盛岡レース場では冬の間は積雪が多いせいで、レーススが開催できない。
その間岩手ウマ娘協会に所属しているウマ娘たちはトレーニングに励み、他の地方に遠征しレースを走る。
そして3月になると春の芽吹きとともに盛岡レース場でもレースが開催される。
盛岡レース場の正門前、そこにはスイフトセイダイ、トウケイニセイ、グレートホープ、メイセイオペラ、岩手ウマ娘界において活躍してきたウマ娘たちの偉大なる功績を称えて、銅像が建てられている。
盛岡レース場に来る人たちの待ち合わせ場所として親しまれ、その銅像前に続々とウマ娘達が集まっていた。
「おはよう、昨日は降ったね」
「本当、冬将軍は大人しく帰ってくれればいいのに、何で開催日前日に頑張るかな」
ウマ娘たちは防寒装備で身を震わせながら愚痴をこぼす。3月になったが岩手県では昨晩に冬のピークと同程度の季節はずれの積雪に見舞われた。
そのせいで岩手レース場は新雪に埋もれ、偉大なる先人たちの銅像も雪にうもれていた。
「みなさんおはようございます」
メガネに飾り気のない防寒具を着た三つ編みのウマ娘が周囲に挨拶する。すると周囲のウマ娘が三つ編みのウマ娘の方へ振り向き挨拶をする。
彼女の名はヒガシノコウテイ。先日のフェブラリーステークスでアグネスデジタルと南関の求道者セイシンフブキと激闘を繰り広げた岩手のエースである。
「皆さん、明後日は盛岡レース場の開催日です。私たちのレースを楽しみにお客様達がやってきます。お客様たちが快適に過ごせるようにがんばりましょう」
ヒガシノコウテイの言葉に周囲のウマ娘が号令で返す。だが1人のウマ娘がふてくされたように座り込みそっぽを向いていた。彼女は今年協会に入ったジュニアクラスのウマ娘だった。
「おい、いつまでふてくされているんだ」
「何で私たちが雪かきしなきゃいけないんですか?そんなの選手じゃなくて他の人の役目でしょ。もし中央だったら絶対やらないですよ」
「それは中央と比べて協会にそんな人手はいないし、それにこの雪の量じゃ私たちウマ娘がやらなきゃ間に合わないだろ」
「それに今日も『あれ』やるんでしょ。あんなの絶対意味ないですよ。もっと科学的なトレーニングしましょうよ」
先輩ウマ娘が宥めるがジュニアクラスのウマ娘はそれでもふてくされたままだった。するとそのウマ娘にヒガシノコウテイが近づき視線を合わすように屈んだ。
「気持ちはわかります。ですが私たちがやらなければレース場に来る人が不快な思いをしてしまいます。それにレースが開催できなくなり協会の人は困りますし、何よりレースを楽しみにしているお客様を悲しませてしまいます」
ヒガシノコウテイは諭すようにゆったりとした口調で語りかける。その言葉に自身の我が儘を責められたようで思わず視線を外し項垂れる。
「それに雪かきだって悪いことではありませんよ。普段では鍛えられない箇所が鍛えられます。それに『あれ』だってメイセイオペラさん等の多くのウマ娘を強くした素晴らしいトレーニングです。『あれ』は中央ではほぼ出来ないトレーニングですからチャンスだと思いましょう」
その言葉にジュニアクラスのウマ娘は立ち上がり用意されていたスコップを手に取る。
ヒガシノコウテイは岩手ウマ娘界のトップだ。こんな雑務は他のウマ娘に任せていい立場なのに、誰よりも率先して誰よりも多く雑務をこなす。それに『あれ』を誰よりもやっている。
結果を出しているだけに自分の我が儘だと分かっている。それでも非科学的という理由に拒否したいほど負荷がかかるトレーニングだった。
「ではA班はレース場周りの雪かきを、B班はレース場内の雪かきを、残りの人たちは私と一緒に『あれ』をやります」
ヒガシノコウテイの指示に従うように各ウマ娘が準備を始める。すると1台のタクシーが盛岡レース場すぐ近くに停車する。関係者ならわざわざタクシーでは来ずに協会の車で来る。開催日を間違えたファンか?一同はタクシーから出てくる人物に注目する。
