の選択である。
だが病的なまでに芝を憎むセイシンフブキにとってそれは当然の選択ではなく、ダートを侮辱する憎むべき行為だった。
一方批判されたトゥザヴィクトリーは予想外の出来事に一瞬呆けた後詰め寄ろうとするが隣のウマ娘たちに押さえつけられていた。場内は騒然となるが何とか会見は進行し無事終了し、ウマ娘たちはそれぞれトレーナーやチーム関係者の元に帰る。
「全くトゥザヴィクトリーちゃんをトゥザルーザーなんて言うなんて感じ悪い!」
「お前はポンコツ扱いだがそれでもええんか?」
「あたしは別にいいの。それより白ちゃんこそ『うちのデジタルをポンコツ扱いするとは舐めとんのか』って壇上に上って詰め寄るぐらいの甲斐性見せてくれてもいいんじゃない」
「人の名前をあんな風に言って神経を逆撫でさせるのはある意味常套手段や、褒められたもんではないが、それにポンコツ程度なら中央ウマ娘協会への罵倒に比べたら可愛いもんだ」
天皇賞秋のキンイロリョテイもオペラオーやドトウに中々のトラッシュトークをした。
あれは闘争心が抑えきれず言ってしまったという感じだがセイシンフブキは明確に憎悪をぶつけたという感じだ。なんであそこまでウマ娘を憎めるのだろう。デジタルにはその心境が理解できなかった。
そしてトレーナーもセイシンフブキという存在を強く印象づけられる。トウィンクルシリーズという一大興業を仕切る中央ウマ娘協会にあそこまで苛烈な文句を言うとは何という怖いもの知らず。
しかも東京ダート1600をクソコースとは。よほどこのコース形態に不満が溜まっているのだろう。実際外側は30メートル芝が長く先行する際は外枠が有利というように多少不平等でもある。しかしクソコースはないだろう。
「さてと次は記者達の取材か、デジタル、不機嫌なのはわかるがそれを表に出すなよ」
「わかってる」
デジタルは言われたそばから不機嫌さを隠し切れない様子で返事をする。
すると早速2人の元に誰かが近づいてくる。記者たちだろう。2人は心の準備をするがそれは意外な人物だった。
「こんにちはアグネスデジタル。少しいいかな」
「オ…オグリキャップちゃん!いいよ!何分でも何時間でも!あのオグリキャップちゃんが目の前にいる!幸せ~」
セイシンフブキの件で下がったデジタルの機嫌はオグリキャップの登場により一気に良くなる。
目を輝かし興奮気味に喋るデジタルに対しオグリキャップは動じることなく淡々と話す。
「私のことを知っているのか?アグネスデジタルは確かアメリカ出身で私が走っていた頃はアメリカで生活していたと思うのだが」
「うん。けどレース映像やライブ映像やオグリキャップちゃんに関するエピソードは白ちゃんから聞いて色々知っているよ」
「それは光栄だ。ではすまないが幾つか質問させてもらう」
オグリキャップはメモとペンを取り出す。広報として独自に話を聞いてまとめたものをブログなどに掲載することも仕事の一つである。
質問はアメリカ時代のことや今後のことなどなど当たり障りのない質問でデジタルは詳細に答え、逆にオグリキャップに質問をしてきたがトレーナーがそれを止めるというのを繰り返していた。
「それではこれで以上だ、協力感謝する」
「うん、こっちも楽しかったよ」
「今日本ウマ娘界でドバイワールドカップに勝つとするなら、芝とダートの両方を走れるアグネスデジタルだろうというのが業界での評価だ。期待している」
オグリキャップは2人に一礼すると他のウマ娘の下へ向かっていった。
「聞いた?聞いた?オグリキャップちゃんが期待しているって!感激~!もうこれだけで会見に来た甲斐があったよ」
「よかったな」
「帰って皆に自慢しよ~グフフフ!」
デジタルはその後の記者の取材も上機嫌で答えた。
一方セイシンフブキとヒガシノコウテイの元には記者が集まり取材を受けていた。
メイセイオペラに続いての快挙を期待してか多くの記者が着ており、特にセイシンフブキは過激な言動もあり多くの記者達が集まり取材を受けていた。
そして記者達の取材が終わるのを見計らってヒガシノコウテイはセイシンフブキの元に近づいた。
「あの、セイシンフブキさん」
「何だヒガシノコウテイ?」
セイシンフブキは言い争った時、いやそれ以上の怒気をヒガシノコウテイにぶつける。
最初は敬称をつけていたのに今はタメ口、よほどあの時の言葉が許せなかったのか。別にそこまで怒られることを言ったつもりはないが。
