ウマ娘達は今日も今日とてトレーニングに励む。さらなる高みを目指すために、己が望む舞台に。それはGIを複数勝っている者であろうが、デビュー前のウマ娘だろうがそれは変わらない。
ある葦毛のウマ娘がトレーナーの指示を受けて、ウッドチップコースに向かう。
トレセン学園は広大な敷地と様々なトレーニングコースを有している。多くのウマ娘が在籍し、施設でトレーニングに励んでいるのでコースも貸切りというわけにはいかない。コースには顔見知りや初めて見る顔のウマ娘が多くいた。
トレーニングに向けてウォームアップを始めようとするが、コースに漂う空気がいつもと違う事に気付く。
何だろう?浮ついているというか、ざわついているというか兎に角空気が違う。しばらく周りを観察していると、ウマ娘達がある2人のウマ娘に視線を送り、その姿を確認するとそのことについて周りと喋っている。原因はその2人のウマ娘だ。
1人は栗毛の小柄なウマ娘、もう1人は鹿毛の大柄なウマ娘、鹿毛のウマ娘が栗毛のウマ娘の背中を押し柔軟運動をしていた。
あの2人どこかで見た事がある。だが今見えているのは後姿だけで誰なのかは思い出せない。正体が気になったのか、さりげなく前に回りこみ顔を確認すると予想外の正体に驚いていた。
1人は年間無敗を達成した覇王テイエムオペラオー。
もう1人は覇王と何度も激闘を繰り広げたメイショウドトウ。
先日引退式をおこない現役を退いた2人が何故ここにいる?
するとオペラオーとドトウはあるウマ娘に呼びかけられると、ストレッチを止めて呼びかけに答える。その先には2人のウマ娘がいた。
1人はピンク髪に赤い大きなリボンを着けたウマ娘、もう1人は漆黒長髪を2つのお団子にし、その毛先を垂らしている独特のヘアースタイルのウマ娘。
あの2人は知っている。先日のフェブラリーステークスに勝利したアグネスデジタルと、去年の香港マイルに勝ったエイシンプレストンだ。
「デジタルさんにエイシンプレストンさん、これから暫くよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。デジタルのわがままに付き合ってもらってすみません」
「デジタル、ボクもドトウもやっと仕上がったよ。これならある程度キミを満足させられるんじゃないかな」
「付き合ってくれてありがとう、オペラオーちゃんにドトウちゃん。しばらくよろしくね。あと岩手のお土産買ってきたからトレーニング終わったら皆で食べよ」
4人は和気藹々と会話をしている、この4人は仲が良かったのか。
会話から察するにアグネスデジタルがテイエムオペラオーとメイショウドトウをトレーニングに呼んだようだ。しかし何故現役を退いたものをわざわざ駆り出した?葦毛のウマ娘は推理するが一向に答えは出なかった。
───
授業が終わっての中休み、勉学から開放され束の間の休憩を満喫するようにそれぞれが近くの学生達と会話を楽しむ。
メイショウドトウとテイエムオペラオーも同様だった。するとクラスメイトから声を掛けられる。
どうやら来客が訪れているようだ、クラスメイトが指差すほうに目を向けると扉には見知った顔がいた。友人のアグネスデジタルだ。
「どうしたデジタル、何の用だい?」
「2人にちょっと頼みたい事があって」
「何ですか?出来る事なら手伝います」
2人はデジタルの元へ行き用件を聞く、デジタルは一呼吸すると話しながら次に話す内容を考えているようなゆっくりとしたスピードで喋り始める。
「フェブラリーステークスの時はさ、サキーちゃんをイメージしながら走っていたんだよね。でもヒガシノコウテイちゃんとセイシンフブキちゃんの威圧感というかオーラにビビっちゃって、それでサキーちゃんのイメージが消えちゃった」
デジタルの発する言葉は他人が聞いたのならば意味が分からないだろう、だが2人には言わんとしていることは理解できた。
2人が走った天皇賞秋ではデジタルは大外を走りながらオペラオーとドトウの近くで走りたいという願望を叶える為に、内側で走っていた2人のイメージを作り出し、大外を走りながら2人の近くで走っていると自身を錯覚させていた。
