勇者の記録   作:白井最強

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勇者のサブクエスト#2

 トレセン学園にある栗東寮から離れた空き地、そこは手入れがされておらず地面にところどころ雑草が生えている。そして人が通ることは少なく、明かりも太陽が落ちた夜では寮に続く道を照らす街灯が唯一の光源になりその光は弱い。その微かな光にエイシンプレストンが映し出される。直立不動の姿勢で目を閉じて静かに息を吐く、

 

 吸って吐いて吸って吐いて。

 

 そして三回目の深呼吸と同時に目を開き右手に持っていた物を動かす。短い棍棒二つを鎖で繋いだ武器、ヌンチャクである。

 エイシンプレストンはゆっくりとしたヌンチャクワークから徐々にスピードを高めていく。右肩から右脇を通り左肩から左脇へ高速で動くヌンチャクは、素人ではどう動かしているかわからないものだ。

 ヌンチャクを操作するプレストンの10メートル前にアグネスデジタルが現れ、手にはバケツを持っており中から何かを取り出す。その両手には球体のような物体を持っており、全力でプレストンに投げつける。

球体がプレストンの体に当たる瞬間、ヌンチャクで球体を弾き飛ばす。すると球体は破裂し液体が体を濡らした。

 デジタルはそれを見ると二球目三球目と次々と球体を投げつける。その球体のうち二つはプレストンのヌンチャクで撃墜されるが、最後の一つはプレストンの腹にぶつかりポトリと足元に落ちた。

 

「1つミスしたか。残りの水風船を投げて」

「わかった。いくよ~」

 

 するとデジタルは水風船を取り出して振りかぶり全力で投げつけた。

 それは年が明けて少し経った頃、デジタルとプレストンの部屋にプレストン宛に宅配便が届く、その中身はヌンチャクだった。

 プレストンが見た香港のアクション映画で、主役が巧みにヌンチャクを操り敵を倒していくシーンがあり、目を輝かせて見ていたのをデジタルは覚えていた。きっとそのアクション俳優に憧れ購入したのだろう。デジタルも好きなウマ娘の人形や勝負服のレプリカなどを購入していたので気持ちは理解できた。

 

 次の日からヌンチャクを部屋の中でアクション俳優のように振り回し始める。だがその技術は拙くヌンチャクはすっぽ抜けてデジタルの私物を破壊していく。それを悪く思ったのかプレストンは次の日から外でヌンチャクの練習をし始めた。

 ここ最近プレストンは香港に傾倒しすぎている気がする。ヌンチャクを購入したきっかけの映画も香港の映画だった。これでは香港製と言われればどんな物でも買ってしまいそうな勢いだ。だがプレストンは聡明でありそういった詐欺には引っかからないだろうし、このマイブームも一過性のものであると思っていた。

 だが練習は毎日行われ、ふと様子を見てみると見間違えるほど上達したプレストンがいた。そしてある程度ヌンチャクを扱えるようになったプレストンは第二段階として投擲物をヌンチャクで弾く練習をし始めた。

 

「今の水風船で終わりだよ」

「わかった」

 

 プレストンはヌンチャクを地面に置くと空手の型のような動きを始め、デジタルは地面に座りながらそれを眺める。これはとある香港のアクションスターが作り上げた武術の型らしく、これもヌンチャクの練習を始めた頃から並行してやり始めた。最近はトレセン学園の近くの道場に通っているそうだ。

 

「プレちゃん、上手くなったね」

「わかる?自分でも上手くなっているのを実感している」

 

 プレストンは喋りながら型の動きをする。最初のぎこちない動きに比べれば動きが洗練されてきている。そして一通りの練習を終えると、デジタルの元に近づき持ってきたタオルで汗を拭きながら隣に座る。

「しかしプレちゃんがここまで影響を受けやすいと思わなかったよ」

「いや、あたしもレースに勝つために何か新しいことしなきゃなって思っていたところに映画を見てさ、それで試しにやってみたらハマっちゃった」

 