ヒガシノコウテイは身長差からか見上げるようにして喋る。
「今後はあのような言動は慎んでください。地方ウマ娘の品位に関わります」
ヒガシノコウテイは人見知りのきらいがあり、セイシンフブキには関わりたくなかった。
だがあのような態度を注意して直しておかないと地方全体のイメージが著しく下がってしまう。彼女の地方を愛する気持ちと地方を代表しているという責任感が勇気を生み行動を起こさせた。
だが勇気を振り絞って発した言葉はセイシンフブキには届かない。
「なんで?実際クソコースなんだから、クソコースをクソコースって言って悪いのかよ」
「別に主義主張を持つのはかまいません。ですがもっと穏便な言動で抗議してください」
セイシンフブキは何も悪い事をしていないという態度を見せ、それがヒガシノコウテイの神経を逆撫でした。
場の空気は剣呑なものとなっていき一触即発となり、その空気を感じたのかさらなるゴシップを入手できると聞き耳を立ていつでもシャッターをきれるように準備をとる。
「こんにちはセイシンフブキ、ヒガシノコウテイ。少し話を聞かせてもらっていいか?」
この剣呑な空気を感じていないのか、それとも感じていたのか分からないがオグリキャップが間に入り話しかける。
2人は同時にオグリキャップの方に視線を定める。その表情は他のウマ娘達が抱いていた憧れとは別の感情が宿っていた。
「すみません、オグリキャップさんにセイシンフブキ選手にヒガシノコウテイ選手。こちらに視線向けてもらっていいですか?」
「すみません。こちらもお願いします」
すると記者たちが3人の下へ押し寄せる。地方から中央に移籍し成り上がった元祖地方の英雄と地方から中央のGI制覇を目指す新時代の地方の英雄の邂逅、この絵は記事の一面になる題材であり是非とも写真に撮っておきたかった。
オグリキャップは笑顔を作り視線を向け、ヒガシノコウテイも一拍置いて笑顔を作り目線を向ける。一方セイシンフブキはノーリアクションだった。
「オグリキャップさん同じ地方出身として激励の言葉はありますか?」
「セイシンフブキ選手、ヒガシノコウテイ選手。元祖地方の英雄と対面してどんな気分ですか?」
記者たちは矢継ぎ早に質問を投げかける。だがその質問はヒガシノコウテイの地雷を的確に踏み抜いていた。
「……してください」
「ヒガシノコウテイ選手何と言いました?もう一度お願いします」
「訂正してください!私はこの人と同じ地方出身でもないし!この人は地方の英雄でもない!訂正してください!」
ヒステリックな金切り声は会場全体に響き渡り皆が一斉に振り向く。大人しげな印象のヒガシノクテイの豹変、その豹変に記者一同はもちろん、ふてぶてしい態度をとっていたセイシンフブキすら驚いていた。
「ヒガシノコウテイ選手、それはどういう意味でしょうか?」
「まずオグリキャップさんは地方から中央に移籍したマル地。私達は地方に在籍しているカク地です!オグリキャップさんはもう笠松のウマ娘ではありません!そして英雄ではなく地方から逃げただけです!」
「地方から逃げたというのは違うのではないでしょうか、ヒガシノコウテイ選手」
すると40代ほどの記者がヒガシノコウテイの主張に異を唱える。ヒガシノコウテイは言葉を止め、それを喋ってよいという合図とみなし自身の主張を語り始める。
「当時は中央のほうが圧倒的にレベルは高かった。その中央に移籍し挑んだことは挑戦と捉えるべきではないでしょうか?このまま地方に留まって勝ち続けていてもそれこそ中央から逃げたということになるのではないですか?そしてオグリキャップさんはダートより芝のほうに適正が有ったと思います。ですが中央にしか芝のレースは有りません。それに当時は地方から中央に挑戦するにしても出られるレースは限られていた。ならば中央に移籍することは自然な流れだと思います。それにオグリキャップさんも苦渋の決断で中央を選びました。それを逃げたとくくるのは失礼なのではないでしょうか?」
オグリキャップは当時中央に移籍するか地方に留まるか悩んでいた。そんな中笠松の人々が『お前はこんなところで留まる器ではない』と後押ししてくれた話は美談として有名であった。
40代の記者の言葉に一同が頷く、逃げではなく挑戦。それは世間一般のオグリキャップへの解釈だった。だがヒガシノコウテイの解釈は全く違っていた。