おそらくフェブラリーステークスではサキーのイメージを作り出し走っていたのだろう。そして言葉通り威圧感によってイメージをかき消された。
「次のドバイワールドカップではオペラオーちゃんとドトウちゃんもイメージしようと思っているけど、サキーちゃんもそんな感じの威圧感を出してくるかもしれない。だから挫けないために2人のイメージをより強くすることが必要だと思ったの、だからあたしと一緒にトレーニングに参加してくれない?」
デジタルは2人に向かって頭を下げる。サキーをより近くで感じ堪能し勝つために、トリップ走法でヒガシノコウテイとセイシンフブキの圧力から逃げる力を加えようと考えた。
それがサキーに立ち向かうための新しい武器、だがそれだけでは足りない。
既存の武器、デジタルの言葉を借りれば追いかけるイメージ、新しい武器と既存の武器を駆使する事が必要であると考えていた。
だがドバイワールドカップではセイシンフブキやヒガシノコウテイのような強い威圧感を発するウマ娘がいて、既存の武器が砕かれるかもしれない。
そうならないように鍛えなおす。二人と一緒に走る事でよりイメージを強固にしようとする狙いがあった。
2人はデジタルの言葉を聞き、数秒ほど沈黙する。言いたい事は何となく理解できた。だがある懸念があった。
「あの、そのイメージを強化するトレーニングをおこなうのでしたら、私達とデジタルさんが体を併せるほうがいいですよね」
「うん、それなりに走って直線で2人と体を併せる感じかな」
「それだと出来る限り体を併せるのは時間が長いほうがいいですよね」
「うん、そうだね」
ドトウはデジタルの言葉を聞くと、顔を伏せ何か言いづらそうな態度を見せる。
デジタルは不思議そうにしているとドトウの考えを代弁するようにオペラオーが口を開いた。
「デジタル、悪いがそれは厳しいかもしれない」
「どういうことオペラオーちゃん?」
「今のボク達ではキミのトレーニングにはついていけない」
オペラオーが現役を退いた理由は衰えによるものだった。そしてドトウもオペラオーがターフを去ってしまってはモチベーションが保てないという理由で引退したが、またドトウも同じように衰えていた。
そして衰えは現在進行形で続いている。仮にデビュー前のウマ娘のトレーニングに参加するならば2人は十二分に通用する。
だが現役でもトップクラスのデジタルのトレーニングに参加するには荷が勝ちすぎていた。
「ボク達の今の力ではあっという間に千切られるだろう。それに今のボク達では現役時のイメージとは隔離がある、イメージするならピークの時がいいだろう?今のボク達と走ったら逆効果になる恐れがある」
オペラオーの言葉を聞きデジタルはわずかばかり意気消沈する。
天皇賞秋のことを思い出しレース映像を見てイメージを構築する事もできなくもない。しかし自分の目で近くで見る事が一番の方法だった。
だがそういった理由ならしょうがない、それに断る理由が自分の事を思ってくれてのことは嬉しかった。デジタルは2人に礼を言い立ち去ろうとする。
「待った」
「待ってください」
だが、オペラオーとドトウが同時に呼び止め、同時に顔を見合し数秒ほど間が開く。ドトウからきりだす。
「2週間、いや3週間ほど時間をくれませんか?」
「今のボク達はピークではない、だがピークに限りなく近づける事は可能だ。3週間後にキミが判断してくれ」
「うん!」
デジタルはその言葉を聞き表情が一気に明るくなった。2人に何度も感謝の言葉を述べ、スキップ交じりで自分の教室に帰っていく。
「よかったねドトウ、これでダイエットできるじゃないか」
「そうですね」
オペラオーの軽口にドトウは笑みで答える。現役を退いて、もうあの厳しいトレーニングをする必要がないと思っていた。
だが再び現役と変わらず、それ以上にトレーニングすることになるだろう。
しかし悪い気はしない、衰え現役を退いた者でも必要としてくれる友人がいる。それは何よりも嬉しかった。
───
「それでオペラオーさんとドトウさんが居るのは分かるけど、何であたしも駆り出されているの?」