 プレストンは自分でも驚いていると他人事のように語る。しかしここまで香港文化に熱中するとは思わなかった。きっと前世で相性でも良かったのだろうと突拍子の無い考えが頭に過ぎっていた。

 

「うん?レースに勝つために新しいことをやる?どういうこと」

「ずっとレースのトレーニングばかりしていたら凝り固まるというか、視野が狭まるというか。何か全く関係ないジャンルから新しい要素を取り入れれば、速くなれるかもしれないって考えてさ、あれよ、ガラス拭きをしていたら実は防御の練習になっていた的なやつ」

「それでヌンチャクと武術の練習なんだね。それでレースの役に立っているの?」

「たぶん……」

「そこは言い切ろうよ」

 

 デジタルは軽くツッコミを入れる。だがきっかけは何であれ今のプレストンは新しい趣味を見つけ楽しそうだ。それに趣味なんて役に立つ立たないでやるものではない、楽しいからやるものだ。

 

「新しいことか…」

「デジタルも悩んでいるの?」

「あたしもプレちゃんと同じように何か劇的で新しいことしなきゃサキーちゃんに勝てないかなって」

 

 デジタルは思わずため息を吐く。

 ドバイワールドカップに向けてトレーニングは積み、スパイク蹄鉄と土に慣れる練習も行っている。できることは最大限やっているつもりだが、それでも足りないという漠然とした予感があった。それをトレーナーに伝えたが、気持ちは分かるが今は地道に練習していくしかないと言われた。

 確かにそうだ。そんな方法があればトレーナーがとっくに気づきやっているはずだ。無意識の焦りが近道を求めているのかもしれない。だがそれでもなにかしなければならないという焦燥感だけが募っていた。

 

「よし!帰ってウマ娘ちゃんの映像でも見て気分を変えよ!今日はプレちゃんも付き合ってね」

「今日もでしょ。いいわよ、こっちも付き合ってもらったから」

 

デジタルは気持ちをリセットするかのように声を張り上げ部屋に帰る、プレストンは道具を片付けて後についていく。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「今日はどのウマ娘ちゃんを見ようかな~」

 

 部屋に帰ったデジタルはどのウマ娘を見ようか、自分のPCに入っているウマ娘ファイルを物色していた。いつもならどのウマ娘を見ようかと直感で決められるのだが、今日は決められなかった。

 

「プレちゃん、1から99のなかで好きな数字を言って」

「何唐突に、じゃあ75」

「次は1から12」

「5」

「次は1から5」

「5」

「えっと75、5、5っと」

 

 デジタルはプレストンの言った数字をもとに自身のウマ娘ファイルを検索していく。自分で決められないなら他人に決めてもらう。プレストンに言わせた数字は西暦の下二桁と月とその週を決める数字だった。そしてその数字から検索されたレースは75年の5月の第5週のレース。

 

「75年の日本ダービーか、ということはカブラヤオーちゃん。いいよねカブラヤオーちゃん!」

「カブラヤオーか、名前は知っているけど詳しくは知らないのよね」

 

 デジタルはファイルを開き、レース映像が再生されるとプレストンもPCに近づき肩を合わせてレースを見始めた。

 

「やっぱり映像古いな、というより何人立て?」

「この当時は28人立てらしいよ」

「28人!?昔の人は大変ね」

「そう?それだけ多くのウマ娘ちゃんが見られると思えばラッキーじゃん」

「そう思うのはアンタだけよ」

 

二人は思ったことを口にする。

人数が増えればその分だけ各ウマ娘の思惑が絡まりレースは複雑になっていく。さらに勝つためのポジション取りも熾烈さも増す。プレストンはその労力と苦労を考えただけで気が滅入る。だがデジタルにとってそれは苦労ではなくご褒美だった。

 

「それに芝もボコボコ」

「当時は造園課の技術も今と比べると発展途上だったみたい」

 

 レース画面では28人のウマ娘が通り過ぎると芝はめくりあがり、ダートを走ったかのように砂煙が立ち込めている。現在では造園課の技術の進歩により、ウマ娘の強靭な脚力で踏みしめても芝がめくれることはないが、当時はそうではなかった。