「うわ~寒い!いくら岩手だからっていっても、もう春でしょ!」
その人物はこの気温には不釣合いな薄着で腕を摩り歯をカチカチと鳴らしながら車中から出てくる。それだけで地元の人物ではないことは推測できる。
地元のものなら家にある防寒着を着るはずだ。そうしてないということは服を持っていない外から来た者だ。そしてその人物はウマ娘だった。
ピンク髪に赤いリボンのウマ娘は周りを見渡すとヒガシノコウテイに視線を定め駆け寄ってくる。
「おはようヒガシノコウテイちゃん……岩手ってこんな寒いの?」
「おはようございます。この季節だと普段はこんな寒くないです。そしてアグネスデジタルさんはどうしてここに?」
「話せば長くなるけど、ヒガシノコウテイちゃんから色々話を聞きたくて来ちゃいました。まあ話したくない気持ちはわかるけど、そこを何とか、何か条件があれば可能な限り頑張るけど…」
「何かよく分かりませんがいいですよ。話せることでしたら話します」
「いいの!?」
デジタルは全開で目を見開く。セイシンフブキの件があるので、何かしら条件を提示されると身構えただけに肩透かしを食らう。
そしてヒガシノコウテイには態々東京から岩手まで話を聞くためだけに来た人を追い返すほど非情ではなかった。
「ですが話すのはトレーニングが終わってからでいいですか?」
「いいよ。というよりあたしも参加していい?」
ヒガシノコウテイは思わぬ提案に戸惑いながら周りに視線を向ける。暫くしてもデジタルがトレーニングに参加することに反対の声が上がらないので承諾したと受け取った
「かまいませんが」
「じゃあ決まり、ちょっと着替えてくるから待っててね」
デジタルは建物の影に行くと持ってきたリュックからジャージとシューズを取り出し着替え始める。
トレーニングをするということは2~3時間はかかるだろう。その間何もせずに待っているのは暇でつまらない。
ただ待っているよりかはトレーニングをしたほうが有意義であり、何よりヒガシノコウテイを始め岩手のウマ娘と触れ合えるチャンスだ、これを逃す手はない。
セイシンフブキの件があるので万が一にと考えトレーニング道具を持ってきていたが功を奏した。
「お待たせ、じゃあさっそくトレーニングを始めよっか。皆よろしくね」
「ではアグネスデジタルさんは私と同じグループということで付いてきてください」
デジタルはグループのウマ娘達に挨拶をするとヒガシノコウテイ達は並びコースに向かう。
「それでどこでトレーニングするの?スタンドの中で筋トレでもするの」
コースに着いたデジタルはヒガシノコウテイに尋ねる。
右手を見れば昨日の積雪で埋もれている野外観客席。左手には同じく雪化粧を纏った山と同じく雪で埋もれたコースが有るだけだった。こんな所ではとてもトレーニングができない。
「いえ、ここのコースを走ります」
「ここ?どこのコース?」
「ここです」
ヒガシノコウテイは雪に埋もれたコースを指差し、デジタルもその方向に視線を向ける。そしてヒガシノコウテイの表情を見て、もう一度コースを見て、さらにもう一度ヒガシノコウテイを見た。
「でも雪に埋もれているよ?」
「はい、雪を掻き分けながら走ります」
ヒガシノコウテイはさも当然のように告げる。雪が60センチ以上積もり、どう考えてもウマ娘が走るコースではない。
これは岩手のジョークなのかな、ヒガシノコウテイは真面目そうだと思っていたがこんな茶目っ気が有ったのか、そんなことを考えながら周りを見ると周囲のウマ娘達も億劫そうにしながら雪に埋もれたコースに入っていく。
その様子を見て冗談を言っているのではないことを察した。
岩手のウマ娘たちがゴール板付近に続々と並んでいき、ヒガシノコウテイはコースの一番に並ぶ。そしてデジタルはヒガシノコウテイの隣に並んだ。
「では、各々ペースで大丈夫ですのでスタートしてください」
ヒガシコウテイの号令とともに一斉にスタートする。デジタルはスタートから数メートル走っただけで顔をしかめた。