「それはプレちゃんもイメージするからだよ、一緒に生活していても走る姿は見ているわけじゃないしね」
「そう、後でお金払ってね」
「何で?」
「それはあたしのイメージを使用しているからよ。ライセンス料を払ってもらうから」
「え~自分の脳内で想像しただけでお金払わなきゃいけないの?」
「権利にうるさいアメリカ育ち、そこらへんにぬかりなし」
2人はじゃれあいながらトレーニング前の準備運動をおこなっていく、するとデジタルのトレーナーが4人の元にやってきた。
「オペラオー君にドトウ君にプレストン君、デジタルに付き合ってくれてありがとう。暫くよろしく頼む」
トレーナーが3人に頭を下げると、オペラオーは会釈程度に、プレストンは普通に、ドトウは過剰なまでに頭を下げた。
「それで、どんなトレーニングするの?」
「そうだな、このコースは一周2000メートルだから、まずスタート地点からデジタルとプレストン君が併せて1000メートルまで走る。プレストン君は7割ぐらいの力で走ってくれ。そしてデジタルはそのまま走る。オペラオー君とドトウ君は直線で陣取って、デジタルが直線に入ったらスタートして全力で走ってくれ。それを数本やる感じや。デジタルは1000メートルから直線に入るまでは少し緩ませていいが、レースのつもりで走れ、先着しろよ」
トレーナーの指示に4人は了承し、それぞれの場所に移動しトレーニングを開始する。
「じゃあ、プレちゃん準備良い?」
「いつでも」
「じゃあ、よ~い、ドン」
デジタルの合図で両者は同時にスタートする。出だしはデジタル自ら合図を出したことで好スタートをきれ、100メートル通過してクビ差ほどリードする。
全力で走りながらもチラリと横を見る。無駄の無い美しいフォーム、風でなびく艶のある漆黒の髪、一歩でも前に行こうとする意志を秘めた瞳、併せて走るのは香港以来だが、相変わらず素敵な姿だ。隣で走っているだけで心が躍る。
このままずっと併走したい。 だが200メートル、400メートルとハロン棒を通過していくごとにハナ差、クビ差、2分の1差と距離が開いていく。
デジタルはレースまで残り3週間、プレストンはレースまで約7週間、仕上がりとしてはデジタルが早い。
だがプレストンは1000メートル走るのに対し、デジタルは途中緩めるといえど2000メートル走らなければならない。それが広がっていく差の原因であった。
1000メートルのハロン棒をプレストンが1バ身リードで通過する。デジタルも必死に追走したが体を並ばせることはできなかった。プレストンはそのままスピードを落とし立ち止まる、
デジタルは走りをとめず、オペラオーとドトウが待つ地点まで向かう。トレーナーは緩めながら向かえと言ったが、緩めすぎてもトレーニングの意味が無い。直線で力が発揮できるギリギリの緩いペースに調整する。
最初はペースを上げ、中盤でペースを緩ませ、直線でペースを上げる。これはフェブラリーでのペース配分と同じで、トレーナーが考えるドバイワールドカップでの勝率が高い走りでもあった。そしてこれはサキーの走りと同じペース配分でもある。
残り500メートルに着いた瞬間、1バ身先に居たオペラオーとドトウがスタートを切る。それを合図にデジタルはペースを上げ、イメージを作り出す。イメージするのはフェブラリーでの直線に感じたあの圧力。
2人から聞いた話を思い出し、何を想い、どのような覚悟と決意を秘めて走っていたのかを想像する。
すると背筋に悪寒が走り、後ろから2人の心情が声になって聞こえてくる。イメージはできた。あとはそれを逃げる力に代える。
デジタルの感覚としては想像の発せられる重圧を上手く逃げる力に代えられる感覚があった。だが徐々にゴールに迫りながらも、オペラオーとドトウとの差が一向に縮まらない、むしろ広がっている。
実は上手く逃げる力に代えられていないのか?不安からか思わず意識をイメージから前を走るオペラオーとドトウに意識を向ける。そこには天皇賞秋で想像した理想の姿と寸分と狂わない後姿があった。
上手くトリップ走法ができていないから差が縮まらないのではない、2人が全盛期と変わらないからだ!その姿に感動したせいか、デジタルのイメージはいつの間に消えていた。