 

「おお逃げ切った。でもカブヤオーもそうだけど走っている全員ヘロヘロじゃない。もの凄いタフなレースだったのね」

「前半の1000が58秒6で1200が71秒8だったみたい」

「58秒6に71秒8!?このバ場で!?」

 

 プレストンはその数字を聞き驚愕で目を見開く。最近の日本ダービーの1000メートルの平均が大雑把にまとめて60秒、1200メートルが73秒ぐらいである。それを当時のバ場で58秒6は恐ろしい程のハイペースと言える。

 

「それはフラフラになるわ、でも最後まで並ばせないなんて凄い根性ね」

「う~ん、根性とはちょっと違うみたい」

「どういうこと?」

「カブラヤオーちゃんは幼少期に色々あって人ごみで走るのが苦手になっちゃって、レースでもとにかくウマ娘ちゃんと離れたかったんだって」

「だから逃げの戦法をとっていたのね。怖いから逃げる、それで物凄く強い。面白い人」

「あたしもそういう趣味は無いつもりだけど、このカブラヤオーちゃんの怯えながら逃げる表情いいよね~それに他のウマ娘ちゃんのハイペースに巻き込まれながらも懸命に走る姿もそそられる!」

 

 デジタルは興奮がある一定のラインに達し妄想の世界に突入する。怖い物凄く怖い、でも愛する人達に勝利を約束したから頑張って走る。家族、トレーナー、友達。うんベタだが良いシュチュレーションだ。そして他のウマ娘が迫り来る恐怖に立ちすくむのではなく、逃げる力に変えてゴールに突き進む。逃げる力?逃げる力……

 

「これだ!」

「キャッ!急に大きな声を出さないで」

 

 プレストンは妄想の世界に突入したデジタルを生暖かい目で眺めていると、デジタルが突如大声をあげて反射的に悲鳴をあげてしまう。

 

「これだよプレちゃん!あたしがやらなきゃいけない新しいことだよ!」

「ちょっといきなり結論に飛ばないで順序建てて説明して」

「あっそうだね。まずドバイでは天皇賞秋での走りを使おうと思うの」

「ああ、あのトリップ走法ね」

 

 デジタルが天皇賞秋でオペラオーとドトウの精巧なイメージを脳内で作り上げ、自分の前に置くことで追いつこうと勝負根性を発揮させた。その話をデジタルから聞いたプレストンは麻薬を摂取した人が幻覚を見ることをトリップすると言うので、トリップ走法と呼んでいた。

「あれはオペラオーちゃんとドトウちゃんに引っ張ってもらう感じなんだよ。二人を追いかけるイメージ。それにカブラヤオーちゃんのように、怖いものから逃げる力を加えるの!」

 プレストンはデジタルの持論を頭のなかで整理する。デジタルの言いたいことは恐らく火事場の馬鹿力を使うということだろう。人は緊急事態に直面した時に普段脳で制限をかけているリミッターが外れ信じられない力を発揮する。それを俗に火事場の馬鹿力と言う。

 レース中にそんな命に関わることは起こるわけがなく、火事場の馬鹿力を使うことはできない。だがオペラオーとドトウの精巧なイメージを作り上げ、そのイメージが自分より先着すれば負けてしまったと思い込めるような妄想力、いや想像力があるデジタルなら死に直面するようなシーンを想像できるかもしれない。

 

「それで何を想像するの?」

「フェブラリーステークスの時のヒガシノコウテイちゃんとセイシンフブキちゃん」

 

 嬉々と話していたデジタルの表情が真顔になり僅かばかし青ざめる。プレストンはその意味を察する。デジタルのことだ、追いつかれたら怪物に食べられるとかもっと妄想チックなイメージをすると思っていたが、予想以上に現実味があるイメージだ。

 デジタルからレースで感じた恐怖については聞いており、映像で確認したら今まで見たこともない表情をしていた。

 

「あれは本当に怖かった……」

 