コースに入り軽く歩いただけでも負荷が強くキツイと思っていたが予想をはるかに超えた負荷だった。
感覚としてはプールでのウォーキングに似ているが水は液体であり浮力がある。だが雪は固体で浮力もないぶんさらに負荷がかかる。
ヒガシノコウテイは雪に埋もれたコースを誰よりも速く走っていく。一方デジタルも雪に悪戦苦闘しながら懸命についていく。
「ねえ…岩手の皆は雪が降ったら毎回これやっているの?」
「はい。今日はまだいいほうです。ひどかった時は1メートルぐらい積もった時にやりましたよ」
「1メートル!?それ走れるの?」
「無理でした。誰も1周を走りきれませんでした」
当時を思い出し笑みをこぼす。あの時は足が進まずウマ娘たちは次々と雪に埋もれていき、コース途中で走る力を使い果たし、歩いてゴールに向かった時はまるで雪山で遭難したような気分だった。
あの時は辛かったが今では無茶をしたなと仲間たちの間では笑い話になっている。デジタルもヒガシノコウテイの笑顔につられ笑みを作る。
「そうなんだ。それにしても前に走った時も思ったけど、このコースは本当に良い景色だよね」
雪に埋もれたコースを走ることに慣れてきたのか周りに視線を向ける。
南部杯では山々は紅葉で赤く染まっていたが今は山々は雪化粧を纏い真っ白だ。空の青と雪の白のコントラストは秋の色鮮やかさとはまた違った彩で目を奪わせる。
「このレース場は山の中に囲まれて人工物はほとんど有りません。春、夏、秋、冬と山々はそれぞれの季節ごとに変化し来たお客様を楽しませてくれます」
「でもレースを走っていると景色を見ている余裕はないんだよね」
「そうですね。私たちはトレーニングのアップの時に走るときは景色を見る余裕があるのですが」
ヒガシノコウテイは思わず苦笑する。だがこの山々に囲まれた景色は盛岡レース場のアピールポイントだと思っておりデジタルに褒められたことは嬉しかった。
「それにしても岩手のウマ娘ちゃん達は凄いよね。こんなキツイトレーニングを雪が降るたびにしているんでしょ。あたしだったらコタツの中に入って絶対出ないな」
「フフフ、このトレーニングは雪国でしかできませんから、折角だから利用させてもらっています」
デジタルとコウテイは会話を弾ませながらトレーニングに励む。
デジタルは並走しながらヒガシノコウテイの横顔を覗き見る。その懸命に走るその表情は恵まれた環境で逆境を力に変える逞しさと精神が出ているようだ。
レースでは並走するのが怖かった、でも今は一緒に走っていると不思議と落ち着きいつまでも一緒に走りたいとすら思っている。
この温かさと素朴さが魅力なのかもしれない。この一面を知れただけでも岩手に来てよかった。その表情は自然とニヤけていた。
「お疲れ様でした」
「お疲れ~」
デジタルとヒガシノコウテイは席に座ると購入した缶飲料に口をつける。2人がいるところは盛岡レース場にある来賓客を出向かるゲストルームである。
スタンドの最上階にあり、ここはコースと山々を一望できその景色は絶景と言える。その景色に相応しく机もソファーも質が高いものだった。
「いや~雪のなかを走るのもそうだけど、雪かきもこんなに疲れるなんて思ってもみなかったよ」
「そうですね。私たちは雪かきし慣れていますが、普段やっていない人には辛いかもしれませんね」
デジタルは雪に埋もれたコースを走ったあと、除雪作業もおこなった。
これもトレーニングの一環ということで一緒にやったかが普段使っていない筋肉を使ったせいか体の節々が痛い。しかし岩手のウマ娘達はこの重労働を難なくこなし、時には地域で除雪作業ができない家庭のところに行き代わりにやっているそうだ。その体力と地域に対する貢献性には頭が下がる。
プレストンは速くなるために何か別の分野からアプローチを試みていた。だがトレセン学園では最新の理論と最先端の施設と設備でトレーニングを行い、これ以上の最善は無いと思っていた。