結局オペラオーとドトウが先着し、デジタルは3バ身をつけられてゴールする。デジタルは息を整える間を惜しんで、2人に駆け寄る。その瞳は歓喜に満ちていた。
「凄いよ!凄いよ二人とも!全盛期の姿と変わらないよ!」
「ありがとうございます、そう言ってくれて嬉しいです」
「いや、全盛期からはまだまだだよ。でもこれぐらいのハンデをもらえれば、デジタルの練習相手には充分なれそうだ」
ドトウは謙遜し、オペラオーは満足げに答える。2人のスピードはタイムから見れば全盛期と変わらないものだった。
だがそれは500メートルだけしか走っていないからである。これをデジタルと同じ距離を走っていたならば、たちまちフォームは乱れスピードは落ちていくだろう。
しかし、500メートルでも全盛期の姿を取り戻せたのは3週間のハードワークによるものだった。
「よし、2人は息を整えてくれ、デジタルはジョグでプレストン君の位置まで戻れ、あと中間ペースは少しペース緩めすぎや、もう少し締めていけ」
「あれで緩めすぎ~?厳しいな」
デジタルは若干愚痴をこぼしながらプレストンの位置に戻り、2本目を開始する。その後3本目をやって、この日のトレーニングは終了する。
「飲み物って何がいいかな?部屋の冷蔵庫には牛乳しかないけど」
「あたし達は牛乳でいいけど、オペラオーさんとドトウさんは好きじゃないかもしれないし、ベタなところで緑茶とか紅茶とか?」
「でも両方淹れ方知らないけど」
「じゃあ、コンビニでペットボトルとかで買えばいいでしょ」
デジタルとプレストンは雑談に興じながら、クールダウンをしていく。その姿を見つめながらオペラオーとドトウもクールダウンをする
「お疲れさん。ジェルパックはこれでいいかドトウ君」
するとデジタルのトレーナーがドトウにジェルパックを手渡す。
ジェルパックとはジェルを冷やしたもので足首や腿裏につけていく部位を冷やす事で疲労回復を速め、怪我の防止にもつながっていく。ドトウは自分の分をつけ終わり、オペラオーの分を手渡し着けていく。
「アイシングはきちんとしておきませんと」
「そうだね、しかしアイシングなんて現役時代やってないから、未だに馴れないな」
「今までアイシングやっていなかったと聞いて驚きましたよ。それであの頑丈さですから羨ましいです」
ドトウは過去のやりとりを思い出し、思わず笑みを浮かべる。
2人で自主トレーニングをした後、ストレッチをしてジェルパックをつけるドトウに対して、オペラオーは何もつけておらず、思わず質問する。すると一回つけたけど、冷える感覚が嫌だからそれ以来つけていないと答えた。
それはドトウにとって衝撃的な答えだった。チームではアイシングは常識であり、どのチームもそうだと思っていた。
だがオペラオーは一切やっていないと言う。それでデビュー後の骨折以来、怪我無くシニアクラス中長距離路線を皆勤したのか。なんという頑丈な体だ。
ドトウはオペラオーにアイシングするように薦めた。最初は拒否したが、もう現役ではないから体のケアはしっかりすべきである。
そして怪我をして、デジタルに負い目を感じさせるわけにはいかないと強く迫り、オペラオーはアイシングするようになった。
オペラオーはジェルを着け終わるとトレーナーに問いただす。
「それでデジタルのトレーナー、デジタルの新しい走りはできているのかい?」
「正直言えば分からん。出来ているか否かは可視化できるものでもないしな」
トレーナーは思わずため息をもらす。 デジタルのトリップ走法は脳でウマ娘をイメージし、勝負根性と潜在能力を引き出す走りである。
それは他者からの目では出来ているかは判別できない。例えば走りのフォームが乱れているとかならば、視覚情報として見え、トレーナーなどの他者が正しフォームと照らし合わせ修正することが出来る。
だがデジタルが脳内のイメージは他者の視覚情報としてとらえることができない。
判別する客観的データが有るとするならばタイム、または本人の口からイメージが上手くいったか、そうではないかを聞くぐらいだ。恥ずかしながらアドバイスできることは何も無い。