 デジタルは当時を思い出し僅かに唇を噛み締める。フェブラリーステークスで感じた恐怖と悪寒、あれは恐ろしかった。その恐怖に屈し途中で寄れて萎縮してしまった。だが今度はその恐怖をカブラヤオーのように恐怖から逃げる力に変える。

 

「あたしは反対だな。今のトリップ走法で良いと思うし、失敗したら体が萎縮して火事場の馬鹿力どころか普段の力も出せなくなる」

 

 プレストンはデジタルのアイディアを否定する。デジタルの言う方法が成功すれば大きな力になるだろう。だがその想像した恐怖を逃げる力に変えられず、恐怖に呑み込まれてしまったら?それは逆効果になることはわかりきっている。

 

「分かっているよ。でも白ちゃんが差は5バ身もあるって言っていた。新しいことを、リスクをとらなきゃサキーちゃん追いつけない。サキーちゃんに勝てない」

 

 デジタルは自分の意志を固めるように言葉を紡ぐ。プレストンが言わんとしているリスクはわかっている。それでも今の自分は挑戦者だ、何も賭けずリスクを負わずに望んだ結果を得られるわけがない。

 

「さすが勇者様ね」

 

 プレストンはデジタルの言葉を聞き予想通りと言わんばかりに笑みを見せる。デジタルが挑む相手は世界一だ、その相手に挑むのであればリスクを負うのは当然のことである。デジタルと比べれば安定を求める性格のせいか野暮な発言をしてしまった。

 その後二人はカブラヤオーの映像をしばらく見て、切りのいいところで就寝した。

 

ーーーーーーーーーーーーー

 地方所属のウマ娘達はどこでトレーニングをしているのか?

 中央のウマ娘達は広大な敷地を保有しているトレセン学園ならば、ポリトラックやウッドチップなど様々コースで充実したトレーニングを行える。だが地方ではトレセン学園のような施設を保有しておらず、野外でおこなうか各地方ウマ娘協会が保有しているレース場でトレーニングをおこなう。

 三月になったことで気温も暖かくなり、さらに今日は一段と暖かい。船橋レース場も例外ではなく5月上旬並みの気温だった。

 コース前に、身長170センチ台で黒髪のベリーショートで三白眼のウマ娘は、顔を顰めながらトレーニング前の準備運動をしていく。彼女の名はセイシンフブキである。

 フェブラリーステークスから1週間が経ち、レースの疲労を抜くことを優先してトレーニングは行っていなかった。その結果疲労は抜くことができたが、その代わり体のキレが落ちている。トレーニングを開始して数日が経ったが未だにキレは取り戻せず、そのことを今日の準備運動の段階で感じ取っていた。

 

 だが焦ることはない。次のレースに出走予定のGIかしわ記念は数ヵ月後だ。その間に体のキレを取り戻しピークに持っていけばいい。

 セイシンフブキは速る気持ちを押さえ込むように入念に準備運動をしていく。芝ウマ娘のアグネスデジタルに負けたことでダートの価値を下げてしまった。それは悔しく屈辱的なことであるが過去には戻れない。自分がなすべきことは鍛え上げ、デジタルの勝利に影響されダートに乗り込んできた芝ウマ娘からダートを守りぬくこと、そして今年のダートGIをすべて取り来年は自分がドバイに行き勝利しダートの価値を上げることだ。

 

 

「フブキ師匠!準備運動終わりました。早くトレーニングをしましょう」

「ダメだ、終わってない。お前もまだやれ」

 

 するとセイシンフブキの隣で準備運動していた黒髪に白のメッシュが入ったウマ娘が、待ちきれないとばかりに急かすがそれを却下し、そのウマ娘は少し肩を落としながら準備運動を続行する。

 彼女の名はアジュディミツオー、セイシンフブキが走ったフェブラリーステークスに感動し一方的に弟子入りし、今はトレーニングをともに行っている。

 

「今日も船橋でひたすら走るんですか?他の皆はウェイトとかなんか色々やっていますよ」

「嫌なら帰れ。それにダートの走り方を真に理解していないのに他のことをするのはバカのすることだ。」

「生意気言ってすみませんでした」

 