だが船橋で裸足でダートを走り、盛岡では雪で埋もれたコースを走り、雪かきをした。
有効であるかは正確には分からないがこれらはトレーニングに活用できるかもしれない。新しい要素というものは少し視点を変えればそこら辺に転がっているかものだとデジタルは考えていた。
「じゃあインタビュー始めるけどいい?」
「はいどうぞ」
「じゃあそうだね、まずは……」
デジタルはレコーダーのスイッチを入れると何を聞こうかと考え始める。すると扉からノック音が聞こえてきた。
「すみません。ちょっと出てきます」
ヒガシノコウテイは訪問者に応対するためにソファーから立ち上がり扉を開ける。
すると扉の間からスーツを着た中年の男性が見え手を招くような仕草でヒガシノコウテイを部屋の外に呼び扉を閉める。
何か喋っていることは辛うじてわかるが会話の詳細は分からない。そして1分ぐらい経った頃に扉が開きヒガシノコウテイと中年の男性が入室してきた。
「初めましてアグネスデジタル選手。私こういう者です」
男性は座っているデジタルに近づき丁寧な所作で名刺を渡す。そこには『岩手ウマ娘協会広報部 最上太郎』と書かれていた。
「アグネスデジタル選手はヒガシノコウテイにインタビューしに此処まで来られたと聞きましたが」
「うん、ちょっとヒガシノコウテイちゃんに聞きたいことがあって」
「誠に申し訳ありませんが、岩手ウマ娘協会に所属しているウマ娘に取材を行う際には前もって手続きをしていただき、それ相応のものを支払っていただけないとインタビューを行うことができません」
最上は申し訳なさそうに深々と頭を下げる。その後ろでヒガシノコウテイもさらに申し訳なさそうに深々と頭を下げている。
どうやらインタビューはヒガシノコウテイとしては良かったのだが、組織としては認められないらしくその仕組みを知らなかったらしい。
「え~っと今から許可をとることはできますか?どうしてもしたいんです」
「私の一存では決められないもので、上司に掛け合ってから決めますので数日はかかると思われます」
「そうですか」
デジタルは腕を組みう~んと悩ましげな声をあげる。すぐに許可を取れそうな気がするが無理そうである。これがお役所仕事か。
ヒガシノコウテイと岩手もウマ娘達とトレーニングや雪かきを行えたのは貴重な体験で楽しかった。だが本命のインタビューができないとなるとそれは困る。
何とかして許可を取れないかと思考を巡らせていると、最上がデジタルに声をかける。
「しかしヒガシノコウテイの話を聞くために態々岩手までお越しくださったアグネスデジタル選手を追い返すのは私としても心苦しいのは事実です。私が提示する条件を了承して下されば責任を持ってヒガシノコウテイにインタビューをできるように取り計らいます」
最上は任せろと言わんばかりに胸を張り背筋を伸ばしてデジタルに提案する。
また交換条件か、船橋の時といい交換条件に縁がある。だが船橋の時と同じように断るという選択肢はない。二つ返事で提案にのると広報の最上は条件を提示した。
───
「差せ!差せ!」
「そのまま!そのまま!」
盛岡レース場に観客たちの声が響く。岩手では冬の期間は積雪のためレースが開催できず、今日が今年入って初めての開催日になる。
一昨日の大雪で開催が危ぶまれたが、岩手のウマ娘達や業者の除雪作業によって開催にこじつけ、最初の地元のレースを観戦しようと多くのファンたちが足を運んだ。
レースは残り100メートルで先頭を走る鹿毛のウマ娘を芦毛のウマ娘が猛追し、ゴール間際で芦毛のウマ娘が追いつき二人はほぼ同時にゴールする。
写真と判定になりウマ娘も観客たちもこの後流れるアナウンスを聞き逃すまいと耳をすまし、オーロラビジョンに注目する。結果は1着鹿毛のウマ娘、2着は芦毛のウマ娘、鹿毛は飛び跳ねて喜び、芦毛は悔しそうに頭を垂れる。
その2人に対して観客たちは健闘と激励のエールを送る。その観客たちの中でコースに一番近い外埓通路に陣取るウマ娘が一際大きな声でエールを送り、もう1人のウマ娘がその様子を微笑ましく眺めている。