するとデジタルとプレストンがクールダウンを終えてやってくる。オペラオーとドトウは出迎えようと立ち上がる。トレーナーは2人が来る前に告げた。
「もし、少しでも体に不調を感じたらデジタルには遠慮なく休んで、私に相談してくれ。君たちを怪我させるわけにはいかない」
「ありがとうございます」
「まあ、ボクは怪我をするようなやわな体じゃないけどね」
2人はそう返すとデジタルとプレストンを出迎え帰路につく。4人の表情はレースに向けてトレーニングするアスリートとしてのウマ娘ではなく、たわいも無いお喋りを楽しむ年相応のウマ娘の表情をしていた。
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『テイエム来た!テイエム来た!テイエム来た!』
プレストンは最近の日課であるヌンチャクを使ったトレーニングを終えて、自室に戻る、すると大音量の実況が出迎えた。
また見ているのか。プレストンは感心半分呆れ半分といった笑みを見せる。
ここ最近のデジタルはずっとレースの映像を見ている。授業中、休み時間、トレーニングの合間、自室、僅かな時間をみて、むしろ僅かな時間を作ってでも映像を見ている。
見ているのはテイエムオペラオー、メイショウドトウ、エイシンプレストン、ヒガシノコウテイ、セイシンフブキ、サキーの映像だ。
トリップ走法のイメージ構築のために繰り返し繰り返し見ており、回数も数十回じゃきかないだろう。
例えでテープが擦り切れるまで見るという言葉があるが、もしデジタルが見ているものがビデオであれば間違いなく擦り切れているだろう。
そのせいか今のデジタルは世俗から離れている。最近起こった国民的男性アイドルグループの解散報道も知らないだろう。
その執着と集中力にはデジタルと長く付き合っているプレストンにすら、狂気じみたものを感じ薄気味悪さを覚えている。
プレストンですらそうなのだから、最近ではチームプレアデスや親しい人物以外は近寄ろうとしない。
デジタルは映像がひと段落ついたのかふと時計を見ると目を見開き、慌てて別のウェブページを立ち上げる。
「あぶない、あぶない。見逃すところだった」
「何を?」
「ネットでサキーちゃんのインタビュー番組を流すんだよ」
「へえ~、そんなのどこで知ったの?」
「ツイッター」
「でもサキーってゴドルフィンでしょ、ツイートもアラビア語なんじゃないの?アラビア語読めるの?」
「サキーちゃんのツイートはアラビア語のほかに英語でもツイートしているの!1人でも多く読んでもらうためにだってさ、意識高いよね!英語できて本当によかったよ」
デジタルは自慢げに、そして楽しそうにサキーのことについて語る。
これから勝敗を競う相手になるのにまるでファンのようだ。恐らくトレセン学園で一番サキーに詳しいだろう。そして番組が始まった。
画面に映るのはインタビュアーとサキーの二人、インタビュアーはスーツで、サキーはゴドルフィンの指定ジャージを着ている。
テロップを交えながらインタビュアーの質問にサキーが答えていく。内容としては日本でもよくあるインタビュー番組だが、セットや雰囲気からして民法のバラエティ的なインタビューではなく、国営放送の少し硬い感じのインタビュー番組のようだった。
生い立ちから今までの経緯を語り、話題はドバイワールドカップに移った。
「ドバイワールドカップに出走されますが、警戒している又は注目しているウマ娘はいますか?」
インタビュアーの質問にサキーは数秒間沈黙した後、喋り始める。気のせいかその声は弾み、ブルーサファイアのような青い瞳が光度を増したような気がした。
「私が気になっているウマ娘は日本のアグネスデジタルです」
アグネスデジタルという名前がサキーの口から出た瞬間、プレストンとデジタルは顔を見合わせる。
日本の放送ではない番組でデジタルの名前が出た。全く予想していなかっただけに心臓の鼓動が跳ね上がり、驚きで少しばかりあった眠気が吹き飛んだ。2人は一層集中して番組を見る。
「意外ですね。同じゴドルフィンのストリートクライの名をあげると思っていたのですが」