 セイシンフブキは厳しい声色で返答し、アジュディミツオーは勢いよく頭を下げた。

ダートに必要な要素はダートを走ることでしか身につかない。それがセイシンフブキの持論だった。

 そしてダートの完璧な走りは存在し、それを自身は会得していないと感じていた。それなのに他のことをするのは有り得ないことだった。

 そして入念に準備運動をおこないトレーニングを開始しようとした時思わぬ形で遮られる。

 

「お~い、セイシンフブキちゃん!」

 

 聞き覚えなのない声が呼びかけてくる。セイシンフブキとアジュディミツオーは声の主の正体を確かめるために後ろを振り向く。

 アジュディミツオーは数秒間その人物を見つめ、誰だが思い出したのか手を叩き指差す。そしてセイシンフブキは苛立ちを表すように舌打ちを打つ。

 あのピンク髪に赤いリボン、忘れるはずもない。あれはアグネスデジタルだ。勝負服ではなく私服を着ていたので一瞬誰だかわからなかった。だが何の用だ?二人は駆け寄ってくるデジタルを注視する。

 

「ここに居たんだね。こんにちはセイシンフブキちゃん」

「何のようだ?」

「ちょっとお話を聞きにきたよ」

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

「う~ん、なんか違う……」

 

 デジタルはベンチに座りながら空を仰ぎ唸り声をあげる。空は雲一つない快晴だがその心は澱んでいた。

 カブラヤオーのレースから着想を得たデジタルは次の日からさっそく試してみた。だがいくらやっても、フェブラリーステークスの時に感じた寒気と威圧感を再現することができなかった。

 二人はレース前までにどのように過ごし、レース中に何を思えばあの威圧感を出せるのか全く想像できなかった。何か情報を知ればわかるかもしれないと、資料集めに奔走するが、地方ウマ娘の情報は中央のウマ娘に比べて質も量も少ない。簡単なデータは調べられてもパーソナルな深い情報は得ることができなかった。

 オペラオーとドトウを再現した時のように、トリップ走法をするためには詳細な情報は必要不可欠である。そして情報を得られないということは、新しい要素を取り入れるためには大きな壁だった。だがデジタルはその壁を打開する方法をあっさりと思いつく。

 

 知りたい情報がないなら自分で直接話を聞けばいい。

 

 そうするとデジタルは即座に行動を起こす。トレーナーから数日ほど休みをもらうと、船橋レース場近く向かう電車に飛び乗った。

 

「聞きにきた?何をだ?」

「全部かな。セイシンフブキちゃんが今までどんな体験をしてきて、フェブラリーステークスの時は何を思って走っていたのかとか色々。お願い教えて!」

 

 デジタルは上目遣いで手を合わせながら懇願し、セイシンフブキはその様子を見下ろしながら冷淡に言い放つ。

 

「いやだ。お前に教えることなんて何一つない」

 

 セイシンフブキはアグネスデジタルのことが嫌いである。芝ウマ娘でありながらダートの世界に侵入してくる敵と言っていい存在だった。そんな敵に教えることなど何一つ

なかった。

 

「え~そんなこと言わないで教えてよ」

「いやだ」

 

 デジタルは縋り付くように懇願するがセイシンフブキは一蹴する。フェブラリーステークスで負けたのは、自分が弱かっただけということはわかっているが、それでも勝った相手に友好的に接せられるほど大人ではなかった。

 

「お願い教えて!どんなことだってするから!」

「いやだ。例え大金積まれたって教え……」

 

 再度断ろうとするが脳内であるアイディアを思いつく。この分だとずっとまとわりつかれそうだ。ならば一度条件を提示し承諾させて、その条件を達成できなくさせて断る。そうすれば相手は一度条件を飲んだ手前強く出にくくなるはずだ。

 

「じゃあこの条件を達成できたら話してやる」

「本当!?」

「ただし条件を達成できなかったら、話すことはない。さっさと消えろ。いいな?」

 

 デジタルは顎に手を当て考え込む。相手が提示する条件を知らないまま承諾していいのか?だがこの様子では教える気は一切ない。条件付きで教えてくれるこの状況を良しとすべきか?是が非でも話を聞きたいデジタルにとっては不利な立場と分かっていてもこの条件をのむしかなかった。