エールを送っているのはアグネスデジタル、もう1人はヒガシノコウテイである。2人はウマ娘用のニット帽とマスクを装着している。
「いや~久しぶりに1ファンとしてレースを見るけど、楽しいね」
デジタルは上機嫌でヒガシノコウテイに語りかける。地方のレースには走ったことはあるが、観客としてレースを見るのは初めてだった。
そこで走るウマ娘たちは地方も中央も関係ない、一途で一生懸命で走り光り輝いていた。
そしてこのレース場の空気、訪れた観客たちはすべてのウマ娘に声をかけ激励し、まるで娘や近所の小学生の運動会を見に来たようだ。良い意味で中央とは違い牧歌的で大らかな雰囲気に包まれ、この空気は好きだった。
デジタルは広報の最上が出した交換条件として、今日のイベントに出席するために盛岡レース場に訪れていた。
イベントはすべてのレースが終わったあと行われ、その間は来賓席でレースを観戦することを勧められる。
だがデジタルはどうせならガラス越しではなく近くで見て感じたいと、観客に紛れるように観客席に降りていき、同じくイベントに参加しレースがないヒガシノコウテイが解説と案内役としてデジタルの側にいた。
ヒガシノコウテイはレースの度にコースの特徴や出走ウマ娘の情報や小ネタを教え、それらの情報、特にウマ娘の話は興味を惹いた。
レースの合間にはレース場グルメを堪能し、岩手ウマ博物館で過去の名ウマ娘達を知り目を輝かせる。デジタルは岩手レース場を満喫していた。
すべてのレースが終わりウイニングライブの準備が進んでいくなか、観客たちはパドックに集まり始める。
イベントはパドックスペースで行われ、人がみるみる内に集まり、後から来た観客は録に見えない状態で、イベントの様子を映すターフビジョン付近に移動し始めていた。するとパドックの中にマイクを持った男性のMCが現れる。
「皆さまお待たせしました。それでは只今よりトークショーを開始します。では本日の主役をお呼びしましょう。ヒガシノコウテイ選手どうぞ!」
MCの呼びかけとともに、ヒガシノコウテイが少しはにかみながらパドックに現れる。すると大歓声がヒガシノコウテイを迎えた。
「いや~凄い歓声ですね。人気の高さが伺えますね」
「ありがとうございます。そして今日は足元が悪いなかレース場に訪れ、レースを走ったウマ娘たちに暖かい声援を送ってくださりありがとうございました」
ヒガシノコウテイは集まった観客たちに一礼し、その姿に観客は拍手を送る。
いつでも応援してくれるファンたちに感謝の念を示す。それがヒガシノコウテイの美徳でありファンから愛される理由の一つでもある。
「そして、ご存知の方もいるかもしれませんが今日は特別ゲストもお越しくださりました!昨日急遽出演が決まったそうで、正直姿を見るまでは嘘だと思っていました」
「私もそうです」
「ではアグネスデジタル選手の登場です!」
MCの呼びかけに応じるようにアグネスデジタルが登場する。すると観客から歓声ともどよめきともつかないような声が漏れた。
本来このイベントはヒガシノコウテイのフェブラリーステークスの祝勝会、または残念会の予定だった。
だが昨晩、岩手ウマ娘協会のツイッターでアグネスデジタルも参加すると告知される。それを見たファン達は半信半疑だった。
基本的に中央と地方の交流はほぼ無く、来るとするならばオグリキャップやイナリワンなど、元地方出身のウマ娘が地元のレース場でゲストとして呼ばれるぐらいだ。
そんななか中央でもトップクラスの実績を誇り、縁もゆかりもないアグネスデジタルが来るわけがない、ましては都心に比較的に近い南関ではなく盛岡、しかも重賞もない開催日に尚更来るわけがない。
ファン達はどうせ岩手ウマ娘協会の広報が間違えたのだろうと思っていた。
だが翌朝になっても誤報の報せはなく、駅前にはアグネスデジタルも来るという内容のポスターが大量に貼られていた。これを見たファン達は来ることに現実味が帯び始めていた。