「出るレースが無かった?当時はオールカマーとジャパンカップは地方所属でも出られました。ジャパンカップをとるならこのローテーションで充分でしょう。そして芝のレースに出たかったら、ジャパンカップに勝った自分を他のGIに出さないのか?中央はそこまでして地方にGIを取らせたくないのかとでも言って大々的に主張すればいい。そうすれば世論が後押しして中央も出走させざるを得なかったと思います」
ヒガシノコウテイの主張はやや乱暴といえるものだ。ルールを変えればいいというのは口にするのは簡単である。だがそのためには多大な労力と困難が付き纏い、それでもルールを改正できないかもしれない。
そうなればオグリキャップの稀有な才能は存分に力を発揮できなかった。そういった意味では選択は間違っていない。
だがヒガシノコウテイは仮にオグリキャップと同じ時代同じ立場に生まれたとしてもこの考えを実行していたという自負があった。
「ですがオグリキャップさんはそれをしなかった。本当に笠松を愛していたならこの考えにたどり着いたはずです。それに笠松の人々は本当に中央に行く事を望んでいたのでしょうか?確かにその稀有な才能が笠松で埋もれるより中央で羽ばたいてほしいという親心と罪悪感はわかります。ですが本当に見たかったのは『笠松で育ち中央で活躍するオグリキャップ』なく『笠松所属で中央に立ち向かう『私達』のオグリキャップ』ではないでしょうか!?」
もしメイセイオペラが中央に移籍とすると言っていたら、岩手の皆も自分も笑って送り出そうとするだろう。
それでも心の奥底では岩手を捨てないでくれ、私達のメイセイオペラで居てくれと思っていたはずだ。そして思いを汲み取り岩手に残り続けてくれた。
そして自分の主張を話していくうちに感極まり始め言葉にも熱が帯びてくる
「そして地方の英雄というのはピークが過ぎ体に爆弾を抱えながらも地方を守ろうと懸命に走ったトウケイニセイさん!中央のGIに挑み勝利し地方ウマ娘に光を示してくれたオペラお姉ちゃん!なにより地元のレースで懸命に走り、ウイニングライブで工夫を凝らしお客様を盛り上げ、交流重賞で地方の誇りを守るために中央を迎え撃ち、そして地方の力を示す為に中央に挑んでいったウマ娘達!そして地方を盛り上げようと努力している関係者の方々!そしてそんな地方を応援してくださるお客様すべてが地方の英雄なんです!オグリキャップさんは英雄であっても、断じて地方の英雄ではない!」
ヒガシノコウテイは熱弁を振るったのか息を切らしながら記者一同を見渡す。
地方は中央という強大で眩い光にかき消されそうになっている。現にいくつもの地方レース場は客足が遠のき中央があるから存続させる意味が無いと潰れていった。それでもアイディアを振り絞り懸命に努力していることを知っている。
オグリキャップは確かに素晴らしい競走成績を残し、地方から移籍し成り上がったというドラマ性を含めても英雄と称しても文句は無い。
だが地方から出て行ったものが『地方の英雄』であってはならない。その認識は正さなければならないという想いがヒガシノコウテイに熱弁を振るわせた。
そして視線を記者からオグリキャップに向ける。高揚した精神が普段押し留めていた思いをさらに吐き出させる。
「オグリキャップさん、私が何より許せないのが笠松で引退式をしたことです。偉大な成績を残した貴女が引退式をあげるのは当然の事です。中央で引退式をあげるのは分かります。ですが何故笠松で引退式を行ったのですか?貴女はもう中央のウマ娘でしょう。笠松からオファーが有ったと聞きますがそこは絶対に拒否すべきでした。もう笠松の地を踏みしめる事は二度と無いと言う覚悟で移籍したのではないですか?それじゃ笠松にも中央にもケジメがつかないでしょう。実際は多くのファンに温かく迎えられたそうですが気分が良かったですか?私なら絶対に行きません、いや行けません。そんなことをしてしまったら恥ずかしすぎて腹を切ります。それに……」
ヒガシノコウテイは普段の口少なさから想像できないほど喋り続ける。そして言葉は主張ではなくオグリキャップへの罵倒に変わり始めていた。
それを察知したのかヒガシノコウテイのトレーナーは即座に手で口を押さえ文字通り口を封じた。
「オグリキャップさん、度重なる非礼な言動を陳謝いたします。記者の皆様も取材はこれで終了という事でお願い致します」
トレーナーはオグリキャップに深々と頭を下げると、ヒガシノコウテイを引きずる様にして会場を後にし記者たちはその様子を呆然と眺めていた。