 

「いいよ」

「よし、条件だがあたしと勝負して勝つことだ。勝負方法はこのコースをお互い一緒に走り3バ身差つけたほうが勝ちとする。スタートでもコーナーでも直線でもいい、とにかく3バ身差だ。勝負が付いたらまた2本目を開始して3回連続で勝ったほうが勝者だ」

「3回じゃなくて3回連続なんだね。2回勝っても1回相手に勝たれたらリセットになって3連勝しなきゃいけないってこと?」

「そうだ」

 

 セイシンフブキの脳内ではアグネスデジタルに負けた憂さ晴らしとして、もっと不利な条件をつきつけて達成させないことも考えた。だがどうせなら対等な条件で戦ってアグネスデジタルの願いを打ち砕く。

 

「いいよ」

 

 デジタルは即答で了承する。想定ではもっと不利な条件を提示されると思っていたが、条件はほぼ対等と言っていい。強いて不利な点を言うならば私服ということだ。気温が高く比較的に軽装だが、ロングスカートを履いていて走りにくい。だがそんなもの縛って走りやすいようにすればいい。それでも走りにくければ脱いで走ればいい。サキーに追いつき堪能し勝つために必要なことであれば、羞恥心や女性としての尊厳など捨ててやる。だが問題があるとすれば……

 

「お互い靴は脱いで素足で走るぞ。いいな?」

 

 デジタルの危惧した問題はセイシンフブキの提案で解消された。セイシンフブキはトレーニング用のシューズ、デジタルはレディースシューズを履いている。もしこの状態で走ったら勝負にならないほどだった。

 デジタルは了承すると勝負を始める前に、準備運動の時間をもらいストレッチを始める。アジュディミツオーはデジタル様子を見つめていると、先程まで鷹揚していたのに集中力を一気に高めたのか、レース前のように真剣な表情をしている。トップクラスになると瞬時にスイッチを入れられるのか、アジュディミツオーは素直に感心していた。

 デジタルの集中力が高まっているのは本人の性質もそうだが、この勝負はデジタルにとって、レースと同じぐらい負けられない一戦と位置づけていた。そしてセイシンフブキも体を冷やさないように再び準備運動を開始する。その集中力はレースさながらである。デジタルと同じようにセイシンフブキにとっても負けられない一戦であった。

 

「こっちは準備万端だよ」

「わかった。アジュディミツオー、お前が計測しろ。3バ身差がついたら大声で伝えろ」

「わかりました」

 

セイシンフブキとデジタルはゴール版付近に着くとスタートの準備をする。そしてアジュディミツオーの合図とともに勝負は始まった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「これで……やり直しだね……セイシンフブキちゃん……」

 

 デジタルは震える膝を抑えるように手を置き、頭を下げ肩で息をしながら喋る。顔は出た汗が付着し砂が泥のようになっており、白のブラウスも砂まみれになり、元の色が白とはわからないほどに変色していた。

 アジュディミツオーは二人の壮絶な勝負に言葉を失っていた。

以前に砂浜を裸足で走ったことがあったが、僅かな時間で足がパンパンになり走ることをやめた。後で調べてわかったことだが、砂浜を素足で走ることで普段シューズを履いて走るだけでは鍛えられない筋肉が使われ、靴を履いて走るより負荷がかかるそうだ。 

 そんな素足での走りを二人は1時間近くしている。それはアジュディミツオーには驚愕すべきことだった。しかしこの勝負はもう終わるだろう、デジタルの敗北によって。

 始まってから暫く二人は互角だった。だが徐々に差が出始め、セイシンフブキが2連勝しデジタルが辛うじて3連勝を止めるという展開がずっと続いていた。デジタルとセイシンフブキの差、それはパワーの差だった。

 デジタルはジュニアクラスの時に地方の大井レース場で走ったことがあったが、結果は惨敗、その理由は砂の深さによるものだった。レース場によって砂の深さが違い、砂が深い分だけパワーが必要になってくる。船橋でのレースに勝ったことはあるがその時は砂が浅く、今の船橋レース場の砂は勝った時より深かった。