中央のステータスは効果が大きかった。アグネスデジタルが来るという宣伝効果は大きく、地方に興味がなかった中央ウマ娘ファン達も盛岡レース場に足を運ばせる。
ヒガシノコウテイの残念会にアグネスデジタルが来るということで、今日の盛岡レース場には普段の倍以上の客入りだった。
「え~、去年の南部杯で見た人はお久しぶり、今日初めて盛岡レース場にきた人は初めまして、アグネスデジタルです」
デジタルの挨拶に拍手と若干の黄色い声援が飛ぶ。
「今日はよろしくお願いします。いきなりですが、このイベントに出演した経緯を教えてくれますか?」
「ヒガシノコウテイちゃんに用が有って盛岡に来て、広報さんにイベントに出てくれないかって頼まれた」
「なるほど、しかし、それは中央としては有りなのですか?中央所属が地方のイベントに出ることはあまり前例がありませんので、権利的にアウトだったりして」
「広報さんが白ちゃんと交渉していたし、大丈夫じゃない?」
「本当ですか広報の最上さん?」
MCの言葉でターフビジョンに映る映像がMC二人とヒガシノコウテイとアグネスデジタルから、広報のアップに代わる。それに気づいた広報の最上は大きな○を作り、ファンから笑いと拍手が起こった。
「どうやら、大丈夫そうなので始めたいと思います」
そこからトークショーが開始する、内容としてはデジタルの盛岡レース場についての印象の話から始まり、南部杯で初めて来た時の印象、昨日の雪かきとトレーニング、今日のレースを見た感想を喋る。
デジタルが楽しそうに喋る姿は中央に多少なりの敵対心を持つ、地方ファンたちにも好意的に受け取られ、トークショーは和やか雰囲気で進む。そして話題はフェブラリーステークスに移る。
「では、フェブラリーステークスについて映像を見ながら振り返りましょう」
MCの言葉にビジョンにはフェブラリーステークスの映像が流れる。映像では直線に入りデジタルが抜け出し先頭に躍り出る映像が映し出される。
「直線でアグネスデジタル選手が一気に抜け出しました」
「凄い切れ味でした。これが中央のトップレベルかと実感させられました」
ヒガシノコウテイが映像を見ながら振り返る。映像でも凄さは分かるが、体感した切れ味は凄まじかった。この瞬間心が挫けかけたことを思い出していた。
「ですが、ここでヒガシノコウテイ選手が驚異的な粘りを見せ盛り返します」
映像は先頭に出たアグネスデジタルに猛追するヒガシノコウテイが映る。
あの時挫けかけた心が、昔にメイセイオペラが自分に言ってくれて言葉で立ち直り、地方のために頑張るという思いで心を奮い立たせた。あの気持ちを忘れないようにしよう。
「あの時のヒガシノコウテイちゃんとセイシンフブキちゃんは怖かった」
「怖かったとは?」
「直線で何か息苦しくて寒気がして、それが後ろで走っているウマ娘ちゃんのせいだって感じて後ろをチラッと振り向いたの、そしたら2人が居た。2人共すごい気迫で怖くて怖くてビビって直線で寄れちゃった。ほらここ」
デジタルは映像を指差す。そこには丁度右に寄れた姿が映し出されていた。
「初耳ですね。あの寄れは疲れからではなかったと」
「うん、映像で見てもビビっているのがよく分かるね。あれは初めての体験だったよ」
デジタルの言葉にファンたちもデジタルを注視する。よく見れば確かに怯えているような表情だ。
地元の英雄が中央トップをそこまで追い詰めたことが少しだけ誇らしかった。そして自分の醜態を恥ずかしげもなく語る姿に、多少驚いていた。
「そしてヒガシノコウテイ選手が懸命に追い詰めますが、アグネスデジタル選手が1着でゴール、ヒガシノコウテイ選手は2着のセイシンフブキ選手からハナ差の3着に終わりました」
レース映像は終わるがフェブラリーステークスの回顧は続く、その途中でアグネスデジタルはふと何かを思いついたのか、懐から携帯電話を取り出す。
「アグネスデジタル選手どうしましたか?まさかこのイベントを出るのがNGでトレーナーさんからお怒りの電話とか?」