ドバイワールドカップの前哨戦であるマクトゥームチャレンジで、2着に8バ身半もの大差をつけたストリートクライが関係者の間ではサキーの対抗と目され、それだけにサキーはその名前をあげると思っていた。
「ストリートクライは強いですし警戒もしています。ですが気になるという面ではアグネスデジタルですね。何と言ったってファーストコンタクトが印象的でしたから」
「どのようなファーストコンタクトでしたか?」
「始めて会ったのは香港のシャティンレース場のトイレでした。少し話した後、彼女は私に尋ねました『ゴドルフィンで推しのウマ娘っている?』と最初は意味がわかりませんでした。強いウマ娘がいるかということかと思いましたが、違いました。彼女はウマ娘の速さではなく、ゴドルフィンのウマ娘達の趣味やマイブームや周りで起こったエピソードなど、パーソナルな部分が気になっていたようです」
「それは珍しいですね」
「アグネスデジタルは目を輝かせて聞いていました。あそこまで興味を持って話を聞いてくれる人は初めてでした。そのせいか沢山喋ってしまい、集合時間に遅れそうになってしまいました」
サキーは笑い話のように楽しげに過去を振り返る、そして思いだし笑いを堪えるように話を続ける。
「そして去り際に彼女はこう言いました『貴女ならすごく強くなれるよ、将来は凱旋門賞取れるかもね』と、どうやら私をジュニアBクラスだと思っていたようです」
サキーは喋り終えると我慢できなくなったのか、クスクスと笑い始める。
凱旋門に勝利し、周りの人々は少なからず畏敬の念を抱いて接してくる。
現役のウマ娘なら誰でも知っているだろうという驕りがあった。だがアグネスデジタルは自分のことを知らないのか、畏敬の念を見せず、まるで気心知れた友達のように接してきた。
デジタルの態度は不快ではなく、新鮮で心地よいものだった。
そして海外所属とはいえど現役の選手に知られていないとは、自分の認知度とPR活動はまだまだであるということを実感させられた貴重な体験だった。
「凱旋門に勝ったサキーをBクラス扱いって、下手したら滅茶苦茶キレられる案件よ」
「いや~あの時はオペラオーちゃんとドトウちゃんに夢中で、海外には全く目が行ってなくて。それに会った時も良い意味で初々しかったから」
プレストンは呆れ半分でデジタルに苦言を呈す。サキーが笑い話にしてくれているが、他の人だったらその場で怒られている可能性がある。
いやサキー自身も実は腹綿煮えくり返っているかもしれない。その言葉にデジタルは悪気がなかったと言い訳する。
映像ではインタビュアーはサキーの笑いが治まるのを待ち、話を切り出す。
「凱旋門賞ウマ娘を新人扱い。それは印象に残りますね」
「はい、印象に残っていますし、僅かな時間での交流でしたが、何となく気が合うのを感じました。もし機会があればお茶でも飲みながら話したいです」
その後はドバイワールドカップへの意気込みを語って番組は終了した。
「これって相思相愛ってことだよね!プレちゃん!」
「それは言いすぎでしょ」
デジタルはプレストンに鼻息荒く話しかける。声のボリュームが大きく、近所迷惑にならないように必死に宥める。
恋焦がれている相手に存在が認知され、社交辞令とは言え一緒にお茶したいと言われたのだから、興奮しないわけが無い。気持ちは分かる。
その後デジタルは興奮冷めやらぬのか、プレストンにサキーのことについて語り続ける。テンションが落ち着き話をやめたのは30分後のことだった。
───
「そういうことが有ったんだよ」
「それはよかったですね」
「さすがのサキーも、ボクの魅力には敵わなかったみたいだね」
「でも、注目されていないほうが良かったんじゃない。ノーマークでコソコソしたほうが勝てる確率が上がりそうだし」
「う~ん、ドバイでサキーちゃんに勝って『何なのアイツ!』って注目されるパターンも悪くないけど、折角の晴れ舞台だから、最初から注目された状態で走りたいのが乙女心かな」
「乙女心は複雑ね」
ウッドコース場で4人はウォームアップをしながら談笑し、話題は昨日のサキーの話に移る。