 

「お前も……わかっているだろう……もう勝機はないって……」

 

 セイシンフブキは息を乱しながら語りかける。最初は深い砂に足を取られ疲弊していく姿に溜飲が下がるおもいだった。だがボロボロになり万に一つ勝ちがない状態になりながらも抗い続けている。

 すぐに諦めていれば体への負荷は少なくすんだものの、ここまで負荷をかけ疲労をためてしまったらデジタルの今後にも影響するだろう。

 

「だって……勝負はまだついていないでしょ……セイシンフブキちゃんに唐突なアクシデントが訪れて走れなくなったら……あたしの不戦勝……セイシンフブキちゃんの話を聞きたいって気持ちは……疲れたからって勝負が決まる前に諦めるほど……軽いことじゃないんだよね」

 

 デジタルの体は限界を迎えていた。気を抜けばすぐにその場に倒れ込んでしまうほどの疲労度だった。だが足腰に力を入れて懸命に堪える。セイシンフブキはデジタルを得体の知れない何かを見た時のような未知の恐怖を抱いていた。

 

「その0に等しい可能性のためにお前は体を痛めつけるのか……そこまでしてあたしの話を聞きたいのか?」

「それはサキーちゃんに勝つためだからね……労力は厭わないよ……それに……折角セイシンフブキちゃんと一緒に走れるのに……辞めちゃうのはもったいないでしょ……」

 

 疲労で億劫になりながらも顔を上げセイシンフブキに笑みを浮かべる。最初はサキーに勝つために必要であるからこの勝負に挑んだ。だが今は違う、それにさらに理由が加わった。

 一緒に走っているうちに色々なものを感じ取った。ダートを駆ける力強さ、この勝負にかける想い、どれもデジタルの心を惹きつける。少しでも長い時間一緒に走りたい。勝って話を聞いてセイシンフブキのことをもっと知りたい。それが体を動かすエネルギーになっていた。

 

「そうか、じゃあ次だ」

 

セイシンフブキは僅かに目を見開くと、スタート地点に向かって歩き始めデジタルもその後についていく。そして次の走りが始まり、セイシンフブキが3本連続で取り勝負は終わる。その瞬間デジタルは倒れ込んだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「いや~ごめんね、アジュディミツオーちゃん。服を借りちゃって」

「別にいいですよ。師匠の命令ですし」

 

 船橋に所属しているウマ娘はトレーニング場や学校に自宅から通っている者もいるが、大半のものは船橋ウマ娘協会が建設した学生寮で暮らしていた。そしてその寮の廊下をデジタルはヨタヨタと歩きながら移動している。服は私服ではなく船橋所属のウマ娘達が所有している指定ジャージを着ていた。その後ろをアジュディミツオーがついて行く。

 セイシンフブキは勝負が終わり倒れ込んだデジタルを見ながら、アジュディミツオーにこう告げた。

 寮に連れて行き汚れを落とさせたら部屋まで連れてこい。

 これは勝負に勝ったのにデジタルの要求を飲むということなのか?

 アジュディミツオーは思考を巡らすがすぐに止めた。師匠がしろと言ったのだから弟子の自分が断る権利はない。そして動けないデジタルを担いで寮まで運び、シャワーを浴びさせ服を貸し、何とか歩けるようになったデジタルをセイシンフブキの部屋まで誘導した。

 

「失礼します師匠。アグネスデジタルさんを連れてきました」

 

 アジュディミツオーはドアをノックすると部屋の中から声が聞こえてくる。それを合図にドアを開けデジタルに中に入るように誘導し自室に帰っていく。デジタルは中に入ると辺りを見渡す。内装は飾りっけもなく調度品も質素で必要最低限のものしか置いていなく、とても年頃の女性の部屋には思えない。目を引いたのが書きなぐられたメモ用紙だった。メモは特に整理されておらず机に散らばっており、片付けていないことからデジタルを客として扱っていないことが伺える。そしてメモには読み取れる限りでは『大井レース場、海砂、砂厚8センチ』などと書かれていた。