MCの軽い口調の言葉に周りから笑いが起こる、デジタルは笑みで返すと電話をしてよいかとMCに尋ね許可を貰う。すると電話をかけ始めた。
「もしもし、今大丈夫?それで例の約束なんだけどさ」
観客、MC、ヒガシノコウテイが一斉に耳を傾ける。自分には気にせず話を続けてくれと言ったが、とてもそんな気になれなかった。
すると電話が終わりデジタルは携帯電話を懐にしまう、その顔には嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「え~っと皆さんにお知らせがあります。今喋っても大丈夫?」
「はい、どうぞ。何ですかね、気になります」
MCが期待を煽るようにして許可を出す。
「あたしはセイシンフブキちゃんとある約束をしたの。『今年は必ず日本のダートで自分と一緒に走れって』って。その舞台が南部杯に今決まったよ」
思わぬサプライズにMCとヒガシノコウテイは思わぬ発表にデジタルを見つめ、観客からは歓声が起こる。
地方の英雄達と中央の勇者が繰り広げたあの激闘が再び見られる。その興奮で自然と声を上げていた。
「何というサプライズでしょうか!というよりローテーションをそんな簡単に決めていいのですか?こういうのはトレーナーさんとよく話し合うものだと思っていましたが」
「他のところは知らないけど、白ちゃんはあたしのお願いを聞いてくれるし、大丈夫だよ。怪我とかしない限り出るつもりだから、当日は盛岡レース場に来てね~」
―――――絶対見に行くからな!
―――――嫁を質に入れてでも見に行くぞ!
―――――
デジタルの言葉に周りのボルテージはさらに上がる。周辺はレース後のような熱狂に包まれる。
「衝撃の発表で盛り上がっていますが、そろそろお時間です。では最後のお二方一言お願いします」
MCが名残惜しそうにしながら2人にコメントを求め、喋り始める。
「今日はアグネスデジタルさんやMCさんや見てくださった皆さんのおかげで、楽しいトークショーになりました。アグネスデジタルさん、ドバイでの健闘をお祈りします。そして南部杯で一緒に走ることを心から楽しみにしています」
「今日はレースで一杯ウマ娘ちゃんを見られて、ヒガシノコウテイちゃんとお話できて楽しかったです。南部杯はドバイワールドカップでサキーちゃんと走るぐらいに楽しみ!」
2人は感想を言うと自然とお互いの今後の健闘を祝すように握手をし、その日一番の歓声があがり、トークショーは大盛況で幕を閉じた。
───
「アグネスデジタルさん、今日は本当にありがとうございました」
「気にしないで、それよりあたしが出たせいでトークショーが冷え冷えになったら、どうしようと思っていたよ。それじゃあヒガシノコウテイちゃんがかわいそうだもんね」
トークショーが終え、盛岡レース場内にある来賓室に入るやいなやヒガシノコウテイは深く頭を下げた。一方デジタルは畏まることなく、顔に泥を塗らなかったことを喜んでいた。
デジタルは急な依頼にも快く引き受け、サプライズまで用意して会場を盛り上げてくれた。自分ひとりだったら、ここまで盛り上がらなかっただろう。改めて深々と頭を下げる。
数秒後ヒガシコウテイは頭を上げる、正直に言えば怒られたくないし、このまま黙っておきたい。だがこのまま黙っているのは人の道に反する。自分たちの罪を知らせなければならない。それが人の道だ。
「そしてアグネスデジタルさんに、謝らなければいけないことがあります」
「うん?何?」
「広報がインタビューする際に、事前に手続きをして相応のものを支払わなければならないと言っていたことを覚えていますか?」
「うん」
「あれは嘘です。雑誌に掲載するならばともかく、個人で利用する分には何の問題もないのです」
「じゃあ今回はタダ働き?」
「そういうことになります」
ヒガシノコウテイは己のしたことを包み隠さず話した。