デジタルはサキーが出ていた番組のことを嬉しそうに話し、ドトウはデジタルがはしゃぐ様子を微笑ましく眺め、オペラオーは当時のデジタルの興味がサキーではなく、自分達にあったのを嬉しそうに胸を張り、プレストンはデジタルの乙女心を若干皮肉るように賛同する。
するとトレーナーが4人に準備が出来ているかと声を掛け、先のトレーニングと同じように持ち場に移動する。デジタルも移動するがトレーナーに呼び止められた。
「現地ではビシと追えるのは1本か2本ぐらいで、後は調整や。今日が最後になると思っておけ、新しいトリップ走法は完成できているのか?」
「うん、ほぼ完璧」
「そうか、なら最後ぐらい先着せえよ」
デジタルはトレーナーの言葉に手をヒラヒラと振りながら、持ち場に戻る。
タイムも伸びているし、直線でのオペラオーとドトウとの着差も縮まっている。デジタルの言葉通り、トリップ走法での逃げる力を引き出せることは出来ているのだろう。後は結果だ。
このトレーニングで、この面子相手に先着できる現役ウマ娘はほぼいない。それほどまでにデジタルにはハンデがあるトレーニングだ。だが世界最強のサキーに勝つためには結果が欲しかった。
「今日で最後だね、付き合ってありがとう」
「だったら抜いて恩返ししなさい、まあ、抜かせるつもりはサラサラ無いけど」
プレストンは言葉を交わしスタートをきる。スタートはデジタルが若干有利だが、すぐに盛り返し横一線に並ぶ、そこから200メートル、400メートルとハロン棒を通過していく、まだ横一線だった。
プレストンは併走するデジタルの横顔を覗く。その横顔は自分との併走を堪能するように笑顔だった。
トレーニングというものは基本的に辛く苦しいものだ。だが辛いからこそ力がつき、その分レースに勝てれば何倍も嬉しくなる。そう思えば苦しい事は悪くは無い。
だがデジタルと走っていると不思議と苦しいではなく、楽しいと思えてくる。デジタルの嬉しいという感情が伝播していくのかもしれない。それは心地よい体験だった。
1000メートルを同着で通過し、プレストンはスピードを緩め抜き去られていく。
デジタルは名残惜しそうに一瞬振り返り眼が合う。プレストンはサムズアップサインを見せ、デジタルはそのサインに頷いた。
オペラオーとドトウまでの500メートル、デジタルは最低限のペースの緩みで走りながら、息を入れ力を溜める。
そしてオペラオーとドトウの1バ身後ろにつくと2人はスタートをきる。デジタルはそれを見て瞬時に脳から情報を引き出し、イメージを作り出す。
オペラオーとドトウの間にはある1人分のスペース、そこにデジタルは入り込み併走する。3人は横一線になり直線を駆け抜ける。
オペラオーとドトウは併走するデジタルを一瞥する。3人で走った唯一レースである天皇賞秋では、こうして肩を並べて併走することはなかった。
だがジャパンカップのトレーニングでは、後ろから迫るデジタルに抜かれまいと力を振り絞りながら体を合わせ、ゴールではいつも僅差だった。そして今も3人で横一線になりながら併走している。
今日でトレーニングは終えデジタルはドバイに旅発つ。そして勝つにせよ負けるにせよ、いずれ次のレースに向けてトレーニングを再開する。
その時は衰えがさらに進行し、デジタルのトレーニングの相手にはならなくなる。これが本当に最後の走りだ。
ゴールに迫ると感覚は沼に入ったように鈍化し、感傷的な気分と名残惜しさが増してくる。
2人はさらに力を振り絞る。一秒でもデジタルが理想とする自分達であるように、一秒でもデジタルの目に焼き付けてもらうように、そして先着して理想の自分達を心に刻んでもらうように。
残り100メートルでオペラオーとドトウはデジタルからクビ差ほど抜き出て、その差を維持したままゴールした。
「今日は……先着できると……思ったんだけどな……」
ゴールを駆け抜けると3人は同じ位置で止まり、呼吸を整え、デジタルは息絶え絶えで話しかける。
言葉では悔しさを表しているが、表情と声色はまるで違う。嬉しさを全面に現していた。
3人は暫く呼吸を整えていると、トレーナーと戻ってきたプレストンが近づき、飲み物とタオルを手渡し労う。