 セイシンフブキは上座の座布団に座り、デジタルは玄関側の下座に置かれている座布団に座りテーブル越しで対面し様子を観察する。雰囲気からして怒っている時独特のピリピリした感覚はないが真意は読み取れない。どのように切り出そうかと探っているとセイシンフブキが先に切り出した

 

「それで何を聞きたい?」

 

 世間話も前置きをおかず単刀直入に切り出す。それに対してデジタルは本題にすぐ切り出さなかった。

 

「ちょっと待って、話してくれるのはありがたいけど何で喋ろうと思ったの?あたしは負けたんだよ」

「そうだな、だが気が変わった。代わりの条件を飲むのなら話してやる」

「いいよ」

 

 デジタルは即答する。一度提示された条件を達成できなかったにも関わらず、再度条件を提示してもらい話を聞くチャンスを得られた。拒否する余地はない。

 

「あたしが提示する条件は今年中にもう一度日本のダートで走ることだ」

 

 デジタルは話を聞くのはサキーに勝つためと言っていた。何を聞けばサキーに勝つことに繋がるかは見当がつかないが重要なことらしい。仮にデジタルがサキーに勝つことがあればダート世界一という称号を得る。その世界一のウマ娘を日本のダートで走れば世間の注目度が一気に高まり、ダートの価値も上がる。そして世界一に勝ち自らがダートのトップになり、ダートの価値を更に上げる。セイシンフブキはそのような計画を思い浮かべていた。

 デジタルはそれを了承しレコーダーのスイッチを入れ質問を投げかける。幼少期のこと、船橋で過ごした体験、フェブラリーステークスで何を思っていたのか。その質問に一つずつ答えていった。

―――次は門前仲町、門前仲町

 デジタルは車内アナウンスの声で眠りの世界から現実に引き戻される。携帯電話の画面を見て乗り換えを確認する。ここの駅で降りて乗り換えなければ。座席から立ち上がりセイシンフブキとの勝負で疲弊した体にムチを入れながら電車から出て、ホームに降りる。そしてエスカレーターの手すりにもたれ掛かかりながら、バッグからレコーダーを取り出しイヤホンを耳につけセイシンフブキのインタビューを再生する。

 ダートに懸ける想い、ダートにかける情熱。それは途轍もなく大きく素敵だった。あのフェブラリーステークス前々日会見での攻撃性はダートへの愛情から出たものだったのだ。       

 そして自分がうっとおしく目障りで憎い存在であるかも聞かされた。ダートを犯す侵略者から愛すべきものを守る。あの時の寒気はそのダートに対する愛情から発生したものであると理解できた。

 自分はウマ娘を、セイシンフブキはダートを。

 好きなものに違いはあれど、執着し愛情を注ぐという点では似た者同士なのかもしれない。そして好きなものに情熱を注ぐセイシンフブキはとても素敵で尊い。

 今後の競走生活で走る楽しみがまた増えた。デジタルの疲弊した体と対照的に心は弾んでいた

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ずいぶんと喋ったな」

 

 デジタルが居なくなった自室でセイシンフブキは床に仰向けになりながら、自嘲的な独り言を呟く。デジタルの質問は今まで聞かれたことないようなパーソナルな部分に踏み込んできた。最初は話すことを戸惑ったが、興味深そうに真摯に聞く姿についつい口が軽くなってしまった。

 セイシンフブキがデジタルに語った理由。ドバイワールドカップに勝って日本のダートに参戦させ価値を上げる。それが主な理由であるがそれだけでもなかった。

 芝を走る奴は名声に目がくらみダートという真の戦いから逃げたゴボウだと思っていた。だが勝負で見せたデジタルの執念と根性、サキーに勝つためかそれ以外の理由かは分からないがあれは認めざるを得ない。

 芝ウマ娘は嫌いだ。芝からダートに参戦してくる奴は反吐が出る。だがアグネスデジタルというウマ娘への評価は多少改めなければならないかもしれない。


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