広報がデジタルと約束を交わした後、ヒガシノコウテイは広報の言葉を不審に思い問い正す。広報はシラを切ったが、執拗に問い正すとそんなルールは無いと口を割った。
それを聞きヒガシノコウテイはすぐさまデジタルの元へ向かい、インタビューに応じようとした。だが広報がその手を止め、こう言った。
―――そんなルールは無いが、君がそういう条件を出したことにすればいい。
不正をしろというのか。ヒガシノコウテイは思わず睨みつける。だが広報は柳に風と言わんばかりに受け流し、自身の言い分を説明し始める。
アグネスデジタルがイベントに来るとなれば、普段より来場者数が増えるだろう。
ヒガシノコウテイとアグネスデジタルがイベントに参加するとなれば、GI南部杯と同じほどの来場者数が見込める。その実績を県に示せば、援助金が見込める。今が岩手ウマ娘協会の瀬戸際と説明した。
広報が豪腕で時々問題を起こしているのを知っていた。だがそれはすべて岩手ウマ娘協会の為にと行動しているのも知っていた。
ヒガシノコウテイの心は揺らぐ。自分が黙っていれば岩手ウマ娘協会が潤い、仲間たちも幸せになれる。
自分の倫理観と周りの幸福、様々な葛藤を経て黙っていることを選んだ。
「別にいいよ」
「え?」
重苦しく語るヒガシノコウテイに対し、驚く程あっさりした口調で許した。そのあまりの軽さにヒガシノコウテイは拍子抜けし思わず声を漏らす。
「今日はヒガシノコウテイちゃんとレースを見て、色んなところを回って、トークショーに出て楽しかった。依頼を受けなきゃできなかったし、タダ働きだと思っていないよ。寧ろ依頼してくれてありがとうって言いたいよ」
「いいのですか、アグネスデジタルさんを利用したのですよ」
「例えヒガシノコウテイちゃんにインタビューできなくて、一緒に遊べなくても依頼を受けていたよ。あたしはウマ娘ちゃんが大好きだし、ウマ娘ちゃんの味方だよ。よく分からないけど、あたしがイベントに出れば岩手のウマ娘ちゃんが喜ぶんでしょ?なら問題ない!」
デジタルはあっけらかんと話す。その言葉には気遣いなどは一切ない、純粋な本心だった。
「ありがとうございます。ではそろそろインタビューを始めましょうか」
「待っていました!」
デジタルは意気揚々とレコーダーを準備する。デジタルは普通の記者が聞かないようなことを根掘り葉掘り聞いてきた。
それに対しヒガシノコウテイは一つ一つ丁寧に詳細に答えていく。インタビューは長時間に及んだ。
───
「見送りありがとう。じゃあねヒガシノコウテイちゃん」
「はい、お気をつけて」
早朝の盛岡駅改札前で2人は別れの挨拶をつげる。デジタルの両腕には大量の紙袋がぶら下がっていて、中身は盛岡レース場で販売されているお菓子だ。
ヒガシノコウテイからお土産にと大量に渡される。デジタルもこんなに貰えないと一旦断るが、迷惑をかけたお詫びにと半ば強引に渡されていた。
「デジタルさん、私は今まで中央を少なからず敵対視していました。でも、一緒にイベントに参加して考えが変わりました。中央を敵対視することはないんだと」
ヒガシノコウテイは心境の変化をデジタルに打ち明ける。トウケイニセイが中央のライブリラブリィに負け、失意のどん底に落ちた盛岡レース場。そして中央の存在によって閉鎖していく地方のレース場、その体験から中央は地方の敵だと思っていた。
だがそうではない、アグネスデジタルのように、地方の利益になる行動をしてくれたウマ娘もいる。
中央でも地方を味方と言ってくれる。その姿を見て自らも偏見を捨て歩み寄る大切さを実感する。そしてお互いが歩み寄れば、地方と中央が共存共栄できるのかもしれない。
「なので、また何かあったら頼っていいですか?その分私も何かあれば手伝います」
「喜んで、あたしは地方も中央も海外も関係ない、すべてのウマ娘ちゃんの味方だよ」
2人はトークショーの終わりの時のように自然と握手をする。その握る力は前よりも力強かった。
ドバイワールドカップまでに間に合うか微妙なところ……