「フッ。人には品位を落とすような言動をするなと言っておきながら自分がやってるじゃねえか」
困惑と戸惑いが満ちている空間のなかセイシンフブキはおかしそうに笑った。
現役を退いてもなお絶大な人気を誇る稀代のアイドルウマ娘オグリキャップ、誰もが褒め称え賞賛するウマ娘に対してあそこまで文句を言った人物はそうは居ないだろう。
ダートを軽視するその主義は気に入らないがオグリキャップに噛み付いたその気質は嫌いではない。
「セイシンフブキ選手はオグリキャップ選手についてどう思いますか?」
するとスポーツ新聞の記者が質問を投げかける。大人しそうなヒガシノコウテイがあれほどのことを言うならばセイシンフブキはもっと苛烈なことを言うに違いない。その言葉を引き出し、見出しにして部数をあげるのが狙いだった。
「ガキの頃親戚の家に行ったついでに笠松レース場に行ってさ、そこで物凄い走りをするウマ娘がいたんだよ。痺れたね。あたしの中で歴代ダートウマ娘ベスト10には確実に入るね。それがオグリキャップだった」
セイシンフブキは昔話から話を切り出しオグリキャップを褒め始める。
苛烈な言葉が繰り出されることを不安と期待していただけにある記者は安堵を、ある記者は落胆の様子を浮かべる。
「けど、そのオグリキャップは中央に、芝に移った。あの当時はダートから逃げやがってと泣き喚いたもんだ。オグリキャップはダートより芝のほうが向いていると言う奴も居るがあたしはそうは思わない。あの強さならダートを変えてくれると期待していた。それこそヒガシノコウテイの言うとおり中央の奴を煽りまくってダートに引きずり込むぐらいのことをしてもらいたかったけどな!」
セイシンフブキはオグリキャップに挑発的に視線をぶつける。この主張はヒガシノコウテイの主張より乱暴なものだった。
オグリキャップが走っていた当時は今よりもダート路線は冷遇され、地方以外走るものが皆無と言っていい状態だった。
その時代にいくら挑発しても芝を走っている一線級のウマ娘がダートに走る可能性は皆無と言っていい。
だが病的とまで言っていいほどダートに執着するセイシンフブキには関係ない事であり、ダートで力がある者がダートを盛り上げようとせず、ダートを走らないことは万死に値することだった。
「話しているとむかっ腹が立ってきたから帰る」
一方的に主張を述べると出口に向かって踵を返す。もっと話を聞きだしたい記者たちは食い止めようと考えるが、怒りの矛先が向きそうになるので思い留める。そんななか1人の記者が意をけして問いかけた。
言動の節々から感じるダートへの思い。そのセイシンフブキがこの質問に何と答えるか興味があった。
「セイシンフブキ選手。貴女が考えるダート最強ウマ娘はだれですか?」
「アブクマポーロ」
ノータイムでの答え。その答えは質問を投げかけた記者を大いに驚かせた。
アブクマポーロとの確執は知るところであり、普通ならば名を答えたくないのが心情である。
だが即答でアブクマポーロの名をあげる。記者にはその心情を推し量ることができなかった。一方セイシンフブキは質問に答えるとすぐさま足早に会場を後にした。
2人の地方ウマ娘が嵐を巻き起こし、瞬く間に去っていった。その残した爪あとは大きく翌日のスポーツ新聞やウマ娘のニュースは2人の話題一色なった。
――――――――――――――――――――――
「この電車は船橋行きの電車です」
セイシンフブキは車内のアナウンスを聞きながら目を閉じて後頭部を窓につけて眠ろうとする。しかし自分が発した言葉について思考が傾き睡眠を邪魔する。
―――――アブクマポーロ
最強のダートウマ娘について答えた時熟考することなく反射でその名を答えた。ダートの強豪は数多くいる。
フェイトノーザン、カウンテスアップ、トウケイニセイ、メイセイオペラ、
だがアブクマポーロを選んだ。アブクマポーロはダートを裏切ったカスでありその名を口にしたくも無いはずなのに。だがその強さは本物だった。
強いものを強いと認められず私情で答えを曲げ違う者の名前をあげたらダートプロフェッショナルとして誇りは失われてしまう。だから名をあげたのだ。
その強さを持ちながらどうして?どうしてダートを裏切った!
セイシンフブキはあの日の出来事を思い出し、歯を食いしばり拳を強く握った。その体から発せられる怒気を察したのか隣に座っていた乗客は無意識に席を立ち離れていった