「結局、最後まで先着出来んかったな」
「プレちゃんだって……オペラオーちゃんだって……ドトウちゃんだって……強いんだから……しょうがないじゃん」
「まあ、よくよく考えれば、この面子とハンデで勝つなんてサキーでも無理だったな」
トレーナーの言葉にデジタルは『そうだよ~』と満足げな笑顔を浮かべながら答える。
本音を言えば先着して欲しかったが、プレストンとオペラオーとドトウを過小評価しすぎていたということだろう。それにオペラオーとドトウという憧れを抜けないほうが良かったのかもしれない。
デジタルがイメージする際、抜いた相手より抜けない相手のほうが、相手に近づこうとして、より力を引き出してくれるだろう。数分ほど4人は休憩を取る。その間トレーナーはデジタル息が整っていることを見計らい声を掛ける
「デジタル、ドバイ前の総仕上げだ。最後に一人で、もう一回2000メートル走って来い。本番を想定して、トリップ走法の逃げる力と、追う力を合わせたやつでな」
「うん」
デジタルは寝そべっていた体を起こし、スタート地点に向かう。
逃げる力と追う力を融合させたトリップ走法。デジタルがサキーに近づき堪能し勝つために生み出した走法。だがまだ完成していなかった。
オペラオー達と走った後に何回か単走で実践してみたが、逃げる力から追う力にイメージを切り替える際の継ぎ目が甘く、若干タイムラグが出てしまった。それはイメージが固まっていなかったからだろう。
だが今日まで逃げるイメージを構築し続け、追うイメージの相手である、プレストンとオペラオーとドトウの走る姿や息遣いを体験し脳に刻み込んだ今なら、完成できそうな予感があった。
デジタルはスタート地点に着くと走り始める。本番と同じように序盤はスピードを速め、前目に位置取り先行する。中盤は若干ペースを緩め、残り600メートルになった瞬間、トリップ走法を使う。
最初は逃げる力、ヒガシノコウテイとセイシンフブキをイメージし、余力を引き出す。
200メートルを通過した瞬間に、逃げるイメージから追うイメージに替え、プレストンを出現させる。そこからは100メートルごとにドトウ、オペラオー、サキーとイメージする相手を代えていく。
イメージを替えるタイムラグはなくスムーズに出来た。そして余力を引き出し、体のすべてのエネルギーを使いきった感覚があった。
デジタルは走り終わり、コースの外でタイムを計測していたトレーナーの元に近づく。
その歩様は千鳥足で今にも倒れそうだった。その様子を見てトレーナーとプレストン達はすぐに駆け寄り、デジタルがコースに倒れ伏せる前に抱きかかえた。
「できたよ皆……でもこれ……脳も体も目一杯使うから……かなりしんどい……」
プレストンの腕の中でゆっくりと喋りかける。トレーナーは膝や足首などを触診して痛みがないかと問うが、デジタルは無いと答えた。
故障という最悪の事態を想定したが、どうやら力を使い果たしただけのようだ。
「お疲れデジタル、明日は完全オフだ。ゆっくり休め」
「そうさせてもらうね。プレちゃん部屋まで送って」
「はいはい。わかりましたよ、お姫様」
プレストンはお姫様だっこでデジタルを運び、トレーナー達はその後をついて行く。
「タイムはどうだったのだい、デジタルのトレーナー」
「タイムは普通だが、トレーニングの最後の一本と考えれば自己ベストに近い。言葉通りトリップ走法は完成したのだろう」
トレーナーはオペラオーとドトウに計測したタイムを見せる。全体は今までどおりだったが、トリップ走法を使った3ハロンのタイムは通常より伸びていた。
これでサキーとも充分に戦えるだろう。あとは現地での調整しだいだ。トレーナーは今後のことについて思考をめぐらす。すると携帯電話に着信が入り、思考は中断される。
液晶には番号だけが表示されている。何回か電話をかけたり、受けたりする番号であれば電話帳に登録している。名前が出ていないということは、初めて電話をかけてくる相手だ。トレーナーは僅かばかし緊張しながら電話に出た。
現実のドバイワールドカップに間に合うか微妙なところ…
がんばります